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前回、拙著『戦後史のなかの福島原発 ー開発政策と地域社会』(大月書店、2500円+税)が近日中に出版されることをこのブログに投稿した。自己宣伝かたがた、本書の全体のコンセプトについて紹介しておこう。

本書のテーマは、なぜ、福島に原発が立地がなされ、その後も10基も集中する事態となったのかということである。そのことを、本書では、実際に原発建設を受容したり拒否したりする地域住民に焦点をあてつつ、「リスクとリターンのバーター」として説明している。原発事故などのリスクがある原発建設を引き受けることで、福島などの立地社会は開発・雇用・補助金・固定資産税などのリターンの獲得を期待し、それが原発建設を促進していったと私は考えている。

まず、リスクから考えてみよう。原子力についてのリスク認識は、1945年の広島・長崎への原爆投下と1954年のビキニ環礁における第五福竜丸の被曝を経験した日本社会について一般化されていた。1954-1955年における原子力開発体制の形成においては平和利用が強調され安全は問題視されなかったが、1955年における日本原子力研究所の東海村立地においては、放射能汚染のリスクはそれなりに考慮され、大都市から離れた沿海部に原研の研究用原子炉が建設されることになった。その後も、国は、公では原子炉ー原発を「安全」と宣言しつつ、原発事故の際に甚大な被害が出ることを予測し、1964年の原子炉立地審査指針では、原子炉の周囲に「非居住区域」「低人口地帯」を設け、人口密集地域から離すことにされていたのである。

他方で、1957-1961年の関西研究用原子炉建設問題において、関西の大都市周辺地域住民は、自らの地域に研究用原子炉が建設されることをリスクと認識し、激しい反対運動を展開した。しかし、「原子力の平和利用は必要である」という国家や社会党なども含めた「政治」からの要請を否定しきることはなかった。結局、「代替地」に建設せよということになったのである。そして、関西研究原子炉は、原子炉建設というリスクを甘受することで地域開発というリターンを獲得を希求することになった大阪府熊取町に建設されることになった。このように、国家も大都市周辺地域住民も、原発のリスクをそれなりに認識して、巨大原子炉(小規模の研究用原子炉は大都市周辺に建設される場合もあった)ー原発を影響が甚大な大都市周辺に建設せず、人口が少なく、影響が小さいと想定された「過疎地域」に押し出そうとしたのである。

他方で、実際に原発が建設された福島ではどうだっただろうか。福島県議会では、1958年に自民党県議が最初に原発誘致を提起するが、その際、放射能汚染のリスクはすでに語られていた。むしろ、海側に汚染物を流せる沿海部は原発の適地であるとされていた。その上で、常磐地域などの地域工業化に資するというリターンが獲得できるとしていたのである。福島県は、単に過疎地域というだけでなく、戦前以来の水力発電所集中立地地帯でもあったが、それらの電力は、結局、首都圏もしくは仙台で多くが使われていた。原発誘致に際しては、より立地地域の開発に資することが要請されていた。その上で、福島第一原発が建設されていくのである。しかし、福島第一原発の立地地域の人びとは、組織だって反対運動は起こしていなかったが、やはり内心では、原発についてのリスクは感じていた。それをおさえるのが「原発と原爆は違う」などの東電側が流す安全神話であったのである。

さて、現実に福島第一原発が稼働してみると、トラブル続きで「安全」どころのものではなかった。また、1960-1970年代には、反公害運動が展開し、原発もその一連のものとして認識された。さらに、原発について地域社会側が期待していたリターンは、現実にはさほど大きなものではなかった。すでに述べて来たように、原発の立地は、事故や汚染のリスクを配慮して人口密集地域をさけるべきとしており、大規模開発などが行われるべき地域ではなかった。このような要因が重なり、福島第二原発、浪江・小高原発(東北電力、現在にいたるまで未着工)の建設計画発表(1968年)を契機に反対運動が起きた。これらの運動は、敷地予定地の地権者(農民)や漁業権をもっている漁民たちによる、共同体的慣行に依拠した運動と、労働者・教員・一般市民を中心とした、住民運動・社会運動の側面が強い運動に大別できる。この運動は、決して一枚岩のものではなく、内部分裂も抱えていたが、少なくとも、福島第一原発建設時よりははっきりとした異議申し立てを行った。そして、それまで、社会党系も含めて原発誘致論しか議論されてこなかった福島県議会でも、社会党・共産党の議員を中心に、原発批判が提起されるようになった。この状況を代表する人物が、地域で原発建設反対運動を担いつつ、社会党所属の福島県議として、議会で原発反対を主張した岩本忠夫であった。そして、福島第二原発は建設されるが、浪江・小高原発の建設は阻止されてきたのである。

