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Posts Tagged ‘電力自由化’

福島第一原発事故を契機に、再び、電力の自由化が議論されている。北海道、東北、東京、中部、北陸、関西、中国、四国、九州の九つの電力会社がそれぞれの地域電力供給を独占している状態を打破し、電力を自由化しようというのである。

電力供給が独占されていることは、かなり前から始まっている。1938年の電力国家管理法に基づいて、1939年に日本発送電株式会社が成立し、1941年の配電統制令によって国内すべての電気事業者を傘下に統合した。戦時国家統制によって電力の独占が開始されたとみてよいだろう。

戦後、GHQの発したボツダム政令によって、1951年5月、日本発送電株式会社は解体され、九つの民間電力会社が成立した。これが今の電力会社体制である。しかし、この時も、特定の会社が電力供給を地域独占することは変わらなかった。

このように、電力が自由化されていた時代はかなり前である。その時の状況は、どのようなものであっただろうか。福島県総合産業審議会が1950年4月に発表した福島県産業綜合振興計画は、国家統制以前において電力が豊富に得られたことが福島県の工業化の一因であったと、次にように指摘している。

第一に本県が水力電気の生産県であること。
これは他の如何なる条件にも増して本県の非常な強味であり、特に電気料金に国家統制がなく、原価によって地域差があり、就中余剰電力を生じる場合には極めて有力な工場誘致条件をなすものである。本県の発電所は関東への送電のため開発されたと云われるけれども、大正末期以来、磐梯山麓、郡山付近、浜にかけて電力利用の工場が幾つか建設され、それが本県の化学工業及電気炉利用工業の主力をなしている。これらの工場の多くは、その電力料金が東京の二分の一又はそれ以下で、余剰電力の利用については地元としての利点を充分に発揮出来るか、又は自家発電を持ち得た時代に設けられたものである。若しこの電力利用上の強味がなかったならば、他県から原料を持込み、または製品は他県に持ち出しているような電気炉精錬工場及び電解法工場は本県に設置されなかったであろう。(『福島県史』第14巻、1969年、p78)

もちろん、過当競争など、自由化による弊害もあったと思う。しかし、ここでは、戦前の福島県では、地域における水力発電を生かして、低コストで安定的に電力が得られたことを、電力多消費型の工業を誘致し得た要因としているのである。

これは、現代の自由化においても、参考になることだと思う。地域独占している電力会社の域内の電力料金は、基本的に同じである。発電所が多数設置されていても、その地域の電力料金が安くなることはない。特に、福島県内では、東京電力に電力を供給する多くの発電所があるにもかかわらず、割高な東北電力から電力が供給されるため、東京電力管内よりも電力料金が高い場合さえある。しかし、戦前においては、水力発電など多くの発電所を擁していた福島県では、その電力を利用して、工業化が行われた。このようなことは、現代の電力自由化でもありえることである。現代において、必要以上に電力を消費することは問題であろうが、低コストの電力供給によって、地域開発をささえることは、現代の電力自由化でも考えられるであろう。

しかし、戦時国家統制により電力事業が独占されると、このメリットはなくなった。そのため、この計画では、「電力の地元使用」を主張している。

 

電力の利用については、原価主義により電力料金に地域差を設け、極力近距離の送電範囲内にて使用することが、国家資源としての電力活用上最も合理的であり、殊に本県の産業振興上極めて重要であるので、この方針の徹底を期成する。
 元来本県は有力な水力発電県でありながら、発生電力の大部分を関東方面に供給し、地元の利用は比較的僅かであった。…併し電力はこれを遠距離に送電すればロスもあり、亦巨額の送電設備費を必要とするので、電力を多量に消費する工業はこれを発電地帯付近に設けるのが電力経済上最も合理的である。況んや本県下の電力利用工業の現状を見るに、電力地元県であり乍ら電力不足のため、折角の工場設備を充分稼働し得ない状況にある。従って、少なくとも今後開発される電力については極力地元消費の充足を第一義的に実現するよう促進すべきである。(『福島県史』第14巻、1969年、p.p70-71)

いわば電力の「地産地消」を求めたといえる。この計画では、水力発電を中心とする奥只見電源開発についても言及されているが、その電力はまず地元消費に向けられるべきものとしている。

そして、福島県議会も当時の福島県知事大竹作摩も、地元に優先して配電することを主張した。九電力会社が成立した後であるが、大竹は1951年6月の福島県議会定例会で、このように発言している。

只見川流域で発生した電力のすべては小名浜、塩釜など東北工業化のために使わねばならない。(『福島県史』第15巻、1968年、p1357)

福島県は、奥只見電源開発に積極的であったが、その背景には、電源開発により、その電力を使っての地域開発を望む意識があったといえるのである。それは、ある意味では、電力の地域独占により阻害された地域開発を継続していこうということであった。そして、このような意味で電源開発を望む意識は、後の原発誘致の底流にも流れていたと思われる。

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