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Posts Tagged ‘高度経済成長’

2016年4月18日現在、九州の熊本地方に地震が襲っている。4月14日夜、マグニチュード6.5、最大震度7の地震が起こり、16日未明にはマグニチュード7.3、最大震度6強の地震が発生した。16日以後、震源域は東側の阿蘇地方・大分地方にも拡大しつつ、最大震度6・5クラスの地震が相続いている。最大震度5以上の地震は4月14日に3回、15日に2回、16日に9回発生した。17日に大きな地震はなかったが、4月18日の夜、本記事を書こうとした際、最大震度5強の地震が発生したという報道に接した。

この地震については、地震の専門家である気象庁が「観測上例がない」と困惑を見せている。次の毎日新聞のネット配信記事を見てほしい。

<熊本地震>気象庁課長 観測史上、例がない事象を示唆
毎日新聞 4月16日(土)11時21分配信

<熊本地震>気象庁課長 観測史上、例がない事象を示唆

 ◇熊本、阿蘇、大分へと北東方面に拡大していく地震現象に

 気象庁の青木元(げん)地震津波監視課長は16日午前の記者会見で、熊本、阿蘇、大分へと北東方面に拡大していく地震現象について「広域的に続けて起きるようなことは思い浮かばない」と述べ、観測史上、例がない事象である可能性を示唆。「今後の(地震)活動の推移は、少し分からないことがある」と戸惑いを見せた。

 また、14日の最大震度7の地震を「前震」と捉えられなかったことについて、「ある地震が発生した時に、さらに大きな地震が発生するかどうかを予測するのは、一般的に困難だ」と述べた。

 熊本地方などを含む九州北部一帯は低気圧や前線の影響で、早い所で16日夕方ごろから雨が降り始め、16日夜から17日明け方にかけては広い範囲で大雨が予想されている。青木課長は「揺れが強かった地域は土砂災害の危険が高い。さらに雨で(地盤が)弱くなっている可能性があるので注意をしてほしい」と呼びかけた。【円谷美晶】
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160416-00000052-mai-soci

気象庁に言わせれば「観測史上例がないこと」なのだろう。しかし、本当に未曾有のことなのだろうか。熊本地震の報道に接しながら、地震学者石橋克彦著の『大地動乱の時代』(岩波新書、2014年)を想起した。本書の冒頭部分は「幕末ー二つの動乱」と題されている。嘉永6年(1853)にペリーの黒船艦隊が来航し、それ以来、日本は幕末の動乱を迎えていくことになる。石橋によると、この時期は日本列島で地震活動が盛んになった時期でもあった。ペリー来航より少し前の嘉永6年2月2日(1853)、マグニチュード7の「嘉永小田原地震」が発生した。
 
翌嘉永7年(1854)にペリーは再来航し、日米和親条約が締結される。この年の6月15日に、伊賀上野・四日市・笠置山地でマグニチュード7.2、6.7、6.8の地震が相次いで発生し、桑名から京都・大阪までの広い範囲で震度5以上の揺れとなり、1000人以上が死亡したという。11月4日には、駿河ー南海トラフを震源としたマグニチュード8.4の「安政東海地震」が発生した。東海地方の多くの地域が震度6以上の揺れとなり、さらに伊豆半島から熊野灘まで海岸に津波が襲来した。場所によっては津波は10m以上に達したという。
 
 そして、「安政東海地震」発生の約30時間後の11月5日、紀伊半島・四国沖の南海トラフを震源とするマグニチュード8.4の「安政南海地震」が発生した。紀伊半島南部と四国南部は震度6以上の揺れに見舞われ、伊豆半島から九州までの沿岸には津波が襲来した。大阪にも津波は及んだのである。そして、黒船来航、御所焼失とこれらの一連の地震を考慮して、11月27日に年号は「安政」に改元されたのである。

