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4月11日、「原発ゼロ」を転換するものとされるエネルギー基本計画が閣議決定された。

このことについて、朝日新聞・毎日新聞・東京新聞は、社説にて批判の意を表明した。また、地方新聞においても批判的に受け止めている社説が多々見られる。

それでは、原発推進派の人びとはどのようにこのエネルギー基本計画をみているのだろうか。原発推進をあからさまにかかげるメディアはそれほど多くはない。中央の新聞では、読売新聞・産經新聞・日本経済新聞くらいである。

ここでは、読売新聞が4月12日にアップした社説を事例にして、原発推進派の人びとの論理を批判的に検討していきたい。

まずは、読売の社説をかかげておこう。

エネルギー計画 「原発活用」は現実的な戦略だ

◆最適な電源構成の設定を急げ◆

 迷走した日本のエネルギー政策を、正常化する大きな一歩である。電力の安定供給体制の立て直しが求められよう。

 政府がエネルギー政策の指針となるエネルギー基本計画を閣議決定した。

 最大の焦点だった原子力発電所については、昼夜を問わずに発電する「重要なベースロード電源」と位置付けた。安全性を確認した原発の再稼働も明記した。

 民主党政権が掲げた「脱原発路線」に、正式に決別する妥当な内容と言える。

◆公明党の同意がカギに◆

 東京電力福島第一原発の事故を受け、全原発48基の停止という異常事態が続いている。

 政府は当初、今年初めにもエネルギー基本計画を閣議決定する方向だったが、自民、公明両党との調整が長引いた。

 速やかな「原発ゼロ」を選挙公約に掲げた公明党も、最終的に、原発を活用する基本方針に同意した。厳しい電力事情を考えたうえでの現実的な判断だった。

 事故前に全発電量の3割だった原発を火力発電が代替し、比率は9割近くに達している。

 輸入燃料に頼る火力発電への過度な依存は、エネルギー安全保障の観点から極めて危うい。

 火力発電の追加燃料費は年3・6兆円に上り、資源国への巨額な国富流出が続く。家庭の電気料金は事故前より東電で4割、関西電力も3割近く上がり、このままでは追加値上げも不可避だろう。

 問題は、いまだに原発再稼働への道筋が見えないことである。政府は立地自治体の説得を含め、再稼働の実現に向けた取り組みを加速させるべきだ。

◆再生エネ2割は疑問◆

 基本計画のもう一つの焦点は、太陽光など再生可能エネルギーの普及をどう見込むかだった。政府は、2012年度に約1割だった再生エネの比率を、30年度に2割以上にすることを盛り込んだ。

 再生エネを重視する公明党などの主張を受け入れたものだ。再生エネの拡充は必要だが、目指すべき最適な電源構成の全体像をまとめる前に、再生エネだけに数値目標を掲げたのは疑問である。

 2割に引き上げるには、原発10基をフル稼働して作る電力を、再生エネで新たに確保する計算になる。太陽光だけなら東京の山手線内の10倍の用地が、風力では約2万基の風車が要る。現時点では実現性に乏しい目標ではないか。

 日照や風の状況による発電量の急変動など、克服すべき課題も多い。官民が連携して技術開発を加速しないと、活路は開けまい。

 大切なのは、原発を含む電源構成の目標設定と、その達成への工程表を速やかに示すことだ。

 エネルギー政策の方向が不透明なままでは、企業が中長期の経営戦略を立てにくい。安倍政権の経済政策「アベノミクス」の足かせとなる恐れもある。

 経済性や供給安定性、環境負荷など、それぞれ長所と短所のある火力、原子力、再生エネにバランスよく分散させることが肝心だ。温室効果ガスの排出量を抑えた火力発電所の開発・新設など、多角的な対応も求められよう。

 基本計画は原発依存度を「可能な限り低減させる」とする一方、「確保していく規模を見極める」としている。原発の新増設に含みを残しているが、踏み込み不足は否めない。

 原子力技術の維持と人材育成のためにも、原発を新増設する方針を明示すべきだろう。

 原発の安全性に対する国民の不安が根強いのは、福島第一原発の事故収束の遅れも一因だ。政府と東電が緊密に連携し、早急に収束を図ることが重要である。

 原発を活用するうえで、放射性廃棄物の最終処分に道筋をつけることも欠かせない。「国が前面に立って取り組む」としたのは当然だ。処分地選定などで具体的な進展を図ることが急務となる。

