次に、この東日本大震災(ただ、このように呼称しているのは『朝日新聞』が中心のようであるが)について、どのような点が強調されて報道されているか、『朝日新聞』一面のトップ記事からみてみよう。通常『朝日新聞』は、最終面をテレビ欄にしているが、3月12日朝刊以来、最終面も記事欄にしている。たぶん、これは、いわゆるスポーツ新聞の「裏一面」という扱いで、中にある一般的社会面や政治面よりも強調して伝えたいことなのであろうと判断した。典拠は自宅に届いた新聞であるが、新聞世論の動向を一瞥することはできるであろう。基本的には『朝日新聞』が公衆に強調して伝えたいということであるが、それが読者の意識に影響しているとみることができる。
*3月19日夕刊・3月26日夕刊のデータを3月27日に追加・加筆した。
さて、時間軸を中心にみていこう。3月11日午後に起こった地震であり、その日の夕刊にには間に合わず、3月12日朝刊から震災報道が開始された。まず、最初の表一面トップ記事は、震度・マグニチュードなどを伝える報道である。そして裏一面は、自治体などの連絡先が掲載されているが、ほとんど関東地方ばかりで、東北地方は掲載されていない。また、3月14日朝刊には輪番停電の予告が裏一面に掲載されている。
福島原発事故報道は、3月12日朝刊の表一面で「福島原発、放射能放出も」という記事が出されたが、トップ記事ではない。しかし、同日夕刊の裏一面では「放射能放出」という記事がトップ記事になっている。3月13日朝刊の表一面では「福島原発で爆発」という記事がトップとされ、同日には「3号機も冷却不全」が表一面のトップ記事である号外が出された。原発事故は、1号機・3号機・2号機・4号機と冷却不全による爆発などをおこしているが、3月14日夕刊以後は、ほとんど福島第一原発の事故とそれに対する対応、さらに放射能放出への対処方法などの記事がトップをしめるようになっていく。特に3月15日夕刊から3月17日朝刊までは、表裏とも一面のトップ記事は原発事故なのである。もちろん、中の社会面などには被災地の状況やそれに対する支援の記事も数多く掲載されているが、この時期の『朝日新聞』の報道の重点は、原発関連にあったといえる。
ただ、3月17日朝刊表一面の「原発冷却へ機動隊」の記事から雰囲気がかわっていく。それまでは、ほぼ原発事故への対応は、東京電力や原子力安全・保安院まかせという感じであったが、原子炉・燃料プールの冷却のため、警察・自衛隊・消防隊が放水を開始すると、それなりの安堵感が生まれたようである。
そして、3月17日夕刊では裏一面に被災地状況の写真が掲載された。3月18日夕刊から3月19日朝刊までは、原発記事がトップ記事にならないという状況であった。そして、3月19日朝刊の表一面では「被災者の遠方避難」という記事が、3月21日朝刊の表一面には「80歳の孫 9日ぶり救出」という記事が被災地状況・支援を伝える記事としてトップとなった。実は、これは、『朝日新聞』では、非常に珍しいことで、3月14日朝刊以来なのである。さらに、3月19日朝刊の裏一面では「生きている 待っている 今伝えたい 被災者の声」という記事がトップに掲載された。これは被災者の声を取材によって集めて掲載するもので、その後、トップ記事ではないが、裏一面の常設欄のようになった。3月20日朝刊の裏一面では、「医療チーム駆け巡る ニッポンみんなで」という、被災地の支援事業を伝える記事がトップとなった。「ニッポンみんなで」と題された支援事業を伝える記事は、その後もたびたび掲載されている。また、「ニッポンみんなで」が掲載されていない場合も、裏一面は、基本的に被災者の状況を伝える面として認識されたようで、3月25日夕刊以外は、被災地状況が主に報道されている。
原発報道では、3月19日夕刊表一面では「自己原発冷却の命脈 電源きょうにも復旧」という記事が、3月20日朝刊表一面では「福島原発 通電可能」という復旧に向けた記事がトップに掲載されている。しかし、3月22日朝刊の表一面では、「首相、出荷停止を指示」という記事がトップとなった。そして、3月22日以降、表一面のトップ記事は、原発関連報道の指定席のようになった。その中では、原発の復旧状況、原発近隣地の避難、野菜・牛乳・水道への放射能汚染とそれへの対応が主に語られるようになった。この中では、関東地方他の人々が摂取する可能性がある食品・水道水についての放射能汚染が強く意識されており、原発事故の進行だけに注目されているわけではないことがそれまで大きく違っているといえる。そして、3月25日朝刊の表一面では「福島第一、レベル6指定 スリーマイル超す」(なお、現状では政府はレベル5としており、レベル6としたのは朝日新聞の独自の判断である)とした記事がトップとなり、再び原発事故の深刻さが意識されているのである。
このようにみてみると、この度の震災に対する『朝日新聞』の報道では、意外と被災地の状況が強調されていなかったことがわかる。もちろん、意識してのことではないだろう。そして、圧倒的に原発事故関連の記事が強調されて報道されていることがわかる。多少の揺れ戻しがあり、原発事故の状況が好転されたと判断されると、多少は被災地報道が多くなる傾向がある。ただ、好転すると報道の比重が下がるのでは、好転するために現場で努力している人々には気の毒な気がするが。その意味では、パセティックな記事のほうが原発関連では強調されているといえる。そして、関東地方外への放射能の危険性が意識されると、再び原発報道の比重が大きくなった。
3月26日現在では、表一面が原発関連報道で、裏一面が被災地状況報道という住み分けになっているようである。裏一面の被災地報道では、基本的には支援状況や被災民の声が重視されており、その意味では「ヒューマン」(としかいえない)な側面が強調されて報道されているといえる。ただ、原発報道の「パセティック」と被災地報道の「ヒューマン」は、ある意味で不協和音を出しているといえる。
もちろん、これは、大体の見取り図に過ぎず、より細かな分析が必要であろう。
コメントを残す