<ブログの趣旨>
本ブログは、東京の「現在」から「歴史」=「過去」の痕跡を読み解きながら、「現在」に生きている私たちに「歴史」=「過去」がどのような影響を与えているか、また、「現在」に生きている私たちが「歴史」「過去」とどう向き合っていこうとしているのかということをみていくことをめざす。
また、それ以外にも、私(中嶋久人)が読んでいる本や、自分が関心をもっているものについて語っていきたい。
<自己紹介>
早稲田大学卒業後、豊島区職員として働くが、研究を志し大学院へ。1996年早稲田大学大学院博士後期課程単位取得退学。博士(文学)。早稲田大学非常勤講師等の非正規雇用を経て、現在福島県原町市史編さん専門研究委員、館林市史編さん専門委員会専門委員、埼玉県比企郡鳩山町史専門調査員、小金井市史編さん委員会調査員。主な著書に、「『都市下層社会』の成立―東京―」(小林丈弘編『都市下層の社会史』 解放出版社)、『暴力の地平をこえて』(共著 青木書店)、『首都東京の近代化と市民社会』(単著吉川弘文館)他。『現代思想』2011年6月号に「福島県に原発が到来した日ー福島第一原子力発電所立地過程と地域社会」を寄稿。
初めてブログを拝見いたしました。
私も早稲田大学の卒業で、地域の歴史に興味を持っております。
そんな調べ物の中で、明治の中期に「東京のサンマースクールで英語を勉強」という記述があり、当初はサマースクールの意味かなと思っていましたか゛、貴殿のブログに「サンマー英語学校」の文字を見つけ、これだと思った次第です。
このサンマー英語学校について、もう少し詳しく教えていただければ幸いです。
本ブログをみていただき、ありがとうございます。
今、築地のことは調べていないので、簡単にお答えできることのみお伝えします。
サンマー英語学校については築地居留地研究会編『近代文化の原点ー築地居留地』vol1(2000年)で簡単に触れられています。
斎藤善徳「築地居留地の思い出」では、「サンマー・スクール」と呼ばれた英語塾とされ、リリイ・サマーズという人がやっていたようです。谷崎潤一郎や岡倉由三郎が学んだとされています。
清水正雄「築地に開設された教会と学校」では、正式名が「欧文正鵠学院」ということ、明治16-41年に開設されていたことが記載され、居留地上の位置が特定されています。
これ以上は今、わかりません。本書を参考にしてみてください。
以上です。今後ともよろしく。
中嶋
「福島 30周年記念文集」で検索をかけ、貴ブログを知りました。
資料の宝庫で、私の長年の?が氷解いたしました。勝手ながら、いくつか記事を抜き出させていただき、ブログの記事とまとめさせていただきました。
http://onodekita.sblo.jp/article/45940278.html
鎌田慧『日本の原発地帯』 の内容が気になりましたので、Amazonに発注をかけました。
福島の記念文集は、是非読みたいと思うのですが、地方では無理でしょうか。やはり・・・
これからも、よろしくお願いいたします。
本ブログをお読みくださり、引用していただいてありがとうございます。
東電の文集ですが…私も国立国会図書館でしかみたことがありません。東電の資料館や福島県立図書館はもっているかと思いますが、検索しておりません。
ただ、国立国会図書館は、図書館に対する図書貸出サービスを行っているそうです。もちろん、すべての図書館ではないようですが、あるいは県立図書館ならば可能かもしれません。お問い合わせ願えればと思います。
今後ともよろしくお願いします。
はじめまして
上関原発建設に対する祝島の反対運動のようすを映像で見て、地域がしっかりしている、自分たちの生きる拠りどころをちゃんと持っていると感じました。
それに対して、双葉地方にはなぜ原発が建ったのか、どんな経緯で建ったのか、反対の声はなかったのか、祝島との違いはいったいなんなのか、と疑問をいだいていました。
ネットで検索してもなかなかヒントが見つからなかったのですが、やっとここにたどり着きました。
内容がとても充実していて、参考になることがたくさんあります。
どうもありがとうございます。
今後もほかのテーマも含めて、いろいろ拝読させていただきたいと思います。
どうぞよろしくお願いします。
雑司谷法明寺会式詣(『東都歳時記』)の画像を食に関する情報提供しているクライアントのサイトに掲載したいと考えております。
もし方法が解りましたら教えていただけると幸いでございます。
山本
これは、確か『日本図会全集』第六回(1928年)に掲載されたものをコピーしてからアップしたものかと思います。著作権で問題なければ、使用しても、私個人はかまいません。画像については、それを右クリックすればコピーできると思います。
母の実家が渡良瀬村下早川田にあり、中学生の頃菩提寺の雲竜時に墓参したさい、田中正造の墓を見つけて吃驚したことがあります。後年、館林市長だった義父の山本達司から妻の曽祖父(山本栄四郎)が、雲竜時に結集した農民代表の一人であったことを聞き、不思議な因縁を感じています。しかも私自身が、選りによって古河鉱業の曾孫会社である富士通に就職し、さらに その私が会社を辞めるきっかけになったのが、高橋亀吉記念賞を受賞した「競争的広域行政機構による郷土の再興」であったという運命の皮肉に驚くばかりです。
