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2015年7月22日、NHKのクローズアップ現代で、「もう一度咲かせたい 福島のバラ」(水)という表題で、福島第一原発事故で「帰還困難区域」となり、事実上閉鎖に追い込まれた双葉ばら園について放映された。まず、番組の紹介をみてほしい。

もう一度咲かせたい 福島のバラ

 
出演者
開沼 博 さん
(福島大学うつくしまふくしま未来支援センター特任研究員)

福島県双葉町に、イギリスのウィリアム王子など世界中の人たちが強い関心を示し、復活を切望するバラ園がある。7000株ものバラが咲き乱れ、“日本で最も個性的で美しい”と称賛された「双葉ばら園」だ。地元の岡田勝秀さん(71)の一家が40年以上かけて築いたが、原発事故で荒れ野と化してしまった。ばら園は原発事故がもたらした悲劇の象徴として知れ渡り、再建を願う声は今も後を絶たない。しかし賠償手続きは難航。ばら園の価値をはかることは難しいというのだ。避難先の茨城県つくば市で茫然自失の日々を送っていた岡田さんを変えたのは被災者からの言葉だった。「失った暮らしがバラと重なる。だからこそ再び美しいバラを咲かせてほしい」。今年、岡田さんは養護施設で子供たちと一緒にバラを育て始めた。目を輝かせて取り組む子供たちの姿に力をもらっているという。岡田さんの姿から福島のいまを見つめ、取り返しのつかないものを失った人々に何が必要なのか、考える。
http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail_3689.html

この双葉ばら園は、双葉町に所在し、ばら愛好家の間では知られた存在であった。私も、よくこの前を通り、1、2回は中を見たことがある。しかし、初夏に行くことができず、花盛りのばら園をみたことがない。今となっては永遠に見ることはできない。福島第一原発事故で残念に思うことの一つだ(もちろん、こればかりではないけれど)

この番組の冒頭では、写真などをもとにしてCGで花盛りのばら園を再現していた。この番組内容をおこしたサイトがあるが、それによると全体は6ヘクタールになり、個人経営としては国内最大規模で、750種7000株のバラが植えられ、年間5万人の人が訪ねたという。(http://varietydrama.blog.fc2.com/blog-entry-2881.htmlより、以下番組内容については、同サイトより引用)

しかし、福島第一原発より8キロの場所にあり、放射線量が高く、今でも「帰還困難区域」にある。園主は200キロ離れた茨城県つくば市に避難し、ばら園を手伝っていた息子たちも別の仕事につかざるをえなくなった。こうして、4年以上もの間、ばら園は手入れされることもなく、荒れ果ててしまった。双葉でのばら園再開はあきらめざるをえなくなったのである。

園主に別の場所でのばら園再開を求める人たちもいる。しかし、園主は再開に踏み切れない。その理由を、クローズアップ現代では、このように説明した。

バラ園を再建するためには新たな土地に移るかしかありません。
しかし岡田さん(園主)はまだ具体的には考えられないといいます。
その理由は東京電力との賠償交渉が進まず再建のための資金にメドが立たないためです。
岡田さんのようなバラ園の賠償は前例がありません。
東京電力の基準ではヒノキやスギなどを植えた人工林と同じ扱いになります。
しかし岡田さんは、そのことに納得がいかないといいます。

基本的には、東電との間の賠償交渉が不調のため、ばら園再開の資金がないということが、ばら園再開を阻んでいるといえよう。同番組では「一向に先が見えない日々」と表現している。

その上で、クローズアップ現代では、ある養護施設が、ばら栽培の専門家としての園主に子どもたちの心を慰めるばら苗植え付けを依頼したり、支援者がばら園の写真展を開始したりすることを肯定的に伝えている。

そして、ここで、「被災者の方々への聞き取りをずっと続けている」「福島県いわき市のご出身」で福島大学うつくしまふくしま未来支援センター特任研究員」の開沼博氏が登場してくる。開沼氏は、福島原発の建設経過から福島第一直後の状況を扱った『フクシマ論』の著者として著名である。

開沼氏は、震災や原発事故などで失われたもののなかで、死亡者や賠償金額など数字に表されるものはわかりやすいが、生きがいとか、社会的役割とか、仕事とか、未来への展望とか外からは見えにくいとする。そして、被災者たちは、政治とか行政とかメディアと研究者とかへの社会的信頼ととも自分自身への信頼も失っていると主張する。

その上で、このようにいう。

もうかなうならば、失われたものが元に戻ってほしい、多くの方がそういうふうに思っています。
一方で、なかなかその思いというのはかなわない。
失われてしまったものをどうすればいいのかと思っている方が多いです。
そこに対して、1つは、いわゆる公助、公に行政とか東電とかが補償、賠償などをするということがあります。
ただそれだけで足りない部分というのがあるわけですね。
VTRの中でもありましたとおり、なかなかお金に換算できない価値というのがある。
(中略)
やっぱり重要なのは、そういう賠償、補償などだけではカバーしきれない部分というのをいかに立ち直していくか。
ここで重要になってくるのは承認というキーワードだというふうに思っています。
これ、承認っていうのは、まず1対1の関係で、あなたはそこにいていいんだと、分かりやすくいうなら、そういう感覚だと思います。
そして自分自身がここにいて、こういうことをやっていいんだという感覚。
それが失われているわけですね。
これをどういうふうに立て直すか、もちろん公助はまだまだ必要ですけれども、いわゆる自助、共助といわれる、つまり自分たちの身の回りで、あなたがこういうふうに必要なんだよ、ここにいてよと。
あるいは自分たちと一緒に何かやってくださいと