◆最終処分に道筋つけよ◆

 核燃料サイクルについて「対応の柔軟性を持たせる」との表現が維持されたのは、懸念が残る。

 一方、高速増殖炉「もんじゅ」が新たに、核廃棄物の減量や有害度低減などの国際的な研究拠点と位置付けられたのは評価できる。核燃サイクルの着実な推進への追い風としたい。

 中国には15基の原発があり、55基の建設が計画されている。重大な原発事故が起きれば、放射性物質は日本にも飛来する。

 安全性能の高い日本の原発を新興国などに輸出することは、国際貢献になると同時に、日本の安全確保にもつながる。
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/20140411-OYT1T50161.html?from=yartcl_blist

これが、原発を推進している読売新聞の見方である。読売によれば、原発が稼働している状況が「正常」であり、稼働していない現況が「異常事態」なのである。このエネルギー基本計画は「正常」に戻る第一歩として位置づけられている。原発を「ベースロード電源」とするからには、再生可能エネルギーの比率を増やすなどということに拘泥せず、原発再稼働・新増設に邁進すべきというのが読売新聞の主張なのである。その主要な理由としてあげられているのは、火力発電では輸入燃料に依存するということである。現状では、原発も輸入燃料依存ということになるが、その弊害をさけるためには「核燃料サイクル」もまた必要となるということなのであろう。

そして、その前提となっているのは、「日本の原発は安全」ということなのである。原発を輸出することは、日本の安全にもつながるという論理なのである。

さて、このようにみてみると、福島第一原発事故についてほとんど触れていないことに気が付くであろう。福島第一原発事故については「収束の遅れ」ということだけが問題で、その他のことはまったく無視されている。考えてみると、それは当然である。福島第一原発事故は、日本の原発が安全であるという「安全神話」を破綻させた。原発の安全性についての日本社会の不安は、まさに福島第一原発事故の経験に起因している。しかし、読売新聞社説では、原発が稼働している状況こそ「正常」なのであり、原発再稼働・新増設・輸出はどしどし推進すべきとしている。その前提となっているのは「日本の原発は安全」という「安全神話」であろう。それゆえ、福島第一原発事故については、その経験を無視せざるを得なかったのであるといえよう。

この社説の表題は、「エネルギー計画 「原発活用」は現実的な戦略だ」である。しかし、そもそも、福島第一原発事故の経験という歴史的現実を「修正」した上で、もはや非現実的な「安全神話」に依拠せざるをえずには、この社説の論理は成立しないのだ。読売の社説のいう「現実的な選択」は「神話的な非現実性」をおびているのである。そして、これは、自己の思想によって歴史の「事実」を書き換えるという意味で、もう一つの「歴史修正主義」といえると思う。

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前回のブログでは、ディズニーが原子力プロパガンダ番組「わが友原子力」を制作したこと、そして、そのことが、アナハイムのディズニーランド遊園地にも影響を及ぼしたことを、主に有馬哲夫『原発・正力・CIA』(新潮新書 2008年)に依拠して述べてきた。

ここでは、同じく有馬前掲書によりながら、この「わが友原子力」が、日本でどのように受容されたか、そして、その結果としてどのようなことがおきたのかをみていこう。

このブログでは、読売新聞・日本テレビを傘下にもっていた正力松太郎が、CIAの慫慂により、1955年初めにアメリカの原子力平和利用使節団を招くなど、原子力推進キャンペーンに乗り出したことを述べた。このキャンペーンは、1955年に「保守合同」と「原子力推進」を二大公約として衆議院選挙に出馬した正力の選挙運動でもあった。

正力は、1955年11月より、CIAなどの援助により「原子力平和利用博覧会」を全国にわたって開催するなど、原子力の平和利用推進のキャンペーンに従事した。他方、正力自身は、1955年11月に国務大臣として入閣し、彼自身としては原子力担当大臣(1956年1月1日に原子力委員長に就任)として活躍した。その後も、正力は入閣するたびに科学技術庁長官など原子力を担当する部署を担った。総理大臣の地位をねらう正力にとって、原子力推進で実績をあげることは、その夢を実現する手段であった。そして、それは、正力の傘下にある読売新聞や日本テレビにとっても同じであった。

そんな中、ウオルト・ディズニーの実兄であるロイが日本テレビを訪問し、「わが友原子力」を「ぜひNTVで放送し、日本の人々にも原子力の実態を理解して欲しい」(有馬前掲書p206)と申し入れた。このことがいつか、有馬は明言していないが、1957年1月23日にアメリカで「わが友原子力」は放映され、1958年1月1日には日本テレビでも放映されているところから、1957年のことだったと思われる。有馬は、ロイ・ディズニーの申し入れについて、合衆国情報局、合衆国大使館、ゼネラル・ダイナミックス社(原潜ノーチラス号の製造会社)の支援を受けたものと推測している。

