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Posts Tagged ‘野田首相’

2012年6月16日の朝日新聞朝刊に、次のような小さい記事がのった。

「決定前夜」首相官邸前の抗議に1万人 主催者発表

 関西電力大飯原発(福井県)の再稼働に反対する市民らが15日夜、首相官邸前で野田政権への抗議行動をした。野田政権が16日に再稼働を正式決定する前夜とあって、主催者側によると、これまでで最大規模となる1万人を超える人たちが集まったという。

 「再稼働に断固反対」などと書かれたプラカードを手に約2時間、参加者が交互にマイクを握り、「経済より命が大事だ」「今すぐ辞任すべきだ」と批判の声をあげた。賛同する国会議員や俳優の山本太郎さんらも参加した。

この記事自体は、別に間違いではない。しかし、あの場にいた私としては、非常に違和感のある記事である。この抗議活動全体の規模が、これでは伝えられていないのである。

この抗議行動の全体を把握するには、次の動画をみるのが一番いいだろう。以下に紹介する。

この、抗議行動の最前列から最後尾までをとった動画が、何よりもまして、抗議行動の状況を伝えてくれる。この抗議行動が行われたのは、首相官邸前にある国会記者会館脇の歩道であった。歩道といっても、一般的な歩道で、それほど幅は広くない。そこに1万人もの人が押し寄せたのである。以下の地図が該当場所である。ここは、国会議事堂敷地の南の1片にあたるが、この動画をみていると、ほぼ、その一片が埋め尽くされた。3.11に、国会を人間の鎖で囲むということがなされたが、その時も約1万2千人であった。たぶん、国会議事堂を「人間の鎖」で囲むことが可能なくらいの人がいただろうと思う

抗議行動の最前列はアピールの場であった。3分をメドとして、かわるがわる、一般参加者や国会議員がアピールを行った。その一部が、次の動画に出ている。

しかし、参加者が多く、スピーカーが間に合わなくなった。私のいたところは、比較的前のほうだったが、そこでも、アピールの内容を聞き取ることは難しかった。先のアピールも、聴くには聴いたが、内容を把握したのは、この動画をみてのことである。つまり、主催者(呼びかけ人:首都圏反原発連合有志)も、これほど集まってくることを予想していなかったのである。

そして、動画をみていくと、最後尾の方では、ほとんどアピールが聞こえていなかったことがわかる。人びとは、それぞれ、「再稼働反対」などと唱えているばかりであった。

他方、この動画をみていると、参加者が車道にまではみだしていることがわかる。これは、かなり驚くべきことである。今まで、歩道において抗議行動を行う際、警察は、歩行者の通行を保障するとして、歩道幅の約半分までしか利用を認めなかった。しかし、ここでは、車道まで参加者がおり、警察は車道にはみ出た参加者を「保護」しているのである。

最後尾のほうでは、警察が「前に進んでください」「歩行者の妨げにならないようにしてください」と「指導」していた。たぶん、列が長くなることを嫌ったと思われる。警察も、これほど参加するとは思っていなかったのであろう。これは、参加者の多さによってもたらされた「ささやかな勝利」といえる。

残念ながら、大飯原発再稼働は、6月16日に決まった。しかし、これからも、局面における「勝ち負け」は続いていくだろう。

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これまで、このブログでは、原発災害のリスクについては、一般的には「安全神話」という形で糊塗しつつ、立地地域において雇用や電源交付金というリターンとバーターすることがはかられてきたと述べてきた。

福島第一原発事故は、結局、原発災害のリスクに見合う、リターンなど存在しないことを示した。そして、原発災害の被災地はリターンが得られた立地地域をこえ、さらに、電力供給がされた電力会社管内すらこえて、近隣諸国にまで及んでいる。

その意味で、これまでのような原発立地を正当化する論理は通用しなくなっているといえる。滋賀県の嘉田知事が、立地自治体・立地県のみが原発稼働に対する発言権を有する現状の枠組みを批判し、「被害地元」という考えを示したことは一つの現れであるといえる。

どのように正当化の論理を再構築するか、そのことが、政府・電力会社・学界・立地自治体などの、いわゆる「原子力ムラ」において課題となっていた。2012年6月8日の大飯原発再稼働問題に対する野田首相の記者会見は、論理的には自己矛盾をきたしているものの、「原子力ムラ」がどのように原発を正当化する方向性を示したものといえる。前回・前々回のブログでみてきたが、もう一度、原発の正当化する方向性はどのようなものなのかをみておこう。

まず、記者会見の中で、野田は「国民生活を守る。それがこの国論を二分している問題に対して、私がよって立つ、唯一絶対の判断の基軸であります。それは国として果たさなければならない最大の責務であると信じています。」と述べる。「国民生活を守る」ということを基準にしていることに注目してみよう。つまりは、国民生活を脅かすリスクから守るということが、彼の判断基準なのだと主張しているのである。つまり、ここでは、リターンなど問題ではない。「リスク」だけが問題なのである。

その上で、国民生活の安全を守る上での第一の問題として、原発の安全性を提起している。そして、野田は、福島第一原発事故による知見はいかされており、同等の地震・津波が襲来しても、炉心損傷は起きないことが確認されているという。つまり、現状において原発は安全であるとしているのである。これは、ある意味で「安全神話」を引き継ぐものということができる。過去の「安全神話」とは、別に安全対策が完備したから安全というではなく、設置側が「安全」を宣言したというにすぎなかった。それを継承することがまずなされている。

しかし、それならば、新たに原子力規制庁を立ち上げ、安全基準を作り直す必要はない。そこで、野田は、「こうした意味では、実質的に安全は確保されているものの、政府の安全判断の基準は暫定的なものであり、新たな体制が発足した時点で安全規制を見直していくこととなります。」としている。現状の「安全」は暫定的なものでしかないのである。いくら野田でも、「原発の安全性」を絶対的に保障はできないのである。

それを、より明確に主張しているのが、西川福井県知事である。6月5日、次の記事を読売新聞がネット配信している

「福井に安全神話ない」…西川知事、原発相らに

 関西電力大飯原子力発電所の再稼働を巡り、細野原発相が4日、福井県に地元同意を要請したが、西川一誠知事は首を縦に振らなかった。夏の電力不足が迫る中、地元同意に向けた手続きはいつ動き出すのか。カギは西川知事が握る。

 「福井に安全神話はないんです」。西川知事は4日、会談で細野原発相らに語りかけた。全国最多の14基を抱える原発立地県としてリスクを負ってきたとの思いがにじむ。

 旧自治省官僚から副知事に就任した1995年、同県敦賀市の高速増殖炉「もんじゅ」のナトリウム漏れ事故が発生。知事当選翌年の2004年には同県美浜町の美浜原発事故で5人が死亡した。今回、再稼働への手続きに位置付けられた県原子力安全専門委員会は、西川知事が設置したものだ。

 会談では、消費電力の半分を福井に頼る関西への不満も口にした。関西広域連合が5月30日に出した「再稼働容認」声明に対し、「そもそも、消費地である関西は『容認』とおっしゃる立場にはない」と、厳しい口調で言い切った。

 電源三法に基づき、国が同県や県内の原発立地自治体などに投じた交付金は1974~2010年度までに計約3461億円。地域の経済、雇用は原発に依存する。県内の企業経営者は「福井と原発は切り離して考えられない」と話す。

 会談で西川知事は、「日本経済のために原発が重要で、再稼働が必要だということを、首相が直接、国民に訴える対応がなされれば、(再稼働同意に向けた)解決を進めたい」と述べ、再稼働に向けた条件を示した。「40年後の原発依存度ゼロに向けて動いている」(枝野経済産業相)との脱原発論がくすぶる政権に覚悟を迫った格好だ。

 会談後の記者会見で、西川知事は語調を強めた。

 「(ボールは)国にあります」

(2012年6月5日 読売新聞)
http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20120605-OYO1T00222.htm

これは、重要な発言である。西川知事は「安全神話」を否定する形で、原発のリスクを指摘したことになる。その意味で、原発は、西川にとっても「安全」なものではない。野田首相が「暫定的な安全」というあいまいな言い方をしたのと比べると、より明解である。