まとめていえば、東電の賠償も含めて「公助」としつつ、金銭でカバーしきれない部分について、被災者の自己承認を回復させるためとして、「自助」「共助」の重要性を主張したのである。

こういう番組があることはいいことである。しかし、開沼氏のような捉え方は、非常に奇異に思える。東電は原発事故を起した責任者である。そして、原発事故で住めなくなったり、使えなくなってしまった財産に対する賠償は、権利の侵害に対する代価を義務として提供することであって、津波被害などの自然災害による被災者の生活を政治的に救助するという意味での「公助」ではない。

まず、そうした理解の上にたって、「双葉ばら園」について考えてみよう。ばら園が再開できない最大の理由は、東電の賠償交渉が不調であるということである。東電の賠償金は、たぶん一般山林と同様な基準で賠償を考えているのであろう。しかし、その金額ではばら園再開はできないため、園主は再開できないと考えているのだ。ばら園創設後の手間は確かに金額に換算できない。しかし、少なくとも、別の場所でばら園を再開することが可能な程度が最低の賠償金額になるべきだと思う。

一方、NHKや開沼氏の強調する「自助」「共助」はどうだろうか。生活者的視点から考えて、被災者自身や被災者を受け入れている地域社会の側で、そのような営為が不要であるとは思われない。聞き取り調査などすれば、そういう意見も出るだろう。そもそも東電の賠償が失われた財産の最低限度にたるものになるかどうか不明でもある。しかし、それは、NHKや開沼氏のような非当事者が一方的に強調してよいこととは思えない。それでもたぶん、かれらは「被災者によりそう」視点として自己規定するだろう。

番組全体では、東電の賠償を「公助」として「義務」的色彩をうすめつつ、それに頼らない被災者の「自助」「共助」を説いているといえるのである。しかし、これでよいのか。こういうことで、「福島のばら」は「もう一度咲く」のであろうか。

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さて、開沼博氏の見解については、折にふれて言及してきた。しかし、あまり、端的に原子力の危険性について彼自身が述べているものは少ない。ここで検討してみる、『クーリエ・ジャポンの現場から』という同誌編集部のブログに掲載された「2012 .04.22 開沼博さんが質問に答えてくれました(前編)」の中で述べている、科学技術の危険性についての文章は、数少ない例といえる。

これは、いくつかの質問に、開沼博氏が回答を行うというスタイルで書かれたものである。そのうち、二番目の質問は、

…ただ、原発もそうだと思うのですが、ITにしても科学が人に牙をむくまでは人間にとって非常に便利なものだと思います。危険性を恐れて、その便利さを放棄するのもナンセンスだと思うのです。…便利さとリスクとのバランスについて、どのような姿勢で臨めばいいと思われますか。

というものであった。科学技術のリスクと利便さはどのように考えていけばよいのかという質問といえる。

この質問に対し、開沼氏は、次のように答えている。

ご指摘の通り「リスクがあるから放棄する」という短絡思考はナンセンス。「今でもふぐ毒で死傷者が出ているから、ふぐを食べること自体を禁止すればいい」と同様、無茶な話です。少しでも利便性がある以上、仮に、ある技術を全廃しようとしても、その実現可能性は極めて低い。

ここでは明示はされていないが、原発も含んでいるであろう科学技術のリスクをふぐ毒にたとえ、その放棄を「短絡思考」としてナンセンスであるとし、利便性がある以上は科学技術を全廃することは難しいとしているのである。

開沼氏が、原発を含んだ科学技術のリスクを「ふぐ毒」にたとえたのは、いろんな意味でふさわしくないといえる。まず、第一にいえるのは、ふぐ毒による死傷者はもちろんふぐを食べた当事者に限られるであろう。しかし、原発からの放射能、工場などから排出される有害物質、残留農薬、そして地球温暖化を惹起する二酸化炭素など、科学技術によるリスクは、狭義の意味の当事者を超え、ある意味では、地球全体の規模に及んでいる。

このことは、福島第一原発事故がよく示しているといえよう。福島第一原発事故による放射能汚染は、立地している地域社会だけでなく、福島県を中心とした東日本、そして地球規模に及んでいる。1986年のチェルノブイリ事故以後、開沼博氏自身も言及しているドイツの社会学者ウルリヒ・ベックは「『他者』の終焉」(『危険社会』)とよんでいる。排除しえない原子力の危険においては「現代における保護区や人間同士の間の区別を一切解消」されてしまうのである。そして、周縁に隔離したはずの原発も、その事故においては、「中央」にも被害を与えることになる。ゆえに、信条・階層・地域をこえて、脱原発運動が惹起されるのである。

科学技術のリスクをふぐ毒の比喩で考える開沼氏の意識は、このように広範におよぶリスクを「個別的な」ものとしてのみ把握しているといえよう。開沼氏にとっては、美味なふぐを味わうことによって想定されうるリスクは、ふぐ毒によって食べた人が死傷することなのである。そして、この認識は、原発の設置によるリスクを、リターンのある立地された自治体の内部の問題として考えようとする開沼氏の志向につながっていくように思われる。自治体の住民からみてもこのような事態が本末転倒であることはいうまでもない。しかし、科学技術とそれによる産業開発のリスクは、それによって特別な恩恵を蒙ることのない人びとにも及ぶのだ。例えば、飯館村はどうなのだろうか。つまり、もはや、福島原発の立地自治体だけに限定できる問題ではないのである。

一方、ふぐ毒は、調理方法で対処可能なものである。適切な調理方法で処理されているふぐは、一般的に中毒を起こすことはない。その意味で、ふぐ毒のリスクは、人の手で対処することができる。ゆえに、「ふぐを食べることは禁止されない」のである。

