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2012年7月29日、日比谷公園を中心にデモが行われ、その後、国会包囲の抗議行動が行われた。その時、「メルトダウンブルース」という曲が所々で演奏された。基本的には「ヘイー、野田! ヘイー、野田! メルトダウンだぜ!」というフレーズを、ブルースの調べにあわせてリフレインしながら、折々にアドリブで「再稼働反対」などのメッセージを付け加えていくというものだ。

この曲は、元々、高知県四万十市の「脱原発四万十行動」という運動のデモにおいて歌われていたものだ。7月29日、「脱原発四万十行動」のメンバーは上京し、日比谷公園からのデモや国会大包囲でも歌った。ここでは、デモの集合場所であった日比谷公園で歌った動画を紹介しておこう。

このメルトダウンブルースの源流は、昨年にさかのぼる。昨年、浜田裕介氏が作詞・作曲して、youtubeに投稿した。その経緯は、東京の脱原発デモで音楽を中心としたパーフォマンスを行っている「イルコモンズ」のサイト「イルコモンズのふた」に掲載された本人のコメントでわかる。

「僕は「メルトダウンブルース」の原作者で、動画内でギターを弾いている浜田裕介というものです。この曲は昨年、震災後すぐにできて、YouTubeにアップしたのですが、その後デモの中で少しずつ姿を変え、今の形になりました。僕は80年代にデビューしたのですが、原発反対を歌った瞬間から干されてしまい、今はインディーズで歌いながら、四万十市の市会議員をやってます。29日の国会包囲行動には、四万十選抜メンバーで参加します。」(コメントより抜粋)
http://illcomm.exblog.jp/16393894/

ただ、オリジナルは、今歌われているものとは違う。本人が歌っている動画と歌詞を紹介しておく。何よりも「ヘイ東電」であったことに注目されたい。

ヘイ東電!まだだますつもりかい? ヘイ東電!まだだますつもりかい? 俺たちを巻き込んで憂鬱なメルトダウンブルース
東海村!まだまだ大丈夫 柏崎!恐るるに足りない そして福島!!この世の地獄
浜岡!いますぐ止めやがれ! 伊方!四国に原発なんかいらねえ! 上関!!これ以上作るんじゃねえ!
ヘイ東電!腹は透けてるぜ ヘイ東電!腹は透けてるぜ 後ろ向いて舌を出してふざけたメルトダウンブルース
想定外?それで済ますつもりかい? ただちには影響ない?どのつら下げてほざいてんだい? 今更誰がお前たちの言葉を信じるんだい?
マイクロシーベルト?微々たるもんですよ ミリシーベルト? 敏感になりすぎですよ ん??すみません!緊急事態です!!!
ヘイ東電!まだ殺すつもりかい? ヘイ東電!まだ殺すつもりかい? 空へ海へ土の中へまき散らすメルトダウンブルース
ヘイ!ブラザー!まだ黙るつもりかい? ヘイ!ブラザー!まだ赦すつもりかい? 踊らされてコケにされた危険なメルトダウンブルース
ヘイ!ブラザー!過去は変えられない ヘイ!ブラザー!(だけど)未来は変えられる 顔上げて声上げて歌うのさ希望のブルース
ノーモア メルトダウンブルース

そして、この歌は、2011年5月7日に発足した「脱原発四万十行動」が企画した5月21日の四万十市で行われたデモ「脱原発四万十行動 in中村」で歌われた。このデモは50人集まったという。ただ、このメルトダウンブルースは全体で歌うようなものではなく、原作者がギターをもって歌っている。このデモでは「原発なくしても、ええじゃないか」というコールが耳に残る。

なお、デモが行われた地域をgoogleマップでみておこう。デモコースは、四万十市の中心部、旧中村市の中心部をめぐるもので、西側の四万十川の河川敷から出発し、四国電力中村支店などがある市街地を一周し、ふたたび四万十川に戻るというものである。

このグループは、全国各地で脱原発統一行動が企画された6月11日にもデモを行った。その際、ボーカルが女性(山本祐子氏)に代わり、「ヘイ東電! メルトダウンだぜ!」というバージョンも歌われた。なお、後半では、すでに「東電」という部分を「四電」(よんでん 四国電力)に言い換えたバージョンも登場している。これが、現在歌われているメルトダウンブルースの直接の源流となった。ただ、このバージョンは「脱原発四万十行動」のサイトでは、「メルトダウンパクリブルース」と称していることが多い。たぶん、原作者に敬意をはらってのことなのだと思う。