それでは、どのように原発の正当性を主張するのか。また、野田首相の記者会見にもどってみよう。野田は、こういうのだ。

国民生活を守ることの第2の意味、それは計画停電や電力料金の大幅な高騰といった日常生活への悪影響をできるだけ避けるということであります。豊かで人間らしい暮らしを送るために、安価で安定した電気の存在は欠かせません。これまで、全体の約3割の電力供給を担ってきた原子力発電を今、止めてしまっては、あるいは止めたままであっては、日本の社会は立ち行きません。

確かに、日本社会は原発からの電力供給というリターンに依存してきたといえる。このことを逆手にとって、このリターンが絶たれることが、「国民生活を守る」上でのリスクだと野田はいうのである。原発供給電力というリターンを、リスクとして、この場所では表現しているのだ。このリスクは、夏期の計画停電に始まる人命・雇用・需要の喪失にはじまり、長期的にいえば、電力価格高騰における家計・企業経営への悪影響、さらに石油資源を中東に依存することへのエネルギー安全保障上の問題にまで及ぶ。これらを「国民生活を守る」上でのリスクとしてとらえているのである。

原発災害へのリスクに電力供給危機へのリスクを対置する、そのことによって、原発災害リスクへの懸念の増大を電力供給危機への危機に置き換える、そのような戦略が目指されているといえる。

そして、原発災害のリスクを甘受しつつ、電力危機のリスクに立ち向かう立地地域の人びとは、野田においては賞賛されるのである。

そして、私たちは大都市における豊かで人間らしい暮らしを電力供給地に頼って実現をしてまいりました。関西を支えてきたのが福井県であり、おおい町であります。これら立地自治体はこれまで40年以上にわたり原子力発電と向き合い、電力消費地に電力の供給を続けてこられました。私たちは立地自治体への敬意と感謝の念を新たにしなければなりません。

「大都市における豊かで人間らしい暮らし」とは、大都市住民でもない人びと、大都市でも豊かな生活をしていない人びとにとっては、絵空ごとであるが、しかし、野田の国民とは、そのような人びとを排除している。いわば、既得権を得ている人びとでしかなかろう。この既得権ーつまりはリターンーを得ている人びとを守るために、原発リスクを甘受している人びとこそが「敬意と感謝」の対象となるのである。

このような意識は、より立地地域の首長によって強く語られる。おおい町長は、4日に「住民の間からも、今までにない不満が出ている。立地自治体として40年間、大きなリスクを抱えながら今日に至っているのに、何の理解もない」(産經新聞5日ネット配信)と述べている。

最終的に野田は、このように述べる。

再起動させないことによって、生活の安心が脅かされることがあってはならないと思います。国民の生活を守るための今回の判断に、何とぞ御理解をいただきますようにお願いを申し上げます。

再稼働させないことは、国民の生活の安心を脅かすということなのである。つまりは、再稼働反対派は、国民の生活の安心を脅かす存在なのである。

そのことを露骨に語っているのが、原発をかかえている美浜町議会である。やや前のことになるが、美浜町議会の動向について、産經新聞は次の記事を5月22日にネット配信している。

計画停電の検討、関電に要望 美浜町議会原特委 福井
2012.5.22 02:08
 
■電気のありがたさ知らせる

 関西電力美浜原子力発電所(美浜町)の再稼働について、美浜町議会原子力特別委員会は21日、経済産業省原子力安全・保安院と関西電力から、安全基準と緊急安全対策について説明を受けた。

 関電は昨年12月、美浜原発3号機のストレステスト(耐性検査)1次評価を提出し、保安院の審査待ち。同2号機は昨年7月、高経年化技術評価を提出し、今年7月には運転40年を迎える。同1、2号機は改正規制法案の制定待ちとなっている。

 この日の原特委では、山口治太郎町長や議員10人が出席。関電の説明後、議員が「今年の夏を乗り越えれば、原子力発電所がなくてもやっていけると思われがちだ」と指摘。「大阪など関西は電気があって当たり前だと思っている。関西に電気のありがたさを知らせるため、計画停電を最重要課題にすべきだ」と要請。

 関電美浜発電所の片岡秀郎所長は「供給の努力を怠ってはいけないが、化石燃料の増強が電気料金の値上げに繋がることなどを理解してもらわなければならない」と応えた。
http://sankei.jp.msn.com/region/news/120522/fki12052202080002-n1.htm

再稼働に反対する関西の人びとに電気のありがたさを知らせるため、計画停電を率先して行えと関西電力に要請したというのだ。野田の発言は、計画停電をさけるために再稼働せよというものだが、ここでは、反対派がいるような地域には電力供給しないことによって反省を促せと主張されているのだ。

野田の記者会見は、福井県側が求めたものである。それゆえ、たぶん従来から主張された安全神話の提起と、福井県などが主張する電力供給危機の問題が整合性がとれていない部分があり、野田の発言全体の自己矛盾の一因となっているといえる。しかし、福井県側においても、再稼働への同意の条件として、このようなことを国側が表明することになっていた。結局、原発のリスクを認めると、これまでのようにリターンを与えることによって同意を調達することは主軸にならないのである。国が「国民生活を守る」上でのリスクとして、原発よりの電力供給危機に対応することをあげ、それこそが「国策」だと措定することによって、「原発の安全性」というリスクを第二義的なものとし、無効化する。もちろん、電力供給上の危機といっても、一般的にも電力供給というリターンを失うということにすぎないし、現実には、電力会社・立地自治体などのリターンが失われることでしかない。しかし、それを、それこそ、「国民国家」的な「国民の生活」を守るための利益だと拡大し、現実的なリターンなしに、原発のリスクを甘受することが国家から訓示される。原発のリスクを甘受しつつ、国民の生活を守るために電力供給に協力した福井県の人びとは賞賛され、再稼働をさせないように主張した人びとは、国民の生活の安心を脅かすものとされるのだ。その意味で、原発災害のリスクが、電力供給上のリスク(実質は原発からのリターンが失われるということにほかならないが)によってバーターされることによって、原発が正当化されるといえるのである。

このことは、例えば、1974年の電源交付金制度設置においては、原発の安全性を主張しつつ、とりあえずリターンを与えることによって、原発の正当性を担保させるというやり方とは大きく異なるといえる。原発からの電力供給というリターンが絶たれるというリスクを強調される。原発は、電力会社や立地自治体に限らず、現存秩序の中で既得権を得ている人びとにとって、特別なリターンなしに喪失からのリスクから守らなくてはならないものの象徴となり、さらに「国民生活の安全」全体にとっても守るべきものなっていく。そして、それは、国家がー現実には野田首相がー、それこそが、原発の安全性をこえて守るべき国策として措定し、その国策に従うものを賞賛し、反対する者を国民生活を脅かす者とレッテル張りをすることになる。

このような形で、原発が正当化されていくことがめざされていると考えられる。このことによって、現実には、美浜二号機のような、老朽でよりリスクのある原発が再稼働されることになるだろう。つまり、安全性は二の次であり、電力供給を守ることが国策なのだから。他方で、国民生活上の危機なるものを原発に限らずあおり立て、何らのリターンもなしに、「国策」に従うことが強制されていくということが横行していくだろう。消費増税正当化の論理も、その一つであろう。そして、この状況こそが民主主義の危機である。

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本日(2012年6月8日)、福井県知事から「国民に原発の必要性を主張してほしい」という要請に答えて、野田首相が大飯原発再稼働の正当性を訴える記者会見を行った。

この内容については、すでにマスコミ各社が伝えているが、その要約では、野田首相の論理を正確に伝えているとは言い難い。前から、どのような論理で、野田首相は原発再稼働の正当性を主張するのだろうと考えていた。首相官邸のサイトにアップされた、野田首相の記者会見のテクストにおける論理展開をみながら、どのように野田首相が原発再稼働を正当化づけるのかをみていきたい。

まず、冒頭で、野田首相は、次のように提起する。

 

本日は大飯発電所3、4号機の再起動の問題につきまして、国民の皆様に私自身の考えを直接お話をさせていただきたいと思います。

 4月から私を含む4大臣で議論を続け、関係自治体の御理解を得るべく取り組んでまいりました。夏場の電力需要のピークが近づき、結論を出さなければならない時期が迫りつつあります。国民生活を守る。それがこの国論を二分している問題に対して、私がよって立つ、唯一絶対の判断の基軸であります。それは国として果たさなければならない最大の責務であると信じています。
http://www.kantei.go.jp/jp/noda/statement/2012/0608.html

