Feeds:
投稿
コメント

Posts Tagged ‘衆議院’

前からこのブログで述べているように、12月6日、特定秘密保護法が成立した。この法については、世論調査では多くの人びとが反対もしくは慎重審議を求めていた。また、多くの法律家や学者・文化人たちも多くの反対声明を出している。政府とその与党である自民・公明党だけが賛成している法律のなのである。

このような特定秘密保護法案についての反対が渦巻く中で、東京大学法学部教授長谷部恭男は、11月13日に衆議院国家安全保障に関する特別委員会に出席し、参考人として特定秘密保護法案に賛成する意見を述べている。いわゆる学者の中で、これほどはっきり賛成意見を述べているのは少数派に属する。ここでは、長谷部の賛成意見をみておこう。

冒頭で長谷部はこのように述べている。

まず第一に、そもそもこの日本という国には特別の保護に値する秘密など存在しない、そういう立場も理論的にはあり得るとは思いますが、余り常識的な立場ではないだろうと思われます。そして、そうした特別な保護に値する秘密、これを政府が保有しているという場合には、みだりに漏えい等が起こらないよう対処しようとすることには高度の緊要性が認められますし、それに必要な制度を整備すること、これも十分に合理的なことであり得ると考えております。ほかの国でも、御案内のとおり、類似の制度は少なくございません。
http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/027418520131113012.htm

長谷部のこの発言は、政府においては秘密保護が必要である、ゆえに「特定秘密保護法」は成立しなくてはならぬということに換言できるだろう。これは、よく自民党などが「特定秘密保護法」の必要性を主張するときに使っている論理である。ここには二つの問題点があろう。第一に、すでに国家公務員法などで公務上の秘密は保護されているが、なぜ新しい法律を作ってまで、新たな保護措置をとらなくてはならないのかということである。第二に、言論・出版などの表現の自由は基本的人権であり、これらの基本的人権については「公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」(日本国憲法第十三条)とされているが、そのような基本的人権の尊重と「公共の福祉」を比較して検討しようとする姿勢が欠けていることである。特に、第二の点が重要である。かりに政府における秘密保護の必要性が「公共の福祉」とされた場合でも、それは、基本的人権を最大限に尊重するという背反する義務の中で比較されなくてならない。言論・出版の自由などの基本的人権を擁護することが本則であり、政府の秘密保護ということは、必要性があるにせよ、最小限の例外にすべきことなのではなかろうか。長谷部の賛成意見においては、基本的人権の尊重ということを明示的にみることができないのである。

次に、長谷部は、このように言っている。なお、ここでは、例示として独占禁止法をあげているところを省略しておいた。

それから第二に、この法案の別表の記載等によりまして、何が特別な保護に値する秘密なのか、基本的な考え方は示されているわけですが、より具体的に言って、どのような情報が特別な保護に値する特定秘密なのかがわからないではないか、よくわからない、これが批判の対象とされることもございます。

 ただ、これは、閣僚や国会議員の方々を含めまして、人はおよそ全知全能ではございませんので、何が特別な保護に値する秘密なのかをあらかじめ隅々まで確定する、これはおよそ不可能でございまして、その答えは、具体的な事例ごと、専門知識を持つ各部署で判断し、個別に指定をしていくしかない、そのことによるものではないかと考えております。

(中略)

 特定秘密につきましても事情は同様と考えることができるわけでございまして、誰が考えても特別な保護に値する情報だろう、誰が考えてもそれには当たらないだろう、そういう情報をあらかじめ例示することはできると思われますが、その他の情報、これは具体的な事例ごとに、専門知識を持つ各行政機関で的確、合理的に判断し、その都度指定をしていくしかないのではないかと思われます。いわば暗闇の中で立法者があらかじめ確定をしてしまうというわけには、なかなかいかないもののように思われます。

この議論は、かなり乱暴である。これならば、すべての法を立法時に詳細に規定する必要はなくなるだろう。特に問題なのは、この法は基本的人権を侵害するおそれがある法律であり、それゆえ、基本的人権を抑制する際において事例を限定しておかねばならないと考えられるが、逆に、特定秘密保護法案の無規定性を擁護してしまっているのである。これは、最初のことともつながるが、権利を抑制する際の規定は厳密にすべきであり、そこから漏れてしまった事例は、この法の対象外にすべきであろう。それが不都合であれば、法改正をすればいいだけの話である。はっきりいって、特定秘密保護法の対象にしなくても、公務員の守秘義務によって秘密は守られる。そもそも、基本的人権を尊重するという意識がないがゆえに、このような議論をしているといえよう。

次に長谷部はこのように議論している。

それから第三に、この法案は、ごらんのとおり、政府が保有する情報の中で、公になっていないものであって、かつ特定秘密として指定されたものにつきましては、それを漏えいする行為、あるいは漏えいを唆したり扇動したりする行為、それらを処罰の対象としております。

 ただ、世の中一般におきましては、民間の方が独自に収集をした情報でありますとか、既に公になっている情報についても、その保有が処罰の対象とされかねないという、言ってみれば、一種のホラーストーリーが流布をしております。

