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Posts Tagged ‘直接民主主義’

たぶん、このブログを読んでいる皆さんはご存じだと思うが、自由民主党所属の衆議院議員河野太郎は、熱心に脱原発を主張している。この前、「現代ビジネス」というサイト(『週刊現代』などの記事が転載されている)に「核心対談 河野太郎(衆議院議員)×小熊英二(慶応大学教授)『この国のかたちを考える』」という記事が6月29日に掲載されており、興味深く読んだ。

この対談の冒頭で、河野は、このように、野田首相による大飯原発再稼働決定を批判している。

河野 大飯原発がとうとう再稼働することになりましたね。福島の過酷事故でこの国の原子力行政がいかにデタラメだったかが明白になり、国民の信頼が地に堕ちたにもかかわらず、野田佳彦総理は一貫して再稼働に前のめりだった。

 では、その安全性を誰が判断したかというと、総理を含めた4大臣だというわけです。科学的知見など持ち合わせていない素人の政治家に原発の安全性などわかるはずがないのに・・・。本来、政治が決めるべきことと政治で決めてはいけないことを完全に混同していますよ。

小熊 おっしゃるとおりだと思います。

河野 車と同じだという理屈を持ち出したりもしますよね。事故も起こすけど、便利だから使っているじゃないか、と。でも、自動車には酔っぱらっているときは運転しちゃいけないというルールがある。それと同じで、原発だって安全基準が確立されていない場合は、稼働しちゃいけないんですよ。

 しかも、関西の電力が足りなくなるから再稼働するという。でも、その理由も怪しいんですよ。だって、関西電力の需給調整契約を見ると、去年3月末には260件あったのに、今年3月末にはわずか24件。需給調整契約とは、企業との間で、電力が不足する場合は節電に協力する代わりに料金を割り引く契約です。

 つまり、今年の夏に電力不足になることは去年からわかっていたんですから、需給調整契約を増やしておくべきだったのに、逆に減っている。これは「再稼働しないと大変な事態になる」とアピールするための瀬戸際作戦じゃないかと思う。

 関西電力も、経産省もわざと手を打たなかったんです。こんなことを許しちゃいけない。これでは原子力行政の信頼性がさらに失墜するだけです。ひょっとしたら、原発から撤退したくてこんなことしてるんですかと皮肉を言いたくなるくらい、酷い仕事ぶりですよ。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/32875(以下引用同じ)

そして、やはり、脱原発を主張している小熊英二とともに、原発の安全基準、原発輸出、原発のコスト、核燃料サイクルなどについて、批判を加えていっている。これらについては、このサイトを一読することをすすめておきたい。

しかし、私が興味を覚えたのは、どのように脱原発をすすめていくかについて、河野が後半で述べているところである。河野は、このように主張している。

河野 原発事故で多くの国民に政治参加の意識が出てきたのは事実だと思うんです。実際、たくさんの人から「わたしたちは何をすればいいの?」というメールももらいました。そうした人のなかには、確かにデモに参加した人もいる。しかし、彼らの話を聞くと、デモに行っただけで終わっているんですね。脱原発は国政マターですから、政治家に働きかけをしなければいけないのに、そこには思いが至らない。

「デモに行くのもいいけど、地元の政治家事務所に行ってあなたの考えを伝えてください。そうしないと何も変わりませんよ」と言ったんです。ブログにも「日本はシリアとは違うから、乗り込んでいっても銃で撃たれることはありませんよ」と書いたら、「本当にそんなことをしてもいいんですか」というメールが大量に来た。

小熊 それは逆にいえば、日本はシリア並みに政治家が市民から遠い国だ、ということですね。

河野 私にしてみれば、政治家のところに行かないでどうするんだと思うんです。だって、東京電力は事故の後、しかるべき立場の人が議員会館を回って、「東電が潰れれば停電が起きます」とか「東電が破綻したら日本の金融市場が崩壊します」と言って歩いた。そうやって政治を動かし、破綻処理を回避したんです。それに対抗しなきゃいけないのに、「日曜日にデモに行って風船持って歩いてきました」では、なにも変えられない。

それに対して、小熊は、デモの重要性を指摘し、河野も、とりあえず同意した。

小熊 おっしゃることはよくわかります。政治家に圧力をかけなきゃいけないのも確かでしょうし、一方で国民の側に「そんなことをやってもいいのか」という自主規制があって、なかなか行動に移せないのも現実です。ただ、デモに参加することの意味は決して小さくないと思う。

 政治的影響力という点では直接的ではないかもしれませんが、デモを体験することで政治的行動に慣れ、その後の行動を広げていくきっかけになるという効果は馬鹿になりません。そういう人のなかから議員に働きかける行動も起こってくると思う。

 デモは古い、ロビイングしたりNPOを作ったりしなければ意味がない、という意見もあるでしょうが、デモが起きないような国に、ロビイング活動やNPOが生まれるでしょうか?

