Feeds:
投稿
コメント

Posts Tagged ‘津波’

昨日(11月23日)、3.11以後初めて福島県楢葉町に足を踏み入れた。福島第二原発の門前に行ってしまい、そこで検問されるというハプニングはあったが(特定秘密保護法があったら、どうなっていたかわからない)、昨年8月10日に警戒区域が解除されて避難指示解除準備区域となった楢葉町に立ち入ることは可能になったようである。

楢葉町で印象づけられるのは、除染作業の進行と、放射性廃棄物と思われる黒いビニール袋の山である。町中、いたるところ、農地や道路、常磐線の線路、民家の軒先などに、黒いビニール袋が山積みされていた。林野の中の空き地や、津波被災によって空き地になったところにも、沢山の黒いビニール袋が積み上げられていた。そして、「楢葉除染」というステッカーをはった車が行き交っていた、そして、除染作業者関係の建物が建設されていた。楢葉町で見かけた人たちの多くは除染作業員であった。次の写真は、下繁岡というところから撮影したものだ。厳密にいえば井出川という川の対岸なので、井出というところかもしれない。このような景況は、町の全域でみられる。

楢葉町における除染作業(2013年11月23日)

楢葉町における除染作業(2013年11月23日)

海岸部には、いまだ津波被災の跡がみられる。といっても、ほとんどの瓦礫は片付いていたが。次の写真も下繁岡で撮影したものである。

楢葉町の津波被災(2013年11月23日)

楢葉町の津波被災(2013年11月23日)

ただ、海岸部を除けば、民家にせよ、道路にせよ、3.11の爪痕はあまりみえなかった。3.11直後は、福島市などでも瓦が落ちた家などが頻繁にみられたが、そういうものはみられない。屋根修繕などはすでに完了しているようである。しかし、民家の多くの窓は閉められ、洗濯物もみられず、住民の行き来もほとんどない。避難指示解除準備区域では、立ち入りは可能だが、居住は原則的に制限されている。住民はまだ帰還できないのである。その中で、前述したように、除染作業と、積み上げられた黒いビニール袋にいれられた廃棄物の山ばかりが目立つのである。

除染作業の効果は限定的であり、一度の作業で年間1mSv以下の線量になるとは限らない。しかし、とりあえず、一般的には生活領域の線量低減にはつながるとはいえよう。しかし、この楢葉町では、そうとはいえないかもしれない。楢葉町は福島県の中間貯蔵施設の建設候補地の一つとされていて、県内の放射性廃棄物を受け入れることが想定されているのだ。

近隣の広野町やいわき市では、それほど放射性廃棄物の山は目立たない。楢葉町の場合、もちろん除染作業中ということもあるが、いたるところで放射性廃棄物の山がみられるのである。すでに、既成事実作りが先行されているのもかもしれない。

さて、この楢葉町に所在している木戸川というところは、3.11以前、鮭の放流事業で有名であった。3.11以前行ったことはないが、今回、木戸川にいってみた。

木戸川河畔のプレート(2013年11月23日)

木戸川河畔のプレート(2013年11月23日)

たぶん、ここに、遡上してきた鮭をつかまえる簗場が設置されていたのだろう。この前に木戸川漁協があり、鮭の慰霊塔などが建設されていた。

木戸川漁協前の記念碑(2013年11月23日)

木戸川漁協前の記念碑(2013年11月23日)

実際、木戸川には鮭が遡上してきていた。次の写真で水しぶきをあげているのが鮭である。

木戸川を遡上する鮭(2013年11月23日)

木戸川を遡上する鮭(2013年11月23日)

しかし、遡上できず、力つきた鮭もいた。この周辺では、肥料のような異臭がただよっていた。そして、たくさんのカモメがまっていた。

木戸川で力つきた鮭(2013年11月23日)

木戸川で力つきた鮭(2013年11月23日)

この鮭の遡上には、なんというか微妙な気持にさせられた。鮭からすれば「自然」の摂理にしたがっただけであり、「健気」としかいいようがない。しかし、放流した人間の側は、それを利用できないのである。

それでも、地元で鮭の放流を再開しようという動きがあることが報道されている。福島民報は10月9日に次の記事をネット配信している。

28年目標サケ放流再開 木戸川漁協、ふ化場整備急ぐ

 楢葉町の木戸川漁協(松本秀夫組合長)は、東京電力福島第一原発事故に伴い中止していたサケの稚魚放流を平成28年春を目標に再開する。8日までに仮事務所を置くいわき市で理事会を開き決めた。
 町内に3カ所あったサケふ化場が東日本大震災の津波で被災しており、松本組合長は「町の協力を得て改修などを行い、施設再開の見通しが早まれば一年でも前倒しして放流事業を始めたい」などと期待を込めた。
 同漁協はサケふ化場で育てた稚魚を震災と原発事故前は年一回、平均1400万~1500万匹を放流していたという。同漁協によると26~27年度は稚魚を他の施設から購入し、年間5千~1万匹を試験的に放流。27年度に施設を再開させ稚魚増殖を再スタートし、28年春、6年ぶりに本格的な放流を始める計画だ。
 今後は遡上(そじょう)するサケや水質のモニタリング、河川の除染などが課題になる。松本組合長は「サケは町の観光面でも大きな比重を占めていた。雇用の受け皿としても町の復興を後押したい」と話し第二次町復興計画と連動させることを強調する。
 同漁協は昨年度からサケのモニタリングを開始した。捕獲した約100匹全てで放射性セシウムは検出下限値未満だったという。今年は20日から12月18日まで全10回にわたり300匹を調査する予定。

( 2013/10/09 11:30 カテゴリー:主要 )http://www.minpo.jp/news/detail/2013100911406

この記事自体、微妙な感慨を持たざるをえない。その必死さは了解せざるをえないのだが、住民が家にもどっての鮭の放流事業ではないだろうか。人が住めるところであるということが、農業にせよ、水産業にせよ、工業にせよ、産業の前提になるのではないだろうか。

そして、この記事でも河川の除染が問題になっている。それは、上流部の山林の除染ということにも関連しているのである。楢葉町においては中間貯蔵施設の設置が想定されている。放射性廃棄物が集められるということと除染はやはり微妙な関係があるだろう。

楢葉町の木戸川に鮭は戻り、それを放流してきた住民たちはまだ戻れない。それが、楢葉町の現状といえるのかもしれない。

広告

Read Full Post »

  • なぜ、下北沢で福島県の高校演劇が上演されたのか
  • 2013年8月15日、東京・下北沢の小劇場・楽園で、原発・震災被災者と日常的な高校生活との葛藤を扱った高校生の演劇「シュレディンガーの猫」(福島県立大沼高校演劇部)と「彼女の旋律」(会津若松ザベリオ学園高等学校演劇部)の演劇公演が行われ、見に行った。

    まず、なぜ、下北沢で福島県の高校生たちの演劇が上演されたかを紹介しておかなくてはならない。この演劇公演をプロデュースしたNPO法人大震災義援ウシトラ旅団は、「大震災義援ウシトラ旅団は東日本大震災を機に結成されたボランティア団体です。ウシトラ旅団とは、本営のある東京から、東北(艮の方角)に向かって支援の旅に出るの意味を込めた団体名です。任意のボランティア団体として2011年4月に誕生し、地震・津波と福島第一原発事故による被災者、避難者を支援する活動を行って来ました」(ウシトラ旅団サイト)という避難者支援のボランティア団体である。そのボランティア事業の一環として、下北沢における高校演劇公演を行ったのである。

