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日比谷公園心字池(2011年2月23日撮影)

日比谷公園心字池(2011年2月23日撮影)

今回から、しばらく江戸―東京の通史を語っていきたい。まず、なぜそのようなことをするのかを述べておこう。現在の東京は、江戸という歴史的過去の上に成立している。いや、むしろ、過去は、現在の東京の骨組みをなしているのだ。例えば、日比谷公園をみてみよう。
まず、日比谷公園のこの写真をみてみよう。この写真は、日比谷公園の東北部にある心字池を写したものである。この池は、日比谷見付(門)から続く江戸城の堀をもとにしたもので、江戸城の石垣も残っている。今や、都心のいわゆるオアシスである。
しかし、なぜ、ここに日比谷公園が作られたのであろうか。実は、ここは、近世以前においては海であり、日比谷入江と呼ばれていた。大体、丸の内・日比谷一帯は日比谷入江なのであるが、日比谷公園のあたりは日比谷入江の中心であった。近世において日比谷入江は、排水路であり運河でもあった堀を除いて埋め立てられ、規模の大きな大名屋敷が建築された。日比谷公園のあたりも大名屋敷となった。近代になって、大名屋敷が必要なくなると、市区改正計画や官庁建設計画によって、大名屋敷跡地には官庁やビジネスビルが建てられていく。ただ、日比谷公園の地は、日比谷入江の中心の低湿地で、地盤が軟弱のため、近代建築を建てることができなかったのである。そのため、日比谷は公園にされ、日比谷見付の堀と石垣が心字池とされたのである。
このように、現代の東京の都市景観の枠組みは、近世以前にすら遡る歴史的過去によって構成されている。そして、このことは、今後の都市東京の未来をも拘束しているといえるのである。
私たちは、現在さらに未来の都市東京を考えるにあたって、過去をみなくてはならない。例えば、今までみてきた築地・雑司が谷・愛宕山でも、歴史的過去は、現在のありようを規定していた。これから、時間軸にそいながら、現代の東京を規定する江戸という歴史的過去をみていきたい。

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