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雁屋哲の『美味しんぼ』(2014年)についての批判に巻き込まれてしまい、部分的な発言をあげつらわれてしまった福島大学の荒木田岳は、3.11の時点で福島に在住しており、3.11についてさまざまな発言をしている。それらの中で、もっとも分かりやすく、彼の意見を集約的に語っているのが「大洪水の翌日を生きる」(福島大学原発災害支援フォーラム・東京大学原発災害支援フォーラム『原発災害とアカデミズム 福島大・東大からの問いかけと行動』所収、合同出版、2013年2月)であるといえる。以下、荒木田の語る3.11後の福島の状況についてみてみよう。

まず、荒木田は、「福島第一原発の事故は、当時、多くの人々がそう感じたように、ある時代の終わりを告げる『事件』であった」と述べている(荒木田前掲書p161)。そして、彼が共感をもった人々の発言を引用している。

(3月12日の1号機の爆発音を聞きながら)…「もう、これで終わりだな」と思いました。「ここで、おれは終わりだな」と、だから、今は、その延長戦で、終わったのだけれど、まだ生きているのですよ。(元双葉村長井戸川克隆)

 万一、起こったなら、それはとりもなおさず、「この世の終わり」にほかならなかったはずのーそんな事態が、しかしほんとうに起こってしまった。危惧されたすべての可能性に数倍する絶望的な規模で、いともあっさりと。
 すなわち、いま私たちは「この世の終わり」の後を生きているのだ……(山口泉「『この世の終わり』の後の日本で偽りの希望を拒否して携えるべきもの」、『ミュージック・マガジン』2011年6月号所収、p96)

 取り返しのつかないことが起こってしまった。だからわれわれはこの寓話〔ノアの方舟を指す:筆者注〕を、とりわけ原発事故に重ねて受けとめることになる。この事故は現在も進行しており、われわれは文字どおり現実化した「大洪水」の翌日、来ることが信じられなかった「未来」の翌日を生きている…(西谷修「『大洪水』の翌日を生きる」、ジャン=ピエール・デュピュイ『ツナミの小形而上学』所収、岩波書店、2011年)
(全体は荒木田前掲書p161−162より引用)

そして、彼自身は、このように語っている。

 

こうした感覚が、どれほど共有されているかはよくわからない。つまるところ、「取り返しのつかないこと」かどうかが分水嶺になるのであるが、実際には、リカバリー可能と考えている人が大半であろう。根拠はともかく、「そうでなくては困る」からである。渦中の選手には試合終了のホイッスルが聞こえないという説明もありうるかもしれない。しかし、試合を終えたくない人々には、これほど明らかな『合図』を見過ごすことができる図太さもまた必要だというのが実のところであろう。
(荒木田前掲書p162)

 荒木田は、「相次ぐ原発建屋の爆発を目にし、『これで帰る場所、帰る職場を失った』という絶望的な事実と直面した」という(荒木田前掲書p163)。しかし、彼にとって、その数倍の絶望を与えたのは、政府の事故対応とマスコミの報道であった。政府・マスコミ・福島県などの「事故対応」について、荒木田は次のように指摘している。

 

福島の住民に救いの手がさしのべられなかったのは、政府内部では事故後ごく短時間のうちに「経済的社会的便益や行政上の都合のために住民を被曝させることもやむなし」という決定がなされたからに相違ない。そのことは、とりもなおさず福島問題が政府の手に負えなくなっていることを意味していた。つまり、当時、政府が福島(あるいはその住民)を守るどころか、実際には、福島問題から政府ないし「社会」を守るための「尻尾切り」に必死だったということである。
 ここで確認しておく必要があるのは、東京電力はもちろん、政府も福島県も、おそらくはマスコミも、原子炉がすでにメルトダウンを起こし制御不能に陥っていることや、放射性物質が放出され住民に危険が及んでいる事実を明確に把握していたことである。それは東京電力が公開したテレビ会議の様子を一見しただけでも明らかである。ようするに状況を理解した上で、自覚的に現地住民の被曝を容認したということである。
 筆者がそのことを悟ったのは、原子力安全・保安院が憔悴し動揺を隠せない担当者に代えて、薄ら笑いを浮かべながら他人事のように事態を説明する担当者を登板させたときである。それは、福島で進行中の事故について政府が当事者意識も人間性も欠如させているという事態を、何よりも雄弁に物語っていた。原発事故以前から、人間を大切にしない社会であることに問題を感じていたが、そのことが疑いようもなく明白になった瞬間であった。それは同時に、筆者が「この世の終わり」の翌日を生きている感覚をもった瞬間でもあった。
 政府やマスコミばかりではない。県内の地方自治体も、ほぼ政府の対応を追認するか、あるいはそれに先んじて現地の安全性を強調するようになっていた。
(荒木田前掲書p163−164)

このことについては、特別にまとめなくても、荒木田の文章で十分理解できよう。荒木田は福島市渡利地区に宅地を買っていたが、周知のように、この地区の放射能汚染は深刻であり、住宅建設を断念し、3.11直後は妻子とともに県外避難せざるを得なかった。手元には借金しか残らなかったという。

そして、3月後半には福島でも通常業務が再開され、避難者にも帰還が要請されるようになり、荒木田個人にも及んだ。荒木田は「そこにいれば病気とわかっている場所で暮らせというのか」と感じたが、もちろん、帰還を要請する人々はそのようなことを正面切っては言わず、「この程度の線量なら大丈夫」「全員が病気になるわけではない」という言葉で被曝強要を正当化したという(荒木田前掲書p165)。彼は、妻子を県外避難させたまま、自身は福島で仕事を続けるという生活をせざるをえず、そのことについて、「福島の職場で一緒に被曝したところで自身の社会的責任を果たしたことにはならないとは思いつつも、かといって借金と三人の扶養家族を抱えてほかの方法を見つけることもできなかった。その意味で、筆者もまた哀れむべき『弱者』の一人であった」(荒木田前掲書p175)と回想している。

他方で、福島の地域住民の意識について、荒木田は次のように指摘している。

不幸なのは、住民はこのようなときにも(このようなときだからこそ?)、公務員に普段以上の仕事を期待し、そのことが結果として「みんなで被曝」することにつながったと思われることである。そのためというわけでもないだろうが、行政は避難を要求する『地域からの意見』には耳を貸そうとしない。
(中略)
 他方で、それ(住民が被曝地である福島に留め置かれること…中嶋注)を地元から積極的に受容すべきだという動きもあった。だれしも自らが見捨てられ、あるいは軽んじられ、騙されているという事実を受け入れられないものである。苦境を『自らの選択』として積極的に意味づける機制が働くのもわからなくはない。この場合、復興・希望・決意など、明るく「前向き」なスローガンと結びつく傾向がある。しかし、汚染を受忍して現地に住み続けることは、汚染者の責任と賠償を極小化し、総じて被害見積もりを極小化することにつながる。この場合、他者にも同じ境遇を強要する傾向があるから手に負えない。その意味でも「人権問題」に相違なかった。
(荒木田前掲書p164−166)

他方で、荒木田は、行政の都合により利用されている各分野の「専門家」について、その責任を次のように指摘している。

彼らが難解な術語や数式を用いて事態を説明することは、それを解さぬ「素人」が沈黙を強いられるという効果をもたらした。というより、むしろ人々をこの問題から遠ざけることが目的だということが疑われた。そして、少なくとも、福島県内において住民の多くを萎縮させ、黙らせ、諦めさせることになった点からすれば、それは十分にその目的は達成されたといえる。そして、被曝が日常になれば、やがて考えることをやめてしまう。考えても仕方のないことだからである。
(荒木田前掲書p167)