この状況への対策として、電源三法が1974年に制定されたのである。この電源三法によって、工業集積度が高い地域や大都市部には施行されないとしつつ、税金によって発電所立地地域において道路・施設整備などの事業を行う仕組みがつくられた。同時に立地地帯における固定資産税も立地地域に有利な形に変更された。大規模開発によって原発立地地域が過疎地帯から脱却することは避けられながらも、地域における反対運動を抑制する体制が形成された。その後、電源三法事業・固定資産税・原発雇用など、原発モノカルチャー的な構造が立地地域社会で形成された。このことを体現している人物が、さきほどの岩本忠夫であった。彼は、双葉町長に転身して、原発推進を地域で強力に押し進めた。例えば、2002年に福島第一・第二原発の検査記録改ざんが発覚するが、岩本は、そのこと自体は批判しつつも、原発と地域社会は共存共栄なのだと主張し、さらに、国と東電は最終的に安全は確保するだろうとしながら、「避難」名目で周辺道路の整備を要求した。「リスク」をより引き受けることで「リターン」の拡大をはかっていたといえよう。岩本忠夫は議会に福島第一原発増設誘致決議をあげさせ、後任の井戸川克隆もその路線を受け継ぐことになった。

3.11は、原発のリスクを顕然化した。立地地域の多くの住民が生活の場である「地域」自体を奪われた。他方で、原発のリスクは、過疎地にリスクを押しつけたはずの大都市にも影響を及ぼすようになった。この3.11の状況の中で、岩本忠夫は避難先で「東電、何やってんだ」「町民のみんなに『ご苦労さん』と声をかけてやりたい」と言いつつ、認知症となって死んでいった。そして、後任の井戸川克隆は、電源三法などで原発からリターンを得てきたことは認めつつ、そのリターンはすべて置いてこざるをえず、借金ばかりが残っているとし、さらに「それ以外に失ったのはって、膨大ですね。先祖伝来のあの地域、土地を失って、すべてを失って」と述べた。

原発からのリターンは、原発というリスクがあってはじめて獲得できたものである。しかし、原発のリスクが顕然化してしまうと、それは全く引き合わないものになってしまう。そのことを糊塗していたのが「安全神話」ということになるが、3.11は「安全神話」が文字通りの「神話」でしかなかったことを露呈させたのである。

この原発をめぐるリスクとリターンの関係において、福島の多くの人びとは、主体性を発揮しつつも、翻弄された。そして、このことは、福島外の私たちの問題でもある。

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7月22日、拙著『戦後史のなかの福島原発 ー開発政策と地域社会』(大月書店、2500円+税)が出版されることになった。大月書店のサイトから、目次と内容紹介をここであげておく。

戦後史のなかの福島原発 これから出る本

目次
第一章 原子力開発の開始と原子力関連施設の大都市圏からの排除
第一節 原子力開発の開始
第二節 日本原子力研究所東海村立地とリスク認識
第三節 「反原発運動」の源流としての関西研究用原子炉設置反対運動
第四節 原子炉立地審査指針の確定

第二章 地域開発としての福島第一原発の建設(一九六〇-一九六七)
第一節 福島県による原発誘致活動
第二節 福島第一原発立地と地域社会
第三節 福島第一原発の建設

第三章 福島県における原発建設反対運動の展開(一九六八-一九七三)
第一節 原発建設予定地における地権者の反対運動
第二節 一般住民による原発建設反対運動
第三節 福島県議会における反対意見の噴出

第四章 電源交付金制度と原発建設システムの確立(一九七四-一九七九)
第一節 電源交付金制度の成立
第二節 原発依存社会の行方
第三節 「日常の風景」を切り裂いた三・一一

内容説明
「平和利用」と「安全」を信じ、町の繁栄を願って立地を決めた地域。他方、放射能汚染を恐れ立地を阻んだ地域。実験炉導入前後から現在まで、地域社会における原発の受容~変容過程をリスクとリターンの交換という視点から描く。

 

http://www.otsukishoten.co.jp/book/b181018.html

 

本書の源流はこのブログにある。このブログに掲載した文章をもとにいくつかの論考を発表し、さらに、それらをまとめ直して本書になった。本書の執筆・校正の過程で、資料・文献を再度照合しており、より正確な記述になったと思う。出版していただいた大月書店と、細部にわたって的確な意見をいただいた担当編集者の角田三佳さんには感謝の念を申し述べておきたい。

また、このブログを読んでいただいたり、ご意見を頂いたりした皆さまの力があってこそ、本書の出版にこぎ着けられたといえる。そのことにも感謝しておきたい。

しかし、本書が出版されても、福島の原発周辺地域の人びとが苦難していることにはかわりがない。さらに、原発再稼働・原発輸出の動きもやむことはない。安倍政権の動きをみていると、「国民を守る」という大義名分のもとに核兵器保有すらしかねないとさえ思う。そういうことを見直す一助に本書がなることを私は祈念する。

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現在、安倍内閣は、国会に特定秘密保護法案を提出している。これに対し、いろんなところから、批判の声があがっている。恒例の官邸前抗議行動においても、多くの人が特定秘密保護法案によって原発情報が隠蔽されることを懸念するスピーチやコールが行わっている。

そして、この場で知ったのだが、福島県議会では、特定秘密保護法案について、「原発情報」が隠蔽されることを危惧し、慎重審議を求める意見書が決議されたということである。帰宅して、ネット検索してみた。実は、多くのマスコミがこの情報をネットにあげていない。ようやく、福島民友のネット配信記事をみつけることができた。次にあげておく。

