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Posts Tagged ‘雁屋哲’

昨2014年5月頃に起きた、雁屋哲の『美味しんぼ』(『週刊ビッグコミックスピリッツ』、小学館)に対するバッシングは、安倍政権の閣僚たち、福島県庁、福島県下の各自治体、、福島大学、「科学者」、マスコミ、インターネットなどによる、異端者を摘発する「魔女狩り」の様相を帯びた。雁屋は、「私はこの国の神聖なタブーを破った極悪人扱いを受けたのです。この国の神聖なタブーとは『原発事故は終息した。福島は今や人が住んでも安全だし、福島産の食べ物はどれを食べても安全だ、という国家的な認識に逆らっていけない』というものです。『福島に行って鼻血を出した』などと漫画に書いた私は、その神聖なタブーを破ったというわけです」(雁屋哲『美味しんぼ「鼻血問題」に答える』、遊幻舎、2015年、p14)と回想している。

それでは、『美味しんぼ』へのバッシングにおいて「タブー」とされたものは、実際にはどのようなものであったのだろうか。福島県が5月7日に出した、『週刊ビッグコミックスピリッツ』編集部からの取材依頼に応じて出した、次の文章が、『美味しんぼ』バッシングでタブーとされたものについて集約的に語っていると思う。長文であるが、まず、紹介しておきたい。

「週刊ビッグコミックスピリッツ」4月28日及び5月12日発売号における「美味しんぼ」について

平成26年5月7日
福 島 県

 福島県においては、東日本大震災により地震や津波の被害に遭われた方々、東京電力福島第一原子力発電所事故により避難されている方々など、県内外において、今なお多くの県民が避難生活を余儀なくされている状況にあります。

 原発事故による県民の健康面への影響に関しては、国、市町村、医療関係機関、原子放射線の影響に関する国連科学委員会(UNSCEAR)等の国際機関との連携の下、全ての県民を対象とした県民健康調査、甲状腺検査やホールボディカウンター等により、放射性物質による健康面への影響を早期発見する検査体制を徹底しており、これまでにこれらの検査の実施を通して、原発事故により放出された放射性物質に起因する直接的な健康被害が確認された例はありません。

 また、原発事故に伴い、本県の農林水産物は出荷停止等の措置がなされ、生産現場においては経済的損失やブランドイメージの低下など多大な損害を受け、さらには風評による販売価格の低迷が続いておりましたが、これまで国、県、市町村、生産団体、学術機関等が連携・協力しながら、農地等の除染、放射性物質の農産物等への吸収抑制対策の取組、米の全量全袋検査を始めとする県産農林水産物の徹底した検査の実施などにより、現在は国が定める基準値内の安全・安心な農林水産物のみが市場に出荷されております。

 併せて、本県は国や市町村等と連携し、県内外の消費者等を対象としたリスクコミュニケーションなどの正しい理解の向上に取り組むとともに、出荷される農林水産物についても、安全性がしっかりと確保されていることから、本県への風評も和らぐなど市場関係者や消費者の理解が進んでまいりました。

 このように、県のみならず、県民や関係団体の皆様が一丸となって復興に向かう最中、国内外に多数の読者を有し、社会的影響力の大きい「週刊ビッグコミックスピリッツ」4月28日及び5月12日発売号の「美味しんぼ」において、放射線の影響により鼻血が出るといった表現、また、「除染をしても汚染は取れない」「福島はもう住めない、安全には暮らせない」など、作中に登場する特定の個人の見解があたかも福島の現状そのものであるような印象を読者に与えかねない表現があり大変危惧しております。

 これらの表現は、福島県民そして本県を応援いただいている国内外の方々の心情を全く顧みず、殊更に深く傷つけるものであり、また、回復途上にある本県の農林水産業や観光業など各産業分野へ深刻な経済的損失を与えかねず、さらには国民及び世界に対しても本県への不安感を増長させるものであり、総じて本県への風評を助長するものとして断固容認できるものでなく、極めて遺憾であります。

 「週刊ビッグコミックスピリッツ」4月28日及び5月12日発売号の「美味しんぼ」において表現されている主な内容について本県の見解をお示しします。まず、登場人物が放射線の影響により鼻血が出るとありますが、高線量の被ばくがあった場合、血小板減少により、日常的に刺激を受けやすい歯茎や腸管からの出血や皮下出血とともに鼻血が起こりますが、県内外に避難されている方も含め一般住民は、このような急性放射線症が出るような被ばくはしておりません。また、原子放射線の影響に関する国連科学委員会(UNSCEAR)の報告書(4 月 2 日公表)においても、今回の事故による被ばくは、こうした影響が現れる線量からははるかに低いとされております。