その上で、荒木田は「しかし、そもそも放射線が細胞と遺伝子を傷つけるメカニズムを考えれば、難解な術語や数式を使うまでもなく『放射線は浴びないに越したことはない』という結論に至るほかない。とすれば、その先に『人々が無用の被曝を避けるにはどうしたらよいか』を考えるというのが自然の成り行きであろう」(荒木田前掲書p167)と主張している。

さらに、荒木田は、福島第一事故以後、作業員の被曝限度を50mSvから250mSvに引き上げ、住民の追加被曝限度を年間20mSvとし、食品暫定規制値を設けるなど、各種安全基準を緩和したことを、「政府が福島問題を『尻尾切り』しようとしてめぐらせた策」(荒木田前掲書p168)と断じている。そして、これらの緩和措置を「○×の答えがないグレーゾーンでリスクと便益を判断する」として正当化した自称「福島の応援団」である福島県放射線リスク管理アドバイザー山下俊一の発言について、「平時ではないのだから『現実的に』考えて安全基準を緩和して対応するしかないこと、住民に『共に』『重荷』を背負うべきであることが主張されている。住民が福島の地に住み続けることは、当然の前提とされており、避難することは『利己的』『過保護』だというのである」(荒木田前掲書p169)と荒木田は概括し、次のように指摘している。

 

しかし、追加被曝年間1ミリシーベルトが「不可能」ないし「非現実的」なのは、福島に住み続けるようとするからであって、それ未満の線量の場所に移住すれば実現不可能ではない。「去るのも、とどまるのも、覚悟が必要」になるのは、政策的な避難を放棄しているためである。自己決定・自己責任を強調しているように見えるが、避難の支援はしない、避難するならご自由に、という部分に強調点がある。
(荒木田前掲書p169)

さらに、荒木田は、山下の発言を「人類史に残るような大事故であったはずの事実が、個人的な感覚や感情の問題に解消」(荒木田前掲書p169)するものとしている。このような発言に加えて、「放射能を正しく理解する」という殺し文句が出てくれば、原理を正しく理解していないから感情的に怖がるのだというイメージが形成されるとしている。そして、荒木田は注で、山下のリスク管理が間違うことがあっても、彼の個人的な責任とされ、政府はどこまでいっても無謬とされるだろうとしている。

荒木田は、この戦略はとりあえず成功しているとしている。彼は、このように言っている。

福島では、一部の人によってではあれ、自発的に「住み続ける権利」が主張され、現地の安全性に疑義を挟むことは「住む者に対する冒涜」だと主張されているからである。同様に、福島の農産物の安全性に疑義を呈することも、「安全だと思って食べている人を侮辱すること」だとされるのである。現地を心配する声が、現地の人々によって諌められ、怨嗟されてきた。自称「福島の応援団」が現地に何をもたらしたかは明らかであろう。
(荒木田前掲書p169−170)

荒木田は、「そうまでして守ろうとした『社会』は、いったいどのようなものだったのであろうか」と自問し、「結論からいえば、自身の快楽や幸福のためには他人の犠牲をも厭わないということがまかり通るような社会であった。とりわけ重視されたのは経済である」(荒木田前掲書p171)と自答している。荒木田によれば、犠牲を受け入れさせることに利用されるのが、山下俊一が主張するような「リスクと便益を判断する」という観念なのだが、これは、結局、地理的にいえば、リスクは現地の人が負担し、便益は域外の、一部の人々が得るという仕組みになっているとしている。さらに、時間的にいえば、廃棄物処理を先送りし、今の快適な生活のため、目の前から問題が消えればそれでいいとする考え方なのだと荒木田は主張している。

荒木田は、「原発事故問題は、原発事故の問題ではない。問われているのは、現在の生活様式であり、生き方そのものである」とし、他人に迷惑をかけても、問題を後世に先送りしても「今ここでの快適な生活」に固執する人々が、その生活を守るために、消極的には思考停止し、積極的にはそれを容認する政党を支持するのだろうと述べている(荒木田前掲書p173)。さらに、荒木田は、問題が大きすぎると直視できなくなるとし、人の手に余るような破滅的な事故・災害は想定外とされ、手に負えない事故は、隠蔽・矮小化され、考慮の枠外にされ、思考停止し、忘却されようとされるのだろうと述べ、「こうして、序曲の幕開け時点においてすでに忘却が政治上の論点になっている。その点に、この世の不幸がある」(荒木田前掲書p174)と言っている。

このような状況に対抗して、荒木田は次のような宣言を発している。

 

しかし、最初の問題に戻っていえば、原発事故が発した「警告」は、時間的・地理的双方の意味で「見えない場所に矛盾を追いやり、今ここでの快適な生活を続けること」が、もはや不可能だということを示す合図だったのではないか…福島第一原発事故は終わらないし、終わりようがないのである。矛盾を押し込むことができる「外部」など、時間的にも空間的にも、もはや存在しないことが明らかになったのである。その規模や汚染の範囲を考えると気が遠くなるし、逃げ出すべき「安全な場所」などどこにも存在しない。それが残念ながら現実である。
 我が亡き後に洪水は来たれーしかし、その洪水は昨日起こってしまっている。結局、脱皮の失敗が命取りになるのは、「大地のライオン」にとっても人間社会にとっても同じかもしれない。
(荒木田前掲書p174)

荒木田は、彼の住んでいる福島の現状を、彼の言う「被曝者」の視点で、赤裸々に描いている。福島の原発建設自体が、彼のいうリスクを現地におしつけ、放射性廃棄物の処理を後世におしつけ、その便益を現在の「快適な生活」を維持し続けようとする一部の人々に与えるものであり、それは、福島の人々に放射線被曝をさせつづけることにつながっている。そのために、「専門家」を使嗾しながら、福島の人々に「放射線」への不安意識を払拭させ、福島に住み続けることを「当然」として意識させようとしている。この戦略は、とりあえず、荒木田は成功しているとしている。そして、2014年に「美味しんぼ」批判に荒木田は巻き込まれたのだが、「現地を心配する声が、現地の人々によって諌められ、怨嗟されてきた」という論理が、皮肉なことに、彼への批判に使われたのであった。短期的には、「現在の快適な生活」に固執する人々は、彼らのいう「福島の正常化」(放射能つきの)に成功しつつあるようにみえる。事実が隠蔽・矮小化され、思考停止され、忘却されていっているのである。そして、福島第一原発にせよ、福島県の放射能対策にせよ、原発再稼働にせよ、「我が亡き後に洪水は来たれ」を、そのまま実行しているように見えるのである。

しかし、荒木田のいうように、福島第一原発事故は「取り返し」のつかないものであった。それは、福島だけのことではない。長期的にいえば、矛盾を押し込むことができる外部は、荒木田のいうように、時間的にも空間的にも存在しない。逃げ出すべき「安全な場所」など、どこにもないのだ。それは、最近開通した常磐道をみていればわかることである。

荒木田が引用している「『この世の終わり』の後」(山口泉)、「『大洪水』の翌日、来ることが信じられなかった『未来』の翌日」(西谷修)という感想は、福島にはいなかった3.11直後の私にも感じられた。そして、2015年の今、福島県民の被曝を前提として、その枠組みの中からでしか未来を展望させない「復興事業」のありかたをみていると、それが「善意」からでているとしても、ある程度県民の生活状況を改善することができたとしても、私には全体として「転倒」したものにみえてしまうのである。まさしく、この世の終わりの後、大洪水の翌日に私たちは生きているのである。