この動画の後半でも、毎月定例にデモを行うことになったと告知しており、定例的にデモが行われることになった。しかし、それは、楽なことではなかった。2012年3月11日に行われた高知集会で、山本祐子氏が「脱原発四万十行動」の活動経緯を述べている。デモの参加者が7名ということもあった。それでも、デモを継続したのである。また、この「脱原発四万十行動」は、デモだけではなく、映画上映会・講演会や談話会なども行っている。特に、四国電力伊方原発反対運動には、よく参加している。かなり、地道に活動を続けていることがわかる。

3.11の高知市での集会で祐子さんがおこなった、脱原発四万十行動を代表してのあいさつ全文をアップします。

四万十市ではじまった運動が、山あり谷ありを乗りこえて歩んできた歴史をコンパクトにまとめています。

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こんにちは。
私たちは高知の西の端、四万十川流域からやってきました。脱原発四万十行動です。

昨年3月11日、大震災、大津波、そしてそれにつづく原発の大災害を目の前にして、ことの重大さに立ちすくみ、身動きのとれない状態でした。
それでも何とかせなあかんと、いてもたってもいられない人たちが集まってできたのが、脱原発四万十行動です。

さっそく五月の第二土曜日、四万十市で初めての脱原発市民デモを行いました。なんと50人もの人が集まり、閉鎖的な四万十市始まって以来と言われ、つい調子に乗って、以後毎月、第二土曜日にはやることになりました。
6月、7月は雨に降られ半数になり、8月9月は猛暑のなか、そのまた半数、10月にはとうとう7人まで減り、孤独をかみしめるデモでした。がしかし、ここでへこまないのが高知の西の端に住む私たちのエエところ。落ち込んでも立ち直りが早い。
11月、12月にはどこからかまた人が集まり、乳母車や車イスも戻ってきてくれ、元気な子どものシュプレヒコールにも励まされました。

昨年5月から12月まで、いろんな人たちが入れ替わり、立ち替わり参加してくれましたが、そんなデモの中で、東北や関東からの避難母子を四万十市で支援している「なごみネットワーク」ともつながることができ、以後、協力し合っています。
今年になって1月には「映画チェルノブイリハートと講演の集い」を「脱原発四万十行動」と「なごみネット」の共催で実現させました。
当日は350人あまりの観客を集め、遠くは愛媛県やこの高知市からも来ていただきました。本当にたくさんの方々の協力、ありがとうございました。
おかげできょうのバスも四万十市から出すことができました。

そして2月、今年は大変寒く、しばしの冬眠を決め込みました。
しかし、1月の「集い」の成功で、またまた調子に乗って冬眠中にもかかわらず「サロン日曜日」を立ち上げました。「サロン金曜日」とは違います。
日曜日の午後、お茶とおしゃべりの会です。
原発、放射能にかぎらず、孤立しがちな人たちともつながれる地道な活動にしていきたいと考えています。
「サロン日曜日」は開かれた場所です。もし第4日曜日の午後、四万十市を訪れることがあれば、どなたでもいっぱいのお茶とおしゃべりを楽しみにお立ち寄りください。

いよいよ3月、きょう私たちは冬眠から目覚めました。
こうして高知市でみなさんとのつながりを実感でき、勇気百倍です。

先月、グリーンピースが伊方原発の近くから200個の風船を飛ばしました。なんと四万十市で3時間後にその1個が確認されています。
風向き次第では九州や本州も他人事ではありません。とにかく津波津波と宣伝されていますが、伊方原発は中央構造線上にあり、地面が動けば津波を待つまでもありません。
先日も新しい燃料棒が3号機に搬入されました。あくまでも再稼働ありきです。
しかし、私たちは再稼働を認めず廃炉を求めます。

25年前、チェルノブイリ原発事故のあと、この伊方原発で出力調整実験が行われました。その反対集会のときに甘藷(かんしょ)さんという人の書いた「まだ、まにあうのなら」という本がベストセラーとなりました。
それで言うと、いま現在「もう、間に合いませんでした」というほかありません。あのとき、私たちにとってもこの過酷な福島原発の事故は想定外だったのです。そんな自分たちの甘さを悔やんでもくやみきれません。
私たちお母ちゃん、おばあちゃんは、お父ちゃん、おじいちゃんはこの原発を子どもや孫に、次の世代に残してはいけません。

