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このブログにおいて、4月29日に安倍首相が欧州外遊に出発した際、「日本と価値観を共有する欧州との関係を強化し、日本の発信力を強化していきたい」と語ったことを紹介した。そして、そもそも、安倍政権は欧州と価値観を共有しているのかと疑念を呈しておいた。

さて、実際、安倍首相は、欧州で、「基本的な価値を共有する国々と、公正なルールの下で競争が確保される大きな経済圏」をつくり上げることを強調した。次に、6日午前(日本時間同日午後)、パリで開かれた経済協力開発機構(OECD)閣僚理事会における安倍首相の基調講演の要旨を伝える時事通信のネット配信記事をかかげておく。

【パリ時事】安倍晋三首相が経済協力開発機構(OECD)閣僚理事会で行った基調講演要旨は次の通り。
 日本は今まさにデフレから脱却しようとしている。大胆な改革を断行する「条件」は整ったとの判断の下、先月消費税率を引き上げた。経済再生、財政再建、社会保障改革の三つを同時に達成する。私は改革を恐れない。
 日本の電力市場を、2020年を目途に完全に競争的な市場へと改革する。再生医療では民間活力を生かす規制改革を実施した。政府主導で大胆な規制改革を先んじて行う国家戦略特区制度も動きだす。さらなる法人税改革を進めていく。
 私の改革リストのトップは、世界のパートナーとの経済連携協定(EPA)交渉加速だ。オーストラリアとはEPAで大筋合意した。環太平洋連携協定(TPP)も最終局面にあり、早期妥結に向けて交渉をさらに加速する。通商の自由、法の支配といった価値の下、活発な経済が復活できる。知的資本がフリーライド(ただ乗り)されてはならない。過酷な労働を強い、環境への負荷を垂れ流すことによって価格競争で優位に立つことがあってはならない。
 基本的な価値を共有する国々と、公正なルールの下で競争が確保される大きな経済圏をつくり上げていく。参加を望む国々を歓迎するが、そのためには新たな経済秩序に賛同してもらう。日・欧州連合(EU)EPAこそ一日も早く成立させるべきだ。
 ロボットによる「新たな産業革命」を起こすマスタープランを早急に作り、成長戦略に盛り込む。イノベーションを起こし続けることが経済成長をけん引する鍵だ。横並び、単線型の教育では斬新な発想は生まれない。労働制度の見直しも進め、女性が輝く社会を創り上げる。能力あふれる外国人に日本でもっと活躍してもらう。誰にでも、何度でもチャンスがある、ベンチャー精神あふれる国へと日本を変えていく。(2014/05/06-18:05)
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2014050600298

これは、基本的に「アベノミクス」を自画自賛したものである。このなかで、安倍首相は「基本的な価値を共有する国々と、公正なルールの下で競争が確保される大きな経済圏をつくり上げていく。参加を望む国々を歓迎するが、そのためには新たな経済秩序に賛同してもらう。日・欧州連合(EU)EPAこそ一日も早く成立させるべきだ」と主張した。EPAとは経済提携協定のことである。安倍における改革のトップ項目は、世界各国で経済提携協定を結ぶことであり、環太平洋提携協定(TPP)とともに、EUとのEPAを早期に成立させ、「基本的な価値を共有する国々と、公正なルールの下で競争が確保される大きな経済圏」をつくり上げることを強調したのである。

しかし、EUは、日本と「基本的な価値を共有している」と考えているだろうか。他ならぬEPA締結交渉において、EU側は、日本で人権侵害や民主主義に反する事態が起きた場合、EPAを停止するという「人権条項」を要求し、日本側が猛反発していることがつたえられている。次の時事通信のネット配信記事をみてほしい。

EU、日本に「人権条項」要求=侵害なら経済連携協定停止

 【ブリュッセル時事】欧州連合(EU)と日本が、貿易自由化に向けた経済連携協定(EPA)と同時並行で締結交渉を行っている戦略的パートナーシップ協定(SPA)に、日本で人権侵害や民主主義に反する事態が起きた場合、EPAを停止できるとの「人権条項」を設けるようEUが主張していることが5日、分かった。日本は猛反発しており、EPAをめぐる一連の交渉で今後の大きな懸案になりそうだ。
 EU当局者によると、EUはSPAに民主主義の原則や人権、法の支配の尊重を明記し、日本が違反した場合、EUがEPAを停止できる仕組みを盛り込む方針を内部決定した。日本に対しては、EUで人権侵害が起きれば日本もEPAを停止できると説明、理解を求めている。
 経済的利益と引き換えに民主化を迫るのは、開発途上国や新興国に対するEUの基本戦略。人権条項は第三国との協定で「不可欠の要素」とされ、対日SPAも、こうしたEU外交の延長線上にある。ただ、EUは米国との自由貿易協定(FTA)交渉では、SPAのような政治協定の締結を求めていない。
 EU当局者は、日本に対して人権条項が発動される事態は考えにくいと強調するが、EUは日本で死刑が執行されるたびに「死刑は残酷で非人道的だ」と批判する声明を発表している。死刑廃止を目指すEUが日本に働き掛けを強める上で、人権条項が無言の圧力になる可能性はある。
 日本に人権条項をのませておけば、EUが将来中国とFTA交渉を行う場合、人権条項の要求を通しやすくなるとの思惑もあるようだ。 
 日本は、もともと途上国向けの政策を先進7カ国(G7)メンバーの日本に適用しようとするEUの姿勢に憤慨しており、SPAがEPAを拘束する仕組みについても、法的に疑問が残ると主張。日本は外国との貿易自由化でSPAのような協定を結んだ例が過去になく、交渉段階でEUの主張を受け入れても、内閣法制局の審査で問題になる可能性があるとの懸念もEU側に伝えている。(2014/05/05-20:18)
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2014050500353

