「原発バブル」後の財政危機を、双葉町はどのように克服しようとしたのだろうか。前述した、『朝日新聞』2011年5月28日付朝刊に掲載された、編集委員神田誠司「『増設容認』カネの魅力、神話の陰にー福島原発40年④」では、このように説明している。
最後に頼ったのは、やはり「原発マネー」だった。
前町長(現在は井戸川克隆町長)時代の91年、町議会は原発増設決議を可決。その後、東電のトラブル隠しの発覚で決議は凍結された。
このように、原発増設決議を行って、また資金を獲得しようとしたのである。
経済学者諸冨徹は、「原発震災から地域再生へ」(『現代思想』2011年6月号)で、双葉町の状況を解説している。
したがって、双葉町が九一年に誘致決議で直面したように、さらなる原発増設によって減ってしまった交付金と固定資産税収入を再び回復させ、高水準の歳出を賄うという選択を取ってしまうことになるのです。
しかし、すでに朝日新聞の神田が指摘しているように、90年代においては、東電のトラブル隠しのため、原発増設は不可能であった。双葉町は、どんどん財政破綻に追い込まれていく。朝日新聞の神田は、双葉町の財政破綻をこのように説明している。
財政状況の悪さは、福島県の原発立地4町の中でも、突出していた。年間収入に占める借金返済額の割合では、07年度の数値で大熊町3.9%、楢葉町11.0%、富岡町17.9%に対し、双葉町は30.1%。財政健全化の計画策定が義務づけられる「早期健全化団体」のラインとなる25%を大きく超え、「危険水域」に入っていた。
諸冨も「あらゆる地方財政上の指標で見て、全国の市区町村でワースト一〇に入ってしまうほど財政状況が悪化しています」と指摘している。
このような財政危機の中、登場したのが、現町長で双葉町ぐるみで埼玉県に移った井戸川克隆である。朝日新聞の神田は、2005年12月8日の井戸川の初当選時の思い出を次のように記している。
新顔同士の一騎打ちを小差で破った後の晴れがましさは、町長室をたずねてきた総務課長の一言で吹き飛んだ。「町長、来年度の予算が組めません」
多額の借金を抱えていることはわかっていた。だから、住宅設備会社を一代で立ち上げた経営のノウハウを生かして町を再建したい。そう訴えて支持を得たのだ。「でも、そこまでひどいとは思わなかった」
井戸川町長は、とにかく歳出カットにはげんだ。朝日新聞の神田は、その奮闘ぶりをこのように述べている。
井戸川はまず大型事業を見直した。自らの給料も実質的に手取りをゼロにした。「このままだと第二の夕張になってしまう」。住民に訴え、様々な補助も削減。だが、歳出カットだけでは追いつかない。
結局、井戸川も原発マネーに依拠せざるをえなかった。朝日新聞の神田は、このように井戸川の選択を記述している。
井戸川は07年6月、町議会で早々と幕引き(91年原発増設要望決議凍結について)を宣言する。翌日には町議会が増設容認の決議を賛成多数で可決。賛成した町議の一人は「増設容認は財政再建の切り札だった」と明かす。
結果、毎年9億8千万円、4年間で39億2千万円に上る7、8号機増設に向けた電源立地等初期対策交付金を手にした。
諸冨は、このように指摘している。
言葉は非常に悪いのですが、これはある種の依存構造であり、麻薬的であるとも言えます。次々に大きな歳入減(増の間違いか)を求めて、見返りに原発を受け入れざるを得なくなっていくのです。いったん受け入れてしまうと抜け出せない原発は、地域発展の手段としては逆効果であり、依存対策から抜けだせなくなる点に、電源三法の恐ろしさもあるのです。
しかし、ここで、東日本大震災とそれを契機とした福島第一原発事故が双葉町を襲った。朝日新聞の神田は、次のように、井戸川町長の心境を物語っている。
今年3月11日、突き上げるような揺れに襲われたとき、井戸川の頭をよぎったのは第一原発のことだった。懸念は現実になり、埼玉県北部・加須市の避難所で町民1050人と寝起きをともにする。「いつ町に戻れるのか」。遠く離れた無人の町には「原子力 郷土の発展 豊かな未来」と書かれた大きなアーチがかかっている。
まるで、井戸川町長の苦労を嘲笑しているかのようである。以前、本ブログの中で、原発立地による利益を数え立てている『富岡町史』の記述に対し、それが全戸避難の現実と引き合うものなのかと述べた。原発立地を契機として生じた財政破綻に対応するため、原発増設決議を出し、新たな電源交付金を獲得した双葉町についても、同じようなことがいえる。全戸避難し、地域で生活もできず、土地・家屋・工場・家畜などもとりあえず触れることのできない現状と、原発で獲得した利益は引き合うものであったのかと言わざるをえない。
別に、双葉町当局・富岡町当局の責任を今更問うつもりではない。財政破綻していて、雇用もない状態にはなりたくないというのも真摯な思いであったであろう。その思いとは全く相反してしまった状況が悲しいのである。
(福島第一原発から3.5キロにある双葉町役場手前。アーチ式標語には「原子力 郷土の発展 豊な未来」とある。役場にも双葉町中心部にも人影はない。2011年3月13日午前中 山本宗補撮影 http://twitpic.com/4aiukiより転載)
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