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さて、前回のブログで、11月23日に福島県楢葉町を踏査したことを述べた。その後、海岸線を南下し、広野町をぬけて、いわき市に入った。

いわき市の小名浜地区には、アクアマリンふくしまという水族館がある。2000年に開館した水族館で、私も10年ぐらい前に行ったことがある。この水族館は、小名浜港にあり、3.11においては、津波により、多大な被害を蒙った。Wikipediaには、次のように書かれている。

東日本大震災[編集]
2011年(平成23年)3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)では揺れによる建物への損傷こそ殆ど無かったが、巨大な津波が施設の地上1階全体を浸水させこれにより9割の魚が死亡した。
その後は自家発電装置で飼育生物の生命維持装置である濾過装置などを稼働していたが、日動水の支援もあり3月16日にセイウチなど海獣を中心とした動物を他の水族館や動物園へ緊急移送(避難)させた。
トド、セイウチ、ゴマフアザラシ、ユーラシアカワウソなどの海獣、ウミガラスなどは鳥類は鴨川シーワールドと伊豆三津シーパラダイスへ、カワウソが上野動物園に、ウミガラスが葛西臨海水族園など。ただしバックヤードに収容されるため基本的に展示は行われない[10][11][12]。また、2011年4月1日にはメヒカリやガーといった魚類がマリンピア日本海に避難した[13]。
拠出用のクレーンに自家発電装置用の備蓄燃料である軽油を消費したが、交通網の遮断に加えて立地するいわき市北部が福島第一原発事故による屋内退避基準の半径30kmに含まれる関係もあり、燃料と餌の調達は困難であった。その後漁港の機能がマヒし、アザラシなどの海獣やカニなどの海洋生物・両生類・鳥類など約700種の餌も入手できず、最後に残った小型発電機の燃料を使い果たし水の管理が出来なくなったため海洋生物20万匹が全滅したことが3月25日に判明した[11]。
また施設内のWebサーバーも被災のため公式サイトが一時不通となり、3月16日頃に「マリンピア日本海」の公式サイトで被害状態などの惨状が掲載された。
7月15日、震災以来4ヶ月ぶりに営業を再開した[14]。同日は、7月16日(土)・17日(日)・18日(月、海の日)の週末3連休の前日で、当館の開館記念日にあたる。震災後に生まれ、「きぼう」と名付けられたゴマフアザラシが注目を集めている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%AF%E3%82%A2%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%81%B5%E3%81%8F%E3%81%97%E3%81%BE

この被災について、ここではWikipediaの記事から引用したが、3.11直後、ときどきマスコミにこの水族館の状況は報道されていた。大型動物は移送されたが、9割もの飼育されていた生物が死滅したということである。

今回、行ってみて驚いたのは、この水族館が十年前の記憶と全く同じであったことである。もちろん、津波によって流されていないないモダンな水族館建屋自体が変わっていたわけはない。しかし、内装まで全く同じなのだ。

アクアマリンふくしま(外観)

アクアマリンふくしま(外観)

例えば、ヒトデなどの海洋生物にふれあうことができるタッチプールという施設を十年前にみたが、今も存在しており、ほとんど記憶通りなのである。

タッチプール

タッチプール

また、「潮目の海」とネーミングされた大水槽は、津波によって親潮と黒潮の界をなしていたアクリル板が壊れるなど、かなり被災したはずだが、その痕跡を見ることはできない。

潮目の海(大水槽)

潮目の海(大水槽)

館内で、パブリックな形で3.11における被災についてふれている掲示としては、入口にあるこのパネルくらいである。ただ、提携水族館との協力や、放射線問題についてふれているコーナーでは多少3.11の痕跡をみることができるのであるが。

アクアマリンふくしま再開のパネル

アクアマリンふくしま再開のパネル

もちろん、これは、アクアマリンふくしまが「復興」しようとした努力の結果であるといえる。しかし、3.11による被災は、Wikipediaの記事をみるように、アクアマリンふくしまの歴史にとって、非常に大きなものであった。そして、十年前と同様な形で再開したこと自体が、館にとって大きなことであったに違いない。しかし、そのことをはっきりと明示した展示物は館内にはないのである。

そして、アクアマリンふくしまのサイトにも、全く3.11の痕跡はみられない。「アクアマリンふくしまの復興日記」というブログがあったようだが、このブログは閉鎖され、過去の記事は非公開となっている。

このように、アクアマリンふくしまは、3.11における被災という事実を館内から消失させようと努めているといえるのである。

しかし、館の外には、津波の痕跡を示す記念物がある。津波によるがれきを集めてつくられた「がれき座」という「舞台」があり、津波により破壊された大水槽のアクリル板によってプレートがつくられている。

がれき座

がれき座

がれき座プレート

がれき座プレート

がれき座のプレートには、次のような言葉が記されている。

がれき座
〜私たちの海をよみがえらせる〜

その日、アクアマリンふくしまは、津波の中にあった。このアクリル板は黒潮と親潮をへだてる厚さ6cmのアクリル板の破片です。
MARCH 11、M9の地震は黒潮と親潮の「潮目の海」の2000トンの大水槽にも津波を起こし、巻き起こった大波が仕切り板を破壊し突破した。親潮の魚が黒潮の魚が仕切り板を越えて交流していた。
外のアスファルトさえも波打って裂け目ができた。アスファルトをはがして、がれきの津波をつくった。
アクリル板を「がれき座」の舞台の看板にして、私たちの海をよみがえらせる祭りの場とする。
        アクアマリンふくしま 館長 安部義孝

つまり、館内で消し去った津波の「痕跡」である大水槽の「アクリル板」を使って、館外に3.11の「記憶の場」を設置したということになる。

アクアマリンふくしまにおける3.11の記憶の問題は、複雑である。アクアマリンふくしまの館内においては、3.11の痕跡はほとんど消失させられている。それは、サイトやブログまで及んでいる。そして、ちょっと奇異に感じるくらい、3.11以前の水族館が「再現」されている。3.11は消し去りたいという心性がそこに働いているのではないかとも思う。

しかし、他方で、3.11を記憶しなくてはならないという心性もまた存在する。それが、館外のがれき座という形で表現されているのであろう。

水族館「内部」での3.11の記憶の消去と、水族館「外部」における3.11の記憶の場の設置。これは、「復興」における地理的格差の暗喩ともみえる。アクアマリンふくしまのある小名浜港においては、3.11の痕跡はほとんど目立たなくなっている。しかし、おなじいわき市でも久之浜や豊間などは、がれきが片付いただけで復興はすすんでいるとはいえないのである。

いわき市豊間周辺

いわき市豊間周辺

もっといえば、楢葉町・富岡町など、居住や立ち入り自体が制限されたところもある。そういう所では、3.11の記憶をいやがおうでもつきつけられているのである。

3.11の記憶は、このように複雑なものである。3.11をなかったものにしたいとする心性と、記憶しなくてはならないとする心性は、水族館アクアマリンふくしまの中でもせめぎあっている。このせめぎあいの中から、「歴史」意識が生まれてくるのではなかろうか。

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ブエノスアイレスで開催された9月7日のIOC(国際オリンピック委員会)総会で、2020年の東京オリンピック開催が決定された。

2020年のオリンピック開催については、東京、イスタンブール、マドリードが立候補していたが、東京は福島第一原発事故の処理、イスタンブールは反政府デモや隣国シリアの内戦などの政情不安、マドリードは経済危機と、それぞれ問題をかかえていた。結果的にいえば、IOCは、経済危機や政情不安よりも、福島第一原発の事故処理のほうがオリンピック開催における克服可能な課題と考えたのだろうといえる。そう考えてみれば、この3都市の中で、東京が選ばれる可能性はもともと少なくはなかったと思われる。これについては、いろいろ考えていることがあるが、それは別の機会にしたい。

さて、東京オリンピック開催決定のIOC総会でなされた東京招致委員会のプレゼンテーションの中で、安倍首相もスピーチをし、その中で短く福島第一原発のことについて触れた。そして、その後、IOC委員から福島第一原発について質問が出て、それにも安倍首相は答えた。福島第一原発についての安倍首相の発言の要旨について、朝日新聞が2013年9月8日にネット配信している。この発言については、NHKのテレビでリアルタイムに聞いていたが、大体この通りであった。

「ヘッドラインではなく事実みて」汚染水巡る首相発言

 東京電力福島第一原発の放射性物質汚染水漏れをめぐる安倍晋三首相の発言要旨は次の通り。

 【招致演説で】

 状況はコントロールされている。決して東京にダメージを与えるようなことを許したりはしない。

 【国際オリンピック委員会(IOC)委員の質問に対し】

 結論から言うと、まったく問題ない。(ニュースの)ヘッドラインではなく事実をみてほしい。汚染水による影響は福島第一原発の港湾内の0・3平方キロメートル範囲内で完全にブロックされている。

 福島の近海で、私たちはモニタリングを行っている。その結果、数値は最大でも世界保健機関(WHO)の飲料水の水質ガイドラインの500分の1だ。これが事実だ。そして、我が国の食品や水の安全基準は、世界で最も厳しい。食品や水からの被曝(ひばく)量は、日本のどの地域でも、この基準の100分の1だ。