今回、東大アイソトープ研究センター長、児玉龍彦氏の陳述をYouTubeで見て、氏の姿勢に往年の正造翁もかくやと感銘を受け、私自信のBLOGに載せるにあたり、貴殿のBLOGの 「渡良瀬川 第三篇 第五章」 館林地区にかんするページにLINKさせていただきました。
現在の福島県民の置かれたジレンマが良くわかるように思います。
母の実家が渡良瀬村下早川田にあり、中学生の頃菩提寺の雲竜時に墓参したさい、田中正造の墓を見つけて吃驚したことがあります。後年、館林市長だった義父の山本達司から妻の曽祖父(山本栄四郎)が、雲竜時に結集した農民代表の一人であったことを聞き、不思議な因縁を感じています。しかも私自身が、選りによって古河鉱業の曾孫会社である富士通に就職し、さらに その私が会社を辞めるきっかけになったのが、高橋亀吉記念賞を受賞した「競争的広域行政機構による郷土の再興」であったという運命の皮肉に驚くばかりです。
今回、東大アイソトープ研究センター長、児玉龍彦氏の陳述をYouTubeで見て、氏の姿勢に往年の正造翁もかくやと感銘を受け、私自信のBLOGに載せるにあたり、貴殿のBLOGにLINKさせていただきました。
現在の福島県民の置かれたジレンマが良くわかるように思います。
Vinci SATO
フランス、パリから書いてます。
私は現在フランス/ドイツの共同国営TVチャンネルARTEのドキュメンタリーのリサーチを行っています。番組のテーマは大都会と自然。あらゆる角度から大都会の過去と現在を眺める。また、元々あった自然環境から大都会が築き上げられるまで、自然はどのように残ってきたのか?人と自然の関係はどのように変化したのか、または保たれたのか?江戸から東京の歴史について語って頂ける方を探している中、中嶋久人のサイトにたどり着きました。もしよろしければ是非お話ができればと思いました。
なかなか興味深いテーマです。本ブログの中でも一般の人たちを対象として、自然との関係で江戸ー東京の成り立ちを語ってみようとしたこともあります。ただ、私自身は近現代史専攻であり、前近代の江戸ー東京についてはそれほど専門的知見に富んでいるわけではありません。また、3.11以降は、福島第一原発事故や東日本大震災に関心が移っております。
はじめまして、橋本発言関連がきっかけで慰安婦問題関連を検索しているうちに、私にとってとてもしっくりくる貴サイトに出会え嬉しく思っています。さっそくお気に入りに追加します。
特に、大阪母子餓死と橋下市長のコメントについての記事は印象に残りました。ありがとうございます。
ありがとうございます。橋下発言については、大阪の中で彼が何をしてきたかということも考えるべきだと思います。
Hi there, of course this piece of wrriting is inn
fact pleasant and I have learned lot of things frkm it on the topic of
blogging. thanks.
What’s up, all the time i used to check weblog posts here in the early hours in the dawn,
for the reason that i like to find out more and more.
Wow, marveloys weblog layout! How lengthy have you ever been running a blog for?
you made running a blog look easy.The whole glance of your website is
excellent, as neatly ass the content material!
はじめまして。
57年前に関西研究用原子炉阿武山設置計画を撤回した茨木市民の運動の資料が沢山保存されています。当時の新聞記事や各団体の反対決議文、市長の反対声明、公聴会の議事録などなど、それらの展示会や小集会での学習会を行っています。本メールで阿武山の前の宇治での反対運動の内容を知りました。茨木での資料展には宇治から反対運動を行っていた方のお孫さんが来られました。私は、大阪府大の樫本教授の論文と本ブログの内容などを時系列で整理し、当時の運動の様子や科学者との連携、そして学術会議の「変節」とその後の安全神話へのつながりなどをまとめていこうとしています。今回、まとめたものを発表する機会があり、事前に断るべきでしたが、宇治からの国会での陳述内容など、一部引用させていただきました(まだ発表前です)。
本ブログでは阿武山の部分は後日となっていますが、当時の資料は今は私たち市民有志が保管していますので、事前に連絡をいただければ見ていただくことは可能です。これまでの各地の経緯を大変わかりやすく整理していただいていますので、私のような素人が整理するより,見ていただいて活かしていただく方がよいのではと思い連絡させていただきました。
貴重なお話、ありがとうございます。現在、福島原発建設についての拙著の校正をしております。その本にも茨木市の運動のことを書きましたが、地元の資料は使っておりません。もし、可能であれば、拙著出版後におみせいただければと思います。よろしくお願いします。