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毎日新聞の2014年06月25日付け東京夕刊に、「特集ワイド:集団的自衛権、どこか人ごと!? なぜ議論が盛り上がらないのか」という記事が掲載された。まず、その一部をここで紹介したい。

(前略)
別の日、今度は慶応大湘南藤沢キャンパスへ。3人の総合政策学部生に話を聞いた。行使容認にも解釈改憲にも賛成。「護憲派の上の世代の理想主義って既得権を守ろうとする人と同じにおいがする」という。

 3年生(20)は「このままじゃ自衛隊の人に申し訳ない。法整備のないまま手足を縛られて」と嘆く。少子化の日本ではいずれ徴兵制が必要になるかも、と話を向けると「こういう大学に通う僕が戦場に駆り出される可能性はないと思う。この国で徴兵制は無理。若者は竹やりより弱い。専門性の高い軍隊に国を守ってほしいから、戦闘員が足りないなら移民を。そのために相当のカネを投入し、法整備も必要」。

 それって雇い兵ってこと? 何だろう、この「誰かに守ってもらいたい」的な当事者ではない感じ……。

 思わず「身内の戦争体験を聞いたことは?」と尋ねると、「全然ないですね」。

 別れ際、彼らは言った。「正直、僕らの世代で行使容認に反対の人、ほとんどいないと思いますよ。W杯の時期で愛国心、すごいですから」。本当にそうなんだろうか。
(後略)

つまり、慶應義塾大学湘南藤沢キャンパスで総合政策学部の学生たちに解釈改憲による集団的自衛権行使容認についてインタビューしたら、「賛成」するという答えがかえってきたというのである(なお、この記事では、このキャンパスの別の学生に質問して「反対」という答えがかえってきたことも書かれている)。

この答えで気になったことがある。この学生たちは、集団的自衛権行使を認めた場合でも、自分たちのような「学生」は戦地に行くことはないと考えていることである。それゆえ、これを認めて、自衛隊(たぶん「国防軍」という名称に変わるだろうが)が世界各地の戦闘に介入しても、自分たちには影響しないと意識しているようなのだ。

この話を聞いて、私の両親のことを思い出した。私の両親は、それぞれ違った意味であるが、先の大戦で人生が狂わされたと語っていた。両方とも、戦地には行っていないにもかかわらず、なのだが。

私の父の家は、戦前は東京の郊外で、手広く借家業を営んでいた。それなりの有産者であったらしく、私の父は、慶應義塾の中等部に入学した。ボート部にいたようであるが、肺結核を患い、慶應義塾大学は中途退学し、上智大学を卒業することになった。しかし、その後も結核は完治せず、戦中戦後を通じて働くことはできなかった。もちろん、徴兵もされていない。もともと大学生には徴兵が免除されるという特権があったが、戦争末期には「学徒出陣」といって、大学生も徴兵された。しかし、病人であった父が戦地に行くことはなかった。

このように戦地に行くことはなかった父だが、戦争は父の人生に多大な影響を与えた。働くことのできなかった父がたよるものは、家が保有していた借家からの家賃収入であった。しかし、戦争遂行を目的として成立した国家総動員法に基づいて1939年に発令された地代家賃統制令によって、賃料額は凍結された。戦中戦後を通じて激しいインフレーションになったが、家賃収入は1938年のままだったのである。そのため、実質的に収入減となった。

さらに、いわゆる建物疎開によって、自分の家がとり壊され、それも打撃となった。戦時期、空襲被害の拡大を懸念して防火地帯が指定され、そこにあった家屋が「疎開」させられたのである。空襲も受けないで、自分の家がなくなってしまったのだ。

このことは、病人であった父には大きなショックとなったようである。戦後、建物疎開にも空襲にもあわず、戦前の建物がそのまま残っていた地区が近所にあったのだが、父は悔しくてそこに足を向けようとしなかったという。

他方、母は、福井県の小さな港町で生れた。そこは空襲もうけなかった。母自身は高等女学校に通学しており、そこでピアノや読書・映画などの文化に接することになったという。しかし、今はあまり話したがらないが、「軍国少女」でもあったようだ。修学旅行などで舞鶴の軍港に行き、そこで艦船を見学したり、カレーを振る舞われたりしたことを楽しそうに語っていた。母は「病院船」という映画をみた影響で「従軍看護婦」になりたいと思ったこともあったという。本当に「従軍看護婦」になっていれば、「戦地」にもいったであろう。

結局、「従軍看護婦」になって戦地に行くこともなく、福井県で戦時期に小学校の代用教員となるのだが、その時、試験もしくは面接で、「必勝の信念を持っていますか」と聞かれたという。それに対して、どのように答えたかは語っていない。しかし、たぶん「イエス」と答えたに違いない。そうでなければ教員にはなれなかったであろう。

少なくとも、戦時期には「軍隊」に対して母は憧れをもっていたと思うが、その「憧れ」が打ち砕かれたのが戦争直後であった。戦争直後、アメリカを中心とした連合国軍が日本全国を占領することになるが、その際、母などの若い女性は、アメリカ軍が進駐する前に避難することが勧められた。「なぜ」と母が尋ねると、そこにいた軍隊経験者たちが、日本軍が戦地・占領地で行った婦人暴行などの残虐行為を話したという。それ以来、母は軍隊について否定的な思いをもつことになったようだ。

そして、戦時期に男子たちが多く戦死したため、結婚するのに苦労した母は語っていた。結局、福井県を出て東京にいき、父と結婚することになったのだが、父は病気であり、そのことには不満をもっていた。「戦争があったから、病気の人としか結婚できなかった」とよく語っていた。

それぞれ、全く意味が違うのだが、戦地に行ったわけでもなく、空襲にあったわけでもなかった私の両親はともに戦争によって人生が狂わされたと感じていたのである。

さて、これは、第二次世界大戦時の特有の出来事だといえるのだろうか。ここで「学徒出陣」のことにもふれたが、兵員不足になれば、戦争に行くはずがなかった大学生も戦争にいかされることになるのである。そして、実際に戦地に行かなくても、大規模な戦争になれば、私の両親のように、多大な影響をうけることになるのである。

現代について考えてみよう。例えば2001年9月11日のアメリカ同時多発テロは、それまでのアメリカが行ってきた軍事介入の結果として引き起こされたといえる。戦争に直接関わらない場合でも、戦争によって個人が影響を受けないとはいえないのである。

いわば、これは「戦地に行かなかった人たちの戦争体験」とでもいえるのかもしれない。戦地へ従軍したり、空襲や艦砲射撃を受けたり、沖縄などで陸上戦闘に巻き込まれた人たちは数多くいるが、それらの人たちだけが戦争で人生を狂わされたわけではない。戦地に行かない(それ自身が不確かなことだが)としても、戦争で傷つかないとはいえないのである。そのことを想起していてほしいと思う。

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