野田は、この問題が「国論を二分する問題」であることを認めた上で、彼自身は「国民生活を守る」ということが、自分の絶対的判断基準であり、国の最大の責務であるとしている。

では、「国民生活を守る」ということはどういうことなのか。野田は、このことを二つにわけている。第一は「原発の安全性」ということである。

 

その具体的に意味するところは2つあります。国民生活を守ることの第1の意味は、次代を担う子どもたちのためにも、福島のような事故は決して起こさないということであります。福島を襲ったような地震・津波が起こっても、事故を防止できる対策と体制は整っています。これまでに得られた知見を最大限に生かし、もし万が一すべての電源が失われるような事態においても、炉心損傷に至らないことが確認をされています。

 これまで1年以上の時間をかけ、IAEAや原子力安全委員会を含め、専門家による40回以上にわたる公開の議論を通じて得られた知見を慎重には慎重を重ねて積み上げ、安全性を確認した結果であります。勿論、安全基準にこれで絶対というものはございません。最新の知見に照らして、常に見直していかなければならないというのが東京電力福島原発事故の大きな教訓の一つでございました。そのため、最新の知見に基づく30項目の対策を新たな規制機関の下での法制化を先取りして、期限を区切って実施するよう、電力会社に求めています。

福島のような事故を起こさないことがまず第一であるというのである。つまり原発の安全性が第一の問題である。そのことについて、野田は、全電源喪失しても炉心損傷は起きないことは確認した、新たな知見については、今後の法制化を先取りして、実施することを電力会社に求めたとしている。

この安全であるかいなかということが、基本的に大きな問題であり、例えば大飯原発のストレステストについては、班目原子力安全委員長すら、再度の検討が必要であると発言している。また、免震重要棟建設の必要性など、福島第一原発事故で得られた「知見」についても、多くの実施は「先送り」となっている。野田のいう、国論が二分しているという所は、再稼働される原発の安全性なのである。それについて、彼は「安全である」と断言しているといってよいだろう。しかし、野田は、このようにいう。

 

その上で、原子力安全への国民の信頼回復のためには、新たな体制を一刻も早く発足させ、規制を刷新しなければなりません。速やかに関連法案の成案を得て、実施に移せるよう、国会での議論が進展することを強く期待をしています。

 こうした意味では、実質的に安全は確保されているものの、政府の安全判断の基準は暫定的なものであり、新たな体制が発足した時点で安全規制を見直していくこととなります。その間、専門職員を要する福井県にも御協力を仰ぎ、国の一元的な責任の下で、特別な監視体制を構築いたします。これにより、さきの事故で問題となった指揮命令系統を明確化し、万が一の際にも私自身の指揮の下、政府と関西電力双方が現場で的確な判断ができる責任者を配置いたします。

 なお、大飯発電所3、4号機以外の再起動については、大飯同様に引き続き丁寧に個別に安全性を判断してまいります。

 実は、これは、大飯原発が安全であるとする野田の断言を自ら裏切っているといえる。新たな規制機関はまだ作られておらず、その上での新たな安全基準もない。もし、新たな安全基準に照らして、大飯原発の安全性に疑問をもたれたら、どうするのだろうか。その場合、運転停止にできるのだろうか。とりあえず、疑問だらけなのだが、それは後述する。ただ、確認できるのは、野田は、とりあえず大飯原発は安全であるという点に立脚しているということである。

そして、次に、野田は国民生活を守る第二の意味として、電力供給面からの日常生活への悪影響を避けるということをあげている。まずは、いわゆる夏場の電力不足問題をあげている。
 

国民生活を守ることの第2の意味、それは計画停電や電力料金の大幅な高騰といった日常生活への悪影響をできるだけ避けるということであります。豊かで人間らしい暮らしを送るために、安価で安定した電気の存在は欠かせません。これまで、全体の約3割の電力供給を担ってきた原子力発電を今、止めてしまっては、あるいは止めたままであっては、日本の社会は立ち行きません。

 数%程度の節電であれば、みんなの努力で何とかできるかもしれません。しかし、関西での15%もの需給ギャップは、昨年の東日本でも体験しなかった水準であり、現実的には極めて厳しいハードルだと思います。

 仮に計画停電を余儀なくされ、突発的な停電が起これば、命の危険にさらされる人も出ます。仕事が成り立たなくなってしまう人もいます。働く場がなくなってしまう人もいます。東日本の方々は震災直後の日々を鮮明に覚えておられると思います。計画停電がなされ得るという事態になれば、それが実際に行われるか否かにかかわらず、日常生活や経済活動は大きく混乱をしてしまいます。

確かに、関東や東北などでは、昨年は計画停電や夏場の節電などで、苦労をしたことは否めない。しかし、「命の危険にさらされる」というほどのものではない。さらにいえば、そのことで「仕事が成り立たなくなってしまう人もいます。働く場がなくなってしまう人もいます。」というならば、それは現在の就職難の主要因ではないと答えることができる。2008年のリーマンショックの時、もちろん、電力供給に支障などなかったが、多くの人が失業した。今でもそうだ。しかし、そんなことは、野田の念頭にはない。

さらに、野田は、このように主張する。

 

そうした事態を回避するために最善を尽くさなければなりません。夏場の短期的な電力需給の問題だけではありません。化石燃料への依存を増やして、電力価格が高騰すれば、ぎりぎりの経営を行っている小売店や中小企業、そして、家庭にも影響が及びます。空洞化を加速して雇用の場が失われてしまいます。そのため、夏場限定の再稼働では、国民の生活は守れません。更に我が国は石油資源の7割を中東に頼っています。仮に中東からの輸入に支障が生じる事態が起これば、かつての石油ショックのような痛みも覚悟しなければなりません。国の重要課題であるエネルギー安全保障という視点からも、原発は重要な電源であります。

単に夏場だけでなく、電力価格の高騰をさけ、雇用を確保するために、原発からの電力供給は恒常的に必要であり、そうでなければ「国民の生活」を守れないと主張するのである。この論理でいけば、原発は半永久的に維持しなくてはならなくなるだろう。しかし、そうなると、新たな安全基準で大飯原発の安全性に疑問がもたれた場合、どうするのだろうか。暫定的な安全基準によって、原発再稼働するということは、実は「電力の安定供給」という野田の命題そのものを裏切ることになるのである。つまり、「安全」が確保されないと「電力の安定供給」→「国民生活を守る」という論理が危うくなっていくのである。

さらに、野田は、このように述べる。

 

そして、私たちは大都市における豊かで人間らしい暮らしを電力供給地に頼って実現をしてまいりました。関西を支えてきたのが福井県であり、おおい町であります。これら立地自治体はこれまで40年以上にわたり原子力発電と向き合い、電力消費地に電力の供給を続けてこられました。私たちは立地自治体への敬意と感謝の念を新たにしなければなりません。

まず、「大都市における豊かで人間らしい暮らしを電力供給地に頼って実現をしてまいりました」というところをみておこう。これは、二重の意味で問題をはらんでいる。「大都市」でなければ「豊かで人間らしい暮らし」ができないのか。つまり、地域格差がここでは前提となっているのである。また、「大都市」であっても全ての人が「豊かで人間らしい暮らし」をしているのか。階級格差もここでは前提となっているのである。電力供給がなされても「豊かで人間らしい暮らし」など保障されない。しいていえば、その一部にすぎない。そして、電力供給難のみが「大都市における豊かで人間らしい暮らし」をおくることの支障になるというならば、地域格差も階級格差も関係ない人を対象にしているといえる。その意味で、野田の「国民」とは「大都市における豊かで人間らしい暮らし」を享受している人をさすことになるだろう。その点、電力供給とは関係なく「豊かで人間らしい生活をおくれない人」のことなど眼中にはない。電力価格高騰で、家庭や中小企業が困窮するといっているが、最近の報道では、東電の利益の9割が家庭向けから得ていると聞く。そんなものなのである。

後段の「関西を支えてきたのが福井県であり、おおい町であります。これら立地自治体はこれまで40年以上にわたり原子力発電と向き合い、電力消費地に電力の供給を続けてこられました。私たちは立地自治体への敬意と感謝の念を新たにしなければなりません。」という発言は、全く理解できない。野田は原発の安全性を最初のところで主張している。立地自治体は別に電力生産者でもなく、原発が安全ならば、原発によって苦労を強いられることはないだろう。原発のリスクがあるから苦労するのだ。強いて言えば、電力供給によって「国民の生活を守る」という国策に従ってきたことへの敬意と感謝なのだが、その言外には、原発のリスクを甘受せざるをえないという犠牲をねぎらうということが含意されている。その意味で、野田は、自分の最初にいった発言を裏切っているのだ。