    ウシトラ旅団のサイトには、次のように、この演劇公演について語られている。

    福島県立大沼高等学校演劇部 東京公演を成功させよう

    ★福島の高校生たちの演劇成功に力をかしてください 
     あの忌まわしい地震、津波、原発事故とそれによって故郷を追われた人々。彼らにも私たちと何ひとつ違わない生活がある。食う寝る働く、学校へ通う。新しい命が生まれるし、永久の別れもやってくる。そうした当たり前の日常を彼らはどうやっておくっているのか。
     狭く不便な仮設住宅で、家族バラバラの借上げ住宅で、故郷から遠く離れた見知らぬ土地で……、 一方彼らの今の「日常」は避難先の人々の「日常」と重なりあって、ひと言では言い表せないマダラ模様になっている。
     ここに福島の高校生たちが感じたこと、言いたいこと、彼らのマダラな日常―「シュレーディンガーの猫」があります。その真直ぐな問いかけを大人たちは正面から受け止めなくてはいけない!そう思い東京公演を開催することになりました。
    8月15日~18日の公演期間の内、8月15・16日の二日間は、大沼高校のライバル校である会津若松市のザベリオ学園による松本有子作・演出『彼女の旋律』(福島県高校演劇コンクール第1席 東北地区高校演劇発表会優良賞)との二本立てで上演いたします。こちらも、高校生が被災者の避難所を訪れて起こる出来事を演劇にしたものです。
    高校生の芝居を通して、福島の想いを「演劇の聖地」下北沢で大きく叫んでもらいます。福島からの声をより多くの人々、とりわけ首都圏に住む人々に届けたいと思います。

    ★高校生の体験から誕生した『シュレーディンガーの猫』
     この作品は、震災・津波の被害、そしてそれに続いた福島第一原子力発電所の事故による放射能汚染から逃れるために、会津美里町の県立大沼高校に転校してきた女生徒たちが演劇部に入部したことをきっかけにして生まれました。
     原発事故による避難者である彼女たちの気持ちと、受け入れた学校の生徒の気持ちは、すんなりと一致するようなものではありませんでした。体験をもとに演劇にすることの是非も含めて、多くの葛藤を抱え込みながら、被災者生徒と顧問の先生との共同作業で脚本が書き上げられました。

     二年間、自分の体験について口を閉ざしてきたというSさんは稽古に入って「そんなんじゃ、被災者の気持ちは伝わらない」と、ようやく自らの経験と心の傷を涙ながらに語ったといいます。それを聞いた部員の生徒たちもまた、涙を流しながら彼女(被災者)の心を受け止め、「そこから劇はガラリと変わった」(大沼高校演劇部顧問・佐藤雅通先生)という、本音のぶつかり合いによって成立した演劇です。
     これらの過程が作品の中では見事に表現されています。劇中の「私、生き残ったんじゃない。死ななかっただけ」、「悲しいんじゃない、悔しいんだ」、「箱の中で放射能物質に運命を握られている猫。私達(生きているのか死んでいるのか)どっちなんだろう・・」という独白は、被災者の心のうちの止むことのない動揺、答えの出ない問いかけです。

    ★共に生きていく勇気を呼び起こすために
     クライマックスで畳み掛けられていく、「同情はいらない」。「どんなことがあっても負けない」。「それでも、他人にはやさしくしたい」。「絶対に忘れない」といった台詞は、苦悩を乗り越えようとする被災者と、それに寄り添おうとする生徒たちが共に生きていこうとする勇気の表明です。自然な感情の高揚によって、被災者と本当に手を結んで生きていこうとすることを観客に訴える芝居なのです。
     地元の応急仮設住宅で行われた公演では、涙をにじませた避難者に「私たちの心の中をよく言ってくれた」「生徒たちが避難者の気持ちをここまで感じてくれていた。励まされる思いがした」と感想をもらい、生徒たちもまた「これまででいちばんの拍手をいただいた。(演技者の)みんなも泣いていた。(被災者のS)先輩の気持ちを伝えたかった。(東京公演でも)震災を忘れない、いつまでも心に残る劇にしたい」と語っています(朝日新聞福島版・5月9日付)

     福島のことが忘れ去られようとしている。そんな危惧の声を聞きます。
     私たちはそのような嘆きより、この高校生たちの演劇を通して、被災者とのしっかりとした関係を創っていこう、一緒に生きていくあり方を創っていこう、と呼びかけることを目指します。
     どうか意をお汲み取りのうえ、ご支援・ご協力をお願い申し上げます。
    http://www.ushitora-ryodan.org/311/modules/housing/

    この「シュレディンガーの猫」は、福島県の高校演劇コンクールでは最優秀賞をとった作品だった。しかし、東北大会での評価は低く、全国大会で上演される機会を逸した作品であった。それでも、いわき市で行われた演劇大会に地元枠として推薦され、上演された。それを見たウシトラ旅団のメンバーが感動して、下北沢公演をはかってくれたのであった。この経過を伝える、河北新報の記事を紹介しておこう。

    演じる/同情ではなく伝える「忘れない」/大沼高演劇部3年・増井結菜さん=福島県会津美里町

     「同情は、いらない」
     「どんなことがあっても、負けない」
     「それでも、他人には、優しくしたい」
     福島第1原発事故で避難区域から福島県会津地方に避難した高校生、絵里を演じる。
     劇「シュレーディンガーの猫」は絵里ら2人の転校生、2人を迎えた同級生6人の心の葛藤と友情を描く。15日から4日間、演劇の本場、東京の下北沢で公演する。
     「絵里は悲しみを胸に閉じ込め、努めて明るく生きようとする。言い回しの裏にある感情を表現しなければならない」
     これまでの役で最も難しいと思った。同県富岡町から避難した1年先輩の女子生徒から体験談を聞き、気持ちをつくった。
     同県会津美里町に生まれた。原発から西に約100キロ離れ、被災者ではない。地元の大沼高の演劇部に所属する。
     昨年11月、県高校演劇コンクールで最優秀賞を射止め、12月の東北大会に駒を進めた。上位に入ったら全国大会への道が開ける。
     「重すぎる」
     「見ていてつらい」
     東北大会での評価は厳しかった。入賞を逃し、全国行きの切符は手に入らなかった。
     ことし3月、全国規模の別の高校演劇大会がいわき市で開かれ、地元枠で出た。
     東北大会で受けた評価を教訓に脚本と演出を練り直した。転校生同士で言い争う場面など深刻なシーンを減らす。
     本番では好評を博した。公演を見た東京の被災者支援団体「ウシトラ旅団」のメンバーが気に入り、東京公演の道筋をつけてくれた。
     5月、会津美里町の仮設住宅で演じた。同県楢葉町の住民が暮らす。
     拍手が鳴りやまなかった。観客の一人が避難者の気持ちを代弁してくれたと握手を求めてきた。
     「役が自分のものになったと感じた」
     シュレーディンガーの猫は物理学の思考実験の呼称だ。箱に入れられた猫が放射性物質に生殺与奪権を握られ、外からは生きているのか死んでいるのか分からない状態を指す。
     劇では「生きている状態と死んでいる状態が50%ずつの確率で同時に存在している猫」と説明する。家を追われる実害を受けた避難者、風評被害の憂き目に遭う県民。原発事故が直接的、間接的に影を落とす福島県の現状を表す。
     裏方を含めて19人の部員で取り組む。稽古では劇中と同様に本音をぶつけ合い、駄目出しを繰り返した。
     「みんなで作り上げた舞台。避難者の思い、福島県の思いを伝えたい」
     絵里は同情から特別扱いされ、同級生の反発を買う。触れ合いを深めて次第に分かり合い、最後はお互いに力強く生きようと誓う。
     絵里が言う。
     「(原発事故を)絶対に忘れない」
     同級生が手を挙げて賛意を示し、幕は下りる。
    (阿部信男)

    2013年08月14日水曜日
    http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1109/20130814_01.htm

    ウシトラ旅団のサイトでは、より詳細に、背景事情を語っている。

    ★『フェスティバル2013 全国高校演劇研究大会』(いわき市)
    3月23日・24日に高校生たちの演劇を見に行って来ました。 いくつかの作品を見させてもらったのですが、お目当ては開催県の枠で、最後に上演された福島県立大沼高等学校の『シュレーディンガーの猫~Our Last Question~』でした。

