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Posts Tagged ‘表現の自由’

1月7日、フランスの週刊誌シャルリー・エブドがイスラム教の預言者ムハンマドを侮辱した漫画を掲載してきたとして、ムスリムのアルジェリア系フランス人の兄弟2人に銃撃され、12人が犠牲となり、逃亡した2人の容疑者も、逃亡してパリ近郊の工場にたてこもったあげく、射殺された。犠牲者の一人である漫画家のジョルジュ・ウォリンスキ氏はチュニジア生れのユダヤ人で1940年に移住してきたという。また、この事件では、アルジェリア系移民の家庭で生まれたイスラム教徒の警官も犠牲になった。関連して、ムスリムのマリ系移民によりフランスの警官が殺害され、ユダヤ人のスーパーに立てこもり、人質4人が犠牲となり、容疑者も射殺された。

この銃撃事件について、アルカイドもしくはイスラム国などのイスラム過激派の関与があったとされている。それは、たぶん、そうだろう。ただ、シャルリー・エブド銃撃事件については、単なるイスラム過激派が起したテロ事件というにとどまらず、前述したように、ムハンマドを侮辱した漫画を掲載したということへの報復という側面も見受けられる。銃撃したのは、アラブ人などではない。フランスの植民地であったアルジェリア系のフランス人なのである。そして、既述のように、被害者には、アルジェリア系や同じくフランスの植民地であったチュニジア系の人びとが含まれている。

では、どんな「漫画」を掲載していたのか。ハフィントンポストが一部紹介している。著作権で保護されていると思うので、下記のサイトで画像をみてほしい。

http://www.huffingtonpost.jp/2015/01/07/4-cartoonists-killed-charlie-hebdo_n_6433584.html

このサイトでは、「シャルリー・エブド」の編集長に就任したとして「笑いすぎて死ななかったら、むち打ち100回の刑だ」とつぶやいている「ムハンマド」(掲載直後に事務所に火炎瓶が投げ込まれた)、同性愛者として描かれている「ムハンマド」(イスラム教では同性愛はタブーとされている)が紹介されている。また、ヌード姿の「ムハンマド」を掲載したこともあった。さらに、ハフィントンポストは次のように伝えている。

シャルリー・エブド紙は2006年、「原理主義者に悩まされて困り果てたムハンマド」という見出し付きで、すすり泣くムハンマドの漫画を掲載し、物議をかもした。同号にはさらに、預言者ムハンマドの風刺画が12枚掲載され、イスラム世界からかつてないほどの批判が寄せられた(これは、もともとはデンマークのユランズ・ポステン紙が2005年に発表して問題になった預言者ムハンマドの風刺漫画を掲載したものだった)。

最終的には、フランス国内に住む500万人のイスラム教徒を代表する組織「フランス・イスラム評議会」が、同週刊紙を訴える事態となった。この号がきっかけとなって、シャルリー・エブド紙はテロリストの攻撃対象としてみなされるようになったと考えられている。

さらに最近の号では、イスラム国が預言者ムハンマドの首を切るマンガを掲載していた。

まず、これは一般的な知識だが、イスラム教では、いかなる意味での偶像崇拝を禁止するという点から、宗教的な場では神やムハンマドだけでなくすべての具象表現が禁止されている。その意味で、単に「ムハンマド」を画像として表現すること自体が、「反イスラム」的とみなされるといえるだろう。

そして、そういうことを度外視してこれらの漫画をみても、なぜ、これほど、ムハンマドに侮蔑的なのかと思う。報道されているイスラム国やタリバーンなどの状況は、もちろん批判されねばならない。このシャルリー・エブド銃撃事件自体も含めて、テロや戦争などの暴力、排他主義は認めてはいけない。しかし、これらことへの責任をムハンマドに直接問うべきものなのだろうか。そして、これらの漫画は、イスラム国やタリバーンなどとは無関係であるイスラム教を信ずる多くの人びとを傷つけることになるだろう。ハフィトンポストでは、暴力的なものも含めて、シャルリー・エブドに対してさまざまな抗議がなされてきたことが報道されている。

そして、シャルリー・エブドの編集長ステファヌ・シャルボニエ(通称シャルブ。本事件で死亡)とジャーナリストのファブリス・ニコリーノ(本事件で負傷)は、フランスの新聞ルモンドに、彼らへの批判に対する反論を2013年11月20日に寄稿している。あるサイトで翻訳されていたので、一部紹介しておこう。

