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Posts Tagged ‘福井県’

さて、1960年末に関西研究用原子炉が大阪府熊取町に建設されることが決まり、福井県の誘致活動は挫折したのだが、その1年以上後の1962年2月27日、福井県知事北栄造は福井県の2月議会(当初予算案が審議される)の所信表明演説のなかで、次のように述べた。

(前略)現況を見ますと、まず各位並びに県内外有識者の御協力のもとに策定されました県総合開発計画もいよいよ第二年度目を迎え、活気と躍動に満ちた県政諸般の総合施策も逐次軌道にのり、着々その成果を収めつつあります。
 たとえば置県以来の大事業たる奥越電源開発は、電発、北電の共同開発計画も決定し、着々その緒につきつつあるのでありますが、さらに本県の大動脈たる北陸線の複線電化、国道八号線を初め主要道路、港湾の整備充実、観光事業の一大躍進、大小工場特に呉羽紡績工場の誘致、さらには将来の県勢のきめ手となる原子力第二発電所誘致にも明るい見通しにある等、本県勢一大躍進の態勢は飛躍的に整備されつつあるのであります(後略)。
(『第百四回定例福井県議会会議録』p12)

つまり、ここで、北栄造は「原子力第二発電所誘致にも明るい見通しにある」ともらしたのである。

この「明るい見通し」について、具体的な内容が明らかになったのは、3月2日であった。この日、西山光治県議は自由民主党を代表して質問し、最後に次のように問いかけた。

(前略)最後に原子力発電所誘致についてでありますが、知事は予算案の説明にあたり、原子力第二発電所誘致にも明るい見通しがあると述べておられますが、単なる希望的観測であるか、具体的な見通しのもとに立って説明されたのか存じませんが、原子力発電所が実現いたしますとすれば、本県政躍進の一大拠点となると申しても、あえて過言ではないと信ずる次第でありますが、これに対し現在いかなる段階にあるか、将来の見通し等についても、あわせて具体的にお伺いいたします。
(『第百四回定例福井県議会会議録』p38)

西山の質問に対して、北は次のように答弁し、その段階における原発誘致の状況を説明した。

 

最後に原子力の問題でございますが、実は本日午前十一時半に新聞記者に発表いたしたのでございますが、それの要旨は、地元の御熱意、川西町の御熱意に応えまして、県といたしましては予算の関係、その他がございまして急速に行きませんので、これまた開発公社において五十万坪の土地を確保して、そしてボーリングを始める。これは三日か四日に向こうから人が来ていただきまして、どの土地を五十万坪ほしいか簡単に申しますと、そこをボーリングを五、六ヵ所いたす手はずになっておるということを実は発表いたしたのでございます。私の率直な考えを申しますと、それほどにまず有望ではあるまいか、それは地元なり県なりが、それだけの熱意を示して資料を持っていきますならば、会社が動いてくれまいか、政府が動いてくれまいかということでございます。三木長官にも、この前議長さんと、電発の委員長さんと三人で参りまして、いろいろと懇請を申し上げました。福井を最も有望な候補地にしょうという言明もいただいておるのでございます。現在がそういうことで、これは一ヵ月か一ヵ月半ぐらいボーリングにかかると思いますが、単なる誘致運動だけでは、これはできませんので、気象の条件、地質の条件、これらも会社ですでに調査済みであるように考えられます。そのボーリングをいたしまして、中の地盤がどうであるかということがわかりますれば、私おのずから、全国の一番かどうか知りませんが、一、二、三番目ぐらいの中には入る、そうして皆さんの御協力なり国会議員の御協力をいただいて、そして政治的にも動いていきますならば、ここにきまること、まあ困難のうちにも非常に明るい見通しも持っております。これは最初二十五万キロか三十万キロの発電をいたすようでございますが、五十万坪と申しますと、またまたこれを三つか四つやるぐらいの余裕が残っておるはずでございます。もしもきまりますれば、東海村の二倍の計画を第一次に行なうらしいのでございますが、何といたしましても地盤がわかりませんし、私も自信をもって交渉ができないのでございますので、自信を持ってできますように、早急に、よその県でまだ手の打たない先にさようにいたしたいのでございます。こうしたことは、原子力会社にも意思は伝えておるのでございまして、確かきょう午後二時に会社の方面におきましても、私が申し上げた程度の発表を中央で行なっておるように打ち合わせ済みでございます。そうした私は明るい見通しにあると思うのでございまして、議会の特別の御協力を賜わりたいことをお願い申し上げる次第でございます。
(『第百四回定例福井県議会会議録』pp51−52)

要するに、福井県の嶺北地方にある坂井郡川西町(現福井市)において、福井県開発公社が50万坪(約165万㎡)の予定地を確保し、日本原子力発電株式会社が東海村の次に建設する原発の候補地としてボーリング調査を開始することになり、当日記者発表したというのである。この北の発言で「地元の御熱意」「川西町の御熱意」を強調していることに注目しておきたい。そもそも原発敷地の適不適は原発事業者しかわからないものである。このブログでも述べているように、1960年、すでに北知事は北陸電力が坂井郡における原発建設を打診していることをもらしている。また、この地は同年の関西研究用原子炉建設の候補地であった。たぶんに、北電や日本原電などの原発事業者にとって、坂井郡川西町は原発候補地としてすでにリストアップされていたことであろう。川西町などが原電などと無関係に自主的な形で原発候補地として名乗りをあげることなどできようはずもない。

それなのに、なぜ、北知事は「地元の熱意」を強調するのだろうか。北は「地元なり県なりが、それだけの熱意を示して資料を持っていきますならば、会社が動いてくれまいか、政府が動いてくれまいか」と語り、自身と県議会議長さらに電源開発特別委員長の3人で所轄の三木武夫科学技術庁長官に陳情して「福井を最も有望な候補地」とする言質をとったことを紹介している。中央の会社や国を動かすには「地元の熱意」が必要という論理がそこにはある。この後、福井県議会をはじめ誘致自治体の議会では「原発誘致決議」がなされるが、それは「地元の熱意」を示すものなのである。すでに、関西各地で行なわれた関西研究用原子炉反対運動をみるように、「原子力」は一方において「忌避」されるものでもあったのだが、関西各地で忌避されていた「原発」を「地元の熱意」ーつまり主体性をもって迎えなくてはならないとされたのである。

そして、裏面においては、他県との競争意識が存在している。北は「早急に、よその県でまだ手の打たない先にさようにいたしたいのでございます」と語り、他県より先んじることを重要視しているのである。

このように、「政治的」な駆け引きがみられた反面、原発自体については、その危険性も含めて十分理解しているとはいえない。北は「これは最初二十五万キロか三十万キロの発電をいたすようでございますが、五十万坪と申しますと、またまたこれを三つか四つやるぐらいの余裕が残っておるはずでございます」と言っている。そもそも、原子炉の場合、爆発その他を予想して立ち入り制限区域を原子炉の出力に応じて広くとる必要があり、それが原発の敷地面積なのである。50万坪というのは出力1万キロワットという研究用原子炉が建設されることになっていた東海村の日本原子力研究所の予定敷地面積と同じである。この50万坪という敷地面積自体、アメリカの基準の約20%という過小なものであった。1万キロワットの原子炉でも過小な50万坪という面積しかない敷地に、その20〜30倍の出力の原子炉を建設し、さらに同じ敷地に複数の原子炉を建て増しするということを北栄造は希望しているのである。政治的な「駆け引き」ではそれなりに知恵を働かしているといえるのだが、原子力それ自体が何であるか、そこには知恵を働かせようとはしていないのである。

このように、1962年2月の福井県議会で、原発誘致方針が公表された。しかし、福井県の場合、福島県と比較すると、第一候補地にさしたる反対もなくすんなりと原発が建設されたわけではない。今後、その過程をみていこう。

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本ブログでは、前回、1957年の福井県原子力懇談会の発足についてふれた。その2年後の1959年の統一地方選で、羽根盛一にかわって北栄造が福井県知事に就任した。さらにその1年後の1960年3月9日の福井県議会で、自由民主党所属福井県議会議員松田守一は、福井県原子力懇談会について、次のように発言した。