 また、「除染をしても汚染は取れない」との表現がありますが、本県では、安全・安心な暮らしを取り戻すため、国、市町村、県が連携して、除染の推進による環境回復に最優先で取り組んでおります。その結果、平成23年8月末から平成25年8月末までの2年間で除染を実施した施設等において、除染や物理的減衰などにより、60%以上の着実な空間線量率の低減が見られています。除染の進捗やインフラの整備などにより、避難区域の一部解除もなされています。

 さらに、「福島を広域に除染して人が住めるようにするなんてできない」との表現がありますが、世界保健機構(WHO)の公表では「被ばく線量が最も高かった地域の外側では、福島県においても、がんの罹患のリスクの増加は小さく、がん発生の自然のばらつきを越える発生は予測されない」としており、また、原子放射線の影響に関する国連科学委員会(UNSCEAR)の報告書においても、福島第一原発事故の放射線被ばくによる急性の健康影響はなく、また一般住民や大多数の原発従事者において、将来にも被ばくによる健康影響の増加は予想されない、との影響評価が示されています。
 
 「美味しんぼ」及び株式会社小学館が出版する出版物に関して、本県の見解を含めて、国、市町村、生産者団体、放射線医学を専門とする医療機関や大学等高等教育機関、国連を始めとする国際的な科学機関などから、科学的知見や多様な意見・見解を、丁寧かつ綿密に取材・調査された上で、偏らない客観的な事実を基にした表現とされますよう、強く申し入れます。
http://www.pref.fukushima.lg.jp/uploaded/attachment/63423.pdfより。なお、『週刊ビッグコミックスピリッツ』第25号の「『美味しんぼ』福島の真実編に寄せられたご批判とご意見」という欄に同文が掲載されている。

福島県の言い分として、まず原発事故により放出された放射性物質による直接的な健康被害はないことを強調している。その上で、福島の農林水産物は、出荷停止や「風評被害」などにより多大な損害を受けてきたが、農地の除染、農産物への放射性物質吸収の抑制、放射性物質検査などにより、国の基準内の農林水産物しか市場に出さないことになっており、「風評」も和らいできているとした。このように、福島県庁・県民・関係団体が一丸になって復興に向かう中、『美味しんぼ』が放射能の影響により鼻血が出ると表現したり、「除染をしても汚染は取れない」「福島はもう住めない、安全に暮らせない」などと作中で特定の人物(実際には、元双葉村長井戸川克隆や、福島大学准教授荒木田岳なのだが)が見解を述べたりすることは、福島の現状そのものであると読者に誤解させ、福島県民や福島を応援している人々の心情を傷つけ、福島県の農林水産業や観光業に経済的損失をあたえかねず、福島県への不安感や「風評被害」を助長するものであるとしている。

その上で、福島県は具体的に反論している。まずは、鼻血なども含む急性放射線症が起きる高線量の被曝はなかったとしている。次に、除染や物理的減衰により60%以上の線量を低減できるとしている。そして、福島を広域に除染して住めるようにするのは不可能という見解には、福島第一原発事故において、もっとも高線量の地域を除けば、がん罹患のリスク増加は小さく、被曝による健康影響の増加は予想されないとしている。

福島県としてまず強調しているのは、県民には直接的な健康被害がないということである。つまりは、放射線によるリスクはないと想定している。それを前提に、出荷停止や「風評被害」で打撃を受けた農林水産業の回復を妨げ、復興に一丸となっている県民その他の心情を傷つけるものとして、『美味しんぼ』を批判している。いわば、放射能による健康面のリスクはないとして、農林水産業の復興こそ福島県の復興であるとし、それにがんばっている県民その他の心情を傷つけるものだとしているのである。

福島県民に直接的な健康被害が及んでいないという福島県の主張は、いろいろと問題を含んでいる。まず、急性放射線症が出るような被曝線量ではないという論理は、福島県だけでなく、「科学者」を自認する人びとが『美味しんぼ』を批判する際によく出てくる。前述した『週刊ビッグコミックスピリッツ』第25号の「『美味しんぼ』福島の真実編に寄せられたご批判とご意見」に、『美味しんぼ』を批判する科学者として、安斎育郎と野口邦和が出ているが、この2人とも、そういう意見である。ここでは省略するが、マスコミに出てくる「科学者」の意見も多くはそうである。しかし、『美味しんぼ』自体をみていると、いわゆる急性放射線症として鼻血が出てくるという説明はしていない。その上で、井戸川克隆や雁屋哲自身も体験した「鼻血」の原因を検討しているのである。低線量被曝の影響はよくわかっていない。それゆえ、よく引き合いに出される「高線量」のことを持ち出しても『美味しんぼ』への批判にはならない。それは、私だって知っている「常識」にすぎない。ただ、『美味しんぼ』へのバッシングといえば、最も知られているのが、あの程度の線量では急性放射線症は発症しないから、放射線の影響によって鼻血が出るとすることは非科学的だということであろう。重要なことは、急性障害以外は放射線障害ではなく、それほどの線量で福島県民は被曝していないとすれば、ほとんどの福島第一原発事故による県民の健康へのリスクは無化されるということである。