原発事故はどうであろうか。原発が人の手で作り出され、人の手で運転されている。しかし、メルトダウンなどの過酷事故が起きると、少なくとも短期的には制御不能になってしまう。福島第一原発事故において、人の手による調整がまったく意味がなかったとはいわないが、少なくとも、メルトダウンや爆発などによる放射性物質の外部環境への拡散を防ぐことはできなかった。

そして、さらに問題になることは、福島第一原発事故の直接の契機は、地震や津波などの「天災」であったことである。チェルノブイリ事故の場合、その直接の原因は人的ミスであったといわれている。しかし、福島第一原発事故の場合は、人的ミスですらなく、まさしく「天災」なのである。その意味でも、人の手に及ばない側面を有している。

もちろん、すべての科学技術が制御不可能などではない。残留農薬や工場などからの有害物質の放出などは、ある程度は人の手で制御可能である。リスクがある科学技術がなぜ廃止されないかといえば、別にリターンがあるからだけではない。リスク自体が人の手によってある程度その低減をはかりうるからなのだ。

その意味で、現在のところ、原発のリスクは制御可能にはなってはいないといえる。地震や津波が多い日本においては、世界のどの地域よりも、原発のリスクは大きいのである。

その意味で、開沼氏が科学技術によるリスク一般をふぐ毒にたとえたことは、科学技術のリスクを制御可能で低減しえるものとしてみていることを意味しているといえよう。そして、それには、原発も含んでいるのだろう。原発のリスクを人の手で制御して、その低減をはかりうるならば、原発からのリターンと等価交換可能になると、開沼氏は考えていると思われる。

もちろん、開沼氏は、科学技術については、彼なりに考えている。次の文章をみてほしい。

しかし、それでも科学技術との関わりかたを慎重にしなければならないのは事実です。

いかなる姿勢が必要か。科学的な道具は道具として「崇拝」しないことです。…これを「呪物崇拝」と言いますが、「呪物崇拝」は未開社会・前近代社会のみに特異な現象なのかというと、そうではない。近代社会においても、人間のコントロール下にある「ただの道具」が、いつの間にか神の如く人間をコントロールし、また人間がその魔力に惹かれて、ものとの関係が逆転する現象は、たとえば経済だと貨幣、政治だとイデオロギー等々において見られます。

科学においても、ある技術が「崇拝」、信仰の対象物かのような扱いをうける現象がしばしば見られます。震災以後の、現下の状況において「安全神話」とか、そのネガとして「けがれ」と言った「宗教的な」言葉が使われることにも象徴的です。

彼によれば、科学は道具であり、それを崇拝しないことが重要だとしてしている。最後の「科学においても、ある技術が「崇拝」、信仰の対象物かのような扱いをうける現象がしばしば見られます。震災以後の、現下の状況において「安全神話」とか、そのネガとして「けがれ」と言った「宗教的な」言葉が使われることにも象徴的です。」というところは重要である。「震災以降」と限定し、「安全神話」「けがれ」という二項対立を提示していることに注目しておきたい。一般的に「安全神話」といえば、震災以前の、原発の安全性を保障する言説をさしていることが多いのだが、ここでは、震災以降の「風評被害」「福島差別」などをさしているように思えるのだ。ただ、この文章は曖昧で、どちらでもよめるともいえる。

そして、最後に、このように述べて回答を終えている。

道具は道具であるとして割り切る。「崇拝」し始めてはいないか、常に疑う。さもなくば、ウルリッヒ・ベックが言うようなリスクが、私たちに襲い掛かってきます。

どのようなことを開沼氏が主張してもかまわない。しかし、ここで、ベックの主張をひいてくるのは適切さを欠いていると思う。別に、ベックは、「科学技術の呪物崇拝化によるリスクの招来」など論じてはいない。ベックのいう科学技術によって生じたリスクは、未来形で「襲い掛かってくる」ものなのではない。少なくとも、1986年のチェルノブイリ事故以降、私たちみなに襲い掛かってきているものなのである。そして、それは、3.11以降、私たちの眼前に提示されているのである。

すでに、ベックが、地球全体に及ぶ科学技術のリスクにおいては、すべての人びとは当事者であり、「他者」など存在しないとしていることを述べた。これは、開沼氏の議論の対局に属するものである。さらにベックは、このように指摘する。

 

近代が発展するにつれ富の社会的生産と並行して危険が社会的に生産されるようになる。貧困社会においては富の分配問題とそれをめぐる争いが存在した。危険社会ではこれに加えて次のような問題とそれをめぐる争いが発生する。つまり科学技術が危険を造り出してしまうという危険の生産の問題、そのような危険に該当するのかは何かという危険の定義の問題、そしてこの危険がどのように分配されているかという危険の分配の問題である。(『危険社会』)

ベックは、「危険」ーリスクの問題を正面に見据えて論を展開しようとしている。それは、ベックにとっては、すでに存在するものなのである。その意味で、開沼氏のリスク認識とは違ったものといえるのである。

開沼氏の書いていることが、すべて不適切だとは思わない。ある意味で、原発建設を積極的に受け入れざるをえなかった立地自治体住民の意識を内在的に描き出しているといえる。しかし、やはり、3.11以後の、福島第一原発事故のリスクー危険を正面から見据えていくことが課題であると思う。少なくとも「ふぐ毒」にたとえるようなものではない。そして、それは、原発からのリターンを強調する、野田首相、経団連、官僚、立地自治体首長たち全員の課題なのである。