次は第二点として原子核エネルギーの問題でございます。原子力は平和産業にのみ利用されるべきは世界的世論であり、また当然落ち着くべき姿であらねばならんと考えるものであります。(「その通り」と呼ぶ者あり)。コバルト60は臨床医学にまた繊維産業工業にと利用され、アイソトープはまた農業において非常に幅広く利用されまして、その効用は増大し、範囲は研究とともに拡大して産業に一大変革をもたらさんとしつつあり、原子力研究の立ちおくれは産業界における敗北を暗示するものであるといってもあえて言い過ぎではないと思うのでございます。わが国におきましても各府県は競ってアイソトープ実験室の設置に着手しているそうでございまして、わずかに静岡県と本県のみが未着手でございますが、静岡県ではすでにその動きがあり、ひとり本県のみが取り残されておるというように思うものでございます。本県におきましては御承知のように昭和三十二年四月に原子力懇談会なるものが羽根知事を会長として発足したのでございますが、その規約において、目的及び事業として「本会は福井県下における原子核エネルギーの利用に関する県民の知識を向上せしめ、かつその利用の促進をはかることを目的とする」とうたい、事業として六項目を掲げておりますが、その構成会員は主として民間会社であり、あるいは民間人であり、その予算たるや三十数万に過ぎないのでございまして、県費は内わずかに年頭五万円を支出しているありさまで、発足以来すでに三カ年を経過しているにもかかわらず、わずかな専門書を抱えておるのみで、いまだ見るべき何らの具体策もなく、年々いたずらに貴重なる歳費を空費している現状ではなかろうかと思われるのでございます。富山県では二千万円の予算をもって農業試験場長を管理人として昭和三十三年八月にアイソトープ照射室と実験室が完成しているのでございます。本県においてはこれが取り扱いの国家試験の資格者が一人もおらず、また一人の原子核に対する専門学者もおらないという哀れな現状でございます。知事は原子力懇談会なるものが羽根知事の遺産として気が進まなかったのか、あるいは御就任以来寧日なく、そのいとまなくして今日に至ったかはあえて問わんとするところではございませんが、原子力研究に対する世界的趨勢にいつまでも目を覆っておるということを許されない現状であるということはすでに今日御認識のことと思うのでございます。知事は本県における原子力研究の展開をどう計画しておられるかお聞かせ願いたいのでございます。
 次にこれは私の一私見でございますが、窮迫せる県財政の現状において知事がもし大がかりな計画は困難であるとお考えになりますならば、京都大学の原子核研究所を福井県に誘致されるのも適切な方法の一つではなかろうかと思うのでございます。御承知のように京都大学は最初四条畷に研究所の建設を計画したようでございますが、人家の密集地帯でもあり、反対されて宙に迷っておるようでございます。本県において調査すれば適地があるのではなかろうかと思われるのでございます。福井大学に今年度より応用物理学科が新設されるそうでまことに御同慶にたえないところでございますが、科学万能の時代に即応すべく福井大学を総合大学たらせるべく強力に働きかける必要があろうかと思うのでございます。この運動と京都大学の研究室とを抱き合わせて、もし実現をみますならば国費でもって研究所が本県にでき上がり、福井大学生も研究に参加することができまして、将来福井県下に多数の専門技術者の確保が約束され、原子力事業の成果は期して待つべきものがあろうかと考えられるのでございます。御参考までに愚見を申し上げたわけでございますが、これに対する知事の率直なる御批判を承りたいのでございます。(『第93回福井県議会会議録』p218−220)

松田はまず原子力は「平和産業」のみにに利用されるべきことは世界的世論であるとした上で、コバルト60などの放射性アイソトープの臨床医学、繊維産業工学、農業への利用についてふれ、「産業に一大変革をもたらさんとしつつあり、原子力研究の立ちおくれは産業界における敗北を暗示する」と述べている。そして、富山県などの他県ではアイソトープ実験室が建設されているが、福井県では福井県原子力懇談会が設置されているものの、具体的な事業は始まっていないとしている。羽根知事の遺産として忌避しているのではないかと懸念を示しつつ、松田は「原子力研究に対する世界的趨勢にいつまでも目を覆っておるということを許されない現状であるということはすでに今日御認識のことと思うのでございます。知事は本県における原子力研究の展開をどう計画しておられるかお聞かせ願いたいのでございます」と北栄造知事に問いかけた。

さらに松田は、より具体的に京都大学の「原子核研究所」を福井県に誘致することを提案した。この京都大学の「原子核研究所」とは、より一般的には「関西研究用原子炉」として知られているもので、東海村の日本原子力研究所に次いで1956年に原子力委員会が設置を決めたものである。ただ、この関西研究用原子炉については、京都府宇治市・大阪府高槻市・大阪府交野町・大阪府四條畷町と候補地があがるたびに反対運動にさらされ、誘致が頓挫していた。松田は、それを福井県にもってこようとしているのである。彼によれば、京都大学の「原子核研究所」を福井県に誘致できれば、福井大学の応用物理学科も共同利用でき、福井大学の総合大学としての発展もみこめるとしているのである。

このような松田の質問に対して、北栄造知事は次のように答弁している。

原子核、いわゆる新エネルギーの問題でございます。原子力懇談会は私来まして二回ほど開催いたしたのでございますが、仰せのように中央より学者等も来ていただいておりませんし、ここにそういう権威者もおられませんので、暗中模索の状態でございますので、これにつきまして、私見として京大の原子核研究所を持ってきたらどうか、また原子力関係をもう少し他県のように何か考えておるかというようなことをいろいろお話がございましたが、北電が坂井郡地方、それから関西配電が今のところ若狭でございますが、まだこれはいろいろ話を聞いとる程度でございます。十分な折衝はいたしておりませんけれども、原子力発電所というような構想を考え調査中でございまして、これはまあ私もこの発電所がどういうことになるかわかりませんけれども、これら関西なりと連絡いたしまして、こうした進んだエネルギーのいわゆる調査と申しますか、一つの土台になりまするような施設を持って参りたい。今申し上げますように、これに対する地元がどういう要望、反対がありますかどうかわかりません。もう少し検討いたしまして今仰せられるようにもう少し勉強いたさなきゃならんと考えておる次第でございますが、いろいろこういう点につきまして御指導をいただきたい、かように考えておる次第でございます。
 福井大学を総合大学にする、応用物理学科ができますので、これは非常に現在の学長も相当な権威者でございます。いろいろ総合大学にするための、農業科でございますか、こういうこともいろいろ議題にはのぼっておったのでございますが、将来国の財源もこの大学に来ることになりますれば、県といたしましても大学を一層総合的規模にしなければならんあ、かように思っておる次第でございます。(『第93回福井県議会会議録』p225)

この答弁は興味深い。北栄造は、原子力発電所の建設計画の打診があったことをもらしている。具体的には、北陸電力の坂井地方への原発建設計画と、関西電力の若狭地方への原発建設計画があるとしているのである。しかしながら、北知事は、この段階では慎重で「これに対する地元がどういう要望、反対がありますかどうかわかりません」としており、もう少し検討しなくてはならないとしているのである。そして、関西研究用原子炉誘致については、松田の意見としてうかがっておくという姿勢をこの答弁ではとっている。

この議論が示すように、1960年3月9日の時点で、福井県においては、一方でアイソトープ実験室の設置など自前で原子力研究開発を行おうという意欲もありながらも、外部の原子力施設を誘致しようという気運が高まっていたのである。その場合、この時点では、二つの対象があった。その一つは、松田守一が提起した、関西研究用原子炉であった。しかし、すでに、北知事のところには、電力会社側から原発建設計画が打診されていたのである。

1960年3月の時点で、まず行われたのは、関西研究用原子炉の誘致活動であった。このブログで以前論じたが、福井県原子力懇談会は3月15日に関西研究用原子炉誘致に乗り出すことを決定した。そして、その候補となったのが、若狭地方の上中町と坂井地方の川西町であった。たぶん、すでに、北栄造知事のもとで検討されていた原発建設計画の候補地が、関西研究用原子炉建設の候補地となったのであろう。その意味で、1960年の原子力施設誘致運動の開始は、その後の原発誘致に直結していたといえよう。

*なお、その後の関西研究用原子炉の誘致活動自体は、本ブログの下記の記事を参考にしてほしい。

https://tokyopastpresent.wordpress.com/2012/10/21/%E7%A6%8F%E4%BA%95%E7%9C%8C%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E9%96%A2%E8%A5%BF%E7%A0%94%E7%A9%B6%E7%94%A8%E5%8E%9F%E5%AD%90%E7%82%89%E8%AA%98%E8%87%B4%E6%B4%BB%E5%8B%95%E3%83%BC%E9%96%A2%E8%A5%BF%E9%9B%BB/