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さて、福島第一原発事故で全村避難した飯舘村は、「子育て世帯」限定の災害公営住宅「飯野団地」を福島市の南西部に位置する福島市飯野町に建設した。その竣工式が8月31日にあった。その景況を、まず、福島民報のネット配信記事でみてみよう。

飯舘村の災害公営住宅が完成 原発事故の避難者に初

 東京電力福島第一原発事故の影響で全村避難した飯舘村は31日、村営の災害公営住宅「飯野団地」の竣工(しゅんこう)式を福島市飯野町の現地で行った。原発事故の避難者を対象にした災害公営住宅が完成したのは初めて。1日から入居を開始する。
 村の担当職員と村民ら合わせて約40人が出席した。菅野典雄村長があいさつで「今後も前を向いて復興を進めたい」と意欲を語った。根本匠復興相(衆院本県2区)が「復興の加速化に努める」と祝辞を述べた。
 菅野村長と根本復興相らがテープカットした。菅野村長は家族4人と引っ越す佐藤隆一さん(39)に鍵を引き渡した。佐藤さんは村の仮設小中学校に通っている子ども3人を育てている。妻明美さん(38)と木造2階建ての新たな住宅を眺め、「借り上げ住宅より広そう。暮らすのが楽しみ」と期待していた。
 村は総事業費約9億3000万円を投じ、子育て世帯対象の災害公営住宅23戸を建築した。住民は収入に応じて1~8万円ほどの家賃を支払うが、東電が賠償する。7戸が空いており、村が入居希望者を募っている。

( 2014/09/01 09:11 カテゴリー:主要 )http://www.minpo.jp/news/detail/2014090117805

報道全体は、非常に「前を向いて復興を進めたい」という趣旨に見える。夫婦と子ども3人で入居する人などは「借り上げ住宅より広そう。暮らすのが楽しみ」といっている。家賃は「東電が賠償する」ことになっている。全額かどうかはわからないが、かなり有利な条件である。

それでも、23戸のうち、7戸が空いているのである。それは、なぜだろうか。福島民友は、6月14日に、次の記事をネット配信している。この記事の中で、飯舘村は、希望者が少ない原因を「引っ越しなどの環境変化による子どもたちのリスクや賠償問題、除染の先行きが不透明なことなどで悩んでいるのではないか」と述べている。

福島民友

入居希望は7割止まり 福島の飯舘村復興公営住宅

飯舘村が福島市飯野町に23戸を建設中の復興公営住宅に、入居を希望している村民は16世帯と約7割にとどまっていることが13日、分かった。復興公営住宅は8月に完成し、9月の入居開始を見込んでいる。

入居希望者の募集は5月末で締め切った。希望者が7割にとどまった理由について村は「引っ越しなどの環境変化による子どもたちのリスクや賠償問題、除染の先行きが不透明なことなどで悩んでいるのではないか」と分析している。

村は現在、仮設校舎を川俣町に小学校、福島市飯野町に中学校を設置。避難している子育て世代は、福島市の借り上げ住宅に住んでいる家族が多いことから、村は通学など利便の高い福島市飯野町に復興公営住宅の建設を計画した。

飯舘村が福島市飯野町に造る復興公営住宅は、原発避難住民が入居する最初のケースとなる見通し。県が建設する4890戸の復興公営住宅のうち、飯舘村民に限定した福島市の復興公営住宅でも募集定員を下回るケースが目立っている。

minyu_main

(2014年6月14日福島民友ニュース)
http://www.minyu-net.com/news/news/0614/news10.html
(福島民友が上記記事のネット配信をやめたため、http://blog.livedoor.jp/home_make-toaru/archives/7726902.htmlより転載。

さて、この中で「除染」をあげていることに注目しておきたい。飯舘村が仮役場や仮中学を置いている福島市飯野地区は、3.11直後では、福島市内でも高線量地域のホットスポットとして知られていたのである。福島民報が2011年6月25日にネット配信した記事をみてみよう。

福島民報

「ホットスポット」点在 福島市一斉線量測定 3マイクロシーベルト以上15地点 住民、除染求める

 福島県福島市は24日、全市1118地点の一斉放射線量測定結果を発表した。渡利地区の市営住宅1号棟・2号棟間公園で毎時3.83マイクロシーベルトだったのをはじめ飯野地区などの計15カ所で、政府が避難の目安とする年間積算線量20ミリシーベルトに達する恐れのある毎時3.0マイクロシーベルト以上となった。市は高い線量の地点を立ち入り禁止とした。局地的に放射線量が高い「ホットスポット」が明らかになり、付近の住民は1日も早い除染を求めた。
 市の調査は17、20日に町内会から要望があった場所で実施。地上1メートルの測定結果は毎時3.0マイクロシーベルト以上が15地点、2.0マイクロシーベルト以上3.0マイクロシーベルト未満が167地点、1.0マイクロシーベルト以上2.0マイクロシーベルト未満が629地点、1.0マイクロシーベルト未満は307地点だった。
 県が学校、公園の放射線量の再調査基準にしている毎時3.4マイクロシーベルト以上を計測した6地点には住宅地も含まれる。渡利地区は平ケ森の市営住宅間の公園が毎時3.83マイクロシーベルトとなったほか、大豆塚のゴミ集積所が毎時3.56マイクロシーベルト、三本木のゴミ集積所が毎時3.52マイクロシーベルトを記録した。
 市内飯野町の飯野地区体育館脇の側溝上では市内で最も高い毎時6.65マイクロシーベルトを記録した。飯野地区体育館は敷地内の別の測定地点が毎時1.2マイクロシーベルトだったことから、市は側溝上で測定したため数字が上がったとしている。市は24日までに側溝の周囲を立ち入り禁止としている。
 市は6地点について数日間調査を継続し、文部科学省の暫定基準値である毎時3.8マイクロシーベルト以上が続く場合は県に詳細なモニタリング調査を要請する。今回の結果を分かりやすく市民に広報するため線量マップの作成も急ぐ。
 毎時3.0マイクロシーベルト以上の地点は渡利地区が6地点(調査60地点)だった。大波地区は2地点(同22地点)、小倉寺地区は2地点(同6地点)、飯野地区は2地点(同127地点)、腰浜町が1地点(同7地点)、南向台が1地点(同5地点)、山口が1地点(同15地点)で上回った。飯野地区の2地点は同一の場所だった。
 市は測定結果に基づき対応を急ぐ。結果が報告された24日の市災害対策本部会議では、高い線量を計測した地域から通学路の放射線量を下げるため除染計画を策定することを決めた。今後、高圧洗浄機を利用した除染に向け準備を進める。
 鴫原和彦市環境課長は「今回の数値は簡易放射線測定器を使っているため、一割ほど高い数値が出る傾向にある」としている。
 市は地上1メートルの市内全ての測定結果を24日からホームページに掲載している。町内会の回覧板でも広報する。各地点の地上50センチ、1センチの結果については30日にホームページに掲載する方針。

■「やっぱり高かった」渡利地区住民
 「やっぱり高かったのか」。福島市渡利字平ケ森の市営住宅に住む主婦菅野博江さん(44)は、毎時3.83マイクロシーベルトの放射線量が測定された団地内の公園を不安そうに見つめた。
 菅野さんは近隣の渡利小に通う4人の子どもがいる。原発事故直後から子どもに外遊びを禁止してきたが、ストレスが心配で、今回の調査対象となった市営住宅の団地の公園で2カ月程度の間、遊ばせていたことがあったという。「もう絶対に公園内に子どもを入らせない。学校のように表土除去をしてほしい」と切実に訴えた。
 「家にいるとつまんない。でも外で遊ぶのも心配」。長女の夏純さん(10)は思わずうつむいた。
 24日夜になって市は公園に立ち入り禁止のバリケードを設置した。渡利平ケ森町内会長の小松富士夫さん(75)は「避難を求められたとしても、住み慣れた土地を今更離れられない」と表情を暗くした。