参考
http://courrier.jp/blog/?p=10959

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福島原発が立地している地域社会について書いた『「フクシマ」論』の著者開沼博氏が『週刊プレイボーイ』の取材にこたえて、「”燃料”がなくなったら、今の反原発運動はしぼんでいく」というインタビュー記事を出している。それが、ネット配信されている(7月19日付)。参考のために、全文の引用を末尾に付した。

その内容をひと言でいえば、原発が立地している福島県の地域社会を代弁した形で行った、脱原発デモ批判ということができる。彼にとっては、複雑な現代社会では、簡単に原発の代替手段をみつけることができないとしている。その上で、脱原発運動を「外部の人の活動」と把握し、地域社会の人びとの心情を踏みつけるものでしかないと主張する。

その上で、彼は、まず「自分は原発について真剣に考え始めたばかりだ」ということを自覚して、歴史を学び、なぜ3・11以後も日本が原発を選び続けるのか学ぶべきです。この運動は、このままでは近い将来にしぼんでいく。すでに“反原発マインド”を喚起するようなネタ―「大飯の再稼働」「福島第一原発4号機が崩れる」といった“燃料”が常に投下され続けない限り、維持できなくなっている」と述べている。開沼氏は、「3・11を経ても、複雑な社会システムは何も変わっていない。事実、立地地域では原発容認派候補が勝ち続け、政府・財界も姿勢を変えていない。それでも「一度は全原発が止まった!」と針小棒大に成果を叫び、喝采する。「代替案など出さなくていい」とか「集まって歩くだけでいい」とか、アツくてロマンチックなお話ですが、しょうもない開き直りをしている場合ではないんです。」というのである。

そして、開沼氏は、「原発再稼働反対」という中で、「震災復興」が忘却されているという。彼は「原発の再稼働反対にはあんなに熱心なのに、誰もそこに手を差し伸べない。「再稼働反対」しても、被災地のためにはならない。」と述べている。

開沼氏は、社会システムの”代替案”を提示すべきであるとして、「原発ありきで成り立っている社会システムの“代替案”をいかに提示するか。どうやって政治家や行政関係者、そして原発立地地域の住民に話を聞いてもらうか。少なくとも今の形では、まったく聞いてもらえない状況が続いているわけですから。かなり高度な知識を踏まえて政策を考えている団体は少なからずあります。自分で勉強して、そういうところに参加したり、金銭面でサポートしたり。もちろん新しい団体をつくったっていい。「代替案がなくても、集まって大声出せば日本は変わる」と信じたいなら、ずっとそうしていればいいと思いますが。」と主張する。

開沼氏にいわせれば、代替案を主張しない限り、脱原発デモの主張は、政治家・行政関係者・立地地域住民に聞き入れられないのだろうということになるだろう。

開沼氏の議論は、3.11以前ではある程度通用したであろう。開沼氏が描き出した3.11以前の福島県の原発立地地域社会では、雇用・電源交付金・固定資産税・購買力などの原発からのリターンを得ることによって、原発のリスクを看過する考え方がヘゲモニーを有していたといえる。その中で、原発のリターンは、立地する地域社会の経済を支える要因となっていたといえる。そして、3.11直前には(1970年代では地域社会内部でもかなり原発建設反対派がいたが)、原発反対派は「外部の人」として意識されるようになったといえる。開沼氏は、『「フクシマ」論』で、もっぱら、福島における原発の建設過程を「中央」ー「地方」の従属関係で描いているが、その際、彼にとって、脱原発運動というものも、「中央」からの「地方」への無責任な干渉にすぎないのである。もちろん、原発建設自体が「中央」ー「地方」の従属関係を前提にするものだが、開沼氏にとって原発建設によって地域経済は成り立っているとして、結果的には原発を是認しているといえよう。このインタビューにおける脱原発運動は、そのような考え方の延長線上にあるといえる。

3.11以後、福島第一原発事故により、原発が立地していた地域社会の住民は根こぎになった。そうなってくると、雇用・電源交付金・購買力などは意味をもたなくなる。高橋哲哉氏が「大事故と補助金との等価交換は存在しない」(『犠牲のシステム 福島・沖縄』)で述べている。そして、放射性物質による汚染は、原発で利益を受けていたかいなかとは関係なく及ぶ。そのため、飯館村などは強制的避難の対象となった。また、福島県の中通り地方(福島市・郡山市など)においても、除染作業や自主的避難を要するようになった地域が各所に存在する。そして、放射性物質が降下したのは、東北・関東圏の広い地域に及んでいる。

こうなってくると、福島県内でも日本社会全体でも、脱原発の意見が表明されるようになった。ここでも紹介したが、2012年1月30日に国会事故調で、井戸川克隆双葉町長は、原発災害について、このように語っている。

それ以外に失ったのはって、膨大ですね。先祖伝来のあの地域、土地を失って、すべてを失って、これを是非全国の立地の方には調べていただきたい、見に来ていただきたい、目を閉ざさないで現実を見に来ていただきたいと思います。どんなに良かったのか、どんなに悪かったのか、来られれば説明します。結果的に我々は今大変な目に遭っておりますので、私は良くなかったなと、そんな風に考えています。

つまり、立地していた地域社会内部でも「脱原発」の主張がなされるようになった。この前の福島市で行われた意見聴取会でも、ほとんどが原発ゼロシナリオばかりが主張されたと聞いている。官邸前の10万人程度の声だけではないのである。開沼氏は、最早、地域社会内部でも「脱原発」が顕在するようになったということに直視すべきなのだと思う。