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さて、敦賀原発全体の撤退が取り沙汰されている敦賀市の現況はどのようになっているだろうか。2015年4月5日付の福井新聞に、現在の敦賀市の現況を象徴するような記事が掲載されている。ここで紹介しておこう。

 

閉館の原子力PR施設、空っぽ3年 原子力機構の旧アクアトム(敦賀)
(2015年4月5日午前7時00分)

 日本原子力研究開発機構の原子力PR展示施設だった旧「アクアトム」(福井県敦賀市神楽町2丁目)の活用法が決まらない。閉館から丸3年、西川一誠知事と河瀬一治市長がそれぞれ議会で、県市の共同所有を発表してからも既に半年超。市中心部に巨大な空きビルが放置され続ける状況に、市民からもあきれる声が出ている。

 ■たなざらし

 アクアトムは2001年6月に開館し11年間で約100万人が訪れたが、福島第1原発事故後、民主党行政改革調査会からむだと指摘され11年度末で閉館した。機構や監督官庁の文部科学省、土地所有者の市に、県も加わり協議し昨年9月、県と市が機構から無償で譲り受け、建物を半分ずつ所有すると発表していた。

 具体的には、県市が機構に譲渡を申し入れた後、機構は文科省に申請。許可を得た上で無償譲渡を実施する―という流れだ。しかし県市はまだ、その端緒となる申し入れも行えていない。

 ■県市に隔たり

 難しいのは市の立場だ。市内原発の廃炉が決まり財政面で歳出削減が求められる中、安易に施設を譲り受けるのは難しい。例えば、同様に電力事業者から寄付されたイベントホール「きらめきみなと館」(桜町)は指定管理料が年間約2千万円かかっている。

 アクアトムに関して市は、借地料や固定資産税などを受け取らない代わりに、施設の維持管理費は負担しないなど、財政負担を減らす枠組みを模索している。

 活用面では市議会の意向も踏まえ、地域のにぎわいにつながる内容にしたい考えだが、機構は施設を譲渡する際の規定で「公共または学術研究の用に供すること」などと定めていることから、要件を満たすかどうかも課題。具体的な県市の協議は、先月に入ってようやく始まったばかりだ。

 さらに県市には、譲渡に際しそれぞれの議会で承認が必要か、仮に施設で事故があった場合、責任の所在はどちらか―といった事務的な内容でも隔たりがあり、時間が費やされてきた。

 ■押しつけ合い

 一時は解体も検討されたアクアトムが一転、活用の方向となったのは、1億円程度の解体費用を公費でまかなう必要があったことが理由の一つ。だが閉館後も維持管理費として、機構は借地料や固定資産税を中心に、年間約2200万円を支出している。これらも公費で、県、市、機構、文科省の4者が合意点を見いだせずにいたこの3年間で、支出は合計7千万円近くに達してしまった。

 「押しつけ合いをしているよう。皆が持ちたくないのだろう。市から説明もないしどうなるのか」。地元のある区長は心配顔だ。「シャッター通りの象徴。人が集まり便利に使える施設にしてほしい」と訴える。商店街からも「寂れた印象がよくない。いつまで検討しているつもりか」と不満の声が聞かれる。

 アクアトムを含む機構の展示施設を巡っては、政府の政策評価・独立行政法人評価委員会が今年1月、「機能廃止後も処分が進まず、毎年度多額の維持費を要している。早急にその必要性を検証し処分する」との勧告の方向性をまとめた。

 塚本勝典副市長は今月2日の会見で「選挙後の6月県会、市会を目標に、合意できるようやっていくのがわれわれ行政の仕事」と強調した。
http://www.fukuishimbun.co.jp/localnews/society/68125.html

まとめていえば、もんじゅなどを所管している原子力研究開発機構は、敦賀市中心部に「アクアトム」という原子力PR展示施設を開いていたが、3.11以後、民主党政権から「無駄」と指摘され、2011年度末に閉館した。しかし、その施設をその後どうするのかということが、閉館から3年たっても決まっていない。昨年、県と市が機構から無償で譲り受けるという方向性が打ち出されたが、結局費用負担などで関係者の合意がとれず、たなざらしのままにされているというのである。

この記事のなかで、住民は旧アクアトムを「シャッター通りの象徴」「寂れた印象がよくない」と指摘している。

実際、敦賀市中心部は、旧アクアトム周辺だけではなく、かなりの部分が「シャッター通り」化している。2015年4月5〜7日、私も調査のため、敦賀市を訪れたが、その寂れように驚いた。4月6日の18時頃に撮影した写真をいくつか紹介しておこう。

敦賀市中心部商店街(2015年4月6日撮影)

敦賀市中心部商店街(2015年4月6日撮影)

上記の写真は18時頃の撮影だが、アーケード街が遠くまで見渡せる。ほとんど人が歩いていないためだ。

敦賀市中心部商店街(2015年4月6日撮影)

敦賀市中心部商店街(2015年4月6日撮影)

そして、上記の写真のように、多くの店がシャッターを閉じている。

敦賀市中心部商店街(2015年4月6日撮影)

敦賀市中心部商店街(2015年4月6日撮影)

もちろん、現在、日本のどの地方都市にいっても「シャッター通り」が出現している。敦賀市もその一例にすぎないといえる。しかし、敦賀市の場合、たぶん原発関連なのだろうが、上記の写真のように、街路拡張やアーケード整備などのインフラ投資が進んでいるがゆえに、かえって「寂れた」印象が強まっているのである。

敦賀市のスーパー平和堂(2015年4月6日撮影)

敦賀市のスーパー平和堂(2015年4月6日撮影)

この「シャッター通り」の中で、ある程度人が集まっていたのは、大型スーパーの平和堂(商業施設全体はアル・プラザ敦賀と命名されている)であった。周知のように本年春季の選抜高校野球大会で敦賀気比高校が甲子園初優勝(福井県全体も含めて)したのだが、この「シャッター通り」の中では、そもそも「祝優勝」というポスターや垂れ幕の掲示は目立つほどされていない(開いている店では小さなポスターなどをはってはいたが)。この平和堂だけが、比較的大きな横断幕を掲示していた。高野連の指示で敦賀市は優勝パレードを自粛したということだが、それにしても自主的な形で祝祭ムードがあってもよいかとも思うのである。

このスーパー平和堂は大型の駐車場をもち、映画館なども併設している。確かに、このスポットだけで、人びとの消費活動は大部分完結できるだろう。多くの地方都市の中心部が「シャッター通り」になる要因としては、単に人口減少だけでなく(なお、敦賀市の人口は約6万人)、このような大型商業施設に消費者を奪われてしまうこともあるのである。

そういう意味で、敦賀市中心部の「シャッター通り」化の要因は原発のためだけではないのである。ただ、短期的には「原発廃炉」のためであると認識されているかもしれないとも考えられる。日本の地方都市一般の衰退という全体的な前提条件が、地域社会にとって、それまで以上に原発への依存度を高めてしまっているのではないだろうか。これは、敦賀市に原発が導入された1960年代にはなかったことであった。その意味で、閉館されたまま、利用方法も定まらない、原子力PR施設旧アクアトムは、敦賀市の「シャッター通り」化の象徴といえるのである。

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さて、本ブログでは、「東日本大震災の歴史的位置」というテーマのもとで、度々福島原発の建設過程について検討し、それをもとに、昨年『戦後史のなかの福島原発ー開発政策と地域社会』(大月書店)という著書を上梓した。

本ブログでは、これから「福井県の人びとはなぜ原発建設に賛成/反対したのか」というテーマのもとに、福島県を凌駕する原発集中立地地帯である福井県の原発についてみていこうと考えている。私は、まず、福井県の原発の現状をみておきたい。周知のことだが、福井県の嶺南地方には日本原子力発電の敦賀原発(2基)、関西電力の美浜原発(3基)・大飯原発(4基)・高浜原発(4基)が立地している。都合13基となり、敦賀市にある高速増殖炉もんじゅなどを含めると、福島県以上(福島第一原発6基・福島第二原発4基)の原発集中立地地帯である。しかし、現状は、他の地域の原発同様、この地域の原発も2013年9月以降すべて停止している。次の福井新聞のネット配信記事をみてほしい。

 

福井県内原発、初の発電量ゼロ 14年度実績、全13基停止で
 (2015年4月7日午後5時30分)

