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Posts Tagged ‘靖国神社’

さて、また、12月26日の安倍首相の靖国神社参拝についてみておこう。前回のブログでは次のように述べた。靖国神社への首相の参拝については、憲法上の政教分離原則に抵触することや、靖国神社が国家によって国民が戦争にいかさせることを美化するなどいろいろな問題があるが、現状においてもっとも問題になることは、日本を戦争に導いていったとみなされ、極東国際軍事裁判において、A級戦犯として認定されて、処刑もしくは獄死した戦争指導者たちが合祀されており、そのような靖国神社への首相参拝は戦前の日本軍国主義を顕彰しているとみなされることであった。そのことを明確に批判しているのが中国政府であるが、日本国内でもそのような批判があり、昭和天皇はA級戦犯合祀を認識してから「平和」意識にかけているとして靖国参拝はしておらず、現天皇も踏襲している。しかし、安倍晋三は、戦争指導者たちと一般国民を「一体化」してとらえ、たぶん、中国・韓国から批判されることを念頭に置いた上で、靖国神社に参拝することで、現在の国民と安倍政権の一体化をはかろうとしたとみることができよう。そして、安倍個人にとっては、A級戦犯であった自らの祖父岸信介の名誉を回復する営為でもあった。なお、前回のブログでは書き落としたが、安倍首相にとっては、特定秘密保護法強行成立で下落した自らの支持率を回復することも期待していたといえる。

安倍首相にとって、中国・韓国からの批判は、もちろん「想定内」のことであった。むしろ、中国・韓国から批判されることで、日本国民のナショナリズムを高揚させようと考えていたと思われる。しかし、これらの国だけではなく、アメリカも、靖国参拝に「失望」の意を表明した。まず、「失望」を示した、アメリカ大使館声明をみておこう。

安倍首相の靖国神社参拝(12月26日)についての声明

*下記の日本語文書は参考のための仮翻訳で、正文は英文です。

2013年12月26日

 日本は大切な同盟国であり、友好国である。しかしながら、日本の指導者が近隣諸国との緊張を悪化させるような行動を取ったことに、米国政府は失望している。

 米国は、日本と近隣諸国が過去からの微妙な問題に対応する建設的な方策を見いだし、関係を改善させ、地域の平和と安定という共通の目標を発展させるための協力を推進することを希望する。

 米国は、首相の過去への反省と日本の平和への決意を再確認する表現に注目する。http://japanese.japan.usembassy.gov/j/p/tpj-20131226-01.html

この声明は、最初、アメリカ大使館声明として出されたが、その後、同じ内容で国務省声明で出された。格上げされたといえるだろう。その内容は、なかなか微妙である。まず、冒頭で日本が同盟国であることを強調しながら、靖国参拝については日本の指導者が「近隣諸国との緊張を悪化させるような行動」とし、「米国政府は失望している」と述べている。そして、日本と近隣諸国(つまりは、中国・韓国など)にともに、過去の歴史問題に対する建設的方策を見いだし、関係を改善し、地域の平和と安定という共通の目標を達成するために協力することを呼びかけている。日本だけではなく、中国・韓国などにもよびかけているというのがミソである。緊張悪化につながる靖国参拝には「失望」しているが、歴史問題を解決し、地域の平和と安定は、日本だけではなく、中国・韓国などの課題としている。さらに、最後に「米国は、首相の過去への反省と日本の平和への決意を再確認する表現に注目する」と述べている。これは、靖国参拝にあたり安倍首相が発表した談話に「日本は、二度と戦争を起こしてはならない。私は、過去への痛切な反省の上に立って、そう考えています」としているところを評価しているといえる。ただ、この談話において、確かに「平和への決意」は他でも述べられているが、「反省」とみられる文言はここにしかなく、アメリカ大使館もかなり苦労していることと思われる。

とりあえず、かなり気を使って、一方的にならないようにアメリカ政府が努力しているとはいえる。しかし、それでも、首相の靖国参拝について、アメリカ政府は近隣諸国との緊張を高めるという意味で「失望」と表現したのである。

靖国参拝について、それまでアメリカ政府はコメントしたことはなかった。今回が初めてである。その背景について、共同通信は次のように報道している。

【首相靖国参拝】 「失望」の裏に憤り 米、参拝静観に決別 

 近隣諸国との緊張を悪化させるような行動を取ったことに失望している―。米政府が26日、安倍晋三首相の靖国神社参拝を批判する声明を発表、日中韓の緊張緩和に向けた仲介努力を台無しにされたことに憤りをにじませた。中国が東シナ海上空に防空識別圏を設定したことを直ちに非難し、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設前進へ安倍政権と二人三脚で取り組んできた米政府に何が起きたのか。
 ▽首相の不満
 「これだけ靖国参拝を我慢しているのに、中韓は対話を拒否している。首相は不満を募らせている」。今秋訪米した日本政府高官はこう漏らしていた。
 しかし東アジアの安定のためには、日韓、日中関係の悪化は望ましくないというのが米政府の基本的立場だ。首相の靖国参拝は同盟国指導者の行動でもあり、小泉政権時代は直接の批判を避けてきた。今回の声明内容はもちろん、声明を出したこと自体も従来と比べて一歩踏み込んだ厳しい対応といえる。
 米当局者によると、声明の表現としては「遺憾」や「懸念」も上がったが、日本側に明確なメッセージを送る必要があると判断し「失望」に落ち着いた。声明を出さないという議論はなかったようだ。

