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Posts Tagged ‘野口邦和’

さて、再度、ウルリヒ・ベックの『危険社会』についての紹介を続けよう。本書においては、環境破壊における科学批判の部分が、非常によく分析されているといえる。このことは前回までに紹介してきたが、ここでもまず、みていこう。ベックは、危険ーリスクについて、このように指摘している。

近代化に伴う危険は、科学の合理性の抵抗を押し切って意識されるようになってきた。この危険意識に人々を導いたのは、科学が明らかに犯してきた数々の危険についての誤り、見込み違い、過小評価である。危険が意識されるようになった歴史あるいは社会による危険の認知の歴史は、そのまま科学の神秘性を剥奪する歴史である。(本書p92)

その上で、ベックは、このように述べている。

危険を生産しておきながら、それを正しく認識できない大きな理由は、科学技術の合理性が「経済しか見ない単眼構造」にあるからである。この目は生産向上に視線を向けている。同時に、構造的に見て危険には盲目なのである。経済的に見合うかどうかという可能性については、明確な予測が試みられ、よりよい案が追求され、試験が行われ、徹底的に各種の技術的検討が行われる。ところが危険については、いつも暗中模索の状態で「予期しない」危険や「全く予期し得ない」危険が出現して初めて、心底怯え、仰天するのである。(本書p94)

これは、まさに福島第一原発事故の経過でこの1年間いやというほど見せつけられてきたことである。地震や津波、また全電源喪失などの「危険」は科学者・技術者の間ではないものにされ、根本的な安全対策がとられることがなかった。これは、何も日本だけのことではないことに注目しておきたい。

そして、大気中の汚染物資による気管支ぜんそくに罹患した児童の親たちの戦いをについて述べておく。親たちは、自分の子どもたちの病気の原因について、さまざまな主張を行うのであるが、「科学的に証明されない限り」問題にもされないことを認識するのである。

危険を否認する科学者たちの対応について、ベックは、次のように論じている。

 

科学者たちは自分たちの仕事に「質」を大事にし理論と方法の水準を尊重して、転職経歴と生活の糧を確保しようとする。まさにここから、危険と取り組む際の科学者に独特な非論理性が生まれる。関連性不明を主張することは、科学者にふさわしいし、また一般的に見て誉められるべきことであろう。しかし、危険と取り組む場合にこのような態度をとることは、被害者にはまさに正反対の態度と映るのである。この態度は危険を大きくするばかりだからである…科学性を厳密に言えば言うほど、危険だと判定されて科学の対象となる危険はほんのわずかになってしまう。そして結果的にこの科学は暗に危険増大の許可証を与えることになる。強いて言うならば、科学的分析の「純粋性」にこだわることは、大気、食品、土壌、さらに食物、動物、人間の汚染につながる。つまり、科学性を厳密にすることで、生命の危険は容認され、あるいは助長される。厳密な科学性と危険とは密かな連帯関係にあるのである。(本書p97)

そして、このような科学者たちの姿勢から生み出されてくる「許容値」について、ベックは「科学者はわからないということが絶対にないので…危険と取り組む際、自分たちもまたわからないのだ、ということを表す主要な言葉は『許容値』という言葉である」(本書p101)と説明している。そして、ベック自身は、次のように許容値を定義している。

 

許容値とはつまり大気、水、食品の中にあることを「許容される」有害かつ有毒な残留物の値である。これは危険の分配にとって重要な意味をもつ。それはちょうど富の不公平な分配にとって能力主義の原理が許され公に認められる。汚染を制限する者は、結局汚染に対して許可を与えたことになる。これは現在許可されたものは、例えどんなに有害であったとしても社会的に下された定義では「無害」ということを意味する。なるほど許容値によっては最悪の事態は避けられるかもしれない。しかし、これは自然と人間を少しなら汚染してもいい、という「お墨つき」ともなる。(本書p101)