まず、この反論では、自分たちはレイシズムではないと強調している。彼らは反レイシズムと全人類の平等を信奉しているとし、1968年の五月革命の申し子であり、右派のドゴール主義者たちの権力と戦い、批判的な精神を育ててきたという。そして、今でも、右派やレイシズムへの闘士であると自己規定しているのである。

シャルリー・エブドはむかついている。信じがたい中傷がどんどん広まっているという話が毎日のように聞こえてくる。シャルリー・エブドはレイシストの雑誌になったというのだ。
(中略)
改めて云うのも恥ずかしいぐらいだが、反レイシズムと全人類の平等に対する情熱がシャルリー・エブドの土台の約束事であり、これからもそれが変わることはない。
(中略)
それ以外の、基本的な価値観をまだ尊重しているひとのために、シャルリー・エブドの歴史について少しお話しよう。1970年当時のけったいなドゴール主義の権力によって週刊ハラキリが発行禁止になった後に創刊されたシャルリー・エブドは、1968年5月革命の子供である。これは自由と不遜な精神の子供で、カヴァンナ[創設者のひとり、2014年没]、カビュ、ウォランスキー[ふたりともテロで殺害]、レゼール、ジェベ、デルフェイユ・ド・トンといった明確なポジションをもった人々の手によって生まれたものだ。
まさか今からさかのぼって彼らに対する裁判を行おうとするひとはいるまい。1970年代のシャルリー・エブドのおかげで批判的精神を育てることができた世代があった。それはたしかに権威と権力者を馬鹿にしていた。ときには大口を開けて世界の不幸を笑うこともあったが、そのようなときにもいつも必ず人類とその普遍的な価値を弁護していた。
(中略)
右派を擁護しようと考えるものはシャルリー・エブドのなかにはだれもいないし、右派とは徹底的に戦うつもりだ。いろいろな姿をもつが実はひとつでしかないファシズムについては、もちろんこの連中をいちばんの敵であると考えている。それにこういう手合こそシャルリー・エブドに対する裁判を起こしてばかりいるのだ。
(中略)
どこにそのレイシストやらが隠れていると云うのだ。何も恐れることなく、私たちは永遠に反レイシズムの闘士であると云うことができる。党員証をもっているわけではないが、私たちはこの領域を自らの陣営とし、当然決してこれを変えるつもりはない。もしひょっとして(そんなことは起きるはずがないが)シャルリー・エブドにレイシスト的なことばやイラストが掲載されることがあったら、私たちはすぐに大騒ぎをしてここから出て行ってやる。当たり前だよ。
http://fukuinei.tumblr.com/post/107688280067

そして、なぜ、「イスラム教」とターゲットにするのかということについては、このように説明している。

しかしここで、いったいなぜなのか、理由を知らなければならない。なぜこんな馬鹿げた考えが伝染病のように広がっているのか。シャルリー・エブドはイスラモフォビアだと中傷者は云う。彼らのニュースピークでレイシズムという意味だ。ここでいかに知性の退化が広がっているのかがわかる。

もちろんシャルリー・エブドは同じ路線をつづける

40年前には、宗教でさえ罵り、憎悪し、侮辱するのが避けては通れない道だった。世界の動きを批判しようとするものは、必ず主な聖職者の大きな権力を問題にしなければならなかった。しかしある種のひとの云うことを聞くならば(この種のひとがたしかにどんどん増えてきているのだが)、今日ではこの問題については沈黙するべきなのかもしれないという。
シャルリーがローマ教皇の信奉者のイラストをたくさん表紙に使うのはまだいい。でもインドネシアにまで広がる地球上の数えきれない国の旗印であるイスラム教は、使わない方がいいのだそうだ。いったいどうしてだろう。イデオロギーを別とした場合、本質的なものとして、たとえばアラブ人であるという事実とイスラム教に帰属するということにどのような関係があるのだろうか。
もちろんシャルリー・エブドは、見て見ぬふりをすることをせず、同じ路線をつづけていく。たとえ1970年当時よりも今のほうが困難だとしても、シャルリー・エブドは、気に入ろうと気に入るまいと、司祭、ラビ、イマームのことを笑いものにしつづける。今や私たちは少数派なのだろうか。そうかもしれないが、ともかく私たちはこの雑誌の伝統を誇りに思っている。シャルリー・エブドはレイシストだと云う人々は、少なくとも名前を明かして公然と発言する勇気をもってほしい。そうしたらお答えできるでしょう。
http://fukuinei.tumblr.com/post/107688280067

