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Posts Tagged ‘2011年3月11日’

  • 「私」にとっての2014年3月11日
  • 東日本大震災から3年たった2014年3月11日の朝、新聞やテレビは、東日本大震災の回顧報道一色であった。もちろん、この中には、有意義な報道もある。しかし、なんとなく違和感を感じていた。

    その後、仕事で武蔵野市立中央図書館に行った。この図書館前には、いつも、日の丸と武蔵野市旗(確認していないがたぶんそうだろう)が掲揚されている。この日は、この2つの旗がいつもより低い位置で掲揚されていた。つまり、弔意をあらわす「半旗」である。

    この「半旗」を見て、2つのことを考えた。まず、マスコミ・自治体・国家の側が押しつけてくる「鎮魂」なるものへの違和感である。もう一つは、それでは、私個人は、どうするべきかということである。この日、何もしないままでいいのだろうか。とりあえず、そんな思いがないまざって、もともと参加する予定がなかった下記の催しに参加することにした。

    忘れない「3・11」キャンドルプロジェクト~ 被災地に思いをはせ、日本社会を見つめなおす日に ~ 3月11日の夜に歩きます

    2011年3月11日14時46分、東日本を激しい揺れが襲いました。
    人も、建物も、あらゆるものを飲み込んでいく大津波。
    息をつく間もなく入ってくる福島第一原発事故のニュースと放射能の恐怖――。

    忘れることのできない3月11日から3年。家族や友人を失った被災者の無念の思いは癒えず、厳しい避難生活が続いています。放射能汚染という目に見えない命と健康の危機、原発事故の危険は今なお存在しています。

    大震災と原発事故が明らかにした社会のゆがみはなんだったのか。被災者の「いま」を、これまでの日本社会のあり方を、私たちはもう一度見つめなおさなければなりません。

    あの日から3年となる3月11日、私たちはキャンドルに灯りをともします。

    被災者の深い悲しみを分かち合う追悼の灯り。
    被災者とともに復興をめざす新たな決意の灯り。
    貧困を拡大し原発依存の日本社会をもたらした政治への怒りの灯りを。
    http://candle311tokyo.blog.fc2.com/

    この催し自体は、渋谷の町をキャンドルを片手にパレードし、上記のことを呼びかけるというものであった。出発地点の代々木公園のケヤキ並木に到着してみると、数十人ほどが集まっており、地面の上に、キャンドルが並べられていた。

    忘れない「3・11」キャンドルプロジェクトにおいて並べられていたキャンドル

    忘れない「3・11」キャンドルプロジェクトにおいて並べられていたキャンドル

    ここで、主催者の人びとは、キャンドルになっているビニールコップにメッセージを書くことを参加者に促していた。実際、多くのコップにはメッセージが書かれていた。しかし、何も書かれていないコップもまだあった。

    私は…どうしても、メッセージを書くことはできなかった。震災や原発事故で亡くなった人びと、そのために今なお苦しんでいる人びとに対して、どのようなメッセージを書くことができようか。「鎮魂」などと短く書くことはできる。しかし、それだけで、どのような意味があるのか。万言を費やしても、なお「その言葉」を発することの意義が問われているように思えたのだ。

    そして、パレードの前に、小さな集会が開かれた。この集会では、主催者の人びとがパレードの意義を話し、さらに被災者や支援者たちがそれぞれメッセージを語っていた。その中で、最も印象に残ったのは、被災地に10回ぐらい足を運んでいる女子高校生の発言だった。彼女は石巻市の大川小学校(記憶ではそうだったと思う)の小学生が被災した話をして、「自分と同じぐらいの年の子どもが、なぜ死んだのか、友達を失ったのか」などと涙ながらに語っていた。彼女は、3.11時点で、まだ小学生だったのである。そのことに驚くとともに、また「言葉の可能性」について思いを巡らしていた。

    パレードが始まった。夜の渋谷をキャンドルをもってデモ行進するというものだったが、通常のデモのように、シュプレヒコールやドラム・サウンドでデモンストレーションするというものではなく、「イマージン」などのBGMにのって、前述の高校生などがメッセージを語るというものであった。途中から参加した人びともいて、最終的には130人が共に歩いた。

    主催者の人びとは、「私にとっての『3.11』」と題されたプラカードを用意していた。しかし、多くは、メッセージを書く欄が「白紙」になっていた。主催した人びとや私以外の参加者の問題ではないのだが、まるで私自身の心象風景のようだった。

    忘れない「3・11」キャンドルプロジェクトのパレード

    忘れない「3・11」キャンドルプロジェクトのパレード

    3.11をいわば短い言葉で「名づける」こと、そして、そのように「名づけた」もので、3・11を「厚く」記述すること、それは、このブログなどで、日常的に私自身が多少なりとも行ってきたことではあった。しかし、そのことは、被災によって亡くなった人びと、今なお苦しんでいる人びとに向けられたものだったのか。むしろ、自らと同じ年代の子どもたちの死を泣きながら悼んだ女子高校生の発話のほうが、人びとの情動を動かす「言葉」であったのではなかろうか。そんな思いにかられたのである。

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