この許容値という問題は、倫理上の問題を惹起する。

この倫理では、人間は互いに毒物を与えてはならないといのは自明の理であった。もっと正確に、毒物は絶対に与えてはならない、とすべきであったかもしれない。なぜなら許容値規定によって、皮肉にも悪名高いそして議論の多い「少し」であれば、毒は許されることになったのである。したがって、この「規定」は汚染防止にはつながらない。むしろ汚染がどこまで許されるかを問題にしているのである。明らかなことであるが、汚染は容認されるというのが、この規定のよって立つ根拠である。今や文明社会には有毒物質や有害物資があふれているが、その文明の退却路が許容値である。この許容値という概念は、汚染があってはならないという当然の要求を、ユートピアの発想だといって拒んでいるのである。(本書p102)

さらに、ベックは、次のように主張している。

「許容値規定」の根底にあるのは、技術官僚が下した非常にうさん臭い危険な誤った推論である。すなわち、(まだ)把握されていないもの、あるいは把握不可能なものには毒性がない、という推論である。また別の言い方をすれば、疑わしきは罰せずで、毒性の有無がわからない場合には、毒の方をして人間の危険な手から守ってやってくれ、ということである。(本書p104)

このような、ウルリヒ・ベックの主張は、放射線に対する「科学的」な見解のもつ問題点を的確に指摘している。空間における低線量被ばく、食品に含まれる微量の放射性物質の有害性については、いまだ定説がなく、放射性ヨウ素と甲状腺がんとの関係など以外では、立証されたと言いがたい状況である。そこから、許容値が一人歩きするようになる。立証されていないだけなのに、空間線量、食品中の放射性物質含有量、廃棄物(がれき・焼却灰・下水汚泥など)が、許容量以下ならば許されてしまう。そして、このような許容量を設定する科学者と、政府・企業・自治体とが密やかに結びついてしまうことになる。

これは、単に科学者が「御用学者」ということからのみ発生するのではない。科学的に立証できなければ因果関係を認めないという態度からも発生している。例えば、広瀬隆批判を行った野口邦和は、共産党系の日本科学者会議所属であり、主観的には政府・企業と結びついていたわけではない。読んでいる限りは、広瀬隆の論理展開に内在する「非科学性」が問題なのである。しかし、広瀬の主張が、一部根拠にかける部分があったとしても、全体を「ウソ」とまでは断じることはできないであろう。広瀬隆は、チェルノブイリ事故後甲状腺がんなどが多発すると「推測」しているのだが、それはその通りであった。現時点で立証できないとしても、リスクがなくなるわけではないのだ。そのように自問することが科学には求められているといえよう。

結局、科学者にせよ、政府にせよ、企業にせよ、自治体にせよ、まさに「人間は互いに毒を与えてはいけない」という倫理の上にたつべきである。許容値はせいぜい目安にすぎない。立証の問題とは別に「毒」は可能な限りゼロに近づけていくべきだと思う。

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以前、本ブログで、チェルノブイリ事故(1986年)に直面した共産党の人びとが、政府の進める原発建設政策に個別の問題では反対しつつ、原発自体は認める姿勢をもっていたこと、そして、反原発の立場をとっていた日本社会党系の原水禁の人びとの対抗から、原発批判を強めていた広瀬隆に批判的になっていったことを述べた。

日本共産党の影響力の強かった科学者の団体である日本科学者会議も、共産党同様微妙な位置にあった。日本科学者会議の会員たちの一部は、日本各地の反原発運動を担っており、その機関誌である『日本の科学者』には、反原発運動への参加が語られている。他方で、日本科学者会議もまた、広瀬隆批判を行うようになった。

1988年5月22日、日本科学者会議は、東京の学士会分館で、「原子力をめぐる最近の諸問題」というシンポジウムを開催した。このシンポジウムでは、①広瀬隆『危険な話』は危険な本、②「非核」と「反原発」の違いは……、③新日米原子力協定をめぐる諸問題という三つがテーマとなった。①については、原沢進(立教大学)と野口邦和(日本大学)が報告した。このシンポジウムで、原沢は、広瀬隆の『東京に原発を』『ジョン・ウェインはなぜ死んだか』などを分析し、「きわめて恣意的な引用などに基づく推定や結論でちりばめられており、科学的な検討に値するものは一つもない」(「科学者つうしん」、『日本の科学者』第23号第8号、1988年8月、p57)と結論づけた。また、野口は、「原発推進者を事実上免罪する『危険な話』の危険な結論、自然科学的な間違い、広瀬隆氏の用いている手法の矛盾点などを詳細に分析し、きわめてデタラメかつ危険な書物であると指摘」(同上)した。