 健康問題については、今までも現在も将来も、まったく問題ない。完全に問題のないものにするために、抜本解決に向けたプログラムを私が責任をもって決定し、すでに着手している。

 【演説後、記者団に】

 一部には誤解があったと思うが、誤解は解けた。世界で最も安全な都市だと理解をいただいたと思う。http://www.asahi.com/politics/update/0908/TKY201309070388.html

安倍首相の原発問題についての発言について、2013年9月10日付朝日新聞朝刊の社説「東京五輪―原発への重い国際公約」の中で、

 「状況はコントロールされている」「汚染水の影響は原発の港湾内で完全にブロックされている」――国際オリンピック委員会(IOC)総会での安倍首相のプレゼンテーションと質疑応答は、歯切れがよかった。

 必ずしも原発事故の問題に精通しているわけではないIOC委員には好評で、得票にもつながった。http://www.asahi.com/paper/editorial.html#Edit2

と評されている。全く、スピーチにおけるレトリックの問題に限定するならば、そうなんだろうと私も思う。日本の国政の最高責任者が「安全だ」とお墨付きを与えること、つまり、福島第一原発事故問題は、日本政府によって克服している問題であるということ、これがIOC委員たちの求めていることであったに違いない。IOC委員たちの求めていた答えを、安倍首相は言い切ったのである。

それにしても、「(ニュースの)ヘッドラインではなく事実をみてほしい。」とは、人を食った発言である。安倍首相の発言内容は「事実」なのか。朝日新聞の同社説は、「だが、この間の混迷ぶりや放射能被害の厳しさを目の当たりにしてきた人には、空々しく聞こえたのではないか。」とも述べている。

そもそも、福島第一原発の状況を「コントロール」しているということ自体が事実に反するだろう。今日(2013年9月10日)も、汚染水貯蔵タンク周辺や1号機のタービン建屋周辺の井戸水が放射能で汚染されたことが報道されている。NHKの次のネット配信記事をみてほしい。

福島第一原発 地下水の汚染拡大か
9月10日 4時21分

福島第一原発 地下水の汚染拡大か
東京電力福島第一原子力発電所でタンクの汚染水が漏れた問題で、地下水への影響を調べるためタンクの周辺に新たに掘った2本目の井戸の水からも、ストロンチウムなどのベータ線という種類の放射線を出す放射性物質が高い値で検出されました。
東京電力は地下の汚染が拡大しているとみて調べています。

福島第一原発では先月、4号機の山側にあるタンクから、高濃度の汚染水300トン余りが漏れ、一部が側溝を通じて、原発の専用港の外の海に流出したおそれがあります。
東京電力が問題のタンクのおよそ20メートル北側に新たに掘った井戸で8日採取した水を調べたところ、ストロンチウムなどのベータ線という種類の放射線を出す放射性物質が1リットル当たり3200ベクレルという高い値で検出されました。
今月4日にはタンクの南側の井戸の水からも放射性物質が検出されていて、今回はその値よりさらに高く、東京電力は漏れ出した汚染水が地下水に到達し、汚染が拡大しているとみています。
100メートル余り海側には、建屋に流れ込む前の地下水をくみ上げて海に放流するための井戸があり、影響が懸念されていて、東京電力はさらに観測用の井戸を増やして詳しく調べることにしています。
一方、高濃度の汚染水がたまっている1号機のタービン建屋のすぐ海側の井戸で今月5日に採取した水から放射性物質のトリチウムが1リットル当たり8万ベクレルという高い値で検出されました。
この井戸は原発事故の前から設置されていて、今回、監視を強化するためにほぼ1年ぶりに分析したところ、濃度は上昇していました。
東京電力は「継続的に見ていかないと原因や傾向はわからない」としています。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130910/k10014415491000.html

より包括的に、安倍首相の発言内容が事実であるかいなかを厳しく検証しているのが、次の毎日新聞の9月9日付ネット配信記事である。

安倍首相:汚染水「完全にブロック」発言、東電と食い違い
毎日新聞 2013年09月09日 21時07分(最終更新 09月10日 01時09分)

 安倍晋三首相が、7日にアルゼンチン・ブエノスアイレスで行われた国際オリンピック委員会(IOC)総会の五輪招致プレゼンテーションで、福島第1原発の汚染水問題をめぐり、「完全にブロックされている」「コントロール下にある」と発言したことについて、「実態を正しく伝えていない」と疑問視する声が出ている。

 9日に開かれた東京電力の記者会見で、報道陣から首相発言を裏付けるデータを求める質問が相次いだ。担当者は「一日も早く(状況を)安定させたい」と応じた上で、政府に真意を照会したことを明らかにするなど、認識の違いを見せた。

 防波堤に囲まれた港湾内(0.3平方キロ)には、汚染水が海に流出するのを防ぐための海側遮水壁が建設され、湾内での拡大防止で「シルトフェンス」という水中カーテンが設置されている。また、護岸には水あめ状の薬剤「水ガラス」で壁のように土壌を固める改良工事を実施した。

 しかし、汚染水は壁の上を越えて港湾内に流出した。フェンス内の海水から、ベータ線を出すストロンチウムなどの放射性物質が1リットル当たり1100ベクレル、トリチウムが同4700ベクレル検出された。東電は「フェンス外の放射性物質濃度は内側に比べ最大5分の1までに抑えられている」と説明するが、フェンス内と港湾内、外海の海水は1日に50%ずつ入れ替わっている。トリチウムは水と似た性質を持つためフェンスを通過する。港湾口や沖合3キロの海水の放射性物質は検出限界値を下回るが、専門家は「大量の海水で薄まっているにすぎない」とみる。

 さらに、1日400トンの地下水が壊れた原子炉建屋に流れ込むことで汚染水は増え続けている。地上タンクからは約300トンの高濃度汚染水が漏れ、一部は、海に直接つながる排水溝を経由して港湾外に流出した可能性がある。不十分な対策によるトラブルは相次ぎ、今後もリスクは残る。「何をコントロールというかは難しいが、技術的に『完全にブロック』とは言えないのは確かだ」(経済産業省幹部)という。

 安倍首相は「食品や水からの被ばく量は、どの地域も基準(年間1ミリシーベルト)の100分の1」とも述べ、健康に問題がないと語った。厚生労働省によると、国内の流通食品などに含まれる放射性セシウムによる年間被ばく線量は最大0.009ミリシーベルト。だが、木村真三・独協医大准教授は「福島県二本松市でも、家庭菜園の野菜などを食べ、市民の3%がセシウムで内部被ばくしている。影響の有無は現状では判断できない」と指摘する。【鳥井真平、奥山智己】
http://mainichi.jp/select/news/20130910k0000m040073000c2.html

そもそも、安倍首相は、福島第一原発の港湾部で放射能汚染水がブロックされているといっていたが、港湾と外洋はフェンスによって仕切られているものの、完全に封鎖されているわけではなく、水は移動できる状態である。原子炉建屋への地下水流入はコントロールされておらず、汚染水は増える一方である。

そして、食品に対する放射性物質による汚染についても、流通食品についてはそれなりにコントロールしているが、家庭菜園などの野菜によって内部被ばくした可能性があることが指摘されている。さらに、9月10日付東京新聞朝刊では、「疑問符の付く安倍首相の発言はもう一つ。『日本の食品や水の安全基準は世界で最も厳しい』と説明したが、厳密には違う。チェルノブイリ事故の影響を受けたベラルーシは、一部の食品の基準が日本よりも厳しい」と述べている。

このような安倍首相の発言内容に対し、現在、福島第一原発からの汚染水流出によって最も被害を蒙っている福島県の漁業者その他は「あきれた」と発言する他なかった。9月8日の福島民友新聞ネット配信記事をみてほしい。

汚染水めぐる首相発言に批判の声 福島の漁業者ら「あきれた」
(09/08 20:51)

 「状況はコントロールされている」。安倍晋三首相は、国際オリンピック委員会(IOC)総会で、東京電力福島第1原発事故の汚染水漏れについて、こう明言した。しかし、福島の漁業関係者や識者らからは「あきれた」「違和感がある」と批判や疑問の声が上がった。「汚染水の影響は福島第1原発の港湾内0・3平方キロメートルの範囲内で完全にブロックされている」とも安倍首相は説明した。だが、政府は1日300トンの汚染水が海に染み出していると試算。地上タンクからの漏えいでは、排水溝を通じて外洋(港湾外)に流れ出た可能性が高いとみられる。
http://www.minyu-net.com/newspack/2013090801001923.html

そして、とうとう、菅官房長官も、汚染水を含む港湾部の海水が外洋との間で出入りしていることを認めざるを得なかった。結果的に、安倍発言の一部を訂正したことになるといえる。9月10日に配信した朝日新聞のネット配信記事をみてほしい。

