Feeds:
投稿
コメント

Posts Tagged ‘祭典’

福島第一原発の汚染水については、毎日のように新たな漏洩が報道されている。8月31日には、タンク2個で最大毎時1800mSvに達する高放射線量が検出され、汚染水漏洩が原因であると推定されている。毎日新聞のネット配信記事をみてほしい。

福島第1原発:汚染水問題 2タンク底部、高線量 最大1800ミリシーベルト 接合部、漏えいか
毎日新聞 2013年09月01日 東京朝刊

 東京電力福島第1原発でタンクから高濃度汚染水が漏れた問題で、東電は31日、敷地内にある同じ型のタンク2基の底部の外側から最大で毎時1800ミリシーベルトの高い放射線量を検出したと発表した。22日の測定時は最大毎時100ミリシーベルトだった。周辺に水たまりは確認できず、タンク内の水位低下もみられないが、タンクを構成する鋼板の接合部からしみ出ている可能性がある。

 2基は約300トンの汚染水が漏れたタンクから約100メートル離れた「H3」区画にある。測定は、タンクから1メートル離れた地面から高さ50センチの場所で実施。

 前回に比べ線量が高くなった理由について、東電は「原因を調べている」と説明。その上で、「放射線は比較的遮蔽(しゃへい)が容易なベータ線が中心だ。作業員は防護服を着用しており、健康影響は考えにくい。周辺環境への影響も今のところ、みられない」としている。1800ミリシーベルトは、原発作業員の年間被ばく上限に1分あまりで達する線量。

 2基とは別に「H4」エリアにあるタンクの底部と、「H5」エリアのタンク同士をつなぐ配管下部で、最大で毎時230ミリシーベルトを検出した。この2基でも水位の変化は見られないが、「配管部に少量の水滴があり、地面に変色が見られる」という。【渡辺諒】http://mainichi.jp/feature/20110311/news/20130901ddm041040108000c.html

この中で、東電は「放射線は比較的遮蔽(しゃへい)が容易なベータ線が中心だ。作業員は防護服を着用しており、健康影響は考えにくい。周辺環境への影響も今のところ、みられない」と述べている。しかし、この毎時1800mSvという放射線量について、ブルームバーグは、次のような見解のある記事を9月2日に配信している。

近畿大学の伊藤哲夫教授(放射線生物学)は、毎時1800ミリシーベルトという水準について、「4時間浴び続ければ死というものしかなく、手当てしなければ、30日以内に100%の方が亡くなる」と述べ、非常に高いレベルだとの認識を示した。
http://www.bloomberg.co.jp/news/123-MSF7FN6KLVR801.html

東電は、また、事態を矮小化しているとしかいえない。ベータ線が遮蔽しやすいといっても、直接1分でもあびたら、それだけで原発作業員の年間の被ばく上限に達する量なのである。最早、死と隣り合わせの作業になっていると考えるべきなのである。そして、これが最悪だとすらいえないのだ。

このような福島第一原発事故の汚染水漏れは、日本よりもはるかに海外で報道されている。共同通信は、9月2日に、福島第一原発の汚染水漏れについての海外の報道を紹介した記事をネット配信している。

五輪招致への影響、指摘も  汚染水問題、各国が報道

 東京電力福島第1原発で汚染水が海に漏出している問題が、各国メディアの注目を集めている。深刻な海洋汚染の脅威が現実となりつつある事態が連日報じられ、東京がマドリード、イスタンブールと争う五輪招致への影響も指摘されている。
 「日本はもぐらたたきにうんざりしている」。米CNNは相次ぐトラブルへの政府、東電の対応が後手に回っている現状をそう例えた。地上タンクからの漏出が「懸念材料のカタログに新たに加えられた」と表現。「汚染水の海洋放出や土壌の凍結措置も考えられるが、重大な技術、政治的な挑戦となるだろう」との専門家の分析を報じた。
 「約千個あるほかのタンクの耐久性にも疑問を生じさせる」とした米紙ニューヨーク・タイムズは、一連の問題が東電への視線を厳しくし、海洋放出の合意形成を難しくしたとの見方を伝えた。
 英BBC放送は、敷地内のプールにある使用済み核燃料の危険性も指摘し「日本が国際的な支援を求めないのは大きな過ちだ」との声を伝えた。
 事故後、2022年末までの脱原発を決めたドイツでは、保守系のフランクフルター・アルゲマイネ紙が「透明性は皆無」の見出しで、東電の変わらぬ 隠蔽 (いんぺい) 体質を批判。「約束した社内改革は口だけにすぎなかった」と、 広瀬直己 (ひろせ・なおみ) 社長の指導力に疑問を投げかけた。
 20年の夏季五輪開催都市が決まる国際オリンピック委員会(IOC)総会は7日(日本時間8日)。「日本が効率的な五輪運営をすることに疑いはないが、まだ原発の危機に取りつかれたままだ」(カナダ紙)など、原発事故と五輪をからめた報道も出てきた。
 候補地を抱えるスペインの地元メディア、エウロパ・プレスは「原発の問題が未解決であることは東京の五輪招致にも影響を与えるだろう」との元閣僚の発言を報じた。
 政府が原発建設を急ぐ中国でも関心は高い。
 共産党機関紙、人民日報の地方支社の幹部は短文投稿サイト「 微博 (ウェイボ) 」に「(日本は)平和憲法の改正を図り、軍国主義が台頭し、大量の汚染水を公海に流している」と投稿し、五輪の東京開催への反対を呼び掛けた。
 国営通信の新華社は「原発の危機が東京の招致に暗い影」と報道。安全性を訴える 猪瀬直樹 (いのせ・なおき) 東京都知事の発言などを伝える記事を「日本政府は危機を見くびり続けているが、内外で高まる懸念にIOCが耳を傾けるかどうかが注目」と結んだ。
 自国産の水産物などにも風評被害が拡大する韓国では、 日本政府が9月の早い時期にも抜本的対策を打ち出すことについて、 五輪招致への悪影響を懸念し「手をこまねいていた姿勢から急変した」(聯合ニュース)と分析。「根本的な事態解決は期待できない」と懐疑的な見方を伝えている。(パリ、ベルリン、北京、ソウル、東京共同)
(共同通信)
2013/09/02 15:44
http://www.47news.jp/47topics/e/245218.php