■腰浜緑地など3以上3.4マイクロシーベルト未満
 市の調査で毎時3.0マイクロシーベルト以上3.4マイクロシーベルト未満が測定された場所は次の通り。
 腰浜緑地(腰浜町)渡利山際集会所(渡利字平ケ森)公務員アパート1号棟・2号棟間公園(同)公務員アパート2号棟前(同)前野グラウンド(小倉寺字前野)3号公園(南向台三丁目)字五本松地内市道(山口字五本松)水雲神社境内(大波字上屋敷)
(2011/06/25 10:59カテゴリー:福島第一原発事故)http://www.minpo.jp/pub/topics/jishin2011/2011/06/post_1437.html

2011年の際、福島市渡利地区には毎時3.83μSvが記録される地点があり、その他にも年間積算線量で20mSvをこえる毎時3μSvをこえる地点が数か所所在し、全国的にも福島市におけるホットスポットとして知られるようになった。飯野地区では、渡利地区よりもはるかに高い毎時6.65μSvが記録され、その他にも毎時3μSvをこえる線量が記録されていたのである。あまり注目されてこなかったが、ここも福島市内におけるホットスポットであったといえるだろう。

2011年4月の航空機モニタリング測定による空間線量率マップでは、飯野地区を含む福島市南東部の放射線量は、ホットスポットは別にしても、毎時1−1.9μSvとされている。伊達市近傍やもちろん飯舘村本体ほどではないにせよ、線量は高かったのである。

80km圏内における線量測定マップ(2011年4月)

80km圏内における線量測定マップ(2011年4月)


http://radioactivity.nsr.go.jp/ja/contents/4000/3710/24/1305820_20110506.pdf

現在のところ、原子力規制委員会の放射線モニタリング情報によると、福島市飯野支所(飯舘村仮役場がある)で毎時0.162μSv(2014年9月2日)となっている。福島市立飯野中学校で毎時0.261μSvと多少高いが、その他の小中学校などの公共機関はおおむね飯野支所程度の線量である。しかし、これは集中的に除染した結果とみるべきだろう。2013年11月の空間線量率マップでは、この地域の線量はおおむね毎時0.5-1.0μSvとされている。やっと半減したにすぎない。やはり、年間1mSvはこえざるをえないのである。山林などを面的に除染することは困難であり、相対的にはやはり高線量地域ということになるだろう。

80km圏内における空間線量率マップ(2013年11月)

80km圏内における空間線量率マップ(2013年11月)


http://radioactivity.nsr.go.jp/ja/contents/9000/8909/24/362_20140307.pdf

こうやってみると、飯舘村の災害公営団地「飯野町団地」が、好条件にもかかわらず、空き家が出る理由がおぼろげながらもわかるだろう。3.11直後はホットスポットであり、確かに公共機関などの除染は進められたものの、面的には除染は難しく、まだ線量は半減という状態であり、そういうところで、わざわざ「子育て」を希望する人びとはそれほど多くなかったということである。

国・福島県・飯舘村は、年間20mSvという基準で、避難住民の「帰還」を促進しようとしている。この公営住宅の建設は、そのさきがけであろう。わざわざ、根本復興相が出席しているのは、その目的のためと見られる。公営住宅に住むということは、単に個人の生活というだけではなく、「公的な責務」となっている。そこに、善意がないとはいえない。「郷里のため」という善意は、軽くみることはできない。「飯舘村復興のため」ならば、「子育て」中の家族からもどってほしいと思うのも自然である。

しかし、考えてみよう。日本は「お国のため」といって戦争を遂行し、浜通りの各町は「町の発展のため」として原発を受け入れた。その結果は、かくの通りである。一人一人の「生」を安全で充実したものになることが「〇〇のため」になるのではないか。飯舘村が「村の復興」をスローガンにした。そこには「善意」ももちろんあるだろう。しかし、それが村民一人一人の「生」を安全で充実なものにさせるとは限らない。飯舘村公営住宅に「入居」しない人びとがいるということは、そういう思惟が存在するようになったことを示しているように思われるのである。

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さて、また、大雪の話を続けよう。2月14〜15日の「記録的な大雪」により、東日本の広い範囲で東名高速道路他大動脈である各地の道路において多くの車両が立ち往生した。これらの車両のドライバーに対して、沿線住民が支援したことが伝えられている。まず、長野県軽井沢町の国道18号の状況を伝えている毎日新聞のネット配信記事をみてみよう。

<大雪>安否確認なく不安 陸自作業開始 軽井沢・立ち往生
毎日新聞 2月16日(日)11時28分配信

 立ち往生した車の中に多くのドライバーが閉じ込められた長野県軽井沢町の国道18号とその周辺道路では、県の災害派遣要請に基づき陸上自衛隊が出動し、復旧・救出作業にあたった。

【山梨では道路が寸断】

 国道18号を群馬県に向け大型トラックを運転していた茨城県古河市の運転手、落合哲也さん(26)は15日午前3時ごろ、軽井沢町追分の県道・浅間サンラインとの合流付近から渋滞に巻き込まれ、立ち往生。16日朝も動けない状況が続いている。周囲には少なくとも50台程度のトラックや乗用車が止まっているのが確認できたという。「雪が積もりすぎて、トラックが移動できない状況」と話す。

 軽井沢町は16日の最低気温が氷点下3・6度と冷え込んでいるが、ガソリンが残り少なくなっている車も多く、「エンジンを切って車内でしのいでいる人もいる」という。同日午前には体調を崩した人が出て、救急車も到着した。落合さんは「親子で乗用車に乗っている人もいる。このままの状況が続くのは相当厳しいのではないか」と話す。

 近隣住民からカレーなどの食料やカイロが配られたが、町など行政機関が安否確認などには来ていないという。落合さんは「住民の温かさを感じた」とする一方「警察なども一度も安否確認に来ない。情報もないし不安が広がっている」と訴えた。

 一方、陸上自衛隊第13普通科連隊(駐屯地・松本市高宮西)は16日、県知事からの災害派遣要請を受け、軽井沢町で発生した立ち往生車両の救出作業を始めた。

 同連隊によると、車両20両に隊員120人が分乗し、同日午前1時過ぎに先遣隊が駐屯地を出発。午前5時過ぎ、国道18号に接続する浅間サンラインの現場に到着した。

 現場は、大型車両2台が雪により動けなくなり道路をふさいだことから、大型トラックや乗用車など約50台が動けなくなっている。県の除雪車両を中心に出口をふさいでいる大型車両の撤去作業や、立ち往生している車両への飲料水や乾パンなどの配給などを行っている。【小田中大、高橋龍介】
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140216-00000016-mai-soci

このように、まず、近隣住民が、自主的に食料などを配ったという。そして、その後、大型車両の撤去作業や、食料・水などの配給が行われるようになったといえるのである。

そして、軽井沢町の住民は公民館を避難場所に開放し、そこに避難するドライバーたちもいた。軽井沢町の住民たちは、彼らに炊き出しをし、さらに、車に残っている住民たちに非常食を届けた。地域自体も雪のため孤立した住民がいたにもかかわらずである。他方、ドライバーたちは、単に避難のためだけではなく、ガソリンを確保するためにも一時車を離れることもあった。スポニチが18日に配信した記事は、その状況を描き出している。