 福井県が発表した2014年度の県内原発の運転実績によると、総発電電力量は県内で最も古い日本原電敦賀原発1号機が運転を開始した1969年度以降で初めてゼロとなった。商業炉13基(合計出力1128・5万キロワット)の全基が停止しているため。

 2011年3月の東京電力福島第1原発事故後、県内の商業炉は定期検査などで次々止まり、12年2月に全基が停止。同年7月に関西電力大飯3、4号機が国内で唯一再稼働したが、13年9月に13カ月間の営業運転を終え、再び全原発が停止した。

 再稼働に向け関電高浜1~4号機、大飯3、4号機、美浜3号機の計7基が原子力規制委員会に安全審査を申請している。高浜3、4号機は審査に事実上合格したが、残りの認可手続きなどがあり再稼働時期は見通せていない。

 輸送実績はウラン新燃料集合体が計140体、低レベル放射性廃棄物は8千体(200リットルドラム缶)、使用済み核燃料は大飯4号機の14体だった。

 安全協定に基づき連絡のあった異常事象は1件で、法律に基づく国への報告対象になった事象や、保安規定に基づく運転上の制限の逸脱はなかった。
http://www.fukuishimbun.co.jp/localnews/nuclearpower/68306.html

この原発群のうち、もっとも古いのは敦賀原発1号機と美浜原発1号機で、ともに1970年に営業運転が開始された。特に敦賀原発1号機については、1970年に大阪で開催された万国博覧会に電力を供給したことでよく知られている。この両原発は、福島第一原発1号機(1971年営業運転開始)とともに、日本国内において軽水炉による原子力発電所とはもっとも古いものである。他方、その古さにより、この両原発は、美浜原発2号機(1972年営業運転開始)とともに廃炉にされることになった。次の福井新聞のネット配信記事をみていただきたい。

 

美浜と敦賀の原発3基廃炉決定 老朽化、福井県知事に報告
 (2015年3月17日午後0時05分)

 関西電力は17日、臨時取締役会を開き、運転開始後40年以上たち老朽化した美浜原発1、2号機(福井県美浜町)の廃炉を正式決定した。八木誠社長は福井県庁を訪れて西川一誠知事と面談し、2基の廃炉方針を報告した。日本原子力発電も同日、敦賀原発1号機(同県敦賀市)の廃炉を決定。午後に浜田康男社長らが福井県と敦賀市を訪れ、方針を説明する。

 東京電力福島第1原発事故後、原発の運転期間を原則40年とする規定に従って、電力会社が廃炉を決めるのは初めて。古い原発の選別を進めることで政府は安全重視の姿勢を強調する一方、一定程度の原発は今後も活用していく方針だ。日本の原発行政は、大きな転換点を迎えることになる。

 関電は一方、運転開始から40年前後たった美浜3号機と高浜原発1、2号機(福井県高浜町)について、17日午後、再稼働に向けて原子力規制委員会に新規制基準の適合性審査の申請をする。

 八木社長は美浜廃炉について西川知事に「将来の(電力)供給力などを総合的に勘案した結果、廃炉を決定した」と説明した。

 関電は美浜原発2基に関し、40年を超えて運転できるか検討していた。だが、出力がそれぞれ34万キロワット、50万キロワットと比較的小さいため運転を続ける場合に必要な安全対策の工事費用などを回収できない可能性が高く、廃炉決定に傾いたとみられる。

 関電は福井県に対し、廃炉工事に当たって地元企業を積極的に活用することや、使用済み核燃料の福井県外への搬出に最大限努力することなどを報告した。

 老朽原発をめぐっては、中国電力と九州電力も、島根原発1号機(島根県)と玄海原発1号機(佐賀県)の廃炉を、それぞれ18日に開く取締役会で決める見通し。関電と日本原電を含む4社は19日に経済産業省に報告する方向で調整している。

 関電と日本原電は当初18日に取締役会を開いて廃炉を決定する運びだったが、地元自治体などとの日程調整を経て1日前倒ししたもようだ。
http://www.fukuishimbun.co.jp/localnews/npp_restart/66497.html

なお、日本原子力発電の敦賀原発2号機についても、活断層の直上に建設されていたとされ、廃炉がとりざたされている。次の毎日新聞のネット配信記事をみてほしい。

 

敦賀原発:2号機直下「活断層」 原電、再稼働厳しく
 毎日新聞 2015年03月25日 22時34分

 日本原子力発電敦賀原発2号機(福井県)、東北電力東通原発1号機(青森県)の敷地内断層について、原子力規制委員会の有識者調査団は25日、いずれも「将来活動する可能性がある」として新規制基準で定める活断層と認める報告書を規制委に提出した。規制委は今後、原発の再稼働に必要な安全審査で、この報告書を「重要な知見の一つ」と位置付け、活断層かどうかを判断する。両社は廃炉や大規模な改修工事などの重大な決断を迫られる公算が大きい。

 報告書は、敦賀2号機の原子炉建屋直下を通る断層と、東通1号機の原子炉建屋から最短200メートルにある2本の断層を活断層と認定した。新規制基準では、活断層の真上に原子炉などの重要施設を造ることは許されない。

 原電は報告書について「重大かつ明白に信義則、適正手続きに反し、無効」と反論し、敦賀2号機の安全審査を申請する方針。審査で敦賀2号機直下の断層が活断層だと判断されれば、廃炉に追い込まれる公算が大きいが、原電は訴訟も辞さない姿勢を見せている。

 東通1号機については、昨年12月にまとめた報告書案では「活動性を否定できない」との表現だったが、外部専門家からの意見聴取などを経て、一歩踏み込んだ。原子炉冷却用の海水取水路の直下にある別の断層については判断を保留した。東北電は既に審査を申請しており、規制委は近く審査を本格化させる。判断を保留した断層についても規制委の田中俊一委員長は「審査の大きなテーマになる」と述べた。合格には大幅な耐震補強や取水路の付け替えなどが必要になる可能性がある。【酒造唯】
http://mainichi.jp/select/news/20150326k0000m040142000c.html

関西電力は、前掲新聞記事のように、高浜原発1−4号機、大飯原発1−4号機、美浜原発3号機の再稼働をめざし、原子力規制委員会の安全審査を申請していた。そして、高浜原発3・4号機については、原子力規制委員会の安全審査を事実上パスし、地元への同意を求める手続きに入っていた。次の中日新聞のネット配信記事をみてほしい。

 

2015年3月20日 夕刊

 高浜再稼働に町議会が同意

 関西電力が十一月の再稼働を想定している高浜原発3、4号機(福井県高浜町)をめぐり、高浜町議会は二十日、全員協議会で再稼働に同意した。議会の判断を受け、野瀬豊町長は四月以降、町として再稼働への同意を表明する方針。町議会の同意で、再稼働に必要な「地元同意」手続きの最初の関門を通った形だ。

 全員協議会には全町議十四人が出席。的場輝夫議長によると、「安全対策が不十分」などの反対意見は一人だけで、再稼働同意を議会の意思として取りまとめた。同意文書を手渡された野瀬町長は「3・11以降の議論を積み重ねた議会の判断であり、大きな判断要素として承る」と応じた。

 再稼働で先行する九州電力川内原発(鹿児島県)の地元説明会が混乱したことを踏まえ、同町では説明会の代わりに町内ケーブルテレビで安全審査の解説ビデオ(原子力規制庁制作)を放映するにとどめた。的場議長は、事前に議会の同意条件として挙げていた町民の意見集約ができたと考える根拠を報道陣から問われ「ビデオへの反応は鈍かったが、議員の日々の活動の中で町民と接して、原発の安全対策について、町民は理解していると判断した」と答えた。

 野瀬町長も取材に「他府県との広域避難計画の調整や、原子力政策や避難計画に関する町民向けの説明会の日程の調整が必要」とした上で、県知事・県議選の投開票日(四月十二日)以降に町として同意を表明する考えを示した。

 高浜3、4号機をめぐっては、原子力規制委員会が二月、新規制基準に「適合」と判断した。

 野瀬町長が同意を表明すると、地元同意の手続きは、福井県議会と西川知事の判断に移る。
http://www.chunichi.co.jp/article/front/list/CK2015032002000257.html

このような原発再稼働の動きにストップをかけたのが、福井地裁の司法判断である。2014年5月21日、福井地裁は大飯原発3・4号機の運転差し止めを命じる判決を出した。福井新聞の次のネット配信記事をみてほしい。

 

