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さて、また、12月26日の安倍首相の靖国神社参拝についてみておこう。前回のブログでは次のように述べた。靖国神社への首相の参拝については、憲法上の政教分離原則に抵触することや、靖国神社が国家によって国民が戦争にいかさせることを美化するなどいろいろな問題があるが、現状においてもっとも問題になることは、日本を戦争に導いていったとみなされ、極東国際軍事裁判において、A級戦犯として認定されて、処刑もしくは獄死した戦争指導者たちが合祀されており、そのような靖国神社への首相参拝は戦前の日本軍国主義を顕彰しているとみなされることであった。そのことを明確に批判しているのが中国政府であるが、日本国内でもそのような批判があり、昭和天皇はA級戦犯合祀を認識してから「平和」意識にかけているとして靖国参拝はしておらず、現天皇も踏襲している。しかし、安倍晋三は、戦争指導者たちと一般国民を「一体化」してとらえ、たぶん、中国・韓国から批判されることを念頭に置いた上で、靖国神社に参拝することで、現在の国民と安倍政権の一体化をはかろうとしたとみることができよう。そして、安倍個人にとっては、A級戦犯であった自らの祖父岸信介の名誉を回復する営為でもあった。なお、前回のブログでは書き落としたが、安倍首相にとっては、特定秘密保護法強行成立で下落した自らの支持率を回復することも期待していたといえる。

安倍首相にとって、中国・韓国からの批判は、もちろん「想定内」のことであった。むしろ、中国・韓国から批判されることで、日本国民のナショナリズムを高揚させようと考えていたと思われる。しかし、これらの国だけではなく、アメリカも、靖国参拝に「失望」の意を表明した。まず、「失望」を示した、アメリカ大使館声明をみておこう。

安倍首相の靖国神社参拝(12月26日)についての声明

*下記の日本語文書は参考のための仮翻訳で、正文は英文です。

2013年12月26日

 日本は大切な同盟国であり、友好国である。しかしながら、日本の指導者が近隣諸国との緊張を悪化させるような行動を取ったことに、米国政府は失望している。

 米国は、日本と近隣諸国が過去からの微妙な問題に対応する建設的な方策を見いだし、関係を改善させ、地域の平和と安定という共通の目標を発展させるための協力を推進することを希望する。

 米国は、首相の過去への反省と日本の平和への決意を再確認する表現に注目する。http://japanese.japan.usembassy.gov/j/p/tpj-20131226-01.html

この声明は、最初、アメリカ大使館声明として出されたが、その後、同じ内容で国務省声明で出された。格上げされたといえるだろう。その内容は、なかなか微妙である。まず、冒頭で日本が同盟国であることを強調しながら、靖国参拝については日本の指導者が「近隣諸国との緊張を悪化させるような行動」とし、「米国政府は失望している」と述べている。そして、日本と近隣諸国(つまりは、中国・韓国など)にともに、過去の歴史問題に対する建設的方策を見いだし、関係を改善し、地域の平和と安定という共通の目標を達成するために協力することを呼びかけている。日本だけではなく、中国・韓国などにもよびかけているというのがミソである。緊張悪化につながる靖国参拝には「失望」しているが、歴史問題を解決し、地域の平和と安定は、日本だけではなく、中国・韓国などの課題としている。さらに、最後に「米国は、首相の過去への反省と日本の平和への決意を再確認する表現に注目する」と述べている。これは、靖国参拝にあたり安倍首相が発表した談話に「日本は、二度と戦争を起こしてはならない。私は、過去への痛切な反省の上に立って、そう考えています」としているところを評価しているといえる。ただ、この談話において、確かに「平和への決意」は他でも述べられているが、「反省」とみられる文言はここにしかなく、アメリカ大使館もかなり苦労していることと思われる。

とりあえず、かなり気を使って、一方的にならないようにアメリカ政府が努力しているとはいえる。しかし、それでも、首相の靖国参拝について、アメリカ政府は近隣諸国との緊張を高めるという意味で「失望」と表現したのである。

靖国参拝について、それまでアメリカ政府はコメントしたことはなかった。今回が初めてである。その背景について、共同通信は次のように報道している。

【首相靖国参拝】 「失望」の裏に憤り 米、参拝静観に決別 

 近隣諸国との緊張を悪化させるような行動を取ったことに失望している―。米政府が26日、安倍晋三首相の靖国神社参拝を批判する声明を発表、日中韓の緊張緩和に向けた仲介努力を台無しにされたことに憤りをにじませた。中国が東シナ海上空に防空識別圏を設定したことを直ちに非難し、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設前進へ安倍政権と二人三脚で取り組んできた米政府に何が起きたのか。
 ▽首相の不満
 「これだけ靖国参拝を我慢しているのに、中韓は対話を拒否している。首相は不満を募らせている」。今秋訪米した日本政府高官はこう漏らしていた。
 しかし東アジアの安定のためには、日韓、日中関係の悪化は望ましくないというのが米政府の基本的立場だ。首相の靖国参拝は同盟国指導者の行動でもあり、小泉政権時代は直接の批判を避けてきた。今回の声明内容はもちろん、声明を出したこと自体も従来と比べて一歩踏み込んだ厳しい対応といえる。
 米当局者によると、声明の表現としては「遺憾」や「懸念」も上がったが、日本側に明確なメッセージを送る必要があると判断し「失望」に落ち着いた。声明を出さないという議論はなかったようだ。

 ▽政権の違い
 「失望という言葉は予想していなかった」と語る日本政府筋は、小泉政権時代との対応の差を米政権の違いに求める。同盟国重視とされる共和党のブッシュ前政権であれば、今回のような声明は出さなかったとの見方だ。
 声明を「完全な間違い」と批判するシンクタンク、アメリカン・エンタープライズ研究所のオースリン日本研究部長は「日本を批判するべきではない。米国は中国の味方と受け止められる」と指摘する。
 しかし、安全保障問題に詳しい米民主党関係者は、防空圏や沖縄県・尖閣諸島をめぐる日中対立など東アジア情勢の緊迫化を指摘、ブッシュ政権時代と同じように論じるのは無理があると反論する。「共和党政権でも民主党政権でも変わらないだろう。事態を一層悪化させる動きには強く反応せざるを得ない」
 ▽はしごを外す
 オバマ政権が衝撃を受けたのは、今月上旬にアジアを歴訪したバイデン副大統領が、日中韓首脳に関係改善を求め「一定の成功を収めたという認識があった」(日米関係筋)からだ。
 特に韓国の 朴槿恵 (パク・クネ) 大統領に対し、バイデン氏は日本との関係修復を迫っただけに、オバマ政権内では安倍首相に「はしごを外された」との憤りが生まれたようだ。
 年末休暇でひっそりしている首都ワシントンで、日本政府関係者は靖国参拝に関する各方面への説明に追われている。安倍首相に付けられる「ナショナリスト」という枕ことばも当面消せなくなった。来年は日本外交にとって波乱の1年になりそうだ。(ワシントン共同=有田司)
(共同通信)
2013/12/29 17:48
http://www.47news.jp/47topics/e/248975.php

この記事によれば、アメリカの対アジア政策の基調は本地域の安定であり、そのためには、日中・日韓関係の悪化はもっとも避けなければならないとしている。そして、今月上旬に日中韓諸国を訪問したバイデン副大統領はそれぞれに関係改善を求めたのだが、今回の参拝は「はしごを外された」ものとして、憤りが生まれたとしているのである。

アメリカ政府は、それ以前から、靖国首相参拝はさけるべきだというメッセージを発していた。例えば、NHKは次のように12月26日に報道している。

ことし10月に日米の外務・防衛の閣僚協議が東京で行われた際には、ケリー国務長官とヘーゲル国防長官がそろって、千鳥ヶ淵の戦没者墓苑を訪れ、花をささげました。
アメリカで、戦没者を埋葬するアーリントン国立墓地に当たる日本の施設は、千鳥ヶ淵の戦没者墓苑だと位置づけることで、安倍総理大臣に靖国神社への参拝を自粛するよう求めるメッセージを送るねらいがあったものとみられます。http://www3.nhk.or.jp/news/html/20131226/k10014135741000.html