他方、除染についての県の見解は、それ自体が矛盾をはらんでいる。除染すればある程度の効果はあるだろうが、山林なども含んで広域に除染することは不可能で、結局はまた周囲から汚染物質が流れ込む。どうしても、除染しても、除染基準をクリアできない地域が出てくる。であるがゆえに、福島県では、県外の20倍の年間20mSvまで基準が緩和され、強制的に避難させられた人びとをそのような土地に帰還させるという政策がとられている。そこで、福島第一原発事故程度では健康に大いなる支障をきたす被曝は起きなかったという言説が主張される。しかし、それならば、なぜ、福島県内外で広範囲に除染をしなければならないのだろうか。そして、除染が効果があったとはどういう意味なのだろうか。

結局、健康被害がないのだから、年間20mSvでもいいじゃないか、除染目標の達成などどうでもいいではないかということになる。これは、もちろん、福島県民への差別待遇にほかならないが、これが、とりあえず機能するのは、健康被害が顕在化していないということが条件になる。急性放射線症になるほどの被曝はないのだから、急性放射線症のみを放射線障害とするならば、その条件はクリアされよう。しかし、急性放射線症が発症しない程度の低線量でも健康に影響があれば、一般の除染基準年間1mSv以上の土地に県民を居住させるということの問題性がクローズアップされる。被曝による児童甲状腺がん発症を福島県が認めないのも、そういう理由に基づいている。

そして、また、「鼻血」にもどってくる。甲状腺がんに比べれば、「鼻血」は小さな問題である。しかし、そんな問題でも、年間20mSvまでの低線量被曝を県民に強いている福島県にとっては、その政策の正当性を揺るがす問題なのである。そして、これは、なるべく、補償金を圧縮したい東電と国についても大問題なのである。低線量被曝を強いられる地に住民を早期に帰還させることで補償金を打ち切ることができなくなるばかりか、健康被害についても補償金が必要となるのである。

福島県・国・東電としては、福島第一原発事故の影響による県民の健康リスクの増大は一切認めない。ゆえに「甲状腺がん」も「鼻血」も認めない。そのようなリスクの「無化」の上で、福島県が行っているのが「風評被害」の払拭を中心とする農林水産業の振興である。農林水産業が復興すれば、福島県民の復興となるとしている。しかし、農林水産業に従事している県民自体の健康リスクが顕在化すれば、それ自体の正当性が失われることになるだろう。「鼻血問題」は『美味しんぼ』全体からすれば部分的な問題に過ぎないが、県にとっては重大な問題である。そして、彼らからすれば、「タブー」なのである。

そして、鼻血がタブーにされる一方で、雁屋哲が『美味しんぼ』において最終的に主張しようとしたことは、バッシングの中で看過された。雁屋哲は5月19日に発売された『週刊ビッグコミックスピリッツ』第25号に掲載された『美味しんぼ』において、登場人物の海原雄山に次のように語らせている。

私は一人の人間として、福島の人たちに、危ないところから逃げる勇気をもってほしいと言いたいのだ。
特に、子供たちの行く末を考えてほしい。
福島の復興は、土地の復興ではなく、人間の復興だと思うからだ。

前述した「『美味しんぼ』福島の真実編に寄せられたご批判とご意見」において、小出裕章は次のように述べている。

何より放射線管理区域にしなければならない場所から避難をさせず、住まわせ続けているというのは、そこに住む人々を小さな子どもを含めて棄てるに等しく、犯罪行為です。

結局のところ、『美味しんぼ』の主張は、一般人の放射線基準以上に汚染されている地域に住民が住み続けているということにいかに対処するかということなのであるが、このバッシングのなかでは、だれもそのことに触れようとしなかった。朝日新聞は比較的『美味しんぼ』に同情的であったが、同紙もそのことに触れようとはしなかった。この放置は、違法行為であり、小出の言葉を借りれば犯罪行為なのだが、そのことを誰もまともに議論しようとはしなかった。その中で、『美味しんぼ』は5月19日発売号から休載され、バッシングは終息していった。