立ち往生ドライバーらに炊き出し 軽井沢町公民館に60人避難
 
長野・群馬県境の国道18号が通行止めとなっている影響で、長野県軽井沢町の追分公民館には17日午前も、立ち往生した車の運転者やバスの乗客ら約60人が避難。公民館は15日から開放され、地区の住民が備蓄用の米で炊き出しをしたり、止まった車まで歩いて非常食を届けたりして、支援に当たった。

 荻原里一区長(69)は「一度にこんなに雪が降ったのは初めて。孤立している住民もおり、物凄い状況になっている」と話した。

 国道18号沿いのガソリンスタンドには立ち往生したトラックの運転手らが、ポリタンクを持って歩いて燃料を買い求めた。男性従業員(21)によると、1時間以上歩いて来た人も。立ち往生した車の運転手からの燃料配達依頼も多いが、雪で出勤できない従業員がいて手が足りず、依頼は全て断っているという。
[ 2014年2月18日 05:30 ]
http://www.sponichi.co.jp/society/news/2014/02/18/kiji/K20140218007612320.html

この避難所設置については、軽井沢町役場の関与があったようである。産經新聞が2月17日にネット配信した記事で、次のように語られている。

軽井沢町役場では15日に近くの公民館など計6カ所に避難所を開設。地元住民の協力を得て、おにぎりや豚汁などを提供した。町職員は「ここまでの大雪は初めてで、これほど大規模な避難所運営も初めて」。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/140217/dst14021720470027-n2.htm

冒頭の毎日新聞の記事では、町など行政機関は関与していないように語られている。これらの避難所は、町が運営したというよりも、地域住民が主体となって運営したのであろう。軽井沢町のサイトでは、2月20日付で「軽井沢バイパスで立ち往生している方々に対応するための避難所開設にご協力をいただきました区・日赤奉仕団等多くの皆様に、心より感謝申し上げます」と謝意が述べられている。日赤奉仕団も、たぶん、ここの地域組織なのであろう。もちろん、他の地域ではどうかはわからない。自治体が避難所運営の中心だったところもあろう。

なお、群馬県側の安中市では、安中市役所が避難所を中心的に運営していたようである。NHKが2月17日に配信した次の記事をみてほしい。

国道18号線車立往生で避難所
2月17日 20時27分

群馬県安中市の国道18号線では記録的な積雪の影響で多くの車が立ち往生し、地元の安中市は避難所を開設し、対応に当たっています。

国土交通省などによりますと、安中市と長野県軽井沢町を結ぶ国道18号線の碓氷バイパスでは、記録的な積雪の影響で、今月14日の深夜から最大でおよそ270台が車が立ち往生しました。
このため、ドライバーなどは車内で過ごすことを余儀なくされ、安中市では閉校になった中学校や公民館など市内の公共施設6か所を避難所として開設し、食料や水を提供して対応に当たっています。
このうち「旧松井田西中学校」では、16日夜から32人が避難し、市の職員などがおにぎりや卵焼きなどの食料を提供していますが、ドライバーたちは疲れた表情を浮かべて校舎で休息をとっていました。
長野県に向かっていたトラックの運転手の男性は「14日から雪で立往生しているので、商品として積んでいる野沢菜が心配です」と話していました。
現場付近は群馬県方面に向かう上り車線は正午には通行できるようになりましたが、長野県方面の下り車線は除雪が終わらず、国土交通省によりますと、17日午後5時現在で30台余りの車が残っているということです。
国土交通省では、引き続き、除雪を急ぐことにしています。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140217/k10015312071000.html

このように、大雪で通行できなくなった道路は、関東・甲信に限られるわけではない。東北地方でも、通常あまり雪が降らない地域でも大雪となり、立ち往生した車両が続出した。次の河北新報が2月20日にネット配信した記事をみてほしい。

大雪で車立ち往生 避難の飯舘村民、仮設から命のおにぎり

ドライバーたちにおにぎりの炊き出しをした福島県飯舘村の仮設住民ら=19日午後、福島市
 大雪で多くの車が立ち往生した福島市の国道4号で16日、沿道の仮設住宅に暮らす福島県飯舘村民がおにぎりを炊き出し、飲まず食わずのドライバーたちに次々と差し入れた。持病のため運転席で意識を失いかけていた男性は19日、取材に「命を救われた思いだった」と証言。東京電力福島第1原発事故に伴う避難が続く村の人たちは「国内外から支援を受けた恩返しです」と振り返った。

 福島県三春町のトラック運転手増子徳隆さん(51)は15日、配送を終え、郡山市の会社に戻る途中だった。激しい雪で国道は渋滞。福島市松川町で全く動かなくなった。
 16日昼ごろ、糖尿病の影響で頭がぼーっとしていた。窓をノックする音で気が付くと「おにぎり食べて」と差し出された。
 国道を見下ろす高台にある飯舘村の仮設住宅の人たちだった。前日から同じ車がずらりと止まり続けているのに女性たちが気付き、炊き出しを提案。富山県高岡市の寺から仮設に届いていたコシヒカリを集会所で炊き、のりと梅干しを持ち寄って20人ほどで約300個握った。
 炊きたてが冷めないようにと発泡スチロールの箱に入れ、1メートル近い積雪の中、1人1個ずつ渡して回った。
 増子さんは「温かくて、おいしくて、一生忘れない。仮設で厳しい暮らしだろうに、こうして人助けをしてくれて頭が下がる」と感謝した。
 増子さんの話を伝え聞いた仮設住宅の婦人会長佐藤美喜子さん(62)は「震災からこれまで、数え切れないほど多くの人に助けられてきた。またあしたから頑張ろうと、私たちも励みになりました」と話している。
 飯舘村は福島第1原発から北西に約40キロ。放射線量が高い地域が多く、村民約6600人のほとんどが村の外で避難生活を続けている。

2014年02月20日木曜日
http://www.kahoku.co.jp/news/2014/02/20140220t63014.htm

この場合は、福島市の国道4号であるが、立ち往生を余儀なくされた車両のドライバーに対して、飯館村からその地に避難している人びとが支援したのである。

レベッカ・ソルニットの『災害ユートピア』では、大災害に遭遇した場合、通常は個々の生存を最優先して我勝ちのパニックになると想定されているが、そうではなく、むしろ、災害に直面した人たちが、それまでの社会関係の有無に関わりなく、お互いの生存を保障するため連帯していったことを描き出している。マスコミで報道されたことは上っ面にすぎず、実際にはさまざまな苦難や葛藤があったのだろと思うが、自治体を含めた近隣住民において、立ち往生した車両のドライバーたちを助けようとする「共同性」が立ち上がったということができる。

こういうことは、もちろん、東日本大震災を含めた過去の大災害において無数にあったに違いない。もちろん、このような共同性において、葛藤や矛盾が全くなかったとは思えない。しかし、平時の、国家や資本の管理が災害において断ち切られた時、そこにまず生じてくるのは、それまでの社会関係の有無とは関係ない人びとの共同性であり、それが彼ら自身の生存を保障していたのである。

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最近の福島県内の首長選で、現職が落選することが目立っている。まず、9月10日にネット配信された河北新報の次の記事をみてほしい。

進まぬ復興、現職に逆風 いわき市長選も新人当選

 8日のいわき市長選で現職の渡辺敬夫氏(67)が新人の清水敏男氏(50)に敗れ、再選を阻まれた。4月の郡山市長選でも新人が当選し、福島県の主な市長選で現職の敗戦が続く。福島第1原発事故からの復興が進まない停滞感が現職批判につながったとみられ、11月に福島市長選を控える現職の瀬戸孝則氏(66)は現職落選の連鎖に危機感を強めている。