しかし、改元されても、地震は止まなかった。安政2年10月2日(1855)、安政江戸地震が発生した。マグニチュードは6.9であったが、都市直下型地震であったため、江戸市中を中心に震度6以上の揺れになった。火事も発生し、1万人以上が死んだとされている。そして、これらの地震活動は、石橋によると1923年の関東大震災にまで継続していったとされている。

このように、3年あまりの間で、日本列島は5回もの大地震に遭遇したのである。石橋は次のようにいっている。

江戸時代末の嘉永6年(1853)、日本列島の地上と地下で二つの激しい動乱が口火を切った。二つの激動は時間スケールこそ多少ちがっていたが、ともに、そのご十数年から数十年のあいだに日本の歴史を左右することになる。(石橋前掲書p4)

確かに、このような短い時期に大地震が集中したのは希有のことだっただろう。しかし、日本列島で、大地震が連続して発生することは未曾有のことではないと歴史的に言える。

石橋は次のように指摘している。

黒船に開国を迫られた幕末の動乱期、関東・東海地方の大地の底では、もう一つの「動乱の時代」が始まっていた。嘉永小田原地震を皮切りに、東海・南海巨大地震がつづき、安政大地震が江戸を直撃する。そして、明治・大正の地震活動期をへて、ついに大正12年の関東巨大地震にいたる。
 それから71年。東京は戦災の焦土の中から不死鳥のごとくに蘇り、日本の高度経済成長と人類史上まれにみる急速な技術革新の波に乗って、超過密の世界都市に変貌した。しかし、この時期は、幸か不幸か、大正関東地震によって必然的にもたらされた首都圏の「大地の平和の時代」(地震活動静穏期)にピタリと一致していた。敗戦による「第二の開国」のあと日本は繁栄を謳歌しているが、首都圏は大地震の洗礼を受けることなく、震災にたいする脆弱性を極限近くまで高めてしまったのである(石橋前掲書p1)

日本の戦後復興・高度経済成長・技術革新の時代は、石橋によれば首都圏の「大地の平和の時代」(地震活動静穏期)でもあった。「技術革新」の中には、地震科学の発展も含まれるであろう。気象庁などによる精緻化された「地震科学」は、「大地の平和の時代」における経験の産物なのであり、幕末のような「大地動乱の時代」にはそのままの形では対応しきれないのではなかろうか。

『大地動乱の時代』出版の翌年である1995年に阪神淡路大震災が発生した。2011年には東日本大震災が起きた。これ以外にも様々な地震が起きている。そして、今回の熊本地震の発生である。「大地動乱の時代」の再来を意識せざるをえない。そして、とにかく確認しなくてはならないことは、日本列島に住むということは、現状の科学で把握できるか否かは別として、このような地震の発生を覚悟しておかねばならないということである。

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現在、安倍政権によって、集団的自衛権を核とする安全保障法制制定が着々と進められている。それに対し、元自民党の有力者など保守派の人びとも含めて、広い範囲でデモや抗議活動が国会前はじめ、全国津々浦々で行なわれている。8月30日には、国会前で12万人が抗議活動に参加し、全国では30万人が運動に参加したといわれている。

他方、保守派も含めて安保法制反対運動に集め、多数派を形成することへの懸念も表明されている。例えば、優秀な在日朝鮮人史研究者である鄭栄恒は、【朴露子-鄭栄桓 教授対談】「過去に囚われるのをやめようという『韓日和解論』、中国と対立を呼ぶリスク」の中で、このように発言している。