「全部の水、ストップではない」 汚染水問題で官房長官

 菅義偉官房長官は10日午前の記者会見で、東京電力福島第一原発の放射能汚染水漏れについて「全部の水をストップするということではない」と述べ、同原発の港湾の内外で汚染水を含む海水が出入りしていることを認めた。

 安倍晋三首相が国際オリンピック委員会(IOC)総会で「汚染水の影響は港湾内で完全にブロックされている」と発言した真意を問われて答えた。ただ、菅氏は「港湾内でも大幅に基準値以下だ。汚染水の影響については完全にブロックされていると申し上げた」と強調した。

 安倍首相は同日午前、首相官邸で記者団に「ブエノスアイレスでの約束はしっかり責任をもって実行したい」と述べた。http://www.asahi.com/politics/update/0910/TKY201309100112.html

そして、笑うしかないのは、次の朝日新聞のネット配信記事(9月10日)である。

福島第一原発の汚染水対策 関係閣僚会議が初会合

 東京電力福島第一原発の汚染水問題で、安倍政権は10日午前、廃炉・汚染水対策関係閣僚会議(議長・菅義偉官房長官)の初会合を開いた。五輪招致の演説で、安倍晋三首相は汚染水漏れは制御できているとの考えを示した。その裏付けとなる対策づくりを急ぐ。

 菅長官は会合の冒頭、「総理の発言どおり、状況を確実にコントロールして解決につなげていくことが必要」と述べ、対策を東電任せにせず、政府が前面に出る考えを強調した。

 閣僚会議の下に、茂木敏充経済産業相をチーム長とする「廃炉・汚染水対策チーム」をもうけることを決めた。技術的に難しい課題について国内外から解決策を募り、2カ月後をメドに対応をとりまとめる。
http://www.asahi.com/politics/update/0910/TKY201309100079.html

安倍発言は、「汚染水漏れは制御できている」としている。これは、現在「制御できている」という意味だ。しかし、廃炉・汚染水対策関係閣僚会議では「その裏付けとなる対策づくりを急ぐ」としている。対策はまだつくられてもおらず、実施は当然されていない。未来に属することだ。未来に成立する対策によって、現在の状況を「制御」するというのである。原因と結果が取り違えられているとしかいえない。

事が起こってからあわてて対策や準備をしたりすることを「泥棒を捕えて縄をなう」というが、現状では、汚染水という「泥棒」は捕まえてさえいないのだ。

今、それこそ、「ニュースのヘッドラインだけを見させて、事実を見せない」報道が蔓延している。しかし、その中で「事実」を探してみると、以上の通りなのである。東京オリンピック開催が決定されようとしまいと福島第一原発は存在している。そして、専門家ではなく、責任もないIOC委員たちがどう考えようと、福島第一原発は東京におけるオリンピック開催への「脅威」であり続けているのである。

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  • 「彼女の旋律」
  •  ここで、実際にみた「シュレディンガーの猫」と「彼女の旋律」について語っていこう。「シュレディンガーの猫」と「彼女の旋律」、この二つが取扱っているテーマは、双方とも、「会津地方」の「高校生」の日常生活と、震災・原発の被災者との、「ディスコミュニケーション」をめぐる葛藤といってよいといえる。

    まず、はじめにみた「彼女の旋律」(サベリオ学園高校演劇部)からみておこう。このテーマをもっとも単純にいえば、高校の演劇部が避難所にいる被災者の慰問を頼まれた話といえる。しかし、象徴的なことは「避難所」という言葉も「被災者」という言葉も、ほとんど明示的には発話されていないのである。つまり、もともと、「慰問」においても、「被災者」に向き合うという構えがないことが表現されているのである。

    この「慰問」において、高校の演劇部としては、「シンデレラ」を「寺の小僧が盆踊りに出たい」という形にアレンジしたものを出すことにした。元々「シンデレラ」なのだが、部員の個性(どじょう踊りが踊りたいなど)や能力にあわせて、そういう形にしたのである。つまりは、「内部事情」から、そういうナンセンスなものが演じられることになったといえる。ナンセンスさでは、シェクスピアの「夏の夜の夢」の劇中劇として素人が「ピラマスとシスベー」という悲恋物語を結婚式の余興として演じていることに匹敵する。

    ところが、この慰問を主催しているボランティアの思いつきで、被災者の女の子をギター演奏で出演させることになった。ボランティアとしては、ただ与えるだけでは被災者は満足しないという思いがあったようだ。しかし、もともと、内部事情からナンセンス劇しか構想していない高校生たちは困ってしまった。被災者の女の子も出演したいわけではなく、さらに、こんな内容では「慰問」にもならないとして、ほとんど話をせず、ギターの奏でる旋律で自分の感情を表現する始末である。そして、逆に高校生たちからは、反発をみせるもの、逆に風評被害に苦しむ親たちのことを想起してこれでは慰問にならないと思い直すものが出るなど、混乱をみせていく。

    結局、高校生の一人が、自分の過去の「いじめ」体験を引き合いにしてこの被災者の境遇に「共感」することで、ようやく信頼を得て、とにかく協力して「慰問」をすることはできた。しかし…それは、単に被災者側が「共感」することによって得られたもので、それが真に「楽しい」ことかどうかはわからないままで終っている。

    この題名が「彼女の旋律」となっている通り、この劇では、被災者はほとんど会話せず、ギターを中心に自らの感情を語る。徹底的に外部にいる存在なのである。他方、高校生の側も「内部事情」に起因するナンセンス劇しか演じられないのである。

    私の感想をいえば、ここでは、日常生活の「内部事情」で「ナンセンス劇」を演じている高校生のほうがおかしいのだ。それは、日常生活の外部にいるしかない被災者には通じないのである。そして、たぶん、被災者にとっては、「ナンセンス劇」自体ではなく、それを演じる高校生の心情をおもんばかって、ようやく、「相手にしてくれる」。しかし、それは、日常生活への過剰適応を被災者に強いることでもあるといえよう。

  • 「シュレディンガーの猫」
  • さて、「シュレディンガーの猫」(大沼高校演劇部)についてみておこう。「シュレディンガーの猫」は、原発事故や震災にあって福島県浜通りから避難し、会津地方の高校に避難してきた転校生(女子)二人と会津地方の高校生たちとの葛藤を描いた作品である。題名となった「シュレディンガーの猫」は、物理学者シュレディンガーの量子の不確定性を示す思考実験であるが、ここでは、より単純に「シュレーディンガーの猫は物理学の思考実験の呼称だ。箱に入れられた猫が放射性物質に生殺与奪権を握られ、外からは生きているのか死んでいるのか分からない状態を指す。劇では「生きている状態と死んでいる状態が50%ずつの確率で同時に存在している猫」と説明する。」(『河北新報』)として理解しておこう。この「シュレディンガーの猫」は、被災してきた転校生の一人にとって、自分たちの心情を示すものとして表現されている。

    そして、この演劇では、「シュレディンガーの猫」と同じように、放射性物質に運命を握られながらも、対照的な態度を示す二人の転校生が存在している。一人は、震災と原発事故で家族すべてを失い、常に「死にたい」と考え、同級生たちから孤立していた。

    もう一人は、やはり震災と原発事故で避難せざるをえず、さらに、「生き残ったこと」を罪とすら感じながらも、そのことを「悔しい」と思い、一生懸命生き直そうとしている。彼女は、活躍できる部活があるところと思って、郡山のサテライトではなく、会津の高校に転校してきた。そこで、彼女はダンス部に入った。被災者の転校生が活躍しているということで、かっこうのネタとなり、マスコミが報道することで、ダンス部の知名度もあがっていったのである。

    つまり、ここに「シュレディンガーの猫」の意味があるだろう。放射性物質に運命を握られながらも「生」と「死」が同じ確率で存在している。「彼女の旋律」においては、この二つの傾向が、一人の人格の中にあった。「シュレディンガーの猫」では、この側面が二つの人格に分け持たれているのである。

    しかし、「生」を選んだといっても、それは軋轢なく、高校の日常生活に受け入れられることを意味しなかった。被災者である彼女の活躍は、彼女の友達でもあった元々のダンス部員の怒りをかってしまった。そして、高校の中で、孤立していくことになる。

    そして、彼女は決断した。父親の九州移住についていって、卒業式前に、この高校を離れることを。

    彼女のクラスでは、放課後にお別れ会をしようとするが、みんな帰ってしまって、10人弱しか残らない。残った生徒も、多くは早く帰りたがっている。そして、その余興で行われたのは「仲間はずれゲーム」である。

    最初は、本当に、ただのゲームで「広島県・島根県・福島県の中でどれが仲間でないか」ということをあてるものだったのだが、しだいに、自分の属性をあげて多数派であるか少数派であるかで勝ち負けを競う、いわば少数派を排除するゲームになってしまうのである。実際の演劇は、全編このお別れ会における「仲間はずれゲーム」がほとんどをしめていて、前述した背景は、「仲間はずれゲーム」の中の会話や、挿入される回想シーンからおぼろげに提示されている。ある意味では、この「仲間はずれゲーム」が、お別れ会にもかかわらず、より孤立感を深めていくのである。