この原発事故は、単に資金や労力をつぎこめば解決できるというものではない。ある意味では不可逆的なものなのだ。はっきりいえば、このような原発過酷事故にどのような「代替策」ー「安全策」は可能なのか、ということなのである。原発が「代替策」により安全ならばーただ、単に事故対策というだけでなく、ウラン採掘ー運転ー廃棄物処理の全過程において「安全」でなくてはならないがー、別に廃炉にする必要などない。それこそ、電力会社の経営問題にすぎないのである。しかし、原発において有効な安全対策自体があるのかが疑問である。そして、福島第一原発事故において教訓として得られたことも生かさないで、大飯原発は再稼働されたのである。代替策を真に提示すべきなのは、野田首相を含めた推進派の人びとなのだ。

開沼氏のいうように、原発を放棄した場合、福島などの原発立地地域社会において、原発依存の経済が脱却するために、なんらかの経過的措置が必要にはなろう。しかし、それは、雇用にせよ交付金にせよ、何らかの形で措置が可能なことである。例えば、東海村長が東海第二原発の廃炉を求めているが、それは日本原子力研究所などにより雇用が確保されているということが前提になっていよう。他の原発立地地域では、東海村ほど簡単に原発の経済的リターンを捨てることは難しいと考えられる。それでも、ある意味で、代替策を構想する道は、ある程度見えているといえる。

そして、このようなことは、デモに参加している一般の人びとにストレートに求めることではなく、ある程度知識を有している開沼氏の課題といえるのである。もちろん、開沼氏だけでなく、官僚・電力会社・学者・技術者・政治家の課題である。「人びとの声を聞け」と呼びかけられているのは、野田首相だけではない。開沼氏もまたそうなのであるといえる。福島県の人びとの意見も多様であり、福島第ニ原発再稼働を推進する人びとはいるだろう。しかし、脱原発は外部のものであるという偏見を助長せず、せめて福島県の人びとの多様な意見を聞き、それらの構図を分析しながら、彼なりの代替策を提示することが、立場的に開沼氏に求められているといえないだろうか。

<参考>デモや集会などの社会運動は本当に脱原発を後押しするか? 開沼 博「“燃料”がなくなったら、今の反原発運動はしぼんでいく」
週プレNEWS 7月19日(木)6時20分配信

昨年3月の東日本大震災よりずっと前、2006年から「原発を通した戦後日本社会論」をテーマとして福島原発周辺地域を研究対象に活動してきた、同県いわき市出身の社会学者・開沼(かいぬま)博氏。著書『「フクシマ」論』では、原発を通して、日本の戦後成長がいかに「中央と地方」の一方的な関係性に依存してきたか、そして社会がいかにそれを「忘却」してきたかを考察している。

原発立地地域のリアルな姿を知るからこそ感じる、現在の脱原発運動に対する苛立ち。「今のままでは脱原発は果たせない」と強い口調で語る開沼氏に話を聞いた。

***

■社会システムの“代替案”をいかに提示するか

―昨年の早い段階から、「原発はなし崩し的に再稼働される」と“予言”していましたよね。なぜ、そう考えたのでしょう?

開沼 まず理解しておくべきなのは、現代の日本の社会システムは精密機械のように複雑だということ。もっとシンプルなシステムなら、比較的容易に原発の代替手段を見つけられたでしょう。

しかし、今の社会はシステムからひとつ部品を外せば、多くの人の生活と生命にその悪影響が出るようにできている。もちろん原発にしても然り、です。そのなかで現実的に何ができるか、時間をかけて議論していくしかない。にもかかわらず、それができていない。

―開沼さんは、原発立地地域での反対運動にも懐疑的ですね。

開沼 他地域から立地地域に来て抗議する人たちは、言ってしまえば「騒ぐだけ騒いで帰る人たち」です。震災前からそう。バスで乗りつけてきて、「ここは汚染されている!」「森、水、土地を返せ!」と叫んで練り歩く。

農作業中のおばあちゃんに「そこは危険だ、そんな作物食べちゃダメだ」とメガホンで恫喝(どうかつ)する。その上、「ここで生きる人のために!」とか言っちゃう。ひととおりやって満足したら、弁当食べて「お疲れさまでした」と帰る。地元の人は、「こいつら何しに来てるんだ」と、あぜんとする。

―1980年代にも、チェルノブイリの事故をきっかけに、日本でも大規模な反原発運動が起こりました。

開沼 あの運動は、時間の経過とともにしぼんでいきました。理由はいろいろあります。あれだけやっても政治が動かなかったこともあれば、現実離れした陰謀論者が現れて、普通の人が冷めたこともある。そして今も同じことが反復されています。「原発は悪」と決めつけてそれに見合う都合のいい証拠を集めるだけではなく、もっと見るべきものを見て、聞くべき話を聞くべきです。

―日本で起きた事故が発端という点は当時と違いますが、現象としては同じだと。

開沼 僕は今の運動の参加者にもかなりインタビューしていますが、80年代の運動の経験者も少なくない。彼らは、過去の“失敗”をわかった上で「それでもやる」と言う。「あのときにやりきれなかった」という後悔の念が強いのでしょう。そういった年配の方が「二度と後悔したくない」とデモをし、署名を集めようと決断する。それはそれで敬服します。

でも、そのような経験を持たぬ者は、まず「自分は原発について真剣に考え始めたばかりだ」ということを自覚して、歴史を学び、なぜ3・11以後も日本が原発を選び続けるのか学ぶべきです。この運動は、このままでは近い将来にしぼんでいく。すでに“反原発マインド”を喚起するようなネタ―「大飯の再稼働」「福島第一原発4号機が崩れる」といった“燃料”が常に投下され続けない限り、維持できなくなっている。