鄭「日本の歴史修正主義を見る時は二つの対象を見なければならない。一つは、韓国でも批判する45年前の歴史修正主義だ。もう一つは、日本の敗戦後の歴史修正主義だ。 (日本の戦後の歴史と関連して)90年代までの日本のリベラルや進歩は、日本の歴代政権が平和憲法を正しく守らないと主張してきた。日本を真の平和国家にするための批判とみることができる。しかし今の進歩勢力は、戦後日本の歴史そのものを美化し、平和国家を安倍政権が破壊しているとのスタイルで批判する。新自由主義の影響のせいか、高度成長期の日本を破壊するなと装飾した批判もする。つまり、80年代以前の自民党政権に対する評価を大きく変えている。これらリベラルの主張に対して保守も同意する。だから安倍政権との対立は激しくなっているように見えるが、日本の進歩と保守がほぼ同じ戦後史の歴史像を持っていることが分かる。もちろん日本の安倍晋三首相の修正主義的な歴史認識や植民地支配を内心では肯定しようとする態度に対する批判も必要だが、日本戦後史の修正が行われているという点についても批判的な介入が必要だ。」
http://east-asian-peace.hatenablog.com/entry/2015/09/03/061508

確かに表面的に見れば、そういう指摘も可能なのかもしれない。安保法制反対運動のスローガンの一つは「安倍晋三から日本を守れ」である。鄭栄恒は「日本の進歩と保守がほぼ同じ戦後史の歴史像を持っていることが分かる」としている。しかし、本当に、鄭栄恒のような見方だけでよいのだろうか。

周知のように、現在の安保法制反対運動を主導しているグループの一つに”Students Emergency Action for Liberal Democracy s”(自由と民主主義のための学生緊急行動 略称SEALDs)がある。このSEALDsの関西での組織であるSEALDs KANSAIの一員である大澤茉実は「SEALDsの周辺から 保守性のなかの革新性」という文章を『現代思想』10月臨時増刊号「総特集 安保法制を問う」によせている。大澤は次のように言っている。

いま、運動に参加する若者たちが共有する内的衝動に、原発事故による価値観の転換(既存の権威の失墜と社会運動の必要性・可能性の再発見)に加え、今日より明日はよくならない停滞の時代を生きるためのサバイバル的人生観があると感じている。だから、若者が運動に参加するとき、基本的な目標は「これ以上状況を悪化させるな」となるし、それは保守性を帯びることになる。私は、その表面的な部分に抵抗感を持っていたわけだが、運動に飛び込んで、その保守性のなかには、同時に私たちの世代が持つ革新性が編み込まれていると感じるようになった。
 経済成長が続き、「パイ」の総体が大きくなっていく時代には、権威主義的な組織のなかでがむしゃらに働くことが個人にとっても社会にとっても豊かさを実現する道であったのかもしれない。しかし、停滞の時代にあっては既存の組織は現状維持を図るために往々にして個人を犠牲にする。若い世代にとって、これからの人生を一つの組織(とりわけ企業)に依存して生きることは現実的でないし、また望ましい選択肢でもなくなっている。そのなかで、私たちは、いまある「パイ」の活用や分配のあり方に敏感になっている。つまり、将来的に「パイ」が大きくなるという希望的観測を理由に、周辺的な立場の者への分配が後回しになることに拒否感を持つのだ。そういった、日常レベルでの知恵や実践が「日常を守りたい」という保守性の内部に脈打っている。具体的には、先述した「個人の集まり」としての組織のあり方である。かつてなら大きな権威によって無下にされたであろう「わたし」たちも、政治的発言権を手に入れはじめた。それが、個人も社会も豊かにするのだと、肌感覚で知っているのである。
 経済の停滞が形成した私たちのサバイバル的な人生観は、なによりもまず日々を生き抜くことを至上命題とする。そのため、表面的には若者は保守的で政治に無関心に映るかもしれないが、現実にはさまざまな試行錯誤を経験しながら激烈な「政治」を生きている。
 そのことが、民主的で柔軟な組織をつくるための創意工夫につながる。そしてそれは、与えられた現実のなかでより賢く生きるために私たちが持ちはじめた強かな革新性なのだ。その実感があるからこそ、私は運動に一片の希望を抱く。