ここに、イスラム教とその象徴であるムハンマドを攻撃する理由が開示されている。彼らのドゴール主義者への戦いは、フランスのカトリック聖職者への戦いでもあった。これは、それこそ40年前どころではなく、フランス革命の時代にまでさかのぼるアンシャンレジームの一角をしめる教権主義への戦いであり、共和国フランスにおける「世俗派」の歴史的伝統である(このような問題については、ピエール・ノラ編、谷川稔監訳の『記憶の場 フランス国民意識の文化=社会史』を参照されたい)。そして、欧米の近代国民国家は、さまざまな違いはあれ、おおむね政教分離を達成してきている。その意味で、教権主義への戦いは「進歩」的なものととシャルリー・エブド関係者は認識している。この反論で「イデオロギーを別とした場合、本質的なものとして、たとえばアラブ人であるという事実とイスラム教に帰属するということにどのような関係があるのだろうか」といっているが、これは、アラブ人をフランス人、イスラム教をカトリックに置き換えれば、意味が理解できよう。現代のフランスにおいて、フランスという政治共同体を組織することは、カトリックを信奉することとは別である。そして、このような政教分離は、アラブ人も達成しなくてはならないということになる。さらに、イスラム教というイデオロギーを批判しているのであり、「アラブ人」という人種を問題にしていないということにもなろう。いわば、「宗教」という「蒙」を「啓発」する「啓蒙」の立場に立っているのであり、「レイシズム」ではないということでもある。彼らは、自身の行なってきたフランスのカトリック聖職者への戦いに重ねあわせながら、イスラム教とその象徴であるムハンマドを攻撃しているといえよう。フランス人のユーモアについてはわからないが、彼らがムハンマドへの攻撃に情熱をそそぐ理由は理解できなくはない。

そして、シャルリー・エブドは、このような攻撃が可能になる根拠として、次のように言っていたとハフィトンポストは伝えている。

シャルボニエ氏はAP通信に、預言者ムハンマドを風刺する漫画の掲載決定について次のように主張した。「ムハンマドは私にとって聖なる存在ではない。イスラム教徒がこの漫画を見て笑わないのは仕方がない。しかし、私はフランスの法の下に生活しているのであって、コーランに従って生きているわけではない」
http://www.huffingtonpost.jp/2015/01/07/4-cartoonists-killed-charlie-hebdo_n_6433584.html

フランスの法の下にいるということが、シャルリー・エブドがムハンマドへの攻撃を可能にしているということになる。それは、究極的には「表現の自由」ということになろう。

さて、このように、「宗教」を攻撃する(イスラム教だけには限られないが)表現の自由は認められている一方、イスラム教を体現する表現の自由はフランスにおいて抑圧されている。フランス社会は旧植民地諸国とりわけ北アフリカや西アフリカから多くの移民を受け入れてきた。移民といってもフランスで生まれたその子どもたちはフランス国民である。しかし、彼ら移民たちは、フランス国籍を取得してもさまざまな差別を受けている。その一例が、学校におけるムスリム女子生徒の宗教的スカーフ(ヒジャブ)着用の禁止である。政治社会学者の鈴木規子は、「SYNODOS」に2014年1月27日付で「フランスの共和主義とイスラームの軋轢から「市民性教育」について考える」という文章を寄稿している。この自体を概括する部分をここで紹介しておこう。

このようにフランスでは、すでに長期間フランスに滞在し、子どもも生まれ、教育を受けて成人し、フランス国籍ももっているのに、「移民」と呼ばれ、外見、名前、住所によって就職差別や人種差別にあっている人々と、フランス社会との間で軋轢が生じている。

そうした中で、移民の社会統合の難しさを表したのが「スカーフ問題」である。1989年にパリ郊外の公立学校に通うムスリムの女子生徒がイスラームのスカーフ(ヒジャブ)を被って授業をうけることが、非宗教性に反するとして問題となった。以来、教育現場で10年以上くすぶり続けてきたのだが、ついに国会で学校における宗教的標章の着用を禁止する法律が2004年に可決され、学校からスカーフが排除されることになった。