―それがなくなったら、しぼむしかない。

開沼 3・11を経ても、複雑な社会システムは何も変わっていない。事実、立地地域では原発容認派候補が勝ち続け、政府・財界も姿勢を変えていない。それでも「一度は全原発が止まった!」と針小棒大に成果を叫び、喝采する。「代替案など出さなくていい」とか「集まって歩くだけでいい」とか、アツくてロマンチックなお話ですが、しょうもない開き直りをしている場合ではないんです。

批判に対しては「確かにそうだな」と謙虚に地道に思考を積み重ねるしか、今の状況を打開する方法はない。「脱原発派のなかでおかしな人はごく一部で、そうじゃない人が大多数」というなら、まともな人間がおかしな人間を徹底的に批判すべき。にもかかわらず、「批判を許さぬ論理」の強化に本来冷静そうな人まで加担しているのは残念なことです。

そして、それ以上の問題は「震災」が完全に忘却されていること。東北の太平洋側の復興、がれき処理や仮設住宅の問題も、「なんでこんなに時間がかかるのか」と、被災地の方たちは口々に言います。原発の再稼働反対にはあんなに熱心なのに、誰もそこに手を差し伸べない。「再稼働反対」しても、被災地のためにはならない。

―確かにそうですね……。

開沼 先日、フェイスブック上で象徴的なやりとりを見ました。警戒区域内に一時帰宅した住民の方が自殺してしまった。その町の職員の方の「今後はこのようなことがないよう頑張ります」という内容の書き込みに対して、ある人が「これでも政府は大飯原発を再稼働するのか」とコメントした。職員の方は「怒ったり、大きな声を出すエネルギーを被災地に向けてください」と訴えました。救える命だってあったはずなのに、議論の的が外れ続けている。

―先ほど「歴史を学ぶべき」という言葉がありましたが、では、デモや怒りの声を上げる以外に何ができるでしょうか。

開沼 原発ありきで成り立っている社会システムの“代替案”をいかに提示するか。どうやって政治家や行政関係者、そして原発立地地域の住民に話を聞いてもらうか。少なくとも今の形では、まったく聞いてもらえない状況が続いているわけですから。

かなり高度な知識を踏まえて政策を考えている団体は少なからずあります。自分で勉強して、そういうところに参加したり、金銭面でサポートしたり。もちろん新しい団体をつくったっていい。「代替案がなくても、集まって大声出せば日本は変わる」と信じたいなら、ずっとそうしていればいいと思いますが。

―確かに、現状では建設的な議論は一向に進んでいません。

開沼 もちろん解決の糸口はあります。例えば、ある程度以上の世代の“専門家”は、原発推進にしろ反対にしろ、ポジションがガチガチに固まってしまっている。これは宗教対立みたいなもので、議論するほど膠着(こうちゃく)するばかりです。そりゃ、「今すぐ脱原発できる、するぞ」とステキなことを言えば、今は脚光を浴びるかもしれない。でも、それができないと思っている人がいるから事態は動かない。立場の違う人とも真摯に向き合わないと何も生み出せません。

若い世代が、その非生産的な泥沼に自ら向かう必要はない。一定のポジションに入れば安心はできます。「みんな脱原発だよね」と共同性を確認し合えば気分はいい。でも、本当に変えたいと思うなら、孤独を恐れず批判を受けながら、現実的かつ長期的に有効な解を追究しなければ。

―世代による“線引き”もひとつの解決策だと。

開沼 僕は原発推進派と呼ばれる人、反対派と呼ばれる人、双方の若手の専門家を知っていますが、ある程度のところまでは冷静かつ生産的な議論が積み重なるんですよ。ここまでは共有できるけど、ここからは意見が分かれるよね、と。例えば「アンダー40歳限定」で集まれば、そこから先をどうするかという建設的な話ができる。僕はそれを身近で見ているから、実はあまり悲観していないんです。

―アンダー40の若手原発討論。それ、週プレでやりたいです。

開沼 面白いと思います。売れるかどうかはわかりませんが(笑)。そういうオープンな議論の試みから現実的な変化が始まります。

(取材・文/コバタカヒト 撮影/高橋定敬)

●開沼 博(かいぬま・ひろし)
1984年生まれ、福島県出身。福島大学特任研究員。東京大学大学院学際情報学府博士課程在籍。専攻は社会学。著書に『「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか』(青土社)、『地方の論理 フクシマから考える日本の未来』(青土社・佐藤栄佐久氏との共著)などがある
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20120719-00000732-playboyz-soci

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本ブログでも紹介したが、福島第一原発の地元である双葉町の中心部には、「原子力明るい未来のエネルギー」という標語がかかれた門が存在している。この門につき、最近、東京新聞は、次の記事をネット配信した。