婉曲な形で、戦歿者追悼について、靖国神社は不適当であると暗示していたといえよう。

それでは、安倍政権はどのような認識を持っていたか。朝日新聞朝刊(12月27日付)は「参拝日は、この日しかなかった。首相は25日、沖縄県の仲井真弘多知事と会談し、最後の懸案だった普天間問題が節目を越えた。米国は政権の努力を買っており、『参拝ショック』も和らぐと読んだ。26日は政権発足から1年の節目で、対外的に説明もついた」と報じている。結局、普天間基地の辺野古移転と首相靖国参拝がバーターされた形になっており、このこと自体が問題だが、基地問題で最大限の便宜をはかれば、アメリカは強く批判しないと思っていたらしい。

そして、「失望」が表明されても、首相周辺はそれほど深刻には受け止めようとはしていない。朝日新聞朝刊(12月28日付)では、「首相周辺は米国の批判を当初、『在日米国大使館レベルの報道発表だ』。その後、国務省が同様の談話を発表すると、政府高官は『別の言葉から『失望』に弱めたと聞いている』と語った。官邸から外務省には『参拝で外交に悪影響が出ると記者に漏らすな』と伝えられたという」と述べている。また、「『誤解』との表現で自らの参拝の正当性を訴えた首相に対し、米国の反応は『失望』だったが、首相周辺の危機感は薄い。政権幹部は『米国はクリスマス休暇中だし、言葉を練れていなかったのではないか」と分析。側近の一人は『米国は同盟国なのにどうかしている。中国がいい気になるだけだ』と不満を漏らした」と報道している。結局、ほとんどまともに認識しようとせず、さらに、悪影響を隠蔽し、逆ギレしている始末である。ここまでくると「裸の王様」としかいえないだろう。

もちろん、政権内部でも困惑の声がある。前述の朝日新聞は、次のように報道している。

 

ただ、政権の足元では、懸念の声が強まり始めている。外務省幹部は「『失望』という表現はショックだ。米国との間にすきま風が吹くと中国、韓国、北朝鮮が日本に強く出てくる」と指摘した。
 日米のきしみは、普天間問題にも影を落とした。…(普天間基地問題で日本政府の営為をアメリカが評価しているとした上で)だが、靖国参拝で効果は相殺される結果になった。政府関係者は27日、こう嘆いた。「靖国参拝のおかげで沖縄がかすんでしまった。歴史的な進展なのに」

結局、現実には悪影響はさけられず、普天間問題の「進展」さえ、免罪符にはならなかったのである。

そして、このアメリカ政府の「失望」表明に続いて、ロシアは「遺憾」の意を表明し、EUも緊張緩和や関係改善に寄与しないと指摘し、国連事務総長も「遺憾」であるとした。今まで、靖国参拝にコメントを出してこなかったような国なども批判的コメントを発表したのである。そして、欧米を中心に、外国の諸新聞もおおむね批判的な報道を行っているにいたっている。

アメリカ政府の「失望」声明に「同盟国」としての日本の立場への配慮があり、そのことからみても、短期的には日本はアメリカの「同盟国」としてのあつかいを受けるであろう。しかし、最早、中国・韓国という「近隣諸国」からだけでなく、国連を含めた世界各国から安倍政権は警戒されるにいたった。安倍政権としては、アメリカに従属した形で「戦後政治の総決算」をすすめていこうとするだろうが、長期的にいえば、祖父岸信介が首相を務めていた冷戦期と違って、アメリカが一方的に日本の「安全」を「保障」するいわれはないのである。その当時、アメリカは中国・ソ連などの共産圏と対抗しており、それに協力するならば、アメリカは独裁国家でも「同盟」していた。日本で岸のようなA級戦犯を含む戦前の支配層が復権し、さらに自衛隊が保有できたのは冷戦による国際秩序があったためである。今や、冷戦はなく、アメリカにとって、中国やロシアは、無条件に対抗する存在ではなくなった。もちろん、それぞれ「懸念」しなくてならないことはあるが、むしろ「協調」して現在の国際秩序を維持しようとする志向が強いだろう。そのような中、靖国神社参拝は、アジア諸国からだけでなく、アメリカを含めた国際社会全体から「孤立」化をまねくことになるのだ。しかし、安倍晋三首相は、そのことに目をつぶり、「裸の王様」となっているのである。

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さて、もう一度、石破ブログにもどってみよう。現在のところ、石破茂のブログ記事「沖縄など」の終わりは、このように書かれている

今も議員会館の外では「特定機密保護法絶対阻止!」を叫ぶ大音量が鳴り響いています。いかなる勢力なのか知る由もありませんが、左右どのような主張であっても、ただひたすら己の主張を絶叫し、多くの人々の静穏を妨げるような行為は決して世論の共感を呼ぶことはないでしょう。
 主義主張を実現したければ、民主主義に従って理解者を一人でも増やし、支持の輪を広げるべきなのであって、単なる絶叫戦術は「テロ行為とその本質においてあまり変わらない」「本来あるべき民主主義の手法とは異なる」ように思います。
http://ishiba-shigeru.cocolog-nifty.com/

「テロ行為とその本質においてあまり変わらない」を「本来あるべき民主主義の手法とは異なる」と書き換えたのである。いずれにせよ、デモを民主主義にそぐわないものとしてみていることはあきらかだ。

では、石破のいう「民主主義」とはどんなものだろう。まず、この文章が「沖縄など」と題されていることに注目したい。そもそも、この文章は「沖縄問題」から書き起されているのである。その部分をみておこう。

 

沖縄・普天間移設問題に明け、それに暮れた1週間でした。
 その間に特定秘密保護法案の衆議院における可決・参議院への送付という難事が挟まり、いつにも増して辛い日々ではありましたが、沖縄県選出自民党議員や自民党沖縄県連の苦悩を思えばとてもそのようなことは言っておれません。
 多くの方がご存知のことと思いますが、沖縄における報道はそれ以外の地域とは全く異なるものであり、その現実を理解することなくして沖縄問題は語れません。沖縄における厳しい世論にどう真剣かつ誠実に向き合うのか。私は現地の新聞に「琉球処分の執行官」とまで書かれており、それはそれであらゆる非難を浴びる覚悟でやっているので構わないのですが、沖縄の議員たちはそうはいきません。
 繰り返して申し上げますが、問われているのは沖縄以外の地域の日本国民なのです。沖縄でなくても負うことのできる負担は日本全体で引き受けなくてはならないのです。

この文章だけを読むと、何を書いているかさっぱりわからないが、ここで、石破が書いていることは、沖縄普天間基地の辺野古移転計画を、県外移設を主張していた沖縄県選出自民党議員や沖縄県連に認めさせたことである。その状況について、沖縄タイムス社説は、次のように指摘している。

社説[菅・石破発言]沖縄への露骨な恫喝だ
2013年11月20日 09:21

 「このまま県連の要望を聞いていると、普天間の固定化がほぼ確実になる」「県外移設なんてとんでもない。党本部の方針に従うべきだ」

 菅義偉官房長官と自民党の石破茂幹事長が18日、自民党県連の翁長政俊会長らとそれぞれ会談した中で、県連側に伝えた言葉だ。

 米軍普天間飛行場の県外移設を公約に掲げている県連に対し、両氏はそれぞれ「恫喝(どうかつ)」としか受け取れない激しい言葉で、辺野古移設容認への転換を促した。

 県外移設を求める県民世論に支えられ、公約を堅持してきた県連に対し、辺野古移設か固定化か-と「二者択一」を迫るような姿勢は、強権的な安倍政権の「脅し」でしかない。

 権力をあからさまに振りかざし、問答無用で政府や党本部の方針に従わせようとするやり方は、とうてい容認できない。政治家に対し、支持者との契約ともいえる公約の破棄を求めるのは、有権者を愚弄(ぐろう)するものである。

 そもそも「県外はあり得ない」とする根拠は何か。辺野古以外を検討したのか。そうならば検討した内容を明らかにすべきだ。沖縄の民意を置き去りにして、当初から辺野古ありきなのではないか。

