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Posts Tagged ‘辺野古’

さて、もう一度、石破ブログにもどってみよう。現在のところ、石破茂のブログ記事「沖縄など」の終わりは、このように書かれている

今も議員会館の外では「特定機密保護法絶対阻止!」を叫ぶ大音量が鳴り響いています。いかなる勢力なのか知る由もありませんが、左右どのような主張であっても、ただひたすら己の主張を絶叫し、多くの人々の静穏を妨げるような行為は決して世論の共感を呼ぶことはないでしょう。
 主義主張を実現したければ、民主主義に従って理解者を一人でも増やし、支持の輪を広げるべきなのであって、単なる絶叫戦術は「テロ行為とその本質においてあまり変わらない」「本来あるべき民主主義の手法とは異なる」ように思います。
http://ishiba-shigeru.cocolog-nifty.com/

「テロ行為とその本質においてあまり変わらない」を「本来あるべき民主主義の手法とは異なる」と書き換えたのである。いずれにせよ、デモを民主主義にそぐわないものとしてみていることはあきらかだ。

では、石破のいう「民主主義」とはどんなものだろう。まず、この文章が「沖縄など」と題されていることに注目したい。そもそも、この文章は「沖縄問題」から書き起されているのである。その部分をみておこう。

 

沖縄・普天間移設問題に明け、それに暮れた1週間でした。
 その間に特定秘密保護法案の衆議院における可決・参議院への送付という難事が挟まり、いつにも増して辛い日々ではありましたが、沖縄県選出自民党議員や自民党沖縄県連の苦悩を思えばとてもそのようなことは言っておれません。
 多くの方がご存知のことと思いますが、沖縄における報道はそれ以外の地域とは全く異なるものであり、その現実を理解することなくして沖縄問題は語れません。沖縄における厳しい世論にどう真剣かつ誠実に向き合うのか。私は現地の新聞に「琉球処分の執行官」とまで書かれており、それはそれであらゆる非難を浴びる覚悟でやっているので構わないのですが、沖縄の議員たちはそうはいきません。
 繰り返して申し上げますが、問われているのは沖縄以外の地域の日本国民なのです。沖縄でなくても負うことのできる負担は日本全体で引き受けなくてはならないのです。

この文章だけを読むと、何を書いているかさっぱりわからないが、ここで、石破が書いていることは、沖縄普天間基地の辺野古移転計画を、県外移設を主張していた沖縄県選出自民党議員や沖縄県連に認めさせたことである。その状況について、沖縄タイムス社説は、次のように指摘している。

社説[菅・石破発言]沖縄への露骨な恫喝だ
2013年11月20日 09:21

 「このまま県連の要望を聞いていると、普天間の固定化がほぼ確実になる」「県外移設なんてとんでもない。党本部の方針に従うべきだ」

 菅義偉官房長官と自民党の石破茂幹事長が18日、自民党県連の翁長政俊会長らとそれぞれ会談した中で、県連側に伝えた言葉だ。

 米軍普天間飛行場の県外移設を公約に掲げている県連に対し、両氏はそれぞれ「恫喝(どうかつ)」としか受け取れない激しい言葉で、辺野古移設容認への転換を促した。

 県外移設を求める県民世論に支えられ、公約を堅持してきた県連に対し、辺野古移設か固定化か-と「二者択一」を迫るような姿勢は、強権的な安倍政権の「脅し」でしかない。

 権力をあからさまに振りかざし、問答無用で政府や党本部の方針に従わせようとするやり方は、とうてい容認できない。政治家に対し、支持者との契約ともいえる公約の破棄を求めるのは、有権者を愚弄(ぐろう)するものである。

 そもそも「県外はあり得ない」とする根拠は何か。辺野古以外を検討したのか。そうならば検討した内容を明らかにすべきだ。沖縄の民意を置き去りにして、当初から辺野古ありきなのではないか。

 政府首脳や公党の幹部が、普天間の固定化に言及するのは無責任きわまりない。普天間返還の原点は市街地のど真ん中に位置し、「世界一危険な飛行場」の危険性除去である。「固定化」は自らの不作為を認めるようなもので、とても口にするべきことではない。