このシンポジウムの野口報告は、『文化評論』1988年7月号(新日本出版社)に「広瀬隆『危険な話』の危険なウソ」と題されて掲載された。『文化評論』の本号には、本ブログで前述した、共産党の人びとによる「座談会・自民党政府の原発政策批判」もまた掲載されている。この座談会とあいまって、野口のこの報告は、共産党系の人びとによる広瀬隆への批判的な姿勢を強く印象づけるものとなったといえよう。

他方、野口の報告は、反共産党系な論調をもつ『文藝春秋』1988年8月号にも「デタラメだらけの広瀬隆『危険な話』」と題して掲載されている。『文化評論』掲載ヴァージョンと『文藝春秋』ヴァージョンは全く同じものではない。多くの文章が使い回されているが、構成は異なる。『文藝春秋』ヴァージョンのほうは、省略された部分が多い。そして、どの部分が省略されたのかということが問題なのだが、それは後述しよう。

ここでは『文化評論』ヴァージョン(文化評論版と略述する)をまずみていこう。ここで、野口邦和が日本大学の助手であったこと、専門が放射化学であったことがわかる。つまりは、専門家なのである。野口は、広瀬隆の「真の問題は、愚かな原子力関係者にあるのではなく、その先兵をつとめるジャーナリズムと知識人にあるのです」(広瀬隆『危険な話』p284)と述べているところをひいて、「つまり、ここには無謀な原発の大規模開発計画を推進する原発推進者を事実上免罪し、国民の批判の目をジャーナリズムと知識人に集中させることに躍起になっている広瀬隆氏の姿が見えるのではないか。これを危険と呼ばないで何と呼ぼうか」(文化評論版p115)と批判している。たぶん、広瀬の真意とかみ合っていないのであるが、それはそれとしておくとして、野口の広瀬に対する批判の眼目は、たぶんに「ジャーナリズムと知識人」を広瀬が攻撃していることにあるといえる。

ある意味で、野口が、共産党の人びとと同じ立場にたっていたといえる。野口は、自分自身の原発に対する姿勢について、原子力の平和利用に反対しないが、現状の原発の安全性には問題があるので、原発増設はやめるべきであり、既存の原発の運転も最低限にすべきと思っていると述べている。大きくいえば、「座談会・自民党政府の原発政策批判」で表明された、共産党の原発政策の枠内にあるといえる。そして、また、「多くの人が反核運動に情熱を燃やし、しかもこの人たちは大部分が原子力発電を放任している」(『危険な話』p137)という部分を引用して、「私の周囲にいる決して多くはないが、『反核運動に情熱を燃やし』ている人々は、『大部分が原子力発電を放任してい』ない。核兵器の廃絶と原発反対の課題とを対立させることはなく、非常に熱心に活動している」(文化評論版p138)と述べ、広瀬の先の主張は全然間違っていると断言した。この論理も、先の「座談会・自民党政府の原発政策批判」に出てきたものである。

しかし、野口の批判は、共産党の人びとの「座談会・自民党政府の原発政策批判」における批判よりも過激なものになっている。座談会では、広瀬への名指しの批判はさけている。また「座談会」での広瀬らへの批判の中心は、核兵器廃絶よりも原発撤廃を優先させているようにみえることにあり、広瀬の主張の妥当性については、端々で批判的な言辞がちらつくものの、正面から批判していたわけではない。野口の批判は、広瀬隆の主張を「ウソ」と判定することが中心であり、ある意味では政策的な違いに還元できる共産党の人びとの批判より辛辣なものであるといえる。