    しかし、この「仲間はずれゲーム」が、逆に、もう一度連帯を確認させていく契機になっている。最後のほうで、転校生の一人が、「同情はいらない」、「それでも、他人にはやさしくしたい」、「絶対に忘れない」などと叫びはじめる。最初は、もう一人の転校生だけが応じているのだが、だんだん、他の高校生も応じていくようになる。少数派を排除するゲームが、多数派を獲得するゲームになったのである。そして、最後は「どんなことがあっても負けない」という叫びに、ためらいながら、死のみを考えていた転校生が応ずることで、この劇は終わるのである。

    このように、「シュレディンガーの猫」のテーマも「彼女の旋律」と同様、被災者と一般的な高校生との「ディスコミュニケーション」であるといえよう。ただ、「シュレディンガーの猫」では、被災者は同じ学校の転校生であり、より内部で接している存在として描かれている。しかし、それでも、彼女たちの心情は、一般高校生には伝わらない。それは、必死にまわりに受け入れてもらおうと努力しても、その努力自体が、孤立感を深める結果に終ってしまうのである。

    ただ、それでも、救いになったのは「仲間はずれゲーム」なのだといえる、少数派を排除するゲームを、自分の心情を主張して、多数派を形成し、合意を獲得する手段としたこと、これは、たぶんに演劇だからこそできることなのだと思う。しかし、それは、実生活でも必要なことなのだ。

    まず、ディスコミュケーションを認めること、そして、それから「共感」を得ることを必死に考えていくこと、これは、この二つの演劇だけでなく、だれにとっても必須なことであるといえよう。

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    歴史研究者北条勝貴氏は、『環境と心性の文化史 下 環境と心性の葛藤』(北条・増尾伸一郎・工藤健一編、勉誠出版、2003年)の総説「自然と人間のあいだでー〈実践〉概念による二項対立図式の克服ー」において、人間の営為の原因を自然環境にもとめる環境決定論・自然主義論と、環境を改変してゆく人間の能力を重視する主体主義・人間主義論との二項対立を批判しつつ、人間の実践を関係項とした自然/文化という根源的関係項として捉えることを提起した。例えば、北条氏は次のように述べている。

    廣松渉氏は、マルクス思想のなかに曖昧な状態で残されていた根源的関係態としての認識法を的確に切り取り、自然環境と人間主体との産業による相互規定態=〈環境的ー人間主体〉生態系として整理している。物理的な自然環境だけでなく、社会環境から象徴環境までを視野に入れた整理・補完は見事というほかない。しかし、通時的・共時的な〈環境的ー人間主体〉生態系と定義しなおされた歴史の変化が、労働手段の進化による歴史の構造的編制・段階的視点の変化と説明されるとき、そこには、技術による人間の自然からの解放は歴史外的(超越論的)な必然であるとの進歩史観が見え隠れしてはいないだろうか。二項対立を統一体として捉える弁証法的思考図式には、各テーゼを実体化してしまう危険性が伴う。自然/人間という二実体の関係ではなく、両項を成立せしむる根源的関係態へと回帰させることが、二項対立を克服するヒントを内在しているのではなかろうか。
     根源的関係態に置かれた自然/文化の媒介項となる心性は、環境に対する認知と行動、すなわち実践を通じて生成・変化する。この実践こそが、環境と心性の葛藤する具体的なフィールドー現象としての根源的関係態なのである。(本書p2)

    その上で、北条氏は次のように指摘している。

    生命圏平等主義を唱えるエコロジーの深層にも、持続型社会・循環型社会をキーワードとする、人間社会の保全を第一目的に据える意識が横たわっている。…結果として我々は、〈地球に優しい〉という欺瞞に満ちたスローガンを掲げながら、生かさぬように殺さぬように自然環境からの搾取を続けることになる」(本書p.p20-21)

    この文章はほぼ10年前に書かれたものだが、3.11以後の2013年の今日、これを読んでみると、その卓見に驚かされる。この10年、思い直してみれば、「地球に優しい」とされてCO2を排出する火力発電から原子力発電への転化が進められてきた。「地球に優しい」という発想は、一見、人間に対する「環境決定論」の立場にたつようにみえる。そして、そのように提唱者たちもそう考えていたのだろう。しかし、それは、結局のところ、「自然」に対する人間の支配を絶対化するものでしかない。北条氏がいうように、それは、「自然」と「文化」の双方を実体化をさせているといえよう。

    現実にはどのようなことが起きていたのだろうか。北条氏にならって考えるならば、原子力発電もまた、自然/文化が人間の実践を媒介として相互に関係する「根源的関係態」の中で成立していたといえる。ただ、原子力発電は、原子炉の中の放射性物質という、いわば人間の作り上げた第二の自然とでもいうべきものを制御して行われるものであった。その意味で、いわゆる工場と同じである。そのような場は、本来、人間の手によって制御されることが前提となって成立しているはずであったといえる。

    この人間の実践は、原発建設や管理に従事する労働者たちや、原発立地を受け入れた地域住民によって行われている。このような労働者や地域住民の営為がなければ、放射性物質という「自然」を制御して行われる原子力発電は成り立たない。そして、また「環境決定論」的なCO2削減至上主義も成り立たないことになる。

    さて、原発についての人間の実践が、国家/資本の支配関係によって成り立っていることも指摘しておかねばならない。国家/資本は、自然に働きかける実践の担い手である人間を支配することで、自然をも支配するということになる。他方で、そのような形で「自然」を支配した国家/資本は、そのことで人間に対する支配を再度強めていくことになろう。こういうことは、マルクス主義のイロハであり、私がとりたてて書くようなことではないが、とりあえず確認しておこう。

    3.11は、自然は人間の手で完全に制御しえるという錯覚を打ち砕いたといえる。それは、例えば、東日本大震災の津波被害全体にもいえることである。東北各地で巨大な堤防が作られていたが、実際の津波はそれをこえた。

    原発についてより深刻なことは、東日本大震災によって、原子炉という人間の作り上げた第二の自然というべきものを制御する術を失ってしまったということである。そして、それは、スリーマイル島事故やチェルノブイリ事故と違って、ヒューマンエラーではなく、東日本大震災による地震・津波が引き起こしたということである。人間は、自らの作り出した第二の自然すら、自らの意思で制御できない。もちろん、地震や津波による被害は、工場や火力発電所などでもおこることである。現に、東北各地の火力発電所や工場も東日本大震災によって被災した。しかし、それらと根本的に違うのは、地震や津波は契機にすぎず、原子炉の中の放射性物質の反応によって「自然に」炉心溶融が引き起こされたということである。放射性物質を臨界状態にする現在の地球ではありえない(なお、20億年前の地球には天然原子炉が存在したといわれている)第二の自然を人はつくりあげたが、それを制御することできなかったのである。

    いわば、原子炉や放射性物質という人間の作り上げた無機質の第二の自然ですら、自然/文化が人間の実践を媒介として相互に関係する「根源的関係態」の中で成立していることがあきらかになったといえる。

    これは、一方で、放射性物質などにたいする人間の支配などというものの不確実性を如実にしめしたものということができる。他方で、そのような人間の実践自体への国家/資本の支配をゆるがすことになったといえる。そのことからいえば、3.11直後、福島第一原発の各原子炉がほとんど制御不能の状態に陥っており、的確な情報提供が無用の被曝を防ぐ上で必要であったにもかかわらず、政府の発表が情報隠蔽と過少評価に終始したのも当然であろう。まず、国家/資本は、人間の支配を維持することに固執したのであるといえる。しかしながら、完全に隠蔽しえるものではない。1960年の安保闘争以来最大の社会運動といわれる反原発運動が惹起されたのである。これもまた、自然/文化が人間の実践を媒介として相互に関係する「根源的関係態」として把握して理解すべきことであろう。

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    私自身がいま取り組んでいることに必要になり、福島第一原発事故によって避難を余儀なくされた人びとの総数を調べてみた。まず、岩手・宮城・福島三県において東日本大震災・福島第一原発事故のために避難した人びとの数をみていこう。

    内閣府・復興庁は「全国の避難者等の数」という発表を2011年6月から行っているが、初期の発表は避難所や旅館などにいる人数を中心としており、仮設住宅などは戸数でしか発表していないので、避難者数を把握するには十分ではない。ようやく、2011年11月17日調査分から、仮設住宅分も人数で発表されるようになった。それから、一月ごと、2013年4月分までの岩手・宮城・福島三県を中心とした避難者数について、下記の表にまとめてみた。なお、「○○県内」というのは、その県内に避難してきている人びとの総数をさしており、県民のみの避難者数をさしているわけではない。例えば、「岩手県内」避難者というのは、青森県や宮城県から避難してきている人びとも想定として含んでいる。ただ、東日本大震災で被災した岩手・宮城・福島県にわざわざ避難している人は少ないと思われる。他方、「○○県外」というのは、その県から県外に避難している人びとをさしている。福島県外であれば、東京都などの県外に避難している人びとをさしている。ある意味では不確定な部分があるが、まずは、近似として、「県内」「県外」をあわせた人数をその県の避難者数としてみていきたい。