大飯原発の運転差し止め命じる 福井地裁が判決
 (2014年5月21日午後3時15分)

 安全性が保証されないまま関西電力大飯原発3、4号機(福井県おおい町)を再稼働させたとして、福井県などの住民189人が関電に運転差し止めを求めた訴訟の判決言い渡しが21日、福井地裁であり、樋口英明裁判長は関電側に運転差し止めを命じた。

 全国の原発訴訟で住民側が勝訴したのは、高速増殖炉原型炉もんじゅ(福井県敦賀市)の設置許可を無効とした2003年1月の名古屋高裁金沢支部判決と、北陸電力志賀原発2号機(石川県志賀町)の運転差し止めを命じた06年3月の金沢地裁判決(いずれも上級審で住民側の敗訴が確定)に続き3例目。

 大飯3、4号機は昨年9月に定期検査のため運転を停止。関電は再稼働に向け原子力規制委員会に審査を申請し、新規制基準に基づく審査が続いている。

 審理では、関電が想定した「基準地震動」(耐震設計の目安となる地震の揺れ)より大きい地震が発生する可能性や、外部電源が喪失するなど過酷事故に至ったときに放射能漏れが生じないかなどが争点となった。

 大飯原発3、4号機をめぐっては、近畿の住民らが再稼働させないよう求めた仮処分の申し立てで、大阪高裁が9日、「原子力規制委員会の結論より前に、裁判所が稼働を差し止める判断を出すのは相当ではない」などとして却下していた。

 脱原発弁護団全国連絡会(事務局・東京)などによると2011年3月の東京電力福島第1原発事故後、全国で住民側が提訴した原発の運転差し止め訴訟は少なくとも16件あり、福井訴訟が事故後初めての判決となった。
http://www.fukuishimbun.co.jp/localnews/npp_restart/50555.html

さらに、2015年4月14日、福井地裁は、原子力規制委員会の安全基準を批判しつつ、高浜原発3・4号機の再稼働を認めない仮処分決定を下した。NHKの次のネット配信記事をみてほしい。

高浜原発 再稼働認めない仮処分決定
4月14日 14時04分

福井県にある高浜原子力発電所の3号機と4号機について、福井地方裁判所は「国の新しい規制基準は緩やかすぎて原発の安全性は確保されていない」という判断を示し、関西電力に再稼働を認めない仮処分の決定を出しました。
異議申し立てなどによって改めて審理が行われ決定が覆らなければ、高浜原発は再稼働できなくなりました。
関西電力は異議を申し立てる方針です。
福井県高浜町にある関西電力の高浜原発3号機と4号機について、福井県などの住民9人は、安全性に問題があるとして福井地方裁判所に仮処分を申し立て、再稼働させないよう求めました。これに対して、関西電力は、福島の原発事故も踏まえて対策をとったと反論しました。
福井地方裁判所の樋口英明裁判長は、関西電力に対して高浜原発3号機と4号機の再稼働を認めない仮処分の決定を出しました。
決定では「10年足らずの間に各地の原発で5回にわたって想定される最大の揺れの強さを示す『基準地震動』をさらに超える地震が起きたのに、高浜原発では起きないというのは楽観的な見通しにすぎない」と指摘しました。
そして原子力規制委員会の新しい規制基準について触れ、「『基準地震動』を見直して耐震工事をすることや、使用済み核燃料プールなどの耐震性を引き上げることなどの対策をとらなければ、高浜原発3号機と4号機のぜい弱性は解消できない。それなのに、これらの点をいずれも規制の対象としておらず、合理性がない」という判断を示しました。
そのうえで、「深刻な災害を引き起こすおそれが万が一にもないと言えるような厳格な基準にすべきだが、新しい規制基準は緩やかすぎて高浜原発の安全性は確保されていない」と結論づけました。
今回の仮処分はすぐに効力が生じるもので、関西電力の異議申し立てなどによって改めて審理が行われ、決定が覆らなければ、高浜原発は再稼働できなくなりました。
異議申し立てなどによる審理は福井地裁で行われ、決定が覆れば、仮処分の効力は失われます。
福島の原発事故後に起こされた裁判では、14日の決定と同じ樋口英明裁判長が去年、大飯原子力発電所3号機と4号機の再稼働を認めない判決を言い渡し、現在、名古屋高等裁判所金沢支部で審理が行われています。

 仮処分手続きと決定の効力
仮処分の手続きは、正式な裁判をしていると時間がかかって間に合わない、緊急の場合などに使われるもので、今回の仮処分の決定は直ちに効力が生じます。
決定の是非については異議申し立てなどによる審理で最高裁判所まで争うことができ、その過程で取り消されなければ決定の効力は続きます。逆に決定が覆れば仮処分の効力は失われます。
ただ、仮処分はあくまで正式な裁判が行われるまでの暫定的な措置で、再稼働を認めるべきかどうかについて正式な裁判が起こされれば、改めて司法の判断が示されることになります。
住民側代表「脱原発へ歴史的な一歩」
仮処分の決定のあと、住民側の代表が記者会見を開きました。
このなかで住民側の弁護団の共同代表を務める河合弘之弁護士は、「司法が原発の再稼働を止めたきょうという日は、日本の脱原発を前進させる歴史的な一歩であるとともに司法の歴史でも、住民の人格権、ひいては子どもの未来を守るという司法の本懐を果たした輝かしい日であり、大きな喜びとともに大きな責任を感じている」と述べました。
そのうえで、「この決定は、国の新規制基準の不備を厳しく指摘し、その無効性を明らかにしたもので、これを機に日本中の原発を廃炉に追い込まねばならない」と述べました。
関電「速やかに異議申し立てを検討したい」
14日の決定について関西電力側の弁護士は「会社の主張を裁判所に理解してもらえず、まことに遺憾で、到底承服できない。決定内容を精査したうえ、準備ができ次第、速やかに異議の申し立てと執行停止の申し立ての検討をしたい」と述べました。
そのうえで「会社としては十分な安全性を確保しているとして科学的・専門的・技術的な知見に基づいて十分な主張・立証をしているつもりなので、引き続き、裁判所に理解を求めたい」と話しました。

 高浜町長「再稼働の同意は現在の規制基準で判断」
高浜原子力発電所がある福井県高浜町の野瀬豊町長は、「司法の判断は重いが、関西電力から求められている再稼働の同意の判断にあたっては、現在の規制基準で安全が十分なのかという点で判断していく。行政としての手続きは進めていきたい」と述べ、今回の決定が同意の判断には大きく影響しないという考えを示しました。
そのうえで、「住民は困惑すると思うので、エネルギー政策を決める国が覚悟を持った姿勢を改めて示してほしい」と話していました。

 地震の専門家「誤った理解」
地震による揺れの予測について詳しい日本地震学会の元会長で、京都大学名誉教授の入倉孝次郎さんは「原発の基準地震動は地震の平均像ではなく、個別の敷地の不確かさも考慮して設定されており、決定で『実績や理論の面で信頼性を失っている』としているのは誤った理解だ。一方で、決定の中で原発に外部から電力を供給する送電線なども安全上重要であり、ふさわしい耐震性が求められると指摘しているのはそのとおりだと思う」と話しました。
そのうえで、「原発の安全性を検討するには地震の揺れだけでなく福島で見られたような津波による被害や火山、人為ミスなどさまざまな面を総合的に考慮する必要があるが、今回の決定ではこうした点については科学的な見地で正確な分析がされていない」と話しています。

 官房長官「再稼働の方針変わらない」
菅官房長官は午後の記者会見で、「独立した原子力規制委員会が十分に時間をかけて世界で最も厳しいと言われる新基準に適合するかどうかという判断をしたものであり、政府としてはそれを尊重して再稼働を進めていくという方針は変わらない」と述べました。
そのうえで、菅官房長官は「国は本件の当事者ではなく、あくまで仮処分であり、当事者である事業者の今後の対応を国としては注視していきたい」と述べました。
また、菅官房長官は、記者団が「ほかの原子力発電所の再稼働やエネルギー政策への影響はないか」と質問したのに対し、「そこはないと思う。そこは『粛々と』進めていきたい。法令に基づいてということだ」と述べました。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150414/k10010047951000.html