放射線基準を守るということは、法的・社会・倫理的問題である。科学的・経験的に「放射線被害」が現在出ていない(将来的に出ないかどうかは全く保証されず、もし何か発症しても、それは放射線の影響ではないとされるだろう)から基準を守る必要がないというならば、そもそも基準設定は必要ない。そして「除染」も必要ないだろう。科学的言辞を駆使することは、法的・社会的・倫理的問題を解決することにはならない。『美味しんぼ』をバッシングする側がかかえていたのは、法的・社会的・倫理的問題として、一般人の放射線限度をこえた地域に住んでいる住民たちにいかに対処するかということであったのだが、それはバッシング側自体が触れることに自ら禁じざるを得なかった「タブー」であったといえよう。

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昨2014年に出版した拙著『戦後史のなかの福島原発ー開発政策と地域社会』(大月書店)において、私は「原発建設におけるリスクとリターンの問題に着目する」とし、次のように述べた。

「原子力の平和利用」が日本社会で開始された一九五四年は、ビキニ環礁において第五福竜丸が被曝し、原水爆禁止運動が始められた年でもある。「原子力の平和利用」の裏側にある放射能汚染のリスクは、政府においても社会においても、ある程度は認識されていた。この放射能汚染のリスクは大都市周辺で原発が建設されない要因となった。そのようなリスクのある原発立地を福島が認めていくのは、ある種のリターンと交換された結果であった。リスク認識もリターンの内実も時代によって変遷していくが、リスクとリターンが交換されるという関係は、福島原発の全ての過程で共通していた。そして、福島以外の原発立地社会においても共通して認められるものである。このリスクとリターンのバーターという関係は、原発建設全体の過程を貫いていた。
 三・一一は、原発が建設される地域においては、生存の基盤となる地域社会全体に対するリスクと、地域生活を営むうえでの雇用・補助金などのリターンとの交換は、いかに不等価のものであったかということを明らかにしたといえる。この視点をもつことによってはじめて、原発が建設されていった過程が理解できると思われる。さらにいえば、このことを理解することが、原発依存社会からの脱却の第一歩になると私は考えている。

概略すると、福島原発建設において、放射能汚染というリスクがあることは認識されていたが、原発が立地している地域社会においては、雇用・補助金や開発期待などのリターンと交換することによって、よりよい生存を確保できるという論理によって正当化されていったと、私は考えたのである。

3.11は、顕在化した放射能汚染のリスクは非常に過大であり、リターンによってよりよい生存をめざした地域社会そのものの存続を揺るがすことになったといえる。これは、悲劇そのものである。しかし、私は、かすかな希望として、「このことを理解することが、原発依存社会からの脱却の第一歩になると私は考えている」と書いた。

しかし、現状の福島は、この希望とは裏腹なものになった。確かに、福島県民たちは、全体として、県内での原発の稼働を認めなくなった。福島第一原発では、稼働可能な5・6号機も廃炉され、福島第二原発の再稼働も認めたくないという意見のほうが多い。東北電力の浪江・小高原発の建設計画も中止された。

しかし、その反面で、新たな形で、「放射能汚染」というリスクと、地域社会における生存をめざすリターンとの交換が再開されている。

その一例として、雁屋哲の『美味しんぼー福島の真実』(小学館)でとりあげられたエピソードをみてみよう。『美味しんぼ』では福島県民において鼻血が出ているということをとりあげた叙述が非科学的で風評被害を助長していると国・県などが率先して非難したが、鼻血問題は全く部分的な問題に過ぎない。雁屋哲は、登場人物の海原雄山の口をかりて「低線量の放射線は』安全性が保証できない。国と東電は福島の人たちを安全な場所に移す義務がある。私は一人の人間として、福島の人たちに、国と東電の補償のもとで危ない所から逃げる勇気をもってほしいと言いたいのだ。特に、子供たちの行く末を考えてほしい。福島の復興は、土地の復興ではなく、人間の復興だと思うからだ」(『美味しんぼ』第111巻、小学館、2014年)と述べている。低線量であっても、放射能で汚染されている地域で人々が住みつづけているという状況を告発するというのが、雁屋の意図なのである。

その中で、次のようなエピソードが紹介されている。漫画の『美味しんぼ』でも取り上げられているが、たぶん取材ノートに依拠し、より事態を正確に伝えていると思われる雁屋哲『美味しんぼ「鼻血問題」に答える』(遊幻舎、2015年)からみておこう(以下の引用は同書から行う)。