    実はこのフェスティバルは地方ブロックの予選で最優秀を取れずに、夏の全国大会へ行けなかった作品の内から推薦されて、上演が行われるものなのだそうです。
    会津美里町の大沼高校演劇部がいわば全国大会への道を絶たれた時の「講評や批評」について、「東北でも震災被害が風化しつつある」と報じた新聞記事に、ウシトラ旅団の数人が怒りまくったのでした。 むろん、その怒りは、この作品が一等賞を取れなかったという結果についてではなく、生徒たちが福島の問題に正面から立ち向かった演劇に対して、評価する側が「正面から」向きあおうとしなかったらしいことについてでありました。

    事の結果を報じた福島民報はこう書いていました。 『震災と原発事故を題材にした大沼高(会津美里町)の演劇に対し、他校から「重いテーマを重くやられた感じ、疲れる」「(震災を)見せ物にしている」などの講評が寄せられた。審査員の一人も「疲れた」と感想を漏らしたという。結果は本紙既報の通り最優秀でも優秀でもなく、優良賞だった。  審査がある以上、優劣がつくのは当然で、結果についてとやかく言うつもりはない。残念なのは、被災地の視点で問題に真正面から取り組んだ姿勢に対し、冷ややかな見方があった点だ。講評者名は伏せられているが、関係者は「被災しなかった地域の生徒の意見ではないか」と推測している。思いを共有してくれていると信じていた東北での否定的な反応に、部員は落胆している。心を占めているのは悔しさより悲しみだろう』

    旅団長は、怒っておりませんでした。 嫉妬で目が濁る、んな連中はいるだろうし、風化なんていえば「絆」やらのごたくで塗りたくった支援や心持ちは、すぐに風化するに決まっている。
    そんなことより「共感の回路をどう作るか」を考えねばなりませぬ。 というわけで、例のごとく喚いてしまうもんね。 「この演劇、東京でやっちまおうぜ! 評価はそこで見てくれる人にやってもらえばいいじゃん」(後略)
    http://www.ushitora-ryodan.org/311/modules/housing/index.php?page=article&storyid=1

    なんというか、後述するように「シュレディンガーの猫」(『彼女の旋律』もだが)は、被災者と会津地方の一般高校生との「ディスコミュニケーション」を扱っている作品である。しかし、「シュレディンガーの猫」それ自体も、「重いテーマを重くやられた感じ、疲れる」「(震災を)見せ物にしている」「疲れた」などと言われ、「被災地を真っ正面に扱うこと」に対する「ディスコミュニケーション」のはざまで排除されたといえるだろう。

    それに対して、「共感の回路をどう作るか」ことを目的として、東京で(もちろん、東京は「全国」ではないが)上演させたのが、プロデュースした「ウシトラ」旅団だったといえよう。その意味で、今回の公演それ自体が、被災者との間に生じている「ディスコミュニケーション」をどのように対応するのかということに対する一つの取り組みであったのだ。今回の公演自体が、大きな「出来事」であったといえるだろう。
    (続く)

    Read Full Post »

    歴史研究者北条勝貴氏は、『環境と心性の文化史 下 環境と心性の葛藤』(北条・増尾伸一郎・工藤健一編、勉誠出版、2003年)の総説「自然と人間のあいだでー〈実践〉概念による二項対立図式の克服ー」において、人間の営為の原因を自然環境にもとめる環境決定論・自然主義論と、環境を改変してゆく人間の能力を重視する主体主義・人間主義論との二項対立を批判しつつ、人間の実践を関係項とした自然/文化という根源的関係項として捉えることを提起した。例えば、北条氏は次のように述べている。

    廣松渉氏は、マルクス思想のなかに曖昧な状態で残されていた根源的関係態としての認識法を的確に切り取り、自然環境と人間主体との産業による相互規定態=〈環境的ー人間主体〉生態系として整理している。物理的な自然環境だけでなく、社会環境から象徴環境までを視野に入れた整理・補完は見事というほかない。しかし、通時的・共時的な〈環境的ー人間主体〉生態系と定義しなおされた歴史の変化が、労働手段の進化による歴史の構造的編制・段階的視点の変化と説明されるとき、そこには、技術による人間の自然からの解放は歴史外的(超越論的)な必然であるとの進歩史観が見え隠れしてはいないだろうか。二項対立を統一体として捉える弁証法的思考図式には、各テーゼを実体化してしまう危険性が伴う。自然/人間という二実体の関係ではなく、両項を成立せしむる根源的関係態へと回帰させることが、二項対立を克服するヒントを内在しているのではなかろうか。
     根源的関係態に置かれた自然/文化の媒介項となる心性は、環境に対する認知と行動、すなわち実践を通じて生成・変化する。この実践こそが、環境と心性の葛藤する具体的なフィールドー現象としての根源的関係態なのである。(本書p2)

    その上で、北条氏は次のように指摘している。

    生命圏平等主義を唱えるエコロジーの深層にも、持続型社会・循環型社会をキーワードとする、人間社会の保全を第一目的に据える意識が横たわっている。…結果として我々は、〈地球に優しい〉という欺瞞に満ちたスローガンを掲げながら、生かさぬように殺さぬように自然環境からの搾取を続けることになる」(本書p.p20-21)

    この文章はほぼ10年前に書かれたものだが、3.11以後の2013年の今日、これを読んでみると、その卓見に驚かされる。この10年、思い直してみれば、「地球に優しい」とされてCO2を排出する火力発電から原子力発電への転化が進められてきた。「地球に優しい」という発想は、一見、人間に対する「環境決定論」の立場にたつようにみえる。そして、そのように提唱者たちもそう考えていたのだろう。しかし、それは、結局のところ、「自然」に対する人間の支配を絶対化するものでしかない。北条氏がいうように、それは、「自然」と「文化」の双方を実体化をさせているといえよう。

    現実にはどのようなことが起きていたのだろうか。北条氏にならって考えるならば、原子力発電もまた、自然/文化が人間の実践を媒介として相互に関係する「根源的関係態」の中で成立していたといえる。ただ、原子力発電は、原子炉の中の放射性物質という、いわば人間の作り上げた第二の自然とでもいうべきものを制御して行われるものであった。その意味で、いわゆる工場と同じである。そのような場は、本来、人間の手によって制御されることが前提となって成立しているはずであったといえる。

    この人間の実践は、原発建設や管理に従事する労働者たちや、原発立地を受け入れた地域住民によって行われている。このような労働者や地域住民の営為がなければ、放射性物質という「自然」を制御して行われる原子力発電は成り立たない。そして、また「環境決定論」的なCO2削減至上主義も成り立たないことになる。

    さて、原発についての人間の実践が、国家/資本の支配関係によって成り立っていることも指摘しておかねばならない。国家/資本は、自然に働きかける実践の担い手である人間を支配することで、自然をも支配するということになる。他方で、そのような形で「自然」を支配した国家/資本は、そのことで人間に対する支配を再度強めていくことになろう。こういうことは、マルクス主義のイロハであり、私がとりたてて書くようなことではないが、とりあえず確認しておこう。

    3.11は、自然は人間の手で完全に制御しえるという錯覚を打ち砕いたといえる。それは、例えば、東日本大震災の津波被害全体にもいえることである。東北各地で巨大な堤防が作られていたが、実際の津波はそれをこえた。

    原発についてより深刻なことは、東日本大震災によって、原子炉という人間の作り上げた第二の自然というべきものを制御する術を失ってしまったということである。そして、それは、スリーマイル島事故やチェルノブイリ事故と違って、ヒューマンエラーではなく、東日本大震災による地震・津波が引き起こしたということである。人間は、自らの作り出した第二の自然すら、自らの意思で制御できない。もちろん、地震や津波による被害は、工場や火力発電所などでもおこることである。現に、東北各地の火力発電所や工場も東日本大震災によって被災した。しかし、それらと根本的に違うのは、地震や津波は契機にすぎず、原子炉の中の放射性物質の反応によって「自然に」炉心溶融が引き起こされたということである。放射性物質を臨界状態にする現在の地球ではありえない(なお、20億年前の地球には天然原子炉が存在したといわれている)第二の自然を人はつくりあげたが、それを制御することできなかったのである。