「原発情報」隠蔽危惧 秘密保護法案めぐり県会意見書
 「原発の安全性に関わる問題や住民の安全に関する情報が『特定秘密』に指定される可能性がある」。安全保障上の情報保全徹底を掲げる特定秘密保護法案をめぐり、県議会は10月9日、全会一致で「慎重な対応を求める」とする首相、衆参両院議長宛ての意見書を可決した。東京電力福島第1原発事故直後、放射性物質の拡散について十分な情報開示がなされなかったことへの不信感が根強い。意見書の背景には「重要な情報がまた隠されるのではないか」との危機感がある。
 原発事故では、放射性物質の拡散を予測する「緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)」の試算結果が、事故の初期段階で公表されず、住民の避難に生かされなかった。浪江町の一部の住民は、第1原発から放出された放射性物質が大量に流れて、放射線量がより高い地域に避難していたことが後から判明した。国が適切に公表していれば「無用の被ばく」を防げたはずだという住民たちの怒りは、今も収まっていない。
(2013年11月5日 福島民友ニュース)
http://www.minyu-net.com/news/news/1105/news9.html

ここで重要なことは、この意見書が全会一致で決議されたということである。つまりは、かなり多数いると思われる自由民主党員の福島県議会議員たちも、この意見書に賛成したのである。

そして、この意見書は、福島県議会のサイトにpdfの形でアップされている。ほとんど紹介されていないので、ここであげておこう。

特定秘密の保護に関する法律案に対し慎重な対応を求める意見書
今秋の臨時国会に政府から提出が予定されている「特定秘密の保護に関する法律案」では、「特定秘密」について、「防衛」「外交」「外国の利益を図る目的で行われる安全脅威活動の防止」「テロ活動防止」の4分野の中で、国の存立にとって重要な情報を対象としているが、その範囲が明確でなく広範にすぎるとの指摘がある。
事実、日本弁護士連合会では、憲法に謳われている基本的人権を侵害する可能性があるとして、同法案の制定に対して反対の立場を明確にしており、また、当県が直面している原子力発電所事故に関しても、原発の安全性に関わる問題や住民の安全に関する情報が、核施設に対するテ口活動防止の観点から「特定秘密」に指定される可能性がある。
記憶に新しいが、放射性物質の拡散予測システムSPEEDIの情報が適切に公開されなかったため、一部の浪江町民がより放射線量の高い地域に避難したことが事後に明らかになるケースがあった。このような国民の生命と財産を守る為に有益な情報が、公共の安全と秩序維持の目的のために「特定秘密」の対象に指定される可能性は極めて高い。
今、重要なのは徹底した情報公開を推進することであり、刑罰による秘密保護と情報統制ではない。「特定秘密」の対象が広がることによって、主権者たる国民の知る権利を担保する内部告発や取材活動を委縮させる可能性を内包している本法案は、情報掩蔽を助長し、ファシズムにつながるおそれがある。もし制定されれば、民主主義を根底から覆す瑕疵ある議決となることは明白である。
よって、国においては、特定秘密保護法案に対し、慎重な対応をするよう強く要望する。
以上、地方自治法第99条の規定により意見書を提出する。
平成25年10月9日
衆議院議長
参議院議長あて
内閣総理大臣
福島県議会議長 斎藤健治
http://wwwcms.pref.fukushima.jp/download/2/2509iken01.pdf

内容を簡単に概括すれば、まず、特定秘密保護法の対象が広範で明確ではなく、テロ防止の観点から原発情報が隠蔽されるおそれがあるとしている。そして、3.11直後、「放射性物質の拡散予測システムSPEEDIの情報が適切に公開されなかったため、一部の浪江町民がより放射線量の高い地域に避難したことが事後に明らか」になったケースがあったことが想起されている。その上で、このように主張している。

今、重要なのは徹底した情報公開を推進することであり、刑罰による秘密保護と情報統制ではない。「特定秘密」の対象が広がることによって、主権者たる国民の知る権利を担保する内部告発や取材活動を委縮させる可能性を内包している本法案は、情報掩蔽を助長し、ファシズムにつながるおそれがある。もし制定されれば、民主主義を根底から覆す瑕疵ある議決となることは明白である。
よって、国においては、特定秘密保護法案に対し、慎重な対応をするよう強く要望する。

この意見書は、特定秘密保護法案はファシズムにつながるとすらいっているのである。このような意見書を、自由民主党員である福島県議会議員たちも賛成したのである。

思えば、3.11直後、原発事故情報の隠蔽は、福島県だけではなく、日本全国に及んでいた。そして、それが、近年には見られなかった反原発運動の高まりにつながったといえる。もちろん、特定秘密保護法案の問題は、原発情報の隠蔽だけではとどまらない。この意見書が指摘するように「民主主義を根底から覆す」ものなのである。そして、この「民主主義」は、反原発を進めるためにも必須なのである。

現在、国会議員の多数は与党である自由民主党と公明党が握っている。民主党の対応もよくわからない。この法案が今後どうなるのか、全く不明である。しかし、一つ言わなくてはならないことは、反原発を進める前提において「民主主義」が必要であるということを、全く逆説的な形で安倍内閣が提示したということである。福島だけでもなく、自民党に投票した多くの人びとは、広い意味で原発を廃止・減少させることを求めていた。しかし、その結果登場した安倍内閣は、自民党員の意向にすら反した形で原発再稼働を進めるだけでなく、原発情報の隠蔽につながる特定秘密保護法案制定に動いているのである。