 ▽政権の違い
 「失望という言葉は予想していなかった」と語る日本政府筋は、小泉政権時代との対応の差を米政権の違いに求める。同盟国重視とされる共和党のブッシュ前政権であれば、今回のような声明は出さなかったとの見方だ。
 声明を「完全な間違い」と批判するシンクタンク、アメリカン・エンタープライズ研究所のオースリン日本研究部長は「日本を批判するべきではない。米国は中国の味方と受け止められる」と指摘する。
 しかし、安全保障問題に詳しい米民主党関係者は、防空圏や沖縄県・尖閣諸島をめぐる日中対立など東アジア情勢の緊迫化を指摘、ブッシュ政権時代と同じように論じるのは無理があると反論する。「共和党政権でも民主党政権でも変わらないだろう。事態を一層悪化させる動きには強く反応せざるを得ない」
 ▽はしごを外す
 オバマ政権が衝撃を受けたのは、今月上旬にアジアを歴訪したバイデン副大統領が、日中韓首脳に関係改善を求め「一定の成功を収めたという認識があった」(日米関係筋)からだ。
 特に韓国の 朴槿恵 (パク・クネ) 大統領に対し、バイデン氏は日本との関係修復を迫っただけに、オバマ政権内では安倍首相に「はしごを外された」との憤りが生まれたようだ。
 年末休暇でひっそりしている首都ワシントンで、日本政府関係者は靖国参拝に関する各方面への説明に追われている。安倍首相に付けられる「ナショナリスト」という枕ことばも当面消せなくなった。来年は日本外交にとって波乱の1年になりそうだ。(ワシントン共同=有田司)
(共同通信)
2013/12/29 17:48
http://www.47news.jp/47topics/e/248975.php

この記事によれば、アメリカの対アジア政策の基調は本地域の安定であり、そのためには、日中・日韓関係の悪化はもっとも避けなければならないとしている。そして、今月上旬に日中韓諸国を訪問したバイデン副大統領はそれぞれに関係改善を求めたのだが、今回の参拝は「はしごを外された」ものとして、憤りが生まれたとしているのである。

アメリカ政府は、それ以前から、靖国首相参拝はさけるべきだというメッセージを発していた。例えば、NHKは次のように12月26日に報道している。

ことし10月に日米の外務・防衛の閣僚協議が東京で行われた際には、ケリー国務長官とヘーゲル国防長官がそろって、千鳥ヶ淵の戦没者墓苑を訪れ、花をささげました。
アメリカで、戦没者を埋葬するアーリントン国立墓地に当たる日本の施設は、千鳥ヶ淵の戦没者墓苑だと位置づけることで、安倍総理大臣に靖国神社への参拝を自粛するよう求めるメッセージを送るねらいがあったものとみられます。http://www3.nhk.or.jp/news/html/20131226/k10014135741000.html

婉曲な形で、戦歿者追悼について、靖国神社は不適当であると暗示していたといえよう。

それでは、安倍政権はどのような認識を持っていたか。朝日新聞朝刊(12月27日付)は「参拝日は、この日しかなかった。首相は25日、沖縄県の仲井真弘多知事と会談し、最後の懸案だった普天間問題が節目を越えた。米国は政権の努力を買っており、『参拝ショック』も和らぐと読んだ。26日は政権発足から1年の節目で、対外的に説明もついた」と報じている。結局、普天間基地の辺野古移転と首相靖国参拝がバーターされた形になっており、このこと自体が問題だが、基地問題で最大限の便宜をはかれば、アメリカは強く批判しないと思っていたらしい。

そして、「失望」が表明されても、首相周辺はそれほど深刻には受け止めようとはしていない。朝日新聞朝刊(12月28日付)では、「首相周辺は米国の批判を当初、『在日米国大使館レベルの報道発表だ』。その後、国務省が同様の談話を発表すると、政府高官は『別の言葉から『失望』に弱めたと聞いている』と語った。官邸から外務省には『参拝で外交に悪影響が出ると記者に漏らすな』と伝えられたという」と述べている。また、「『誤解』との表現で自らの参拝の正当性を訴えた首相に対し、米国の反応は『失望』だったが、首相周辺の危機感は薄い。政権幹部は『米国はクリスマス休暇中だし、言葉を練れていなかったのではないか」と分析。側近の一人は『米国は同盟国なのにどうかしている。中国がいい気になるだけだ』と不満を漏らした」と報道している。結局、ほとんどまともに認識しようとせず、さらに、悪影響を隠蔽し、逆ギレしている始末である。ここまでくると「裸の王様」としかいえないだろう。

もちろん、政権内部でも困惑の声がある。前述の朝日新聞は、次のように報道している。

 