これは、学校という公共の場に顕在化したイスラームを、非宗教的な共和国がその理念に反するということで強制的に排除した事件であった。この間いかに市民を育成するかが課題となり、市民性教育もライシテを明言する内容になっていった。
http://synodos.jp/education/6632

鈴木は、EUにおける民主的市民性教育への取り組みや、フランスにおいてライシテとよばれている公の場における世俗性ー脱宗教性の追求などの流れの中で、このスカーフ問題をとりあげている。イスラム教の規範において、女性はスカーフ(ヒジャブ)を被ることになっている。スカーフ着用の強制も、当然ながら「自由」という規範に反するだろう。他方、フランスでは、非宗教的な共和国の理念に反するという理由で、学校という公共の場において、イスラムの価値を体現するスカーフの着用が禁止されたのである。

鈴木は、いわゆるライシテー世俗化・脱宗教化ーをフランス共和国が求めてきたことについて、「宗教的な違いによる社会的分断が露見したときに政教分離法が制定されたように、ライシテは社会的に影響力をもつカトリックを公的権力から切り離すと同時に、国家が宗教的中立性を保ち、マイノリティの社会統合を保障する考え方でもあったのである」と一定の合理性があるとしている。さらに、次のように指摘している。

「共和国の学校」は全面的にカトリックを駆逐したわけではなく、寛容さも残っていた…要するに、共和主義と宗教勢力のせめぎ合いが公立学校を舞台に行われてきたとはいえ、ライシテが適用されたのは「教育内容」、「学校という場」、「教師」に関する3点であり、生徒や家庭に対して非宗教性が強制されることはなく、宗教的実践を保障するような逃げ場も用意していた。

鈴木によれば、スカーフ着用禁止にいたったのは、教育的要請ではなく、政治やメディアの「共和主義」だったとしている。

こうした教師の考えとは別に、政治家やメディアは、イスラーム嫌悪の風潮に乗って、ライシテを共和主義者にとって都合よく解釈していった。それはスカーフ禁止法に至る経緯に見出せる。
(中略)
本来、学校という場所は市民を育成する場所である。法規制派たちの根拠でもあった「(ムスリムの)男性から守るべき対象とされた女性」である少女たちは、より一層守られなければならない立場である。それなのに、市民や「共和国」の政治家らによって、スカーフはライシテに反するイスラームの象徴とされ、学校から追放されてしまった。

そもそも公立学校で非宗教性を保障されたのは「教育内容」「教育の場」、「教師」であって、生徒たちの脱宗教化を求めているわけではない点を考えると、この事態が異常であることがよくわかる。すなわち、少女たちにスカーフを取れと要求することは、本来のライシテの原則には含まれていないのだ。「スカーフを取らない」から「ライシテに反する」という主張は、ライシテの正しい解釈ではなく、スカーフ論争の中で作られていったものと言わざるを得ない。
(中略)
さらに、スカーフ禁止法以後、この傾向はサルコジ大統領の下でエスカレートしていった。2010年にはイスラーム女性の全身を覆う「ブルカ」や「ニカブ」の着用についても公共の場で禁止する法が可決され、翌年4月にヨーロッパで初めて施行された[*15]。こうした一連のスカーフをめぐる法規制に、イスラームを排除したいという共和主義者による政治的な意図を感じざるを得ない。

スカーフ禁止法制定などの具体的な過程については、鈴木の文章を参照してほしい。いずれにせよ、イスラムを排除しようとする共和主義者の思惑によって、ライシテー公の場における世俗化・脱宗教化が拡大解釈され、イスラムの規範にのっとってスカーフを着用するという「表現の自由」が踏みにじられたのである。