時事通信の解説では「経済的利益と引き換えに民主化を迫るのは、開発途上国や新興国に対するEUの基本戦略。人権条項は第三国との協定で「不可欠の要素」とされ、対日SPAも、こうしたEU外交の延長線上にある」とされている。そして、そもそも、アメリカのFTA交渉で人権条項設定をEUは求めていないのである。時事通信は、日本における死刑制度の存在を理由としてあげているが、アメリカもまた、全土ではないにせよ死刑が存続している国である。確かに、死刑制度も「人権条項」設置要求の理由の一つであろうが、それだけではない。そもそも、「人権」という「基本的価値」において、EUはアメリカとは「共有」しているが、日本とは「共有」しているとは考えていないのである。

例えば、国連人権理事会は日本についてさまざまな勧告を行っているが、近年の日本政府は無視する傾向にあることが指摘されている。IWJ Independent Web Journalの次のネット配信記事をみてほしい。

2014/04/22 国連自由権規約の日本審査を前にNGOが共同会見 「日本政府は開き直っている」

 今年7月に行われる国連の自由権規約委員会の日本審査を前に、4月22日(火)、日本の人権問題に取り組むNGOが共同で、事前の記者向けブリーフィングを行った。

 国際人権NGO「ヒューマンライツ・ナウ」事務局長の伊藤和子氏は、ここ何年かの日本政府の特徴について、「開き直って、国連の勧告を実施しなくても良いという態度を鮮明にしている」と指摘。「昨年の拷問禁止委員会では、2008年に出された自由権規約と同じようなものなのに、この勧告には拘束力がないなどと、従う義務は無いという閣議決定をしている。国連の特別報告者が来日しても、個人の見解であり従わないと明確に言っている」と話し、日本政府が人権問題についてお粗末な態度を取り続けていることを紹介した。

 自由人権協会の升味佐江子氏は、昨年12月の臨時国会で可決・成立した特定秘密保護法について、様々な問題点があると指摘する。公安情報の共有という理由で米国に情報が提供できるという条項があったり、戦前戦中の軍機保護法や治安維持法を想起させるような条項も含まれている。また、人権規約19条委員会意見「アクセス権は、市民の権利」に照らしても、特定秘密保護法は問題であると語った。

 政府の持つ情報へのアクセス権の制約についても、「必要最低限でなければいけない。その制限についても法律で決めなければいけない。政府の自由裁量に任せてはいけない」と話し、特定秘密保護法は人権規約19条違反であることを強調した。

 昨年5月21、22日に開かれた国連拷問禁止委員会の場では、日本政府を代表して出席した外務省の上田秀明人権人道大使(当時)が、「シャラップ!(だまれ!)」などと発言したことが波紋を呼んだ。今年7月に開かれる予定の自由権規約委員会は、日本政府が2008年10月以来の報告書審査を受けることになっており、特定秘密保護法やヘイトスピーチ、慰安婦問題、日本の刑事司法問題などに対する政府の見解が注目される。(IWJ・石川優)
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/135956

これは、安倍政権が登場する以前から存在する日本政府の傾向を指摘したものだ。そして、安倍政権は、このブログで指摘したように、政権獲得以前の2012年4月に出した自由民主党の「日本国憲法改正案Q&A」増補版において、明確に「西欧の天賦人権説」を否定した。憲法における基本的人権という最も根幹に存在する「価値観」において、自民党は「欧州」とはあえて異なった見解をもっており、その自民党が組織したのが安倍政権なのである。

安倍政権としては、冷戦期、いやもっと古くの明治期における「脱亜入欧」路線にさかのぼって、「欧米」諸国と価値観を共有して一体化していることを強調し、国際的地位を確立させようしているといえる。しかし、実際には、人権において価値観を欧米諸国と共有していないのだ。それは、近年の日本政府全体の動向や、安倍政権の性格からも裏書きされている。結局のところ、EUは、経済連携協定において「人権条項」設置を要求し、日本側は「先進国」に適用するのかと憤慨しているが、これを招いたのは、日本政府総体や安倍政権の「人権」観といえよう。その意味で、安倍首相の「価値共有する経済圏」構想をはばんでいる大きな要因は、欧米の価値と共有しない人権意識をもっている日本政府・安倍政権自体の特質にあるといえよう。そして、このことは、安倍政権のもつ根源的な矛盾の現れなのである。