そして、そういう政治がいつまで続けるだろうか。そのことを暗示させるのが、今回の福島県議会の意見書であるといえよう。

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福島第一原発の汚染水問題が議論されていた8月末、福島第一原発・第二原発が所在している立地自治体では、もう一つ大きな動きがあった。まずは、河北新報の次のネット配信記事(2013年8月30日付)をみてほしい。

福島第1・第2の立地4町 全基廃炉方針 東電に要求へ
 福島第1、第2の両原発が立地する福島県双葉、大熊、富岡、楢葉4町は29日、両原発の全10基の廃炉を国と東京電力に求める方針を確認した。全基廃炉は県と県議会が求めているが、立地町の要求は初めて。
 同県広野町であった4町の原発所在町協議会で各町長、町議会議長が確認した。各町議会に議論を促し、同意を取り付ける。
 東電の相沢善吾副社長は4町の意向を受け、「重く受け止める。原発の安定化を最優先に取り組み、エネルギー施策を見極めて国の判断に従う」と話した。
 廃炉が決まっているのは、事故を起こした第1原発の1~4号機。第1原発の5、6号機、第2原発の1~4号機の計6基は方針が定まっていない。
 協議会は第1原発の放射能汚染水漏れの再発防止を求める要望書を相沢副社長に渡した。

2013年08月30日金曜日
http://jyoho.kahoku.co.jp/member/backnum/news/2013/08/20130830t61038.htm

この記事の中で述べているように、事故を起こした福島第一原発1〜4号機の廃炉はすでに決定されている。しかし、福島第一原発5〜6号機、福島第二原発1〜4号機は、事故が起きたわけではなく、再稼働可能である。この再稼働可能な原発も含めて、原発が所在している双葉、大熊、富岡、楢葉の4町の原発所在町協議会は、福島にあるすべての原発の廃炉を東電に求めることにしたのである。

なお、この記事にもあるように、すでに福島県知事と福島県議会は、県内すべての原発の廃炉を要求していた。本ブログの「福島県知事による県内全原発廃炉を求める方針の発表ー東日本大震災の歴史的位置」(2011年11月30日)によると、紆余曲折をへながら、福島第一原発・第二原発の廃炉を求める請願を採択する形で、2011年10月20日に福島県議会は県内すべての原発の廃炉要求に同意する旨の意志表示を行った。この廃炉請願採択を受けて、11月30日に県内すべての原発廃炉を求めていくことを正式に表明している。

その点からいえば、これらの原発所在地において県内原発すべての廃炉を求めるというのは、かなり遅かった印象がある。しかし、それも無理からぬところがあるといえる。福島県全体とは相違して、原発立地自治体においては、雇用、購買力、補助金、税収などさまざまな面で原発への依存度は大きい。それゆえ、福島第二原発など再稼働可能な原発を維持すべきという声は、福島県議会以上に大きかったといえる。例えば、楢葉町長であった草野孝は、『SAPIO』(2011年8月3日号)で次のように語っていた。

双葉郡には、もう第二しかないんだ……。
 正確に放射線量を測り、住民が帰れるところから復興しないと、双葉郡はつぶれてしまう。第二が動けば、5000人からの雇用が出てくる。そうすれば、大熊町(第一原発の1~4号機が立地)の支援だってできる。
(本ブログ「「遠くにいて”脱原発”なんて言っている人、おかしいと思う」と語った楢葉町長(当時)草野孝とその蹉跌ー東日本大震災の歴史的位置」、2012年5月22日より転載)

福島第二原発という再稼働可能な原発が所在し、また、比較的放射線量が低い楢葉町と他の三町とは温度差はあるだろう。しかし、いずれにせよ、福島第二原発などの再稼働によって地域経済を存立していこうという考えが、福島第一原発事故により広範囲に放射性物質に汚染され、ほぼ全域から避難することを余儀なくされていた原発立地自治体にあったことは確かである。

そのような声があった原発立地自治体においても、再稼働可能な原発も含めた全ての原発の廃炉を要求することになったということは画期的なことである。しかし、これは、他方で、福島第一原発事故で避難を余儀なくされ、復興もままならず、多くの避難者が帰郷することはできないと意識せざるを得なくなった苦い経験によるものでもあろう。そして、また、この当時さかんに議論されていた汚染水問題が県内全原発廃炉要求を後押しすることになったとも考えられる。

ただ、河北新報の記事にあるように、この要求はいまだ、町長・町議会議長たちだけのものであり、各町議会で同意をとるとされている。このことに関連しているとみられる富岡町議会の状況が9月21日の福島民報ネット配信記事にて報道されている。

第二原発廃炉議論本格化 富岡町議会 一部に慎重論、審議継続
 富岡町議会は20日、町内に立地する東京電力福島第二原発の廃炉に関する議論を本格化させた。一部町議から「廃炉の判断を現時点で行うのは時期尚早」という意見が出て、継続的に審議することを決めた。
 20日に郡山市で開かれた町議会の原発等に関する特別委員会で塚野芳美町議会議長が「廃炉に関し町議会の考え方をまとめたい」と提案した。
 町議からは「原発に代わる再生可能エネルギーの担保がない」「原発に代わる雇用の場を確保しなければならない」など現時点で廃炉の姿勢を示すことに慎重な意見が出た。
 一方で「県内原発全基廃炉は当然」「廃炉と雇用の問題は別に議論すべきだ」など立地町として廃炉の姿勢を明確にすべきという意見があった。
 特別委員会の渡辺英博委員長は「重要な問題。今後も議論を続けて方向性を定めたい」と述べた。
 富岡の他、楢葉、大熊、双葉の4町でつくる県原子力発電所所在町協議会は8月、国と東電に対し、県内原発の全基廃炉を求める認識で一致している。