大澤は、まず、権威が失墜し社会運動の必要性・可能性が再発見されていった原発事故による価値観の転換をあげている。そのうえで、経済成長が続き「パイ」の総体が大きくなっていき、権威主義的な組織のなかで自己実現がはかれた時代と、経済が停滞し、権威主義的な組織のなかで依拠して生きることは非現実的かつ無意味で、既存の「パイ」の活用や分配に敏感になった自分たちの時代を画然とわけている。そして、「今日より明日はよくならない停滞の時代を生きるためのサバイバル的人生観があると感じている。だから、若者が運動に参加するとき、基本的な目標は「これ以上状況を悪化させるな」となるし、それは保守性を帯びることになる。」と主張しているのだ。その中で形成された「民主的で柔軟な組織をつくるための創意工夫」を、大澤は「与えられた現実のなかでより賢く生きるために私たちが持ちはじめた強かな革新性なのだ」としているのである。

ここには、むしろ、ある意味で原発事故による価値観の転換を契機にした、戦後日本社会から断絶されてしまったという現代社会に対する歴史意識があるといえる。そして、現在の、「今日より明日はよくならない停滞の時代」への憤懣と、「これ以上状況を悪化させるな」という危機感が表出されているのである。つまりは、「現在」をどう認識し、どのように行動していくかが課題なのである。

そして、最早、高度経済成長の時代ではある意味で生存を保障していた、企業などの権威主義的な組織に依拠して生活するということは意味をなさないものとして認識され、それとは別の、オルタナティブな組織をつくっていくことが目指されている。そういうことを前提に「安倍晋三から日本を守れ」というスローガンを聞いた時、その「日本」が少なくとも戦後「日本」そのままなのだろうかと考えるのである。

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安倍晋三首相が「年頭所感」を1月1日に発表した。たいして長い文章ではないが、ほとんどのマスコミがテクスト自体を報道していないので、ここで全文を紹介しておく。

安倍内閣総理大臣 平成27年 年頭所感

 新年あけましておめでとうございます。

 総理就任から2年が経ちました。この間、経済の再生をはじめ、東日本大震災からの復興、教育の再生、社会保障改革、外交・安全保障の立て直しなど、各般の重要課題に全力で当たってまいりました。さらには、地方の創生や、女性が輝く社会の実現といった新たな課題にも、真正面から取り組んできました。

 そして先の総選挙では、国民の皆様から力強いご支援を頂き、引き続き、内閣総理大臣の重責を担うこととなりました。

いずれも戦後以来の大改革であり、困難な道のりです。しかし、信任という大きな力を得て、今年は、さらに大胆に、さらにスピード感を持って、改革を推し進める。日本の将来を見据えた「改革断行の一年」にしたい、と考えております。

 総選挙では全国各地を駆け巡り、地方にお住いの皆さんや、中小・小規模事業の皆さんなどの声を、直接伺う機会を得ました。こうした多様な声に、きめ細かく応えていくことで、アベノミクスをさらに進化させてまいります。

経済対策を早期に実施し、成長戦略を果断に実行する。今年も、経済最優先で政権運営にあたり、景気回復の暖かい風を、全国津々浦々にお届けしてまいります。

今年は、戦後70年の節目であります。

日本は、先の大戦の深い反省のもとに、戦後、自由で民主的な国家として、ひたすら平和国家としての道を歩み、世界の平和と繁栄に貢献してまいりました。その来し方を振り返りながら、次なる80年、90年、さらには100年に向けて、日本が、どういう国を目指し、世界にどのような貢献をしていくのか。

私たちが目指す国の姿を、この機会に、世界に向けて発信し、新たな国づくりへの力強いスタートを切る。そんな一年にしたいと考えています。

 「なせば成る」。

上杉鷹山のこの言葉を、東洋の魔女と呼ばれた日本女子バレーボールチームを、東京オリンピックで金メダルへと導いた、大松監督は、好んで使い、著書のタイトルとしました。半世紀前、大変なベストセラーとなった本です。

 戦後の焼け野原の中から、日本人は、敢然と立ちあがりました。東京オリンピックを成功させ、日本は世界の中心で活躍できると、自信を取り戻しつつあった時代。大松監督の気迫に満ちた言葉は、当時の日本人たちの心を大いに奮い立たせたに違いありません。