    いわば、原子炉や放射性物質という人間の作り上げた無機質の第二の自然ですら、自然/文化が人間の実践を媒介として相互に関係する「根源的関係態」の中で成立していることがあきらかになったといえる。

    これは、一方で、放射性物質などにたいする人間の支配などというものの不確実性を如実にしめしたものということができる。他方で、そのような人間の実践自体への国家/資本の支配をゆるがすことになったといえる。そのことからいえば、3.11直後、福島第一原発の各原子炉がほとんど制御不能の状態に陥っており、的確な情報提供が無用の被曝を防ぐ上で必要であったにもかかわらず、政府の発表が情報隠蔽と過少評価に終始したのも当然であろう。まず、国家/資本は、人間の支配を維持することに固執したのであるといえる。しかしながら、完全に隠蔽しえるものではない。1960年の安保闘争以来最大の社会運動といわれる反原発運動が惹起されたのである。これもまた、自然/文化が人間の実践を媒介として相互に関係する「根源的関係態」として把握して理解すべきことであろう。

    Read Full Post »

    私自身がいま取り組んでいることに必要になり、福島第一原発事故によって避難を余儀なくされた人びとの総数を調べてみた。まず、岩手・宮城・福島三県において東日本大震災・福島第一原発事故のために避難した人びとの数をみていこう。

    内閣府・復興庁は「全国の避難者等の数」という発表を2011年6月から行っているが、初期の発表は避難所や旅館などにいる人数を中心としており、仮設住宅などは戸数でしか発表していないので、避難者数を把握するには十分ではない。ようやく、2011年11月17日調査分から、仮設住宅分も人数で発表されるようになった。それから、一月ごと、2013年4月分までの岩手・宮城・福島三県を中心とした避難者数について、下記の表にまとめてみた。なお、「○○県内」というのは、その県内に避難してきている人びとの総数をさしており、県民のみの避難者数をさしているわけではない。例えば、「岩手県内」避難者というのは、青森県や宮城県から避難してきている人びとも想定として含んでいる。ただ、東日本大震災で被災した岩手・宮城・福島県にわざわざ避難している人は少ないと思われる。他方、「○○県外」というのは、その県から県外に避難している人びとをさしている。福島県外であれば、東京都などの県外に避難している人びとをさしている。ある意味では不確定な部分があるが、まずは、近似として、「県内」「県外」をあわせた人数をその県の避難者数としてみていきたい。

    岩手・宮城・福島県の避難者数

    岩手・宮城・福島県の避難者数


    http://www.reconstruction.go.jp/topics/post.html

    まず、2011年11月17日のところをみていこう。県別の避難者総数では、岩手県が4万3934人、宮城県が13万0784人、福島県が15万2945人となっている。死者・行方不明者では、宮城県が9537人・1315人、岩手県が4673人・1151人、福島県が1606人・211人(警察庁緊急災害警備本部「平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震の被害状況と警察措置」、2013年4月10日発表)と、この三県の中では福島県が一番人的被害が少ないのであるが、避難者数では逆に福島県が一番多くなっている。また、福島県では、県外避難者が5万8602人と避難者全体の三分の一以上をしめる。これも、宮城県・岩手県にはない特徴である。このような特徴は、その後も同じである。福島県において避難者総数が多いこと、また県外避難者の割合が大きいことは、福島第一原発事故の影響であるといえよう。

    なお、全国の避難者総数は32万8903人である。三県の避難者が32万7663人であり、そのほとんどをしめている。東日本大震災は、やはり、岩手・宮城・福島三県を中心に爪痕を残したといえる。そして、福島県の避難者は15万2945人と、避難者総数の半数近くをしめているのである。

    次に、時間的推移をみていこう。2011年末から2012年6月まで、避難者総数が増加傾向であることがみてとれる。全国の避難者総数は、2012年6月に34万6987人になった。福島県では、2012年6月に、県内避難者10万1320人、県外避難者6万2804人、避難者総数が16万3404人に達した。たぶんに仮設住宅の建設が進み、そこに居住する人びとが増えたためではないかと想定されるが、詳細は不明である。ようやく、2012年7月頃から、避難者数が減少していく。しかし、2013年4月段階でも、まだ約30万人以上の人びとが仮設住宅などに避難したままなのである。東日本大震災は終わっていないことを、ここでも再認識させられた。

    さて、ここから、福島県固有の問題をみていこう。周知のように、この福島第一原発事故により避難区域が指定された。原発から20km圏内の警戒区域では約7万8000人、20km以遠で年間積算線量が20mSvをこえる計画的避難区域で約1万10人、20〜30km圏内の緊急時避難準備区域で約5万8510人が対象となった(『国会事故調報告書』)。そのうち、避難が強制された人びとは警戒区域・計画的避難区域で約8万8000人となる。これらの区域は、大熊町、双葉町、富岡町、浪江町、飯館村、葛尾村、川内村、川俣町、田村市、楢葉町、広野町、南相馬市であり、福島県浜通りから阿武隈山地の地域に該当する。

    しかし、警戒区域・計画的避難区域の外側においても放射性物質による汚染は顕著であり、福島第一原発事故の行方も不安であって、かなり多くの人びとは、政府の指示によらず自主的に避難した。一般に「自主避難」とよばれている。

    この「自主避難」の状況については、2011年11月10日に開かれた文部科学省原子力損害賠償紛争審査会(第16回)の配付資料「自主的避難関連データ」において、ある程度明らかにされている。その中に「福島県民の自主的避難者数(推計)」がある。2011年9月22日のデータによると、自主的避難者数が5万327人で、そのうち県内が2万3551人、県外が2万6776人となっている。他方、避難等指示区域内からの避難者数は10万510人で、県内が7万817人、県外が2万9693人となっている。このように、自主避難者のほうが、多く県外に避難している。そして、自主的避難者、避難等指示区域内からの避難者をあわせた総計は15万837人で、県内は9万4368人、県外は5万6569人となる。ただ、この数値は、地震・津波の被災者を含んでいることに留意しなくてはならない。

    この数値は、さきほどの岩手・宮城・福島県の避難者数で示した2011年11月17日の数値に近いといえる。概していえば、福島県の避難者数は約15〜16万人、政府の避難指示による避難者は約10万人前後、自主避難者は約5万人前後といえる。そして、県内避難者は9〜10万人、県外避難者は5〜6万人ということができる。

    2011年3月15日時点の自主避難者を地域別にみると、多いところでは、いわき市が1万5377人、郡山市が5068人、相馬市が4457人、福島市が3224人である。注目すべきことは、これら自主避難者が多いところは、逆に避難受入者数も多いということである。いわき市が1万5692人、郡山市が1956人、相馬市が4241人、福島市が1837人の避難者を受け入れている。このように、住民が自主的に避難しているところに、福島県浜通りなどの住民は避難してきているのである。

    自主的避難者数及び受入避難者数

    自主的避難者数及び受入避難者数


    http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/kaihatu/016/shiryo/__icsFiles/afieldfile/2011/11/11/1313180_2_2.pdf
    (なお、この図は見にくいので、上記のサイトでみてほしい)