そして、野田は、大飯原発の再稼働を宣言するのである。

 

以上を申し上げた上で、私の考えを総括的に申し上げたいと思います。国民の生活を守るために、大飯発電所3、4号機を再起動すべきというのが私の判断であります。その上で、特に立地自治体の御理解を改めてお願いを申し上げたいと思います。御理解をいただいたところで再起動のプロセスを進めてまいりたいと思います。

 福島で避難を余儀なくされている皆さん、福島に生きる子どもたち。そして、不安を感じる母親の皆さん。東電福島原発の事故の記憶が残る中で、多くの皆さんが原発の再起動に複雑な気持ちを持たれていることは、よく、よく理解できます。しかし、私は国政を預かるものとして、人々の日常の暮らしを守るという責務を放棄することはできません。

「国民の日常生活」を守ることが、野田の至上命題になっている。ある意味で、彼にとっては、福島のことは「非日常」なのであり(それ自身はそうだが)、「日常」を守る上では考慮されない。もし、敬意と感謝を述べるならば、それはいまだ原発リスクを完全には体験していない福井県の人びとではなく、そのリスクを身をもって体験した福島県の人びとであると思うが、もはや「原発再稼働」というカードをもたない福島県の人びとは対象外なのである。

しかし、彼は、長期的には原発への依存度を下げるのだという。

 

一方、直面している現実の再起動の問題とは別に、3月11日の原発事故を受け、政権として、中長期のエネルギー政策について、原発への依存度を可能な限り減らす方向で検討を行ってまいりました。この間、再生可能エネルギーの拡大や省エネの普及にも全力を挙げてまいりました。

 これは国の行く末を左右する大きな課題であります。社会の安全・安心の確保、エネルギー安全保障、産業や雇用への影響、地球温暖化問題への対応、経済成長の促進といった視点を持って、政府として選択肢を示し、国民の皆様との議論の中で、8月をめどに決めていきたいと考えております。国論を二分している状況で1つの結論を出す。これはまさに私の責任であります。

これは、「国民生活を守る」ために原発は必要だとする彼自身の前述した論理を裏切っている。もし、そういうのならば、原発への依存度を下げてはいけないはずである。このような自己矛盾している野田に「国論を二分している状況で1つの結論を出す。これはまさに私の責任であります」ことが可能なのだろうか。

最後に彼は、このようにいう。

再起動させないことによって、生活の安心が脅かされることがあってはならないと思います。国民の生活を守るための今回の判断に、何とぞ御理解をいただきますようにお願いを申し上げます。

 また、原子力に関する安全性を確保し、それを更に高めていく努力をどこまでも不断に追及していくことは、重ねてお約束を申し上げたいと思います。

 私からは以上でございます。(記者との応答は省略)

再稼働させないことは「生活の安心を脅かす」というのである。つまり、再稼働反対派は、「国民の生活」を脅かすということになる。ある意味では「非国民」ということになろう。

しかし、これは、再稼働反対派・慎重派からいわせれば、全く逆であろう。原発の安全性が担保されないまま、再稼働されることこそ、「生活の安心を脅かす」ことになる。

さて、全体でいえば、この野田の主張は、自己矛盾の塊といってよい。いくら野田でも「安全性」が最優先されることはふまえて「安全」といっているが、しかし、原発のリスクが立地自治体におよぶことを言外に認めざるをえない。今後、規制庁ができたら新たな安全基準で審査する必要性があるとするのだが、もし、そうなれば、原発を停止する可能性があり、電力の安定供給ということに反するであろう。さらに、原発に依存しなくては日本社会が成り立たないといいながら、長期的には脱原発依存を主張する。ある意味で、再稼働反対派・慎重派の原発から「国民の生活を守る」という論理を小器用に転換して、電力供給の危機から「国民の生活を守る」という論理で当面は糊塗しているといえるが、内容は矛盾だらけである。

しかし、この中で、ある種、「国民の生活を守る」という国民国家的名目で、国家主義を押し付ける論理が顕在化してきていることに注意しなくてはならない。その中で、電力供給という、「大都市で豊かで人間らしい生活」をおくる人びとの利益が国民全体のものとされてくる。そして、その仕組みに犠牲を払って従う人びとは、賞賛される。他方、反対派の意見は「国民生活を守る」点から排除される。もはや、原発の安全神話が崩壊し、原発のリスクに見合うリターンなど存在しなくなった時、浮上してきたのは、一面的に「国民生活を守る」ことの内容を国家の首脳が定義し、犠牲を払いつつ従う人たちを組織し、別種の「国民の生活を守る」という論理を排除する、ある種の国家主義なのであるといえる。しかも、それが、おおい町長や福井県知事の要請に答えてー形式的には下からの要請に答えて、出現したということにも着目しておかねばならない。

単に、原発再稼働ということをこえて、私たちは歴史的な試練を迎えているという感が否めないのである。

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さて、報道により、5月14日、おおい町議会が大飯原発再稼働に同意する決定を行った。おおい町議会のサイトに、その同意書が掲載されている。あまり、この文章の中身は紹介されていないので、ここで掲載しておく。

平成24年5月14日

原子力発電所3、4号機再起動の同意判断に関する見解

おおい町議会は4大臣会合における「大飯原子力発電所3、4号機の再起動判断」の説明で言及のあった、福島事故の知見を反映した再起動判断基準に整合した安全性の確認と、安全性に上限を設けず継続的に追及する姿勢、および原子力発電の必要性について概ね理解し、住民意見の集約に加え、電力消費地の生活や経済に及ぼす影響を考慮の上、同意することとしました。
今後、地元の判断はそれぞれの機関において検討され、再起動の最終決定は政府の責任においてなされるものと認識していますが、その重大性と権限を超える議論も視野に入れた判断を強いられたことに加え、政府の姿勢を含め、不確定要素が存在する状況での議論であったことから、原子力政策の一元的管理責任を担う政府の誠意ある継続的な対応を促すよう要請いたします。
尚、議会での議論の経過とその主な内容について述べます。
議会では「原発問題に関する統一見解」を基にした「福島事故後の大飯原発に関する決議」により政府に対して安全確保と経済・財1政に関する要請を行いました。その結果、現行法令上の規制要求を超える安全基準をもって安全の確保がされました。しかしながら安全の確保は、常に新たな知見を反映した安全性の追求が必要となります。よって、政府においては、関係規制法の改正や原子力規制庁の発足を待つことなく常時、安全性の向上に努められるべきであります。その上でできるだけ迅速な規制庁の発足が望まれます。
加えて、稼働停止中の地域経済や雇用に対する救済措置については具体的な対策が必要です。
さらに、福島原発事故を契機に原子力政策の根幹に何らかの変更をきたすことが推測されます。エネルギー基本計画の見直しによって地域づくりのよりどころとしてきた立地自治体の将来展望に少なからず影響を及ぼす可能性があります。我々も自治体経営の自己責任と自助努力の必要性を再認識すると同時に、政府においても国策に則って日本経済を支えてきた立地自治体の将来に対して責任ある対応が示されるべきであります。
また、一連の国民的議論や報道内容において一般世論が立地自治体の実情と遊離している状況が散見されます。すなわち、日本経済の発展にとって必要不可欠であった人口密集地には建設できない原子力発電所の誘致をもって社会に貢献し、地域づくりの根幹とせざるを得なかった立地自治体の苦悩と実情が広く国民に理解されていない現実があります。
その背景には社会基盤整備をはじめ、拡大する地域間格差を解消するために産業基盤の脆弱な過疎の地域である、小規模自治体の現実と課題に真摯に向き合うことを避けてきた政治の仕組みが存在します。
原子力防災に関連して一例をあげれば、部分的な災害制圧道路や避難道路の整備計画が推進されつつあるものの、周辺自治体を含め、広く嶺南地域において道路網をはじめとする社会基盤整備の遅れが存在し、県内地域間格差が存在しています。防災機能の向上は総合的な社会基盤の整備状況によって大きく影響を受けます。均衡ある整備に向けた姿勢も今一度見直されるべきであります。
また、安全を第一とする原子力政策について市場原理主義を基軸とする企業活動に担わせてきたことが、過酷事故が発生した一因であり、今後改善されるべき点であると考えられます。
しかしながら、政府の責任において電力需給と日本経済への懸念から再起動の必要性が判断されました。
おおい町の地域経済や、雇用については長期稼働停止によって既に大きな影響を受けている現状にあり、いまだ対策が講じられていないこととの不合理性は存在するものの、議会報告会における住民意見や町民説明会において出された意見、日頃より地域住民から聞き得た切実な思いや目の当たりにする生活の実情などを総合的に判断すると、大飯原発が必要とされる期間、立場の違いを超えて、存在する個々の原発の安全確保を最優先とする政府の求心力発揮に期待し、一元管理責任のたゆまぬ遂行をもって再起動に同意いたします。
ww.town.ohi.fukui.jp/sypher/open_imgs/info//0000000052_0000003733.pdf