2012年は、福島県内において、いまだ放射線量が下がらないまま、試験的に米作りが各地でなされていた。二本松市の「ゆうきの里東和ふるさとづくり協議会」においても、いまだ0.72μSv/hの空間線量であり「作付け制限区域」になっていたが、セシウムを吸着するゼオライト、植物のセシウム吸収を抑制するカリウムを入れ、深く耕し、とれた米は全量検査することを条件として、米の作付けが認められた。結果的に、収穫した米のほとんどは検出限界の1kgあたり11bq以下で、一ヵ所(福島市内)のみ36bqという結果となった。いずれにせよ、1kgあたり100bqという基準以下ではあったのである。

この結果について、雁屋が、協議会事務局長の武藤正敏に、「結果は嬉しかった」と聞くと、武藤は「いやあ、嬉しいですよ、だって食べられるんですもの」と笑顔で答えた。

しかし、雁屋が土壌がセシウムを吸着したとしても、土壌にはセシウムがあるのだから、生産者には影響があるのではないかと質問すると、武藤の表情は厳しくなり、次のように述べた。

「土壌からも、四方からも放射能を浴びますよね。人間が田んぼに立てば、それだけの放射能を浴びるわけで、長靴を履こうが、マスクをしようが、カッパを着ようが、そんなものは通すんだ。我々はそういう状況におかれているので、決して安全ではない。食べなければいいとか、長い時間そこで作業しなければいい、ということではない。現場にあるんですよ!
 だから長靴履いて田んぼに入るときは、非常に恐怖感がありますよ。(中略)危機感は持っているが、自己防衛としてできるのは長靴やマスクや帽子をかぶる程度。だって、土地に触らないと農業ができないんです」

放射能で汚染された地域では、放射能汚染のない米作りをしても、いやそういう場で米作りをすること自体が農民の被曝を招くことになっているのだ。そして、米作りをしていた農民たちは、そのことに恐怖を感じているのである。放射能汚染のリスクは、福島第一原発事故以前と比べて、顕在化し、より一般化し、生々しいものとして二本松の農民たちは認識しているのである。

それでも、雁屋たちが二本松の線量は高いのになぜ避難しないのかと聞くと、武藤は次のように答えた。
 

「ははは! だって、国が安全だって、ただちに影響ないっていうから。やはり、農家と都市部では考え方が違うと思う。農家は、先祖伝来の田畑、井戸、蔵も家も、地域のコミュニティもある。よそに逃げても、今のような暮らしができるのか、生活の保障ができるのかといったらわからない。一時避難的に電化製品も与えられ、ある程度の生活もできるが、それでいいのかと。ここで食べて暮らして、地域のコミュニティが守られるならここのほうがいいでしょう、という意識が強い。調査すれば作物にも出てこないし、空間線量は高いが、外部からの影響は何パーセントもない、といわれているのですから」

放射能汚染については、とりあえず国の「安全だって、ただちに影響ないっていう」ことをとりあえず信じざるをえないのである。それも、別に「安全」であるという確証があってのことではない。「よそに逃げても、今のような暮らしができるのか、生活の保障ができるのかといったらわからない…ここで食べて暮らして、地域のコミュニティが守られるならここのほうがいいでしょう」ということ、つまりは「地域社会における生存」が確保できるというリターンが得られるということでしかない。つまりは、原発建設時と同様に、「放射能汚染」というリスクと、「地域社会における生存」を確保するためのリターンが、福島の地では交換されているのである。そして、その上で、再び、「安全神話」が信奉されるのである。

福島第一原発事故以前、放射能汚染は顕在化していない。そして、立地した地域社会では、単なる生存ではなく、原発のリスクを受け入れてリターンを獲得することによって、幻想をともないながら、より豊かな生存を確保できると認識していただろう。

しかし、現状の福島は、全く違っている。前述したように、放射能汚染のリスクは顕在化し、そのことが、二本松においても、将来の生存を脅かすものとして認識されるようになった。結局、リスクを受け入れて可能となる「生存」は、単なる「生存」でしかなく、それすらも将来的には不透明なのだ。例えば、武藤は、地域社会での生存を確保するためには、国の安全宣言を受け入れるしかないと前述したように述べていたが、だんだん、そのことに対する懸念を表明していく。

「我々は三十年で死ぬからいいかもしんないけど、これから生まれてくる子供がこの土地で暮らすことになれば、その危険性が尾を引いていくので、その解消を早くしないとダメ。土の測定をして、きちんと下げる努力をしていかないとダメなのだ。
 そういう教育を誰かがしないとならないが、県も行政もいわない。いえば、農地から離れなさいということになる。
 こんな空間線量の高いところに長くいるべきではないと思う。せめて子供だけでも、年に二回ぐらいは安全なところに避難させないとならない。チェルノブイリでさえ、子供を避難させたのに、福島県は子供を避難させなかったんですよ。避難させるとパニックになるとか避難する場所がないとか、それは言い訳だ」