    なお、福島県のサイトで人口統計をみると、2011年3月1日現在で202万4401人であったが、2013年4月1日現在では194万9595人となっている。この短い間に7万4806人という人口減少をみているのである。これは、自治体に住民票を置いている避難とは別のものと考えられる。県外避難をあわせた現住人口でいうなれば、福島県では約15万人前後の人口が減少したということになる。2011年3月時点からいうと、約7.4%の人口減少になるといえよう。さらにいえば、県外・県内問わず、約15〜16万人が避難している。人口減の7万人とあわせると、死亡の場合も含めて、2011年3月1日時点において福島に住んでいた人の10%以上が、その時に住んでいたところから去らざるを得なかったのである。
    (http://wwwcms.pref.fukushima.jp/pcp_portal/PortalServlet?DISPLAY_ID=DIRECT&NEXT_DISPLAY_ID=U000004&CONTENTS_ID=15846参照)

    前述したように、この避難者数や人口減少は、東日本大震災自体の津波や地震の被災によるものを含んでいる。しかし、避難者の数の多さー東日本大震災全体の避難者の半数近くをしめるー、県外避難の比率の多さ、政府の指示による避難、住民の自主的判断による「自主避難」などは、福島第一原発事故の爪痕とみることができよう。

    『国会事故調報告書』によると、チェルノブイリ原発事故により1年以内に避難した人数は、ベラルーシ、ウクライナ、ロシアの三ヶ国合計で11万6000人と推計されている。福島第一原発事故の場合、自主避難を含めれば、避難者だけで15〜16万人となっている。すでに、避難者の人数はチェルノブイリ原発事故をこえているといえよう。

    もちろん、この背後には、避難したくてもできなかった人たちがいることを忘れてはならない。また、「自主避難」した人たちは、福島県だけでなく、実際には首都圏にも存在していたのである。

    Read Full Post »

    今回は、宮城県の津波被災地を揺るがしている防潮堤建設問題について、私自身の心覚えのため、みてみることにする。

    まず、毎日新聞夕刊2013年2月6日付に掲載された、次の記事をみてほしい。

    特集ワイド:東日本大震災 巨大防潮堤、被災地に続々計画 本音は「反対」だが…復興が「人質」に 口閉ざす住民
    毎日新聞 2013年02月06日 東京夕刊

     東日本大震災の被災地で、巨大防潮堤建設計画が進んでいる。高いコンクリート壁で海を覆えば、海辺の生態系を壊し、津波からの避難が遅れるとの指摘がある。防潮堤問題に揺れる被災地を歩き、失われゆく潮騒を聞いた。【浦松丈二】

     <計画堤防高さ TP+9・8m 高さはここまで>

     宮城県気仙沼市の大谷海岸に電信柱のような看板があった。荒れ地の中に青い海だけが広がる。TPとは「東京湾平均海面」だ。つまり、東京湾を基準に高さ9・8メートルの防潮堤がここに建つのだ。間近に見ると高さに圧倒される。この高さの壁がどこまでも続く……想像したらその重苦しさにめまいがした。9キロ南の海岸にはなんと14・7メートルの防潮堤が計画されている。
     気仙沼市民有志の「防潮堤を勉強する会」の発起人、酒造会社社長の菅原昭彦さん(50)が説明する。「防潮堤は2011年9月に宮城県の震災復興計画として最初に示されました。震災から半年しかたっておらず、これで確定とは誰も思わなかった。県と市は昨年7月から説明会を始めたが内容は当初のまま。しかも防潮堤の位置や形状は話し合えるけれど、高さは変えられないという。あまりに唐突、強引だった」
     住民は昨年8月から専門家を招いて「勉強する会」を計13回開き、毎回100人以上が参加した。だがあえて賛成反対を言わなかった。「私たち住民は復興の予算とスピードを人質に取られているようなもの。文句を言うことで復興全体が遅れることがあっては困るから」と説明する。
     同じ被災地でも地域によって実情は異なる。「工場や産業エリアなら防潮堤が高くてもいいが、海辺の景観で商売をしている所は問題になる。ワカメや昆布などの資源のある地域では生態系への影響が懸念される。でも、防潮堤計画には背後地の利用計画がセットにされていて、復興を進めようとしたら計画をのまざるをえないのです」
     話の途中、菅原さんの携帯電話に友人からメールが入った。「防潮堤各地でどんどん決まっていきますね。いいんですか。このままで?」とあった。年度末が迫り、県は合意形成を急ぐ。菅原さんは「県の担当者が『隣の人は合意した』と戸別訪問したことがあり、強く抗議しました。そんなやり方では、地域の信頼関係が壊れてしまう」と懸念する。
     多くの地域で防潮堤計画はなし崩し的に進んでいる。石巻市雄勝町立浜の銀ザケ・ホタテ養殖業、末永陽市さん(55)は「管理者の県が示した高さだから」と不本意ながら受け入れる意向だ。防潮堤は高さ6・3メートルと震災前に比べ約3メートル高くなる。
    「地震発生後は防潮堤の上で海を見ていた。湾内にじわりじわりと海水が上がってきて、後ずさりしながら見守っていたが、防潮堤を越えたら早かった。やばいと思って、一気に裏山まで走った。海が見えていたから避難できた」。全49戸160人の集落ごと流されたものの、死者は5人にとどまった。これまで津波を経験してきた住民たちは、地震直後に裏山にほぼ全員が避難したからだ。だが、海が見えないまま津波がいきなり防潮堤を越えてきたら……。
     大津波で、末永さんは自宅だけでなく、養殖していた銀ザケ12万匹とホタテ35万個を失った。船に同乗し、再開した銀ザケ養殖のエサやりに同行させてもらった。風がごうごうと音をたて、潮騒を聞くどころか寒さで耳がちぎれそうだ。この海と生きる、という末永さんの強い意志を感じる。しかし、巨大防潮堤はそこにも影を落とす。
     末永さんは、自宅跡地に水産加工工場の建設を計画している。今後はサケの加工もして、ブランド化を目指すしかないと考えるからだ。だが防潮堤が高くなれば、自宅跡地横の小川の土手もかさ上げしなければならない。地続きの自宅跡地のかさ上げも必要になる。「待っていたらいつになるか分からない。さっさと自己資金で工場を建ててしまおうか」と迷う。
     雄勝地区の人口は1565人(昨年12月)と震災前の3分の1だ。末永さんは14世紀から続く24代目網元。「先祖が代々頑張って何とかつないできてくれた。それを考えると……」と意欲的だが、その前に防潮堤が立ちはだかる。
     「巨大防潮堤は被災地だけの問題ではない。国土強靱(きょうじん)化を掲げる政権下では、日本全体がコンクリート壁に囲まれてしまう恐れがある」と警鐘を鳴らすのは、気仙沼市のNPO法人「森は海の恋人」副理事長の畠山信さん(34)だ。
     畠山さんの地元、同市西舞根(にしもうね)地区は住民要望で防潮堤計画を撤回させた。畠山さんらは「堤防ができれば海と山が分断されて取り返しがつかなくなる」と計画が固まる前の段階で、集落に残る全戸(34戸)の意見を取りまとめ、市側を動かした。「人口や組織の多い市街地で合意を形成するのは大変。私の地域は長老がいて、その下に役員がいてという古い集落だから決まりやすかった」と語る。
     同地区では津波で全52戸中44戸が流され、地盤は約80センチ沈んだ。「沈下でできた干潟にアサリが増え、絶滅危惧種のニホンウナギが生息している。野鳥が来て、子どもたちの遊び場になっている。この干潟は地域で守っていくことにしています」。これも合意形成の成果だ。
    「環境省や宮城県は『森・里・川・海のつながり』を重視すると言っていたのに、現場は逆行している。災害に備えるために必要なのは、管理費のかかる防潮堤というハードではなくて自然の見方というソフト。津波なら前兆のとらえ方です。これは自然体験からしか学べない。でもそこに予算はついていない」
     自民党は今国会に「国土強靱化基本法案」を議員立法で提出する方針だ。防災の柱として「強靱な社会基盤の整備」を盛り込んでおり、巨大防潮堤の整備を後押ししそうだ。
     畠山さんらを招いて公益財団法人「日本自然保護協会」が3日に東京都内で開いたシンポジウムでは、専門家から「海辺を利用してきた沿岸部住民で本音で賛成している人はいないだろう」「(住民が声を上げられない以上)外から声を上げるしかないのでは」などの意見が出た。同協会は4日、慎重な防潮堤復旧を求める意見書を安倍晋三首相らに提出した。
     海と陸の境目にコンクリートの巨大な壁を打ち立てて、本当にふるさとは再生するのか。何かゆがんだ発想がこの国を覆おうとしていないか。http://mainichi.jp/feature/news/20130206dde012040022000c.html