ただ、政権の足元では、懸念の声が強まり始めている。外務省幹部は「『失望』という表現はショックだ。米国との間にすきま風が吹くと中国、韓国、北朝鮮が日本に強く出てくる」と指摘した。
 日米のきしみは、普天間問題にも影を落とした。…(普天間基地問題で日本政府の営為をアメリカが評価しているとした上で)だが、靖国参拝で効果は相殺される結果になった。政府関係者は27日、こう嘆いた。「靖国参拝のおかげで沖縄がかすんでしまった。歴史的な進展なのに」

結局、現実には悪影響はさけられず、普天間問題の「進展」さえ、免罪符にはならなかったのである。

そして、このアメリカ政府の「失望」表明に続いて、ロシアは「遺憾」の意を表明し、EUも緊張緩和や関係改善に寄与しないと指摘し、国連事務総長も「遺憾」であるとした。今まで、靖国参拝にコメントを出してこなかったような国なども批判的コメントを発表したのである。そして、欧米を中心に、外国の諸新聞もおおむね批判的な報道を行っているにいたっている。

アメリカ政府の「失望」声明に「同盟国」としての日本の立場への配慮があり、そのことからみても、短期的には日本はアメリカの「同盟国」としてのあつかいを受けるであろう。しかし、最早、中国・韓国という「近隣諸国」からだけでなく、国連を含めた世界各国から安倍政権は警戒されるにいたった。安倍政権としては、アメリカに従属した形で「戦後政治の総決算」をすすめていこうとするだろうが、長期的にいえば、祖父岸信介が首相を務めていた冷戦期と違って、アメリカが一方的に日本の「安全」を「保障」するいわれはないのである。その当時、アメリカは中国・ソ連などの共産圏と対抗しており、それに協力するならば、アメリカは独裁国家でも「同盟」していた。日本で岸のようなA級戦犯を含む戦前の支配層が復権し、さらに自衛隊が保有できたのは冷戦による国際秩序があったためである。今や、冷戦はなく、アメリカにとって、中国やロシアは、無条件に対抗する存在ではなくなった。もちろん、それぞれ「懸念」しなくてならないことはあるが、むしろ「協調」して現在の国際秩序を維持しようとする志向が強いだろう。そのような中、靖国神社参拝は、アジア諸国からだけでなく、アメリカを含めた国際社会全体から「孤立」化をまねくことになるのだ。しかし、安倍晋三首相は、そのことに目をつぶり、「裸の王様」となっているのである。

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2013年12月26日、安倍晋三首相が靖国神社を参拝した。中国・韓国が激しく反発しただけではなく、アメリカも「失望」を表明し、EU・ロシアや国連事務総長報道官も懸念を表明するように、日本の外交的孤立を招くことになった。

靖国神社参拝には、憲法の政教分離原則についての侵犯、さらに戦争で死んだ軍人・軍属を神として祀ることで、戦争によって死ぬということを美化しているのではないかなど、さまざまな問題がある。ただ、、現状において、中国・韓国などより批判にされていることは、日本をアジア太平洋戦争開戦に導き、戦後、「平和に対する罪」などで、極東国際軍事裁判で裁判され、死刑もしくは獄中死した東条英機などのA級戦犯が合祀され、彼らも神として参拝しているということである。

さて、どのような論理で批判しているのか。例えば、中国側の批判をみてみよう。2006年12月11日、王毅駐日中国大使(当時)は、新華社「環球」誌の年末インタビューにおいて、安倍晋三首相(第一次)が、靖国神社参拝をとりやめ、日中首脳会談を実現したことを評価しつつ、靖国神社参拝問題について、次のように述べている。

周知のように、戦後中日関係が再び発展できた政治的基礎は、日本政府が戦争の侵略的性格とその責任を認め、この歴史に正しく対処することである。だがA級戦犯はかつての日本軍国主義の責任者の象徴であり、A級戦犯を美化または肯定する言動にも、中国人民はどうしても同意できないし、アジア各国と国際社会としても受け入れ難い。
http://www.china-embassy.or.jp/jpn/zrgxs/t284043.htm

まず、みなくてはならないのは、とりあえず、靖国神社に首相が参拝することを問題にしているわけではないことである。中国側からいえば、A級戦犯は日本軍国主義の責任者の象徴であり、靖国神社への参拝は、彼らを美化することなのである。つまり、A級戦犯が靖国神社に合祀されていることが問題なのである。

実は、A級戦犯合祀は、戦後すぐからではない。1978年からである。それ以前は、あまり問題とされず、首相や昭和天皇も参拝していた。しかし、A級戦犯合祀は、昭和天皇に不快感を与えることとなり、以来、昭和天皇も現天皇も靖国神社参拝をとりやめた。元宮内庁長官である富田朝彦が、1988年4月28日にかきとめた昭和天皇の言葉が残っている。

私は或る時に、A級が合祀され
その上 松岡、白取までもが
筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが
松平の子の今の宮司がどう考えたのか
易々と
松平は平和に強い考えがあったと思うのに
親の心子知らずと思っている
だから 私あれ以来参拝していない
それが私の心だ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%8C%E7%94%B0%E3%83%A1%E3%83%A2