 政府首脳や公党の幹部が、普天間の固定化に言及するのは無責任きわまりない。普天間返還の原点は市街地のど真ん中に位置し、「世界一危険な飛行場」の危険性除去である。「固定化」は自らの不作為を認めるようなもので、とても口にするべきことではない。

    ■    ■

 戦後、米軍基地が沖縄に集中したのは、日本政府が安保の負担を過重に沖縄に負わせた結果である。

 1950年代、山梨や岐阜に駐留していた海兵隊が沖縄に移駐したが、それは本土での反基地感情の高まりが背景にあったからだ。

 本土復帰直後の72年には、米国防総省が沖縄を含む太平洋地域からの海兵隊の撤退を検討していたが、日本政府が海兵隊の駐留維持を求め、在沖米軍基地の大幅縮小の機会が失われた。

 菅氏は自民党県連との会談で「辺野古移設は米軍による抑止力を考えて日米両政府で決めたことだ」とも述べたという。

 しかし、民主党政権で防衛相を務めた森本敏氏は、普天間の移設先について「軍事的には沖縄でなくてもよい」と述べている。菅氏の発言は沖縄に対する「構造的差別」以外の何ものでもない。

    ■    ■

 ことし1月、県内全市町村長と議会議長、県議会全会派などが連名で、普天間飛行場の閉鎖・撤去と県内移設の断念を求める「建白書」を安倍晋三首相に手渡した。

 安倍政権はそれを一顧だにすることなく、3月には辺野古埋め立て申請を提出。県民世論を無視したまま、辺野古移設を進めようとしている。17年も続く迷走は、当事者である沖縄の頭越しに決められているからだ。稲嶺進名護市長が言うように「基地はできてしまえば100年も残る」。一体いつまで沖縄に過重負担を強いるつもりなのか。http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=57006

そして、結局、沖縄県連などは、辺野古移設を認めさせられた。次の読売新聞のネット配信記事をみてほしい。

普天間の辺野古移設、自民沖縄県連が容認へ

 沖縄県の米軍普天間飛行場(宜野湾市)の移設問題を巡り、県外移設を掲げていた自民党県連は26日、同県名護市辺野古への移設を容認する方針を固めた。

 県連所属の国会議員5人が容認に転じた上、県連内でも同飛行場の固定化回避には辺野古移設を否定すべきではないとの意見が大勢を占めたことから、方針転換する。政府・党本部と地元の足並みがそろうことで、政府が申請した移設先の埋め立てについて、仲井真弘多ひろかず知事が承認しやすい環境が整う。

 辺野古容認の方針は、自民党の石破幹事長と国会議員団が25日に確認した「普天間基地の危険性を一日も早く除去するために、辺野古移設を含むあらゆる可能性を排除しない」との文言を踏襲する方向で調整する。ただ、県外移設の主張を堅持すべきだとする一部の声にも配慮し、「あらゆる可能性には、県外も含む」(県連幹部)との考え方をとる方針だ。

(2013年11月27日03時21分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20131126-OYT1T01555.htm?from=navr

石破の言っていることは、沖縄県連などに辺野古移設を認めさせたが、その際、軍事施設全般の県外移設をすすめるというリップサービスをしたということなのである。石破のやったことは、沖縄の世論を背景に県外移設を公約としてきた沖縄県選出の国会議員や自民党沖縄県連を説得して、「公約」を破らせたということにほかならない。

結局、ここにあるのは、民意を尊重するというのではなく、公選された代表たちを「説得」して「合意」させて正当性を得ようという政治手法である。沖縄の場合、保守的な自民党ですらも選挙においては普天間基地の県外移設を公約にしないと議員当選は難しかった。それが「民意」であるといえよう。

もちろん、代表制民主主義において、すべてのことを選挙民と合意して政治を進めていくことは難しい。しかし、沖縄において普天間基地を県内に移設させないことは、保守・革新という政治的立場をこえた「世論」となっており、ゆえに自民党の沖縄県連も公約に掲げていたといえる。その意味で「民意」はここでも踏みにじられたのである。

公選された代表である議員たちは、本来主権者である国民の代理人として存在すべきものといえる。しかし、ここでは、公選された議員たちに決定権があり、民意は無視されてもかまわないことになるだろう。たぶん、沖縄で公選された議員たちに対し、石破は形式的には「暴力」的でない形で「合意」をとったといえるだろう。しかし、それは、結局のところ、沖縄の人びとそれぞれの合意ではないといえる。つまり、いわば、公選された議員たちだけが、民意とは無関係に政治を決定できるというシステムになっているといえる。議員主権とでも評価できようか。それが、石破のいう「民主主義」なのである。

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さて、橋下徹が5月13日午前中の囲い取材で述べた「慰安婦」についての発言は、午後(退庁時)の囲み取材でも続いた。まず、5月25・26日に元慰安婦が大阪を訪問する予定があり、橋下に面会を求めるということで、面会する予定なのかと記者が問い、橋下は会う予定で調整していると述べた。その後、このようなやりとりがあった。

―― 以前から元慰安婦の方に対して優しいお言葉をかけていかなきゃいけないとおっしゃっていますが、具体的にはどんなお話を? もしお会いになられたら……。

それは今ここで言っても、仕方がありませんから。その時に、お会いした時に話をします。

―― 優しい言葉をかけなきゃいけないとおっしゃっている一方で、今朝、各国の軍隊が当時制度として(慰安婦を)持っていた事実があって、当時の状況を考えると必要だったというような発言もあったと思いますが、今までにない踏み込んだ発言だったようにも感じたんですが……。

いや、そんなことなくて、ま、聞かれなかったから言わなかっただけで、当時の状況ではそういうことを活用していたのは事実ですから。当時の状況としては。ただ、それをよしとするかどうかというのは別でね。意に反してそういう職業に就かなければならない。「意に反して」ですよ。自らの意志でそういう職業に就いてる人も中にはいたでしょうしね。

現代社会にだって風俗業というのはしっかり職業としてあるわけですから。自らの意志でやった場合には、まぁ、それは自らの意志でしょうということになりますけど、意に反して、そうせざるをえなかったという人たちに対しては、これは配慮が必要だと思いますよ。
http://synodos.jp/politics/3894/2

橋下は、慰安婦において、意に反してなる人と自らの意志でなる人と両様があって、意に反してなった人びとには「配慮」しなければならないとしている。「意に反してなる」人が少しでもいれば、「強制的」だったということにもなり、慰安婦に対する「強制」はなかったという説が成り立たないことになるが、そういうことは考えないのである。

そして、従事する女性の同意/不同意に関わらず、軍を維持するために慰安婦制度は必要であったと述べている。そして、今は慰安婦制度は認められないが、やはり風俗業は必要だとしているのである。そして、有名になった、沖縄の海兵隊司令官にもっと風俗活用をすべきであるという発言を紹介したのであった。

―― 「意に反して」ということでも必要ではあったということでしょうか? いい気はしないけれども、状況からして必要であったということですか?

いや、意に反した、意に即したかということは別で、慰安婦制度っていうのは必要だったということですよ。意に反するかどうかに関わらず。軍を維持するとか軍の規律を維持するためには、そういうことが、その当時は必要だったんでしょうね。

―― 今は違う?

今はそれは認められないでしょう。でも、慰安婦制度じゃなくても風俗業ってものは必要だと思いますよ。それは。だから、僕は沖縄の海兵隊、普天間に行った時に司令官の方に、もっと風俗業活用して欲しいって言ったんですよ。そしたら司令官はもう凍り付いたように苦笑いになってしまって、「米軍ではオフリミッツだ」と「禁止」っていう風に言っているっていうんですけどね、そんな建前みたいなこというからおかしくなるんですよと。

法律の範囲内で認められている中でね、いわゆるそういう性的なエネルギーを、ある意味合法的に解消できる場所ってのが日本にはあるわけですから。もっと真正面からそういうところ活用してもらわないと、海兵隊のあんな猛者のね、性的なエネルギーをきちんとコントロールできないじゃないですかと。建前論じゃなくてもっとそういうとこ活用してくださいよと言ったんですけどね。それは行くなという風に通達を出しているし、もうこれ以上この話はやめようっていうんで打ち切られましたけどね。だけど風俗業ありじゃないですか。これ認めているんですから、法律の範囲でね。

―― 活用していないから事件が起こると?