 もちろん、こんなことを処罰の対象にすることには私自身も絶対に反対でございますが、ただ、これはこの法案の内容とは違う話でございますので、この種のホラーストーリーも、この法案を批判する根拠には余りならないのではないかというふうに私は考えております。

確かに、本来は、政府機関の保有情報のみが保護対象とされている。ただ、その保護対象が広範で無限定である。例えば、原発警備関係もテロ関係で特定秘密保護法の対象となるとされている。原発警備が問題であるならば、核燃料の輸送も該当する可能性がある。例えば、もし、私が、原発関係者に核燃料輸送・コースなどを聞き出して、そのことを本ブログに掲載した場合、特定秘密保護法に抵触する可能性がある。こういうことは、全く杞憂ではない。私が、福井地方の原発を訪問し原発宣伝施設に入館した際、原発の取水口は撮影しないでほしいと要請されたことがある。その理由がテロ警備だった。もちろん、原発の取水口など秘密にできないものであるが、それでもテロ警備で撮影が禁止されたのである。こういうことが、たぶん横行するだろう。それこそ、今後は、原発撮影禁止の理由を聞いただけで、秘密の暴露を迫ったということになりかねない。「何が秘密なのかが秘密」なのである。

さらに、長谷部はこのように指摘している。

それから第四、それでも、この法案の罰則規定には当たらないはずの行為に関しましても、例えば、捜査当局がこの法案の罰則規定違反の疑いで逮捕や捜索を行う危険性、それはあるのではないかと言われることがございます。

 我が国の刑事司法は、御案内のとおり、捜索や逮捕につきましては令状主義をとっておりまして、令状をとるには、罪を犯したと考えられる相当の理由ですとか捜索の必要性、これを示す必要がございますので、そうした危険がそうそうあるとは私は考えておりませんが、もちろん、中には大変な悪巧みをする捜査官がいて、悪知恵を働かせて逮捕や捜索をするという可能性はないとは言い切れません。

 ただ、そうした捜査官は、実はどんな法律であっても悪用するでございましょうから、そうした捜査官が出現する可能性が否定できないということは、まさにこの法案を取り上げて批判する根拠にはやはりならないのではないか。むしろ、そうした捜査官が仮に出現するのでありましたら、そうした人たちにいかに対処するのか、その問題に注意を向けるべきではないかと考えております。

これも、かなり乱暴な議論である。人権保護の観点からいえば、このような拡大解釈の余地をなくして、不当な捜査が行われることを防ぐべきであろう。そして、悪用する捜査官がいるならばという議論を展開している。このような悪用する捜査官がいるのは、確かに脅威である。しかし、最も恐れるべきは、国家全体が組織的に不当逮捕を行うことである。むしろ、国家による人権侵害の可能性こそ、抑止されるべきものなのである。

さらに、長谷部は、次のように指摘している。

それから第五に、この法案、これは報道機関の取材活動に悪影響を及ぼすのではないかという懸念が示されることもございます。

 ただ、広く知られておりますとおり、いわゆる外務省秘密電文漏えい事件に関する最高裁の決定がございまして、これは平たく申しますと、よほどおかしな取材の仕方をしない限りは、報道機関が情報の開示を公務員に求めたからといって、処罰されることはないと言っております。

 この法案の第二十一条第二項の条文は、こうした判例の考え方はこの法案に対しても当てはまるのだ、そのことを改めて確認しているものと考えております。

 これは、報道機関に対しまして、一種、一般市民には認められないような特権を認める考え方のあらわれでございまして、報道機関の取材、報道活動、これが民主主義社会を支える重要な役割を果たす、それを根拠にするものでございます。

 ただ、この条項につきましても、具体的に言って、では誰が報道機関のメンバーと言えるかが明確ではないという批判が聞かれております。

 私自身は、これはさほど困った問題ではないと考えております。常識的に申しまして、誰が報道機関のメンバーであるか、これは大部分の場合は容易に判断できるはずでございます。

また、仮に判断の難しい事例が起こり得るといたしましても、そうした判断が求められますのは、実際に特定秘密の漏えいを唆す行為等がなされた場合でしょうから、そうした事件が実際に発生をしたときに、その具体的な状況に即して、果たしてその当事者が報道機関のメンバーと言えるのか、その行為が公益を図る目的からなされたもので、しかも、著しく不当な方法によるものと言えるかどうか、これを裁判所が個別に判断をすれば足りるのではないかと考えます。

これは、先ほど、一般の人がブログなど発信した場合、処罰されるのかということに関連している。この場合、報道機関関係者が情報を入手し発表した場合は処罰されないが、私などがブログで書いた場合は処罰されるということになるだろう。実際、米国愛国者法のもとで、アメリカでは多くのブログが閉鎖に追い込まれたそうである。著しく不公平としかいわざるをえない。