そして、1957年12月3日、日本テレビ本社で日本テレビとディズニーの間で「わが友原子力」の放映契約が締結された。12月31日には高松宮を招いて試写会を開いた。この試写会の様子を読売新聞が伝えており、翌1958年1月1日の放送と予告した。いわば、メディア・ミックスの企画だったのである。

有馬は、このように伝えている。

皇族も利用したこの宣伝の効果が大きかったためか、元旦という一年で最高の時間枠だったためか、『わが友原子力』の放映は大成功を収めた。…原子力委員長としての正力もこの成功を利用した。一九五八年に発行された科学技術庁原子力局の『原子力委員会月報』には原子力教育に役立った映画として『わが友原子力』が挙げられている。(有馬前掲書p218)

このように、日本テレビも正力松太郎もディズニー制作の「わが友原子力」の放映により利益を得たのである。

ただ、私としては、後日談のほうが興味深い。有馬は、次のように伝えている。

この大成功は連鎖反応を起こした。『わが友原子力』の放映契約は『ディズニーランド』の放映契約につながっていった。同年八月二九日、日本テレビは、金曜日の三菱アワーで、ディズニー・プロダクションズ製作(ABC放送)の『ディズニーランド』の放送を開始した。といっても隔週放送でプロレス中継と交互に放送された。これは戦後テレビの一時代を作り、長く記憶される番組枠になっていった。(有馬前掲書p218〜219)

「わが友原子力」が番組「ディズニーランド」の一コンテンツであったことは前述した。日本では、「わが友原子力」の放映が、番組「ディズニーランド」の放映につながったのである。

といっても、そのすべてが原子力推進プロパガンダ番組というわけではない。ウィキペディアの「ディズニーランド(テレビ番組)」の項から、日本テレビで放映された1958〜1959年の分をみておこう。アニメと啓蒙的ドキュメンタリーが多いと思われる。むしろ、遊園地なども含めてディズニーのコンテンツを紹介する番組であったといえよう。

1958年 [編集]
1. 8月29日:未来の国 「宇宙への挑戦」
2. 9月12日:おとぎの国 「グーフィーの万能選手」
3. 9月26日:冒険の国 「大自然に生きる」
4. 10月10日:おとぎの国 「ミッキーマウスの冒険」
5. 10月24日:冒険の国 「第一部 カメラの探検旅行 / 第二部 深山のおじか」
6. 11月7日:おとぎの国 「ただいま休憩中」
7. 11月14日:冒険の国 「南極の過去と現在」
8. 12月5日:おとぎの国 「プルートの一日」
9. 12月12日:冒険の国 「大自然に生きる」(第3回の再放送)
10. 12月19日:冒険の国 「大自然のファンタジー」
1959年 [編集]
11. 1月2日:未来の国 「大空への夢」
12. 1月16日:おとぎの国 「グーフィーの冒険物語」
13. 1月30日:冒険の国 「南極便り」
14. 2月13日:おとぎの国 「動画の歴史」
15. 2月27日:おとぎの国 「シリー・シンフォニー・アルバム」
16. 3月13日:冒険の国 「素晴らしい犬達」
17. 3月27日:冒険の国 「カメラのアフリカ探検とビーバーの谷」
18. 4月24日:冒険の国 「おっとせいの島」
19. 5月8日:おとぎの国 「ドナルド・ダックの一日」
20. 5月22日:未来の国 「宇宙への挑戦」(第1回の再放送)
21. 6月5日:おとぎの国 「グーフィーの出世物語」
22. 6月19日:未来の国 「大空への夢」(第11回の再放送)
23. 7月3日:おとぎの国 「魔法のすべて」
24. 7月17日:冒険の国 「カメラのアフリカ探検とビーバーの谷」
25. 7月31日:冒険の国 「ラプランドの旅とアラスカのエスキモー」
26. 8月14日:おとぎの国 「グーフィーの万能選手」(第2回の再放送)
27. 8月28日:未来の国 「月世界探検」
28. 9月11日:冒険の国 「カメラの探検旅行と深山のおじか」(第5回の再放送)
29. 9月25日:おとぎの国 「ドナルドのディズニーランド」
30. 10月9日:冒険の国 「大自然の神秘を訪ねて」
31. 10月23日:おとぎの国 「物語の誕生」
32. 11月6日:冒険の国 「南極便り(冷凍作戦)」
33. 11月20日:冒険の国 「サラブレッドあらし号(あるサラブレッドの生涯)」
34. 12月4日:おとぎの国 「ミッキーマウスの冒険」(第4回の再放送)
35. 12月18日:冒険の国 「冒険の国一周と水鳥の生活」