    つまり、宮城県においては、津波被災地にこれまで以上の高さの防潮堤を建設することを強制しており、その計画について、漁業や観光で生きてきた地域住民たちが困惑しているというのである。生業にも差し支え、自然破壊にもなるということである。また、高い防潮堤は、近づいてくる津波がみえなくなる恐れがあり、かえって危険ではないかという声もある。しかし、国土強靭化法案をひっさげた安倍自民党政権の誕生によって、防潮堤拡充の動きが加速しているのではないかとも、この記事では懸念している。

    さらに、3月7日付毎日新聞夕刊において、次のような続報が掲載されている。

    特集ワイド:巨大防潮堤に海が奪われる 宮城・気仙沼で住民が計画見直し要請
    毎日新聞 2013年03月07日 東京夕刊

     ◇セットバック案に制度の壁 東日本大震災級は防げず

     万里の長城のような巨大防潮堤が東日本大震災の被災地に築かれようとしている。本欄(2月6日付)で「巨大防潮堤に、本音は反対」という地元の声を紹介したところ、多くの反響が寄せられた。防潮堤計画の何がそんなに問題なのか? 続報をお届けしたい。【浦松丈二】

     「私たちは豊かな自然を後世まで残すため、防潮堤建設に当たっては住民の意見を反映するよう1324名の署名を添えて要請致します」
     宮城県気仙沼市の菅原茂市長に、巨大防潮堤計画見直しの要請書と署名が提出されたのは昨年11月12日だった。1324人は、同市大谷地区の人口の半数近い。
     宮城県内で防潮堤計画見直しを求める大規模な署名が提出されたのは初めてだ。避難が難しいお年寄りや障害者には高い防潮堤を必要とする人もいる。同じ被災者でも世代や職業、被災体験などによって意見は異なる。何より防潮堤計画が決まらないと復興計画が動かない地域が多く、反対の声を上げにくい−−それでもなお、コンクリートの壁で海を覆う計画に違和感を感じる人は多いのだ。
     問題の計画は、宮城県有数の海水浴場である大谷海水浴場一帯に高さ9・8メートル、全長約1キロのコンクリート製防潮堤を建設するもの。巨大なのは高さだけではない。津波で倒されないために土台の幅は実に45メートルもある。海水浴場の砂浜を覆い尽くして海までせり出す構造だ。
     大谷地区で生まれ育ち、署名集めの中心となったNGO職員、三浦友幸さん(32)は「防潮堤で消える砂浜は大谷地区のアイデンティティーそのもの。ここで生まれた子どもたちは卒業式、成人式などの節目節目に砂浜に集まって記念撮影をしてきた。砂浜がなくなるのは嫌だ。この一点に絞ることで住民の合意が形成できたのです」と説明する。
     要請書を受け取った菅原市長は「現在の計画では砂浜は残らない。署名のような地域住民の意向が分かるものがあると大変ありがたい。強い説得材料になります」と述べ、住民の意見を尊重して県や林野庁などに砂浜を残すよう働きかけると約束した。
     住民が要請し、市側が同意したのは防潮堤の建設予定地を砂浜から陸側に後退させる「セットバック案」だ。防潮堤を海から離せば離すほど砂浜が守られる。津波や高潮の脅威は衰え、海抜も上がるため、構造物を低くして建設・維持費用を安くできる。
     だが、いいことずくめに思えるセットバック案を実行しようとすると、制度の壁が立ちはだかるのだ。
     防潮堤に関するルールは海岸法に定められている。防潮堤を建設できる位置は、原則的に海岸線から陸側50メートルと海側50メートルの間の海岸保全区域だけ。これ以上陸側に移動するには県知事の指定など複雑な手続きが必要になる。防潮堤をセットバックしようとすると国道45号やJR気仙沼線も陸側に移動させないといけなくなる。
     気仙沼市は大谷地区住民の要請を受け、3通りのセットバック案を作成中だ。難しい作業を部下に指示した菅原市長だが「防潮堤の高さは安全度そのもの」と高さの変更は退ける。県も同じ姿勢だ。
     防潮堤は、国が方針を決め、県知事が計画を策定し、県や市町村などの海岸管理者が設計することになっている。今回の防潮堤の高さを決める方法は、2011年7月8日に国土交通省など関連省庁課長名で出された通知で示された。「数十年から百数十年に1度程度」の津波を防ぐ高さにする内容だ。
     不思議なことに通知は、東日本大震災級の津波は「最大クラス」の例外として防潮堤で防げなくてもいいことにしている。同年6月の中央防災会議専門調査会中間報告で示された専門家の見解を踏まえたという。震災で大谷地区の海岸には20メートル級の津波が押し寄せた。あの津波を防げない防潮堤に砂浜を覆われるのは釈然としない。
     県担当者が説明する。「今回計画されている防潮堤は明治三陸地震(1896年)の津波に対応したもの。災害復旧事業として費用の3分の2以上が国庫から出る。前の防潮堤が建設された1960年代は県の財政事情が悪く、チリ地震(1960年)にしか対応していなかったから今回は高くなった」
     国の補助金が出るから無理にでも通知に合わせて防潮堤の高さを決める、と聞こえる。

      ■

     では、巨大防潮堤の建設費用はいくらかかるのか。県河川課によると、県発注分の事業費だけで約3140億円。ほとんどが国からの補助金だ。港湾を管理する国交省や市町村の発注分を加えると、さらに増加する。無論別に維持補修費用もかかる。
     県内最高の14・7メートルの防潮堤が計画されている気仙沼市小泉地区でも不満がくすぶっている。「小泉地域の子どもたちに街づくりに関する絵を描いてもらったら、マリンスポーツ基地など海や砂浜を利用した内容が多かったそうです。防潮堤の絵を描く子はいなかった」(前出・三浦さん)
     すでに県発注の防潮堤275カ所、総延長163キロのうち、岩沼、石巻市など52カ所で着工されている。コンクリートの巨大な塊が姿を現しつつあるのだ。
     海辺の景観街づくりが専門の岡田智秀・日本大学理工学部准教授は「ハワイでは州法で決めたセットバックルールに基づき、防潮堤などの海岸構造物に極力依存しない街づくりを実施しています。目的は防災、景観、観光、環境の全て。全て密接に関連していますから」と語る。
     ハワイのルールとは、砂浜の自然観察を通じて高波などの最高到達ラインを調査し、住宅などの建造物は10〜15メートルの標準距離をセットバック(陸側に後退)させる。さらに砂浜の自然浸食と建物の耐用年数を考慮して、追加的に後退させる。街づくりには海岸線との距離が常に考慮される。
     岡田さんは「日本の防災計画も日常の暮らしの豊かさと非常時の防護の両方を表裏一体にして考えていくべきです。人口減少時代を迎えて、地方都市ではコンパクトシティーと呼ばれる集約型の街づくりが注目されています。セットバックは時代の流れにも合致しているのではないでしょうか」と訴える。
     大震災から2年。津波にえぐられた被災地の海岸に、ようやく砂が戻りつつある。防潮堤の巨額予算の一部でも住民本位の街づくりに回すことはできないのか。
    http://mainichi.jp/feature/news/20130307dde012040002000c.html

    気仙沼市では、すでに地域住民によって昨年11月に堤防建設の見直しを求める要請書が提出され、気仙沼市長も、防潮堤をより陸側に建設するセットバック案を検討することになった。しかし、このセットバック案については、海岸に建設しなくてはならないとという制度の壁がたちはだかっていると、この記事は伝えている。さらに、防潮堤の高さの変更は、この記事が書かれた時点では気仙沼市も宮城県も認めていないのだ。