まず、この同意書で注目されることは、原発再稼働の決定自体は政府が行うこととしていることである。そして、おおい町議会としては、「その重大性と権限を超える議論も視野に入れた判断が強いられた」として、自身の権限を超えた判断が無理強いされたとしている。おおい町議会としては、原発再稼働の責任をとりたくないのである。故に、原発再稼働の責任は政府にあることを再三強調している。

さらに、「政府においても国策に則って日本経済を支えてきた立地自治体の将来に対して責任ある対応が示されるべきであります。」と、原発受け入れは「国策」にしたがって日本経済のささえる営為であったとしている。その上で、「また、一連の国民的議論や報道内容において一般世論が立地自治体の実情と遊離している状況が散見されます。すなわち、日本経済の発展にとって必要不可欠であった人口密集地には建設できない原子力発電所の誘致をもって社会に貢献し、地域づくりの根幹とせざるを得なかった立地自治体の苦悩と実情が広く国民に理解されていない現実があります。」と述べている。人口密集地に設置できない最大の理由は、本ブログで述べてきたように原発事故の危険性を考慮してのことなのであると私は判断しているが、それをわざわざ誘致して社会に貢献し、地域づくりの根幹にしてきた、その苦悩や実情が一般国民には理解されていないというのである。

そして、「その背景には社会基盤整備をはじめ、拡大する地域間格差を解消するために産業基盤の脆弱な過疎の地域である、小規模自治体の現実と課題に真摯に向き合うことを避けてきた政治の仕組みが存在します。」と主張する。過疎地解消に向き合ってこなかった政治のしくみがあるから、原発を誘致し、依存しなければならなかったというのである。

ここには、「国」に対して、奇妙なねじれがあろう。一方で、地域間格差を放置してきた「政治のしくみ」があり、そのために「過疎地」たらざるを得なかったことへの怨嗟がそこにある。しかし、他方で、人口密集地に建設できない原発を受け入れることで、国策に則って日本経済の成長に貢献したという自負の念がある。しかし、その「自負」が一般国民には理解されていないと嘆いているのである。これは、もちろん、「脱原発」の世論やそれに依拠した関西圏の首長たちの行動をさしている。

原発に対する利益ーリターンは考慮されているだろう。しかし、ここでは、それが主眼ではなく、原発建設は国策であり、それを受け入れていることで、地域発展をはかっているという論理が中心となっている。ゆえに、一切の原発政策ー安全対策、再稼働、稼働停止中の雇用などーの責任は、政府がとるべきであり、おおい町議会は権限においてもとりようがないということになる。彼らの立場からすれば、無理からぬところがあろう。

それに対して、野田首相は、このように対応した。時事通信のネット配信記事をみてほしい。

地元議会の同意重い=大飯原発再稼働―野田首相
時事通信 5月24日(木)10時49分配信
 野田佳彦首相は24日午前の衆院社会保障と税の一体改革特別委員会で、関西電力大飯原発3、4号機がある福井県おおい町の町議会が再稼働に同意したことについて「大変重たい事実だ」と強調した。
 政府の判断時期に関しては「真夏になってからの判断では企業もいろいろ準備があるし、国民も心の準備がある。福井県の考えをよく聞き、周辺自治体にもしっかり説明していきながら、しかるべきときに判断したい」と語った。自民党の橘慶一郎氏への答弁。 
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120524-00000054-jij-pol

この言い方であると、おおい町議会の同意が再稼働決定において「重たい事実」として作用するということである。おおい町議会の言い方は、国策だから引受けるが、その決定責任まで背負い込まされるのはいやだということである。原発再稼働において、地元自治体の同意は、必要条件であるが、十分条件ではないとしているのである。他方、野田は、地元自治体の同意を「重たい事実」として、原発再稼働の正当化の要因としているのである。その意味で、野田首相の発言は、おおい町議会の意図ととも食い違っているのである。

そして、おおい町と同様の立場にある、福井県知事は、野田首相のこのような姿勢を批判した。次の毎日新聞ネット配信記事をみてほしい。

大飯原発:再稼働問題 「首相が国民に意思を」 知事、対応に懸念--会見 /福井
毎日新聞 5月25日(金)15時49分配信
 関西電力大飯原発3、4号機(おおい町)の再稼働問題を巡り、野田佳彦首相に前面に立って対応するよう求めている西川一誠知事は24日の定例記者会見でも、「すべての国民、メディアに向かって、はっきり発言すべき」と求めた。【佐藤慶、橘建吾】
 西川知事は今月10日、松下忠洋副内閣相と会談し、「首相が先頭に立って対応する必要がある」と注文するなど、首相にリーダーシップの発揮を求めている。24日の会見では、政府の明確な意思表示がないために「(関西広域連合の)理解が及ばないんじゃないか」と指摘。原発の安全性を審議している県原子力安全専門委員会についても、「政府がはっきりした姿勢を示さないと、大本に返る恐れがある」と、再稼働へのプロセスが逆戻りする懸念まで示した。
 首相がどのように意思表示すればいいか問われると、「国民に向かって原子力の必要性や国益上どうだとか、安全をどう強化したかについておっしゃることだ」と説明した。
 一方、日本原子力研究開発機構の高速増殖原型炉もんじゅ(敦賀市)の将来の研究開発の進め方を巡り、文部科学省が廃炉を含めた選択肢を示したことについては、「もんじゅについてはこれまでも核燃料サイクルにおける中核的な位置付けがあるので、エネルギーの安全保障など大局的な観点から十分慎重に審議してもらいたい」と要望。北陸新幹線金沢-敦賀間の着工認可については、「だらだらと遅くならないように期待する」と早期の認可を求め、敦賀以西に導入が検討されているフリーゲージトレイン(軌間可変電車)については、「技術が完全には確立されていない。雪が降り、気候が激変する福井での安全性が課題だ」と指摘した。

5月25日朝刊
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120525-00000269-mailo-l18

このように、おおい町や福井県は、国策だから原発を受け入れるという論理をもとに原発再稼働への合意をはかろうとしている。そして、その論理で、再稼働に反対している他の自治体を説得し、世論もその方向で統一してほしいと主張している。しかし、むしろ野田首相は、彼らの同意こそが原発再稼働を正当化する論理にしようとしているといえる。ある意味では、双方とも原発再稼働に根本的には賛成なのであるが、脱原発世論の前に、互いに責任を押し付け合っているといえる。

このおおい町議会の同意書は、「国策であるから原発を受け入れる」という論理を示している点で、注目されるものといえよう。しかし、それだけではなく、その論理の矛盾もみてとることができるといえる。

なお、まだ、おおい町としての同意決定はされていない。おおい町長によると、福井県原子力安全専門委員会などの動向をみて、月内に決定するのは難しいのではないかとしている。福井県全体の動向も含めて、今後注目される。

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ウルリヒ・ベックの『危険社会』の紹介を続けようと思ったのだが、見過ごしえない問題が発生した。東日本大震災において発生したがれきを、他地域に運び処理しようとするがれきの広域処理が、多くの自治体の難色を押し切って野田首相が受け入れることを要請するようになったのだ。

この問題は、もちろん、震災当初からあった問題である。ある意味では、人道上受け入れるべきと考えられるのかもしれない。しかし、この問題の本質はそこにはない。放射性物質を無用に拡散させるということなのである。