 まとめていえば、拙著で原発誘致につきリスクとリターンの交換があったと論じたが、ここで、その構造が再現されているといえる。放射能汚染というリスクが「地域社会における生存」のためのリターンと交換されている。そして、リスクはより顕在化し、そのリスクのために、リターンは本当に利益になるのか疑わしい。このように、不安は顕在化しているのに、「安全」を信じるしか生きていけないと意識されているのだ。結果的には、3.11を通じて、「リスクとリターンの交換」という構造は、変わらなかったといえるのである。

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本ブログでは、雁屋哲作・花咲アキラ画「美味しんぼ」において鼻血など福島の人びとの健康状況をとりあげたことに対して閣僚や福島県知事などが批判したことについて、もともと、鼻血の有無も含めて、避難区域など除外した福島県民全体に対して十分健康診査をしていないことを述べた。

さて、5月19日に、福島の人びとの健康状況をとりあげた「美味しんぼ」の「福島の真実」編のクライマックスである第604話(『週刊ビックコミックスピリッツ』2014年6月2日号所載)の販売が開始された。そのことを伝える NHKのネット配信記事をまずみてほしい。

健康影響描写が議論「美味しんぼ」最新号
5月19日 16時36分

東京電力福島第一原子力発電所の事故による健康影響の描写が議論を呼んだ漫画「美味しんぼ」を連載する雑誌の最新号が19日に発売され、地元福島県では「不安に追い打ちをかけられた」と批判的な意見がある一方で、「原発事故の問題が風化してきているなかで発信することは大事だ」と理解を示す声も聞かれました。

「美味しんぼ」は、小学館の雑誌「週刊ビッグコミックスピリッツ」に連載されている人気漫画です。
先月28日の連載で、主人公が福島第一原子力発電所を取材したあとで鼻血を出し、実名で登場する福島県双葉町の前町長が「福島では同じ症状の人が大勢いますよ」と語る場面などが描かれ、福島県や双葉町が「風評被害を助長する」などと批判していました。
最新号では、自治体からの批判や、有識者13人の賛否両論を載せた特集記事が組まれ、最後に「編集部の見解」が掲載されています。
この中で編集部は、一連の表現について「残留放射性物質や低線量被ばくの影響について、改めて問題提起したいという思いもあった」と説明したうえで、「さまざまなご意見が、私たちの未来を見定めるための穏当な議論へつながる一助となることをせつに願います」と締めくくっています。
これについて、福島県ではさまざまな意見が聞かれました。
このうち、福島県中島村の64歳の女性は「放射線量が下がってきて、食品もいろんな検査を通して落ち着いて生活できるようになってきたのに、3年目にして不安に追い打ちをかけられた気持ちです」と話していました。
本宮市に住む30歳の女性は「全体的に原発事故の問題が風化してきているので、このように発信することは大事だと思う。福島がこれから立ち上がっていこうとしているところをほかの人にも知ってほしいし、この問題を取り上げるのは勇気のいることではないか」と理解を示していました。

前双葉町長「住民と議論尽くすべき」
漫画「美味しんぼ」に実名で登場した福島県双葉町の前の町長の井戸川克隆氏は19日、NHKの取材に応じました。
このなかで井戸川前町長は、血が付いた紙を見せながら、みずからもいま毎日のように鼻血がでるとしたうえで、「鼻血が出ることについて、風評ということばで片付けられようとしているが、福島でどのように皆が苦しんでいるか、鼻血がどれくらい出ているか、実態を調べていない人が『ない』と言っている感じがする」と話しました。
そのうえで、「『安全だ』と言う人と『危険だ』と言う人の両方の意見を聞くべきだが、そうしたプロセスが取られずに、安全だとか、安心だという宣伝ばかりが先行しており、危険だという人の意見を小さくしている。避難にあたっての放射線の基準などについて、政府は一方的に考えを押しつけるのではなく、さまざまな考えを持つ住民と議論を尽くすべきだ」と述べました。