なお、この後、長谷部は、何を報道機関とするのかを今の段階で定義するのは適当ではないとしていることについて、また、「前にも申し上げましたとおり、人間は全知全能ではございませんので、あらかじめ法律の条文等でこの種の問題の結論を決め切ってしまう、それが賢明であるとは必ずしも言えないように思われます。」といっている。これが、いかに立法することの意義を阻害させるかについては、前述した通りである。さらに、情報の流通を独占的に認めさせることについて、そもそも定義していないということも、恣意的な運用の要因となりえよう。さらに、何をジャーナリストとするかについても、実際は多様である。ジャーナリストは、新聞社・テレビ局・雑誌などのマスコミに所属している者だけではない。フリージャーナリストも多く存在しており、さらには、政党機関紙の記者もいる。昨年、原子力規制委員会が日本共産党の機関紙「しんぶん赤旗」の記者を記者会見から排除しようとして物議をかもしていた。今後、こういうこともありうるのである。

最後に、長谷部はこのように述べている。

さらに、これが最後になりますが、こうした法律をつくること自体が、政府の保有する情報を取り扱う公務員の萎縮を招きまして、全体として報道機関の取材活動を困難にすると言われることもございます。ただ、この法案の目的がそもそも、特別な保護を必要とする政府保有情報に関しまして特に慎重な取り扱いを求めようとするものでございますので、慎重な取り扱いをしているということは、悪く言えば萎縮をしているということになるのかもしれません。ただそれだけのことのようにも思えるわけでございます。

 つまり、この問題は、そもそも日本という国には特別な保護に値する政府保有情報があるのかないのかという、冒頭の問題に戻っていくことになります。そんな情報はないという立場も理論的にはあり得ないわけではないとは思いますが、私は、それは余り常識的な立場ではないと考えております。

まあ、単純にいってしまえば、長谷部は、公務員の秘密保全を厳格するのが目的であって、その結果、報道機関の取材活動が困難になってもかまわないと主張しているのである。そして、長谷部は、冒頭の問題にもどって、厳格に保護しなくてはならない政府の秘密情報があるのは常識だと指摘しているのである。

ここで、また、私たちも最初の問題に戻らなくてはならない。そもそも、今までより厳格に秘密をなぜ保護しなくてはならないのかということ、そして、そのことが認められるとしても、基本的人権の尊重義務と比較して検討されているということである。

長谷部は、NHKが11月28日に配信した「視点・論点 特定秘密保護法案」においても、衆議院の意見陳述と同様の意見を述べた上で、最後に、このように指摘している。

つまり、この問題は、そもそも日本という国には、特別な保護に値する政府保有情報はあるのかないのか、という冒頭の問題に戻っていくことになります。国民の生命や財産の安全よりも知る権利の方が、いつも必ず大切だと、言い切ってしまっていいのかという問題です。
http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/174326.html

この文章のほうが、より長谷部の主張が明確に表現されているといえよう。長谷部にいわせれば、政府保有情報の保護は「国民の生命や財産の安全」にかかわる問題であり、「知る権利」はそれを超えて主張すべきものではないというのである。人権よりも、政府保有情報の保護を優先する論理ということができよう。

この長谷部の主張は、彼の独特な人権観・憲法観に基づいており、機会があれば、そのことをみておきたい。ただ、ここでは、11月22日に表明された表現・言論の自由保護の国連特別報告者フランク・ラ・ルー(グアテマラ出身)と、健康の権利の国連特別報告者であるアナンド・グローバーによる、特定秘密保護法案に対するコメントの結論部分を再度引用して、長谷部恭男の特定秘密保護法案に対するコメントにかえておきたい。

「日本を含め、ほとんどの民主主義国は、国民の知る権利をはっきりと認識しています。例外的な状況では、国家安全保障の保護に機密性が必要になりうるとしても、人権基準は、最大限の開示という原則を常に公務員の行動指針としなければならないことを定めています」。
http://www.unic.or.jp/news_press/info/5737/

Read Full Post »

参院選において自由民主党が勝利した直後の2013年7月29日、麻生太郎副首相兼財務相は次のように語って物議を醸した。ここでは、朝日新聞8月1日付ネット配信記事で紹介しておこう。

僕は今、(憲法改正案の発議要件の衆参)3分の2(議席)という話がよく出ていますが、ドイツはヒトラーは、民主主義によって、きちんとした議会で多数を握って、ヒトラー出てきたんですよ。ヒトラーはいかにも軍事力で(政権を)とったように思われる。全然違いますよ。ヒトラーは、選挙で選ばれたんだから。ドイツ国民はヒトラーを選んだんですよ。間違わないでください。
 そして、彼はワイマール憲法という、当時ヨーロッパでもっとも進んだ憲法下にあって、ヒトラーが出てきた。常に、憲法はよくても、そういうことはありうるということですよ。
(中略)
だから、静かにやろうやと。憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね。
 わーわー騒がないで。本当に、みんないい憲法と、みんな納得して、あの憲法変わっているからね。ぜひ、そういった意味で、僕は民主主義を否定するつもりはまったくありませんが、しかし、私どもは重ねて言いますが、喧噪(けんそう)のなかで決めてほしくない。
関連記事
http://www.asahi.com/politics/update/0801/TKY201307310772.html