まず、2012年3月11日、野田首相が述べたがれき処理についての方針をみてみよう。朝日新聞朝刊(3月12日付け)で確認してみよう。

がれきの広域処理 法に基づき要請へ

 野田佳彦首相は11日、首相官邸で記者会見し、被災がれきの広域処理を進めるため、法律を根拠に自治体に受け入れを求める考えを明らかにした。基準や処理方法も政権が明確に示す。13日に関係閣僚による会議を立ち上げ、処理を加速させる方針だ。
   ▼4面=発言要旨
 被災がれきの広域処理は各地で強い反発を受け、3月11日までに全体の6%程度しか進んでいない。野田首相は「国が一歩も二歩も前に出ないといけない」と強調。「がれきの種類、量を明示した上で、協力をお願いする」と述べた。
 被災地以外の都道府県には、災害廃棄物処理特別措置法に基づき文書で正式に協力を要請。基準や処理方法もこの法律を根拠に定める。すでに表明している財政支援と併せ、自治体の理解を求める考えだ。
 がれき処理後の焼却灰の埋め立て可能な基準は、1キロ当たり8千ベクレル以下とすることも政権が近く告示。セメントや製紙業界など民間企業に協力を求めることも表明した。

「法律に基づいた要請」、「財政支援」という硬軟とりまぜて、被災がれきを受け入れさせようということだが…問題は、8000ベクレル以下の焼却灰は通常通り埋め立てさせる、さらに、そのリサイクルも考えるということなのだ。

そして、3月13日には、このようなことが関係閣僚会議で議論された模様である。

東日本大震災で発生したがれき処理を進めるため、野田政権は13日、第1回の関係閣僚会合を開いた。野田佳彦首相は「今までの発想を超えて大胆に活用してほしい」と要請。関東大震災のがれきで横浜市に山下公園を整備したエピソードを引き、将来の津波から住民を守る防潮林の盛り土や避難のための高台の整備、道路などの材料として、被災地のがれきを再利用していく考えを示した。

 細野豪志環境相は会合後、「鎮魂の気持ちとともにがれきを処理していく」と述べ、まず防潮林としてがれきを利用する準備に取りかかる方針を示した。環境省は、復興のシンボルとして三陸地方の自然公園を再編する「三陸復興国立公園」(仮称)の整備にも活用する方針だ。

 このほか、セメントや製紙業など、焼却設備を持つ民間企業にも協力を求める方針を確認。経済産業省はこの日、関係する業界団体に要請文書を送った。同省によると、汚泥をセメントの原料にしたり、木くずなどを製紙業のボイラー燃料にしたりして、2月20日現在、企業が約10万トンのがれきを処理したという。
(朝日新聞3月13日ネット配信)
http://www.asahi.com/politics/update/0313/TKY201203130197.html

どうやら、ただ埋め立てるだけではないのである。被災がれきやその焼却灰は、公園や避難所さらに防災林などの整備や、さらにセメントなどにも混ぜられ、「有効利用」されることが話し合われた模様である。

さらに、本日(3月16日)、野田首相は、実際に文書によって「要請」を行った。

東日本大震災で発生したがれきの広域処理を拡大するため、政府は、東北の被災3県とすでにがれきを受け入れている東京都などを除いた45の県や政令指定都市に、野田総理大臣の名前で受け入れを正式に要請する文書を一斉に送付しました。
被災地のがれきの広域処理を巡っては、15日に静岡県島田市が正式に受け入れを表明するなど、徐々に前向きに検討する自治体が増えてきていますが、こうした自治体からは国の積極的な関わりを求める声が相次いでいます。
これを受けて、政府は特別措置法に基づいて、東北の被災3県と、すでに受け入れを始めたり、受け入れを表明していたりする東京や山形、静岡、神奈川など9つの都府県を除く35の道府県と横浜市や大阪市などを除く10の政令指定都市に、がれきの受け入れを正式に要請する文書を一斉に送付しました。
文書は、野田総理大臣名で「災害廃棄物の処理は復旧復興の大前提であることから、現地では全力を挙げて処理を進めていますが、処理能力が大幅に不足しています」としたうえで「広域処理の緊要性を踏まえ、私としても積極的な協力を要請します」と記されています。
政府はすでに受け入れを表明している自治体には、処理を要請するがれきの具体的な量や種類を記した文書を来週以降に送り、具体的な協力を求めることにしています。
(3月16日NHKネット配信)
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120316/t10013778441000.html

一方、受け入れを拒否している自治体側はどうみているのか。ここで、徳島県の例をみておこう。徳島県のホームページに以上のようなやりとりが掲載されている。

ご意見
登録・更新日:2012-03-15
60歳 男性
タイトル:放射線が怖い? いいえ本当に怖いのは無知から来る恐怖
 東北がんばれ!!それってただ言葉だけだったのか?東北の瓦礫は今だ5%しか処理されていない。東京、山形県を除く日本全国の道府県そして市民が瓦礫搬入を拒んで
いるからだ。ただ放射能が怖いと言う無知から来る身勝手な言い分で、マスコミの垂れ流した風評を真に受けて、自分から勉強もせず大きな声で醜い感情を露わにして反対している人々よ、恥を知れ!!
 徳島県の市民は、自分だけ良ければいいって言う人間ばっかりなのか。声を大にして正義を叫ぶ人間はいないのか? 情け無い君たち東京を見習え。

回答
 【環境整備課からの回答】
 貴重なご意見ありがとうございます。せっかくの機会でございますので、徳島県としての見解を述べさせていただきます。
 このたびの東日本大震災では,想定をはるかに超える大津波により膨大な量の災害廃棄物が発生しており,被災自治体だけでは処理しきれない量と考えられます。
 こうしたことから,徳島県や県内のいくつかの市町村は,協力できる部分は協力したいという思いで,国に対し協力する姿勢を表明しておりました。
 しかしながら,現行の法体制で想定していなかった放射能を帯びた震災がれきも発生していることから,その処理について,国においては1kgあたり8000ベクレルまでは全国において埋立処分できるといたしました。
(なお,徳島県においては,放射能を帯びた震災がれきは,国の責任で,国において処理すべきであると政策提言しております。)
 放射性物質については、封じ込め、拡散させないことが原則であり、その観点から、東日本大震災前は、IAEAの国際的な基準に基づき、放射性セシウム濃度が1kgあたり100ベクレルを超える場合は、特別な管理下に置かれ、低レベル放射性廃棄物処分場に封じ込めてきました。(クリアランス制度)
 ところが、国においては、東日本大震災後、当初、福島県内限定の基準として出された8,000ベクレル(従来の基準の80倍)を、その十分な説明も根拠の明示もないまま、広域処理の基準にも転用いたしました。
(したがって、現在、原子力発電所の事業所内から出た廃棄物は、100ベクレルを超えれば、低レベル放射性廃棄物処分場で厳格に管理されているのに、事業所の外では、8000ベクレルまで、東京都をはじめとする東日本では埋立処分されております。)
 ひとつ、お考えいただきたいのは、この8000ベクレルという水準は国際的には低レベル放射性廃棄物として、厳格に管理されているということです。
 例えばフランスやドイツでは、低レベル放射性廃棄物処分場は、国内に1カ所だけであり、しかも鉱山の跡地など、放射性セシウム等が水に溶出して外部にでないように、地下水と接触しないように、注意深く保管されています。
 また、群馬県伊勢崎市の処分場では1キロ当たり1800ベクレルという国の基準より、大幅に低い焼却灰を埋め立てていたにもかかわらず、大雨により放射性セシウムが水に溶け出し、排水基準を超えたという報道がございました。
 徳島県としては、県民の安心・安全を何より重視しなければならないことから、一度、生活環境上に流出すれば、大きな影響のある放射性物質を含むがれきについて、十分な検討もなく受け入れることは難しいと考えております。
 もちろん、放射能に汚染されていない廃棄物など、安全性が確認された廃棄物まで受け入れないということではありません。安全な瓦礫については協力したいという思いはございます。
 ただ、瓦礫を処理する施設を県は保有していないため、受け入れについては、施設を有する各市町村及び県民の理解と同意が不可欠です。
 われわれとしては国に対し、上記のような事柄に対する丁寧で明確な説明を求めているところであり、県民の理解が進めば、協力できる部分は協力していきたいと考えております。
 (※3/13に公表しておりました回答文に、配慮に欠ける表現がありましたので、一部訂正して掲載いたします。)
http://www.pref.tokushima.jp/governor/opinion/form/652

