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本年2014年、富岡製糸場が世界遺産に登録された。それを伝える朝日新聞のネット配信記事をまずみておこう。

富岡製糸場、世界遺産に決定 国内18件目
長屋護=ドーハ、藤井裕介2014年6月21日17時13分

カタールのドーハで開かれているユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界遺産委員会は21日、「富岡製糸場と絹産業遺産群」(群馬県)を世界文化遺産に登録することを決めた。日本からの文化遺産への登録は昨年の「富士山」(山梨、静岡両県)に続く14件目。自然遺産と合わせた国内の世界遺産は18件となった。国内で近代以降につくられた産業施設の登録は初めて。

特集:富岡製糸場
「富岡製糸場と絹産業遺産群」は、1872年に殖産興業を担う官営工場として設立された「富岡製糸場」(富岡市)のほか、蚕の卵の品種改良や農家への養蚕指導の拠点となった「田島弥平旧宅」(伊勢崎市)と「高山社跡」(藤岡市)、自然の冷気を利用した卵の貯蔵施設「荒船風穴」(下仁田町)の4資産で構成。富岡製糸場を中心に、海外から導入した技術を改良して良質な繭を生産し、かつては春に1回だった養蚕を夏や秋にも可能として生糸の増産につなげた。政府は、世界の絹産業発展させた象徴的な施設として推薦した。

今年4月、ユネスコの諮問機関の国際記念物遺跡会議(イコモス)が「日本が近代工業化世界に仲間入りする鍵となった」と高く評価し、ユネスコに登録を勧告していた。

登録決定を会場で見届けた群馬県の大沢正明知事は、採決後に英語でスピーチし、「今後はこの喜びを忘れることなく、この遺産を保全し、将来の世代に伝えていくために最善を尽くします」と語った。(長屋護=ドーハ、藤井裕介)http://www.asahi.com/articles/ASG6M5Q0TG6MUCLV00F.html

そして、イコモスによる世界遺産への登録勧告がなされた4月以降、富岡製糸場への見学者が激増するようになった。例えば、8月15日のJ-CASTテレビウオッチは、次のように伝えている。

世界遺産に登録後初めてのお盆休みとなった富岡製糸場(群馬県富岡市)は、きのう14日(2014年8月)の入場者数が8576人と過去最高となった。入場待ちの行列がオープンしてすぐ200メートルを超え、待ち時間は約1時間30分。正午前の気温を木内亨・取材ディレクターが測ると31・4度と酷暑ではないが、湿度は84%もある。製糸場はうちわを配ったり、ミスト扇風機を設置したりと対応に追われた。
http://www.j-cast.com/tv/2014/08/15213176.html

11月23日(日)、私は別の用事で群馬県で訪れたが、そのついでに富岡製糸場にむかった。やや遠くだが無料駐車場などもあり、車をとめることには苦労しなかった。しかし、町並みを抜けて、富岡製糸場の前にきて驚いた。下記の写真をみてほしい。

富岡製糸場前

富岡製糸場前

富岡製糸場前は、それこそ黒山のような人だかりであった。入場を待っている人々の列は、100−200メートルぐらいになっていた。たぶん、先の記事のように、待ち時間は1時間半ぐらいになっていただろう。製糸場内もかなり混雑しているだろうと予測できた。結局、入場をあきらめざるを得なかった。

まあ、世界遺産になれば、当然ながらそれまでよりも入場者は増えることになるだろう。東京からも比較的近くてアクセスも容易である。また、そもそも観光地として開発されたものではないから、施設のキャパシティも限定されるだろう。人ごみもまた仕方なかろう。

とはいえ、これほどまでに近代化遺産としての「富岡製糸場」の人気が高いとは想定していなかった。それは、一つに「近代化」の時代についての郷愁があると思えるのである。そして、それは、日本を「先進」とし、中国・朝鮮などの東アジア諸国を「後進」とするものでもあった。その意味で、「近代化」とは、日本のナショナリズムの大きな源泉でもあったのである

現在、中国・韓国の成長の前で、「先進」日本というアイデンティティは脅かされているといえる。中韓両国に対する過剰な対抗意識の表出はその一つの現れであろう。他方で、「近代化」時代への「郷愁」を生むことになったのではないか。まさに、近代化の「先進」国であった時代に回帰したいという思いへと。そして、それは、脅かされたアイデンティティを一時的でもナショナリズム的に「癒す」ものともいえよう。それが、近代化遺産である富岡製糸場への人気につながっていったのではなかろうか。

しかし、それは、一面的なものである。製糸業が日本の近代化に寄与したのは事実だが、実際にその労働を担った女工たちの待遇は、「ああ野麦峠」に書かれているように、一般的に劣悪だった。官営模範工場であった富岡製糸場はそれほど劣悪ではなかったらしいが、民営化されて待遇が悪化したようである。ハフィトンポストは「富岡製糸場はブラック企業だったのか? 世界遺産に登録される理由とは」(2014年4月28日)次のように伝えている。

しかし、各種報道によると実際には富岡製糸場は、少なくとも設立当初の官営時代は1日8時間労働で夏冬の長期休暇があるなど、明治期の労働環境としては世界でも異例なほど恵まれていた。日本の民営工場の模範になることを目指した官営施設だったため、採算を度外視して福利厚生にも力を入れていたようだ。
(中略)
ただし、富岡製糸場が官営工場だった時代は、115年の歴史のうちのごく一部だ。創業19年後の1891年には、三井家に払い下げられ民間工場となった。その後、1902年に原合名会社、1939年に片倉製糸紡績会社(現片倉工業)と経営母体は変わっていった。民営化されたことで、繁忙期には1日あたりの勤務時間が約12時間になるなど、労働環境は厳しくなったようだ。

http://www.huffingtonpost.jp/2014/04/27/tomioka-silk-mill_n_5224176.html

ハフィトンポストは、「日本の近代化に大きな貢献を果たした富岡製糸場。世界遺産指定でその正と負の両方の面が問われることになりそうだ」と問いかけている。今や「近代化」の功罪こそが検討されなくてはならない。しかし、たぶん、多くの見学者にそのような認識はなかろう。日本が「先進国化」した「近代化の時代」への回帰という幻想的な郷愁、それが富岡製糸場に人を向かわせているのではなかろうか。そして、このような「幻想的な郷愁」は、現代日本社会の随所で見出だせるのである。

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