『文化評論』に掲載された野口の論考は、最初から最後まで、広瀬隆の『危険な話』の各部分を「ウソ」と断じることから成り立っている。正直いって、よくあきもせず批判できるものだなと思う。その中で、特に、重要なことは、チェルノブイリ事故後に出されたソ連の事故報告書を信頼して、チェルノブイリ事故を語ることができるかどうかということである。広瀬は、徹頭徹尾、ソ連の報告書は全世界的に原発を推進しているIAEAによって書かされたものであり、それに依拠して事故を論じることこそIAEAの思うつぼであるとして、断片的に伝えられた新聞報道から、事故の実態を推測するという手法をとっている。しかし、野口は、その問いには答えようとせず、「私が『ソ連の報告書』によって基づいてお教えしよう」(文化評論版p121)と、ソ連の報告書に全面的に依拠して広瀬に反駁している。あまつさえ、「もう少し『ソ連の報告書』をちゃんと読みなさい、広瀬さん」(同上p122)と説教までするのだ。

本ブログで、広瀬隆について述べたが、その際「科学史家の吉岡斉は『新版 原子力の社会史』(2011年)の中で、広瀬の指摘を先見の明のあふれるものとし、現在まで基本的に反証されていないものとしている。」と指摘した。吉岡は、さらに、野口邦和の批判について、次のように述べている。

そこには広瀬の文章のなかに少なからず含まれる単純化のための不正確な記述に対する執拗な攻撃がくり返されている。しかし野口の最も基本的な主張は、ソ連報告書をフィクションと断定する広瀬の主張は、広瀬自身がソ連報告書を反証するだけの解析結果を示さない限り、説得力がないという主張であった。つまり野口は事実上、ソ連報告書の内容の全面的な擁護をおこなったのである。ソ連政府による事故情報独占体制のもとで、広瀬がソ連政府の公式見解を反証する解析結果を示すことが不可能であることを承知のうえで、野口はソ連政府を全面的に擁護したのである。(『新版 原子力の社会史』p227〜228)

吉岡の主張は、野口への批判として、極めて要を得たものといえる。今の時点で付け加えさせてもらえば、今回の福島第一原発事故に関して、いかに政府の「公式見解」は、事態の隠蔽に奔走するものであることが了解できた。その意味で、吉岡の発言はより重く感じさせられたのである。

野口の批判は多岐にわたるが、ここでは、放射性ヨウ素と甲状腺障害との因果関係についての広瀬の文章を、野口が批判している部分をここではみておこう。野口は「 」において広瀬の文章を引用した上で、その何倍にもわたる量の批判を書いている。

