さて、今、大飯原発再稼働問題がクローズアップされている。基本的な構図をいえば、政府側が、ストレステスト・暫定的安定基準などで形式的に大飯原発は「安全」であると宣言し、滋賀県・京都府・大阪府などにおける現時点で再稼働することに反対する意見を無視しつつ、大飯原発が立地している福井県やおおい町に再稼働に合意してもらおうということのようである。
もちろん、これには裏があるといえる。原発に依存するしかない現時点の福井県経済を前提とすれば、原発再稼働は福井県側にも望む声がある。ある意味では、形式的に「安全」と政府から宣言してもらえば、県知事などが再稼働に合意しても、政治的批判を浴びないですむ。そのためには「安全宣言」など「作文」でかまわない。2012年3月31日にネット配信された産經新聞の記事は、そのことを露骨に示しているといえる。
滋賀・京都知事を批判 大飯原発再稼働で川田会頭 福井
2012.3.31 02:15
福井商工会議所の川田達男会頭は30日の年度末記者会見で、京都府、滋賀県の両知事が29日に現状での大飯原発の再稼働に反対の意向を示したことについて、「自身の府県のことだけ、安全だけで反対しているように見える。仮に電力供給が途絶えることになれば、問題があるのではないか」と批判した。川田会頭は、関西で今夏の電力需給が逼迫(ひっぱく)する見通しになっていると指摘。「停電になってもよい、電力コストが激増してもよい、という覚悟の上での反対発言なら理解できる。また、原発なしで電力需要をカバーできるならいいが、それすら考えずに反対だけを唱えていて済む問題ではない」と述べた。
県が求めている再稼働にあたっての暫定的な安全基準がまだ提示されていないことについては「作文でもいいから出してくれと伝えている。本気で動かす気がないのではないか」と国の対応を批判した。
http://sankei.jp.msn.com/region/news/120331/fki12033102150000-n1.htm
客観的にみれば安全が増しているわけではないが、政府が「作文」して「安全宣言」を出すことを、福井県側も要望していたといえる。その意味で、これは、筋書きが見えすぎるドラマといえるだろう。
そして、今後も、この筋書きの見えすぎるドラマは続くようである。今度は、おおい町の要請により住民説明会が開催されるとのことである。
大飯再稼働:政府が初の住民説明会開催へ
毎日新聞 2012年04月14日 15時24分(最終更新 04月14日 16時16分)定期検査で停止中の関西電力大飯原発3、4号機(福井県おおい町)の再稼働問題で、おおい町が原発の安全対策などを住民に理解してもらうために国に開催を求めている住民説明会について、政府が応じる方針であることが分かった。再稼働を巡って国が住民に直接理解を求めるのは初めてとなる。同様に停止中の原発を抱える他の立地自治体も強い関心を示している。
時岡忍・おおい町長は、東京電力福島第1原発事故後に実施した安全対策の内容などについて、国が住民に直接説明し、理解を得ることが再稼働の前提と繰り返してきた。
民主党関係者によると、同町が地元選出国会議員らを通じて「安全、安心を担保してもらいたい」と住民説明会の開催を政府に要請し、検討が進められている。説明会は同町内で開かれ、原発の安全対策などについて経済産業省原子力安全・保安院の担当者らが説明する見通し。県と町の間でも開催する規模や回数を調整しているという。
国による県への説明は14日午後に福井県庁であり、枝野幸男経産相が西川一誠知事や時岡町長、田中敏幸・県議会議長に再稼働への理解を求める。保安院関係者は「西川知事と枝野経産相の会談が、住民説明が始まるキックオフになる」と話しており、具体的な開催日時や会場などは、会談後に国と地元で調整される見通し。
おおい町は06年に旧大飯町と旧名田庄村が合併して誕生した。
複数の町議によると、元々原発立地だった旧大飯町に対して、旧名田庄村には原発に批判的な声も多く、説明会での紛糾も予想されるという。【安藤大介】
http://mainichi.jp/select/news/20120414k0000e010190000c.html
政府側が、再稼働するために原発の「安全性」を住民に理解してもらうために説明会を開くというならば理解できる。しかし、この場合、おおい町が要請して説明会を開催し、それにより「安全、安心を担保してもらいたい」とのことである。既存の安全対策を住民に説明することがなぜ「安全、安心」の「担保」となるのだろうか。結局のところ、それは、原発の「安全、安心」を政府に約束させるということなのだろうと思う。そのために、政府側が「住民説明会」を開くという儀式が必要とされているということなのだろう。つまりは「政府」の「姿勢」が問題なのであって、客観的な安全性は二の次なのだ。安全性の問題は「信頼」の問題に変換されているのである。
客観的な意味での「安全」と、「信頼」の問題に変換された言葉だけの「安全」とのギャップがそこにはあるだろう。それは、実は、日本で最初の原発立地が1956年に決定された東海村の時から存在していた。次回以降、このことを論じておきたい。
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