しかし、このような、海外における福島第一原発汚染水問題の報道に対して、森喜朗元首相は「東京オリンピック招致活動へのネガティブキャンペーン」として理解しているのである。森は現在、招致委員会評議会議長の立場にある。その彼が8月30日、中日新聞のインタビューを受け、中日新聞は8月31日にネット配信した。

「日本の力 見せる時」
 九月七日の二〇二〇年夏季五輪の開催都市決定まであと一週間余り。東京招致に向け、政財界一体となった招致委の評議会議長を務める森喜朗元首相は三十日、本紙のインタビューに「(福島第一原発の汚染水漏れ事故の報道で)ますます分からなくなってきた」と情勢を分析。安倍晋三首相が出る最終プレゼンテーションでの対応が重要との認識を示した。(田嶋豊)
 一九年のラグビーワールドカップ(W杯)招致を成功させた森氏は、今回もきめ細かな采配(さいはい)を発揮。日本オリンピック委員会(JOC)が中心だった前回のコペンハーゲンの反省から「敗因分析も明確にない中、戦略を立て直した方がいい」と指示。招致委に外務省や文部科学省の人間を送り込み、あらゆる団体を網羅し、国民的運動として盛り上げてきた。
 マドリードと東京の決選投票をにらんだ情勢も一部伝えられるが、森氏は王室を巻き込んだスペインの動きを警戒。さらには「アンフェアだが、欧州における汚染問題のネガティブキャンペーンが痛手だ」と分析する。
 一方、その対応をめぐり、二十九日の出発直前まで竹田恒和理事長らと協議。森氏は国際オリンピック委員会(IOC)委員には欧州勢が多く「風で(票が)動くこともある」と警戒感を募らせ、プレゼンに臨む首相に「ネガティブキャンペーンをうまく打ち消す対応をしなきゃいけない」と注文する。
 戦後、国民に自信と希望を与えた一九六四(昭和三十九)年の東京五輪から半世紀。森氏は「東日本大震災もあった。復興と元気、世界中に日本の力を見せる時だ」と強調する。日本だけではない。「スポーツの世界で取り残されているアジアの存在感を示し、理解してもらう機会になる」と期待を込めた。
(後略)http://www.chunichi.co.jp/hokuriku/article/news/CK2013083102100018.html

森は、福島第一原発汚染水問題に対する海外での報道を、「東京オリンピックに対するネガティブキャンペーン」としかみていないのである。スポーツの世界だけしかみてこなかった人がこのような発言をするのは、ある意味で理解できる。しかし、森は、元首相なのである。スポーツ振興は不要だとは言わないが、日本列島に住む人びとの生に一度は責任をもち、国際的にも、日本を代表して発言してきた人なのである。それが、このような発言…。日本列島に住む人びとの生にも、国際関係についても、森にとっては二義的な問題であり、東京オリンピック招致こそが課題なのである。そして、このような論理でいえば、国内で福島第一原発の問題を報道することも「東京オリンピックに対するネガティブキャンペーン」として認識されかねないといえる。

ただ、このような認識の背景には、権力側の漠然とした危機感があるのではないかとも考えている。福島第一原発事故についても東日本大震災についても、権力側においても漠然と危機を感じているのだと思う。しかし、彼らは、どちらについてもまともに向き合わず、彼らからすれば「ナショナリズムの祭典」(実際は、もちろんそれだけではないのだが)であるオリンピックを東京で開催することで、「国威」を発揚させ、「危機」を脱することができるのだと信じているのだと思う。