文中であげられている「松岡」は松岡洋右元外相、「白取」は白鳥敏夫元駐イタリア大使、「筑波」は元靖国神社宮司筑波藤麿、「松平の子」は松平慶民(元宮内相)の子で靖国神社宮司であった松平永芳とみられる。つまり、筑波藤麿宮司はA級戦犯合祀をさしとめていたのに、松平永芳宮司は合祀を認めてしまったことに憤り、それ以来参拝していないことを「私の心」としているのである。

その上で、父親の松平慶民には「平和に強い考え」があったのに、その心を子どもは受け継がず、「親の心子知らず」と評しているのである。

この昭和天皇の発言は微妙である。結局、極東国際軍事裁判では裁かれることはなかったが、国内外に昭和天皇の戦争責任をとう声は、戦争直後もあったし、今でも存在している。それらに対して、昭和天皇は、自身の戦争責任を否定した。しかし、昭和天皇からみても、戦争を指導していたA級戦犯たちは、靖国神社でまつるべき存在ではなかったのである。そして、その判断の基軸になったのは、「平和」なのであった。昭和天皇なりの「戦後」への適応がここにはみられるといえよう。実は、このような姿勢は、中国などの批判とも相通じているだろう。

考えてみれば、当たり前のことだが、国家の命令により戦争にいって命を落とした人びとと、そのような命令を出した指導者たちがその罪をとわれて死ぬことは、同じではないのである。もちろん、戦死者の多くは軍人であって、その営為により犠牲者が出ており、さらには命令を出していた将校たちも含まれるので微妙であるのだが。それでも、権力をもっている統治者と、それに従うしかない被統治者は、同じ立場ではないのだ。

さて、それでは、安倍晋三自身は、どのように自身を弁明しているのか。12月26日に出した談話全文を、時事通信のネット記事からみておこう。

靖国神社参拝に関する安倍晋三首相の談話全文は次の通り。
 本日、靖国神社に参拝し、国のために戦い、尊い命を犠牲にされたご英霊に対して、哀悼の誠をささげるとともに、尊崇の念を表し、み霊安らかなれとご冥福をお祈りしました。また、戦争で亡くなられ、靖国神社に合祀(ごうし)されない国内、および諸外国の人々を慰霊する鎮霊社にも、参拝いたしました。
 ご英霊に対して手を合わせながら、現在、日本が平和であることのありがたさをかみしめました。
 今の日本の平和と繁栄は、今を生きる人だけで成り立っているわけではありません。愛する妻や子どもたちの幸せを祈り、育ててくれた父や母を思いながら、戦場に倒れたたくさんの方々。その尊い犠牲の上に、私たちの平和と繁栄があります。
 きょうは、そのことに改めて思いを致し、心からの敬意と感謝の念を持って、参拝いたしました。
 日本は、二度と戦争を起こしてはならない。私は、過去への痛切な反省の上に立って、そう考えています。戦争犠牲者の方々のみ霊を前に、今後とも不戦の誓いを堅持していく決意を、新たにしてまいりました。
 同時に、二度と戦争の惨禍に苦しむことが無い時代をつくらなければならない。アジアの友人、世界の友人と共に、世界全体の平和の実現を考える国でありたいと、誓ってまいりました。
 日本は、戦後68年間にわたり、自由で民主的な国をつくり、ひたすらに平和の道をまい進してきました。今後もこの姿勢を貫くことに一点の曇りもありません。世界の平和と安定、そして繁栄のために、国際協調の下、今後その責任を果たしてまいります。
 靖国神社への参拝については、残念ながら、政治問題、外交問題化している現実があります。
 靖国参拝については、戦犯を崇拝するものだと批判する人がいますが、私が安倍政権の発足したきょうこの日に参拝したのは、ご英霊に、政権1年の歩みと、二度と再び戦争の惨禍に人々が苦しむことの無い時代を創るとの決意を、お伝えするためです。
 中国、韓国の人々の気持ちを傷つけるつもりは、全くありません。靖国神社に参拝した歴代の首相がそうであったように、人格を尊重し、自由と民主主義を守り、中国、韓国に対して敬意を持って友好関係を築いていきたいと願っています。
 国民の皆さんのご理解を賜りますよう、お願い申し上げます。(2013/12/26-13:41)
http://www.jiji.com/jc/zc?k=201312/2013122600349&g=pol