    しかし、この防潮堤の高さがどのように決められたかをみると、一驚する。ここで、問題になっている気仙沼市大谷の防潮堤は、9.8mにすることが予定されている。しかし、東日本大震災の津波では、20m程度の津波が襲来したとされている。そもそも、この高さでは、東日本大震災クラスの津波は避けられないのだ。

    この9.8mという高さは、実は、東日本大震災クラスの津波をさけるものではない。このクラスの津波は1000年に1度のものとして、防潮堤で防御することをあきらめ、総合的に防災するとしている。そして、100年に1度程度はくる津波から守ることを目標にしてそれぞれの地域の防潮堤の高さを決めている。この気仙沼市大谷の場合、1896年の明治三陸津波の高さ8.8mを基準として設定されたのである。

    つまり、この程度の防潮堤では、想定されうるすべての津波から、地域を守り切ることはできないのである。にもかかわらず、住民生活の利便とは反し、さらに自然破壊にしかならないような防潮堤建設が、国の補助金をめあてにして、津波被災地で強行されようとされてきたのである。

    すでに、気仙沼市西舞根のように、地域住民の要求によって、防潮堤建設計画を撤回させたところもある。また、2013年3月7日付河北新報では、宮城県も防潮堤の高さについて譲歩の姿勢をみせているようである。

    防潮堤の高さ変更示唆 宮城・村井知事、方針転換か

     宮城県議会2月定例会は6日、予算特別委員会を開き、総括質疑を行った。東日本大震災で被災した海岸防潮堤の整備をめぐり、村井嘉浩知事は、県が設定した高さで住民合意が得られていない地区のうち、漁港や集落の背後地に高台がある場合は地勢を考慮し、高さの変更もあり得るとの認識を示した。
     気仙沼市の小鯖や鮪立(しびたち)など一部地区が対象になるとみられる。村井知事は「位置をよく考え、合意を得るため最大限に努力する」と述べ、住民との意見調整の中で弾力的な対応を認める方針を示唆した。
     これまで、沿岸部の一部地域から「県が示した計画高は高すぎる」との反発が出ていた。村井知事は「命を守ることが大前提だ」と、変更に応じない姿勢を示していた。
     近く決定する復興交付金の第5次配分額に関して、上仮屋尚総務部長は、約108億円を申請した県事業分に対し、「2倍の200億円程度が配分されるのではないか」との見通しを示した。
     県が導入を決めたドクターヘリについて、県は基地病院の選定や医師の確保など、稼働に向けた課題を検討する委員会を新設する考えを明らかにした。18日の県救急医療協議会に諮り、正式決定する。

    2013年03月07日木曜日
    http://www.kahoku.co.jp/news/2013/03/20130307t11025.htm

    このことは、現在進行中のことで、予断を許さない。少しでも、地域住民の主体性を尊重し、防潮堤などの計画が進められることを私は望む。結局のところ、地域住民自体が、想定される津波被災と、地域における生活の実情を勘案しつつ、自主的に、防災計画をともなった形で地域の復旧計画を決めるべきなのだと思う。そして、このように、地域住民の生活を無視し、その合意をとらない形で、「復興」がすすめられていることが、津波被災地のかかえる問題の一つなのだと考えるのである。

    Read Full Post »

    さて、前回は、1968年に建設計画が発表した東北電力の浪江・小高原発が、地元の浪江町棚塩の地域住民の反対運動によって、3.11直前まで着工が阻止されてきたことを述べつつ、最終的に福島第一原発事故によって、同地域が居住困難な地域になってしまったことを述べた。

    この棚塩地区の現状はどのようなものであろうか。まず、Googleによる3.11以後の航空写真をみてほしい。

    この航空写真は、棚塩地区の原発建設反対運動の指導者であった舛倉隆が住んでいた中舛倉を中心としたものである。中舛倉は、南棚塩に属し、水田に囲まれていた。しかし、この航空写真をみればわかるように、3.11の津波襲来により、ほとんど集落は原型をとどめていない。中舛倉の海側には、南棚塩のいくつかの集落が点在しているが、それらの多くも、ほとんど原型をとどめていないのである。そして、周辺に広がっていた水田も、津波によって泥の海となっている。

    この棚塩地区の状況について、風船によって空中から2011年4月16日に撮影された動画がある。撮影者である「義援バルーン空撮」は「撮影位置は海岸線から1kmの地点」(http://www.t01.com/11041603z.html)と解説している。中舛倉よりもやや陸側の地点ではないかと推定される。しかし、この地点でも津波が押し寄せ、水田に瓦礫が散乱しているのである

    他方、浪江・小高原発の建設される予定地であった北棚塩のほうをみておこう。この地図の三枚岩というところを中心に浪江・小高原発は建設される予定であった。この地域は標高20m以上ある台地にあり、山林や畑が多い地域であった。航空写真だけからみるならば、津波の直撃はさけられた模様である。

    このように、原発建設反対運動の根拠であった南棚塩の土地や家屋は、東日本大震災の津波によって大きな被害を受けたのである。

    なお、放射線量は、2013年2月18日21時において棚塩集会所のモニタリングポストの値が0.110μSv/hであり、とりあえず、年間1mSvをこえる線量となる0.23μSv/hを下回っている。浜通り各地の海側の放射線量は比較的低いが、この地域もそうなのだといえる。この地域だけならば、隣接する南相馬市小高区浦尻地区のように、立入りはできるが居住はできない避難指示解除準備区域になることも可能かもしれない。実際、2013年1月25日、浪江町は、棚塩地区などを避難指示解除準備区域にする方針を示した。しかし、浪江町の山側の放射線量は非常に高い。この棚塩地域が避難指示解除準備区域となっても、水道他のインフラを整備するのはかなり困難であろうと思われる。

    そして、津波で壊滅した低地の集落や水田を復旧することにも困難が予想されるのである。

    このように、浪江・小高原発建設反対運動の拠点であった浪江町棚塩地区は、東日本大震災による津波と福島第一原発事故によって大きな打撃を蒙ったのである。この両方で、浪江町棚塩地区を含めた福島県浜通りが被害を受けたということ、そして、単に原発事故だけでなく、津波被害からの復旧という課題もこの地域にあることを忘れてはならないのである。

    Read Full Post »

    さて、開沼博氏の見解については、折にふれて言及してきた。しかし、あまり、端的に原子力の危険性について彼自身が述べているものは少ない。ここで検討してみる、『クーリエ・ジャポンの現場から』という同誌編集部のブログに掲載された「2012 .04.22 開沼博さんが質問に答えてくれました(前編)」の中で述べている、科学技術の危険性についての文章は、数少ない例といえる。

    これは、いくつかの質問に、開沼博氏が回答を行うというスタイルで書かれたものである。そのうち、二番目の質問は、

    …ただ、原発もそうだと思うのですが、ITにしても科学が人に牙をむくまでは人間にとって非常に便利なものだと思います。危険性を恐れて、その便利さを放棄するのもナンセンスだと思うのです。…便利さとリスクとのバランスについて、どのような姿勢で臨めばいいと思われますか。

    というものであった。科学技術のリスクと利便さはどのように考えていけばよいのかという質問といえる。

    この質問に対し、開沼氏は、次のように答えている。

    ご指摘の通り「リスクがあるから放棄する」という短絡思考はナンセンス。「今でもふぐ毒で死傷者が出ているから、ふぐを食べること自体を禁止すればいい」と同様、無茶な話です。少しでも利便性がある以上、仮に、ある技術を全廃しようとしても、その実現可能性は極めて低い。

    ここでは明示はされていないが、原発も含んでいるであろう科学技術のリスクをふぐ毒にたとえ、その放棄を「短絡思考」としてナンセンスであるとし、利便性がある以上は科学技術を全廃することは難しいとしているのである。