福井県の原発の現状をネット配信記事からみたものだが、古いもしくは問題のある原発の廃炉という方針が打ち出されるとともに、関西電力・国・立地自治体は原発再稼働をめざしており、他方でその阻止をめざして裁判が行われているなど、複雑な動きがみられる。原則的には建設後40年を経過した原発は廃炉となることになっている。20年の運転延長は認められているが、追加の安全対策なども必要となっており、敦賀原発1号機や美浜原発1・2号機は廃炉が決定された。一方、より新しい原発である高浜原発3・4号機は、原子力規制委員会の安全審査も事実上パスし、スムーズに再稼働されるだろうと関西電力や国などは想定していたが、福井地裁の仮処分決定でストップがかけられた形となった。これが、2015年4月時点の福井県の原発の現状なのである。。

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1960年代、福島原発建設と同時期に、福井においても原発建設が進められていた。福井が公式に原発建設の候補地となったのは1962年で、初めは福井県嶺北地方の坂井郡川西町(現福井市)の三里浜地区が候補になったが、岩盤が脆弱なために放棄され、嶺南地方の敦賀半島に所在する、敦賀市浦底地区と美浜町丹生地区が原発建設の候補地となった。結局、前者に日本原子力発電株式会社敦賀発電所、後者に関西電力美浜発電所が建設され、双方とも1号機は1970年に営業運転が開始されている。この二つの原発は、福井県への原発集中立地のさきがけとなり、敦賀原発自体が二つ、美浜原発自体が三つの原子炉を有するとともに、近接して実験炉のふげん(廃炉作業中)、もんじゅが建設されることになった。さらに、若狭地方には、それぞれ四つの原子炉を有する高浜原発と大飯原発が建設され、福島を凌駕する日本最多の原発集中立地がなされることになった。

福井の場合、福島と違って、1960年代初めから、原発建設に対する懸念が強かった。福井県の労働組合やそれを基盤とする社会党・共産党の県議・市議たちは、原子力の平和利用ということは認めつつ、具体的な原発建設についてはさまざまな懸念の声をあげていた。また、地元においても、美浜町丹生などでは比較的反対する声が強かった。

他方、思いもかけない方面で懸念の声があがっていた。懸念の意を表明したのは、昭和天皇である。このことを報道した福井新聞朝刊1966年10月14日付の記事をここであげておこう。

原電、西谷災害など 北知事、陛下にご説明

町村北海道知事ら十二道府県知事は、十三日午前十時半から、皇居で天皇陛下に各県の情勢などを説明した。これは数年前から恒例の行事になっているもので、陛下を中心に丸く輪になってすわった各知事が、五分間ずつ各地の現状と最近のおおきなできごとを話した。陛下は北海道、東北地方などの冷害や台風被害などにつき質問されていた。
正午からは陛下とともに仮宮殿の別室で昼食をとった。
北知事の話 電源開発と昨年秋の集中豪雨禍で離村する西谷村の現状について申しあげた。電源開発計画は、九頭竜川上流に四十三年六月を目標に三十二万二千キロの水力発電が完成するほか、原子力発電は現在敦賀半島で六十七万キロの開発が進んでおり、このほかの計画も合わせると数年後には百二十万キロ以上の発電能力を持つ全国屈指の電力供給県になるとご説明した。陛下からは非常によい計画だが、これによって地盤変動などの心配はないかとのご質問があったが、じゅうぶん考慮しており大じょうぶですとお答えした。
また昨年九月の集中豪雨で大きな被害を出した西谷村について、防災ダム建設などもあって全村離村する計画をお話ししたが、これについてはご下問はなかったが、ご心配の様子がうかがえた。
(福井新聞朝刊1966年10月14日付)

「北知事」とされているのは、原発誘致を積極的にすすめた当時の北栄造福井県知事のことである。かいつまんでいうと、北知事は、当時の福井県で進められていた水力発電所と原発建設を中心とする電源開発について説明したのだが、その際、昭和天皇から「非常によい計画だが、これによって地盤変動などの心配はないか」と質問され、北知事は「じゅうぶん考慮しており大じょうぶです」と答えたということなのである。

ここで、昭和天皇は、福井県の電源開発について「地盤変動などの心配はないか」と懸念を表明している。あげられている文章からでは、水力発電を含めた電源開発全体についてなのか、原発に特化したものなのか判然としないのだが、「地盤変動」をあげていることから原発のことなのだろうと推測できる。

このように考えてみると、原発開発の創設期である1960年代において、昭和天皇は、原発について「地盤変動」ー具体的には地震などを想定できるのだがーを「心配」していたとみることができよう。

原発が建設される地元の人びとや、さらに昭和天皇ですら表明していた原発に対する「懸念」に、国も県も電力会社も正面から答えることはなかった。結果的に福井県の原発はいまだ大事故を起していない。しかし、それは、「地盤変動」が原因でおきた福島第一原発事故をみて理解できるように、「たまたま」のことでしかないのである。

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2012年11月13日、短時間であったが、1960年代初め、関西研究用原子炉と国内二番目の原子力発電所立地に立候補した福井県坂井郡旧川西町(現福井市)訪問してみた。

1960年において、関西地域で立地が難航していた関西研究用原子炉立地に福井県から立候補したのは、遠敷郡上中町(現若狭町)と坂井郡川西町(現福井市)である。そのうち、坂井郡川西町(現福井市)に行ってみたのだが、まず、この地域のおおまかところを次の航空写真でみてみよう。

ちょっと、分かりにくいかもしれない。旧川西町は、福井市中心部からみて北西方面にあたる。旧川西町の東側には九頭竜川が流れ、西側は日本海に面している。旧川西町の北側は福井平野に属しているが、海岸部は三里浜という砂丘地帯である。一方、南側には丹生山地に接しており、南側の海岸部はいわゆる越前海岸の岩礁となっている。

この川西町による1960年の関西研究用原子炉誘致活動は、次のように報じられている。

原子炉の誘致運動 川西町も名乗りあげる

鷹巣か三里浜に 北会長(県原子力懇談会)に申し入れ

関西研究用原子炉を誘致しようと上中町では積極的に運動を起こしているが、川西町でも同町鷹巣地区か三里浜砂丘地に誘致するよう働きかけてくれと、十八日同町の小林助役が非公式に県原子力懇談会長の北知事へ申し入れた。

県懇談会 現地調査始む

一方北会長は最近県内へ原子炉を誘致しようとする運動が起こっているので、十七日長谷川福井大学長と会い、学術上の意見を聞いた。この結果「たとえ誘致しても付近の人畜に与える危険はない」との見解を得たので同懇談会では県内候補地の現地調査にとりかかった。川西町の候補地へは十八日、県原子力懇談会事務局の係員が山田町長、長谷川産業課長らの案内で下検分し、資料を持ち帰った。

同候補地は海岸沿いの鷹巣地区糸崎台地区、石橋、白方の三ヵ所。糸崎では糸崎山付近を中心に約三十二万平方メートルの敷地があげられる。海岸線まで約五百メートル離れており、糸崎山から流れる水を十分使用できる。付近には松蔭、蓑浦、糸崎、和布の四区があるが原子炉の中心から三百メートル以上も離れているのでまず危険性がないといわれる。一方三里浜海岸の白方、石橋は必要な水源地確保問題に難色があり糸崎よりは条件が悪い。同町では今後、地元との土地買収に力を入れるが、地元ではいまところ深い関心を示していない。山田同町長は「今後地元との話し合いを進め、ぜひ同町に原子炉を誘致したい。半農半漁地帯なので、設置されれば、地元の繁栄はもちろん本県の文化向上にも大いに役立つので、県に近く正式に陳情書を提出して本格的な誘致運動をしたい」といっている。
このほか候補地として北潟湖の近くの国有地(芦原ゴルフ場付近)もあげられているので、懇談会では政府や原子炉を建設する京都大の意向を聞いて、もし本県に設置してもよいということになれば、県、県会、有識者などの代表で用地選定委員会をつくりたいようである。
(福井新聞朝刊1960年3月19日号)

旧川西町の鷹巣地区と三里浜地区が関西研究用原子炉の候補地であったのである。

まず、鷹巣地区糸崎を訪ねてみた。次の航空写真で示しておこう。この地域は、前述したように丹生山地と日本海にはさまれ、海岸部には岩礁がある地域で、それほど広い平地はない。ただ、比較的海岸よりに松蔭・糸崎・和布・蓑浦(現蓑町)の集落があり、そこから300m以上、海岸から500m離れているとしているので、集落の後背地にある水田と山林の間くらいの地域かと思われる。はっきりとは地域を特定できないが、とりあえず糸崎集落の後背地を写真にとってみた。