26年目の訂正 「原発はいらない」 双葉町の標語考えた少年後悔
2012年7月18日 07時14分

 「原子力明るい未来のエネルギー」。福島県双葉町の中心街の入り口に掲げられた看板の標語だ。二十五年前、当時小学六年の大沼勇治さん(36)が町のコンクールに応募し、選ばれた。大沼さんは、一年四カ月の避難生活で「脱原発」を確信した思いを伝えたいと、今月十五日、一時帰宅した際、自ら標語を「訂正」した。
 大沼さんは東京電力福島第一原発の事故後、身重の妻せりなさん(37)と地元を離れ、現在は愛知県安城市で避難生活を送る。町が原子力標語を公募したのは一九八七年。原発が町の未来をつくると信じた言葉が入選。第一原発から約四キロの自宅近くに鉄製の看板が電源立地交付金で建てられ、誇らしかった。
 大学を出て就職などし、二十九歳で帰郷。不動産会社に勤める傍ら、看板の横にある土地にオール電化のアパートを建てて、東電社員にも貸していた。ずっと町の発展が原発とともにある「安全神話」を疑わなかった。
 しかし事故後、町は警戒区域となり、全町民が避難。「平穏な暮らしが町ごと奪われた現実」にさいなまれ、テレビで標語が紹介されるたびに胸を痛めた。自らを責め悔いる日々から「原発の現実を話す権利はある」と考えた。脱原発を行動で示し、その姿を長男勇誠ちゃん(1つ)に将来伝えたいと思った。
 夫婦が一時帰宅した今月十五日、記者も同行した。防護服姿の大沼さんはまず、標語にレッドカードを突き付け「退場」と叫んだ。その後、看板の手前で持参した画用紙を高く掲げた。すると、そこに書かれた「破滅」の二文字が「明るい」に重なり新しい標語が読み取れた。「原子力破滅未来のエネルギー」。二十六年目の訂正の瞬間だった。
 大沼さんは「原発事故で故郷を奪われることが二度とあってはならない。日本に原発はいらない」と話した。 (野呂法夫、写真も)
(東京新聞)
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2012071890071406.html

たぶん、著作権が問題になると考えて、写真そのものは、ここでは紹介しなかった。ネットでみてほしい。簡単に写真を説明すると、「原子力明るい未来のエネルギー」の「明るい」という部分にかかるように「破滅」と書かれた画用紙を大沼氏がかかげ、全体では「原子力破滅未来のエネルギー」とよめるようになっている。

この報道の中身について、詳細な説明は要しないだろう。この出来事は、3.11がこの地域にとってなんであったかを、雄弁に物語っている。

3.11以前であったら、大沼氏は、こんなことは思いつきもしなかったであろう。報道には、「町が原子力標語を公募したのは一九八七年。原発が町の未来をつくると信じた言葉が入選。第一原発から約四キロの自宅近くに鉄製の看板が電源立地交付金で建てられ、誇らしかった。大学を出て就職などし、二十九歳で帰郷。不動産会社に勤める傍ら、看板の横にある土地にオール電化のアパートを建てて、東電社員にも貸していた。ずっと町の発展が原発とともにある「安全神話」を疑わなかった。」とある。大沼氏は、彼自身も東電が福島第一原発をこの地に立地することによって、利益を得ていたのである。

このような、「3.11」以前の世界を、独自な視点で紹介しているのが、本ブログでも紹介した、開沼博氏の『「フクシマ」論』(2011年)である。開沼氏は、この門を掲載写真でとりあげながら、同書でこのように物語っている。

直接的に原発・関連施設がイメージされるか否かという点に関わらず、原子力ムラ(開沼氏の用法では原発が立地している地域社会をさす…引用者注)には、これらのように原子力を身近なものとし、原子力自体やそれに媒介された文化が成立する。これらの例からは、原子力を持つことと引き換えに、あるいは原子力を通して、原子力ムラが自らを肯定する文化を歴史的に作り上げてきているということが言えるだろう。本節の冒頭で示した「原子力ムラは何を包摂するか」という問いに答えるならば、原子力ムラは原子力によってムラにもたらされたアイデンティティや中央の文化を、決して他者によって設計され無理やり押し付けられたというわけではなく、自ら取り込みながら包摂していったということができるだろう。
(中略)
この見方は、原子力ムラにとっても重要なものとなるだろう。原子力ムラは、例え、外部の者がそこにスティグマ(ネガティブなイメージ)を与えていたとしても、原子力は自ら「包摂」するなかでその日常を営んでいるのだ。
(同書p116〜118)

3.11以後は、「原子力」があるがゆえに営むべき「日常」が奪われたといえる。東京新聞の報道では「しかし事故後、町は警戒区域となり、全町民が避難。「平穏な暮らしが町ごと奪われた現実」にさいなまれ、テレビで標語が紹介されるたびに胸を痛めた。自らを責め悔いる日々から「原発の現実を話す権利はある」と考えた。脱原発を行動で示し、その姿を長男勇誠ちゃん(1つ)に将来伝えたいと思った。」とされている。これが、3.11とは何であったということを雄弁に物語っているといえるのだ。3.11以前、原子力を積極的に受け入れる意識が地域社会でヘゲモニーをもっていたとはいえる。しかし、それは、地域社会の「日常生活」が保たれていればこそのことであった。福島第一原発事故以後、この地域社会の「日常生活」は根こそぎ失われた。まさしく双葉町の「門」において、標語の作者自身が「原子力明るい未来のエネルギー」から「原子力破滅未来のエネルギー」へ言い換えたことは、そのことを象徴的に示しているといえるのである。そして、これが、この地域における「東日本大震災の歴史的位置」を示す出来事なのである。

加えていえば、単に福島第一原発が立地する地域社会だけではなく、他の原発が所在する地域社会を含めた日本全体、さらに世界全体にとっても「原子力明るい未来のエネルギー」から「原子力破滅未来のエネルギー」と意識転換していかねばならないだろう。これは、すでに、1986年のチェルノブイリ事故で示されていたことであった。東日本大震災を契機とした福島第一原発事故は、再度、このことを示したものでもあったのだ。