この国では黙っていれば、すべて賛成にポイントが入ります。
「イヤなものはイヤ」「いらないものはいらない」と言いましょう。わたしらメチャメチャ怒っていると言いましょう。どんな小さな場所からも、どんなに小さくても声を出しましょう。
「一寸の虫にも五分の魂」。あの人たちからみたら、虫けらのような私たちでしょうが、間違いなく五分の魂があり、集まればものすごく大きな魂になります。
お金や権力の圧倒的な力には私たちはつながることでしか対抗できません。
「一寸の虫はすごいで、五分の魂は恐いで」と市民の力を見せつけましょう。

さて、4月から四万十市ではまた第二土曜日恒例の脱原発デモを再開します。どうかみなさん五分の魂を持ち寄ってください。
それでは脱原発四万十デモ、メインテーマソングをワンフレーズ歌って結びとします。
ぜひみなさんも声をだしてご一緒に。
♪メルトダウンパクリブルース♪
どうもありがとう。
このつづきはデモのときにまたご一緒に。
http://blog.goo.ne.jp/ohma1234/m/201203

最後に山本祐子氏は「脱原発四万十デモ メインテーマソング」として「メルトダウンパクリブルース」を歌っている。たぶん、2011年6月11日のデモ以来、歌い続けられてきたのであろう。ただ、浜田裕介氏の「メルトダウンブルース」も、原作者本人が高知集会で歌っている。

2012年4月14日より「脱原発四万十行動」のデモは再開された。サイトでは、初参加者5名が加わったとある。記念撮影での参加者を数えてみると、12名程度である。そして、「もちろんメルトダウンパクリブルースつきのデモであったことは言うまでもありません。」とサイトにはある。ここでも歌い続けられたのだ。

5月12日のデモは、12名参加。しかし、6月9日のデモは、開始時間の勘違いなどもあって、5〜6名の参加であった。「脱原発四万十行動」のサイトには、次のように記載されている。

「あしたが松山だから、みんなエネルギーを貯めてるんだろう」

と勝手に解釈して出発。

祐子さん、裕介の呼びかけ人はいて、いきなり「メルトダウンブルース」

「ゴレンジャー」が歩く。

途中で一人が参加してくれて「6レンジャー」。

でもやっぱねギターはいいわ。

全行程を歌いきった。

それともう一つ。

パトカーとおまわりさんが出動していたこと。

野田総理の発言とは無関係ではないだろう。

もっとみんなが街頭にでてほしいと思った。
http://blog.goo.ne.jp/ohma1234/m/201206

このように、5〜6人のデモでも、メルトダウンブルースは歌われたのである。

そして、7月14日にデモが行われた。前回の5倍以上の26名が参加したという。そして、ここで、竹で地面を叩いてリズムをとることが行われた。さらに「ヘイ東電」が「ヘイ野田」に変わっている。ただ四電前では相変わらず「ヘイ四電」と歌われている。

きょうは恒例の脱原発四万十行動のデモ。

梅雨空の天気とともに、前回はゴレンジャーまで後退したデモが心配でしたが、それは杞憂でした。

なんと、前回の五倍以上の26人も参加してくれました。

しかもご褒美は、全国の脱原発デモを撮影している秋山真央さんが取材に訪れてくれたことです。

デモコースの天神橋が、土曜夜市の準備というアクシデントもありましたが、みんな頑張りました(もちろん、天神橋はノーマイクで歩くだけにしました)。

秋山さんによると、この模様はユーチューブで「脱原発四万十行動」として、来週の水曜日あたりからみられるそうです。

7.14脱原発デモ『脱原発四万十行動in中村 月例デモ』

そして、デモ終了後の話し合いで、29日の国会包囲行動には「脱原発四万十行動」として参加することになりました。

第一金曜日の官邸前抗議行動につづいて、いよいよ国会包囲へと向かいます。

カンパなどのご支援をよろしく。
http://blog.goo.ne.jp/ohma1234/m/201207

そして、先の文章中にあるように、このデモは、よく脱原発デモを撮影している秋山理央(真央は誤記)氏によって撮影され、7月15日、youtubeに投稿された。反響はものすごく、秋山氏のサイトによれば1日3000回閲覧されたこともあったようである。なお、この動画は、私の所にもフェイスブックを介して紹介された。