    岩手・宮城・福島県の避難者数

    岩手・宮城・福島県の避難者数


    http://www.reconstruction.go.jp/topics/post.html

    まず、2011年11月17日のところをみていこう。県別の避難者総数では、岩手県が4万3934人、宮城県が13万0784人、福島県が15万2945人となっている。死者・行方不明者では、宮城県が9537人・1315人、岩手県が4673人・1151人、福島県が1606人・211人(警察庁緊急災害警備本部「平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震の被害状況と警察措置」、2013年4月10日発表)と、この三県の中では福島県が一番人的被害が少ないのであるが、避難者数では逆に福島県が一番多くなっている。また、福島県では、県外避難者が5万8602人と避難者全体の三分の一以上をしめる。これも、宮城県・岩手県にはない特徴である。このような特徴は、その後も同じである。福島県において避難者総数が多いこと、また県外避難者の割合が大きいことは、福島第一原発事故の影響であるといえよう。

    なお、全国の避難者総数は32万8903人である。三県の避難者が32万7663人であり、そのほとんどをしめている。東日本大震災は、やはり、岩手・宮城・福島三県を中心に爪痕を残したといえる。そして、福島県の避難者は15万2945人と、避難者総数の半数近くをしめているのである。

    次に、時間的推移をみていこう。2011年末から2012年6月まで、避難者総数が増加傾向であることがみてとれる。全国の避難者総数は、2012年6月に34万6987人になった。福島県では、2012年6月に、県内避難者10万1320人、県外避難者6万2804人、避難者総数が16万3404人に達した。たぶんに仮設住宅の建設が進み、そこに居住する人びとが増えたためではないかと想定されるが、詳細は不明である。ようやく、2012年7月頃から、避難者数が減少していく。しかし、2013年4月段階でも、まだ約30万人以上の人びとが仮設住宅などに避難したままなのである。東日本大震災は終わっていないことを、ここでも再認識させられた。

    さて、ここから、福島県固有の問題をみていこう。周知のように、この福島第一原発事故により避難区域が指定された。原発から20km圏内の警戒区域では約7万8000人、20km以遠で年間積算線量が20mSvをこえる計画的避難区域で約1万10人、20〜30km圏内の緊急時避難準備区域で約5万8510人が対象となった(『国会事故調報告書』)。そのうち、避難が強制された人びとは警戒区域・計画的避難区域で約8万8000人となる。これらの区域は、大熊町、双葉町、富岡町、浪江町、飯館村、葛尾村、川内村、川俣町、田村市、楢葉町、広野町、南相馬市であり、福島県浜通りから阿武隈山地の地域に該当する。

    しかし、警戒区域・計画的避難区域の外側においても放射性物質による汚染は顕著であり、福島第一原発事故の行方も不安であって、かなり多くの人びとは、政府の指示によらず自主的に避難した。一般に「自主避難」とよばれている。

    この「自主避難」の状況については、2011年11月10日に開かれた文部科学省原子力損害賠償紛争審査会(第16回)の配付資料「自主的避難関連データ」において、ある程度明らかにされている。その中に「福島県民の自主的避難者数(推計)」がある。2011年9月22日のデータによると、自主的避難者数が5万327人で、そのうち県内が2万3551人、県外が2万6776人となっている。他方、避難等指示区域内からの避難者数は10万510人で、県内が7万817人、県外が2万9693人となっている。このように、自主避難者のほうが、多く県外に避難している。そして、自主的避難者、避難等指示区域内からの避難者をあわせた総計は15万837人で、県内は9万4368人、県外は5万6569人となる。ただ、この数値は、地震・津波の被災者を含んでいることに留意しなくてはならない。

    この数値は、さきほどの岩手・宮城・福島県の避難者数で示した2011年11月17日の数値に近いといえる。概していえば、福島県の避難者数は約15〜16万人、政府の避難指示による避難者は約10万人前後、自主避難者は約5万人前後といえる。そして、県内避難者は9〜10万人、県外避難者は5〜6万人ということができる。

    2011年3月15日時点の自主避難者を地域別にみると、多いところでは、いわき市が1万5377人、郡山市が5068人、相馬市が4457人、福島市が3224人である。注目すべきことは、これら自主避難者が多いところは、逆に避難受入者数も多いということである。いわき市が1万5692人、郡山市が1956人、相馬市が4241人、福島市が1837人の避難者を受け入れている。このように、住民が自主的に避難しているところに、福島県浜通りなどの住民は避難してきているのである。

    自主的避難者数及び受入避難者数

    自主的避難者数及び受入避難者数


    http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/kaihatu/016/shiryo/__icsFiles/afieldfile/2011/11/11/1313180_2_2.pdf
    (なお、この図は見にくいので、上記のサイトでみてほしい)

    なお、福島県のサイトで人口統計をみると、2011年3月1日現在で202万4401人であったが、2013年4月1日現在では194万9595人となっている。この短い間に7万4806人という人口減少をみているのである。これは、自治体に住民票を置いている避難とは別のものと考えられる。県外避難をあわせた現住人口でいうなれば、福島県では約15万人前後の人口が減少したということになる。2011年3月時点からいうと、約7.4%の人口減少になるといえよう。さらにいえば、県外・県内問わず、約15〜16万人が避難している。人口減の7万人とあわせると、死亡の場合も含めて、2011年3月1日時点において福島に住んでいた人の10%以上が、その時に住んでいたところから去らざるを得なかったのである。
    (http://wwwcms.pref.fukushima.jp/pcp_portal/PortalServlet?DISPLAY_ID=DIRECT&NEXT_DISPLAY_ID=U000004&CONTENTS_ID=15846参照)

    前述したように、この避難者数や人口減少は、東日本大震災自体の津波や地震の被災によるものを含んでいる。しかし、避難者の数の多さー東日本大震災全体の避難者の半数近くをしめるー、県外避難の比率の多さ、政府の指示による避難、住民の自主的判断による「自主避難」などは、福島第一原発事故の爪痕とみることができよう。

    『国会事故調報告書』によると、チェルノブイリ原発事故により1年以内に避難した人数は、ベラルーシ、ウクライナ、ロシアの三ヶ国合計で11万6000人と推計されている。福島第一原発事故の場合、自主避難を含めれば、避難者だけで15〜16万人となっている。すでに、避難者の人数はチェルノブイリ原発事故をこえているといえよう。

    もちろん、この背後には、避難したくてもできなかった人たちがいることを忘れてはならない。また、「自主避難」した人たちは、福島県だけでなく、実際には首都圏にも存在していたのである。

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    今回は、宮城県の津波被災地を揺るがしている防潮堤建設問題について、私自身の心覚えのため、みてみることにする。

    まず、毎日新聞夕刊2013年2月6日付に掲載された、次の記事をみてほしい。

    特集ワイド:東日本大震災 巨大防潮堤、被災地に続々計画 本音は「反対」だが…復興が「人質」に 口閉ざす住民
    毎日新聞 2013年02月06日 東京夕刊

     東日本大震災の被災地で、巨大防潮堤建設計画が進んでいる。高いコンクリート壁で海を覆えば、海辺の生態系を壊し、津波からの避難が遅れるとの指摘がある。防潮堤問題に揺れる被災地を歩き、失われゆく潮騒を聞いた。【浦松丈二】