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前回のブログでは、高橋哲哉氏の『犠牲のシステム 福島・沖縄』において、福島第一原発事故において第一義的に責任を負わねばならない人びとは、原発の災害リスクを想定しながらも、有効な対策をせず、さらには無責任に「安全神話」を宣伝して原発を推進していった「原子力ムラ」の人びとであると措定していることを紹介した。ある意味では、原発民衆法廷など原発災害の法的責任を追求するためには有効な論理といえるだろう。

他面で、大都市や立地地域住民は、無関心であるがゆえに、原発の災害リスクを認識していなかったと述べている。高橋氏によれば、原発の災害リスクと補助金の等価交換は存在せず、立地地域住民は「安全」であるとされているがゆえに、原発建設を受け入れていったとしている。そして、大都市の住民も「安全」であるとされているがゆえに、原発から供給されている電力を良心の呵責なしに享受できたとされている。

しかし、原発の災害リスクを大都市や原発立地地域の住民が認識していなかったといえるのだろうか。もちろん、十分に認識しているというわけでもなく、「安全神話」に惑わされているということも大きいとは思うのだが。

まず、高橋氏と全く違う論理が展開されている開沼博氏の『「フクシマ」論』(2011年)において、原発災害のリスクがどのように扱われているのかをみておこう。本ブログで紹介したこともあるが、開沼氏は原発からのリターンがないと原発立地地域社会は存立できなかったし、これからもそのことは変わらないと本書で主張している。高橋氏とは対局の論理ということができる。

それでは、開沼氏にとって、原発のリスクはどのようにとらえられているか。開沼氏は、原発労働者の問題を例にして、次のような問題を提起している。

 

流動労働者の存在に話を戻せば、仮に作業の安全性が確保されたとしても、それが危ないか否かという判断を住民が積極的に行なおうという動きが起こりにくい状況がある。そこには、原子力ムラの住民が自らを原子力に関する情報から切り離さざるをえない、そうすることなしには、少なくとも認識の上で、自らの生活の基盤を守っていくことができない状況がある。それは、そのムラの個人にとっては些かの抑圧感は伴っていたとしても、全体としてみれば、もはや危険性に対する感覚が表面化しないほどにまでなってしまう現実があると言えるだろう。(本書p104)

いうなれば、原発のリスクを「認識の上で」切り離し、表面化しないことによって、自らの生活の基盤を守るという論理があるというのである。

では、原発のリスクを表面化しないことは、なぜ、自らの生活の基盤を守ることになるのか。開沼氏は、清水修二氏の『差別としての原子力』(1994年)で表現された言葉をかりて、「信じるしかない、潤っているから」(p109)と述べる。つまり、リターンがある以上、原発災害リスクはないものとする国や電力会社を「信じるしかない」というのである。

そのことを卓抜に表現しているのが、開沼氏が引用している、地域住民の次のような発言である。

 

そりゃ、ちょっとは水だか空気がもれているでしょう。事故も隠しているでしょう。でもだからなに、って。だから原発いるとかいんないとかになるかって。みんな感謝してますよ。飛行機落ちたらって? そんなの車乗ってて死ぬのとおなじ(ぐらいの確率)だっぺって。(富岡町、五〇代、女性)

 まあ、内心はないならないほうがいいっていうのはみんな思ってはいるんです。でも「言うのはやすし」で、だれも口にはださない。出稼ぎ行って、家族ともはなれて危ないとこ行かされるのなんかよりよっぽどいいんじゃないかっていうのが今の考えですよ。(大熊町、五〇代、女性)(pp111-112)

いわば、原発が存立し、そこからのリターンがあるがゆえに、リスク認識は無効化されているということができる。開沼氏は、次のようにまとめている。

全体に危機感が表面化しない一方で、個別的な危険の情報や、個人的な危機感には「仕方ない」という合理化をする。そして、それが彼らの生きることに安心しながら家族も仲間もいる好きな地元に生きるという安全欲求や所属欲求が満たされた生活を成り立たせる。
そうである以上、もし仮に、「信じなくてもいい。本当は危ないんだ」と原子力ムラの外から言われたとしても、原子力ムラは自らそれを無害なものへと自発的に処理する力さえ持っていると言える。つまり、それは決して、強引な中央の官庁・企業による絶え間ない抑圧によって生まれているわけではなく、むしろ、原子力ムラの側が自らで自らの秩序を持続的に再生産していく作用としてある。(p112)

繰り返しになるが、原発立地によるリターンが地域社会存立の基盤になっているがゆえに、原発のリスク認識は無効化されているというのである。国や電力会社側の「安全神話」は無条件に信じられているのではなく、原発からのリターンを継続するということを条件として「信心」されているといえよう。

開沼氏の主張については、私としても、いくつかの異論がある。このような原発地域社会のあり方について、反対派や原発からの受益をあまり受けていない階層も含めて一般化できるのか、原発災害リスクによって生活の基盤が失われた3.11以後においても、このような論理が有効なのかということである。特に、福島第一原発事故の影響は、電源交付金や雇用などの直接的リターンを受けられる地域を大きく凌駕し、あるいみでは国民国家の境界すらこえている。その時、このような論理が有効なのかと思う。まさしく、3.11は、原発災害リスクに等価交換できるリターンが存在しないことを示したといえる。その意味で、高橋哲哉氏の認識は、3.11以後の論理として、より適切だといえる。

しかし、まさに3.11以前の福島原発周辺の地域社会では、このような論理は通用していたし、他の立地地域においては、今でも往々みられる論理であるといえる。その意味で、歴史的には、原発のリスクを部分的に認識した上での「リスクとリターンの交換」は存在していたといえよう。そして、高橋氏のいうように、現実には破綻した論理なのだが、それが今でも影響力を有しているのが、2012年の日本社会の現実なのである。

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