しかし、それは、全くの本末転倒な幻想に過ぎないだろう。オリンピックが開催されようとしまいと、福島第一原発事故への対応も東日本大震災からの復旧も課題として厳然として存在する。危機に正面から立ち向かうことこそ、危機への本来の対処の道である。

広告

Read Full Post »

2011年10月9日夕方、渋谷で「怒りのドラムデモ」が行われた。「怒りのドラムデモ」ととは、どのようなものなのか。単純にいえば、脱原発を求めて、ドラムー打楽器を打ちながら、街路を行進するものである。まず、主催者側の呼び掛け文をみておこう。

もうすぐ原発事故から7ヶ月が経とうとしています。しかし問題は全く解決されておらず、依然収束の見込みは立っていないままなのに、「解決の方向なんでしょ?」という空気が東京でも漂い始めています。
私たちは、稼働している原発に可能な限り早期の停止と廃炉を求めます。

これまで様々な場所で原発に対する抗議のデモが行われてきました。デモのなかで、鳴りもの「太鼓」をはじめ楽器を持つ人が多くいる事がわかってきました。シュプレヒコールの代わりにドラムを叩き付けるがごとく、渋谷の街を抗議の音で満たしましょう!

スネア、ジャンベ、タム、和太鼓、シンバル、空き缶、その他打楽器持っているひと集合!!!
その他の管楽器・弦楽器・笛・盆踊りの和太鼓・自転車のベル・ブブゼラ・カズー・ドラム缶・一斗缶・クッキー缶・なべ・フライパン・ゴミ箱・ダンボール・ラジカセ・バケツ・洗濯板・風鈴・その他楽器の方も、楽器持ってない人も、プラカードで参加の方も、手ぶらでの参加も、もちろん歓迎です!!
反原発/脱原発に直接関わりのない旗やプラカードはご遠慮ください。 

怒りのドラムデモ実行委員会 (a.k.a.ドカドカうるさいマーチングバンド)
(http://protestofdrum.blogspot.com/p/blog-page_7152.htmlより)

このドラムデモに、私も参加した。このデモ開催はフェイスブックを通じて伝えられた。アラブ・・アメリカなどで行われたデモはツイッターやフェイスブックなどを通じて広められたというが、日本の脱原発デモも同じような連絡方法で伝えられたのである。

デモは16時45分から開始された。出発地点は恵比寿公園である。恵比寿公園に集まっている人たちをみると、お互い同士それほど話し合いをしていなかった。私のように、一人で来ている人も多いようであった。基本的に大組織を背景に動員されているようにはみえなかったのである。

その中で、一際目立ったのは、道化師の仮装をした人たちだった。後で雨宮処凛のブログでいわれていたのだが「クラウンアーミー」というらしい。彼らは、さかんに輪になって踊るなど、パフォーマンスのリハーサルを行っていた。

小太鼓などをもっていた人たちもいたのだが、最初それほど多くいるようにはみえなかった。
(なお、プライバシーを考慮して、写真において個人が特定できると考えられたものは、眼に線を入れた。仮装や遠望などで特定できないと思うものは修正しなかった。)

出発地点の恵比寿公園

出発地点の恵比寿公園

福島県の教師も参加していたようだ。

福島からの参加者

福島からの参加者

出発直前に、クラウンアーミーを中心に、ドラムをもっていた人々が集まって、ドラムを打ち鳴らした。かなりの迫力であった。

出発直前の景況

出発直前の景況

そして、デモは恵比寿公園を出発した。

恵比寿公園出発

恵比寿公園出発

デモが始まってみると、多くの人が何らかの打楽器をもっていたことに驚いた。呼び掛け文には「これまで様々な場所で原発に対する抗議のデモが行われてきました。デモのなかで、鳴りもの「太鼓」をはじめ楽器を持つ人が多くいる事がわかってきました。」といわれている。さらに、もう一度、このサイトをみてみると、次のように、楽器が無償で貸し出されていたことがわかる。ただ、大きなものはそれほど貸し出されていないので、かなり自前でもってきたのであろう。

追記1 
HUMAN RECOVERY PROJECT / PINPRICK PUNISHMENTの穴水さんからの申し出で、楽器をお借りする事が出来ます。
以下をお読みください。

▼ANAFUZZ MasahikoAnamizu
10/9怒りのドラムデモ。私が運営している楽器・音響.com が全面的にサポートします!
タンバリン・シェーカー・カウベル等の小物から全て無料で提供します!
他に在庫はスネア,バスドラム,ハイタム,ロータム,フロアタムが全て2つずつ。
※ストラップ(ヒモでOK)とスティックは各自ご用意ください。
利用希望者は14時~15時半にこちらまでお越し下さい
※通常のレンタル契約同様、携帯番号、住所、氏名等を控えさせていただき、身分証を確認させていただきます。
10/9怒りのドラムデモはこれまでデモ参加を躊躇していたバンドマンに是非とも参加してほしい。
ただ、黙ってプラカード掲げるだけの行進じゃつまらないし、シュプレヒコールも運動っぽくて照れくさい。
何か叩いてリズムとってれば周りとの一体感も感じるし、慣れない「恥ずかしさ」も吹き飛ぶさ。(2011年10月7日のツイート)