いやいや、それは因果関係は別です。でももっと、だから、そういうのは堂々と……。それは活用したから事件がおさまるという風な因果関係にあるようなものではないでしょうけど、でも、そういうのを真正面から認めないと、建前論ばかりでやってたらダメですよ。そりゃあ兵士なんてのは、日本の国民は一切そういうこと考えずに成長するもんですから、あんま日本国民考えたことないでしょうが、自分の命を落とすかもわかんないような、そんな極限の状況まで追い込まれるような、仕事というか任務なわけで。それをやっぱり、そういう面ではエネルギーはありあまっているわけですから、どっかで発散するとか、そういうことはしっかり考えないといけないんじゃないですか。それは建前論で、そういうものも全部ダメですよ、ダメですよって言っていたら、そんな建前論ばっかりでは、人間社会はまわりませんよ。
http://synodos.jp/politics/3894/2

今読んでみると、いささか恥ずかしくなってくるのだが…。この発言には、いくつかの問題点を指摘できる。まず、売春を組織として禁じている米軍に対してーそれも司令官に対してーこのような発言をするということは、米軍からみれば、組織に対する侮辱ととらえられるだろうということである。この紹介の中で、米軍司令官はそのような形で対応したし、その後のアメリカ政府の対応もまた、その観点から行われている。

他方で、このような発言について、日本とりわけ沖縄の人びとがどう思うかということである。この発言は、兵士の性的エネルギーのコントロールにつき、公的な形で女性を「活用」しろといっているわけであるから、女性を「性的な資源」としてみているわけで、女性に対する人権侵害になることは間違いない。他方で、ナショナリスティックな観点からみたらどうなるか。日本とりわけ沖縄がアメリカの従属下にあることはあきらかである。それは、日米安保条約と日米地位協定に表現されている。沖縄での米兵の性犯罪がたえないのは、第一に長期間にわたって大規模にアメリカ軍が駐留しているためであり、第二に不平等な日米地位協定によって日本の警察権が十分米兵に及ばないことが起因している。そのようななか、アメリカ軍司令官に日本の「女性」の活用をもちかけるということは、日米の従属関係の基本について異議を申し立てず、かえって便宜供与を提起するということになるだろう。結局、そうなると、強制であるか合法であるとか、女性が合意しているかどうかは関係なく、従属を強いている相手にさらに便宜供与するのかということになるだろう。そして、アメリカー日本・沖縄という現在の構図は、植民地期の日本ー朝鮮という構図に変換可能である。いわば、橋下は、たぶん自ら意図したのではないだろうが、慰安婦問題を現代世界においてわかりやすく可視化してしまったのである。

さらに、橋下は、米軍も朝鮮戦争期や占領期の沖縄において慰安婦制度をもっていた、日本軍以外もレイプはしていた、日本だけが慰安婦をもっていたのではないと、それまでの説明を繰り返し、最後に、次のように述べている。

ただ、日本の軍がね、または日本政府が国をあげてね、暴行脅迫拉致をしたという証拠が出てくれば、それはやっぱり日本国として反省しなければいけないけれど、そういう証拠がないって言う風に日本政府が閣議決定しているわけですからね。だから、今度、慰安婦の方が大阪市役所に来られた時にね、暴行脅迫うけたのか、拉致されたのかね、そのあたりについても、お話うかがわせてもらえるんだったら、うかがわせてもらいたいですけどね。

本当にそうだってことであるんだったら、日本政府の方にその証言とってもらってですね、なんだ拉致あるじゃないですかと、2007年の閣議決定の時と違うじゃないですかっていう話になってもこれは仕方ないと思いますしね。今は、いろんな論戦の中で、従軍慰安婦問題を否定している人たちって言うのは、暴行脅迫や拉致は絶対になかったって言っているわけですから、それはあるって話になれば、それは従軍慰安婦問題を真っ向から否定している人たちは論拠がなくなるわけですしね。まぁ、だから、どういう状況で、どういう経緯で慰安婦にならざるをえなかったのか、そういうお話をうかがわせてもらえるんであればお聞かせいただきたいという風に思ってますけども。
http://synodos.jp/politics/3894/2

つまり、慰安婦の人びとと、このようなことでディベートをしたいというのである。

ここまで、橋下の発言を「読解」してきた。韓国その他アジア諸国には「謝罪」するが、植民地政策をすすめ、慰安婦制度をもっていた(と橋下は主張する)アメリカなどの欧米諸国には、結局同じくらい悪いことをしていると主張するのだというのである。そのつながりで、沖縄の米軍司令官には性的エネルギー発散のため風俗業への活用をすすめるということになるのである。

ずっと読み進めてみると、だんだん誰もがが正当とは思えない袋小路に自分から入っていったという感想をもった。欧米諸国が植民地政策を行っていたことは自明であり、その意味で欧米諸国にも批判の余地があるということは、ある程度の(それだけをとりだせばということになるが)賛成を得られるであろう。しかし、世界各国が日本と同様の慰安婦制度をもっていたかといえば、?をつけざるをえない。日本の慰安婦制度すら解明されているとはいえず、それと比較可能な形で各国軍隊の売春業が解明されているのだろうか。そして、現在の在日米軍に公に風俗業を活用するという発言については、ある意味では「建前」をたたく姿勢のみを評価する人びとを除いて、だれが評価するのであろうか。逆に、あの発言こそ、公的な機関が組織的にそのような事業にかかわることの危険性を指し示したといえるのである。たぶん、刺激的な発言をすることで衝撃を与えようとしたのであろう。確かに、衝撃を受けた。しかし、それは、大多数の人びと(それも世界的に)が橋下を排除するように作用したのである。

といっても、このような袋小路は、橋下徹のみが陥っているわけではない。結局、日本の侵略の問題性を相対化しようというこころみは、橋下以前の自民党などの保守派が一貫して行ってきたことであった。慰安婦における強制性を認めないということは、彼らが開発してきた論理なのだ。しかし、冷戦終結後の彼らの営為は、対アジア諸国からの批判をまねいただけでなく、アメリカほか日本が依存してきた欧米諸国の批判につながっていった。今年の5月始め、橋下発言の直前、安倍政権が陥っていた状況はそのようなものであった。橋下は、その状況下で発言して、何らかの主導権を得ようとしたといえる。しかし、内外からの批判をあびてしまったのである。

もし、橋下のように、侵略を相対化し慰安婦の強制性を認めないことから議論を開始すれば、やはり橋下のような袋小路に落ちいることになるだろう。そして、それは、橋下が介入しなければ安倍政権がすすんだかもしれない道だったのである。

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2013年4月28日、1952年のサンフランシスコ平和条約発効を記念して、政府主催で「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」が開催され、天皇・皇后も出席した。このサンフランシスコ平和条約は、そもそも前年に開かれたサンフランシスコ講和会議が、中華人民共和国・中華民国・大韓民国・朝鮮人民共和国という日本のアジア侵略の矢面にたった諸国が出席しておらず、ソ連などの社会主義陣営を無視して、アメリカなどの西側諸国のみと講和するというものであり、当時「単独講和」とよばれた。結局、この平和条約は、竹島/独島、尖閣諸島/釣魚島などの中国・韓国などとの領土紛争の発火点となり、さらに、在日朝鮮人などを切り捨てるものでもあった。また、サンフランシスコ平和条約は、沖縄・奄美・小笠原を日本から切り離し、米軍の施政権下に置くものであり、特に沖縄には、多くの米軍基地が設置されており、現在にいたるまで大きな基地負担に沖縄住民は苦しむことになった。また、平和条約と同時に調印された日米安全保障条約によって、日本のアメリカへの従属が決定的なものになった。