③「㋐南太平洋のビキニ海域で核実験がおこなわれ、その一帯に住んでいた人のほとんどが甲状腺に障害を持っている。㋑この住民を追跡してきた写真家の豊崎博光さんと先日会って話を聞いたのですが、この人たちがヨード剤を飲んでいたというのです。㋒危険な(放射性)ヨウ素を体内に取りこむ前に、ヨード剤を飲んで体のなかをヨウ素で一杯にしておけば、危険なものは入りこみにくい、という原理ですね。㋓ところが、それが効かなかった。㋔つまりチェルノブイリやヨーロッパの子どもたちには、間違いなく甲状腺のガンがすさまじい勢いで発生す(ママ)。㋕もうすでに、兆候は出はじめているでしょう」(六〇~六一頁、㋐~㋕に記号と括弧内の挿入は私)
先ず、㋐の文章であるが、ウソである。甲状腺被曝により発生し得る疾病は甲状腺ガンおよび甲状腺結節である。一九七七年国連科学委員会報告書『放射線の線源と影響』(アイ・エス・ユー社)によると、被曝したマーシャル諸島の住民(ビキニ海域一帯の島の住民のこと)二百四十三人のうち七人から甲状腺ガンが発生している。甲状腺結節のデータはここには掲載されていないが、この数倍はあると思う。つまり大雑把に見積って、合計すると二百四十三人中三十~四十人から甲状腺ガンまたは甲状腺結節が発生していることになる。被曝したマーシャル諸島の住民の何と八分の一~六分の一が甲状腺ガンまたは甲状腺結節を患っているのである。これだけでも実は大変な状況なのである。しかし、一九七七年以降の甲状腺ガンまたは甲状腺結節の発生数について私は知らないが、それらを加えても「住んでいた人のほとんどが甲状腺に障害を持っている」と言えないことは確かである。広瀬隆さん、それなのになぜあなたは「住んでいた人のほとんどが甲状腺に障害を持っている」などと、すぐに分かるウソをつくのか。あなたのようなウソなど全然つかなくとも、被曝したマーシャル諸島の住民が大変深刻な状況にあることは容易に想像できることなのである。すぐに分かるウソではなく、被曝したマーシャル諸島の住民の状況をあるがままに伝えることのほうがずっとずっと大切なことであると思う。
(中略)
 ㋔の文章、「つまりチェルノブイリやヨーロッパの子どもたちには、間違いなく甲状腺のガンがすさまじい勢いで発生する」中の「甲状腺ガンがすさまじい勢いで発生する」は、文学的表現であろうか。文学的表現であるならば、私としてはノーコメントである。何も言うことはない。しかし「稀にみる真実」であると主張するのであれば、このように情緒的な表現だけを用いるのは間違いの元で、避けるべきであると思う。チェルノブイリやヨーロッパの子どもたちの甲状腺の推定被曝線量はどのくらいか、将来発生し得る甲状腺ガン患者数(または死亡者数)はどの程度かを明記すべきである。さらに、自然発生甲状腺ガンの発生者数(または死亡者数)が分かるのであれば、それも付け加えるとなお一層よい。その上で、「甲状腺ガンがすさまじい勢いで発生する」と言いたければ、そう言えばよいと思う。私は常にそうするようにしている。
 ㋕の「もうすでに、兆候が出はじめているでしょう」も間違いである。ロザリー・バーテル女史の「放射能毒性事典」(技術と人間社)によると、甲状腺ガンおよび甲状腺結節の潜伏期はともに十年である。ただしバーテル女史によると、良性の腫瘍の場合には十年の潜伏期を経ずに発生することもあり得るという。いずれにしても、『危険な話』の第一刷が発行されたのはチェルノブイリ原発事故から一年しか経過していない一九八七年四月のことであり、それ以前から広瀬さんは「(甲状腺ガン)の兆候は出はじめている」(括弧内の挿入は私)とあっちこっちで講演して回っているわけだから、完全なウソ、作り話である。なお、先程の㋐のところに触れたことに関係するが、甲状腺結節は甲状腺ガンより三倍発生率が高いとバーテル女史は評価していることを、参考までに指摘しておく(文化評論』版、p142~144)

最初のほうは、大気中核実験が行われたマーシャル諸島の住民における甲状腺障害の問題である。広瀬はビキニ海域の住民に限定して「住民のほとんどが甲状腺障害をもっている」と語り、野口はより広範囲のマーシャル諸島全体を対象にした報告書から引用している。まずは、たぶん両者は同一のデータからみていないのではないかと推測される。その上、野口も、マーシャル諸島全体の統計でも甲状腺障害が平常よりかなり多いことは認めている。確かに、広瀬が「住民のほとんどに甲状腺障害がある」と主張しているのは誇張といえるかもしれない。ただ、広瀬としては、たぶんに核実験の死の灰による影響をアピールするためのレトリックだったとも思える。核実験の死の灰に起因する甲状腺障害の深刻さは決して「ウソ」とはいえないのだ。野口の批判では、広瀬の主張全体が「ウソ」となる。そして、それは、核実験の死の灰におけるマーシャル諸島の住民の苦しみを見過ごしていくことにつながってしまいかねないのだ。

後段のほうは、チェルノブイリ事故後、ヨーロッパやソ連で甲状腺ガンが子どもたちの間で多く発生するだろうと広瀬が予測している部分についてである。野口は、そのような推定データを広瀬はつけていないし、甲状腺ガンが発生するのは時間がかかるから、広瀬がそのように主張していることは「ウソ」であると断じている。