河野 それは、その通りだ。デモが盛んになれば、その次の段階に進む人も増えるでしょうしね。

小熊 ロビイングも大切でしょうが、デモに行くとそれなりに面白い。参加した人が元気になる。その効果は、侮れないと思いますよ。

しかし、やはり、河野は、脱原発運動の進め方について、やはり、いわゆる狭義の政治活動の枠組みを重視している。河野は、原発住民投票運動の意義を疑問としながら、このように述べている。

河野 私は原発問題が国政マターである以上、やはり総選挙で1票投じることが実質的な住民投票ではないかと思うんですね。そして、次の選挙は、もちろん消費税も重要問題ですけど、まず日本のエネルギーをどうするのかが一番の争点にならないといけない。

このように、河野は、脱原発運動において、公選制議員たちへの陳情や、公選制議員たちを選ぶ選挙を重視している。公選で選ばれた代表である議員たちを選出したり働きかけを行ったりすることが、脱原発を実現する道としての王道なのである。その意味で、議会制民主主義の教科書通りの発言であるといえるであろう。

このような進め方が、ある意味で効力があることは否定できない。特に、今まで原発に全面的に依拠してきた官僚・電力会社・原子炉メーカー・立地地域などに対して、部分的・段階的であってもなんらかの進展を求めていこうとするならば、公選制議会における交渉が必要となるだろう。現状において、すべての人びとが直接に統治を行う直接民主主義ではなく、公選代表を通じて統治が行われる間接民主主義が政治運営の原理となっているのである。

といって、では、公選された代表ー議員たちが真に人びとを「代表」するシステムなのかといえば、大いに疑問を抱かざるをえない。確かに、間接民主主義が、人びとの選挙による審判を前提としている以上、例えば封建制のような、家柄によって統治者になるようなシステムよりは、より「民主的」ではあるだろう。しかし、それでも、やはり少数者による寡頭制的統治であることにはかわらない。いわば、「選挙」によって付託された寡頭制的な政治システムが、間接民主主義といえる。

それは、少なくとも国政の場合、やはり、資金・地盤・組織などを有する有力者が有利になるシステムである。そして、消費増税法案における民主党のマニュフェスト違反問題に象徴的に現れているように、選挙の際の民意は無視されても制度的には問題にならないシステムでもある。いわば、選挙による代表ー議員選出は、彼らに白紙委任状を与える行為なのだ。その意味で、人びとの要求は、本来彼らの代理人であったはずの議員たちに「お願い」しなくてはならないことになる。河野を批判してもしかたがないが、間接民主主義とは、そのような矛盾を抱えているシステムなのである。

その意味で、何らかの形で、議会とは別の形で、人びとの主張を直接あげていく直接行動が必要となるだろう。その手段の一つが、いわゆるデモということになる。デモは、人びとの主張を直接あげていく営為である。それは、基本的には二つの対象に向けられることになるだろう。一つは、今デモに参加している人びとよりも多くの人びとに向けての主張であり、彼らに賛同を求めるものである。もう一つは、首相・国会・経産省・電力会社などにむけてのものであり、彼らの行為に抗議し、翻意を促すものである。いずれにせよ、いわば、間接民主主義にあって、その矛盾を、とりあえず埋めていくものとして、デモを位置づけることができよう。そして、このようなデモがあればこそ、国会内で少数派であった河野などが、より活動しやすくなってきているともいえるのだ。

そして、このようなデモは、遠い将来において、間接民主主義という矛盾のあるシステムを「より民主化」し、直接民主主義へ向かっていく方向性の兆しともいえるのだ。

河野を批判するわけではない。彼は、良心的な政治家であろう。しかし、やはり、まさに「職業的」な見地において、限界を有しているといえる。人びとの声を社会の運営に反映させることが最大の課題であり、選挙も陳情もその手段にすぎないのだと私は思う。

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