この談話にはいろいろあるが、「今の日本の平和と繁栄は、今を生きる人だけで成り立っているわけではありません。愛する妻や子どもたちの幸せを祈り、育ててくれた父や母を思いながら、戦場に倒れたたくさんの方々。その尊い犠牲の上に、私たちの平和と繁栄があります。」という観点のもとに、靖国神社に合祀されている戦争犠牲者に「不戦の誓い」をするということが、全体の論理といえる。その上で、「靖国神社への参拝については、残念ながら、政治問題、外交問題化している現実があります。靖国参拝については、戦犯を崇拝するものだと批判する人がいますが、私が安倍政権の発足したきょうこの日に参拝したのは、ご英霊に、政権1年の歩みと、二度と再び戦争の惨禍に人々が苦しむことの無い時代を創るとの決意を、お伝えするためです。」といっている。A級戦犯と軍人・軍属の戦死者をわけていないのである。確かに、戦争犠牲者ーといっても、彼らの多くは軍人であり、彼らの営為で当然ながら死傷した人たちが数多くいたことを忘れてはならないがーの前で「不戦の誓い」をすることは理解できなくはない。しかし、A級戦犯という戦争責任者の前で「不戦の誓い」をするというのは、理解に苦しむことになるだろう。昭和天皇は、A級戦犯合祀に「平和に強い考え」がないとしているのであり、昭和天皇からみても、理解に苦しむことになろう

といっても、安倍晋三はそうは考えないだろう。彼にとって、国民は統治者であろうが被統治者であろうが「一体」であり、それがすべてなのだろう。ゆえに、靖国神社に、「戦争犠牲者」というくくりで、一般の戦死した軍人・軍属と、彼らを死地に赴かせた「戦争指導者」たちがともに合祀されても問題とは思わないのであろう。むしろ、中国・韓国を刺激し憤激させることで、それに対抗して、安倍政権と一般国民を「一体」化するということが戦略的に目指されていると考えられるのである。このことは、他方で、自身の祖父岸信介も含めたA級戦犯総体の復権にもつながっていくのである。

*執筆するにあたってWikipediaの「靖国神社問題」を参考にした。昭和天皇発言などで疑問のある方は、そちらを参照され、それでも疑問が解けない場合は、それぞれの典拠をみてほしい。なお、昭和天皇の発言は、文中で述べたように、問題をはらんでいないというわけではない。ただ、戦争責任を問われかねない昭和天皇からみてA級戦犯はどういう人たちと認識しており、安倍晋三とかなり異なった認識をもっていたことを示すために引用した。

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昨日である2013年2月11日、「歴史の逆流を許さず憲法を力に未来をひらこう」ということをテーマにして、「建国記念の日反対2・11集会が日本橋公会堂ホールで開催された。講演は渡辺治氏(一橋大学名誉教授)の「新段階の日本政治と憲法・アジア」であり、その他、反原発の運動、東京の教科書問題、沖縄と基地・安保についての現場からの発言があった。参加者は約450名であり、NHKテレビのニュースにも報道された。なお、2・11集会は、東京だけでなく、全国各地の都市でも開催されている。ここでは、NHKがネット配信した記事をあげておく。

建国記念の日 各地で式典や集会
2月11日 18時6分

建国記念の日の11日、これを祝う式典や、反対する集会が、各地で開かれました。

このうち東京・渋谷区では、神社本庁などで作る「日本の建国を祝う会」が式典を開き、主催者の発表でおよそ1500人が参加しました。
主催者を代表して、國學院大学教授の大原康男さんが、「建国記念の日を日本再生に向けた確実な一歩とすべく、改めて決意したい」とあいさつしました。
そして、「新政権は、憲法改正など国家の根本に関わる問題に着手しつつある。誇りある国造りへ向けて、尽力することを誓う」などとする決議を採択しました。
参加した40代の女性は、「領土問題をきっかけに、若い世代を中心に国の在り方を議論すべきだと感じるようになりました。憲法を改正し、子どもたちが安心して暮らせる世の中にすべきだ」と話していました。
一方、東京・中央区では、歴史研究者や教職員など主催者の発表でおよそ450人が参加して、建国記念の日に反対する集会が開かれました。
この中で、一橋大学名誉教授の渡辺治さんが、「総選挙で、改憲を志向する政党が勢力を大きく伸ばすなか、平和憲法を守ることの意味を改めて考えるべきだ」と述べました。
そして、「国防軍設置が主張されるなど憲法は戦後最大の危機にある。歴史の逆流を許さず、憲法を力として、平和なアジアと日本社会の未来を開こう」などとする宣言を採択しました。
参加した高校3年生の女子生徒は、「平和を守るうえで、憲法の存在は非常に大きいと考えています。私はまだ有権者ではありませんが、もし憲法改正が問われれば、きちんと考えて判断したいと思います」と話していました。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130211/k10015437921000.html

現在、私は東京歴史科学研究会という団体の代表をつとめており、この団体は「建国記念の日に反対し思想・信教の自由を守る連絡会」(2・11連絡会)という本集会の主催団体の事務局団体の一つであったため、この集会の開会あいさつをすることになった。2・11集会の開会あいさつを行うにあたって、ある程度、この集会が開始された際の状況を調べた。もちろん、あいさつには一部しか利用できなかった。そこで、このブログで、もう少し、東京の2・11集会が開始された状況についてみておこう。

「建国記念の日」の源流は、1872年に明治政府が定めた「紀元節」である。この「紀元節」の日取りは、初代神武天皇が即位した日を2月11日と比定して定められた。戦前においては、四方節(元日)、明治節(明治天皇誕生日)、天長節(当代の天皇誕生日)とならんで、学校の場で、教育勅語がよみあげられ、御真影(天皇の画像)への遥拝が行われており、天皇制教育の一つの柱であった。しかし、戦後、GHQの指令により「紀元節」は廃止された。