    開沼氏が、原発を含んだ科学技術のリスクを「ふぐ毒」にたとえたのは、いろんな意味でふさわしくないといえる。まず、第一にいえるのは、ふぐ毒による死傷者はもちろんふぐを食べた当事者に限られるであろう。しかし、原発からの放射能、工場などから排出される有害物質、残留農薬、そして地球温暖化を惹起する二酸化炭素など、科学技術によるリスクは、狭義の意味の当事者を超え、ある意味では、地球全体の規模に及んでいる。

    このことは、福島第一原発事故がよく示しているといえよう。福島第一原発事故による放射能汚染は、立地している地域社会だけでなく、福島県を中心とした東日本、そして地球規模に及んでいる。1986年のチェルノブイリ事故以後、開沼博氏自身も言及しているドイツの社会学者ウルリヒ・ベックは「『他者』の終焉」(『危険社会』)とよんでいる。排除しえない原子力の危険においては「現代における保護区や人間同士の間の区別を一切解消」されてしまうのである。そして、周縁に隔離したはずの原発も、その事故においては、「中央」にも被害を与えることになる。ゆえに、信条・階層・地域をこえて、脱原発運動が惹起されるのである。

    科学技術のリスクをふぐ毒の比喩で考える開沼氏の意識は、このように広範におよぶリスクを「個別的な」ものとしてのみ把握しているといえよう。開沼氏にとっては、美味なふぐを味わうことによって想定されうるリスクは、ふぐ毒によって食べた人が死傷することなのである。そして、この認識は、原発の設置によるリスクを、リターンのある立地された自治体の内部の問題として考えようとする開沼氏の志向につながっていくように思われる。自治体の住民からみてもこのような事態が本末転倒であることはいうまでもない。しかし、科学技術とそれによる産業開発のリスクは、それによって特別な恩恵を蒙ることのない人びとにも及ぶのだ。例えば、飯館村はどうなのだろうか。つまり、もはや、福島原発の立地自治体だけに限定できる問題ではないのである。

    一方、ふぐ毒は、調理方法で対処可能なものである。適切な調理方法で処理されているふぐは、一般的に中毒を起こすことはない。その意味で、ふぐ毒のリスクは、人の手で対処することができる。ゆえに、「ふぐを食べることは禁止されない」のである。

    原発事故はどうであろうか。原発が人の手で作り出され、人の手で運転されている。しかし、メルトダウンなどの過酷事故が起きると、少なくとも短期的には制御不能になってしまう。福島第一原発事故において、人の手による調整がまったく意味がなかったとはいわないが、少なくとも、メルトダウンや爆発などによる放射性物質の外部環境への拡散を防ぐことはできなかった。

    そして、さらに問題になることは、福島第一原発事故の直接の契機は、地震や津波などの「天災」であったことである。チェルノブイリ事故の場合、その直接の原因は人的ミスであったといわれている。しかし、福島第一原発事故の場合は、人的ミスですらなく、まさしく「天災」なのである。その意味でも、人の手に及ばない側面を有している。

    もちろん、すべての科学技術が制御不可能などではない。残留農薬や工場などからの有害物質の放出などは、ある程度は人の手で制御可能である。リスクがある科学技術がなぜ廃止されないかといえば、別にリターンがあるからだけではない。リスク自体が人の手によってある程度その低減をはかりうるからなのだ。

    その意味で、現在のところ、原発のリスクは制御可能にはなってはいないといえる。地震や津波が多い日本においては、世界のどの地域よりも、原発のリスクは大きいのである。

    その意味で、開沼氏が科学技術によるリスク一般をふぐ毒にたとえたことは、科学技術のリスクを制御可能で低減しえるものとしてみていることを意味しているといえよう。そして、それには、原発も含んでいるのだろう。原発のリスクを人の手で制御して、その低減をはかりうるならば、原発からのリターンと等価交換可能になると、開沼氏は考えていると思われる。

    もちろん、開沼氏は、科学技術については、彼なりに考えている。次の文章をみてほしい。

    しかし、それでも科学技術との関わりかたを慎重にしなければならないのは事実です。

    いかなる姿勢が必要か。科学的な道具は道具として「崇拝」しないことです。…これを「呪物崇拝」と言いますが、「呪物崇拝」は未開社会・前近代社会のみに特異な現象なのかというと、そうではない。近代社会においても、人間のコントロール下にある「ただの道具」が、いつの間にか神の如く人間をコントロールし、また人間がその魔力に惹かれて、ものとの関係が逆転する現象は、たとえば経済だと貨幣、政治だとイデオロギー等々において見られます。

    科学においても、ある技術が「崇拝」、信仰の対象物かのような扱いをうける現象がしばしば見られます。震災以後の、現下の状況において「安全神話」とか、そのネガとして「けがれ」と言った「宗教的な」言葉が使われることにも象徴的です。

    彼によれば、科学は道具であり、それを崇拝しないことが重要だとしてしている。最後の「科学においても、ある技術が「崇拝」、信仰の対象物かのような扱いをうける現象がしばしば見られます。震災以後の、現下の状況において「安全神話」とか、そのネガとして「けがれ」と言った「宗教的な」言葉が使われることにも象徴的です。」というところは重要である。「震災以降」と限定し、「安全神話」「けがれ」という二項対立を提示していることに注目しておきたい。一般的に「安全神話」といえば、震災以前の、原発の安全性を保障する言説をさしていることが多いのだが、ここでは、震災以降の「風評被害」「福島差別」などをさしているように思えるのだ。ただ、この文章は曖昧で、どちらでもよめるともいえる。

    そして、最後に、このように述べて回答を終えている。

    道具は道具であるとして割り切る。「崇拝」し始めてはいないか、常に疑う。さもなくば、ウルリッヒ・ベックが言うようなリスクが、私たちに襲い掛かってきます。

    どのようなことを開沼氏が主張してもかまわない。しかし、ここで、ベックの主張をひいてくるのは適切さを欠いていると思う。別に、ベックは、「科学技術の呪物崇拝化によるリスクの招来」など論じてはいない。ベックのいう科学技術によって生じたリスクは、未来形で「襲い掛かってくる」ものなのではない。少なくとも、1986年のチェルノブイリ事故以降、私たちみなに襲い掛かってきているものなのである。そして、それは、3.11以降、私たちの眼前に提示されているのである。

    すでに、ベックが、地球全体に及ぶ科学技術のリスクにおいては、すべての人びとは当事者であり、「他者」など存在しないとしていることを述べた。これは、開沼氏の議論の対局に属するものである。さらにベックは、このように指摘する。

     

    近代が発展するにつれ富の社会的生産と並行して危険が社会的に生産されるようになる。貧困社会においては富の分配問題とそれをめぐる争いが存在した。危険社会ではこれに加えて次のような問題とそれをめぐる争いが発生する。つまり科学技術が危険を造り出してしまうという危険の生産の問題、そのような危険に該当するのかは何かという危険の定義の問題、そしてこの危険がどのように分配されているかという危険の分配の問題である。(『危険社会』)

    ベックは、「危険」ーリスクの問題を正面に見据えて論を展開しようとしている。それは、ベックにとっては、すでに存在するものなのである。その意味で、開沼氏のリスク認識とは違ったものといえるのである。

    開沼氏の書いていることが、すべて不適切だとは思わない。ある意味で、原発建設を積極的に受け入れざるをえなかった立地自治体住民の意識を内在的に描き出しているといえる。しかし、やはり、3.11以後の、福島第一原発事故のリスクー危険を正面から見据えていくことが課題であると思う。少なくとも「ふぐ毒」にたとえるようなものではない。そして、それは、原発からのリターンを強調する、野田首相、経団連、官僚、立地自治体首長たち全員の課題なのである。

    参考
    http://courrier.jp/blog/?p=10959

    Read Full Post »

    « Newer Posts - Older Posts »