被ばく検査の医師「国民全体が放射線の知識を」
東京電力福島第一原子力発電所の事故による健康影響の描写が議論を呼んだ漫画「美味しんぼ」について、福島県南相馬市を拠点に住民の被ばく検査を行っている東京大学医科学研究所の坪倉正治医師は、放射線の影響を正しく判断できるよう、国民全体が放射線の知識を身につけることが重要だと訴えました。
坪倉医師は被ばくと鼻血の関連性について、「現在のさまざまな放射線量の測定では、被ばくが鼻血を引き起こすような高いレベルではない。被ばくによる鼻血は血小板の減少で出血するので、鼻血が少し出るという程度ではすまない」と指摘しました。
また、福島には住めないという表現について、「汚染が起きたことは確かだが、3年以上計測してきた住民の被ばく線量では、現在、人が住んでいる地域は安全性が担保される被ばく量に収まることが分かっている」と述べました。
そのうえで、「今回の件で福島の子どもたちが将来、差別を受けるきっかけを作ってしまったことは残念だ。差別や臆測に対して行われている放射線の検査や被ばく線量などを、福島の住民1人1人が自分のことばで説明できるようになってほしい。福島県外の人たちも福島の現状を正しく理解し、放射線を安全か危険かという二元論ではなく、どういうものかを小中学校できちんと議論して理解する機会を増やすべきだ」と訴えました。

「正しい情報提供を積極的に」
メディア論に詳しい学習院大学の遠藤薫教授は「放射能を不安に思っている人に対して『根拠がない。風評だ』とだけ言っても、実はもっと怖いことが隠されていると思ってしまい、事態が悪化する。不安に対していろいろな形で答えていくのが重要で、これまでの研究でも正しい情報を積極的に提供していくことで、根拠のないデマに惑わされなくなるというのがセオリーだ。委縮して声を出しにくい状況をつくるのではなく、いろいろな情報を出して議論する場をつくっていかなければいけない」と話しています。

被ばく医療専門家「血管だけ障害考えられない」
被ばく医療が専門の放射線医学総合研究所の明石真言理事は「全身に被ばくして骨髄に障害が起きて血小板が減り鼻血が出ることはありえるが、今回の事故では住民に骨髄に障害が起きるような被ばく線量になっていない。鼻の周辺に強い放射線が当たるような場合でも周辺の粘膜や皮膚組織にも障害が出るはずで、血管だけが障害を受けるということは考えられない。鼻血の症状を訴える頻度が増えているとしたら放射線以外のことを考えるべきで、さまざまな原因があり人によって違うと思う」と話しています。
そのうえで今回の問題については「人々の間に放射線への不安が完全には消えていないことと、専門家の話を心の底から信頼できていないことが大きいと思う。『また福島でこんなことが起きているの』と福島県外の人に思わせてしまったことは大きなマイナスで、こういうときにどうすべきかみんなで考えていくべきだと思う」と話しています。

「国は疑問解決のための調査を」
「美味しんぼ」の問題について、科学技術と社会の関係を研究している大阪大学コミュニケーションデザイン・センターの平川秀幸教授は、「放射能の影響を一面的に描くことで誤った情報が広まるおそれがあり、当然配慮が必要だったと言える。しかしこの一方で、多くの人が被ばくについて心配するなか、住民の不安な思いなどがかき消され、伝えられなくなるのは大きな問題だ」と指摘しています。
そのうえで、「国などは住民が放射能の影響について何を問題とし不安に思っているかきちんと向き合い、疑問を解決するための調査などを進めていく姿勢が求められる」と話しています。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140519/k10014553891000.html

この記事は「美味しんぼ」における福島の人びとの健康状況の描写の是非について述べているが、「美味しんぼ」漫画全体では、何をメッセージとして訴えているのかについては全くふれていない。この「描写」についても、「メッセージ」と表裏一体の関係にあるはずだが、それは全く考慮されていないのである。

私自身は、19日に、この「美味しんぼ」が掲載されている『週刊ビックコミックスピリッツ』2014年6月2日号を入手した。漫画自体をコピペしたり、あらすじを詳細に述べてネタバレすることはさけつつ、『美味しんぼ』が発したメッセージをここで紹介しておこう。

一応、簡単に設定を紹介しておくと、この「美味しんぼ」第604話は、料理批評のライバルであり親子でもある山岡士郎と海原雄山が、取材チームをひきつれて、福島県内外において、福島第一原発事故による福島の人びとへの影響を2013年4月に取材するというものである。この取材過程で、主に山岡と海原がメッセージを述べているのである。

まず、この漫画の前のほうで、前号などにとりあげた井戸川克隆前双葉町長と荒木田岳福島大学准教授について触れながら、海原と山岡は、次のような対話をしている。

海原雄山:井戸川前双葉町長と福島大学の荒木田先生は、福島には住めないとおっしゃる…。
だが、放射能に対する認識、郷土愛、経済的な問題など、千差万別の事情で福島を離れられない人も大勢いる。
今の福島に住み続けて良いのか、われわれは外部の人間だが、自分たちの意見を言わねばなるまい。
山岡士郎:自分たちの意見を言わないことには、東電と国の無責任な対応で苦しんでいる福島の人たちに嘘をつくことになる。
海原:偽善は言えない。
山岡:真実を語るしかない。