( 2013/09/21 08:59 カテゴリー:主要 )
http://www.minpo.jp/news/detail/2013092111011

ここでは富岡町議会のことしか報道されていないが、やはり「全県内原発廃炉」という方針には抵抗のある議員がいることがわかる。つまり、町議会レベルでは、いまだ流動的なのである。

他方、福島原発立地自治体における県内原発全機廃炉の声はそれなりに政府においても考慮せざるを得ない課題となった。9月30日、茂木敏充経済産業相は、東京電力福島第1原発の汚染水問題を巡る衆院経済産業委員会の閉会中審査において、福島第二原発廃炉を考慮せざるをえないと述べた。そのことを伝えている毎日新聞のネット配信記事をあげておこう。

福島第2原発:廃炉検討の考え示す 茂木経産相
毎日新聞 2013年09月30日 20時10分(最終更新 09月30日 22時40分)

 茂木敏充経済産業相は30日、東京電力福島第1原発の汚染水問題を巡る衆院経済産業委員会の閉会中審査で、福島第2原発について「福島県の皆さんの心情を考えると、現状で他の原発と同列に扱うことはできない」と述べ、廃炉を検討すべきだとの考えを示した。福島県は県内全原発の廃炉を求めており、県民感情に配慮した形だ。

 茂木氏は同時に、廃炉にするかどうかの判断について「今後のエネルギー政策全体の検討、新規制基準への対応、地元のさまざまな意見も総合的に勘案して、事業者が判断すべきものだ」と述べ、最終的には東電が判断するとの立場を強調した。

 福島県内には、福島第1、第2で計10基の原発があり、福島第1原発1〜4号機は既に廃炉が決定。同原発5、6号機については、安倍晋三首相が東電に廃炉を要請しており、これを受けて東電が年内に判断する。

 閉会中審査は27日に続いて2日目の開催。茂木氏のほか、原子力規制委員会の田中俊一委員長らが参考人として出席した。

 福島第2原発1〜4号機を全て廃炉にした場合、東電の損失額は計約2700億円。会計制度の見直しで、一度に発生する損失は1000億円程度まで減る見込みだが、福島第1原発5、6号機の廃炉でも数百億円の損失が一度に出る見通し。同時に福島第2の廃炉も行うと決算に与える影響は大きい。

第2原発廃炉については東電内でも「再稼働に必要な地元同意が見込めない以上、いずれ判断をする時期が来る」との意見が多いが、第1原発5、6号機の廃炉は1〜4号機の廃炉作業や汚染水対策に集中する目的があるのに対し、第2の廃炉は「仕事が増えるだけ。将来はともかく、今やれる話ではない」(東電幹部)との声もある。【笈田直樹、浜中慎哉】
http://mainichi.jp/feature/20110311/news/20131001k0000m010035000c.html

安倍政権は、原子力規制委員会が安全と判断した原発は再稼働していくというものであった。しかし、茂木経産相としては、「福島県の皆さんの心情を考えると、現状で他の原発と同列に扱うことはできない」として、再稼働可能な福島第二原発も含めて福島県内の全原発の廃炉を考慮せざるをえないと言わざるを得なくなったのである。

もちろん、今後の推移については、まだまだ紆余曲折があるだろう。地元ではいまだに原発による雇用などに依存しようとする声は小さくないと思われる。また、安倍政権は全体として原発再稼働を求めており、福島第二原発も再稼働対象に含めようとすることも今後あるかもしれない。といいつつ、やはり、地元自治体すらもすべての原発の廃炉を求めるようになったということの意義は大きい。やはり「時計の針は元には戻せない」のである。

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以前、原発反対派の福島県議であったが1985年に双葉町長となり原発推進を主張した岩本忠夫については、何度か紹介した。岩本は町長時代の2002年11月20日の衆議院経済産業委員会に参考人として出席し、この場で、「原子力と共生しながら生きていく」と宣言していたのである。次の部分に主要個所をかかげておく。