     <計画堤防高さ TP+9・8m 高さはここまで>

     宮城県気仙沼市の大谷海岸に電信柱のような看板があった。荒れ地の中に青い海だけが広がる。TPとは「東京湾平均海面」だ。つまり、東京湾を基準に高さ9・8メートルの防潮堤がここに建つのだ。間近に見ると高さに圧倒される。この高さの壁がどこまでも続く……想像したらその重苦しさにめまいがした。9キロ南の海岸にはなんと14・7メートルの防潮堤が計画されている。
     気仙沼市民有志の「防潮堤を勉強する会」の発起人、酒造会社社長の菅原昭彦さん(50)が説明する。「防潮堤は2011年9月に宮城県の震災復興計画として最初に示されました。震災から半年しかたっておらず、これで確定とは誰も思わなかった。県と市は昨年7月から説明会を始めたが内容は当初のまま。しかも防潮堤の位置や形状は話し合えるけれど、高さは変えられないという。あまりに唐突、強引だった」
     住民は昨年8月から専門家を招いて「勉強する会」を計13回開き、毎回100人以上が参加した。だがあえて賛成反対を言わなかった。「私たち住民は復興の予算とスピードを人質に取られているようなもの。文句を言うことで復興全体が遅れることがあっては困るから」と説明する。
     同じ被災地でも地域によって実情は異なる。「工場や産業エリアなら防潮堤が高くてもいいが、海辺の景観で商売をしている所は問題になる。ワカメや昆布などの資源のある地域では生態系への影響が懸念される。でも、防潮堤計画には背後地の利用計画がセットにされていて、復興を進めようとしたら計画をのまざるをえないのです」
     話の途中、菅原さんの携帯電話に友人からメールが入った。「防潮堤各地でどんどん決まっていきますね。いいんですか。このままで?」とあった。年度末が迫り、県は合意形成を急ぐ。菅原さんは「県の担当者が『隣の人は合意した』と戸別訪問したことがあり、強く抗議しました。そんなやり方では、地域の信頼関係が壊れてしまう」と懸念する。
     多くの地域で防潮堤計画はなし崩し的に進んでいる。石巻市雄勝町立浜の銀ザケ・ホタテ養殖業、末永陽市さん(55)は「管理者の県が示した高さだから」と不本意ながら受け入れる意向だ。防潮堤は高さ6・3メートルと震災前に比べ約3メートル高くなる。
    「地震発生後は防潮堤の上で海を見ていた。湾内にじわりじわりと海水が上がってきて、後ずさりしながら見守っていたが、防潮堤を越えたら早かった。やばいと思って、一気に裏山まで走った。海が見えていたから避難できた」。全49戸160人の集落ごと流されたものの、死者は5人にとどまった。これまで津波を経験してきた住民たちは、地震直後に裏山にほぼ全員が避難したからだ。だが、海が見えないまま津波がいきなり防潮堤を越えてきたら……。
     大津波で、末永さんは自宅だけでなく、養殖していた銀ザケ12万匹とホタテ35万個を失った。船に同乗し、再開した銀ザケ養殖のエサやりに同行させてもらった。風がごうごうと音をたて、潮騒を聞くどころか寒さで耳がちぎれそうだ。この海と生きる、という末永さんの強い意志を感じる。しかし、巨大防潮堤はそこにも影を落とす。
     末永さんは、自宅跡地に水産加工工場の建設を計画している。今後はサケの加工もして、ブランド化を目指すしかないと考えるからだ。だが防潮堤が高くなれば、自宅跡地横の小川の土手もかさ上げしなければならない。地続きの自宅跡地のかさ上げも必要になる。「待っていたらいつになるか分からない。さっさと自己資金で工場を建ててしまおうか」と迷う。
     雄勝地区の人口は1565人(昨年12月)と震災前の3分の1だ。末永さんは14世紀から続く24代目網元。「先祖が代々頑張って何とかつないできてくれた。それを考えると……」と意欲的だが、その前に防潮堤が立ちはだかる。
     「巨大防潮堤は被災地だけの問題ではない。国土強靱(きょうじん)化を掲げる政権下では、日本全体がコンクリート壁に囲まれてしまう恐れがある」と警鐘を鳴らすのは、気仙沼市のNPO法人「森は海の恋人」副理事長の畠山信さん(34)だ。
     畠山さんの地元、同市西舞根(にしもうね)地区は住民要望で防潮堤計画を撤回させた。畠山さんらは「堤防ができれば海と山が分断されて取り返しがつかなくなる」と計画が固まる前の段階で、集落に残る全戸(34戸)の意見を取りまとめ、市側を動かした。「人口や組織の多い市街地で合意を形成するのは大変。私の地域は長老がいて、その下に役員がいてという古い集落だから決まりやすかった」と語る。
     同地区では津波で全52戸中44戸が流され、地盤は約80センチ沈んだ。「沈下でできた干潟にアサリが増え、絶滅危惧種のニホンウナギが生息している。野鳥が来て、子どもたちの遊び場になっている。この干潟は地域で守っていくことにしています」。これも合意形成の成果だ。
    「環境省や宮城県は『森・里・川・海のつながり』を重視すると言っていたのに、現場は逆行している。災害に備えるために必要なのは、管理費のかかる防潮堤というハードではなくて自然の見方というソフト。津波なら前兆のとらえ方です。これは自然体験からしか学べない。でもそこに予算はついていない」
     自民党は今国会に「国土強靱化基本法案」を議員立法で提出する方針だ。防災の柱として「強靱な社会基盤の整備」を盛り込んでおり、巨大防潮堤の整備を後押ししそうだ。
     畠山さんらを招いて公益財団法人「日本自然保護協会」が3日に東京都内で開いたシンポジウムでは、専門家から「海辺を利用してきた沿岸部住民で本音で賛成している人はいないだろう」「(住民が声を上げられない以上)外から声を上げるしかないのでは」などの意見が出た。同協会は4日、慎重な防潮堤復旧を求める意見書を安倍晋三首相らに提出した。
     海と陸の境目にコンクリートの巨大な壁を打ち立てて、本当にふるさとは再生するのか。何かゆがんだ発想がこの国を覆おうとしていないか。http://mainichi.jp/feature/news/20130206dde012040022000c.html

    つまり、宮城県においては、津波被災地にこれまで以上の高さの防潮堤を建設することを強制しており、その計画について、漁業や観光で生きてきた地域住民たちが困惑しているというのである。生業にも差し支え、自然破壊にもなるということである。また、高い防潮堤は、近づいてくる津波がみえなくなる恐れがあり、かえって危険ではないかという声もある。しかし、国土強靭化法案をひっさげた安倍自民党政権の誕生によって、防潮堤拡充の動きが加速しているのではないかとも、この記事では懸念している。

    さらに、3月7日付毎日新聞夕刊において、次のような続報が掲載されている。

    特集ワイド:巨大防潮堤に海が奪われる 宮城・気仙沼で住民が計画見直し要請
    毎日新聞 2013年03月07日 東京夕刊

     ◇セットバック案に制度の壁 東日本大震災級は防げず

     万里の長城のような巨大防潮堤が東日本大震災の被災地に築かれようとしている。本欄(2月6日付)で「巨大防潮堤に、本音は反対」という地元の声を紹介したところ、多くの反響が寄せられた。防潮堤計画の何がそんなに問題なのか? 続報をお届けしたい。【浦松丈二】

     「私たちは豊かな自然を後世まで残すため、防潮堤建設に当たっては住民の意見を反映するよう1324名の署名を添えて要請致します」
     宮城県気仙沼市の菅原茂市長に、巨大防潮堤計画見直しの要請書と署名が提出されたのは昨年11月12日だった。1324人は、同市大谷地区の人口の半数近い。
     宮城県内で防潮堤計画見直しを求める大規模な署名が提出されたのは初めてだ。避難が難しいお年寄りや障害者には高い防潮堤を必要とする人もいる。同じ被災者でも世代や職業、被災体験などによって意見は異なる。何より防潮堤計画が決まらないと復興計画が動かない地域が多く、反対の声を上げにくい−−それでもなお、コンクリートの壁で海を覆う計画に違和感を感じる人は多いのだ。
     問題の計画は、宮城県有数の海水浴場である大谷海水浴場一帯に高さ9・8メートル、全長約1キロのコンクリート製防潮堤を建設するもの。巨大なのは高さだけではない。津波で倒されないために土台の幅は実に45メートルもある。海水浴場の砂浜を覆い尽くして海までせり出す構造だ。
     大谷地区で生まれ育ち、署名集めの中心となったNGO職員、三浦友幸さん(32)は「防潮堤で消える砂浜は大谷地区のアイデンティティーそのもの。ここで生まれた子どもたちは卒業式、成人式などの節目節目に砂浜に集まって記念撮影をしてきた。砂浜がなくなるのは嫌だ。この一点に絞ることで住民の合意が形成できたのです」と説明する。
     要請書を受け取った菅原市長は「現在の計画では砂浜は残らない。署名のような地域住民の意向が分かるものがあると大変ありがたい。強い説得材料になります」と述べ、住民の意見を尊重して県や林野庁などに砂浜を残すよう働きかけると約束した。
     住民が要請し、市側が同意したのは防潮堤の建設予定地を砂浜から陸側に後退させる「セットバック案」だ。防潮堤を海から離せば離すほど砂浜が守られる。津波や高潮の脅威は衰え、海抜も上がるため、構造物を低くして建設・維持費用を安くできる。
     だが、いいことずくめに思えるセットバック案を実行しようとすると、制度の壁が立ちはだかるのだ。
     防潮堤に関するルールは海岸法に定められている。防潮堤を建設できる位置は、原則的に海岸線から陸側50メートルと海側50メートルの間の海岸保全区域だけ。これ以上陸側に移動するには県知事の指定など複雑な手続きが必要になる。防潮堤をセットバックしようとすると国道45号やJR気仙沼線も陸側に移動させないといけなくなる。
     気仙沼市は大谷地区住民の要請を受け、3通りのセットバック案を作成中だ。難しい作業を部下に指示した菅原市長だが「防潮堤の高さは安全度そのもの」と高さの変更は退ける。県も同じ姿勢だ。
     防潮堤は、国が方針を決め、県知事が計画を策定し、県や市町村などの海岸管理者が設計することになっている。今回の防潮堤の高さを決める方法は、2011年7月8日に国土交通省など関連省庁課長名で出された通知で示された。「数十年から百数十年に1度程度」の津波を防ぐ高さにする内容だ。
     不思議なことに通知は、東日本大震災級の津波は「最大クラス」の例外として防潮堤で防げなくてもいいことにしている。同年6月の中央防災会議専門調査会中間報告で示された専門家の見解を踏まえたという。震災で大谷地区の海岸には20メートル級の津波が押し寄せた。あの津波を防げない防潮堤に砂浜を覆われるのは釈然としない。
     県担当者が説明する。「今回計画されている防潮堤は明治三陸地震(1896年)の津波に対応したもの。災害復旧事業として費用の3分の2以上が国庫から出る。前の防潮堤が建設された1960年代は県の財政事情が悪く、チリ地震(1960年)にしか対応していなかったから今回は高くなった」
     国の補助金が出るから無理にでも通知に合わせて防潮堤の高さを決める、と聞こえる。