 そして、先人たちは、高度経済成長を成し遂げ、日本は世界に冠たる国となりました。当時の日本人に出来て、今の日本人に出来ない訳はありません。

国民の皆様とともに、日本を、再び、世界の中心で輝く国としていく。その決意を、新年にあたって、新たにしております。

 最後に、国民の皆様の一層の御理解と御支援をお願い申し上げるとともに、本年が、皆様一人ひとりにとって、実り多き素晴らしい一年となりますよう、心よりお祈り申し上げます。

平成27年1月1日
内閣総理大臣 安倍晋三
http://www.kantei.go.jp/jp/97_abe/statement/2015/0101nentou.html

この「年頭所感」の冒頭は、昨年までの安倍内閣の「業績」を語っている。経済の再生、東日本大震災からの復興、教育の再生、社会保障改革、外交・安全保障の立て直し、地方創成、女性が輝く社会の実現という課題ー安倍首相によれば「戦後以来の大改革」ーに取り組んできたとし、昨年末の総選挙で国民の信任を得たと述べている。

そして、今年は日本の将来をみすえた「改革断行の年」にしたいとして、二つの課題を提起している。第一の課題は「アベノミクスのさらなる進化」である。安倍首相は、「経済対策を早期に実施し、成長戦略を果断に実行する。今年も、経済最優先で政権運営にあたり、景気回復の暖かい風を、全国津々浦々にお届け」するとしている。といっても、具体策が提起されているわけではない。

安倍首相のあげている第二の課題は、戦後70年を迎えて平和国家としての戦後日本を前提としながら、「日本が、どういう国を目指し、世界にどのような貢献をしていくのか」を世界に発信し、新しい国づくりのスタートを切るということである。これは、一見、今までの「平和国家」としての日本を維持していくかにみえる。しかし、たぶん、安倍首相の心底では「新しい国づくり」のほうに力点があるのだろう。

さて、後半は、安倍政権の業績とも政策課題とも違った、「ポエム」のような「心情告白」である。安倍首相は、東京オリンピックの際の日本女子バレーボールチームの大松監督が使った言葉「なせば成る」を声高らかに宣言している。安倍首相は、「戦後の焼け野原の中から、日本人は、敢然と立ちあがりました。東京オリンピックを成功させ、日本は世界の中心で活躍できると、自信を取り戻しつつあった時代。大松監督の気迫に満ちた言葉は、当時の日本人たちの心を大いに奮い立たせたに違いありません。そして、先人たちは、高度経済成長を成し遂げ、日本は世界に冠たる国となりました」と主張している。このなかでは東京オリンピックと戦後復興ー高度経済成長の課程が二重写しにされているのである。

そして、「当時の日本人に出来て、今の日本人に出来ない訳はありません。国民の皆様とともに、日本を、再び、世界の中心で輝く国としていく。その決意を、新年にあたって、新たにしております。」と語りかけているのである。

いわば、「東京オリンピック」を象徴として、戦後復興ー高度経済成長の過程が、過去の「成功体験」として認識されており、「なせば成る」というスローガンのもとに、現在の日本人でもそのような成功が可能なのだとハッパをかけているのである。

ある意味で、安倍首相が考えている、「戦後日本」で受け継ぐべきものとは、この心情告白によって十二分に語られているといえよう。そして、このことは、みずからの親族ー祖父岸信介、大叔父佐藤栄作を継承することでもあるのだ。

しかし、このことは、単に安倍首相の個人的なパーソナリティに還元するだけではとどまらない。安倍首相を積極的であれ消極的であれ支持する人びとはいるのだ。先行きが見えないままー特に民主党政権の「挫折」と3.11以降ー、過去の「成功体験」に依拠するしか未来の展望をもてないということが普遍化していることが問題なのである。