<敗因明かさず>
 8日夜、いわき市の渡辺氏の事務所。テレビの開票速報で落選が伝えられ、重苦しい雰囲気に包まれた。渡辺氏は「敗軍の将は多くを語らない」と敗因を明かさなかった。
 得票は約4万8000で、約7200票の差をつけられた。初当選した2009年の前回よりも3万4000票減らしている。組織力を誇ったが、新人の各陣営から原発事故対応で批判の集中砲火を浴びて沈んだ。
 矢吹貢一選対本部長は「復興遅れや避難者の受け入れで市民がギスギスした雰囲気になり、おおらかな市民性が失われた。国や東京電力へのやり場のない憤りが現職に向かった」と分析する。

<流言が痛手に>
 事故直後、インターネットで「市長が(県外へ)逃げた」と流言が広がり、痛手を受けた。「事実無根」と説明しても打ち消すのは容易でなかったという。陣営幹部は「批判票をつかもうと思ったら簡単だ」と新人陣営の戦術を皮肉る。
 自宅を津波で流された同市の自営業女性(64)は新人に投票した。「2年半たっても何も進まない。市長のアピールが弱く、取り残されている」と語る。
 郡山市長選では3選を目指した現職の原正夫氏(69)が苦杯をなめた。自民、公明両党の推薦を受けて組織戦で臨み、校庭表土除去の除染にいち早く取り組んだ実績を強調したが、現職批判の逆風をはね返せなかった。渡辺氏と同様、「事故直後に逃げた」というデマにも苦しめられた。
 選対本部長だった渡辺隆弘氏(75)は「復興の停滞に対する市民のじれったい思いが全部現職にぶつけられた。県内首長選では現職の苦戦が続くだろう」と話す。
 避難自治体でも7月の富岡町長選で現職が新人に敗れている。

<手をこまねく>
 福島市の瀬戸市長は焦りを隠さない。市長選で4選を目指す。ほかに1新人が立候補を表明している。
 瀬戸氏は「リーダーが変われば閉塞(へいそく)感が解消されるのではという空気がある。実績を訴えるだけでは厳しく、放射能対策や子育て支援など具体的な政策を訴えて支持を拡大するしかない」と強調する。
 瀬戸氏を支持する市議会会派「真政会」の黒沢仁幹事長は「いわき市長選は市民の憂さ晴らしのようなもの。どのように戦えばいいのか、まだ道筋が見えない」と現職批判のうねりに手をこまねいている。
http://jyoho.kahoku.co.jp/member/backnum/news/2013/09/20130910t61011.htm

この記事が示すように、4月の郡山市長選、7月の富岡町長選、9月のいわき市長選と、相次いで現職の首長が敗退している。特に、郡山市長選では、現職が自公両党の推薦を得ていた。それでも敗退したのである。

河北新報では、現職敗退の要因をまず「復興の遅れ」に求めている。もちろん、それもあるだろう。ただ、それに加えて、郡山・いわき両市長選では、3.11直後市長が県外に逃げたというデマが流れたこともあげている。デマはデマなのだろうが、その背景には、震災直後の行政対応への不信があるといえよう。

そして、11月17日の福島市長選では、現職の福島市長が敗退した。19日付の河北新報のネット配信記事をみてほしい。

福島市長選・現職落選 原子力災害への不満集中

 福島市長選(17日投開票)で、現職瀬戸孝則氏(66)が新人の小林香氏(54)に大差で敗れた。福島県の主要市長選では4月の郡山、9月のいわきに続く現職3連敗。福島第1原発事故の復興遅れに対する批判の集中砲火を浴び、現職退場が連鎖する。来年11月には佐藤雄平知事(65)が任期満了となる。佐藤氏は3選を目指すかどうか明らかにしていないが、「連鎖の最終章は知事選か」という声も出ている。

<徹底した組織戦>
 テレビの当選確実速報は午後6時の投票終了時刻と同時に出た。あっけない幕切れに瀬戸氏の事務所は一瞬にして重苦しい空気に包まれ、瀬戸氏は「全ては私の人としての至らなさ」と言葉少なに敗戦の弁を語った。
 瀬戸氏は現職の落選続きに危機感を抱き、自民、公明、社民3党の推薦を受け、徹底した組織戦を展開。それでも、負の連鎖のうねりにひとたまりもなく、小林氏に2倍超の差をつけられた。
 郡山市長選で敗れた原正夫前市長(69)は「原発災害は前例がなく、除染が遅いと批判されても何との比較か分からない。瀬戸市長も懸命に頑張ったのに」と同情する。

<被災なお進行中>
 東日本大震災の被災3県のうち岩手、宮城両県の首長選は「復興加速」を掲げた現職の当選が相次ぐ。宮城では8月に奥山恵美子仙台市長が再選され、10月には村井嘉浩知事が3選された。いずれも圧勝だった。
 福島は3県で唯一、原子力災害を受けた。避難指示の未解除など被災は今も進行中だ。「まだ底を打っていない」という不満が事故対応に当たった現職に集中し、特有の選挙結果につながった。
 東北大大学院の河村和徳准教授(政治学)は「国策に翻弄(ほんろう)された面は否めないが、地方自治の原点の『民の声』を聞いてきただろうか」と現職の市政運営の不備が響いたとみる。

<自民から主戦論>
 首長選で「現職不利」の流れが強まる中、佐藤知事の任期は満了まで1年を切った。知事は18日の記者会見で、来年秋に想定される知事選に対しては明言を避けた。現職落選続きに関しても「目の前のことをしっかりやっていく」とかわした。
 佐藤氏が初当選した2006年知事選で対立候補を立てた自民党県連。杉山純一幹事長は「現職支持、独自候補擁立の両面で検討する」と言うが、県連内では主戦論が高まる。知事周辺は「自民党は必ず擁立する」と警戒心を隠さない。
 知事与党を自任する民主党県連の亀岡義尚幹事長は「県民の信頼を得るべく、復興加速に突き進むだけ」と語る。同党県議の一人は福島市長選の結果に「知事選が1年後で良かった。今なら負けていた」と身をすくめた。

2013年11月19日火曜日http://jyoho.kahoku.co.jp/member/backnum/news/2013/11/20131119t61011.htm

この記事によると、現職市長は、自民、公明、社民の推薦を取り付けた。それでも新人候補に2倍を超える差をつけられて落選したという。同じ被災県でも、岩手・宮城県の首長選では「復興加速」をかかげた現職が相次いで当選しているそうで、福島県特有の傾向ということである。「復興の遅れ」が主因と分析されているが、その遅れ自体が、まさに原子力災害によるものであり、つきつめていえば、原子力災害への対応を批判されたといえるだろう。

そして、11月24日の二本松市長選、広野町長選でも現職が落選した。毎日新聞の次のネット配信記事をみてほしい。

選挙:福島・二本松市長選/福島・広野町長選 また現職落選
毎日新聞 2013年11月25日 大阪朝刊

 福島県で24日、任期満了に伴う二本松市長選と広野町長選が投開票され、いずれも現職が新人に敗れた。同県では今年度、東京電力福島第1原発事故後の対応を巡り、17日の福島市長選のほか、郡山市、いわき市、富岡町で現職首長が落選している。

 二本松市長選は、無所属新人で前市議の新野(しんの)洋氏(62)が、3選を目指した無所属現職の三保(みほ)恵一氏(64)を破り初当選した。投票率は64・72%。

 同市は国の資金で自治体が除染する「汚染状況重点調査地域」に指定されているが、除染達成率は44%(10月末現在)にとどまる。

 一方、広野町長選は無所属新人で前町議の遠藤智氏(52)が3選を目指した無所属現職の山田基星(もとほし)氏(65)を破り初当選。同町は原発事故で緊急時避難準備区域に指定され、解除後の2012年3月に役場機能をいわき市から戻したが、町民5235人のうち帰還したのは1191人(22日現在)だけ。【高橋隆輔、中尾卓英、喜浦遊】