      ■

     では、巨大防潮堤の建設費用はいくらかかるのか。県河川課によると、県発注分の事業費だけで約3140億円。ほとんどが国からの補助金だ。港湾を管理する国交省や市町村の発注分を加えると、さらに増加する。無論別に維持補修費用もかかる。
     県内最高の14・7メートルの防潮堤が計画されている気仙沼市小泉地区でも不満がくすぶっている。「小泉地域の子どもたちに街づくりに関する絵を描いてもらったら、マリンスポーツ基地など海や砂浜を利用した内容が多かったそうです。防潮堤の絵を描く子はいなかった」(前出・三浦さん)
     すでに県発注の防潮堤275カ所、総延長163キロのうち、岩沼、石巻市など52カ所で着工されている。コンクリートの巨大な塊が姿を現しつつあるのだ。
     海辺の景観街づくりが専門の岡田智秀・日本大学理工学部准教授は「ハワイでは州法で決めたセットバックルールに基づき、防潮堤などの海岸構造物に極力依存しない街づくりを実施しています。目的は防災、景観、観光、環境の全て。全て密接に関連していますから」と語る。
     ハワイのルールとは、砂浜の自然観察を通じて高波などの最高到達ラインを調査し、住宅などの建造物は10〜15メートルの標準距離をセットバック(陸側に後退)させる。さらに砂浜の自然浸食と建物の耐用年数を考慮して、追加的に後退させる。街づくりには海岸線との距離が常に考慮される。
     岡田さんは「日本の防災計画も日常の暮らしの豊かさと非常時の防護の両方を表裏一体にして考えていくべきです。人口減少時代を迎えて、地方都市ではコンパクトシティーと呼ばれる集約型の街づくりが注目されています。セットバックは時代の流れにも合致しているのではないでしょうか」と訴える。
     大震災から2年。津波にえぐられた被災地の海岸に、ようやく砂が戻りつつある。防潮堤の巨額予算の一部でも住民本位の街づくりに回すことはできないのか。
    http://mainichi.jp/feature/news/20130307dde012040002000c.html

    気仙沼市では、すでに地域住民によって昨年11月に堤防建設の見直しを求める要請書が提出され、気仙沼市長も、防潮堤をより陸側に建設するセットバック案を検討することになった。しかし、このセットバック案については、海岸に建設しなくてはならないとという制度の壁がたちはだかっていると、この記事は伝えている。さらに、防潮堤の高さの変更は、この記事が書かれた時点では気仙沼市も宮城県も認めていないのだ。

    しかし、この防潮堤の高さがどのように決められたかをみると、一驚する。ここで、問題になっている気仙沼市大谷の防潮堤は、9.8mにすることが予定されている。しかし、東日本大震災の津波では、20m程度の津波が襲来したとされている。そもそも、この高さでは、東日本大震災クラスの津波は避けられないのだ。

    この9.8mという高さは、実は、東日本大震災クラスの津波をさけるものではない。このクラスの津波は1000年に1度のものとして、防潮堤で防御することをあきらめ、総合的に防災するとしている。そして、100年に1度程度はくる津波から守ることを目標にしてそれぞれの地域の防潮堤の高さを決めている。この気仙沼市大谷の場合、1896年の明治三陸津波の高さ8.8mを基準として設定されたのである。

    つまり、この程度の防潮堤では、想定されうるすべての津波から、地域を守り切ることはできないのである。にもかかわらず、住民生活の利便とは反し、さらに自然破壊にしかならないような防潮堤建設が、国の補助金をめあてにして、津波被災地で強行されようとされてきたのである。

    すでに、気仙沼市西舞根のように、地域住民の要求によって、防潮堤建設計画を撤回させたところもある。また、2013年3月7日付河北新報では、宮城県も防潮堤の高さについて譲歩の姿勢をみせているようである。

    防潮堤の高さ変更示唆 宮城・村井知事、方針転換か

     宮城県議会2月定例会は6日、予算特別委員会を開き、総括質疑を行った。東日本大震災で被災した海岸防潮堤の整備をめぐり、村井嘉浩知事は、県が設定した高さで住民合意が得られていない地区のうち、漁港や集落の背後地に高台がある場合は地勢を考慮し、高さの変更もあり得るとの認識を示した。
     気仙沼市の小鯖や鮪立(しびたち)など一部地区が対象になるとみられる。村井知事は「位置をよく考え、合意を得るため最大限に努力する」と述べ、住民との意見調整の中で弾力的な対応を認める方針を示唆した。
     これまで、沿岸部の一部地域から「県が示した計画高は高すぎる」との反発が出ていた。村井知事は「命を守ることが大前提だ」と、変更に応じない姿勢を示していた。
     近く決定する復興交付金の第5次配分額に関して、上仮屋尚総務部長は、約108億円を申請した県事業分に対し、「2倍の200億円程度が配分されるのではないか」との見通しを示した。
     県が導入を決めたドクターヘリについて、県は基地病院の選定や医師の確保など、稼働に向けた課題を検討する委員会を新設する考えを明らかにした。18日の県救急医療協議会に諮り、正式決定する。

    2013年03月07日木曜日
    http://www.kahoku.co.jp/news/2013/03/20130307t11025.htm

    このことは、現在進行中のことで、予断を許さない。少しでも、地域住民の主体性を尊重し、防潮堤などの計画が進められることを私は望む。結局のところ、地域住民自体が、想定される津波被災と、地域における生活の実情を勘案しつつ、自主的に、防災計画をともなった形で地域の復旧計画を決めるべきなのだと思う。そして、このように、地域住民の生活を無視し、その合意をとらない形で、「復興」がすすめられていることが、津波被災地のかかえる問題の一つなのだと考えるのである。

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    さて、東京都知事選で、副知事であった猪瀬直樹が約433万票獲得し、当選した。

    この猪瀬直樹が、3.11直後の2011年5月7日に、猪瀬直樹・村上隆・東浩紀「断ち切られた時間の先へー『家長』として考える」(『思想地図β』第2号)という鼎談を行った。村上隆はアーティストであり、東は現代思想を専攻していて、『思想地図β』の編集長である。この鼎談は、石原都政の中心部にいた猪瀬が、3.11をどのように捉え、どのようなことを主張しようとしていたかということを如実に示しているといえる。

    まず、鼎談の組織者である東浩紀は、東日本大震災や原発事故でかなり壊れてしまった「日本や東京のブランドをこれからどう再構築していくか」と、この鼎談のテーマを提示した。そして、東自身は、日本を離れるということを真剣に考えつつ、「日本の伝統や文化的連続性についても考えるようになりました…日本という国は、そもそもが定期的に巨大な災害が来てすべてを流し去ってしまう国でもある、そういう条件をどう捉えていくか」と自分の体験を離した。

    そして、猪瀬は、東の浪江町への踏査記事(朝日新聞2011年4月26日付朝刊)を枕としながら、日本文化についての蘊蓄を披露していく。例えば、猪瀬は、このように主張する。

    今回の問題は、日本列島という島の記憶や、この島にいる宿命みたいなものをどう受け止めていくかを考え直さないと、解決できないだろうと思っています…日本の文化の根底には、災害の巣のような島から出られないという自覚がある。その意識は、潜在的には連続しているように感じます。(p77)

    そして、このように述べる。

    この国のはじまりの物語とはいったいなにかと考えたときに、たとえば『古事記』や『日本書紀』といったものがありますが、戦前まではそれが生きていました(…本居宣長の「敷島の大和心を人問わば 朝日に匂ふ山桜花」を引用しつつ)重要なのは、戦前までの日本には、この島から出られないという認識を前提にした歴史観が残っていたということです。しかし戦後はディズニーランド化がはじまり、島の記憶はすべて消えていった。日米安保で米兵に”門番”の役割を担ってもらうようになると、門の外側や歴史のリアルに対する想像力を失ってしまった。僕はこれをディズニーランド化と呼んでいるのです。(p78)

    このような発言に対し、東は「震災後政治家に求められるのは、実務だけでなく、こういう能力、『想定外』の危機を扱うため日常よりも長いスケールで文学や思想の古典を呼び出す能力なのではないかと感じたのです。つまり先人の知恵を借りる能力です。」(p78)と賛意を示し、当時の民主党政権を批判しつつ、「自戒を込めていいますが、言論も若い世代は本当に駄目です」と述べている。