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たぶん、2011年は、二つの意味で日本社会のターニングポイントになったと評されることであろう。一つは、2011年3月11日の東日本大震災とそれによる福島第一原発事故である。そして、もう一つは、中国のGDPが日本のそれを追い越し、中国が世界第二の経済大国となったということがあきらかにされたことである。

ここでは、後者のことをみておこう。次に日本経済新聞が2011年1月20日にネット配信した記事を掲載する。

中国GDP、世界2位確実に 日本、42年ぶり転落
10年2ケタ成長
2011/1/20 11:00 (2011/1/20 13:32更新)

 【北京=高橋哲史】中国国家統計局は20日、2010年の国内総生産(GDP)が実質で前年比10.3%増えたと発表した。年間の成長率が2桁になったのは07年以来、3年ぶり。公共投資や輸出がけん引し、世界的な金融危機の後遺症から抜け出せない日米欧とは対照的な高成長を実現した。名目GDPが日本を抜いたのは確実で、日本は42年間にわたり保ってきた世界第2位の経済大国の地位を中国に譲る。

 10年10~12月期のGDPは実質で前年同期比9.8%増だった。

 10年のGDPは国際比較に用いられる名目ベースで39兆7983億元。1~9月はドル換算で中国が日本をわずかに下回ったが、10~12月期を加えた通年では逆転したとみられる。

 大和総研の試算によると、中国の10年の名目GDPはドル換算で5兆8895億ドル。日本が中国と肩を並べるには内閣府が2月14日に発表する10年10~12月期の名目GDPが前期比27%増になる必要があり、「10年の日中逆転は確実」(熊谷亮丸チーフエコノミスト)になった。同社の推計では日本の10年の名目GDPは5兆4778億ドルで、中国を約4000億ドル下回る。

 中国の高成長の原動力となったのは、公共事業を柱とする投資だ。10年の都市部の固定資産投資(設備投資や建設投資の合計)は前年比24.5%増。伸び率は09年の30.4%を下回ったが、引き続き高水準を保った。景気刺激策に伴う公共事業の拡大が生産を刺激し、経済全体を押し上げた。

 10年3月までは成長を押し下げる要因だった外需も、年央から急速に回復している。10年の輸出額は31.3%増の1兆5779億ドルに達し、09年に続きドイツを抜いて世界一になったもよう。低めに抑えられた人民元相場が輸出を後押しし、経済成長を支える構図は大きく変わっていない。

 10年の社会消費品小売総額(小売売上高)は18.4%増。新車販売台数が32.4%増の1806万台と2年連続で世界一になるなど、個人消費は堅調に推移した。ただGDPに占める消費の割合は4割弱にとどまり、7割の米国、5割強の日本に比べなお小さい。中国政府は「投資、外需、消費のバランスの取れた成長」をスローガンに掲げ、消費の拡大を最重要課題と位置付けている。
http://www.nikkei.com/article/DGXNASGM1905R_Q1A120C1000000/

すでに、2010年のGDPにおいて、中国は日本を追い越した。そして、それがあきらかになったのは、2011年1月であり、3.11の直前のことであった。3.11の衝撃によって、一時あまり意識されなくなったが、その時の衝撃は大きかったといえる。

なぜなら、日本が世界第二ーアジアでは第一の経済大国であるということは、東アジアにおける日本の威信の源泉であったからである。すでに、中国史研究者の溝口雄三は、2004年に出版された『中国の衝撃』の中で、「中国の農村問題と日本の空洞化現象は、明らかにリンクしている問題である以上、われわれはこれを一面的な『脅威論』から抜け出して、広い歴史の視野で国際化し、また広い国際的視野で歴史化し、対立と共同という緊張関係に『知』的に対処していかねばならない」と指摘し、近代化過程における西洋中心主義的な先進ー後進図式からの脱却と、中華文明圏ー環中国圏という関係構造の持続に注目しながら、「とくに明治以来、中国を経済的・軍事的に圧迫し刺激しつづけてきた周辺国・日本ー私は敢えて日本を周辺国として位置づけたいーが、今世紀中、早ければ今世紀半ばまでに、これまでの経済面での如意棒の占有権を喪失しようとしており、日本人が明治以来、百数十年にわたって見てきた中国に対する優越の夢が覚めはじめていることに気づくべきである」と主張した。溝口によれば、近代以降、日本は中国に優越していると意識してきたが、経済面での優位の喪失は、そのような意識の現実的基盤が失われることを意味するだろうとしているのである。これは、まったく、予言的な発言であったといわざるをえない。