この麻生の発言は、重大な事実誤認がある。1933年にナチスがドイツの政権を掌握したが、ナチスはワイマール憲法を廃止したりしなかった。同年、国会議事堂放火事件などで、共産党などの反対党を弾圧しながら(だから、「静か」ではない)、立法権を行政府に与え、その法律が憲法違反であって有効とする「全権委任法」を成立させることで、事実上の「憲法改正」をはたしたのである。

しかし、麻生の歴史認識はともかく、いまや「憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね」ということが、現在進行中である。解釈改憲による集団的自衛権を認めることと、特定秘密保護法案の国会上程がそれである。

思想家の内田樹は、自身のサイト「内田樹の研究室」の中で、この状況を次のように説明している。

前にも繰り返し書いてきたとおり、自民党の改憲ロードマップは今年の春、ホワイトハウスからの「東アジアに緊張関係をつくってはならない」というきびしい指示によって事実上放棄された。
でも、安倍政権は改憲の実質をなんとかして救いたいと考えた。
そして、思いついた窮余の一策が解釈改憲による集団的自衛件の行使と、この特定秘密保護法案なのである。
(中略)
特定秘密保護法案は放棄された自民党改憲案21条の「甦り」であることがわかる。
改憲草案21条はこうであった。
「出版その他一切の表現の自由は、保障する。
2 前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない。」
特定秘密保護法は「公益及び公の秩序」をより具体的に「防衛、外交、テロ防止、スパイ防止」と政府が指定した情報のことに限定した。
現実にはこれで十分だと判断したのであろう。http://blog.tatsuru.com/2013/11/08_1144.php

もちろん、事実関係については、それこそ歴史的検証が必要である(皮肉なことに特定秘密保護法案が通過すれば、それ自体今までより困難になるが)。しかし、実質的な改憲を法律によって実現しようとしているという指摘は妥当であると思われる。

例えば、10月28日の衆議院における国家安全保障に関する特別委員会で、自由民主党の小池百合子はこのように発言している。

○小池(百)委員 さて、最後に、この後、審議に入るであろう特定秘密保護の問題にもかかわってくるんですが、知る権利ということ、これをぜひとも担保せよというお話でございます。それも一つもっともだ、このように思います。

 一方で、日本は、秘密であるとか機密に対する感覚をほぼ失っている平和ぼけの国でございます。毎日、新聞に、首相の動静とか、何時何分、誰が入って、何分に出てとか、必ず各紙に出ていますね。私は、あれは知る権利を超えているのではないだろうかと思いますし、また、中には、自分は首相に近いから、そのことを見せつけるためにわざわざ総理官邸に行って書いてもらったりとか、ぜひこのレストランには来てくださいみたいな、そんなふうに使われているようなところもなきにしもあらずでございますけれども。

 各国はどうなっているのかというのをちょっと調べてみて、お手元にお配りをいたしました。

 「諸外国の首相、大統領の動静」ということで、国会図書館にお調べをいただいたんですが、余り出ていないじゃないかと思われるかもしれませんが、これは、アメリカ、イギリス、ドイツ、フランスの主要な新聞十五紙を調べていただいたものでございまして、結果は、いわゆる首相動静のような記事を日々掲載しているものは確認できなかったんです。

 アメリカでは、ワシントン・ポストがウエブサイトで日々のオバマ大統領の動向を掲載しているというのがあるんですが、いわゆる日本のような詳細なものはございません。そして、かつ、二〇一二年の、昨年の六月二十日を最後に更新をされていないということでございます。

 これはもう当たり前過ぎて、首相の動向、一日というのを日課にしておられる方もおられるかもしれません。海外もこのことはチェックしています。非常に日本に厳しい対応をしているある議員は、毎日これを読んで、何がどうなっているかをチェックしているということでございます。

 私は、知る権利ということもございますでしょうけれども、もう少し、何を知り、何を伝えてはいけないのかということの精査もこの後しっかりしていただきたいと思います。

 これから国家の安全保障、今回は国家という言葉がついているわけでございまして、国を守るためにはありとあらゆる事象についての危機に備えるということでございますので、ぜひともフレキシブルな機能をふんだんに発揮できるような体制をおつくりいただきたい。
http://www.shugiin.go.jp/index.nsf/html/index_kaigiroku.htm

首相動静などは、新聞記者の独自取材によって書かれるもので、国家の「特定秘密」にはあたらない。しかし、このようなことを事例にあげていることが、安倍政権や自民党の本来の目標を問わず語りに語っているといえる。つまり「知る権利」を「公益」などのもとに制限するということ、それがこの法案の隠された目的といえる。確かに、安全保障を中心としているというもののーそれ自体が、アメリカに従って戦争が可能になる国家に改造するという目的があるといえるのだがー、「特定秘密」の内容がいかようにも拡大解釈可能なものとして提示されたということは、「知る権利」を一般的に制限していくことの第一歩といえる。