この紀元節が「建国記念の日」として復活したのが、高度経済成長期の1967年である。前年の1966年、佐藤栄作政権によって祝日法が改正されて「建国記念の日」が設けられることになった。そして、学識経験者からなる建国記念日審議会に諮問するという形をとって、「建国記念の日」が2月11日に定められ、1967年から設けられることになった。

この建国記念の日については、当時の歴史学界ではおおむね反対していた。そして、実際に1967年2月11日の第一回建国記念の日において、全国各地で抗議行動が行われた。東京では、有力な歴史学会の一つである歴史学研究会が「『建国記念の日』に反対する歴史家集会」を開催した。歴史学研究会の機関誌である『歴史学研究』324号(1967年5月)には「『建国記念の日』に反対する歴史家集会」記事(松尾章一文責)が掲載されている。まず、その状況をみてみよう。

 

 当日の東京の朝は、前夜からふりつづいた何年ぶりかの大雪のために、白一色にうずまっていた。いぜんとしてはげしくふりしきるふぶきにもかかわらず、集会のはじまった午前10時半には、200名をこえる参集者で会場となった全逓会館の9階ホールはほとんど満員となった。
 集会は歴研委員会の会務幹事である江村栄一氏の開会の挨拶ではじめられた。まず議長団に土井正興、松尾章一の両名が選出されたあと、石母田正氏の講演が行われた。(『歴史学研究』324号p71)

なお、石母田正の講演のあと、太田秀通歴研委員長が集会の世話役として運動の経過と今後の決意を述べた。さらに歴史教育者協議会の佐藤伸雄が、

紀元節復活反対運動は、歴史家がもっとも早くからとりくんできた。しかしながら、マスコミなどによってこの問題は、歴史家や宗教家の問題であるかのようにいわれる傾向がつよかったために、反対運動をすすめてゆく革新陣営の側にも弱さがあった。このことが運動の発展にとって大きな障害となった。これは歴史家が反省するより以上に、歴史学界以外の各界の人々の側にも責任がある。今後はさまざまな分野の人々との連けいによる反対運動を組織する必要がある。
(『歴史学研究』324号p72)

と指摘した。

その後、各地での集会の状況などが報告され、活発なーというかかなり激しい討論が行われた。その上で、建国記念の日に反対する声明が提案され、採択された。

なお、重要なことは、この集会は「歴史家の集会」であって、一般の人びととは分離された形で行われたことである。記事では、次のように説明されている。

 

この集合の最初の予定は午前10時から12時までで、その後、同じ会場でおこなわれる国民文化会議主催の「『建国記念の日』ー私たちはどう考えるか」というシンポジュームがおこなわれることになっており、この集会にわれわれ歴史研究者、歴史教育者を中心とするこの集会に参加した全員が、軍国主義、帝国主義、天皇制の復活に反対し、これと対決してたたかう日本人民の1人として午後からの集会に合流することになっていた。そのために、国民文化会議のお骨折りで、われわれの集会を同じ会場で午前中におこなうことができるようにご援助をいただき、そのうえ、午後の集会の時間をずらして、われわれの集会を1時間ほど延長させていただいたご好意に厚く感謝したい。
 最後に、第1回の「建国記念の日」反対集会(今後、廃止される日まで毎年続けていくべきである)は、成功裡に終り、かつ今後のわれわれのたたかいにとってきわめて有意義なものであったことを記して、この簡略にして不十分な報告を終わらせていただくことにする。
(『歴史学研究』324号p72〜73)

このように、歴史学研究会主催の「歴史家の集会」と、労働組合のナショナルセンターであった総評などが結成した国民文化会議主催のシンポジウムは、会場こそ同一だが、時間をわけて実施されたのである。この状況は、それこそ、佐藤が指摘しているような、歴史家と「革新陣営」全体が十分連携していないことの象徴にもみえるといえよう。

しかし、1967年中にも、この状況はかえられていくことになった。これもまた有力な歴史学会の一つである歴史科学協議会が発行している『歴史評論』210号(1968年2月)には、次のような記事が載せられている。

 「

明治百年祭」「靖国神社法案」反対の集会開かれる!
 「建国記念の日」反対のたたかいをおしすすめてきた紀元節問題連絡会議(総評、日教組、憲法会議、日本宗平協、歴教協など広汎な団体が参加)は、昨年十一月九日、東京銀座の教文館で、「明治百年祭」と「靖国神社法案」反対の研究集会をもちました。
 集会は、松尾章一氏から「明治百年祭をめぐる問題」、芳賀登氏から「靖国神社創設の問題」の二つの報告をうけたあと、強まる反動攻勢にたいしどう対処していくべきかという問題を中心に熱心な討議がおこなわれました。たとえば、不服従の姿勢のよりどころをどこにおくか、民主的な憲法や強固な労働組合組織をもっているとはいえ、具体的にみれば、悲観的な材料がけっしてすくなくないこと、伊勢神宮に海上自衛隊が集団参拝した事例などが提起・報告されました。
 なお、同会議がよびかけ人となり、実行委を結成、来る二月十一日全電通会館(東京お茶の水)において、「紀元節復活・靖国神社国営化・明治百年祭に反対する中央集会」が開かれることになりました。(平田)
(『歴史評論』210号p69)