このような意味をもつ「平和条約」による「主権回復」を政府が記念することに対して、沖縄他さまざまなところで抗議活動が行われている。しかし、ここでは、「主権回復の日」記念式典における安倍晋三首相の式辞「日本を良い美しい国にする責任」を読むことによって、安倍晋三らが「主権回復の日」式典にこめた意義や背景となる世界観をみていきたい。

まず、簡単に、この式典自体を説明しておこう。この式典は、非常に空疎なものである。国会議事堂のそばにある憲政記念館に、国会議員・閣僚・知事ら約390人が集められ、天皇・皇后臨席のもとに、安倍晋三が式辞を読み上げ、衆参両院議長と最高裁長官があいさつし、児童合唱団が「手のひらに太陽を」「翼をください」「believe」「明日という日」を歌っただけというものであり、1時間にみたない。天皇・皇后が退席するとき万歳三唱がなされたが、これは、主催者の意図とは違ったものとされている。結局、安倍晋三の「式辞」を、天皇・皇后臨席のもと、国会議員・閣僚・知事らが聞くというだけのものである。

この式辞については、産經新聞が28日付で全文をネット配信している。産経新聞の記事をもとに、この式辞をみていこう。

まず、この式辞は、次のような形で始まっている。

首相式辞全文「日本を良い美しい国にする責任」
2013.4.28 22:11

 本日、天皇、皇后両陛下のご臨席を仰ぎ、各界多数の方々のご参列を得て、主権回復・国際社会復帰を記念する式典が挙行されるにあたり、政府を代表して式辞を申し述べます。

 

61年前の本日は、日本が自分たちの力によって再び歩みを始めた日であります。サンフランシスコ講和条約の発効によって主権を取り戻し、日本を日本人自身のものとした日でありました。その日から61年。本日を一つの大切な節目とし、これまで私たちがたどった足跡に思いを致しながら、未来へ向かって希望と決意を新たにする日にしたいと思います。

まず、サンフランシスコ平和条約が発効した1952年4月28日を「主権を取り戻し、日本を日本人自身のものとした日」ととらえている。これが、この式典のテーマといってよいだろう。その上で、次のように、昭和天皇の歌をもとに、占領期を回想している。

 

国敗れ、まさしく山河だけが残ったのが昭和20年夏、わが国の姿でありました。食うや食わずの暮らしに始まる7年の歳月は、わが国の長い歴史に訪れた初めての、そして最も深い断絶であり、試練でありました。

 そのころのことを亡き昭和天皇はこのように歌にしておられます。

 「ふりつもるみ雪にたへていろかへぬ松ぞををしき人もかくあれ」

 雪は静謐(せいひつ)の中、ただしんしんと降り積もる。松の枝は雪の重みに今しもたわまんばかりになりながら、じっと我慢をしている。我慢をしながら、しかしそこだけ目にも鮮やかに緑の色を留めている。私たちもまたそのようでありたいものだという御製(ぎょせい)です。

 昭和21年の正月、日本国民の多くが飢餓線上にあえぎつつ、最も厳しい冬を、ひたすらしのごうとしていたときに詠まれたものでした。多くの国民において心は同じだったでしょう。

 やがて迎えた昭和27年、主権が戻ってきたとき、私たちの祖父、祖母、父や母たちは何を思ったでしょうか。今日はそのことを国民一人一人深く考えてみる日なのだと思います。

ここでは、まず、昭和天皇に仮託した視点で、占領期が回想されている。「ふりつもるみ雪」として表現される連合国による占領を我慢し、「いろかえぬ松」と表現されているように耐え忍ばなくてはならないとされているのである。あるいは昭和天皇自身はそうなのかもしれない。しかし、占領期の多くの国民が天皇と同じ意識であったわけではない。もちろん、占領による苦しみはあった。しかし、また、戦争責任をとらない昭和天皇も批判されていたのである。

そして、この7年の中で、現行の日本国憲法は制定され、教育基本法などの現行の法制度の多くはつくられた。しかし、この式辞では、そのような憲法なども、主権喪失の産物であり、日本人自体がつくったものではないということを暗示しているのである。

そして、この式辞では、国際社会復帰について言及している。この式典の正式名称は、「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」であり、安倍晋三としては、国際社会に参加する契機となったことも、この式典で記念していくべきことなのである。

61年前の本日、国会は衆参両院のそれぞれ本会議で主権回復に臨み4項目の決議を可決しております。

 一、日本は一貫して世界平和の維持と人類の福祉増進に貢献せんことを期し、国連加入の一日も速やかならんことを願う。

 二、日本はアジアの諸国と善隣友好の関係を樹立し、もって世界平和の達成に貢献せんことを期す。

 三、日本は領土の公正なる解決を促進し、機会均等、平等互恵の国際経済関係の確立を図り、もって経済の自立を期す。

 四、日本国民はあくまで民主主義を守り、国民道義を昂揚(こうよう)し、自主、自衛の気風の振興を図り、名実ともに国際社会の有為にして責任ある一員たらんことを期す。

 以上、このときの決議とは、しっかりと自立した国をつくり、国際社会から敬意を集める国にしたいと、そういう決意を述べたものだといってよいでしょう。

 自分自身の力で立ち上がり、国際社会に再び参入しようとする日に、私たちの先人が自らに言い聞かせた誓いの精神が、そこにはくみ取れます。

 主権回復の翌年、わが国の賠償の一環として当時のビルマに建てた発電所は、今もミャンマーで立派に電力を賄っています。主権回復から6年後の昭和33年には、インドに対し戦後の日本にとって第1号となる対外円借款を供与しています。

私の目からみれば、主権回復に際して出されたこの国会決議を安倍晋三が述べることは皮肉に思える。しかし、安倍は大真面目でこのことを主張している。つまりは、「日本国民はあくまで民主主義を守り、国民道義を昂揚(こうよう)し、自主、自衛の気風の振興を図り、名実ともに国際社会の有為にして責任ある一員たらんことを期す」ということが主権回復にはこめられていたし、今後の日本も重視していかねばならないというのである。つまり、安倍は自覚としては「民主主義者」であり「国際協調」を旨とする人なのである。他方で、安倍晋三には、「しっかりと自立した国をつくり、国際社会から敬意を集める国にしたい」という意識もある。これは、たぶん「大国主義」ということになろう。

ただ、では、アジア諸国についてはどうか。安倍が引用した国会決議では「日本はアジアの諸国と善隣友好の関係を樹立し、もって世界平和の達成に貢献せんことを期す。」とある。しかし、安倍が出してきた事例は、経済援助ばかりである。この式辞において、アジア諸国については「恩恵」の対象であり、対等な立場ではみていないのである。日本の「大国」化の反面にはアジア蔑視があるといえよう。

次に語られるのは、日本の伝統なるものを持ち出して語られる戦後日本の「成功神話」である。しかし、戦後日本において幾許か成功なるものがあったとしても、その成果が否定される時期に語られるというのは皮肉なことである。

主権回復以来、わが国が東京でオリンピックを開催するまで費やした時間はわずかに12年です。自由世界第2の経済規模へ到達するまで20年を要しませんでした。

これら全ての達成とは、私どもの祖父、祖母、父や母たちの孜々(しし)たる努力の結晶にほかなりません。古来、私たち日本人には、田畑をともに耕し、水を分かち合い、乏しきは補いあって、五穀豊穣(ごこくほうじょう)を祈ってきた豊かな伝統があります。その麗しい発露があったからこそ、わが国は灰燼(かいじん)の中から立ち上がり、わずかな期間に長足の前進を遂げたのであります。

そして、次に、サンフランシスコ平和条約のもつ不十分さが語られることになる。

 

しかしながら、国会決議が述べていたように、わが国は主権こそ取り戻したものの、しばらく国連に入れませんでした。国連加盟まで、すなわち一人前の外交力を回復するまで、なお4年と8カ月近くを待たねばなりませんでした。

 また、日本に主権が戻ってきたその日に奄美、小笠原、沖縄の施政権は日本から切り離されてしまいました。とりわけ銘記すべきは、残酷な地上戦を経験し、おびただしい犠牲を出した沖縄の施政権が最も長く日本から離れたままだった事実であります。