福井県福井市鷹巣地区糸崎(2012年11月13日)

福井県福井市鷹巣地区糸崎(2012年11月13日)

この写真は、糸崎集落の後背地にある山より撮影したものである。実際にはここで撮影されているよりも、より山側の地域だったかもしれない。ただ、周辺の集落から300m以上離れているというのであり、それほどこの場所から遠くはないといえる。写真に写っている集落は松蔭や蓑浦(現蓑町)などと思われる。半農半漁地域といわれているが、海岸部には鷹巣漁港という小さな漁港があった。集落からかなり近接した地域が候補地であったのである。そして、地図によると、二枚田川という川が流れている。たぶん、新聞記事に「糸崎山から流れる水を十分使用できる」とあるのは、この川をさしていると思われる。見た感じでは、原子炉事故を想定して土地の広さや集落からの距離を考慮したのでなく、後背地の山地から流れ出る水源を中心に立地を考えたといえる。

糸崎よりやや北であるが、鷹巣地区の海岸部に行ってみた。その写真がこれである。

福井市鷹巣地区の海岸(2012年11月13日)

福井市鷹巣地区の海岸(2012年11月13日)

今、地図で確認してみると、和布集落に隣接している浜住という集落であると思われる。写真でみると海岸には岩礁があることがわかるだろう。原子炉立地予定地も含めて、これより南側の海岸部では岩礁が続いているようである。ある意味で、敦賀や美浜の原発に類似した立地と思われる。

結局、関西研究用原子炉は1960年大阪府熊取町に建設されることになり、ここに建設されることはなかった。それが、この地域にとってどのような意味をもつのか、考えさせられる。原発に比べれば、研究用原子炉が地域経済に与える影響は大きくはないが、それでも、ある程度は「潤った」のかもしれない。しかし、他方で、この地域の人びとは不安と抱き合わせの毎日を送ることになったのかもしれないのである。

さて、旧川西町では、この鷹巣地区だけでなく、その北側の三里浜地区も関西研究用原子炉立地の候補となった。そして、1962年、日本で最初の原発(東海第一原発)を茨城県東海村に建設した日本原子力発電株式会社が関西地域で建設しようとした原発の候補地にもなった。結局、ボーリング調査で不適となり、三里浜に建設されることはなかったのだが、福井県に建設する方針は変更されず、敦賀に原発が建設されることになった。次の写真は、鷹巣地区から遠望した現在の三里浜地区である。この三里浜地区は工業開発されており、写真に写っているのは石油備蓄基地である。この三里浜地区については、次回以降述べていきたい。

鷹巣地区から遠望した三里浜地区(2012年11月13日)

鷹巣地区から遠望した三里浜地区(2012年11月13日)

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関西研究用原子炉交野町設置案が挫折し、その後も立地に苦労している状況の下、福井県が研究用原子炉設置に乗り出すことになった。以前、本ブログでこの問題にふれたが、あまり十分に検討したとはいえない。ここで、もう一度、この過程をみておこう。

  • 関西研究用原子炉四条畷町設置案の帰趨
  • その前に、交野町設置案挫折後の関西研究用原子炉設置問題の帰趨をみていこう。交野町設置案挫折後、その南にある大阪府四条畷町に設置する案が浮上した。広重徹『戦後日本の科学運動』や門上登史夫『実録原子炉物語』を参考として、この経緯を追ってみることにする。1959年12月7日の大阪府原子力平和利用協議会において、四条畷町を原子炉設置候補地にすることが正式に決定された。そして協議会会長の田中副知事が京大・阪大両学長を伴い、四条畷町及隣接の大東市に協力を申し入れた。そして、12日には四条畷町で説明会が開かれ、その際は中曽根科学技術庁長官や阪大・京大総長も出席したが、表立った反対はなかった。しかし、12月15日には住民が設置反対を叫んで四条畷町役場におしかけ、翌16日には四条畷町議会全員協議会が開かれ、町議会議員全員が大阪府原子力平和利用協議会に反対陳情に行くことが決められ、17日には町議会議員全員が住民200人とともに府庁に赴いた。この日、大阪府庁への陳情後、四条畷町議会が開催され、設置反対が決議された。20日には大東市で説明会が開かれたが、激しい野次で混乱し、流会となった。27日には四条畷町で関西原子炉設置反対期成同盟の決起大会が開かれ、デモ行進が行われた。

    ただ、四条畷町・大東市とも、反対派ばかりではなく賛成派もいて、地域内で対立しあう状態となった。しかし、1960年3月23日にも大東市議会は四条畷町設置案を白紙に戻せとする決議を行い、翌24日には、四条畷町の反対規制同盟400人が府庁に陳情に行くという状態であり、反対意見は根強く主張されていた。そして、四条畷町では、反対意見を表明しなかった町長が6月にリコールされることになったのである。
     

  • 福井県における関西研究用原子炉誘致運動の開始
  •  
    このように、宇治・高槻・交野・四条畷などへの関西研究用原子炉設置案が住民の反対運動で挫折していった中で、関西圏外の福井県より、関西研究用原子炉設置を誘致しようという動きがみられるようになった。美浜町の『美浜町行政史』(1970年)によると、福井県では1957年に「原子力の開発及び平和利用を目的とした福井県原子力懇談会」(会長福井県知事)が設立され、誘致活動を開始したとされている。1957年は、関西研究用原子炉建設計画が具体化した時期であり、かなり早期から、誘致活動に乗り出したといえる。

    そして、1960年には、関西地域における設置が難航していた関西研究用原子炉を福井県に誘致する運動が惹起された。福井新聞朝刊1960年3月16日号には、次のような記事が載せられている。

    研究用原子炉 ぜひ本県へ 県原子力懇が運動 北知事にも協力要請

    県原子力懇談会は十五日福井市人絹会館で幹事会を開き、研究用原子炉を福井県へ誘致するための運動を起こすことを決め、県の方針としてこれを打ち出すよう同日北知事へ申し入れた。

     “立候補せば有力”

    土地の買収でいま問題になっている関西研究用原子炉の建設見通しが行き詰まってきたので、県原子力懇談会ではこの際思い切って福井県へ誘致してはとかねてから準備をすすめていた。実情調査のため京都大学にある関西研究用原子炉設置準備委員会へ派遣した小野寺福井大学助教授(懇談会幹事)の調査結果がこのほどまとまったので、それを検討したうえで誘致運動を起こすことにしたもの。
    小野寺助教授が関西炉設置準備委員の藤本、丹羽両京大教授、川合同大学事務官らにあって聞いたところによると、大阪府下では候補地がなく、最近では淡路島へでもという情勢にあるようで、福井県が候補地として名乗りをあげればかなり有力になるだろうとのこと。さらに放射能の危険度は極めて低く、炉が設置されると産業、観光、教育面でのプラスが大きい点などが明らかにされた。
    具体的な誘致運動については県と原子力懇談会が話し合って決めてゆくが、一部革新勢力、民主団体などの反対も予想されるので、運動するに当っては県民各層の意見を十分聞いたうえで行なうことを申し合わせた。
     中西原子力懇談会副会長の話 知事へ申し入れたところさっそく実情を調べて努力すると約束した。候補地については県内に二、三ヵ所あるが、十分調べて決めたい。これからの産業も文化も原子力をおいて考えられないからぜひ本県へ誘致したいと思っている。
     小野寺福大助教授の話 八月になると政府が出す土地買収収用の補助金千五百万円が失効するので、それまでに決めなければならないわけだ。土地の広さは三十三万平方メートル(十万坪)あれば十分で、よく水の出る井戸一本、それに下流に飲料用の水源地のないことが条件だった。放射能による川水や海水の汚染はほとんど考えられず、そういった心配はないと私は確信している。

    このように、前述の福井県原子力懇談会が中心となって、関西研究用原子炉を福井県に誘致しようという運動が惹起されたのである。特に、この中で、国立大学である福井大学の教員が積極的な役割を演じ、河川や海における放射能汚染はほとんど考えられないと主張していることは注目される。

  • 第一候補地であった福井県上中町(嶺南)
  • そして、福井県遠敷郡上中町長(現若狭町)が、関西研究用原子炉誘致を当時の中曽根康弘科学技術庁長官に、原発誘致を陳情した。そのことを詳細に伝えている福井新聞朝刊1960年3月18日号の記事をここで紹介しておく。