この「紀元節問題連絡会議」こそ、現在の2・11集会の主催団体である「『建国記念の日』に反対し思想・信教の自由を守る連絡会」の源流である。現在の集会でも都教組が参加しているが、この時は、総評・日教組・憲法会議(憲法改悪阻止各界連絡会議)・日本宗平協(日本宗教者平和協議会)・歴教協が参加しており、労働組合の比重が大きいといえる。議論の中でも「強固な労働組合組織」があることが前提となっている。単に「紀元節復活」反対だけでなく、靖国神社国家護持問題や、1968年に予定されていた「明治百年祭」など、より広汎な歴史的な問題に対する国家の「攻勢」に対処していくことがめざされていた。そして、ここから、一般の人々と歴史家がともに集まる、「2・11集会」のスタイルが作り出されたといえるのである。

1968年2月11日に開催された、東京の「2・11集会」について、『歴史評論』212号(1968年4月)において、次のように叙述されている。

戦争準備の思想攻勢を告発するー「紀元節」復活、靖国神社国営化、「明治百年祭」に反対する中央集会ー
 二月十一日、第二回「建国記念日」を迎え、「『紀元節』復活・靖国神社国営化・『明治百年祭』に反対する中央集会が東京全電通ホールで開催された。主催は「紀元節」問題連絡会議で、総評・日教組・国民文化会議ほか三十団体がこれに結集した。歴科協は歴研・歴教協とともに新たに加盟し、集会の成功のため積極的に働いた。
 集会は、権力側が急ピッチに進めている戦争準備の思想攻勢に加えて、エンタープライズ「寄港」、プエブロ事件、南ベトナム諸都市における解放軍民の決起、倉石農相憲法否定発言など緊迫した内外情勢を反映し、定員四百四十名の会場に千三百名が溢れ、届出六百名のデモに千名が参加するという盛りあがりを見せた。
 十二時半、京都府作製の護憲スライド「この樹枯らさず」上映で幕をあけ、家永三郎、高橋磌一両氏の講演が行われた。家永氏は「教科書問題と明治百年」と題し、教科書問題に露呈されたところの、政府の意図する歴史の軍国主義的偽造を告発し、高橋氏は「明治百年と国防意識」と題して、「紀元節」も「明治百年」も、教育・思想・文化の軍国主義化、さらには七〇年安保改定に向けての権力側の布石であると強調した。ついで別に女子学院で千六百名の大集会を成功させたキリスト者の集会を代表して日本キリスト教団総会議長鈴木正久氏のメッセージ、「紀元節」復活反対の声明を出した日歴協(日本歴史学協会)を代表して副会長林英夫氏の挨拶のあと、社会党猪俣浩三、共産党米原いたる、宗平協中濃教篤、教科書訴訟全国連絡会四位直毅、マスコミ共闘上田哲の諸氏から報告と決意表明があり、主催団体を代表して国民文化会議日高六郎氏が総括を行った。最後に倉石農相罷免要求の決議と集会アピールが採択され、午後四時閉会した。
 散会後、明大および東京教育大の学内集会を成功させ、会場まで行進してきたデモ隊と合流し、十数年来はじめて許可をかちとった日本橋の目抜き通りを東京駅八重洲口まで、力強いデモ行進が行われた。
   決議文
 アメリカのベトナム侵略戦争が、ますます狂暴化するなかで、これに対する佐藤政府の加担は、昨年十一月の「日米共同声明」いらい、内外の多くの人々の反対にもかかわらず急速に深まってきています。すなわち、佐藤政府はアメリカの原子力空母エンタープライズの日本寄港をゆるし、沖縄復帰の国民の念顧をうらぎり 沖縄の「核つき返還」を促進し、日本全土の核基地化を公然とすすめようとしています。
 また外国人学校制度法案の国会上提をもくろみ、東京都私学審議会における朝鮮大学校の認可問題に不当な圧力をかけるなど在日朝鮮公民の諸権利の抑圧をおしすすめ、北朝鮮帰国を一方的に打切り、さらに、日本を基地として出発したプエブロ号の朝鮮民主主義人民共和国に対する挑発行動をゆるしています。それは政治的・軍事的な面ばかりではなく教育・文化・思想の領域においてもはげしくおしすすめられております。「自分の力で自国を守らなければならない」という佐藤首相の発言、「小学校から防衛意識を植えつけなければならぬ」という灘尾文相の談話、「憲法は他力本願で……こんなばかばかしい憲法をもっている日本はメカケのようなもの……日本にも原爆と三十万の軍隊がなければだめだ」という倉石農相の発言などに、端的に示されています。
 政府・自民党は、さらに、「建国記念の日」の制定つまり旧紀元節の復活、社会科教育への神話のもちこみや公民教育の復活などにくわえて、国会に靖国神社の国営化法案の提出の準備を急いでいます。これらは、ベトナム侵略戦争に積極的に加担している政府が、軍国主義をもりあげ、「国家愛」の美名のもとに国民を戦争にかりたてようとするものです。そのため、政府は、教科書の事実上の検閲をさらにつよめ、放送法の改悪をたくらむなど、さまざまな形で思想統制を強化してきています。
 今年は、これらにつづいて「明治百年祭」の一大カンパニアを展開しています。明治いらい「大日本帝国」政府は、国民の平和と民主主義を求める希望を裏切り、そのための努力をねじまげ、朝鮮、中国をはじめアジア諸国に対する残虐な侵略をおこない、国民にもはかりしれない犠牲をおわせました。政府は、そのようなような事実をおおいかくし、過去の軍国主義の道を栄光化する歴史解釈を、「明治百年祭」のお祭りさわぎのなかで国民におしつけてきています。
 これはまさに、日本国憲法の平和と民主主義の原則を真向から否定しようとするものであり、憲法改悪への道にそのまま通ずるものであります。心から祖国を愛し、真の独立と平和と民主主義とをもとめてやまないわたしたちは、このようなたくらみをだんじてゆるすことはできません。
 旧「紀元節」が復活されて、二度目の二月十一日をむかえ、ひろく各界から「紀元節」復活・靖国神社国営化・「明治百年祭」に反対する中央集会に結集した私たちは、全国いたるところでまきおこっている反対運動と呼応しながら、これら一連の戦争準備の反動思想攻勢を断固として告発し、力をあわせて、あくまでもそれに反対してたたかいぬくことを誓います。
   1968年2月11日
            「紀元節」問題連絡会議
大塚史学会 大塚史学会学生部委員会 映像芸術の会 「紀元節」問題懇話会 「紀元節」に反対する考古学者の会 教科書検定訴訟を支援する会 憲法改悪阻止各界連絡会議 憲法擁護国民連合 国民文化会議 駒場わだつみ会 社会主義青年同盟 新日本婦人の会 東京都教職員組合連合会 日本科学者会議 日本キリスト教団 日本教職員組合 日本高等学校教職員組合 日本子どもを守る会 日本児童文学者協会 日本宗教者平和協議会 日本戦没学生記念会 東京地区大学教職員組合連合会 日本婦人会議 日本民主青年同盟 日本労働組合総評議会 婦人民主クラブ マスコミ産業労働組合共闘会議 歴史科学協議会 歴史学研究会 歴史教育者協議会
(『歴史評論』212号p62〜63)