 「沖縄の祖国復帰が実現しない限り、わが国の戦後は終わらない」。佐藤栄作首相の言葉です。沖縄の本土復帰は昭和47年5月15日です。日本全体の戦後が初めて本当に終わるまで、主権回復からなお20年という長い月日を要したのでありました。沖縄の人々が耐え、忍ばざるを得なかった戦中、戦後のご苦労に対し、通り一遍の言葉は意味をなしません。私は若い世代の人々に特に呼び掛けつつ、沖縄が経てきた辛苦に、ただ深く思いを寄せる努力をなすべきだということを訴えようと思います。

日本の国連参加が遅れたのはソ連の拒否権発動であったためであり、その意味で、おぼろげに「単独講和」であった平和条約の問題性がふれられている。より鮮明にあらわれているのは、沖縄・奄美・小笠原が日本から切り離されたということである。ただ、この式辞では、結局のところ、これらの諸地域が日本から切り離されたことだけが問題にされている。独立論すらあった沖縄において、日本から切り離されたことだけが、苦難だったわけではない。多くの米軍基地が設置され、アメリカに統治されたことのほうが、戦後の苦難としては大きいのである。この式辞では、米軍の「加害」にはふれず、日本の施政権下にあったかなかったかといういわばナショナリスティックなことだけが「苦労」とされているのである。

そして、ここで、かなり唐突に、東日本大震災に対する国際的支援についてふれている。

 

わが国は再び今、東日本大震災からの復興という重い課題を抱えました。しかし同時に、日本を襲った悲劇に心を痛め、世界中からたくさんの人が救いの手を差し伸べてくれたことも私たちは知っています。戦後、日本人が世界の人たちとともに歩んだ営みは、暖かい、善意の泉を育んでいたのです。私たちはそのことに深く気付かされたのではなかったでしょうか。

中でも米軍は、そのトモダチ作戦によって、被災地の人々を助け、汗と、時として涙を共に流してくれました。かつて熾烈(しれつ)に戦った者同士が心の通い合う、こうした関係になった例は、古来まれであります。

こういうことに東日本大震災をひきあいにだすのなら、より被災者によりそった形で復旧をはかってほしいと思う。ただ、それはともかく、ここで式辞が主張していることは、国際社会、とりわけ米軍が、日本に対して救いの手をだしてくれたということである。まず、国際社会=米軍という意識がそこにあるといえよう。安倍晋三らにとって、国際社会とはつまり米軍のことなのである。そして、さらに、ここで米軍の「救いの手」を強調することで、沖縄が実際に味わってきた米軍による加害が無効化されるのである。

そして、ある意味では危機感をあおりつつ、次の三点にわたって、安倍は日本の将来的課題を述べて、この式辞を終えている。

 

私たちには世界の行く末に対し、善をなし、徳を積む責務があります。なぜなら、61年前、先人たちは日本をまさしくそのような国にしたいと思い、心深く誓いを立てたに違いないからです。ならばこそ、私たちには日本を強く、たくましくし、世界の人々に頼ってもらえる国にしなくてはならない義務があるのだと思います。

 戦後の日本がそうであったように、わが国の行く手にも容易な課題などどこにもないかもしれません。しかし、今61年を振り返り、くむべきは、焼け野が原から立ち上がり、普遍的自由と民主主義と人権を重んじる国柄を育て、貧しい中で次の世代の教育に意を注ぐことを忘れなかった先人たちの決意であります。勇気であります。その粘り強い営みであろうと思います。

 私たちの世代は今、どれほど難題が待ち構えていようとも、そこから目を背けることなく、あのみ雪に耐えて色を変えない松のように、日本を、私たちの大切な国を、もっと良い美しい国にしていく責任を負っています。より良い世界をつくるため進んで貢献する、誇りある国にしていく責任が私たちにはあるのだと思います。

 本日の式典にご協力をいただいた関係者の皆さま、ご参加をくださいました皆さまに衷心より御礼を申し上げ、私からの式辞とさせていただきます。

まず、第一点は、「大国化」である。安倍は「私たちには日本を強く、たくましくし、世界の人々に頼ってもらえる国にしなくてはならない義務がある」としている。

第二点は、「民主主義」の堅持ということになろう。一応、自由民主党は党名に「自由」と「民主」をいれている。彼らは「普遍的自由と民主主義と人権を重んじる国柄を育て」ていくというのである。皮肉にしか思えないが、結局、国際社会ーアメリカー米軍の前提のもとでしか主権維持はありえないのであり、アメリカの価値観からおおいにはずれるような政体は許されないということになろう。いうなれば、「主権回復」=「国際社会復帰」というこの式典のネーミングは、意外に深い問題を指し示しているといえる。もちろん、安倍にとって、国際社会なるものは第一義的にはアメリカである。「主権回復」=「対米従属」と考えれば、より状況を明確にとらえられるといえよう。

第三点は、再び昭和天皇の「松」を出し、日本を「もっと良い美しい国にしていく」ということを課題としている。「もっと良い美しい国」というのはまったく抽象的でとらえどころがないのだが、ここで昭和天皇の「松」が出されていることによって、意味内容が暗示されている。つまり、雪にたとえられる占領期の圧力からの「解放」がここでは意味されているといえよう。そこには、戦後憲法も含まれるのである。

安倍晋三の式辞を見る限り、このような意義が「主権回復の日」式典がこめられているといえよう。しかし、ここには矛盾も内包している。主権回復と国際社会復帰が重ね合わされており、それは究極的には、主権維持=対米従属ということに結びついているといえる。もちろん、このこと自体が矛盾の塊だが、とりあえず、さしあたっては、日本国家は、アメリカの価値観から大きく外れるわけにはいかないということになるだろう。安倍も「民主主義者」を自称し、自由民主党も「自由」と「民主」を党名にするという皮肉な事態がそこには発生する。

他方で、昭和天皇の「松」と「雪」に暗示させているように、彼らのいう占領期の憲法などの「押し付け」を打破して「主権回復」にふさわしい「もっと良い美しい国」をつくるという欲望がここには表出されている。しかし、そもそも、彼らのいう憲法などを「押し付けた」のもアメリカであり、もし彼らがいうように「もっと良い美しい国」などというものを確立したとして、アメリカが認めない可能性が生じるのである。結局、この主権回復の日記念式典の安倍晋三の式辞は、安倍などの日本の歴代政権がかかえている矛盾を、ここでもまた表出させているといえよう。

典拠:http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130428/plc13042822120012-n1.htm

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沖縄近現代史研究者新崎盛暉氏が2012年10月16日に「2012年アジア思想上海論壇」にて講演を行い、「沖縄は、東アジアにおける平和の『触媒』となりうるか」と題されて『現代思想』2012年12月号に掲載された。尖閣諸島が所在する沖縄側の意見を伝えるものとして、この論考を紹介しておきたい。

まず、新崎氏は、「『万国の労働者よ、団結せよ』というスローガンが、ある種の理想を描いていた時代がはるか過去のものとなり、国家主義、愛国主義がせめぎ合う中で、『国家より先に人間が存在するのではないか』という問題提起」(本書p148)を行うとした。その上で、この論考では、オスプレイ普天間基地配備をめぐって沖縄の民衆が日中両政府と激しく対立していること、米中日韓の力関係の変化を背景として東アジアに領土紛争という新たな危機が生み出されたことを前提として、「『反戦平和』を求めて闘い続けてきた沖縄は、今こそ、自らの闘いの教訓を踏まえつつ、この新たな危機に対して、国家の立場を超えた独自の視点を提起する努力をなすべき」(本書p148)と主張した。この論考全体では、沖縄の近現代史を展望しつつ、「やがて、沖縄の民衆闘争は、南ベトナム内戦へのアメリカの全面介入とその政策的破綻の中から登場した日米軍事同盟の再編強化策としての72年沖縄返還政策と対峙しつつ、『反戦復帰』を掲げる新たな沖縄闘争へ、ナショナリズムから脱皮した反戦闘争へと変質していきます」(本書p154)と述べた。