    研究用原子炉 上中町(膳部)に誘致を 玉井町長がすでに政府と折衝 全町あげて促進 中曽根長官も熱意示す

    玉井上中町長はさきに上京して首相官邸で中曽根科学技術庁長官に会い、研究用原子炉を同町新道地区膳部に誘致する話し合いを行なった。科学技術庁ではいま関西に研究用原子炉の設置を計画、大阪、京都府下に候補地を選定している。しかし各地区で土地買収がうまくゆかず最終候補地である大阪府北河内郡四条畷は地元民の反対にあい難航をきわめている。最近では淡路島九州方面に土地を求めて誘致する気配もみえている。このような情勢から上中町では関西に地の利を得た膳部を選定、中曽根長官に申し入れたもの。

    膳部は上中町中心部から約五キロの地点で滋賀県と県境にあり、国道二十七号線と同京都ー小浜線との中間にはさまれている。ともに約二時間で京都、敦賀に出ることができる。候補地は四方を山で囲まれた盆地で清水がわき出ている。昔は若狭藩主酒井侯の隠し田といわれ、総面積五十万平方メートル、研究用原子炉敷設の条件といわれる、三十二万平方メートルの平たん地、水利の二点では申し分なく、しかも関西に近いという地理的条件にも合致している。中曽根長官は膳部の建設に非常な熱意を示したといわれ、四条畷に建設が不可能な場合、本格的な調査を行うことを伝えた。すでに上中町会でも誘致を了承、また地元膳部では署名で玉井町長あてに誘致促進方を陳情する動きも出ており、今のところ全町あげての熱意を示している。なお同町長は中曽根長官と会見後東海村の原子力研究所の立地条件を視察した。

    玉井町長の話 中曽根長官は関西原子力研究所を九州に誘致しなければならないと心配していたところなので大変喜んでくれた。条件としては申し分ないといっていた。今後は県原子力懇談会と同調してぜひ誘致を実現したい。

    この上中町というところは、いわゆる「嶺南」地域にあった。沿海部というよりも、小浜市より南側の山間部に所在していた。この記事の中で、すでに中曽根康弘科学技術庁長官(当時)に陳情していること、先進地の東海村を視察していることに注目しておきたい。

  • 二番手で手をあげた福井県川西町(嶺北)
  • さらに、福井新聞朝刊3月19日号に、次の記事が掲載された。この記事では、福井県坂井郡川西町(現福井市)も関西研究用原子炉誘致に立候補したこと、そして、福井県の原子力誘致機関である福井県原子力懇談会では、川西町も含め、複数の地点を候補地として、関西研究用原子炉誘致をはかっていこうとする意向があったことが報道されている。

    原子炉の誘致運動 川西町も名乗りあげる

    鷹巣か三里浜に 北会長(県原子力懇談会)に申し入れ

    関西研究用原子炉を誘致しようと上中町では積極的に運動を起こしているが、川西町でも同町鷹巣地区か三里浜砂丘地に誘致するよう働きかけてくれと、十八日同町の小林助役が非公式に県原子力懇談会長の北知事へ申し入れた。

    県懇談会 現地調査始む

    一方北会長は最近県内へ原子炉を誘致しようとする運動が起こっているので、十七日長谷川福井大学長と会い、学術上の意見を聞いた。この結果「たとえ誘致しても付近の人畜に与える危険はない」との見解を得たので同懇談会では県内候補地の現地調査にとりかかった。川西町の候補地へは十八日、県原子力懇談会事務局の係員が山田町長、長谷川産業課長らの案内で下検分し、資料を持ち帰った。

    同候補地は海岸沿いの鷹巣地区糸崎台地区、石橋、白方の三ヵ所。糸崎では糸崎山付近を中心に約三十二万平方メートルの敷地があげられる。海岸線まで約五百メートル離れており、糸崎山から流れる水を十分使用できる。付近には松蔭、蓑浦、糸崎、和布の四区があるが原子炉の中心から三百メートル以上も離れているのでまず危険性がないといわれる。一方三里浜海岸の白方、石橋は必要な水源地確保問題に難色があり糸崎よりは条件が悪い。同町では今後、地元との土地買収に力を入れるが、地元ではいまところ深い関心を示していない。山田同町長は「今後地元との話し合いを進め、ぜひ同町に原子炉を誘致したい。半農半漁地帯なので、設置されれば、地元の繁栄はもちろん本県の文化向上にも大いに役立つので、県に近く正式に陳情書を提出して本格的な誘致運動をしたい」といっている。
    このほか候補地として北潟湖の近くの国有地(芦原ゴルフ場付近)もあげられているので、懇談会では政府や原子炉を建設する京都大の意向を聞いて、もし本県に設置してもよいということになれば、県、県会、有識者などの代表で用地選定委員会をつくりたいようである。

    この川西町は、いわゆる福井県の「嶺北」地方にあたっている。福井市の北西で、沿海部であった。この記事の中でも、福井大学長が危険性がないと明言している。しかし、原子炉の中心から300m以上人家が離れているから危険性がないとしているが、これは、交野町設置案でも推進側が主張した意見である。そして、交野町周辺の住民は1kmも離れていないことを設置反対の理由としていたのである。

    上中町については、『福井県史』通史編6(1996年)で「上中町は住民の合意が得られず誘致運動は進展しなかった」(同書716頁)と述べられている。しかし、福井新聞朝刊3月26日号では、川西町における最有力候補地の糸崎地区の周辺の、松蔭、蓑、糸崎、和布の四区長が建設に同意したことを伝えており、川西町では住民の合意は得られたのである。

  • 原子炉設置反対の声
  • しかし、福島県などとは異なって、福井県では原子炉設置に反対する主張がみられた。福井新聞朝刊1960年3月18日号では「県会で原子爐誘致を追及」という見出しで、17日の福井県議会の総務委員会で社会党の斎藤敬一県議が原子炉誘致方針を追及したことが報道されている。この記事では「斎藤氏の主張によれば『どこの県でも受け入れないものをなぜ県が積極的に誘致しようとするのか』というもの。なお社会党議員団ではもしこの誘致運動が具体化されれば、全組織を動員するといっている。」と述べている。福井県の社会党は、誘致に反対であったといえる。

    4月には、福井県レベルの総評系労働組合のセンターであった福井県労働組合評議会(福井県労評)も、原子炉誘致に反対の姿勢をとった。福井新聞朝刊1960年4月5日号には、次のような記事が掲載されている。
     
     

    誘致には反対 県労評、態度を決める 関西原子炉

    県労評は四日福井市の労働会館で執行委員会を開き、研究用の関西原子炉を県内に誘致する問題について協議した結果「いまの段階では自主、民主、公開の三原則が守られない恐れがある」などの理由から誘致には反対の線を打ち出し近く県にこの旨を申し入れることを決めた。
    研究用原子炉の誘致についてはすでに上中町と川西町が名乗りをあげているので、県労評としては何らかの態度をとるよう考えて、総評の大阪地評などと連絡をとって検討していた。
    この結果①研究の成果が軍事的に利用される恐れがある②上中、川西いずれの場合にも近くの川や海が放射能で汚染される恐れがある③誘致は全県民的な問題なのに、誘致運動は議会や理事会などが勝手に進めているなど自主、民主、公開という原子力研究の三原則をおかしているというもの。
    県労評では、こんご強い誘致運動が行なわれる場合は、関西の民主団体とも連絡して全県的な誘致反対運動を始める考えでいる。

    このように、福井県では、社会党・福井県労評などにおいて、関西研究原子炉設置反対の主張がみられた。この前提には、京都府・大阪府の各地で行われた関西研究用原子炉設置反対の住民運動の影響があったと思われる。

  • 福井県における関西研究用原子炉誘致活動の歴史的意味
  • 結局、関西研究用原子炉は、1960年末に大阪府熊取町に建設が決定され、福井県に研究用原子炉が建設されることはなかった。しかし、その後も福井県により原子力施設誘致の運動は継続され、1962年、日本原子力発電株式会社は、東海村に建設されている東海原発の次の商用炉建設の候補地を福井県川西町として調査を行った。川西町は原発建設の前提となる堅固な地盤が存在しないため候補地から外されたが、日本原電は福井県内で調査を続け、敦賀半島の二地点を候補地とすることになった。この二つが、いまの原電敦賀原発と、関西電力美浜原発となった。つまり、関西研究用原子炉誘致運動は、それ自体としては挫折したが、その後、福井県嶺南地方で集中的に原発建設が行われる契機となったのである。

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