    ■    ■

 戦後、米軍基地が沖縄に集中したのは、日本政府が安保の負担を過重に沖縄に負わせた結果である。

 1950年代、山梨や岐阜に駐留していた海兵隊が沖縄に移駐したが、それは本土での反基地感情の高まりが背景にあったからだ。

 本土復帰直後の72年には、米国防総省が沖縄を含む太平洋地域からの海兵隊の撤退を検討していたが、日本政府が海兵隊の駐留維持を求め、在沖米軍基地の大幅縮小の機会が失われた。

 菅氏は自民党県連との会談で「辺野古移設は米軍による抑止力を考えて日米両政府で決めたことだ」とも述べたという。

 しかし、民主党政権で防衛相を務めた森本敏氏は、普天間の移設先について「軍事的には沖縄でなくてもよい」と述べている。菅氏の発言は沖縄に対する「構造的差別」以外の何ものでもない。

    ■    ■

 ことし1月、県内全市町村長と議会議長、県議会全会派などが連名で、普天間飛行場の閉鎖・撤去と県内移設の断念を求める「建白書」を安倍晋三首相に手渡した。

 安倍政権はそれを一顧だにすることなく、3月には辺野古埋め立て申請を提出。県民世論を無視したまま、辺野古移設を進めようとしている。17年も続く迷走は、当事者である沖縄の頭越しに決められているからだ。稲嶺進名護市長が言うように「基地はできてしまえば100年も残る」。一体いつまで沖縄に過重負担を強いるつもりなのか。http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=57006

そして、結局、沖縄県連などは、辺野古移設を認めさせられた。次の読売新聞のネット配信記事をみてほしい。

普天間の辺野古移設、自民沖縄県連が容認へ

 沖縄県の米軍普天間飛行場(宜野湾市)の移設問題を巡り、県外移設を掲げていた自民党県連は26日、同県名護市辺野古への移設を容認する方針を固めた。

 県連所属の国会議員5人が容認に転じた上、県連内でも同飛行場の固定化回避には辺野古移設を否定すべきではないとの意見が大勢を占めたことから、方針転換する。政府・党本部と地元の足並みがそろうことで、政府が申請した移設先の埋め立てについて、仲井真弘多ひろかず知事が承認しやすい環境が整う。

 辺野古容認の方針は、自民党の石破幹事長と国会議員団が25日に確認した「普天間基地の危険性を一日も早く除去するために、辺野古移設を含むあらゆる可能性を排除しない」との文言を踏襲する方向で調整する。ただ、県外移設の主張を堅持すべきだとする一部の声にも配慮し、「あらゆる可能性には、県外も含む」(県連幹部)との考え方をとる方針だ。

(2013年11月27日03時21分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20131126-OYT1T01555.htm?from=navr

石破の言っていることは、沖縄県連などに辺野古移設を認めさせたが、その際、軍事施設全般の県外移設をすすめるというリップサービスをしたということなのである。石破のやったことは、沖縄の世論を背景に県外移設を公約としてきた沖縄県選出の国会議員や自民党沖縄県連を説得して、「公約」を破らせたということにほかならない。

結局、ここにあるのは、民意を尊重するというのではなく、公選された代表たちを「説得」して「合意」させて正当性を得ようという政治手法である。沖縄の場合、保守的な自民党ですらも選挙においては普天間基地の県外移設を公約にしないと議員当選は難しかった。それが「民意」であるといえよう。

もちろん、代表制民主主義において、すべてのことを選挙民と合意して政治を進めていくことは難しい。しかし、沖縄において普天間基地を県内に移設させないことは、保守・革新という政治的立場をこえた「世論」となっており、ゆえに自民党の沖縄県連も公約に掲げていたといえる。その意味で「民意」はここでも踏みにじられたのである。

公選された代表である議員たちは、本来主権者である国民の代理人として存在すべきものといえる。しかし、ここでは、公選された議員たちに決定権があり、民意は無視されてもかまわないことになるだろう。たぶん、沖縄で公選された議員たちに対し、石破は形式的には「暴力」的でない形で「合意」をとったといえるだろう。しかし、それは、結局のところ、沖縄の人びとそれぞれの合意ではないといえる。つまり、いわば、公選された議員たちだけが、民意とは無関係に政治を決定できるというシステムになっているといえる。議員主権とでも評価できようか。それが、石破のいう「民主主義」なのである。

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