結局、フランスにおいては、宗教を攻撃する「表現の自由」はあるが、イスラムの規範に則して身体を装うという「表現の自由」はないのである。このように、フランスにおける「表現の自由」は「非対称」なのである。「表現の自由」をめぐる問題は、個々人が判断するように考えられるが、決してそうではなく、「共和国」つまりは国民国家の理念にそうかどうか、いや、もっと正確にいえば、政治家やメディアなど公的決定に関われる人びとの集団的国家規範に沿っているかどうかで決まるのである。それは、自らを左派と規定しているシャルリー・エブドすらもそうなのである。なお、これは、フランスだけではない。政教分離の原則を侵犯して靖国神社を参拝し、特定秘密保護法制定や、マスコミ統制、さらには教育への介入によって、表現・思想・教育の自由を制限しようとしながら、中国・韓国に対するヘイト・スピーチについては「表現の自由」をたてにおざなりな対応をしている日本の安倍政権の姿勢は、フランスの共和主義と一見反対のものに見える。しかし、どちらも、「自由」を、彼らの考える「国民国家」の理念によって制限するということでは同じ構造を有している。このような状況は、アメリカなどの他の国民国家においてもみられるであろう。

そして、ムスリムの「移民」たちにとって、フランスの状況は、自らの宗教は自由に罵倒され、自らの宗教的自己表現は禁止されるというディストピアとして認識されることになろう。さらに、イスラム圏の諸国でも同じように把握されよう。この状況においては、フランス国内でも、世界全体でも、「表現の自由」を含む近代国民国家の理念を攻撃しようとする人びとはまだまだ現れることになろう。

フランスにおいて共和国の理念を主張する人びとはエリートとその影響で形成されたマジョリティである。一方、フランス国内で「移民」とされているムスリムたちはマイノリティとしての「民衆」であり、差別にたえている。それは、世界的に考えても同じである。近代的国民国家の市民たちと、それらの国家の旧植民地であり、今なお圧力にたえている多くの人びと。この人びとはムスリムだけではない。そこにある「非対称的」な関係。この「非対称的」な関係をどのように考えていくかということに、全世界の運命がかかっているといえよう。まさに、現代世界の構図が、このシャルリー・エブド銃撃事件で表出しているのである。

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前回、東京大学法学部教授長谷部恭男が、どのような理由で特定秘密保護法案に賛成しているかを紹介した。ここでは、長谷部の『憲法とは何か』(岩波新書、2006年)を手がかりにして、そのようなさん賛成論の背景にある憲法観をみていきたい。

まず、この本を一読すると、多くの人は自民党などの改憲論を批判したものとして受け取ることと思われる。実際、確かに明示的に憲法を改正することについてこの本では批判している。そのため、なぜ、改憲を志向すると考えられる安倍政権によって推進されていた特定秘密保護法案に長谷部が賛成したのかと疑問を持った方もおられると思われる。ただ、今回では、長谷部の改憲論批判は別の機会にまわすこととし、とりあえず、この本で長谷部が展開している憲法論を私なりに理解していきたい。

長谷部にとって、立憲主義とは、互いに相違し矛盾しあう多様な価値観を信奉しあう人たち同士の対立をおさえ、多様な価値観を認めて共存する社会を作り上げる仕組みとして、まず認識されている。そのためには、まず、社会を私的領域と公的領域に分離しなくてはならないのである。その上で、私的領域においては、人びとがそれぞれの価値観に基づいて、自由に生きることが保障されるべきだと考えている。

さて、問題は公的領域である。公的領域においては、特定の価値観・世界観が独占して、対立する価値観を駆逐するようなことをさけなくてならない。そのことについて、長谷部は、ハーバーマスの「公共性」概念を批判しながら、このように言っている。

筆者は討議が公共の利益について適切な解決を示すには、論議の幅自体が限定されることが必要であるとの立場をとっている。逆にいうと、社会全体の利益に関わる討議と決定が行われるべき場(国・地方の議会や上級裁判所の審理の場が典型であろう)以外の社会生活上の表現活動では、そうした内容上の制約なく、表現の自由が確保されるべきである。(本書p77)

長谷部によれば、マス・メディアの報道の自由、批判の自由は、一般の表現の自由と違って「生まれながらにして」保障されるものではない。政治的プロセスがよりよく果されるために保障されているとしている。その意味で、報道の自由というものは、長谷部によれば、公的領域に属しているといえる。それゆえ「論議の幅自体が限定される」ことも、長谷部の発想からいえばありうることであろう。