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2011年は、人びとの「生存」が、三つの面で日本社会において問われたといえる。一つは東日本大震災における地震・津波の側面である。もちろん、人は何人であっても死は免れ得ない。しかし、近代化の過程において、ある程度、人為によって自然を制御し、地域社会の多くの人びとの生存を保障しようと努力を続けてきた。例えば、古代・中世においては、東北の海辺において恒久的な都城は作り得ず、古代の多賀城や中世の石巻城のように高地が選択されていた。近世・近代においては、自然をある程度制御し、より海辺の地域を干拓し、防潮堤や排水路などを作りながら、可住域を拡大していった。日常的には、確かに自然は制御され、それらの地域社会の人びとの生存は保障され、生活は発展していった。しかし、東日本大震災による地震・津波は、人為によって自然を制御し、人びとの生存を保障することの限界をまざまざとみせつけた。過去の津波データから予想された以上の津波が、海辺の集落、港湾、農地を遅い、古代・中世の都城である多賀城・石巻城などの麓を洗った。むしろ、日常的に、自然を制御することによって、リスクのある地域を開発してきたことが、震災被害をましたということがいえよう。
東日本大震災による原発災害は、ある意味では、一般の津波・地震災害と重なりつつも、別の側面を有している。原発災害は、人の手で作り出したものだ。そして、すでに1950〜1960年代の原子力開発の初期から、原発被害が立地する地域社会の人びとの生存を脅かすものであることが想定されていた。1986年のチェルノブイリ事故は、地域社会どころか世界全体の人びとの生存を脅かすものであった。人の手で作り出した災害は、人びと総体の生存を脅かすことになったのだ。しかし、チェルノブイリ事故の契機は、ヒューマンエラーとされてきた。その意味で、人の努力によって抑止できるものと認識されたといえる。チェルノブイリ事故が起きたソ連自体がかかえていた体制の問題もあって、より安全運転を心がけていると称しているー歴年の事故隠しをみているとそれ自体が怪しいがー日本では起こりえないものとされてきた。しかしながら、今回の原発災害の直接の契機は、ヒューマンエラーではなく、地震動もしくは津波による施設水没とされている。いくら努力しても、原発災害は避け得ないのだ。もちろん、これは火力発電所やその他の工場でも同様である。ただ、原発については、一度大規模事故が起きてしまえば、局所的に影響を封じ込めるという意味ですら、人為によって制御することが不可能という側面を有している。そもそも、人びとの生存に脅威を与えるものが原発であったが、事故を防止することも、事故後の事態を制御することも、不可能であることが露呈してしまった。事故後の備えはいくらあっても不十分であり、もっとも効果的なことは、東海村で構想されたように、無人地帯を設けることぐらいである。そのために、原発は低人口地帯に設置されてきた。人の手で作り出したものが、制御もできず、人自体の生存を脅かしているのである。
もう一つ、震災とは別に、2011年の日本社会において、「生存」が問われてきた。利潤を極大化しようという目的のもとに、労働者は正規雇用と非正規雇用に分断された。また、グローバリズムの名の下に、いわゆる先進国と後進国の「格差」が作り上げられ、さらに「格差」を前提として、資本輸出を通じて、労働者への所得分配が切り捨てられている。さらに、TPPなどの自由化交渉によって、大資本の生産物が押し付けられ、農民や中小企業の経営は破滅に追いやられている。そして、この過程を正当化する哲学として、「自力救済」を旨とし、このことをレッセフォールによる「自然的過程」とする新自由主義が唱えられている。資本主義的利潤の極大を人為によって社会におしつける仕組みとして、これらの枠組みは洗練されているといえる。しかし、これらの枠組みは、人びとの「生存」を保障するものでは全くなく、むしろ、人びとの生存を脅かすことによって作動しているものといえる。そのことがまた、新自由主義的な意味での社会への介入の限界をなしているといえる。生存を脅かされた人びとは、そもそも生産物への需要を喚起しない。そして、労働力の直接の再生産すら難しい所得においては、家族を構成できず、人口が減少していく。個々人の生存が危険に脅かされていることが、まわりまわって社会全体の生存の脅威となる。その中では、経済成長どころか経済衰退が生じ、資本主義的な利潤をまっとうに確保することすら難しくなる。数年おきに、ほとんど詐欺のようなバブル投機が生じるのはそのためだ。安定した投資先すら確保できないのである。
これら三つの面は、それぞれ違った位相をもつであろう。ただ、一ついえるのは、たぶんにこれまでの人為による自然・社会の制御が限界を有しているということだ。地震や津波の脅威は、人びとの生存を保障する自然の制御自体がいかに困難であるかを示しているといえる。他方、新自由主義的な社会への介入は、資本主義的利潤の極大化を目的とし生存を保障しない人為がいかにそれ自体の基盤を掘りくずしているかを示していると考えられる。その二つの交点として、原発災害がとらえられるであろう。
もちろん、自然にせよ社会自体にせよ、限界はありながらも今後ともなんらかの「人為」による制御は必要であると考えられる。しかし、それは人びとの生存それ自体を目的したものでなくてはならないといえる。そのことを、今後、より精緻な形で考えていこうと思う。

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