そして、正力は、東京ディズニーランドの創設にもかかわった。有馬はこのように指摘している。

 

ディズニーと読売グループとの関係はこの後も続く。一九六一年、京成電鉄の川崎千春は浦安沖の埋立地にディズニーランドを建設する構想を抱き、ディズニー・プロダクションズと交渉するためアメリカに渡った。『「夢の王国」の光と影ー東京ディズニーランドを創った男たち』によれば、このとき彼とディズニーの間の仲介の労をとったのは正力だったという。(p219)

ディズニー制作のアニメや映画をみたり、東京ディズニーランドで遊んでいたりした際、原子力のことなど普通考えない。しかし、起源まで遡及すると、原子力推進プロパガンダ番組「わが友原子力」の存在が大きいといえるのである。「原子力ムラ」「原子力文化」という際、信じられない範囲まで及んでいるのだ。

2011年12月31日、NHKは紅白歌合戦で、ディズニーの「星に願いを」を歌わせていた。そして、この曲は、前述したように、「わが友原子力」のオープニングでも使われていた。「わが友原子力」で「星に願いを」を聞き、もう一度紅白歌合戦を想起した際に感じた違和感、これをどう考えるべきなのだろうか。

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さて、原子力開発のもう一人の立役者であった、正力松太郎についてみておこう。このことについては、知人から教えられた、次の「原発導入のシナリオ ~冷戦下の対日原子力戦略~」(NHK現代史スクープドキュメント 1994年放送)をみるのが、一番わかりやすいだろう。下記のサイトより検索してほしい。

http://scrapjapan.wordpress.com/

このドキュメントを要約しておこう。アメリカは、対ソ競争を前提にして、西側諸国に平和目的での原子力開発を促し、そのことによって、今まで以上にこれら諸国をアメリカの核戦略にとりこむことを政策課題としていたが、日本においては1954年3月の第五福竜丸事件を契機に、それまで以上に核兵器への反対運動が高揚し、アメリカへの反発が強まっていた。この状況下で、アメリカ政府の代理人D・ワトソンは、日本テレビの重役であった柴田秀利に接触し、核兵器開発への対日心理戦略への協力をもちかけた。柴田は、読売新聞・日本テレビという二大マスコミを傘下にもつ読売グループの総帥である正力松太郎に説き、両マスコミを通じて平和目的の原子力開発のキャンペーンを大々的に展開させた。一方、正力松太郎は、1955年2月の総選挙に、保守合同と原子力開発を公約に掲げて立候補して当選し、保守合同後の11月の鳩山内閣の内閣改造で原子力担当大臣として入閣し、初代原子力委員長に就任するなど、原子力開発を強力に推し進めていった。このような形で、日本において、平和目的の原子力開発を促進され、アメリカの核戦略により深くとりこまれていった。

このプロットは、佐野真一氏の『巨怪伝―正力松太郎と影武者たちの一世紀』(文芸春秋 1994年)とほぼ一致している。ただ佐野氏が、典拠をあげずに論を進めていることと対照的に、このドキュメントは、アメリカの公文書、柴田秀利の資料、ワトソン自身のインタビュー、当時の新聞など、基本的には典拠をあげて映像化しており、より信頼がおけるといえる。ただ、佐野氏もとりあげている中曽根康弘の原子力開発への関与には言及されていない。

この当時の戦略は、柴田の手記による本人のこの発言に概括されるであろう。

日本には昔から“毒は毒をもって制する”という諺がある。原子力は諸刃の剣だ。原爆反対を潰すには、原子力の平和利用を大々的に謳いあげ、それによって、偉大なる産業革命の明日に希望を与える他はない。(同様の趣旨はドキュメントでも発言しているが、ここでは佐野前掲書より引用)

反米の意味を有する原爆反対運動を潰す、そのために、原子力の平和利用を謳いあげ、産業革命を希望させるということ、そのために、読売新聞と日本テレビは、社をあげて世論操作を実施し、総帥の正力松太郎自身が原子力を行政的に推進していったといえる。

このドキュメントの中では、日本学術会議のメンバーを柴田が警察庁などを使って調査させ、反対派には印をつけていたことなどが紹介されている。現在、原発反対派の研究者に尾行がつけられていたことが議論されているが、実は、原子力開発の最初からそのようなことはあったといえるのだ。

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