その上で、「東アジアの平和の試金石ともいうべき尖閣(釣魚島・釣魚台列島)問題」(本書p154)にふれている。新崎氏は、沖縄では「イーグンクパジマ」と呼ばれたことや、日中両国が尖閣諸島の帰属とする根拠について述べた後、このように主張する。

 

沖縄では、ほぼ100%の人たちが、この島々は、沖縄と一体のものであると考えています。ただそれは、日中両国家がいうような「固有の領土」というよりは、ー既成概念に寄りかかって安易に『固有の領土』といった言葉を使っている場合でもー、むしろ自分たちの生き死にに直接かかわる「生活圏」だ思っています。生活圏という言葉には、単に経済的意味だけでなく、歴史的文化的意味も含まれています。(本書p156)

「生活圏」として位置づける根拠として、沖縄の海人(ウミンチュ)=漁民によって漁場が開発されたことや、鰹節工場が設置されたこと、日本の敗戦間際に疎開船が逃げ込んだことを新崎氏はあげた。その上で、新崎氏は、次のように述べている。

 

沖縄の生活圏であるこれらの島々は、現在、沖縄が日本という国家に所属しているので、日本の領土の一部になっていますが、もともと、国家「固有の領土」などというものが存在するのでしょうか。「領土」とか、「国境」といった概念は、近代国家形成過程において登場してきたものにすぎません。それは琉球処分前後の琉球・沖縄の歴史を振り返っただけで明らかです。私たちは、そろそろ欧米近代が東アジアに持ち込んだ閉鎖的排他的国境・領土概念から抜け出してもいいのではないでしょうか。
 強調しておかなければならないのは、「国家固有の領土」と違って、「地域住民の生活圏」は、必ずしも排他性を持つものではない、ということです。たとえば、沖縄漁民の生活圏は、台湾漁民の生活圏と重なり合うことを排除するものではありません。(本書p156)

そして、新崎氏は、過去においては沖縄と台湾の間に生活圏が形成されており、現在でも国境をこえた生活圏形成の可能性があることを指摘し、台湾の馬英九総裁が、尖閣諸島を台湾帰属としつつも、東シナ海をめぐる争議は多国間メカニズムを通して平和的に解決すべきとした「東シナ海平和イニシャチブ」を8月に提言したことに言及する。

しかし、新崎氏は、ある程度、台湾の「東シナ海平和イニシャチブ」を評価するものの、その限界性をも指摘し、次のように提言する。

 

平和的解決に力点を置いた提言は、注目すべきですが、あくまで中華民国という国家の立場からの提言です。21世紀に入った現在から将来を展望しようとする場合、欧米近代が持ち込んだ領土概念を抜け出し、地域住民の生活圏に視点を移して、紛争を平和的に解決する方途を模索することはできないでしょうか。とりあえず現状を変えることなく、抽象的観念的「固有の領土論」を棚上げし、これら地域を歴史的文化的経済的生活圏としてきた人々の話し合いの場を通して、問題の歴史的背景や将来の在り方を検討し、共存圏の構築に努力することはできないでしょうか。たとえば尖閣諸島については、日中両国と共に、地域としての沖縄と台湾の歴史家や漁業関係者の参加が不可欠だと思います。(本書p157)

さらに、新崎氏は、竹島(独島)や歯舞、色丹、国後、択捉についても同様なことが必要であるとし、最後に、このように主張している。

国家間関係の中に国境地域住民の視点をも取り入れることによって初めて、一貫した歴史認識と将来的共生の展望が獲得できるのではないでしょうか。それこそが沖縄の「反戦平和」を求める闘いが目指してきたものである、と私は考えています。(本書p157)

この新崎氏の提起に、私は共感した。現時点では、日中(+台湾・アメリカ)という国民国家同士で尖閣諸島の将来を議論していることになるが、国民国家という枠組みにとらわれれ、ナショナリスティックな主張のもとで無用の緊張を招くか、もしくは、それよりはましではあるが「棚上げ」という形で、実際に利用する可能性のある地域住民が十分利用ことが継続されてしまうことを懸念せざるをえない。国民国家を超えて、生活圏を共有する地域の人びとが話し合って、尖閣諸島の将来を決めていくことが、真に、尖閣諸島問題を解決させていくことになろう。そして、それは、尖閣諸島問題を根拠に暗躍してきたナショナリストたちと対峙するということであり、国民国家の「近代」を真に超えて行くということにつながっていくと、私も考えるのである。

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さて、このブログにおいて、1970年に中華民国(台湾)側が尖閣諸島の領有を主張した際、日本政府は、尖閣諸島はアメリカの施政権下にあり、当時行っていた沖縄返還交渉で日本に復帰する予定であったことを尖閣諸島領有の根拠としていたことを述べた。しかし、アメリカは尖閣諸島は沖縄とともに日本に返還されるとしながらも、その帰属については当事者間で解決されるべき問題であると主張した。

他方で、琉球政府は、1895年に尖閣諸島の沖縄県帰属が内閣で閣議決定されたことなど、現在の日本政府があげている領有の根拠の源流といえる論理を1970年の声明で主張した。このことも、本ブログで述べた。

しかし、その後も、愛知揆一外務大臣は、サンフランシスコ講和条約で沖縄全体とともに尖閣諸島もアメリカの施政権下に置かれることになり、沖縄返還で復帰する予定であることを、尖閣諸島領有の主な根拠として、基本的に国会答弁で主張し続けた。

この姿勢に変化が現れたのは、1971年6月17日、アメリカとの間で沖縄返還協定が調印され(1972年5月15日発効)、その直後の7月5日の内閣改造によって外務大臣が愛知から福田赳夫に交代した以降のことであった。就任当初の福田も、前任者の愛知と同様、沖縄返還において尖閣諸島も返されることを尖閣諸島領有の根拠として国会で答弁していた。

しかし、1971年12月1日の参議院本会議における国会答弁から、福田の姿勢は変化していく。この日、日本社会党所属の参議院議員森元治郎は、尖閣諸島について、このように質問した。

尖閣列島について伺います。アメリカ上院の審議の過程において、この尖閣列島だけが特に問題として取り上げられたのを見て奇異の感じを免れません。アメリカの言い分によれば、尖閣列島の施政権は日本に返すことになるが、その領土主権の帰属については関与しない、もし領有権を主張する国がありとすれば、関係国の話し合いによってきめたらよかろうというもののようであります。一体、アメリカは、どこの国のものかわからないこれらの島々の施政権を押えていたというのでしょうか。そのくせ、返還後も演習場として使用するということになっております。キツネにつままれたようでさっぱりわかりません。何とも不愉快な話であります。その間の事情を外務大臣からお伺いいたしたいと思います。(国会会議録検索システム)

つまり、アメリカは、尖閣列島を返還するといいつつ、領土主権の帰属には関与せず、そのことについては関係国の協議にまかすという態度をとっているのではないかと質問したのである。なお、この質問の中で尖閣諸島の中にアメリカ軍の演習場があると述べられているが、この演習場は、他の沖縄基地と同様、今も返還されていない。

この質問に対し、福田は次のように答弁した。

次に、尖閣列島の問題でありますが、御指摘のように、確かにアメリカ上院の外交委員会はその報告書におきまして、この協定は、尖閣列島を含む沖繩を移転するものであり、その次が問題なんですが、尖閣列島に対する主権に関するいかなる国の主張にも影響を及ぼすものでない。こういうふうに言っておるわけであります。これは米上院の外交委員会の報告書の中にそう言っているわけでありますが、このことをとらえての森さんのお話だと思います。私は、このことをとらえてのお話、御心情はよくわかります。私といえども不愉快なような感じもいたすわけでございます。おそらくこれは他の国からアメリカに対していろいろと話があった、それを反映しているんじゃないかというふうな私は受け取り方もいたしておるのでありますが、この問題は御指摘を受けるまでもなく、すでに平和条約第三条において、これは他の沖繩諸島同様にアメリカの信託統治地域、またそれまでの間の施政権領域というふうにきめられておりますので、それから見ましてもわが国の領土である。つまり、台湾や澎湖島と一線を画しておるそういう地域であるということはきわめて明瞭であり、一点の疑いがない、こういうふうに考えております。(国会会議録検索システム)