○岩本参考人 おはようございます。福島県双葉町長の岩本忠夫であります。
 福島県の双葉地方は、現在、第一原子力発電所が六基、さらに第二原子力発電所が四基、計十基ございます。三十数年間になりますけれども、多少のトラブルはございましたが、比較的順調に、安心、安全な運転を今日まで続けてきたわけでありますけれども、八月二十九日、突然、今平山知事の方からもお話がございましたように、東京電力の一連の不正事件が発生をし、そしてそれを聞きつけることができました。
 これまで地域の住民は、東京電力が、国がやることだから大丈夫だろう、こういう安心感を持ってやってきたわけでありますけれども、今回の一連の不正の問題は、安全と安心というふうに分けてみますと、安全の面では、当初から国やまた東京電力は、二十九カ所の不正の問題はありましても、安全性に影響はないということを言われてまいりました。したがって、安心の面で、多年にわたって東京電力、原子力との信頼関係を結んできました地域の者にとっては、まさに裏切られた、信頼が失墜してしまった、こういう思いを実は強くしたわけでありまして、この面が、何ともやりきれない、そういう思いをし続けているのが今日であります。
 ただ、住民は比較的冷静であります。それはなぜかといったら、現在、第一、第二、十基あるうちの六基が停止中であります。そして、その停止されている原子力発電所の現況からすれば、何とはなしに地域の経済がより下降ぎみになりまして深刻な状態にあります。雇用の不安もございます。
 何となく沈滞した経済状況に拍車をかけるような、そういう重い雰囲気が一方ではあるわけでありまして、原子力と共存共栄、つまり原子力と共生をしながら生きていく、これは、原子力立地でないとこの思いはちょっと理解できない面があるのではないかなというふうに思いますが、原子力立地地域として、原子力にどのようなことがあっても、そこから逃げ出したり離れたり、それを回避したりすることは全くできません。何としてもそこで生き抜いていくしかないわけであります。
 そういう面から、国も東京電力もいずれはちゃんとした立ち上がりをしてくれるもの、安全性はいずれは確保してくれるもの、こういうふうに期待をしているからこそ、今そう大きな騒ぎには実はなっておりません。表面は極めて冷静な姿に実はなっているわけであります。

この発言の背景には、1999年のプルサーマル計画におけるMOX燃料のデータ改ざん発覚、2002年の福島第一・第二原発における検査記録改ざん発覚があった。特に、後者は当時の東電首脳部の総退陣に結果したのである。引用した部分の前半の部分では、岩本忠夫は東電に対する不信感をあらわにしている。

しかし、岩本は、原発の停止は地域経済の停滞、雇用不安を招くとしている。結局、原発に依存しなくてはならなくなった地域社会では、原発の興廃はその地域社会の経済的問題に直結することになるだろう。その上で、岩本は、「原子力と共存共栄、つまり原子力と共生しながら生きていく」と主張した。その理由として、「原子力立地地域として、原子力にどのようなことがあっても、そこから逃げ出したり離れたり、それを回避したりすることは全くできません。何としてもそこで生き抜いていくしかないわけであります。」とここでは主張したのである。

3.11という結果を知っている今日からみれば、この宣言は悲劇的なものに思える。3.11は、原発に依存していた地域社会の人びとに対し、推進派も反対派も区別せず、「逃げ出したり離れたり」することを強制した。「何としてもそこで生き抜いていく」といった場合の「そこで」という条件が喪失したのである。原発周辺で地域社会が存立すること自体ができなくなってしまったのである。

3.11以前でも、原発の安全性については原発の立地する地域社会でも危惧されていた。もちろん、元反対派の岩本にとって、原発の危険性は自明のことであっただろう。この文章の中でも、東電への不信感が表明されている。しかし、岩本にとって、原発が自らの地域生活を直接侵害するものとして措定されてはいなかったのである。

3.11は、原発事故は「そこで生き抜くいていく」ことすら許さない過酷なものであったことを示したといえる。「原発と共生しながら生きていく」ことはできないのだ。結局、岩本忠夫も、避難先で死んだ。以前のブログで紹介した2011年8月25日付の毎日新聞朝刊から、その最後の姿を再度みておこう。

7月15日午前5時。岩本忠夫・前福島県双葉町長は福島市の病院で、付き添っていた長男の双葉町議、久人さん(54)に見守られ、静かに息を引き取った。82歳。原発事故の避難生活で急速に衰え、入院後の40日間は会話もできなかった。
 「本当は何か言いたかったんじゃないかな。話してほしかった」と久人さんは言う。
(中略)
 岩本氏は人工透析を週2回受けていたが、長男の久人さん一家と避難を強いられた。当初、南相馬市の避難所にいた頃は、ニュースを見ながら「東電、何やってんだ」と怒り、「町民のみんなに『ご苦労さん』と声をかけてやりたい」と話していたという。だが、次第に認知症の症状が表れる。3月末に福島市のアパート に移ってからは「ここはどこだ」「家に帰っぺ」と繰り返すようになっていった。
 なぜ原発推進という「賭け」に出たのか。古市氏(社会党の地元支部書記長だった古市三久県議…引用者注)は言う。
 「ある時は住民のために原発に反対し、ある時は町民の生活を守るために原発と共存しながら一生懸命やっていた。最後に事故になり、自ら放射能を浴び、いろんな批判をかぶって死んでいった。ただ、本心は分からない。誰にも言わず、棺おけの中に持っていってしまった」

岩本忠夫も、「そこで生き抜いていく」ことはおろか、「そこで死んでいく」ことすら許されなかった。そして、東電に怒り、避難した町民をねぎらいつつ、「家に帰っぺ」といいながら、死を迎えたのである。

 

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福島第一原発事故を契機に、再び、電力の自由化が議論されている。北海道、東北、東京、中部、北陸、関西、中国、四国、九州の九つの電力会社がそれぞれの地域電力供給を独占している状態を打破し、電力を自由化しようというのである。

