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Posts Tagged ‘送り火’

最近、問題になったことで、陸前高田市で津波に被災した高田松原の松を、8月16日に開催される京都市の五山送り火で使おうとしたが、結果的にセシウムが松から検出されて中止したということがあった。2011年8月17日の毎日新聞社説が事態の推移をまとめ、さらに自社の意見を主張しているので、ここでまず紹介しておこう。なお、ここでは、たまたま毎日新聞を使っているが、他の新聞なども同様な傾向があるといえる。

社説:五山送り火 残念だった善意の迷走

 昨夜、京都の夏の夜空を彩る伝統行事「五山送り火」があった。今年は東日本大震災の犠牲者の霊を慰めようと、岩手県陸前高田市の松で作ったまきを使う計画が持ち上がったが、放射能汚染への対応をめぐって行政などが右往左往した末、中止となった。被災者の思いや、計画の実現に向けて奔走した人々の善意が生かされなかっただけでなく、京都市民にとっても後味の悪い結果となったのは残念だった。

 震災後初となるお盆に際し、犠牲者の遺族らにメッセージをまきに書き込んでもらって燃やす計画は大分市の美術家が発案した。五山の一つ、大文字保存会の計画が報道された後、放射能汚染を心配する意見が京都市などに寄せられ、市民の不安に配慮して検査を実施した。

 その結果、放射性物質は検出されなかったにもかかわらず、保存会の理事会でも意見が割れ、「不安は完全にぬぐえない」として中止を決定した。これは明らかに過剰反応であり、保存会はもっと冷静に判断してほしかった。

 計画中止が報道されると、2000件以上の抗議の電話やメールが殺到する。送り火で使われないことになったまきは8日、陸前高田市内で、お盆の迎え火として燃やされた。古都のイメージダウンを恐れた門川大作・京都市長が事態の収拾に乗り出し、五山すべての送り火で燃やそうと、新たに別のまき約500本を取り寄せた。だが、表皮からセシウムが検出されたことで計画は再度中止となった。

 放射能の不安を訴える市民がいることはあらかじめ分かっていたはずだ。当初使用する予定だったまきのように表皮を削り取る作業を行っていれば、実施できた可能性は高い。千葉・成田山新勝寺は同様の方法で陸前高田の被災松を9月の供養で燃やすことにした。

 放射性物質がもたらす健康被害のリスクは未解明の部分が多く、屋外での焼却は国の安全基準がない。京都市が問い合わせた専門家の回答は「安全という見解は出せない」で、これを中止の根拠としたが、「健康には全く問題がない」と指摘する専門家もおり、複数の意見を聞いた上で判断をしてもよかった。

 また、セシウムの検出を予想していれば、幹の部分だけを燃やすことも検討できたはずだ。きめ細かさを欠いた京都市などの対応が、2度にわたって陸前高田の人々を振り回し、傷つけることになった。

 放射性物質への対応は過剰になっても鈍感でもいけない。遠く離れていても、被災者の立場になって考え、落ち着いた行動をとる。それが今回の騒動が残した教訓だ。(http://mainichi.jp/select/opinion/editorial/news/20110817k0000m070131000c.htmlより)

このことについては、いろいろ複雑な問題をはらんでいる。ここでは、毎日新聞の意見を中心にみておこう。毎日の意見は、

放射性物質がもたらす健康被害のリスクは未解明の部分が多く、屋外での焼却は国の安全基準がない。京都市が問い合わせた専門家の回答は「安全という見解は出せない」で、これを中止の根拠としたが、「健康には全く問題がない」と指摘する専門家もおり、複数の意見を聞いた上で判断をしてもよかった。また、セシウムの検出を予想していれば、幹の部分だけを燃やすことも検討できたはずだ。きめ細かさを欠いた京都市などの対応が、2度にわたって陸前高田の人々を振り回し、傷つけることになった。放射性物質への対応は過剰になっても鈍感でもいけない。遠く離れていても、被災者の立場になって考え、落ち着いた行動をとる。それが今回の騒動が残した教訓だ。

ということになる。基本的には「被災者の立場」にたって、陸前高田の松を「送り火」で使う方向で検討すべきであるということになろう。

私は、ここで「送り火」に使うかいなかという問題には踏み込まない。ただ、この毎日新聞の社説では、大事な問題が問題にされていないと思う。それは、陸前高田の松から、放射性セシウムが検出されたということだ。毎日新聞がネット配信した(2011年8月12日 16時14分(最終更新 8月12日 23時26分))では、次のように報道されている。

京都市によると、松から切り出したまき(長さ約30センチ)の表皮から放射性セシウムが1キロ当たり1130ベクレル検出された。表皮を除いた幹の部分からは検出されなかった。(http://mainichi.jp/select/jiken/news/20110812k0000e040090000c.htmlより)

岩手県にある陸前高田市は、福島第一原発から、かなり遠い距離にある。測定してみたら、放射線セシウムが検出されたということだ。これは、福島第一原発事故が、かなり広範囲に、深刻な影響をもたらしているということを意味している。

もう一度「宮城県ー栃木県のセシウム合計蓄積量」をみてみよう。宮城県の北東部、気仙沼市に3万-6万Bq/㎡ベクレルの地域が存在している。3万7千Bq/㎡以上が放射線区画区域になる。つまり気仙沼市すらも、ある程度汚染度の高い地域が存在している。陸前高田市は気仙沼市に隣接している。しかし、調査結果はまだ公表されていない。ただ、高田松原の松から、セシウムが検出されても、まったく不思議ではないのだ。

これは、東北ばかりではない。栃木県北部には、気仙沼市と同等以上の汚染度の地域が存在している。実際、栃木県で生産された腐葉土からも放射性セシウムは検出されている。

宮城県ー栃木県のセシウム合計蓄積量

宮城県ー栃木県のセシウム合計蓄積量

このように、福島第一原発事故による放射能汚染は、かなり広範囲であることが予想される。しかし、首都圏と同じく岩手県でも、調査結果の公表はされていない。もし、陸前高田市も気仙沼市と同等の汚染状況であるとして、それを事前に承知していれば、陸前高田市も京都市もそれなりに慎重な措置をとることが可能であったといえる。

そうして考えてみると、まずは、国もしくは県が、いち早く放射能汚染について調査し、公表することが、この問題の一番基本のところにあるといえるのである。

毎日新聞の社説では、その点が全く欠如している。このような報道姿勢では、国や県の放射能汚染に対する情報隠蔽、過小評価を追認しているといえる。また、他方で、日常生活を従来通り続けたいとして、放射能汚染の深刻さに目を閉ざそうとする一部の社会の傾向を推進するものともいえる。

そして、最終的には、「東北人」-「非東北人」の心情の問題に還元してしまっている。もちろん、心情の問題は大事である。津波でなくなった人びとの霊をなぐさめること、そして生き残った人びとが生きていく決意をあきらかにするということは重要である。例えば、石巻市の川開きで灯籠流しの映像をみたが、その感を強く感じた。

しかし、放射能汚染という全国に及ぶ問題を「東北問題」に局所化していいいのかと思う。何をともにかかえているのかを直視することが必要なのではないかと考えるのである。

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