もちろん、長谷部の考えから離れていうならば、公的領域も、本来、国民主権を前提とするならば、その決定プロセスに対する関与が保障されるべきであり、その意味で情報も最大限保障されるべきということもいえるだろう。しかし、そういう考えは、長谷部のものではない。長谷部にとって、現状の議会制民主主義が前述の立憲主義を成立させる上で最善のものである。そして、この議会制民主主義の対抗物として、ファシズムと共産主義をあげている。この二つは、両者とも、議会における討議を通じて公益をはかることを否定し、「反論の余地を許さない公開の場における大衆の喝采を通じた治者と被治者の自同性を目指す」(本書p46)とし、さらに、そのことを通じて国民の同一性・均質性が達成されるとしている。そして、この二つの体制について「直接的な民主主義を実現しうる体制」とするシュミットの見解を紹介している。しかし、長谷部にとって、「直接的な民主主義」によって国民の同一性・均質性が強制され、国民の多様性が破壊されることが、立憲主義の破産を意味するといえる。その意味で、「直接的な民主主義」は、長谷部にとって、制限されなくてはならないものといえる。

このような憲法論が、特定秘密保護法案への長谷部の賛成意見の背景にあったといえる。彼にとって、公的領域における論議の幅は制限すべきものであった。それには、議会制民主主義が最適であり、ファシズムにせよ、共産主義にせよ、これらの「直接的な民主主義」は、立憲主義の原則から排除されるべきものであった。特定秘密保護法案反対論の背景には、情報を最大限公開して、主権者である国民についても、政治的プロセスに参加させるべきという考えがあるといえるが、長谷部は、全く、そう考えないのである。報道の自由、批判の自由は、表現の自由などとは別の次元に属すものであり、公的領域での政治プロセスをよりよく機能させるものなのである。長谷部が特定秘密保護法案に賛成した背景として、以上のようなことが指摘できよう。

長谷部の議論を読みながら思ったことだが、長谷部の中には、「民衆」への恐れと蔑視があるといえる。彼にとって、「直接的な民主主義」とは、ファシズムか共産主義という「全体主義」をめざすものでしかない。長谷部にとって、「多様な価値観」で共生することを保障するものは「議会制民主主義」でしかない。民衆の政治参加は、結局「喝采」にとどまってしまうのである。特定秘密保護法案については、法の内容も、制定経過も、民意無視としかいえないのであるが、そのような民意による政治への介入は抑制しなくてはならないとする長谷部にとっては、あれでも「正常」なのであろう。

他方、公的領域と私的領域を分けるという長谷部の議論についても、問題をはらんでいる。私的領域における自由の獲得も、公的領域での議論と当然ながら関連していたといえる。現状の私的領域での自由も、公的領域における戦い(イギリス革命、アメリカ革命、フランス革命、自由民権運動など)によって得られたものである。例えば、表現の自由は、別に私的領域の中でのみ問題にされていたわけではない。公的領域における報道・批判の中でむしろ成長していったものといえる。そして、現状でも、報道の自由と表現の自由は相関連しているのである。

そして、私的個人の問題も、公的領域に無関係ではない。例えば、生活保護にしても、年金にしても、介護保険にしても、その当事者個人にとっては死活問題である。ブルジョワ民主主義の黎明期のイデオロギーである「公私」の問題は、もちろん、現状においても重大な問題であるが、単純に公私分離を固定して考えるべきことではないといえる。

ただ、逆にいえば、新自由主義の時代に適合的な議論ともいえる。長谷部は、フィリップ・ハビットの見解を紹介して、このように述べている。

 

国家の置かれた状況の変化は、国家目標にも影響すると考えるのが自然であろう。ハビットは、国民総動員の必要性から解放された冷戦後の国家は、すべての国民の福祉の平等な向上を目指す福祉国家であることを止め、国民に可能な限り多くの機会と選択肢を保障しようとする市場国家(market state)へと変貌すると予測している。そうした国家は、社会活動の規制からも、福祉政策の場からも撤退をはじめ、個人への広範な機会と選択肢の保障と引換えに、結果に対する責任をも個人に引き渡すことになる。(本書p56)

福祉国家の時代では、私的個人の生存も公的領域ではかるべきとされていたといえる。まさに、新自由主義における福祉政策や社会活動への規制の撤廃は、私的個人の生存を公的領域ではかろうとする営為を否定するもので、公的領域と私的領域をより切り離すことになろう。こうなってみると、立憲主義の前提として長谷部が考えている「公私分離」は、新自由主義によって達成すべき目標ともいえるだろう。このように、長谷部の「特定秘密保護法案」への賛成意見の背景には、多くの重大な問題があるのである。

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