それをより鮮明に表現しているのは、11月8日の衆議院の国家安全保障に関する特別委員会における自由民主党の町村信孝の次の発言である。

○町村委員 ちょっと、いいのかなと思ったりもいたしますけれども、そういうお考えであれば理解をしておきます。

 最後に、十分間近く残っておりますが、この二十一条(特定秘密保護法案ー引用者注)、「この法律の解釈適用」という項目がございます。これは、知る権利であるとか、出版、報道の自由等々について書かれたものでございます。

 これは、一番最初の、八月末の原案では、報道の自由に十分配慮し、国民の基本的人権を不当に侵害してはならないという一行しか書いてありませんでしたが、自民党あるいは公明党からのいろいろな意見を反映して、現在のこの二十一条第一項、第二項という内容に充実をされてきた、こう理解をしております。

 私は、これで十分ではないかな、こう思っておりますけれども、そもそも、国民が知る権利というものは、知る権利は担保しました、しかし、個人の生存が担保できませんとか、あるいは国家の存立が確保できませんというのでは、それは全く逆転した議論ではないだろうかと思うのであります。

 やはり、知る権利が国家や国民の安全に優先しますという考え方は基本的な間違いがある、こう考えるものでありますけれども、こういう基本的な考え方について、大臣、どうお考えでしょうか。
http://www.shugiin.go.jp/index.nsf/html/index_kaigiroku.htm

まず、誤解があるといけないので、次のことを指摘しておかねばならない。現行において、国家・地方公務員とも「守秘義務」があり、漏洩した場合罰せられる。軍事機密についても防衛省内の規定によって罰せられる。もし、「情報漏洩」が問題であるとしても、本来、これらの制度の運用や部分的手直しでもすむと考えられる。そのようなことをせず、「特定秘密保護法案」を制定しようとするということの背景には「知る権利が国家や国民の安全に優先しますという考え方は基本的な間違いがある」という意識が背景にあるといえるだろう。そして、それこそが、内田のいうように「出版その他一切の表現の自由は、保障する。2 前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない。」(自民党改憲草案第21条)と合致するといえるのである。

現憲法は、このようになっている。

第十三条  すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
(中略)
第二十一条  集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
(後略)
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S21/S21KE000.html

比較してみると、第十三条で、権利一般について「公共の福祉に反しない限り」と留保されているものの、「最大限の尊重を要する」とされている。そして、集会、結社、言論、出版などの表現の自由それ自体については何ら留保されていない。いわば「権利」の尊重が主であり、公共の福祉を名目にした留保は従なのである。町村の言っていることは、その関係を逆転させているのである。

このように、静かに、誰にも知られないうちに、法律改正によって憲法が変えられていく、その第一弾が「特定秘密保護法案」ということができよう。それこそ、麻生のいうところの、「ナチスの手口」であった「全権委任法」という前例に酷似しているのである。

なお、なぜ、この法案が受け入られる素地があるのか、このことはまた別に論じてみたいと思っている。

Read Full Post »

さて、前回のブログで、2012年6月20日、原子力規制委員会設置法の付則というかたちで、原子力基本法も法改正され、原子力三原則に「前項の安全の確保については、確立された国際的な基準を踏まえ、国民の生命、健康及び財産の保護、環境の保全並びに我が国の安全保障に資することを目的として、行うものとする。」という文言が追加されたことを、原子力三原則の歴史的経緯からみてきた。簡単にいえば、被爆国ということを前提にした「原子力の平和利用」に限定するための方針である原子力三原則の精神に相反する改変であるといえる。

では、具体的には、どのような経緯で、原子力基本法は改変されたのか。ここでは、その経過をみていこう。

まず、どのような形になったのか。改正された原子力基本法の冒頭部分の改変個所を確認しておくことにしよう。「 」のところが改変された部分である。なお、原子力基本法は原子力安全委員会のことなども規定しており、そのようなことも、原子力規制委員会設置法で定められている。

(目的)
第一条
 この法律は、原子力の研究、開発及び利用(「以下『原子力利用』という」と付け加えられる)を推進することによつて、将来におけるエネルギー資源を確保し、学術の進歩と産業の振興とを図り、もつて人類社会の福祉と国民生活の水準向上とに寄与することを目的とする。
(基本方針)
第二条
 「原子力利用」(「原子力の研究、開発及び利用」を修正)は、平和の目的に限り、安全の確保を旨として、民主的な運営の下に、自主的にこれを行うものとし、その成果を公開し、進んで国際協力に資するものとする。
「2 前項の安全の確保については、確立された国際的な基準を踏まえ、国民の生命、健康及び財産の保護、環境の保全並びに我が国の安全保障に資することを目的として、行うものとする。」