この「メルトダウンブルース」に着目したのが、前述のイルコモンズである。すでに7月17日、自身のサイト「イルコモンズのふた」で、イルコモンズは、次のように語っている。

▼四万十川の反原発デルタ・ブルース

 これをきいて、四万十川の「デルタ・ブルース」かと思った。これはすばらしい。やがて、ここを源流にして、メルトダウン・ジャズとか、メルトダウン・ソウルとか、ファンクとか、ラップとか、ダブとか、音頭とかが生まれそうな予感さえする。自分だったら、ダーティー・ダズン・ブラスバンドみたいなセカンドライン編成か、モータウン・ビートで、これをやってみたいと思い、さっそくピアニカで空耳コピー中。Cのキーだと、たぶん、こういう感じ(だと思ったけど、あとで訂正)。
http://illcomm.exblog.jp/16393894/

そして、2011年7月20日の官邸前抗議(官邸前というが、実際には国会前)では、メルトダウンブルースがとり入れられた。すでに、ドラムのリズムに合わせて「再稼働反対」などとコールすることが行われていたが、その中にメルトダウンブルースを取り込んだのである。官邸前の抗議行動では、野田首相に向かって語りかけるというスタイルで言葉でアピールすることがしばしば行われているが、この「メルトダウンブルース」は、このような抗議行動のスタイルによく適合していたといえる。

7月29日に、「脱原発四万十行動」のメンバーが上京し、「メルトダウンブルース」を歌ったことは前述した。それとは別に、イルコモンズらの手によって、日比谷公園からのデモの先頭で、「メルトダウンブルース」が歌われた。その録音が次のものである。

そして、イルコモンズらは、その後の国会大包囲でも「メルトダウンブルース」を演奏していた。これは、私自身が聞いた。

この「メルトダウンブルース」の経緯は、かなり困難のある中で、この歌が地域の脱原発運動のメインテーマソングとして歌い継がれてきたことを物語っている。数名もしくは十数名で毎月デモをするというのは、警官の隊列に突入することとは全く違った種類の勇気を必要とするであろう。その中で、この歌は育ってきたのだ。そして、10万名を超えた東京のデモや抗議行動の中で、全く違ったアレンジをされて、より多くの人びとの歌になっていったのだ。

今や、金曜日の官邸前抗議行動に同調して、抗議行動を行うことは、毎日新聞の調べでも、27都道府県に及ぶ。規模はそれほど大きくはなく、十数名から100名程度が多く、大阪の関電前の抗議行動でも2000名程度である(なお、2000名とは官邸前抗議行動よりは少ない数というだけで、官邸前抗議行動でも以前はそれほど多くなかった)。これは一過性のものではないといえる。数はそれほど大きくはないとしても、着実に東京以外の各地域でも脱原発運動は行われていたのである。そのことを、「脱原発四万十行動」の「メルトダウンブルース」の物語は示しているといえよう。

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東日本大震災においては、津波に襲われた各地の被害状況をリアルタイムに記録した動画が数多く残されており、youtubeなどの動画サイトにアップされていいる。本ブログでも、津波被災の状況を示すものとしていくつか引用している。

しかし、このように、リアルタイムの動画が数多く残され、社会に流通するということは、非常に新しいことである。

まず、考えてほしい。基本的に、何か事件が起きているとき、それにまきこまれている当事者は、記録機材ーそれこそカメラ程度でもー持ち歩いていないのが普通である。基本的に、動画ないし写真などは、今までは、メディア関係者が事件の行われている場に赴き、そこで撮影され、テレビ・新聞・雑誌などのメディアを通じて発信され、最終的には記録されるというものであったといえる。その意味で、短時間で終わってしまう津波などの「現場」がリアルタイムで撮影されることは、たまたま、撮影機材をもったメディア関係者もしくは学術関係者がその「現場」にいたという「偶然」がなければ、ありえないことであったといえる。