電力供給が独占されていることは、かなり前から始まっている。1938年の電力国家管理法に基づいて、1939年に日本発送電株式会社が成立し、1941年の配電統制令によって国内すべての電気事業者を傘下に統合した。戦時国家統制によって電力の独占が開始されたとみてよいだろう。

戦後、GHQの発したボツダム政令によって、1951年5月、日本発送電株式会社は解体され、九つの民間電力会社が成立した。これが今の電力会社体制である。しかし、この時も、特定の会社が電力供給を地域独占することは変わらなかった。

このように、電力が自由化されていた時代はかなり前である。その時の状況は、どのようなものであっただろうか。福島県総合産業審議会が1950年4月に発表した福島県産業綜合振興計画は、国家統制以前において電力が豊富に得られたことが福島県の工業化の一因であったと、次にように指摘している。

第一に本県が水力電気の生産県であること。
これは他の如何なる条件にも増して本県の非常な強味であり、特に電気料金に国家統制がなく、原価によって地域差があり、就中余剰電力を生じる場合には極めて有力な工場誘致条件をなすものである。本県の発電所は関東への送電のため開発されたと云われるけれども、大正末期以来、磐梯山麓、郡山付近、浜にかけて電力利用の工場が幾つか建設され、それが本県の化学工業及電気炉利用工業の主力をなしている。これらの工場の多くは、その電力料金が東京の二分の一又はそれ以下で、余剰電力の利用については地元としての利点を充分に発揮出来るか、又は自家発電を持ち得た時代に設けられたものである。若しこの電力利用上の強味がなかったならば、他県から原料を持込み、または製品は他県に持ち出しているような電気炉精錬工場及び電解法工場は本県に設置されなかったであろう。(『福島県史』第14巻、1969年、p78)

もちろん、過当競争など、自由化による弊害もあったと思う。しかし、ここでは、戦前の福島県では、地域における水力発電を生かして、低コストで安定的に電力が得られたことを、電力多消費型の工業を誘致し得た要因としているのである。

これは、現代の自由化においても、参考になることだと思う。地域独占している電力会社の域内の電力料金は、基本的に同じである。発電所が多数設置されていても、その地域の電力料金が安くなることはない。特に、福島県内では、東京電力に電力を供給する多くの発電所があるにもかかわらず、割高な東北電力から電力が供給されるため、東京電力管内よりも電力料金が高い場合さえある。しかし、戦前においては、水力発電など多くの発電所を擁していた福島県では、その電力を利用して、工業化が行われた。このようなことは、現代の電力自由化でもありえることである。現代において、必要以上に電力を消費することは問題であろうが、低コストの電力供給によって、地域開発をささえることは、現代の電力自由化でも考えられるであろう。

しかし、戦時国家統制により電力事業が独占されると、このメリットはなくなった。そのため、この計画では、「電力の地元使用」を主張している。

 

電力の利用については、原価主義により電力料金に地域差を設け、極力近距離の送電範囲内にて使用することが、国家資源としての電力活用上最も合理的であり、殊に本県の産業振興上極めて重要であるので、この方針の徹底を期成する。
 元来本県は有力な水力発電県でありながら、発生電力の大部分を関東方面に供給し、地元の利用は比較的僅かであった。…併し電力はこれを遠距離に送電すればロスもあり、亦巨額の送電設備費を必要とするので、電力を多量に消費する工業はこれを発電地帯付近に設けるのが電力経済上最も合理的である。況んや本県下の電力利用工業の現状を見るに、電力地元県であり乍ら電力不足のため、折角の工場設備を充分稼働し得ない状況にある。従って、少なくとも今後開発される電力については極力地元消費の充足を第一義的に実現するよう促進すべきである。(『福島県史』第14巻、1969年、p.p70-71)

いわば電力の「地産地消」を求めたといえる。この計画では、水力発電を中心とする奥只見電源開発についても言及されているが、その電力はまず地元消費に向けられるべきものとしている。

そして、福島県議会も当時の福島県知事大竹作摩も、地元に優先して配電することを主張した。九電力会社が成立した後であるが、大竹は1951年6月の福島県議会定例会で、このように発言している。

只見川流域で発生した電力のすべては小名浜、塩釜など東北工業化のために使わねばならない。(『福島県史』第15巻、1968年、p1357)

福島県は、奥只見電源開発に積極的であったが、その背景には、電源開発により、その電力を使っての地域開発を望む意識があったといえるのである。それは、ある意味では、電力の地域独占により阻害された地域開発を継続していこうということであった。そして、このような意味で電源開発を望む意識は、後の原発誘致の底流にも流れていたと思われる。

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今や、佐藤栄佐久前福島県知事が福島県知事に就任していた時期(1988〜2006年)において、政府の押し進める原子力推進政策に対抗的な姿勢をとったこと、そしてその後疑獄事件で失脚させられたことは、かなりの人びとが知っていることと思う。

佐藤栄佐久の回想録である『知事抹殺ーつくられた福島県汚職事件』(平凡社、2009年)、『福島原発の真実』(平凡社、2011年)によると、福島県知事時代の佐藤は、原発稼働自体に反対していたわけではなかった。政府の中央集権的な地方自治体への統制への反発を前提にとしつつ、事故を隠蔽してまで原発の安全性を主張する政府・東京電力への対処と、高速増殖炉もんじゅやプルサーマル計画に代表されるプルトニウム中心の核燃料サイクル計画の将来性への不信が、政府の押し進める原子力推進政策への対抗的な姿勢につながっていったということができる。