民主党内閣は、「原子力の安全の確保に関する組織及び制度を改革するための環境省設置法等の一部を改正する法律案」及び「原子力安全調査委員会設置法案」を国会に提出することを2012年1月31日に閣議決定したが、その中には、「安全保障に資する」などの規定はない。この2法案は、内閣府にある原子力安全委員会や経産省にある原子力安全・保安院などを、今回設置する環境省の外局としての原子力規制庁に一元化し、規制庁内部に「原子力安全調査委員会」に置くなど、原子力の安全性を保障する体制を確立することをめざしたものである。そこには「原子炉原則40年廃炉」という方針も設けられた。しかし、原子力基本法に対する姿勢は、今回の法改正とは全く違うものである。

具体的には、「原子力の安全の確保に関する組織及び制度を改革するための環境省設置法等の一部を改正する法律案」の第三条には、このような改正を規定している。

第三条 原子力基本法(昭和三十年法律第百八十六号)の一部を次のように改正する。
  第一条中「利用」の下に「(以下「原子力利用」という。)」を加える。
  第二条中「原子力の研究、開発及び利用」を「原子力利用」に改め、同条に次の一項を加える。
 2 前項の安全の確保については、これに関する国際的動向を踏まえつつ、原子力利用に起因する放射線による有害な影響から人の健康及び環境を保護することを目的として、行うものとする。
(後略)
http://www.shugiin.go.jp/index.nsf/html/index_gian.htm

現在の改定部分は、政府原案では、「前項の安全の確保については、これに関する国際的動向を踏まえつつ、原子力利用に起因する放射線による有害な影響から人の健康及び環境を保護することを目的として、行うものとする」とされていたのである。いわば、原子力基本法の「安全」規定を、「放射線による有害な影響」から健康や環境を保護することと、より詳細に決めている。これ自体も、原子力三原則の改変であるが、原子力三原則の精神に相反するものではないといえる。

しかし、この政府案に対抗して出された、自民党・公明党の「原子力規制委員会設置法案」は、全く相反した原子力基本法改変の提案を行っている。自公案は、政府案において首相が緊急時の対応において「原子力災害対策本部」より原子炉関係の指示することを嫌って、独立した形で「原子力規制委員会」を設置し、平時も緊急時もその委員会から安全対策を行うとするものである。政府案と自公案の考え方の違いは、福島第一原発事故への対応において、どこが問題になったかということへの見方の違いに起因している。政府案は、原子力安全・保安院や東電が十分な対応できず、政府側が指揮権を発動せざるをえないというところから構想している。他方、自民党側は、政府側が現場をーといっても東電や原子力安全・保安院ということになるがー振り回したことが事故の原因であるとし、ゆえに、政府から独立している「原子力規制委員会」に、緊急時の最終的指揮権を与えることを意図したものである。どちらもどちらであるが、政府案であれば、選挙の結果成立したまともな政府ー民主党政権ではないがーのもとであれば、より適切な事故対応が行われる可能性があるが、自公案であれば、専門家ーいわば「原子力ムラ」の人びとーから構成される「原子力規制委員会」にまかさざるをえないということになるだろう。

この自公案の「原子力規制委員会設置法案」では、第三条において、次のように規定している。

第三条 原子力規制委員会は、国民の生命、健康及び財産の保護、環境の保全並びに我が国の安全保障に資するため、原子力利用における安全の確保を図ることを任務とする。
http://www.shugiin.go.jp/index.nsf/html/index_gian.htm

ここで、「安全保障」という文言が出ているのである。そして、付則第十一条において、このように規定しているのである。

(原子力基本法の一部改正)
第十一条 原子力基本法(昭和三十年法律第百八十六号)の一部を次のように改正する。
  第一条中「利用」の下に「(以下「原子力利用」という。)」を加える。
  第二条中「原子力の研究、開発及び利用」を「原子力利用」に改め、同条に次の一項を加える。
 2 前項の安全の確保については、確立された国際的な基準を踏まえ、国民の生命、健康及び財産の保護、環境の保全並びに我が国の安全保障に資することを目的として、行うものとする。
(後略)
http://www.shugiin.go.jp/index.nsf/html/index_gian.htm

このように、あきらかに原子力規制委員会設置法案に引きずられた形で、原子力基本法を改変することがめざされているのである。そして、この原子力基本法の改定案は、実際に、この形で改変されたのである。

ある意味では、政府案と自公案は、原子力基本法の改変においても、全く違う姿勢をとっていた。それが、自公案をもとに改変されることになった。このことは、民主党・自民党・公明党の三党合意によるものといえる。次にかかげる毎日新聞のネット記事のように、6月14日、原子力規制委員会設置法案に関しての三党合意が成立した。ここでは、あまり強調されていないが、原子力規制委員会が原子力安全対策の要になることなど、民主党政権が、自公案にすりよったものといえる。そして、ほとんど報道されていないが、この中で、原子力三原則の改変も盛り込まれたのである。

<原子力>規制組織、3党最終合意…「原子力防災会議」新設
毎日新聞 6月14日(木)13時11分配信
 民主、自民、公明3党は14日午前、原子力の安全規制を担う新組織の設置法案の修正内容で最終合意した。首相をトップに全閣僚で構成する常設の「原子力防災会議」を新設。専門家らの「原子力規制委員会」が策定する原子力防災指針に基づき、原発敷地外での平時の防災計画や訓練などを推進し、関係各省庁、自治体との調整などの実務を行う。