 二本松市長選の確定得票数次の通り。

当 15632 新野洋<1> 無新

  14930 三保恵一(2) 無現
http://senkyo.mainichi.jp/news/20131125ddn002010052000c.html

23日に私は広野町を通った。その際、選挙事務所が設置されたのをみた。その際、多少は戻りつつあるのかと思ったのだが…。まだ2割程度しか戻っていないということである。どちらにせよ、「復興の遅れ」を指摘されてもしかたのないことである。

前述したように、岩手・宮城両県と比較して、福島県における復興の遅れがみられる最大の要因は、原子力災害問題である。福島第一原発事故によって放出された放射性物質は、内陸部の中通りなどにもとどき、3.11による地震・津波被害が相対的に軽かった地域にも及んだ。これらの地域においても、まず除染が必要とされたが、除染作業自体が遅れているとともに、その効果も限定的なものである。さらに、海岸部の浜通りでは、地震・津波によって大きく打撃を受けた上に、福島第一原発事故によって放出された放射性物質がより多く蓄積された。現在でも立ち入り、居住が制限された地域が設定されているとともに、除染の必要性もより大きい。しかも、海岸部における津波災害からの復興も、原子力災害があったがゆえに遅れざるをえなくなっているのである。

つきつめてしまえば、原子力災害というものが、地方行政への不信を招き、その責任者である現職首長たちの苦戦につながっていっているのである。それが、福島県の現状といえよう。

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前回のブログで、東京圏においては、環境省の除染基準にのっとり、おおむね年間1mSv、1時間0.23μSvの放射線量程度が除染基準になっていることを述べた。

福島県では、その数倍が暫定的な除染基準になっていることがある。まず、福島市の除染基準をみておこう。2012年5月に出された『福島市ふるさと除染計画』第2版では、次のように規定されている。

(4) 目 標
① 平成 23 年 10 月からの 2 年間で、市民の日常生活環境における空間線量率を市内全域で 1μSv/時以下にすることを目指します。
② 現在空間線量率が 1μSv/時以下の地域においては、平成 23 年 10 月からの 2年間で、現在の空間線量率を 60%7低減させることを目指します。
③ 将来的には、推定年間追加被ばく線量を、法の基本方針に基づき、年間 1mSv(0.23μSv/時)以下にすることを目標とします。

(5) 除染実施区域
除染は、空間線量率が 0.23μSv/時(1mSv/年)以上の地域を対象に実施します。具体的には、文部科学省の航空機モニタリング結果や市の全市一斉放射線量測定結果に基づき、3「優先度の考え方」に示した地域とします。
また、除染の実施に当たっては、実施前に空間線量率を測定しますが、0.23μSv/時を下回っている施設等でも、たとえば、側溝や雤どい下等の局所的に 0.23μSv/時を上回っている箇所については、除染を実施します。
また、除染作業にあたっては、0.99μSv/時(約 5mSv/年)以上の地域は面的に除染し、それ以下の地域は、空間線量率の程度に応じ必要な措置を選択し除染します。
http://www.city.fukushima.fukushima.jp/uploaded/attachment/10812.pdf

福島市の場合、将来的には、「0.23μSv/時(1mSv/年)」にすることをめざすとしながら、現状では1時間あたり1μSvにすることにしている。結局、現状では、東京圏の約4〜5倍の放射線量が許容されているといえよう。

郡山市ではどうであろうか。「郡山市ふるさと再生除染実施計画」(第2版 2012年2月)では、市内全域の追加被ばく線量を年間1ミリシーベルト(高さ1メートル)において毎時0.23マイクロシーベルト)未満とすることを目指します。」とされている。しかし、「追加被ばく線量が年間5ミリシーベルト(毎時 0.99μSv)を超える区域 」が「住宅(家屋・庭)、道路、側溝、公共施設等の面的な除染を進めます。 」とされ、追加被ばく線量が年間1ミリシーベルト(毎時 0.23μSv)以上で年間5ミリシーベルト(毎時0.99μSv)以下の区域 」は住宅の雨どいや道路、側溝等の局所的に高線量を示す箇所の除染を進めます。」とされている。結局、面的な除染活動を実施するのは、1時間あたり約1μSv以上の地域なのである。

以前、本ブログで「市民に不必要な被曝をさせる郡山市の除染マニュアル」として市民ボランティアに準備不足で除染作業を郡山市が行っていたことをとりあげたことがある。もう一度郡山市の除染マニュアルを読み直したが、その時点では除染基準は示されていなかった。ただ、結局、毎時1μSv以上の場所を優先しているところからみて、このような場所も対象に入っていたのではないかと思う。実際、予定プランでは、高さ1mで 毎時1.5μSv以上の放射線量を示す場所が候補に入っていた。前回とりあげた小金井市の場合は、市独自で行う除染作業は毎時1μSv未満の場所で、それ以上は国・都の指導を仰ぐとしていた。小金井市では、毎時1μSv以上の場所は、市独自で除染するのは危険と判断していたのである。そのような場所の除染を、郡山市では市民のボランティアで除染させていたのである。ダブルスタンダートである。

さて、ほぼ全域が計画的避難区域に指定され、ほとんどの住民が村外に避難しなくてはならなかった飯館村ではどうだろうか。飯館村では、村長を中心に、早期の村民の帰還をめざして、除染作業が進められている。なお、飯館村で除染アドバイザーをしているのが、次期原子力規制委員長としてあげられ、批判の的になっている田中俊一である。2011年9月に定められた飯館村除染計画書では2014年度中に「国は村と連携し、住民の安全性を十分に確保した上で家屋、事業所、公共施設等を対象に年間1mSv以下を目標に実施する。」となっている。しかし、2011年12月にだされた「いいたてまでいな復興計画」(第一版)では、現在もしくは2年後までの「短期」に実施することとして、

○村内全域にわたる除染を進めます
◆除染目標は、追加被ばく線量の長期的な目標でなる年間積算線量1ミリシーベルトを目指します。当面の目標としては、年間積算線量5ミリシーベルト(毎時1マイクロシーベルト)以下を目指し、徹底した除染を進めます・
http://www.vill.iitate.fukushima.jp/saigai/wp-content/uploads/2011/12/5bbd68d3c1ec69c22c664b48805fcce4.pdf

結局、福島市や郡山市と同じである。将来的には年間1mSv以下にすることをめざすとしながらも、現状の除染目標は年間5mSv(毎時1μSv)にするしかないのである。そして、除染作業の結果もかなりシビアである。『広報いいたて』2012年8月号に昨年度の除染作業の結果が掲載されているが、除染作業の結果として、年間1mSvに該当する0.23μSv/hになったところはどこにもない。5ヶ所があげられている内、1ヶ所のみが0.53μSv/hに下がったが、他は2.08、2.37、1.70、3.04μSv/hと、1μSv/hを上回っているのである。