確かに、広瀬の主張に根拠があるのかといえば、形式的には野口のいう通りともいえる。しかし、現在、私たちは、チェルノブイリ事故後、実際にチェルノブイリ周辺の子どもたちに甲状腺ガンが発生したことを知っている。その意味では、専門家である野口よりも、野口によれば科学的とはいえない広瀬のほうが現実の事態を予見していたともいえる。いずれにしても「ウソ」とはいえないであろう。そして、このことを主張する広瀬を「ウソツキ」と断ずる以前に、とりあえず広瀬の主張を「仮説」としてとらえ、その真偽を自ら実証してみるべきではなかったかと思えるのである。

野口の批判は、これ以外も枚挙の暇がないほど続くのであるが、このあたりでやめておく。野口の広瀬隆批判は、確かに共産党の人びとの広瀬批判に触発されたものであろうと思えるのだが、実は、それとは別個の問題が提起されていると思う。野口の批判は、広瀬隆のジャーナリズムと知識人批判に対して、広瀬の主張総体を「ウソ」と断ずることによってなされる、「学知」の側からの反撃ともいえるのである。『文藝春秋』に掲載された版では、共産党や原水協などの原発政策に関わる部分は削除されているのだが、全体の印象は文化評論版とそれほど変わらない。そのことは、この野口の広瀬批判の眼目が「学知」の側からの反撃というところにあったからだと思われる。

この野口の広瀬批判をどうとらえるか。重要な問題なので、項をあらためて検討することにしたい。

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以前、本ブログにおいて『加藤哲郎氏の報告「日本マルクス主義はなぜ『原子力』にあこがれたのか」を聞いてー東日本大震災の歴史的位置』(2011年12月10日)と題して、同日に加藤氏が行った講演につき、戦後の日本共産党が綱領などの政策文書の上では原発を容認していたとするという内容の紹介を行った。

ただ、綱領などの政策文書だけで、日本共産党の総体の原子力政策を論じることは、たぶんに一面的であるとも思う。実際に原発事故に直面した際の状況によって、日本共産党の人びとの行動もまた変わっていったと思われる。その揺れも含めて考えなくてはならないのではないか。

そして、このような共産党の対応は、私自身の意識の問題とも結びついていると思う。私自身は共産党員ではなかったが、ある意味で、私が育ってきた空間は、共産党の人たちと無縁なものではなかった。もしかすると、共産党の人たちを傷つける記述になっているかもしれない。その場合はお詫びしなくてはならない。ただ、私は、こういいたいのだ。私もまた、こういう問題を一部共有していると。私は、なぜ、自分が原発問題を意識しなかったのか、そのことを強く意識している。そのために、ここで、共産党の人たちのことをみてみるのは、その一環である。早い話、3.11以前ならば、このようなことを考えもしなかったのだ。

今回は、1986年のチェルノブイリ事故をうけて『文化評論』1988年7月号(新日本出版社)に掲載された「座談会・自民党政府の原発政策批判」をみておこう。この座談会には、中島篤之助(中央大学教授)、矢島恒夫(日本共産党衆議院議員)、柳町秀一(日本共産党科学技術局)、松橋隆司(「赤旗」科学部長)が参加した。中島は、原子力などを専攻しており、日本原子力研究所に勤務した経験をもち、共産党系の科学者が結成した日本科学者会議で原子力問題研究委員会委員長を当時勤めていた。座談会に出席したのはそのためであるといえる。もとより、この座談会はなんらの強制力もなく、共産党が正式に表明した方針ではない。しかし、逆に、共産党の人びとが、チェルノブイリ事故をめぐって、具体的にどのように認識し、行動しようとしていたのかを考える一つの材料となるだろう。

まず、中島篤之助は、「われわれがかねて言ってきたことですが、原子力発電の技術が決して成熟した技術ではないということを印象づけました」(p59)と指摘した。そして、日本の原子力安全委員会のチェルノブイリ事故調査特別委員会の最終報告書を批判して、次のように述べた。

 