 徳島県のいっている「クリアランス基準」とは、それ以下ならば放射性廃棄物として扱わないという基準で、セシウム137なら、1キロあたり100ベクレルということにされている。それ以上ならば、本来放射性廃棄物として扱うべきであるとしたのである。

環境省は、次のようなマニュアルを出している。「災害廃棄物の広域処理の推進について(東日本大震災により生じた災害廃棄物の広域処理の推進に係るガイドライン)」(平 成 2 3 年 8 月 1 1 日付)http://www.env.go.jp/jishin/attach/memo20120111_shori.pdf

これにしたがってみておこう。まず、100ベクレルという基準は何か。このマニュアルでは、次のように説明している。

(1)再生利用におけるクリアランスレベルの考え方
再生利用については、原子力安全委員会の示す考え方を踏まえて整理された処理方針により、「市場に流通する前にクリアランスレベルの設定に用いた基準(0.01mSv/年)以下になるよう、放射性物質の濃度が適切に管理されていれば再生利用が可能」との考え方が示されている。さらに、「クリアランスレベルを超える場合であっても、被ばく線量を 0.01m Sv/年以下に低くするための対策を講じつつ、管理された状態で利用することは可能」との考え方が示されている。
この場合のクリアランスレベルの考え方については、原子力安全委員会の報告書5に基づき、次のように整理できる。
① クリアランスレベルを算出するための線量の目安値 0.01m Sv/年は、「自然界の放射線レベルに比較して十分小さく、また、人の健康に対するリスクが無視できる」線量として定められており、この目安値に相当する放射能濃度をクリアランスレベルとしている。
② クリアランスレベルは、「放射性物質として扱う必要がないもの」として定められるものであり、我が国では、原子炉施設等の解体等に伴って大量に発生する金属、コンクリート等について定められ、放射性セシウム濃度で 100Bq/kg とされている。
③ この数値は、IAEA 安全指針 RS-G-1.7(2004 年 8 月)6の規制免除レベルの数値を採用しており、IAEA 安全指針は、対象物を特に限定しない一般的なものとして設定されているので、これを金属、コンクリート等以外の木質等に適用しても差し支えないものと考えられる。
④ 国際的整合性などの立場から、我が国のクリアランスレベルは、IAEA安全指針の規制免除レベルを採用しているものの、原子力安全委員会における検討に当たっては、原子炉の解体に伴って生じる金属及びコンクリート等について、現実的に起こりうると想定される全ての評価経路(埋設処分、再利用)を考慮した上で、詳細な評価を行っており、その結果算定されたクリアランスレベルは、セシウム 134 で 500 Bq/kg、セシウム 137 で 800 Bq/kg である。
⑤ IAEA 安全指針の規制免除レベルは、それぞれの国が規制免除レベルを決める際の参考値として示されたものであり、この値の 10 倍を超えない範囲であれば、国によって、規制対象行為や線源の特徴に応じてランスレベルを別途定めることができるという性格のものであることから、我が国で実際に採用された 100 Bq/kg という値は相当程度保守的であり、安全側の値であると言える。
⑥ クリアランスレベルは、大量に発生するものを対象としており、上記の詳細な評価においても、少なくとも 10t 程度の物量ごとに平均化された放射能濃度として算出、評価されていることから、少量の部分的な濃度により評価すべきではないことに留意が必要である。

以上の考え方を踏まえ、以下の安全性の検討においては、木質等を含む災害廃 棄 物を 再 生 利 用 し た 製 品の放 射 性 セ シ ウ ム 濃 度 のクリアランスレベルを、100Bq/kg と考えるものとする。ただし、この値は一種の「目安」であり、この値を上回る場合でも桁が同じであれば、放射線防護上の安全性について必ずしも大きく異なることはないと考えられる。7

要するに、「クリアランスレベル」とは、焼却灰などを再生した場合の基準である。このマニュアルでは、セメントなどに焼却灰をまぜて使うことを推奨している。一部でかなり高い汚染度を示した場合でも、それ以外の材料をまぜて使えば、100ベクレル以下になるということになる。「クリアランス」というのは放射性廃棄物扱いをしないということであるから、低レベル放射性廃棄物があっても、特別な処理をせず、他の物にまぜて使えばゼロになるという考え方なのであろう。

では、8000ベクレルとは何か。これは、焼却灰や下水汚泥を含む廃棄物を通常の埋め立て処分する基準なのである。

※1 8,000Bq/kg の設定の考え方
検討会において、原子力安全委員会が6月3日に定めた「東京電力株式会社福島第一原子力発電所事故の影響を受けた廃棄物の処理処分等に関する安全確保の当面の考え方」に示された次の目安を満足するよう適切な処理方法を検討した結果、埋立処分の際
の目安として示された焼却灰等の濃度。
① 処理に伴って周辺住民の受ける追加被ばく線量が1mSv/年を超えないようにする。
② 処理を行う作業者が受ける追加被ばく線量についても可能な限り1mSv/年を超えないことが望ましい。比較的高い放射能濃度の物を取り扱う工程では、「電離放射線障害防止規則」(昭和 47 年労働省令第 41 号)を遵守する等により、適切に作
業者の受ける放射線の量の管理を行う。
③ 処分施設の管理期間終了以後、周辺住民の受ける追加被ばく線量が 0.01mSv/年5 以下とする。

別添3に示すシナリオ計算等に基づき、安全評価を実施し、廃棄物処理の各工程における追加被ばく線量が 1mSv/年(公衆被ばくの線量限度と同値)となる放射能濃度と、最終処分場の管理期間終了後、一般公衆の追加被ばく線量が 0.01mSv/年(人の健康に対する影響が無視できる線量)となる放射能濃度を確認したところ、表Ⅰ-1に示すように、8,000Bq/kg 以下の廃棄物については、周辺住民、作業員のいずれにとってもこれらの追加被ばく線量を満足し、安全に処理することが可能であることが確認されている。
なお、IAEA のミッションにおいても「放射性セシウム 8,000Bq/kg 以下のものについて、追加的な措置なく管理型処分場で埋立てをすることについて、既存の国際的な方法論と完全に整合性がとれている」と評価されており9、国際的にみても適切な手法であると考えられる。

なお、8000ベクレルというのは、「脱水汚泥埋立処分」の作業者が受ける放射線量が1mSv/年ということから定められている。いずれにせよ、「埋立処分」なのであって、がれき自体の再利用ではない。

焼却灰や不燃物につき8000ベクレル以下であれば、放射性廃棄物の扱いをせずに埋立処分ができるとするものなのである。なお、8000ベクレル以上は、放射性物質として扱われ、国の管理下になるというのである。

まあ、いずれにせよ、放射性廃棄物を放射性廃棄物としてではなく処理しようということなのである。最終製品が100ベクレル以下であれば、焼却灰やがれき自体(コンクリート破片など)をセメントなどにまぜて使えということがある。さらに、そういうことができないものでも、8000ベクレル以下のものは、放射性物質の扱いをせず、埋め立て処分をするということになるのである。

それでは、がれき処理で実際にはどのようになるのだろうか。本マニュアルでいくつか例がのっている。岩手県陸前高田市で104ベクレルのものを焼却した際、飛灰で3456ベクレル検出されたそうである。また宮城県女川町の133ベクレルのがれきを処理した際、飛灰で2300ベクレル、スラグ(鉄屎)に141ベクレルの検出になったそうである。飛灰は、もちろん灰の一部でしかなく、全体量からみれば少ないのであるが、それでもセシウム137が濃縮されたことには違いない。しかし、このマニュアルでは、8000ベクレル以下だから無害だというのである。

環境省では、宮城県・岩手県の無害のがれきを広域処理するとしている。

広域処理をお願いする災害廃棄物は放射性セシウム濃度が不検出又は低く※、岩手県と宮城県の沿岸部の安全性が確認されたものに限ります。可燃物の場合は、対象とする災害廃棄物の放射性セシウム濃度の目安を焼却炉の型式に応じて240ベクレル/kg以下又は480ベクレル/kg以下のものとしています。http://kouikishori.env.go.jp/faq/#anch02