東日本大震災の起きた今日、あまりにも一般的になっているのでほとんど指摘されていないのだが、このような状況は大きく変わったといえる。現在、多くの人が携帯電話を持ち歩いている。日雇派遣の際、求人のためのアイテムとなっているなど、たぶん、携帯電話は人びとの生活において必須なものになっているといえる。この携帯電話は、単に電話機能だけでなく、写真・動画撮影のカメラ機能をもつものが普通である。そして、メール機能やインターネット接続機能がついている。つまり、携帯電話をもつということは、出来事を撮影するカメラをもつということであり、さらに、撮影した動画・写真などをインターネットを通じて発信できるということなのである。

通常は、このような機能は、比較的他愛のないことに使われている。例えば、「今日、どこに行った」とか「夕食でステーキを食べた」とかなど、それぞれの個人が体験したことを伝え合っているにすぎない。しかし、日常時でも、「当事者が経験しつつあることを当事者自身の視点で記録し発信する」ということが行われている。

東日本大震災において、多くの動画が残されているのだが、大部分は携帯電話によるものではないかと推察している。もちろん、なにがしかデジタルカメラ・デジタルビデオによるものもあると思うが、津波より避難している人びとの多くが、わざわざデジタルカメラ・デジタルビデオなどを持参しているとは思えない。多くは携帯電話で撮影されたものであろう。津波をリアルタイムに記録している動画をみると大抵は避難している当事者たちによって撮影されたものである。事件を体験している当事者自身が、当事者の視点でリアルタイムで動画・写真を記録したということは、類を見ないことである。

携帯電話で撮影された動画・写真は、メールによって転送されることができ、youtubeなどの動画サイトに投稿できる。すべての動画を直後にアップしたとは限らないが、それこそ、リアルタイムに出来事を伝える速報性を、携帯電話で撮影された動画・写真は可能性としては有しているといえる。当事者自身が体験ししている出来事を、当事者自身の視点で、情報伝達するーこれは、例えば速報性を有するとされていたテレビもできなかったことである。

その例として、たまたまyoutubeで発見した動画をみておこう。南相馬市における津波被災を写したこの動画は、2011年3月11日、たぶんFNN(フジテレビ)のニュースで流されたものである。テレビで流しているのだが、テレビ局や通信社で撮影した動画ではない。福島テレビを介して「視聴者」から提供されたものである。この「視聴者」とはだれか。この動画の後の方の電話インタビューでわかるのだが、南相馬市に襲来した津波から避難した「当事者」なのである。

テレビ局もしくは通信社が「当事者」たちを撮影し、それをマスメディアとして情報発信しているのではない。当事者自身が当事者の体験しつつある「出来事」を記録し、情報発信しているのである。そして、テレビ局は、そのような「当事者」たちに依拠して、ようやく「速報性」を確保しているのである。

このことをせんじつめていくと、かなり大きな変化が起こっているということができる。メディアは、出来事の「当事者」たちを「客体」として記録・撮影し、そして、「主体」として情報発信していた。しかし、東日本大震災では、当事者たちが記録し、情報発信している。それに依拠しなければ、メディアは情報発信できないのである。その意味で、メディアと「当事者」たちの間の位相が大きく転換しているといえるだろう。

そして、メディアを介さず、「当事者」たちがyoutubeなどのサイトに投稿することも多い。実は、資料的には、ネット掲載の動画のほうが、価値が高いといえる。テレビ局などで流されている動画は、結局のところステロタイプな「津波像」を表現するように編集されることが多く、津波のすごさは強調されるが、一体全体、どういうところで具体的にはどのような状況で津波がきたのかがわからなくなっていることが多い。早い話、石巻でも気仙沼でも、似たような動画が流されている。しかし、ネット掲載の動画は、それぞれの当事者にいた場に即して記録されており、具体的な状況がわかるのである。

そのような意味で、東日本大震災で、多くの津波の動画が残されたということは、多いというばかりではなく、携帯電話とネットを介して、当事者とメディアの関係が変わったことを意味しているのである。それは、もちろん、東日本大震災だけに限られない。つい最近、リビアのカダフィ大佐を殺害した動画が流された。わざわざ戦闘現場にカメラ(従軍記者は別だが)をもってくるものがいるとは思えない。もちろん、断定はできないが、携帯電話での撮影ではなかろうか。いずれにしても、あの動画は、プロのカメラマンが撮影したものとは思われない。「当事者」が自ら体験していることを記録して情報発信し、それに依拠してメディアが報道するという時代が到来したということができよう。

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