池上本門寺の公式ホームページ(http://honmonji.jp/05topic/05event/oeshiki/2010/oeshiki.html)
には、次のように記載されている。
日蓮聖人が亡くなられた時、庭先の桜(お会式桜)が時ならぬ華を咲かせたという故事から、万灯は紙で作った造花で灯明輝く宝塔を飾っています。
日蓮の逝去は旧暦の10月13日であり、晩秋か初冬の頃である。少なくとも近世には、谷中領玄寺や池上本門寺には、この故事に従ってお会式桜が植えられていた。もしかすると、池上本門寺のものは日蓮逝去時から存在していたのかもしれない。これは、いわゆるフユザクラと考えられる。斎藤月岑の『東都歳時記』(1838年)には、次のように記載されている。
○〔日蓮宗谷中領玄寺に桜ありて十月に花咲く、この故に会式ざくらといふ。当寺は甲州身延山の隠居寺なり、身延三十三世日亨上人自植る所にして、宝暦三癸酉年(1753)十一月廿二日上人三十三回忌の刻始て花咲くといふ、今にいたり例年十月花さき、春に至りて花さくこと又余木に同じ、亨師ざくらともいへり。池上本門寺にも是に等しき桜ありて、此頃花咲こと当寺にかはらず
斎藤は、お会式桜について、池上本門寺ではなく、谷中領玄寺を中心に記載している。そこには、日蓮逝去時の挿話は語られていない。長谷川雪旦が描くお会式桜も、谷中領玄寺であり、日亨上人の墓の前に所在している。斎藤や長谷川にとって、いまだ池上本門寺は遠隔地であり、「お会式桜」といえば、谷中領玄寺がまず思い浮かんだのであろう。
ホームページでみてみると、谷中領玄寺や池上本門寺にはお会式桜が現存しているようである。雑司ヶ谷の法明寺には、元来お会式桜の伝承はないが、現在、法明寺近傍の児童施設「子どもスキップ南池袋」園内にお会式桜が植えられ、開花していた。新たな伝統の創造といえよう。
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