要するに日本ではこういう事故が起きないということを強調することに終始していて、しかもその根拠が、たとえば、炉形が違いますから起きませんとか、あるいは検討はしました、しかしだいじょうぶです、というような調子で一貫している。繰り返し安全性を強調しているのですが、それをまた国民が全然うけつけていないという現実がある、両者の間のギャップが非常に大きい。(p59)

そして、衆議院議員の矢島恒夫も、チェルノブイリ事故については、国会でも取り上げられているが、政府側は「非常に非科学的な答弁しか行っていない」と述べ、「日本政府は、原子力発電を基軸エネルギーとしてやっていくという方針に固執しています」(p60)と指摘した。その他、チェルノブイリ事故における食品汚染問題、国内外での原発事故の続出、莫大な広告料を使っての原発安全PR、苛酷な炉心損傷事故を想定しないがための防災対策の遅れなどが、当時の原発をめぐる問題としてとりあげられた。基本的に、現在の原発においても、同様なことが指摘されているといえよう。

中島篤之助は、原子力発電は未成熟な技術ということについて、軽水炉は炉心溶融事故が起こりやすい不安定な原子炉であり、より安全な「固有安全炉」というものが必要であると指摘している。そして、中島は、「これ以上は軽水炉を増やしていくことはやっぱりよくない。それから既存の原発の古くなっているものは危ない。」(p73)と主張した。

また、原発は、産油国の資源主権論に対抗する先進工業国による「一種の新植民地主義的十字軍」であり、「日本の場合には、アメリカのビッグビジネスの商売の道具になって原発をつくったわけです」(p74)と中島篤之助は発言した。

このように、実際に建設された原発について、日本共産党の人びとは賛成していたわけではなく、むしろ問題点を指摘していたのである。そして、赤旗記者の松橋隆司は、このように指摘している。

日本共産党の不破(哲三…後に議長となる)副議長が、十数年前から、国会で原子力問題について先見的な警告を発しつづけてきたことは、振り返ってみると、いま問題になっているほとんどのことの根本を追及しており、非常に重要な意味をもっていることがわかります。」(p71)

つまりは、すでに共産党は、原発の個々の問題点を国会で追及していたというのである。現実の原発に直面した際、共産党においても、原発批判を行うようになったということができる。

しかしながら、この座談会では、反原発を反核運動の中心とすることに対する警戒感も強く表出されている。日本社会党系の人びとが組織していた原水爆禁止運動の機関である原水禁(原水爆禁止日本国民会議)は、1969年頃より反原発を運動の中にとりいれてきた。そして、共産党と共産党系の人びとが原水爆禁止運動の機関として結成していた原水協(原水爆禁止日本協議会)は、社会党ー原水禁と対抗関係にあった。

この対抗関係を前提にして、この座談会における発言をみていこう。共産党科学技術局の柳町秀一は「いま核兵器廃絶に「原発廃絶」を意識的に対置しようというグループは、その歴史的経過を無視して原発だけを大きく出そうとしているわけですね」(p75)と批判した。その上で、共産党の立場をこのように説明した。

さっきの「核絶対否定」の問題ですが、私たちのところに寄せられる意見や質問にもこの立場からのものが少なくない。共産党も見切りが悪すぎやしないか、いいかげんあきらめたらどうだ、廃棄物を考えたら研究だってだめじゃないかという言い方です。確かに、軍事の落とし子ということでの経済性の無視・安全性の無視を背負った原発が未成熟なまま実用化されている。これへの批判は当然ですが、だからといって、原子力のいっさいの平和利用を否定する見地はとらない。現在の原子力の平和利用の研究開発は、国際的には、核兵器開発にほとんど動員されていて、平和利用の道は、まだ端緒を開いたにすぎない。核兵器を廃絶して国際的英知を集めるのはこれからです。共産党の政策では「構造的に安全な原子炉」の開発をすすめることを強調しています(p76~77)

ある意味では、加藤氏の指摘したように、共産党の全体の政策文書によっていると思われるが、核兵器を廃絶することが原子力の平和利用につながるというロジックなのである。

他方、「反原発運動」は「ラッダイト運動」と同一視されていく。中島篤之助は、IMF条約(中距離核戦力全廃条約、1987年)で廃棄される核兵器からでるプルトニウムは、平和利用・原子力発電で使わないと、他の核兵器に転用される可能性があると指摘した。その上で、中島はこのように主張した。