デモもかなり、今までとは異なったものであった。デモ隊の先導車はなく、拡声器もなかった。個人的に「原発やめろ」などと怒鳴っている人はいたが、集団でメッセージを唱和することはなかった。集団で出されていたのは、ドラムの音であった。まさに、「ただ、黙ってプラカード掲げるだけの行進じゃつまらないし、シュプレヒコールも運動っぽくて照れくさい。何か叩いてリズムとってれば周りとの一体感も感じるし、慣れない「恥ずかしさ」も吹き飛ぶさ。」ということなのだろう。私のいった脱原発デモでは、よく「サウンド・デモ」といって、先導車にミュージシャンがのって、「脱原発ソング」などをうたっているものが目立っていたのであるが、その発展型といえるであろう。シュプレヒコールを拡声器に従って唱和するのではなく、個々人が「ドラム」をたたくことでメッセージを発信するということと解釈できる。

ドラムの音は大きい。単独でもかなりのものだが、集団で叩いているならなおさらのことだ。特に、高架線をくぐるときなどはとりわけ大きくなる。歩道橋の下ですら反響がよくわかる。

恵比寿駅高架下をくぐるドラムデモ

恵比寿駅高架下をくぐるドラムデモ

ドラムによるメッセージを補完するものは、プラカードや旗であった。さまざまな「脱原発の主張」がそこには書き込まれている。

恵比寿周辺を行進するドラムデモ

恵比寿周辺を行進するドラムデモ

プラカードその1

プラカードその1

プラカードその2

プラカードその2

プラカードその3

プラカードその3

プラカードその4

プラカードその4

中には、右翼的な思想に基づくと思われるプラカードもあった。ただ、日の丸をうちふるということはみられなかった。

プラカードその5

プラカードその5

普段のデモならば先導車がいる、先頭のところにいたのは、前述のクラウンアーミーである。彼らは、無言で(いや、何か発してもわからないが)デモの先頭でおどり、行き過ぎる人々の目をひきつけた。

デモの先頭で踊るクラウンアーミー

デモの先頭で踊るクラウンアーミー

歩道橋の上は、写真撮影する人で鈴なりだった。もちろん、デモ参加者や取材陣もいると思うが。

歩道橋から撮影する人びと

歩道橋から撮影する人びと

写真では、なかなか音を伝えるのは難しい。下記の動画は、少々長いが、よく全体をとらえている。恵比寿公園を出発したドラムデモは、恵比寿駅前から明治通りを通り、渋谷駅東口を通過し、さらに北上してから山手線の高架をくぐって、一度渋谷公会堂前にいき、そこから公園通りに入って、渋谷駅西口にいき、再度明治通りを北上して、神宮橋公園でフィニッシュした。見ていると、その経過がよくわかる。撮影者は、たぶん、出発時には、デモの後のほうにいたらしい。ここでは、タンバリンや手持ち管楽器などの「ドラム」ではない音が多いようである。そして、だんだん前のほうに移動したらしい。動画の後のほうでは、デモ先頭附近の、「ドラム」隊やクラウンアーミーのパフォーマンスが撮影されている。

(http://www.youtube.com/watch?v=3iCLUoyqxSkより)

ドラムデモのコース

ドラムデモのコース

ドラムの音であるが、一見何げなく叩いているようであるが、それなりにリズムがあっていたことがわかってきた。それは、上記の動画にも表現されているであろう。てんでに叩いているようであるが、だんだん集団としての調和がとれてくるのである。その意味で、ある意味では、先導者がいなくても集団としてのまとまりを作り出していた、このデモのあり方全体を象徴するものといえるだろう。

このドラムの音は、だんだん人をひきつけてくる。私は年齢が年齢なので、それほどドラムの音が好きというわけでもないのだが、最後のほうでは、私自身が手拍子でこのドラムの音にあわせようとしていた。集団でのドラムの音は、人びとの自発性を引き出し、自立した主体を促す。シュプレヒコールに唱和する主体のような、ある意味では受動的な主体参加ではなく、能動的な主体参加を促進していくものであるといえる。