 同会議は議長を首相が務め、副議長に官房長官と規制委員長、環境相を充てる。事務局は内閣府に置き、環境相を事務局長とする。3党は原子力基本法を改正し、同会議の設置を盛り込む方針だ。

 13日の3党実務者の修正協議で、原発敷地外の規制委、国、自治体の連携のあり方が最後の論点として持ち越されていた。

 14日午前に国会内で民主党の仙谷由人政調会長代行、自民党の林芳正政調会長代理、公明党の斉藤鉄夫幹事長代行が協議し、新法案の全容が固まった。新法案は今国会で成立する見通しだ。【岡崎大輔】
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120614-00000037-mai-pol

しかし、この後の経過はひどいものである。6月15日に、政府案・自公案はともに撤回され、環境委員長名で「原子力規制委員会設置法案」が提案され、即日環境委員会での審議を終えることを強要された。法案の趣旨説明もされたが、そこでは、原子力基本法の改正には言及されていなかった。共産党所属の吉井英勝衆議院議員の環境委員会における発言を、ここでは紹介しておく。

吉井議員 質疑時間の中で意見も表明してくれという話なんで、今から意見を申し上げておきたいと思います。

 昨年の三・一一福島第一原発事故は、全電源喪失によるメルトダウンとその後の水素爆発によって大量の放射性物質を大気中に飛散させ、汚染水を海洋に流出させるなど、チェルノブイリに並ぶ史上最悪の原発事故となりました。

 あれだけ大きな被害を受け、今も約十六万人の人々が避難生活を強いられているときに、事故の深い原因究明と責任、教訓を明らかにして、本来、特別委員会を設置して各党が十分な議論を尽くしてよい法律をつくるべきであるのに、環境委員会という一つの常任委員会での審議で、しかも、三党修正協議がきょう出てきていきなり質疑、採決というやり方は、議会制民主主義に反する暴挙であり、民主、自民、公明三党修正協議と法案審議のあり方そのものについて、まず強く抗議をしておきたいと思います。

 その上で私は、原子力規制委員会設置法案に対し、反対の意見を述べます。

 このような事態を招いた政府と東京電力の責任は極めて重大です。事故を完全に収束させ、放射能汚染の被害から国民の生命と暮らしを守り、二度とこのような事故を起こすことのないように事故原因の徹底究明が不可欠であり、本法案の大前提となるものです。

 ところが、政府や国会の事故調の事故原因の究明が途上であるにもかかわらず、加害者である東京電力は、想定外の津波が原因で、人災でないと責任回避を続けております。野田政権もまた、津波、浸水が事故原因で、地震の影響はなかったという驚くべき断定を行いました。

 これは、再び新しい安全神話を復活させ、大飯三、四号機を初め、原発再稼働に進み、原発輸出戦略の条件づくりであり、断じて容認できません。

 この点でまた、事故の被害を拡大した当時の官邸の混乱のみを菅リスクと過大に問題にすることは、事態を一面的に描くものです。

 これと同時に、三・一一以前の歴代自民党政権の原子力行政のゆがみを徹底的に検証しなければなりません。

 反対理由の第一は、昨年の三・一一福島第一原発の事故原因と教訓を全面的に踏まえた法案となっていないからであります。

 特に、原子炉等規制法で根拠も実証試験もなく、老朽原発の四十年、例外六十年制限としたところ、本法案ではさらに事実上青天井とし、半永久的稼働を容認したことは、政府案を一層改悪するものであり、認められません。

 第二に、原子力規制組織をいわゆる三条委員会としていますが、推進と規制の分離、独立性を確保すべき原子力委員会を環境省のもとに置くとしていることは容認できません。

 環境省は、歴史的にも基本政策の上でも原発推進の一翼を担ってきた官庁であり、今国会に提出している地球温暖化対策基本法案で、温室効果ガスの排出抑制のため原発推進を条文上も明記したままです。これの削除と根本的な反省なしに真の独立は担保されません。当然、電促税を財源とする財源面でも問題であります。

 第三に、原子力基本法を改め、原子力利用の目的について「我が国の安全保障に資する」としたことは、いわゆる原子力平和利用三原則にも抵触するものです。

 また、国際的動向を踏まえた放射線対策と称して、内外の批判の強いICRP、国際放射線防護委員会の線量基準などを持ち込もうとしていることも認められません。

 最後に、我が国の原発政策の根幹をなす日米原子力協定と電源三法のもとで、原発安全神話をつくり上げ、地域住民の反対を押し切って原発を推進してきた歴代自民党政権の、政財官学の癒着した一体構造そのものにメスを入れる必要があります。

 地域独占体制と総括原価方式に守られた、電力会社を中心とする、原発メーカー、鉄鋼、セメント、ゼネコン、銀行など財界中枢で構成する原発利益共同体ともいうべき利益構造を解体することと、そして、再生可能エネルギーの爆発的普及とその仕事を地域経済の再生に結びつけ、エネルギーでも地域経済でも原発に依存しない日本社会への発展の道こそ、政治的決断をするべきものであります。