しかし、佐藤自身も、原発立地自治体における原発に依拠した地方振興のあり方には疑問をもっていた。『知事抹殺』の中で、佐藤は次のように語っている。

 

部品脱落事故を起こした福島第二原発3号機が、ようやく運転再開にこぎつけて一年も経たない一九九一(平成三)年九月二五日、福島第一原発の地元である双葉町議会が、原発増設要望を議決した。
 かりに原発を一基作って、一兆円ほどの規模になったとする。国や電力会社は、一%程度の地元への見返りを考えるという。それが二基ある双葉町は財政的に恵まれているはずで、なぜ、というのが率直な感想だった。
 「原発が本当に地域振興の役に立っているのだろうか」という問題意識から、原発に代わる浜通り地方の新たな地域振興策を考えていた矢先だった私は、ショックを受けた。
 「原発の後の地域振興は原発で」という要望が地元から出てきたということは、運転を始めて約二〇年、原発が根本的な地域振興のためになっていなかったことの証明だった。
 地元にとって、原子炉が増えるメリットは、建設中の経済効果と雇用が増えること、自由には使えないが、国から予算が下りてくることだ。しかし、三〇〜四〇年単位で考えると、また新しく原発を作らないとやっていけなくなるということなのか。これでは、麻薬中毒者が「もっとクスリをくれ」と言っているのと同じではないか。自治体の「自立」にはほど遠い。
(『知事抹殺』p53〜54)

佐藤は、自治体の自立という観点から、原発に半永久的に依存しつづけなくてはならないような状況は、「原発が根本的な地域振興のためになっていなかったことの証明だった」というのである。

なお、1991年の双葉町議会において原発増設要請決議がなされた時の双葉町長は、このブログで何回もとりあげた、岩本忠夫である。県議であった時の岩本は、原発反対派として、原発建設を推進した木村守江と対峙した。皮肉なことに、ここでは、原発推進政策見直し(必ずしも反原発ではないが)を指向することになる福島県知事佐藤栄佐久に、岩本は原発推進の立場で対峙することになる。

佐藤は、結局、双葉町は財政危機から逃げ出せず、2008年には福島県内一財政状況の悪い自治体となり、町長は税金分以外無報酬になるしかないところまで追い込まれたとのべている。この無報酬で勤め得ざるをえなかった町長が、現町長の井戸川克隆である。

そして、佐藤は、このように指摘している

福島県でも、只見川流域の水力発電地帯が、発電の中心が火力、原子力と変化していく中で時代に取り残された過疎地域になり、医師がひとりもいなくなってしまった。その窮状を、全国知事会でときの小泉首相に訴えたこともあった。「ポスト原発は原発」しかないのか。二〇年後の双葉町は、浜通りは、どうなってしまうのだろうか。
(『知事抹殺』p55)

この言葉は、2009年の時点で書かれたものだ。もちろん、知事は退任し、疑獄事件の法廷闘争を行っている時期なのだが…。過去から見ても、2012年という2009年時点からすると未来からみても、意味深長なものに思える。

福島では、佐藤のいうように、奥只見電源開発が行われた。地域振興が目的であったが、結局、地域振興にはならなかった。1950〜1960年代の福島県議会会議録には、知事や議員たちの、ある意味では無念の思いが多く記されている。

原発についてはどうか。佐藤栄佐久知事に対峙することになる双葉町長岩本忠夫は、1971年7月8日、福島県議会で、議員として次のような発言をしている。

次に地域開発について質問いたします。
 山と水と森、それは、すべての生物を生存させる自然の条件であります。地域開発は、まさにこの偉大な自然の中で、これを活用し人間の生命と生活が保護されるという状態で進められてことが大切であります。いままで現実に進められてきた開発行政は、一般住民の生活基盤の整備が放置されたままに大企業の立地条件をすべてバラ色に装飾された図式のもとで、至るところ企業の誘致合戦が展開されてきたのであります。人間が生きていくことに望ましい環境をつくり、それを保持することが今日最大の必須条件でありますが、現実にこれが尊重されず、企業本位の開発進行がなされてきたところに、人間の命が軽視される公害発生となったのであります。このことを確認する上に立って、特に後進地帯といわれる双葉方部にスポットをあてながら、さまざまな分野でお尋ねをするわけであります。
(『福島県議会会議録』)

佐藤栄佐久は、ここで、彼個人の見地をこえた福島の「過去」からの声に依拠して発話しているといえよう。

他方、「『ポスト原発は原発』しかないのか。二〇年後の双葉町は、浜通りは、どうなってしまうのだろうか。」という言葉は、まるで、予言のように聞こえる。いや、事態はもっとひどい。「ポスト原発は原発」ですらない。20年もたたない約2年後、双葉町は、少なくとも中期的には人の住めない地になってしまった。

『知事抹殺』『福島原発の真実』には、佐藤栄佐久の政治家としての営為が詳しく叙述されている。それから学ばなくてはならないものもたくさんある。ただ、その前に、「過去」と「未来」の間にある佐藤栄佐久自身のありようをまずみてみなくてはならないと思う。それは、私たちのありようを考えることでもある。

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