このドラムデモは、街行く人の目を引き付けた。写真は公園通りのものである。さらに渋谷駅のハチ公前でも多くの人がデモをみていた。

公園通りでデモをみつめる人びと

公園通りでデモをみつめる人びと

最後については、上記の動画の最後のほうみてもらったほうがよくわかる。解散地点の神宮橋公園では、クラウンアーミーたちが、ポールのようなものを中心として輪になって踊り、その周りでドラムが、それこそリズムをあわせて打ち鳴らされていた。そして、古いたとえで恐縮だが、三々七拍子のような形でドラムが打たれ、まわりも手拍子その他であわせることでフィニッシュした。最初、恵比寿公園で行っていたクラウンアーミーのリハーサルはそのためのものであった。演出意図に納得した。つまり、一つの「始まり」と「終わり」をもった、どちらかといえば、コンサートの乗りであるパフォーマンス・デモであったといえるのである。

最後に、主催者が10月22日にもドラムデモをしないかといわれていると話しながら、「皆がそれぞれドラムを持ち寄ればいいんですよ」と話していた。そういう心意気なのだ。

主催者側では1000人程度、警察側の発表では600人と、最近は万を超える参加者がある「脱原発デモ」としては、少数の参加者であった。しかし、参加者とそれをみている人びとに「デモは楽しい」と思わせることで、このデモの意義は大きいだろう。

それに対して、非常に脱原発デモ報道に消極的な、朝日新聞も10月10日付朝刊の二面で大きくとりあげて報道した。なお、次に掲げるものは、ネット配信した記事であるが、二面にも同内容の記事が出されている(ただ、二面の記事は、識者の発言やらも入っているが)。

脱原発デモが各地で続く。今まで社会運動に参加してこなかった「アマチュア市民」たちが、インターネットでゆるやかにつながる。組織を持たない人々の怒りを新たなメディアが束ね、路上へと押し出す風景は、米国や中東で起きている若者のデモと相似形だ。
■動員なし、届け出上回る600人行進
 ドンドン、ブブーッ、コンコン。9日夕方、東京・渋谷の公園通りを、太鼓やトランペット、フライパンなど、思い思いの「楽器」を奏でながら、デモ隊が練り歩いた。
 街宣カーの連呼も、シュプレヒコールもない。にぎやかな音を聞いてレストランから出てきた男性店員は「お祭りかと思ったら、デモなんですね」。
 先頭付近で、腰にドラムを下げて行進した河野亜紀さん(39)は普段、ウェブデザインの仕事をしている。4月にデモに初参加し、「こんなに楽しい世界があるんだ」とはまった。
 震災前、デモに対して、学校で苦手なマラソン大会に出るような「動員」のイメージを抱いていた。でも原発へのもやもやした不満を何とかしたい。ツイッターで知ったデモに足を運び、「みんな同じように怒ってたんだ」と分かった。
 IT企業で働く古賀真之介さん(32)は、妊娠中の妻と参加した。「子どもと妻のことを思うと、危険な原発はすぐにも廃止してほしい」。予備校生の下西あす夏さん(19)は「デモは逮捕されそうで怖い」と思っていたが、「自分にできることを」と参加した。友人の多くは無反応だが、ツイッターでデモのことをつぶやき続けている。
 この日、デモを呼びかけた井手実さん(31)は、今回初めて主催側になり、警察への届け出など手続きをした。内装業の傍ら趣味でパンクバンドを組む。常に線量計を持ち歩くなど、脱原発の思いは本物だが、これまで社会運動を担ってきた労組や団体を「プロ市民」とすると、「自分たちはアマチュア」と感じる。
 組織も動員もなく、告知はネットや口コミに頼る。参加者100人と届け出たが、ふたを開けると600人が集まった。予告ホームページの一つには、米ニューヨークの路上で人々が楽器を打ち鳴らすネットの映像がリンクされている。
 硬質な社会問題でも、お祭りのように楽しむノリ。東京で脱原発デモの先駆けとなった4月のデモは、高円寺のリサイクル店「素人の乱」が主催した。店長の松本哉(はじめ)さん(36)は就職氷河期に大学を出たロスジェネ世代だ。放置自転車の撤去に抗議する「オレの自転車を返せデモ」といった遊び心を入れた活動を仲間と続けてきた蓄積が生きた。企業や組合など従来型の組織からはみ出した存在だからこそ、自由なスタイルでデモができる。
 松本さんは、韓国やフランスなどに出かけ、連携を模索する。脱原発デモの映像をネットに流すと、台湾から同じようなデモをしたいと反応があった。米国でのデモも、学生や失業者がネットでつながり、ゲリラ的に活動している点に共感を抱いている。(西本秀)
http://digital.asahi.com/articles/TKY201110090392.htmlより

記事内容も、それなりに、デモの内容を伝えている。デモ参加者の声を出していることは貴重だ。

この「ドラムデモ」は、3.11以後の状況が作り出した、ある種の新しい政治文化だといえるであろう。「怒りのドラムデモ」と名付けられているが、まず、「怒り」を自分自身で「表現」することが最初の一歩なのだと思う。叩いているのはドラムではない。3.11を作り出したものすべてを叩くべきなのだ。直接的には、政府であり東電であるが、さらにいえば、そのような状況を作り出した自分自身も「叩き直す」必要があるのだ。そして、自らの生を拒んでいるのは原発だけではない。アラブ・イギリス・アメリカでの行動が示しているように、状況すべてなのだといえるのだ。

