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2012年11月13日、短時間であったが、1960年代初め、関西研究用原子炉と国内二番目の原子力発電所立地に立候補した福井県坂井郡旧川西町(現福井市)訪問してみた。

1960年において、関西地域で立地が難航していた関西研究用原子炉立地に福井県から立候補したのは、遠敷郡上中町(現若狭町)と坂井郡川西町(現福井市)である。そのうち、坂井郡川西町(現福井市)に行ってみたのだが、まず、この地域のおおまかところを次の航空写真でみてみよう。

ちょっと、分かりにくいかもしれない。旧川西町は、福井市中心部からみて北西方面にあたる。旧川西町の東側には九頭竜川が流れ、西側は日本海に面している。旧川西町の北側は福井平野に属しているが、海岸部は三里浜という砂丘地帯である。一方、南側には丹生山地に接しており、南側の海岸部はいわゆる越前海岸の岩礁となっている。

この川西町による1960年の関西研究用原子炉誘致活動は、次のように報じられている。

原子炉の誘致運動 川西町も名乗りあげる

鷹巣か三里浜に 北会長(県原子力懇談会)に申し入れ

関西研究用原子炉を誘致しようと上中町では積極的に運動を起こしているが、川西町でも同町鷹巣地区か三里浜砂丘地に誘致するよう働きかけてくれと、十八日同町の小林助役が非公式に県原子力懇談会長の北知事へ申し入れた。

県懇談会 現地調査始む

一方北会長は最近県内へ原子炉を誘致しようとする運動が起こっているので、十七日長谷川福井大学長と会い、学術上の意見を聞いた。この結果「たとえ誘致しても付近の人畜に与える危険はない」との見解を得たので同懇談会では県内候補地の現地調査にとりかかった。川西町の候補地へは十八日、県原子力懇談会事務局の係員が山田町長、長谷川産業課長らの案内で下検分し、資料を持ち帰った。

同候補地は海岸沿いの鷹巣地区糸崎台地区、石橋、白方の三ヵ所。糸崎では糸崎山付近を中心に約三十二万平方メートルの敷地があげられる。海岸線まで約五百メートル離れており、糸崎山から流れる水を十分使用できる。付近には松蔭、蓑浦、糸崎、和布の四区があるが原子炉の中心から三百メートル以上も離れているのでまず危険性がないといわれる。一方三里浜海岸の白方、石橋は必要な水源地確保問題に難色があり糸崎よりは条件が悪い。同町では今後、地元との土地買収に力を入れるが、地元ではいまところ深い関心を示していない。山田同町長は「今後地元との話し合いを進め、ぜひ同町に原子炉を誘致したい。半農半漁地帯なので、設置されれば、地元の繁栄はもちろん本県の文化向上にも大いに役立つので、県に近く正式に陳情書を提出して本格的な誘致運動をしたい」といっている。
このほか候補地として北潟湖の近くの国有地(芦原ゴルフ場付近)もあげられているので、懇談会では政府や原子炉を建設する京都大の意向を聞いて、もし本県に設置してもよいということになれば、県、県会、有識者などの代表で用地選定委員会をつくりたいようである。
(福井新聞朝刊1960年3月19日号)

旧川西町の鷹巣地区と三里浜地区が関西研究用原子炉の候補地であったのである。

まず、鷹巣地区糸崎を訪ねてみた。次の航空写真で示しておこう。この地域は、前述したように丹生山地と日本海にはさまれ、海岸部には岩礁がある地域で、それほど広い平地はない。ただ、比較的海岸よりに松蔭・糸崎・和布・蓑浦(現蓑町)の集落があり、そこから300m以上、海岸から500m離れているとしているので、集落の後背地にある水田と山林の間くらいの地域かと思われる。はっきりとは地域を特定できないが、とりあえず糸崎集落の後背地を写真にとってみた。

福井県福井市鷹巣地区糸崎(2012年11月13日)

福井県福井市鷹巣地区糸崎(2012年11月13日)

この写真は、糸崎集落の後背地にある山より撮影したものである。実際にはここで撮影されているよりも、より山側の地域だったかもしれない。ただ、周辺の集落から300m以上離れているというのであり、それほどこの場所から遠くはないといえる。写真に写っている集落は松蔭や蓑浦(現蓑町)などと思われる。半農半漁地域といわれているが、海岸部には鷹巣漁港という小さな漁港があった。集落からかなり近接した地域が候補地であったのである。そして、地図によると、二枚田川という川が流れている。たぶん、新聞記事に「糸崎山から流れる水を十分使用できる」とあるのは、この川をさしていると思われる。見た感じでは、原子炉事故を想定して土地の広さや集落からの距離を考慮したのでなく、後背地の山地から流れ出る水源を中心に立地を考えたといえる。

糸崎よりやや北であるが、鷹巣地区の海岸部に行ってみた。その写真がこれである。

福井市鷹巣地区の海岸(2012年11月13日)

福井市鷹巣地区の海岸(2012年11月13日)

今、地図で確認してみると、和布集落に隣接している浜住という集落であると思われる。写真でみると海岸には岩礁があることがわかるだろう。原子炉立地予定地も含めて、これより南側の海岸部では岩礁が続いているようである。ある意味で、敦賀や美浜の原発に類似した立地と思われる。

結局、関西研究用原子炉は1960年大阪府熊取町に建設されることになり、ここに建設されることはなかった。それが、この地域にとってどのような意味をもつのか、考えさせられる。原発に比べれば、研究用原子炉が地域経済に与える影響は大きくはないが、それでも、ある程度は「潤った」のかもしれない。しかし、他方で、この地域の人びとは不安と抱き合わせの毎日を送ることになったのかもしれないのである。

さて、旧川西町では、この鷹巣地区だけでなく、その北側の三里浜地区も関西研究用原子炉立地の候補となった。そして、1962年、日本で最初の原発(東海第一原発)を茨城県東海村に建設した日本原子力発電株式会社が関西地域で建設しようとした原発の候補地にもなった。結局、ボーリング調査で不適となり、三里浜に建設されることはなかったのだが、福井県に建設する方針は変更されず、敦賀に原発が建設されることになった。次の写真は、鷹巣地区から遠望した現在の三里浜地区である。この三里浜地区は工業開発されており、写真に写っているのは石油備蓄基地である。この三里浜地区については、次回以降述べていきたい。

鷹巣地区から遠望した三里浜地区(2012年11月13日)

鷹巣地区から遠望した三里浜地区(2012年11月13日)

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