このことから、次のようなことがわかるといえる。まず、総評(日本労働組合総評議会)や日教組、都教組などの労働組合が大きな比重をもつ形で「紀元節問題連絡会議」が結成されたということができる。その上で、構成団体として、社会党系団体(憲法擁護国民連合、社会主義青年同盟、日本婦人会議など)と共産党系団体(新日本婦人の会、憲法改悪阻止各界連絡会議、日本民主青年同盟など)が共存しているのである。そして、集会自体でも社会党員と共産党員がともにあいさつをしている。総評は、全体的には社会党系といえるが、反主流派として共産党系の人々もいた。その意味で、内部抗争がたえなかったといいうるが、逆に、労働組合の組織力を基盤とし、さらに社会党系の人々と共産党系の人々を結びつけて大きな運動を展開しうる可能性を有していた。その可能性が発揮されたのが、この「紀元節問題連絡会議」だったといえる。1967年2月11日の「歴史家の集会」では200名しか参加していなかったが、1968年2月11日の集会では1300名が参加し、1000名のデモ行進まで行われたのである。ある意味で、1960年の安保闘争にも類似しているといえる。総評や日教組もいろいろ問題を抱えていたといえるが、社会運動において、生活の場に拠点を有する労働組合の存在は大きいといえる。現在の2・11集会においても、労働組合である都教組の存在は大きい。このように、現在においても社会運動における労働組合は重要な存在なのである。

他方で、この場が、当時の歴史家たちの「社会参加」の「場」にもなったといえる。1968年の集会では、「建国記念の日」反対だけでなく、当時の佐藤政権のさまざまな問題に言及しながら、それらを「戦争準備」の動きとし、建国記念の日設定、靖国神社国営化、明治百年祭実施などを「戦争準備の思想攻勢」として総体として批判するというスタンスをとった。ある意味で、狭義の「歴史問題」だけではなく、そのような「歴史問題」を、労働組合も参加した集会において社会全体の動向をふまえて把握し、訴えていくことになったといえる。そのような意味で、当時の歴史家たちの「社会参加」の場でもあったといえよう。

わたしのあいさつでも話したが、今や、佐藤栄作の時代よりもはるかに強い形で、「思想攻勢」は進められている。そして、抵抗の拠点となった総評はもはや存在しない。それでも、いまだに1960年代の社会運動の伝統は、「2・11集会」という形で生き続けている。そして、創立された1960年代の時よりも、今のほうが、大きな意義をもつようになっているのである。

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