ここで、「美味しんぼ」のメッセージのテーマが明確に提起されている。それは、福島に住みつづけることの是非について、外部の人間から「自分の意見」を言うことなのだ。これを言わないことについて、山岡と海原は「福島の人たちに嘘をつくこと」であり、「偽善」というのである。そして、山岡は「真実を語るしかない」という。

そして、この漫画の後のほうで、このテーマに対する答えが述べられている。まず、山岡は「原発事故は日本という国がいかに大事なものか思い知らせてくれた。福島を守ることは日本を守ることだ」といっている。その部分を紹介しておこう。

山岡:僕の根っこが福島だという父さんの言葉についてだけど、原発の事故がこのまま収まらず、拡大したら福島県は駄目になる。
それは福島にとどまらず日本全体を破壊する。
福島の未来は日本の未来だ。これからの日本を考えるのに、まず福島が前提になる。
海原:なるほど。だから福島は日本の一部ではなく、日本が福島の一部と前に言ったのだな。
山岡:世界のどこにいようと僕の根っこは日本だ。
原発事故は日本という国がいかに大事なものか思い知らせてくれた。
福島を守ることは日本を守ることだ。であれば、僕の根っこは福島だ。
海原:うむ。私の問いに対する答えとして、それでよかろう。

私自身の個人的な感覚では「福島を守ることは日本を守ることだ」というフレーズに違和感を感じなくもない。福島第一原発事故は、単に「日本」だけの問題ではなく、「世界」全体の問題になっていると考えているからである。ただ、いずれにせよ、福島を守るということは、福島以外を守るということでもあるということは確かなことだ。その意味で、福島の外部にいる者も「福島」の運命に結び付けられているのである。それを「美味しんぼ」はこの部分で確認している。

その上で、「美味しんぼ」では、福島県に住みつづけることの是非について、このように結論づける。

山岡:父さんは、福島の問題で、偽善は言えないと言ったね。
海原:福島に住んでいる人たちの心を傷つけるから、住むことの危険性については、言葉を控えることが良識とされている。
だが、それは偽善だろう。
医者は低線量の放射能の影響に対する知見はないと言うが、知見がないと、とはわからないということだ。
私は一人の人間として、福島の人たちに、危ないところから逃げる勇気をもってほしいと言いたいのだ。
特に子供たちの行く末を考えてほしい。
福島の復興は土地の復興ではなく、人間の復興だと思うからだ。
山岡ゆう子:人間の復興…それが一番大事だわ。
飛沢周一(別人かもしれない):では、われわれにできることは。
山岡:福島を出たいという人たちに対して、全力を挙げて協力することだ。
海原:住居、仕事、医療などすべての面で、個人では不可能なことを補償するように国に働きかけることだ。
岡星良三(別人かもしれない):そう働きかけることはわれわれの義務だ。

「美味しんぼ」は、福島の人たちへは「危ないところから逃げる勇気をもってほしい」とよびかけた。他方、福島の外部にいる「われわれ」に対しては「福島を出たいという人たちに対して、全力を挙げて協力することだ」「住居、仕事、医療などすべての面で、個人では不可能なことを補償するように国に働きかけることだ」と課題を提起し、それを「われわれの義務」とした。

「美味しんぼ」は、「医者は低線量の放射能の影響に対する知見はないと言うが、知見がないと、とはわからないということだ」と指摘している。これは、全く、その通りである。「美味しんぼ」について、非科学的などという批判が浴びせられた。しかし、他方で、だれも「低線量の放射能」が健康に影響しないと言い切ることはできない。そのような調査すらやっていないのである。

その上で指摘された「福島の復興は土地の復興ではなく、人間の復興だ」とする言葉は重い。復興の目的が「人間の復興」であるならば、健康に影響に影響があることが懸念される土地に住みつづけるということは、ありえないことなのである。結局、一般的に言われている「復興」とは「土地の復興」であって「人間の復興」ではないということなのである。別に放射線のことがなくても、国や地方自治体が進めていることは、所詮「土地の復興」であり「人間の復興」ではないのである。

このメッセージは、非常に勇気のあるものだ。個々の漫画叙述についてひっかかる人も、安倍政権の閣僚や福島県知事ではなくてもいるだろう。それでも、「美味しんぼ」のこのメッセージをうけとってほしいと思う。

もちろん、福島県に住み続けなくてならない人びともたくさんいる。その人びとにとって、このメッセージは意にそぐわないこともあるだろう。このメッセージは「理想」論であり、現実には実現できないという人もいるだろう。しかし、こう考えて欲しい。「現実」を多少とも我慢できるものとしていくためにも「理想」は必要なのであると。

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