    そして、猪瀬は、このように発言している。

    三島由紀夫は、「戦後の日常は虚偽の日常だ」といいました。つまり、アメリカの存在を隠蔽し、防衛や命に関わることをすべて他者に委ねることによって成立したつくりものだったということです。これが戦後の日常性で、だからこそ、ディズニーランドができあがった。しかし今回は日常が断絶したので、いままで使えなかった「正義」や「国家」という言葉が使えるようになったはずです。我々は、国家の歴史が昭和20年8月15日以降しかないように錯覚してしまっていますが、本当は『古事記』や『日本書紀』から繋がる、はじまりの物語があります。元号があって、万世一系と擬制された一貫した時間軸を持っている。だから、一貫した時間軸を取り戻して、2000年くらい続いてきた島国の文化にアイデンティティがあるんだということにもう一回立ち帰る必要がある。それは、別に天皇神話を信じろということではない。(p79〜80)

    猪瀬は、ここで、「島国」としての日本文化の連続性を強調し、それを断ち切ったものとして、アメリカに防衛をまかした形で成立した戦後の「日常性」を批判しているといえる。そして、猪瀬は、3.11を「国難」と表現しているが、この「国難」は、「戦後の日常性」を終わらし、「国家」「正義」という言葉が再び使えるようになった契機としてとらえているのである。この猪瀬に対し、東は、自戒を込めつつ、「賛意」を呈しているといえよう。

    さらに、話題は原発問題に移っていく。東は、直接の影響はないかもしれないが、空間放射線量を常に意識せざるを得ない東京の現状についての不安を指摘する。しかし、猪瀬は、「もちろん、そうだけれど、データを受け止めて東京の10倍20倍の放射線量のなかで生活せざるをえない福島の人たちのリアルへの想像力が求められてもいるのです。この島国から逃れられないという断念を共有することが『国難』という言葉の意味ですね」(p82)と反論し、むしろ「なぜ東京電力の福島第一原発はあれほど単純な事故に弱かったのか」という問題を提起し、新しい技術がフィードバックされていれば、原発事故は起きなかったのではないかと主張する。

    しかし、東は「おっしゃるとおりです。しかし、だからこそ僕は今回、日本はそういう点をおざなりにする国なのだから、もう原発を管理しようなどと考えないほうがいいのではないかと思うようになりました…要は、放射能が云々以前に、日本政府が危険というのが僕の考えです。この状況では脱原発しかないと思います」(p82〜83)といい、反原発運動に従事していたとされる村上は「少なくとも、海外からの客人には、資料を送って『来ないほうがいいよ』といってますし、知人も数名、国外に住みはじめてます」(p83)と述べている。

    しかし、その点が、猪瀬には気に入らない。猪瀬は、このようにいうのである。

    しかし原発を管理できない日本人のままでいいのか。大きな流れでいえば「脱原発」に違いない。しかし、原発分の電力量すべてをいきなり再生可能エネルギーで代替できるかというと、やはり10年はかかる。もうひとつは国家の信認の問題として、「管理できない」が結論では駄目でしょう。(p83)

    そして、とうとうと「東京湾に原発を置いたらどうか」と猪瀬は語るのである。

    …フランスで管理できて日本でできない。しかしその管理ができない人間が世界で通用するでしょうか。僕はいま問題になっている福島の第一原発について、あれが東京にあったらどうだろうという仮説を考えています。我々は電気がどういうリスクを抱えた原発によってつくられているのかを知りませんでした。いってみれば、東京の人間は福島の人民を切り捨ててきた…「東京湾に原発を置いたらどうか」、むろん思考実験ですが、そうすれば都民も、原発の安全や管理体制について、日々関心をはらうでしょう。つまり、危険なものを管理できる人間になることで克服しない限りは駄目で、東京は東京湾に原発を置いて100パーセント完全にやったぜ、と、そういう管理をできるということが、東京ブランドの再興に繋がるのではないか。ただ、これは仮説で、ものの考え方です。実際にやるかどうかはともかく、そういうことをもし真剣に考えたならば、この国が国難から再興することもありえるのではないか。東京の住民が自分の電気を自分で抱え込んで危機管理できないのならば、東京の人間を含めて日本人はやはり駄目なのだということになる。それを引き受ける、引き受けないということを一人ひとり考えて、結果的に無理だったらやめましょう、というところまで持ち込む必要がある。浜岡原発を止めて、ああ助かった、というのでは無責任です。自分で引き受けなければいけない。そこまで考えないと、今回の震災は本当の意味で自分のものにはならない。原発を東京に置いて管理できないようでは駄目なはずです。それを自分で引き受けて克服したら、東京ブランドは再興できるのではないか。(p83〜84)

    この問題は、猪瀬にとって「国防」の問題であり、「責任ある主体」としての「家長」の問題であった。

    これは国防の問題とも繋がっています。東京に原発を置くという提案は、日米安保ではなく自衛隊で国を守るリスクを抱え込もう、という提案と同じものです。戦後のディズニーランド化した日本は、どちらのリスクも避けてきた。本当に東京の人間が原発を抱えたら、日本人が国防において自衛隊を軍隊としてきちんと統御できるか問われると同じように、危険物を制御できるどうかということが問われます。それを抱え込まない限り、前回の鼎談でもいったように「家長」ではない。責任ある主体になれない。(p84)

    さすがに、この猪瀬の提起には、村上隆も東浩紀も肯定的には受け取っていない。村上は「国防の意味でも、詭弁と欺瞞がとぐろを巻いて面白い。実際やれればやってみるのもいいと思います。でも、僕はその瞬間に関東圏を離脱しますがね」(p84)と揶揄的に発言し、この鼎談で猪瀬に賛意を示すことが多い東も「僕はそもそも日本政府には原発が管理できないという立場なので、設置に賛成はできないでしょう」(p84)と述べている。

    この鼎談の末尾は、猪瀬が文学論を展開しているが、ここでも猪瀬は「原発問題」に言及している。猪瀬は、夏目漱石ー太宰治ー村上春樹を「放蕩息子」の系譜としてとらえ、それに対抗する存在として、元号の候補を検討した森鴎外を「家長」として認識するとした。暗に、自らを「家長」の系譜を継ぐものとしている。そして、夏目漱石の『三四郎』のせりふを引用しながら、このように猪瀬は述べている。

    そうなんだよ。滅びるねって、それをいってはおしまい。漱石は滅びるねといったけれど、そこから先がない。さきほどの原発の話と被るけどね。(p92)

    そして、文学や政治を包括して、このように猪瀬は指摘した。

     

    でも実際には鴎外の系統は途絶えちゃって、漱石の系統が太宰治へ続いていく。家長と放蕩息子で、結局放蕩息子の血統が残る。文学は放蕩息子の側にしかいかなくて、家長の側には行かなかった。昭和16年を迎えたときに、文学の家長はいなかった。国家のシステムに関わるやつがいなくなった。だから、国家は思想としてのリアリズムを欠いて制御不能になり、戦争に突入してしまった。そいうことなんですよ。…だから震災後のいまこそもう一度家長の思想が必要なんです。それは家父長制の話とはまったく別物です。この60年間、文学も政治も責任ある主体から逃げてきたんですよ。(p92)

    猪瀬の主張を、原発問題に即していえば、次のようになるだろう。猪瀬は、まず、島国の日本でともに生きているということを前提として、より高い放射線量にさらされている福島県の人びとを考えるならば、東京の人びとは現状の放射線量を受忍すべきとする。そして、単に急には再生可能エネルギーで代替できないという理由だけでなく、自らのリスクを抱え込んで管理する力を日本は持っているのだということを認識させるためにも、東京に「完全な原発」を設置すべきとしている。このことは、日米安保によって米軍によって主に保障されている国防の問題を見直すことにもつながり、さらには、日本人が「責任主体」としての「家長」の思想を確立することにも結びついていくということになるのである。

    このように検討してみると、猪瀬にとって、3.11とは、彼が副知事として責任を負うべき東京都民の安全をはかるという問題に直面したものではなく、猪瀬が評価するようなナショナリスティックな方向で日本人の思想を改造していく契機と認識されていたといえよう。そして、「東京湾に原発を置いたらどうか」という提案も、「自らのリスクを管理する」責任主体としての「家長」の確立につながっていくものであった。さらに、このことは「東京ブランドの再興」「国家の信認」をめざしたものであった。いわば、3.11という惨事に便乗して、社会を改造しようとすることを猪瀬はめざしていたといえるのであり、いわゆる「ショック・ドクトリン」が志向されたといえよう。

    これは、もちろん、猪瀬だけではない。石原慎太郎も橋下徹なども、その方向をめざしたといえる。そして、彼らのめざす方向は、ある程度、成功したとみなくてはならない。猪瀬は、東京湾に新鋭火力発電所を建設するということを政策としてかかげながらー原子力を火力に置き換えたのだがー、433万票という歴代最多の得票を得て、都知事選に勝利した。石原や橋下も、国政進出をはたしつつある。そして、自民党においても、復古ナショナリズムの権化であるような安倍晋三が復権し、首相となった。脱原発運動が広範囲に展開しつつも、政治状況では確実にナショナリズムが強化されている。そして、このようなことの背景に、3.11があるのである。

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