しかし、放射性物質による汚染は、岩手県や宮城県のがれきですら免れてはいないのである。133ベクレル程度のものでも部分的にはかなり高い濃度の焼却灰が生成される。そして、本来は低レベル放射性廃棄物として扱うべきもの(少なくとも焼却灰は)が、放射性廃棄物として扱われていない。しかも、あろうことか、「無害な材料」とまぜて使うことが推奨されている。それを公園などに使うということーこれは、放射性廃棄物が遍在していることを「否認」するということなのである。そして、無用に放射性物質を拡散することにつながるのである。

放射性廃棄物は、放射性廃棄物として取り扱うこと。その原則をまげてはならないと思う。これは、何も東北だけのことではない。関東地方も放射性物質で汚染され、放射性セシウムを含有したごみ焼却灰や下水汚泥は一般的にみられる。そして、福島県はどうなのだろうか。除染ででた廃棄物はどのように扱われているのだろうか。

なお、ここで出した環境省のマニュアルを一読することをおすすめしておく。

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本日(2011年12月19日)、北朝鮮の金正日総書記死去のニュースにかぶり、ほとんど報道されないであろう出来事が、昼、東京の新橋駅前であった。ここで、野田首相が、街頭演説を行う予定だったのだ。

この街頭演説は、少し前から企画されていた。時事通信は、12月15日付で、次のような記事をネット配信している。そして、15~16日に、他のメディアも同様の報道を行った。

野田首相、19日に街頭演説=支持率下落を意識?
 野田佳彦首相は19日に東京都内で街頭演説を行う。消費増税を含む社会保障と税の一体改革を中心に、政権の基本方針を訴えるとみられる。選挙に関わりなく首相が街頭でマイクを握るのは異例。内閣支持率下落の理由として首相の発信不足を指摘する声があることも意識しているようだ。 
 支持率下落に関し、首相は15日付の首相官邸のブログ「官邸かわら版」で、「国民の皆さんが、野田政権に向けている視線に厳しさが増していることを感じる」と指摘。「私自身にも閣僚にも、期待に応えられていない部分がある。心を正し、改めるべき点はしっかり改め、課題に一つ一つ答えを出し、使命を果たしていくしかない」とした。(2011/12/15-21:15)http://www.jiji.com/jc/zc?k=201112/2011121501022

この報道からみると、野田首相は、内閣支持率低下にかんがみ、街頭で「消費増税を含む社会保障と税の一体改革を中心に、政権の基本方針を訴える」ことをしたかったようである。財務相就任まで、ほぼ平日はかかさず、千葉の選挙区で街頭演説をしてきたという野田首相らしい考えだといえる。

確かに、毎日街頭演説をしているのはつらいだろう。選挙期間中、立候補者が駅前で演説しているのをみたことがあるが、朝などは通勤時間で、ほぼ聞いてくれない。ほんの少しの言葉が耳に入るのもまれなくらいだ。そのような「街頭演説」を毎日にこなして、支持率をあげ、選挙戦を勝ち抜いてきた野田首相だからの発想だといえる。「異例」というが、選挙期間中でもない限り、確かに今までの首相は、街頭で演説などあまりしてこなかった。

そして、19日午前、テレビ朝日は次のような記事をネット配信した。野田首相は、「昼休みに集まる多くのサラリーマン」をターゲットとして、「消費税増税」などの世論形成をしようとしていたとテレビ朝日は観測している。

菅政権で入閣するまで20年以上にわたって、駅前での演説を日課にしていた野田総理大臣。内閣支持率が急落し、発信力不足が問われるなか、今週から消費税の議論が本格化することから、現職の総理としては異例の街頭演説を行います。「どじょう演説」でトップの座を射止めた野田総理の反転攻勢となるのでしょうか。

19日午前から、民主党議員による演説が始まっています。オフィス街の新橋で、野田総理がターゲットにしているのは昼休みで集まる多くのサラリーマンです。この後、現職総理として選挙遊説以外では異例の街頭演説を行います。国会や記者会見でも主張してきた消費税増税の必要性などについて世論の支持を得ようと、今度は得意の街頭演説で直接国民に訴える作戦です。消費税増税をめぐっては、民主党幹部からは「まとまらなければ年明けに先送りもあり得る」との声が強くなっています。世論に訴えながら、何とか年内にまとめたい野田総理とのせめぎ合いが激しくなっています。
http://news.tv-asahi.co.jp/ann/news/web/html/211219013.html

新橋駅前で演説する民主党の議員たち(2011年12月19日撮影)

新橋駅前で演説する民主党の議員たち(2011年12月19日撮影)

たまたま、時間があいたので、私も、演説会場にいってみた。新橋駅前のSL広場で行われていたのだが、それほど広い広場ではない。そこが全体的にうまっていたとはいえる。しかし、「サラリーマン」が多く集まっていたか。もちろん、いないわけではない。しかし、そこで目立つのは、「民主党政権退陣」の横断幕やプラカードだった。

どのような人びとによって、そのような横断幕はかかげられたのか。横断幕やプラカードをみていただけではわからなかった。ただ、それらに加えて、日の丸が打ち振られ、「売国奴」みたいに民主党政権を批判する声がずっとあげられていたので、右翼的な人びとがいたことは確かである。

新橋演説会場で広げられる日の丸(2011年12月11日撮影)

新橋演説会場で広げられる日の丸(2011年12月11日撮影)

右翼的な人びとが、TPP他いろんな意味で民主党政権に対して批判的になっていることは承知していた。彼らが抗議にくることは理解できる。ただ、これは、全く気分の問題でしかないが、現職首相を「歓迎」するのではなく、「抗議」するという意味で、日の丸が振り回されてことには、結構驚いた。

そのうち、演説を行っていた宣伝カーの上で動きがあった。現職閣僚である蓮舫が宣伝カーから去った。そして、残った議員より、北朝鮮の金正日総書記が死去し、安全保障会議が開催されることになったので、演説会に向っていた野田首相は、急遽官邸に引き返したと発表があった(後で、テレビでみてみると、この発表がひどいもので、「韓国の」とか「金正日主席」といっていた。それだけ混乱しているのである。)

そうなると、俄然、会場全体が騒然となった。実は、宣伝カー一番近いところに陣取った人びとの多くは「脱原発」グループだったのだ。「脱原発」のプラカードが急遽とりだされ、多くの人が頭上でうちふった。そして、「脱原発デモ」でよくいわれる「原発いらない」などの掛け声がそれぞれ発せられたのである。

「脱原発」プラカード(2011年12月19日撮影)

「脱原発」プラカード(2011年12月19日撮影)

脱原発のプラカードに直面する民主党議員たち(2011年12月19日撮影)

脱原発のプラカードに直面する民主党議員たち(2011年12月19日撮影)

蓮舫などの「前座」が演説していた際には、比較的静かであった。たぶんに、野田首相の演説時に出して、最大の効果をあげようとした戦術だったと考えられる。

一方、「脱原発」グループの存在に気づいた右翼的な人びとは、今度は、「脱原発」グループに攻撃対象をかえた。「おまえたちこそいらない」「脱原発では不景気になる!」などなど。そして、対抗して「日の丸」が振り回された。最後までみなかったのだが、「脱原発」グループへの対抗の場にもなったといえる。

とにかく、野田首相が世論形成をしようとした新橋の演説会場は、「脱原発」グループと右翼的な人びとが野田政権への抗議の意をアピールする場になったのである。

私は、こう思う。「こんなの当たり前ではないか。TPPにせよ、福島第一原発事故収束宣言にせよ、許せないという人はたくさんいる。右にせよ左にせよデモが増えている中、抗議に来る人がいることは予測できたはずだ」と。

しかし、野田首相サイドは、そう思わなかったようだ。それこそ、3.11以前の選挙の経験則を振り回して、街頭演説で増税を誠実に主張すれば、世論形成できると思っていたようだ。確かに、自民党も民主党も政策的にはそれほど違いがなく、その中で選挙戦で勝ち抜くのは、利益でなければ人柄・雄弁であったのかもしれない。しかし、今や、そのことは通用しないのだ。ある意味では、「選挙」ではなく、直接的な意思表示が意味をなす時代への転換への第一歩をなす出来事だったのかもしれない。

今後、野田は街頭演説を続けるのだろうか。そして、そのたびに抗議行動が続けられるのであろうか。注視していきたいと思う。

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