だから日本の反核運動のなかには、実はプルトニウムをなくすことが核兵器をなくすことだみたいな誤解があるわけですね。プルトニウムがこわい、原発がこわい。だからいわば現代の「反原発運動」は、一種のラッダイト運動みたいなものです。機械ぶちこわしでは何事も変わらない。(p78)

その上で、中島は「ほんとの原子力の平和利用の展望は、核兵器がなくならなければ出てこない」(p78)と宣言したのである。

そして、松橋隆司は、チェルノブイリ事故後の総評・「原水禁」の「被爆四十一周年大会基調」について、このように言及した。

この「基調」には、その具体的な活動のなかには、どこにも核兵器廃絶を正面から要求するものがはいっていないかわりに、冒頭からソ連のチェルノブイリ原発事故を取り上げ、「核戦争の被害に匹敵する」などとのべ、核兵器も原子力発電も「核」ということでひとくくりにし、「核絶対否定」の立場を強く押し出しているのが特徴でした。
 「核絶対否定」論にもとづいた「原発反対」などを原水禁運動の目標に潜り込ませるなら、「原発反対」の立場以外の人は運動から離れざるをえず、運動は著しく切りちぢめたものにならざるをえないのは明らかです。結局、「核絶対否定」論は、核兵器固執勢力を助ける結果になり、客観的には反動的な役割を果たすことになりますね。(p80~81)

そして、その関連で、『東京に原発!』(1981年)、『ジョン・ウェインはなぜ死んだか』(1982年)、『危険な話』(1987年)で、原発や放射性物質の危険性を強く主張していた広瀬隆もまた批判された。松橋隆司は、このように述べた。

また「原発の危険性」という重大な問題を取り上げながら、原子力の平和利用をいっさい否定する立場から、「核兵器より原発が危険」とか、「すでに原発のなかで核戦争が始まっている」といった誇張した議論で、核兵器廃絶闘争の重大性から目をそむけさせる傾向もみられます。(p80)

これは、言及はされていないが、広瀬隆の『危険な話』の一節を批判したものである。その部分をあげておこう。

多くの人が反核運動に情熱を燃やし、しかもこの人たちは大部分が原子力発電を放任している。奇妙ですね。核兵器のボタンを押すか押さないか、これについては今後、人類に選択の希望が残されている。ところが原子炉のなかでは、すでに数十年前にボタンを押していたことに、私たちは気づかなかったわけです。原子炉のなかで静かに核戦争が行われてきた。いまやその容れ物が地球の全土でこわれはじめ、爆発の時代に突入しました。爆発して出てくるものが深刻です。(広瀬『危険な話』p54~55)

広瀬も『ジョン・ウェインはなぜ死んだか』は、核実験の話を中心としており、広い意味で核兵器廃絶を主張していたといえる。しかしながら、松橋は、広瀬の議論を核兵器廃絶よりも原発廃絶を優先したものとして把握し、その観点から批判したのである。

このように、この当時の共産党は、原発問題について微妙なスタンスをとっていた。共産党は、既存の原発の問題点について確かに厳しく追及していたといえる。実際、日本科学者会議の機関誌である『日本の科学者』には、各地の反原発運動がかなり紹介されている。他方で、「反原発」を反核運動の中心におくということについては、社会党ー原水禁との対抗関係から強く警戒し、まさしく、原子力の平和利用が可能であるという共産党の立場を堅持した。そして、その意味で、原発廃絶を強く訴えていた広瀬隆などの論調を批判するようになったといえる。

そして、『文化評論』の同号には、野口邦和「広瀬隆『危険な話』の危険なウソ」が掲載された。これは、まさしく、「反原発」を反核運動の中心に置くことに対する共産党の人びとの警戒感に端を発しつつ、「学知」の立場で広瀬隆ーひいては「反原発運動」の真偽を「判定」するというものである。このことについては、次回以降検討していきたい。

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