私の個人的な研究でいえば、「公共圏」における言説の場における葛藤を検討してきたのだが…今や、それに先行して、「怒り」の感情を自分自身で表現することが必要な時なのではないかと思う。まさに、直接的なメッセージではない、ドラムを打つことによって怒りを表現し、リズムをあわせることで、見も知らない人びとが調和し、結びつく。そして、自己を表現すること、それが共同性を喚起することで人びとは「楽しい」と感じる。一方通行ではない、個と全体との関係。それを今までめざして、戦後社会は存在したきたし、今後ともそれを求めていかねばならないだろう。

Read Full Post »

さて、前回紹介した資料は、雑司が谷地域でお会式を支えた講社の実態を伝えている。まず、戸張(政)によると、御嶽中島講は40軒程度の家で組織され、その代表の12-13人で、造花づくりなどの準備を清立院で行ったと述べている。
一方、戸張(政)より約15歳年長の吉田は、講中の各家では年番をつとめることになっており、準備はその家でも行ったといっている。さらに、吉田は、雑司が谷では、御嶽中島・南古木田・清土・六家町・上り屋敷・原・水久保という講社があり、それら(吉田は六つとしているが、あげられた講社は七つ)がまとまって妙法結社を組織していたとしている。そして、妙法結社内の各講社にも年番があり、それにあたると、下総中山の鬼子母神(法華経寺)、安房の誕生寺、鎌倉の竜口寺、身延山などに参詣に行ったと述べ、中山では、酒食の接待を受けたことを回想している。
一方、妙法結社では、お会式の際、法明寺門前にのぼりをあげるとしている。妙法結社全体の世話人は、後藤権二郎と安井銀太郎がしていたとしている。そして、妙法結社では、堀之内妙法寺と池上本門寺に万燈を奉納しに参詣したと吉田はのべている。いわば、大山講や伊勢講などと同様な代参講の形式をとっているといえるが、戸張(政)は知らないとしている。これは、雑司が谷の例であるが、この当時、地域外からくる講社も同様の形態ではないかと思われる。つまりは、参詣を中心とした講が、お会式を担ったと考えられるのである。
この講社名であるが、「新編武蔵国風土記稿」にある、雑司ヶ谷村の「小名」には、「古木多」「原」「水久保」「中島」「清土」とあり、五つが近世の小字名に由来することがわかる。なお、上り屋敷は、1916年の一万分の一地形図に山手線西方の地名としてでているので、これも小字名である。六家町は、たぶん四家町の誤記であろう。そうなると、目白通り沿いの高田四家町が該当することになる。つまり、この講社名は、雑司が谷地域の地名に由来しているのである。
さて、この講社名を前述の地図でみてみると、中島御嶽は雑司が谷霊園の南側の現雑司が谷1丁目を中心とした地域である。古木田は、その南側の現雑司が谷二丁目となる。清土は、地形図には出ていないが、この地名は鬼子母神出現の地であるから、現雑司が谷一丁目に隣接する文京区目白台2丁目で不忍通り沿いとなる。六家町が四家町ならば、目白通り沿いの雑司が谷2丁目・高田2丁目ということになる。上り屋敷は、山手線の西側の現西池袋2丁目で、上り屋敷公園が所在している。水久保は、雑司が谷霊園の北側で、現在では南池袋4丁目・東池袋4・5丁目あたりである。原については、よくわからないが、法明寺の北側に「中原」「東原」という地名があるので、その周辺ではないかとおもわれる。そうなると、南池袋2・3丁目ということになる。大体、雑司が谷鬼子母神・法明寺を囲んだ形で雑司が谷の講社は所在していたといえる。
吉田は、雑司が谷では10月1日に寄合があり、その時は、鬼子母神境内の茶屋から接待があったことを回想している。雑司が谷境内は、いわば接待側であったのである。講社名で、鬼子母神や法明寺の地元はみられないことと照応しているといえる。今日では、そのものずばりの地元の「大門宮元講」があるが、この時期は、参詣する各地域の講社をもっぱら接待していたといえるのである。
内田の回想によると、奉公人でもお会式の準備過程から参加できたようである。そのことも、この座談会では確認できる。
こうしてみてみると、戦前期のお会式を担った講社の実態がここにでていると思われる。雑司が谷では、各講社は地縁的な団体で、奉公人も参加できたが、本来の形は代参講の形態をとっていたと思われる。各講に年番がいた。そして、これら講社を統括する存在として妙法結社が存在し、雑司が谷お会式だけなく、池上本門寺や堀之内妙法寺のお会式にも万灯奉納を行っていたのである。一方、鬼子母神境内を中心とした地域は、お会式の接待側にまわっていたのである。

Read Full Post »