今、翻って、第二次安倍政権の政策展開を回想してみると、中国の台頭による東アジアでの日本の優位性の喪失への「対抗」としての側面が非常に強いと感じられる。経済的優位の喪失は、経済ではなく政治的・軍事的優位によって代替えしようという志向につながった。尖閣諸島・竹島などの国境線における強硬姿勢、戦前の侵略問題や靖国神社参拝さらに従軍慰安婦問題などの歴史問題における緊張関係の醸成は、中国・韓国などの「介入」を許さないという形で、象徴的に日本の優位性を確保しようという試みにほかならない。そして、日米同盟を強調しつつ(ただ、このこと自体が日米摩擦の原因になっているが)、解釈改憲・明文改憲によって、「平和主義」を放棄し、「積極的平和主義」の名のもとに、自衛隊による軍事介入を進めようとしていることは、まさに軍事的な優位を確保しようという動きといえよう。もちろん、このような動きは、戦後一貫して自由民主党などに存在していた。しかし、この動きが、自由民主党内部ですら戸惑いの声があがるほど加速しているのは、アジアにおいて、経済的優位に変わる政治的・軍事的優位を確保しようする、いわば換言すれば、政治的・軍事的な手段によってアジアにおける「大国」としての地位を維持しようという焦燥感に根ざしているのではなかろうか。

他方で、アベノミクスの名の下に、再び「高度経済成長」が可能であるという「幻想」をふりまきつつ、実際には、生活保護費・年金の削減や消費増税などを行い、資本蓄積の最適化をめざしている。安倍政権や経団連にとって、今や「世界の工場」となっている中国と比較すると、労働者賃金においても、社会福祉を中心とした税負担においても、環境保護対策においても、資本蓄積における日本のコストは高すぎると感じられているのだろう。そして、彼らからすれば、現状においては、日本企業においてもコストの低い中国に生産拠点を移転することが合理的なのであり、もし、日本の「空洞化」を阻止するのであれば、中国なみにコストを下げることが必要なのだと思っているに違いない。もちろん、これも、グローバリゼーション化において、「新自由主義」という形で、日本だけではなく、全世界でみられることである。先進資本主義国から、コストの安い新興国に生産拠点が移され、空洞化した先進資本主義国において、国内における「コスト」削減ー賃金・社会保障・教育など広範囲の分野でーをはかる新自由主義は世界のどころでもみることができる。ただ、この動きが、3.11以降、日本国内で加速していることも事実である。この動きのなかでは、かなり高い経済成長を続けて世界第二位の経済大国となった中国への「対抗」が強く意識されているとみることができる。

第二次安倍政権は、第一次安倍政権も含めた歴代保守政権の政策志向を受け継いでいる。改憲論、平和主義の放棄、歴史修正主義、経済成長推進、社会保障切り捨て、等々。しかし、これらの志向が、既存の国際秩序への軋みも考慮せず、国内での社会的反発も等閑視して進められていくことは、これまでなかったことである。そのような「加速」の背景として、中国が世界第二の経済大国となり、日本がアジアにおける優位性を主張できなくなったことへの焦燥感があると考えられるのである。そして、これは、政権内部だけでなく、日本社会の多くの人びとが意識的もしくは無意識的に共有していることなのではなかろうか。むしろ、このような共通感覚にささえられて、大国主義的な第二次安倍政権が存在しているともいえよう。

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