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Archive for 2011年4月4日

前回は、福島第一原発の候補地選定まで述べた。ここでは、建設に至る経過をみておこう。
福島県では1960年に原子力発電所誘致計画を発表した。そして、大熊町と双葉町は、1961年9月に、全町議同意のもとに、事業促進に同意し、全面的に協力する旨の文書を東電と福島県に提出した。東電は、1962年に候補地内の具体的な景況調査を福島県に調査を依頼し、福島県では福島県開発公社に調査を実施させた。この調査の結果、原子力発電所の立地に適当であると判断した東電は用地の買収を開始し、国土計画興業株式会社の所有地99万平方メートルは東電自体が担当し、1964年11月には完了した。その他の民有地買収は、福島県開発公社が担当することになり、1963年12月1日から買収交渉を開始したが、1964年5月、福島県開発公社は、大熊・双葉両町の町議から構成した合同の開発特別委員会に基本方針を説明し、協力を求めた。福島県開発公社は、それぞれの町と共同体制で交渉することになった。大熊町では部落公民館に地権者全員を集め、福島県開発公社が東電の原子力発電所建設計画と誘致計画を説明し、協力を求めた。
その際に、地権者から出された質問とそれに対する回答の要旨について『大熊町史』は次のように記述している。

1 放射能の安全性についての懸念
   世界各地の原子力による平和利用状況を説明。
2 薪炭採草地の喪失
   町長の責任において国有林の払い下げを強力に進める。
3 開拓農家の営農経営
   土地代金以外の補償金をもって救済する。
4 買収土地価格の格差
   原則として土地価格の格差はつけない。
5 税関係
   特定公共事業の認定を受けるよう努力する。
6 東京電力株式会社が直接買収する国土計画興業株式会社所有地の買収価格
   民有地と同一価格で買収するよう東京電力株式会社に確約させる。

根本的な反対論はなかったようで、安全を確約させるということもなかったようだ。買収価格などの条件面が多く議論されている。ここでは、原子力発電所を建設する東電ではなく、福島県開発公社が窓口であったということも関係しているだろう。
福島県開発公社は、交渉が長引けば問題が続出すると判断して交渉妥結を急ぎ、1964年7月に部落公民館に大熊町地権者290名を集め、大熊町長立ち合いのもとに個々に折衝した結果、全員から承諾書を取り付けた。東電と開発公社の用地取得依託契約が同月であり、かなり早く交渉を妥結したといえる。大熊町の一般民有地95万平方メートルは、1965年に東電に渡された。
双葉町の地権者との交渉は大熊町より遅れたようだが、双葉町の地権者は大熊町の交渉経過を肯定的にとらえており、福島県開発公社を介して順調に交渉が行われていたようである。1966年3月に20万平方メートル、1968年9月に追加取得分99万平方メートルが、東電の手元にわたった。これで、ほぼ用地取得が完了した。
用地買収費は、発電所用地320万平方メートルについては5億円、社宅地など8万平方メートルについては2480万円であった。用地の内訳は、水田11町、畑32町4反、山林原野268町8反、その他1町8反というようである。また、用地内の移転家屋11戸には1500万円の移転補償金が出されている。

用地買収よりも難航したのは、地先海面の漁業補償であった。ここは過疎地であるが、相馬およびいわきからの一本釣り、延縄、刺網などの入会漁船が多く、漁業権の買い上げ交渉に手間取った。しかし、1966年12月までにまとまり、沖合1500メートル、横幅3500メートル、面積5.4万平方メートルの漁場における共同漁業権の消滅につき、約1億円の補償金が支払われることになった。
補償を受けたのは、直接三組合の請戸漁業協同組合・富熊漁業協同組合・久之浜漁業協同組合、入会五組合の四倉漁業協同組合・小高漁業協同組合・鹿島漁業協同組合・磯部漁業協同組合・相馬原釜漁業協同組合、隣接組合の新地漁業協同組合であった。

漁業補償については原発反対論がでた。『大熊町史』は次のように記述している。

なお、補償交渉に入る前に、漁民の中には、累積される放射能による海水汚染の恐れがあるとして反対の意思を示す者や共同漁業権の消滅する漁場が優れていることから、そこを失うことによって以後の生産活動に不安を感ずる者が少なからずみられたが、東京電力株式会社及び福島県開発公社が、放射能による危険は無いこと、冷却水の温度差による大きな被害は考えられないことを強調し、ただ、共同漁業権の補償は、大量の冷却水による自然海流の変化が考えられるので、それを考慮したためであることの説明がなされたため、用地買収が終わる時点までに反対や不安も一応の解消をみている。

このような過程をへて、福島第一原発は建設されるにいたったのである。1967年1月、福島第一原発一号機の建設が本格的に始まった。一号機の原子炉はゼネラルエレクトリック社製で、1970年1月より搬入され、同年7月に臨界となり、1971年3月より営業運転が開始されている。1960年の候補地決定から、ほぼ11年を要したのであった。1960年から1964年までが調査期間、1964年から1968年までに用地買収・漁業補償、1967年から1971年が建設期間といえる。その後、六号機まで、順次建設された。

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