ここから、何回かにわけて、「御会式新聞」第17号(1987年10月15日)に掲載された座談会「三嶽中島講 古老に聞く」を紹介しておきたい。戦前のお会式に参加した講社の実態が、この座談会によくあらわれている。まず、冒頭から、原文通りにみていくことにしたい。ここでは、お会式の準備から話が始まり、奉公人のお会式参加や、地域の講社組織のあり方まで及んでいる。この件についての分析は、次回行うこととする。

三島中島講 古老に聞く

吉田磯次郎さん(八八)
内田松五郎さん(七八)
戸張政次郎さん(七三)
戸張三郎さん (六九)
 司会  伊藤博
 まとめ 須藤昭雄

お会式が始まるぞ!
司会 今日は、古くから、お会式を愛しつづけてきた方々から、私たちの知らない昔話を伺いたいと存じます。まず、準備のあたり、内田さんにお願いいたします。
内田 そうですね、私は大正十二年四月、震災の年に十四歳で小僧にきました。昼間は小僧ですから仕事は休めませんでしたが、お会式が近づくと、夜は親方が「万灯の花を作る手伝いに行け」と指示してくれました。これが嬉しくてね。当時は一日と十五日の休みはあったものの、あまり外へは出られなかったのに、お会式の時だけは公然と出ていけましたから。
戸張(政) 清立院の屋敷や本堂を借りてやった覚えがありますよ。人数は、三嶽中島講の家が、このへんには四〇軒くらいあったから、その代表が出て、十二~三人くらいかな。
吉田 そうだな、それだけいれば、作ってしまう。講の年番に当たると、その家でもやる。吉野さんとか私の家でもやったよ。昔、雑司が谷には、今はない講もあるが、三嶽、南古木田、清土、六家町、上り屋敷、原(ここが一番いい万灯を出したね)、水久保とあり、これが番をぐるぐる回ってる。年番に当たると、わが家じゃ中山の鬼子母神へ奉納に行くんです。戦争のちょいと前までだったかな。奉納に行くと、二の膳付き、おかん徳利が二本ついて、しかも女の人がおしゃくしてくれる。そういうふうに、ご馳走になって帰ってくる。雑司が谷の鬼子母神は、十月一日に寄合いがあるんだ。鬼子母神の境内には、お団子屋さん、雀焼きの店が十一軒ばかりあった。上総屋、武蔵屋とかいったな。そのお茶屋の娘さんや奥さんが手伝いに来ておしゃくしてくれるんだ。たいへんなご馳走だったよ。
さっき話した六つの講がまとまって、妙法結社というのができていた。結社では、法明寺の仁王門の前にお会式のときには大きなのぼり、一〇間からあるやつを立てた。今は石が残っているだけだけれどね。
戸張(政) その中山の話は全然知らないね。
吉田 結社の講中では、番が回ってくると、中山の鬼子母神と房州の誕生寺、鎌倉の竜口寺、身延山などへお参りに行く。震災から戦争までぐらいやったね。
そして結社では池上、堀之内への万灯を奉納に行くんだ。つまりお参りさ。その時分は後藤権二郎さんと安井銀太郎さんが妙法結社の世話人だった。(後に続く)

Read Full Post »