 以上申し述べて、私の発言を終わります。
http://www.shugiin.go.jp/index.nsf/html/index_kaigiroku.htm

また、6月15日の衆議院議院運営委員会でも、共産党の佐々木憲昭議員が、次のような抗議を行っている。

○佐々木(憲)委員 原子力規制委員会設置法案に対して、意見表明をいたします。

 この法案は、民主、自民、公明の三党によって緊急上程されようとしておりますが、断固反対です。

 法案は、昨夜十九時の時点で、でき上がっていなかったのであります。示されたのは、A4の紙一枚の、未定稿の要綱のみであります。きょうになって法案が示され、それを、まともな審議もせず、どうして採択できるでしょうか。しかも、本会議での討論も行わないなど、到底認められません。

 もともと、法案は、環境省の所管を超える広範な領域を含む原子力行政全般にかかわるものであり、全ての政党が参加し、充実した審議を行うにふさわしい委員会に付託すべきでありました。本会議では、重要広範議案として扱われ、総理も出席して質疑が行われたのであります。

 ところが、三党は、特定の範囲しか扱わない環境委員会に原子力規制委員会設置法案を付託するという暴挙を行ったのであります。

 私たちが抗議すると、与党は、議運理事会で、環境委員会に付託するかわり、審議には日本共産党、社民党、みんなの党などを常時出席させて審議を行わせ、理事会にも出席させるという言明がありました。

 しかし、審議時間は極めて短く、きょうを入れてわずか二回しか行われず、連合審査は一回だけでありました。理事会では、陪席さえ許されず、単なる傍聴扱いでありました。委員会での総理出席の審議も行われておりません。なぜ、これほど拙速な形で法案を通さなければならないのでしょうか。

 この法案には重大な問題が含まれております。

 第一は、昨年の三月十一日福島第一原発の事故原因と教訓を全面的に踏まえた法案となっていないのであります。

 特に、原子炉等規制法で、根拠も実証試験もなく、老朽原発の四十年、例外六十年制限としていたところ、本法案で、さらに、事実上、青天井とし、半永久的稼働を容認したことは、政府案を一層改悪するものであります。

 第二は、原子力規制組織について、推進と規制の分離、独立性を確保すべき規制委員会を環境省のもとに置くこととしていることであります。

 環境省は、歴史的にも、基本政策の上でも、原発推進の一翼を担ってきた官庁であり、今国会に提案している地球温暖化対策基本法案で、温室効果ガスの排出抑制のため、原発推進を条文上も明記したままであります。この削除と抜本的反省なしに、真の独立性は担保されません。

 第三に、原子力基本法を改め、原子力利用の目的について、「我が国の安全保障に資する」としたことは、いわゆる原子力平和利用三原則にも抵触するものであります。

 最後に、我が国の原発政策の根幹をなす日米原子力協定と電源三法のもとで、安全神話をつくり上げ、地域住民の反対を押し切って原発を推進してきた歴代政権の政財官学の構造そのものにメスを入れることが必要であります。原発再稼働など論外であります。

 このことを指摘し、意見表明といたします。
http://www.shugiin.go.jp/index.nsf/html/index_kaigiroku.htm

しかし、同法案は、衆議院本会議におくられ、そのまま可決されてしまったのである。

参議院においては、いまだ会議録が公開されておらず、確定した情報はない。ただ、この法案には4日間しか審議期間がなかったことは報じられている。15日は金曜日であるから、たぶん、17・18・19・20日の4日間であろう。民主党議員も含めて、それなりの議論はあり、環境委員会での付帯決議も可決されたと伝えられている。そして、最終的に、20日の参議院本会議で、同法案は可決され、原子力三原則の改変がなされてしまったのである。

原子力三原則の影響については、また別個に記しておきたい。ただ、いえることは、この原子力規制委員会設置法による原子力三原則の改変は、16日に民・自・公が合意した消費増税法案の成立過程と平行して行われており、それと同様の問題をはらんでいるということだ。消費増税案と同様に、原子力規制委員会設置法案でも、ほとんど自公案の骨子を民主党が受け入れる形で民・自・公の合意が成立した。この合意は、公開の場である国会審議を無視した形で行われ、人びとの目にふれない形で、このようなことがなされてしまったのである。民・自・公という大政党が「合意」すれば、公開の原則すら蹂躙される。

他方、民主党議員でも、このような改変には疑問をもった人びとはおり、参議院環境委員会でも議論はあったようである。しかしながら、参議院本会議での採決結果をみると、ほとんど民主党議員は同法案に賛成しているのである。消費増税法案と同様に党議拘束がかかっているのである。ある意味で、一部議員個人の意識すら相反した形で、この改変はなされたのである。

ある意味で、衆議院・参議院ともに多数を獲得するという意味でおこなわれた、民・自・公合意の危険性が、消費増税だけではなく、原子力三原則の改変過程でも表出されたといえる。

Read Full Post »