基本的に、除染が課題となっている福島県の各市町村では、将来的には年間1mSv(毎時0.23μSv)にするとしながらも、現実的には年間5mSv(毎時1μSv)を除染対象の基準にするしかないのである。もちろん、これは、それぞれの市町村の怠慢というわけではない。前、このブログでも述べたが、放射線管理区域以上(毎時0.6μSv)の放射線量を示す場所が広範囲に広がっている地域では、このようにしか、現時点で実行可能な目標を設定できないということでもあるのだ。しかし、このような除染基準は、東京圏と福島県の原発問題における最も見えやすい格差ということができる。東京圏の4〜5倍の放射線量を福島県の人びとは現状において甘受せざるをえないのである。それは、人びとの生存の問題であるが、生業の問題でもある。4〜5倍の放射線量を甘受しなくてならないというのは、人びとだけでなく、そこで生産される農産物、水産物、林産物、工業製品の問題でもあるからだ。

ここで問題になっている低線量放射線がどれほど人体に影響があるか、今の所は「わからない」ということしかない。ただ、それでも、東京圏と福島県の除染基準の格差は、社会的なものである。社会的にリスクといわれるものを、福島県の人びとは多く背負わされているのだ。つまり、放射線量において、現状では、東京圏と福島県には、明白なダブルスタンダートがあるということになる。

そして、これは、原発が大都市立地をさけて、過疎地に立地したことから起因している。このブログでも紹介したように、原発事故の危険性は暗黙のうちに前提とされ、そのことが原発の大都市立地をさけて過疎地に立地する一因となっている。事故が起きてしまえば、それは明白に示される。比較的遠方の大都市では影響が少なく、立地している地域社会には影響が大きい。しかし、大都市に立地していれば、より深刻な影響が生じたであろう。立地条件自身が孕んでいた大都市/過疎地の矛盾がここに露呈したのである。

しかし、他方で、放射線のリスクは短期的には影響を感知することはできず、また、十分な除染作業をスピーディーに行うことは現時点では困難であるということから、結局、地域復興のためには放射線量の高いところでも、避難などせずに住まなくてはならないという論理が形成されていくことは考えられる。福島県放射線健康リスク管理アドバイザーに就任した山下俊一が推進していることは、所詮そういうことなのだと思う。そして、そういう見地からいえば、放射線の害を主張する人びとは地域復興の阻害者であり、早期に住民を帰還させることが財政負担や賠償負担を軽減するになるという利害を有する国や東電は、地域復興を支援しているというようにうつることになる。しかし、この論理は、そもそもの責任者の責任を看過し、放射線量についての、東京圏と福島県の明白なダブルスタンダートを前提にしてしまっているものといえる。

早く帰還すべきだという地域住民の声も理解できるので、この問題には簡単に解決がみつかる問題ではない。しかし、より高い放射線量を示す地域に異議もなく住むということは、東京圏と福島県とのダブルスタンダートを固定してしまうことになるだろう。もう一度、過去にさかのぼって、どのようにやり直さなくてはならないか、それを考えなくてはならないと思う。

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さて、福島市は前年6月にも放射線測定調査を行った。以下にかかげておこう。

福島市全市一斉放射線測定マップ(2011年6月)

福島市全市一斉放射線測定マップ(2011年6月)

http://www.city.fukushima.fukushima.jp/uploaded/attachment/6804.pdf

このように、本年3月の調査と違って、地点ごとの放射線量しかわからないものである。その意味で、放射性物質から「自衛」することに十分役立たないかもしれない。前回、情報を適切に公開しなかったと書いたが、ある意味では、人員・機材・予算を調査に回せなかったことが主因だったかもしれない。ただ、自力救済に必要な情報が与えられなかったことは結果的にいえると思う。

2011年6月においては、地点ごとしかわからないものの、やはり放射線量は3月に比べ高い。最大放射線量において、毎時3.4マイクロシーベルト以上になるところが6箇所もあった。また、後に除染の対象となる1マイクロシーベルト以上の地点は全体の72.5%である。調査値点数が違うので、単純な比較はできないのだが、3月時点では全体の28%となっているので、2011年6月と比べ全体では低下しているとはいえる。

このマップにおいて特徴的なことは、市の南部・東部・北部に2マイクロシーベルト以上のかなり高い放射線量を示す地域が広がっていることである。この線を結んでいくと、その延長線上に福島第一原発がある。想像するに、南東風にのって放射性物質が到来したといえるのではなかろうか。

前回のブログにおいて紹介した本年3月の調査においては、その形跡は残されているが、おおむね放射線量は下がっている。特に福島市北部ではかなり下がったといえる。ただ、東部の山間地に近い渡利などはそれほど下がっていないのである。

また、2011年6月の調査では、県庁近傍と思われる地点に2.5マイクロシーベルト以上の放射線量を示す地点が所在するなど、市街地中心部においても1マイクロシーベルトをしめすところが広がっている。しかし3月の調査では多くの地点で下がっているのである。

私自身は、毎時1マイクロシーベルト未満の放射線量においても人体に影響するかどうかわからないと思っている。その意味で、1マイクロシーベルト未満でもなんらかの除染などが必要であると考えている。ゆえに、楽観的な見通しはいえないのだが、昨年と本年を比較するならば、数字の上ではやや改善したといえるのかもしれない。

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福島民報2012年4月25日号によると、福島市は3月に市内全域で測定した空間放射線量測定マップを公表した。マップその他、関係記事は次の通りである。

福島民報2012年4月25日号

福島民報2012年4月25日号

この記事によると、居住地は500メートル四方、山間部は1キロメートル四方で測定したとのことである。しかし、福島市は、このマップよりも広大であり、特に山間部の多くはまだ測定されていないのである。

一応、市としては、2011年6月の調査で毎時平均1.33マイクロシーベルトであったのに対し、今回は0.77マイクロシーベルトとなり、約42.1%低下したとしている。市としては除染の基準を1マイクロシーベルトとしているが、それ未満の区画が約72%、それ以上が28%としている。そして2マイクロシーベルト以上の放射線量を示すところとして、渡利と大波の2区画をあげている。どちらも、市の東部にある。

これでもかなり下がったようで、その要因として、福島市は「物理的減衰や風雨などの自然現象、除染の効果があった」(福島民報)としている。

このマップをみていると、福島駅周辺の中心部と、東北自動車道福島西 ICのある市の南西部には比較的低い地点が面として存在するが、福島飯坂IC周辺の市の北西部から東部、南部と1マイクロシーベルト以上の比較的高いところが続いていることがわかる。特に、東部の渡利、大波周辺では、かなり高い放射線量を示している。市の中心部に近い、信夫山の北東にもかなり高い場所がある。かなり高いはずの東部の山間部は十分測定されておらず、この地域を測定すれば、よりリスクが大きい箇所が出てくるだろう。

前回ブログでとりあげた福島県庁のある杉妻町は、0.5マイクロシーベルトで比較的低く、市の基準では除染の対象外とされている。他方で、隣接する渡利地区(どこの部分かは不明)では1.24マイクロシーベルトで除染が必要とされている地域となる。

この地域の放射線量の平常値は0.04マイクロシーベルトであり、それに多少は近いだろうと思われる0.23マイクロシーベルト未満の地区は、29箇所にとどまる。このことについて安全性に問題があるかどうかは見解の分かれるところであろう。ただ、やはり震災前の「平常」は戻っていないのである。

特に考慮せざるをえないのは、比較的放射線量が高く、市の基準でも除染が必要とされているところは、決して、比較的低いところと隔絶して存在せず、むしろ混在していることである。自宅や職場が比較的低くても、ほんの少しでも出外れてしまえば、高いところに入ってしまう可能性があるのである。

それにしても、このようなメッシュ形式の放射線量マップを公開するのは初めてらしい。より放射線量の高い時期に公開して、市民に利用してもらうべきだっただろう。近年、自助努力が主張され、社会保障が削減されてきている。しかし、このような情報を適切な時期に公開せず、放射線防護に対する自助努力を許さないことが、ここでは行われている。

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