近代都市において、「講社」とはどのように存在していたのか。単に、雑司ヶ谷鬼子母神お会式のことだけでなく、日本の近代都市における民衆の結合形態全体を検討するためにも分析されなくてはならない課題である。
一般的に「講」とは、庚申講・大山講・伊勢講・念仏講・題目講・頼母子講など、農村部の民衆結合を中心に検討されてきた。そして、都市化につれて消滅していく民俗事象として理解されてきた。しかし、今日の雑司ヶ谷お会式の隆盛をささえているのは、東京という巨大都市の一部である雑司ヶ谷地域の「講社」に他ならない。これは、雑司ヶ谷お会式にとどまらない。都市部の寺院・神社をみていると、かなり多く「講」による石造物や灯篭などが存在しており、「講」によって維持されている部分が多いように思われる。このような都市部の「講」については、民俗学にせよ歴史学にせよまだ十分検討されていないといえる。
雑司が谷お会式の機関紙である「お会式新聞」は、お会式を検討し、さらに近現代の講社の実態を分析するためのよい資料といえる。もちろん、戦後が中心であり、後々は戦後について検討する予定である。ただ、この前から続けているように、まずは、「お会式新聞」から、大正期―昭和戦前期のお会式とそれをささえた講社に実態についてみてみよう。
ここで、集中的にとりあげるのは、大正期に存在した「御嶽中島講」である。この講社は、戦前において、雑司ヶ谷地域における有力な講社であった。しかし、戦後は中絶し、1982年に「三嶽中島講」として復活し、戦後のお会式の主催団体であるお会式連合会に参加した。「お会式新聞」第12号(1982年10月15日)には三嶽中島講の「連合会入会に際して」という一文が掲載されている。そこでは、まず「今年度より雑司が谷一丁目三嶽中島として連合会に入会させて頂きます。」と宣言している。そして、「戦前我々の町、一丁目には古くから御嶽中島講という講社があって毎年鬼子母神の御会式に万燈を出し御嶽の大太鼓といって有名だったそうです」と説明している。
その上で、なぜ「三嶽中島講」に改名したのかについては、(1)一丁目町会・第一町会・亀原自治会と三町会があり、この三町会の有志が心を一つにして計画したこと、(2)老中若の三世代の人々が心をあわせて実行することになったことという、二つの理由をあげている。
「三嶽中島講」となった由来はわかるのだが、もともとの「御嶽中島講」となった由来は何か。『角川日本地名大辞典』によると、雑司ヶ谷村の小字名に「中島御嶽」がある。このように、元来は小字名に由来している。ただ、『地誌御調書上』(1825-1829年成立)では、雑司ヶ谷町の字「御嶽」とされ、『新編武蔵国風土記稿』(1828年完成)では、雑司ヶ谷村の小字「中島」とされている。「御嶽」と「中島」が同一の地をさしているかいなかはわからないが、いずれにせよ、後代には「中島御嶽」となっているので、同一でなくても、近接していたといえる。「中島」の由来はわからないが、「御嶽」については、鬼子母神以前の雑司ヶ谷村の鎮守といわれる「御嶽社」に由来している。この「御嶽社」の別当寺が清立院であり、清立院は現存している。この清立院も日蓮宗寺院である。たぶん、御嶽社―清立院の門前の地域が御嶽中島の範囲と考えられるのである。このように、戦前の「御嶽中島講」は、雑司ヶ谷村の一小字によって組織されていたのである。

なお、参考のために地図をだしておく。「水仙寺」とされているところが清立院である。

参考文献:『豊島区史』資料編第三巻

Read Full Post »

おえしき新聞15号3面(1985年10月15日)

おえしき新聞15号3面(1985年10月15日)

今まで述べてきたように、近世の雑司ヶ谷お会式では、日蓮の生涯をあらわした人形が飾り立てられ、近世の文人の目を引き付けていた。明治中期においても、新聞報道で「生人形」が陳列されていたことがわかる。しかし、それ以降、新聞報道でも回想でも、人形陳列についてはみることができなかった。
「おえしき新聞」15号(1985年10月15日)には、塩谷喜代枝の「子供の頃の思い出」がのせられている。彼女は当時70歳で、雑司ヶ谷二丁目に居住していた。鬼子母神表参道が中心のホームサービス会からお会式に出ているというので、表参道に近いところに居住していたと思われる。彼女が子供の頃といえば、大体1925年頃で、大正から昭和に移り変わる頃といえる。この回想で、彼女は、次のように述べている。

忘れてはならないのは鬼子母神様の左側に日蓮上人のごくろうされた人形が人の大きさでかざられていました。又、法明寺の中にも同じような人形がかざってありその人形も戦争でやけてしまったのでしょう。

この回想から、戦前の鬼子母神お会式では、まだ人形陳列が行われていたことがわかる。もはや、万燈行列がお会式の中心をしめるようになっていたが、法明寺が戦災にあうまでは、人形陳列もなされていたのだ。目立たない形であるが、雑司ヶ谷お会式の近世以来の伝統が生き残っていたといえよう。

Read Full Post »

妙法寺仁王門(2011年1月2日撮影)

妙法寺仁王門(2011年1月2日撮影)

妙法寺祖師堂(2011年1月2日撮影)

妙法寺祖師堂(2011年1月2日撮影)

両国東西講中奉献の石塔(2011年1月2日撮影)

両国東西講中奉献の石塔(2011年1月2日撮影)

鳶奉献の常夜燈(2011年1月2日撮影)

鳶奉献の常夜燈(2011年1月2日撮影)

青山十二日講の石造物(2011年1月2日撮影)

青山十二日講の石造物(2011年1月2日撮影)


ここで、雑司ヶ谷のお会式の競争相手であった堀の内妙法寺の現況を紹介しておこう。1月2日に行ったので参詣客が多い。境内伽藍の多くが近世後期の建築であるが、鬼子母神ー法明寺に比べて、境内・伽藍も広大な感じを受ける。なお、本堂は修復中であった。
祖師堂内部は撮影禁止であるが、外から見ると金箔がはられており、豪華な印象を受ける。境内には多くの石造物があり、年代をみると近世後半から明治・大正期にかけてのものが多いようである。ほとんどが、日本橋・青山・両国などの講中による建造物である。また、鳶の寄付した常夜燈もあった。参詣者の少ない時期に、石造物を調査すると、お会式のさかんだった近世後半から明治・大正期の妙法寺に対する江戸ー東京の信仰のあり方がわかるのではないかと思う。

Read Full Post »

Older Posts »