この答弁は微妙である。この時点でも福田は尖閣諸島領有の根拠としてサンフランシスコ講和条約によってアメリカが施政権をもつことになり、沖縄返還でともにかえってくることをあげている。しかしながら、アメリカ側が尖閣諸島帰属について曖昧な態度を示していることに不快感を示しているのである。

そして、12月16日の参議院沖縄返還協定特別委員会において、森と福田は次のような議論をしたのである。

○森元治郎君 これは本論じゃないから簡単にしますが、私は、きょう現在は尖閣列島の領有権は問題なく日本だ、大陸だなと尖閣列島の問題は別個の問題である、もう一つは、もし、第三国から話し合いがあった場合には、正当なる申し入れ、相談したいとか――けんかではだめでしょうからね、正当に話したいというんなら話し合おうというだけで必要にしてかつ十分だと思うんです。外務大臣としては。いまり中国に調子づけたようなかっこうなんかする必要はないので、この問題はなかなかこれは深刻複雑ですからね。その点はもっと牛歩的な態度でしっくりいかれたらいいと思う。
 それでもう一点だけ聞くのは、なぜアメリカは領有権の問題について奥歯に物のはさまったようなことを特に言うのか、この真意は。さきに竹島問題という問題がありましたね、あれでも同じであって、何かどこかの国から領有権について問題でもあると自分がすうっと引いて、返還したなら返還しただけで黙っておれば必要にして十分だと思うのに、帰属はわからないと、そういうふうな言い方はどういう意味か、その意味だけを聞きます。
○国務大臣(福田赳夫君) 帰属はわからないとは言ってないんです。沖繩返還協定は、この協定によってこの帰属に影響を及ぼすものではない、こういうことを言っておるわけです。言っておるにしても、私どもとすれば、はっきり日本のものですよ、こううふうに言ってくれればたいへんありがたいわけなんでありますが、これはお察しのとおりのいろんな事情があるんではないか、そのような感じがします。しかし、それはいずれにいたしましても沖繩返還協定以前の問題です。日清戦争のとき、われわれは台湾、澎湖島の割譲を受けた。そのとき尖閣列島は入っておったかというと、入っておりませんでした。それから平和条約第三条でどういうふうになったかといいますれば、これは台湾、澎湖島はわが国は放棄しました。しかし、尖閣列島を含む沖繩列島はこれは信託統治、また暫定的にはアメリカの施政権施行、こういうことになっているんです。一点の疑いもないんです。ないそのものにこの条約が、今度の条約が影響を及ぼすものではないというのはまことに蛇足であります。言わずもがなのことだと思いますが、何らかいきさつがあった。しかし、抗議をするというほどのことでもないのですよ。この返還協定は、これはいままでの尖閣列島の地位に影響を及ぼすものではないと、こういうことなんですから、抗議をする、そういう性格のものでもない、こういうふうに理解しております。
○森元治郎君 私は、アメリカがきれいに返したと言えばいいものをなぜよけいなことを言うのかという、そこを聞いているんです。日清戦争の話はいいです。わかりました。
○国務大臣(福田赳夫君) きれいにお返しいたしましたということは経緯度をもってもうはつきり示してあります。
○森元治郎君 とにかくこれははなはだ不愉快な問題ですね。アメリカがなぜこうだということは、やはり外務大臣として、折りを見てとっくりと確かめておくべきだと思うんです。今後問題になりますから確かめておく。抗議、これもいいでしょうが、どうなんだと、なぜだということをやっぱり聞いておかないと問題が起きたときにあわせてますから、しっかりアメリカがよけいなことを言うんじゃないということを押え込んでおかなければいけないということを忠告して協定に移ります。
(国会会議録検索システム)

このやりとりにおいて、森と福田は、両者ともに、沖縄返還においてアメリカ側が尖閣諸島の日本帰属を明言しないことに不快感を示している。そして、福田は、ここで始めて、「日清戦争のとき、われわれは台湾、澎湖島の割譲を受けた。そのとき尖閣列島は入っておったかというと、入っておりませんでした。」ということにふれたのである。つまり、日清戦争において、台湾・澎湖諸島の割譲を受けたが尖閣はその割譲分には含まれないことを主張し始めたといえよう。

そして、翌1972年3月、沖縄の実際の復帰に直面して、さらに日本政府の姿勢は変わっていく。3月3日、琉球政府立法院は、1970年8月31日の決議と同様に「尖閣列島が日本固有の領土」であることを主張し、中華民国や中華人民共和国の尖閣諸島領有要求をやめさせることをアメリカに求める決議を行った。

他方、3月8日、衆議院の沖縄及び北方問題に関する特別委員会で、沖縄の国政参加選挙で選出されていた自由民主党所属の衆議院議員である国場幸昌は、中華人民共和国が強く尖閣諸島の領有を主張していることなどをあげながら、次のような質問を行った。

○國場委員 外務大臣にお尋ねいたしたいと思うのでありますが、ただいま沖繩の立法院議長のほうからも陳情がありましたとおり、尖閣列島の領有権問題に対しましては、再三にわたる本委員会において、また他の委員会においても、古来の日本の領土であるということに間違いはないんだ、こういうことは承っております。
(中略)
そこで、これは中国毛沢東政権のみならず、台湾においても、台湾の宜蘭県に行政区域を定め、三月にはこの尖閣列島に対するいわゆる事務所を設置する、こういうようなこともまた言われておるわけであります。いまさきの立法院議長のお話にもありましたように、固有の日本領土というようなことでございまして、琉球新報の報ずるまた何から見ますと、明治二十八年一月十四日の閣議決定、沖繩に所属するという閣議決定がされまして、明治二十九年三月五日、勅令十三号、国際法上の無主地占領、歴史的にも一貫して日本の領土だったなどの点をあげている。明治二十七、八年の日清戦争の時期、その後においての講和条約によってこれがなされたものであるか、あるいはまた、その以前においての尖閣列島に対しての歴史がどういうような流れを踏んできておるものであるか。記録によりますと、明治十八年に石垣登野城の古賀商店の主人公がそこへ行って伐採をしたというようなこともあるようでございますが、このたびの第二次大戦において、平和条約によっていわゆる台湾の帰属の権利を日本は放棄したわけでございますが、問題になるのは、台湾と尖閣列島が一つであって、それで明治の日本の侵略戦争によって取られたものが、第二次大戦においてこれが返還されたのであるから、それをひとつ、これは台湾が切り離されたのであれば、やはり尖閣列島もそれについて戻されるという見解があるのではないかということが考えられるわけでございます。それに対しまして、固有の領土であるとか、記録においては明治二十九年、二十八年、そういうような記録以前においての記録、その歴史がどうなっておるかということを研究されたことがあるでありましょうか。外務省の御見解はいかがでございますか、大臣、ひとつそれに対しての御所見を承りたい。
(国会会議録検索システム)

国場は、琉球新報の報道を例に挙げながら、日清戦争によって台湾などともに割譲された土地ではないなど、明治期にさかのぼって尖閣諸島を領有していた根拠をあげるべきだと主張したのである。

この国場の意見に対し、福田は次のように答えた。

○福田国務大臣 尖閣列島問題は、これは非常に当面重大な問題だというふうな認識を持っております。この重大な問題につきまして、ただいま國場委員からるる見解の御開陳がありましたが、私も全く所見を同じくします。
 それで、國場委員の御質問の要点は、日清戦争前に一体どういう状態でいままであったんだろう、こういうところにあるようでありますが、明治十八年にさかのぼりますが、この明治十八年以降、政府は、沖繩県当局を通ずる、あるいはその他の方法等をもちまして、再三にわたって現地調査を行なってきたのであります。その現地調査の結果は、単にこれが無人島であるということばかりじゃなくて、清国の支配が及んでいる、そういう形跡が全くないということを慎重に確認いたしたのでありまして、日清戦争は終局的には明治二十八年五月の下関条約によって終結したわけでありまするが、それに先立ち、二十八年一月十四日に、現地に標識を建設する旨の閣議決定を行なって、正式にわが国の領土であるということの確認が行なわれておる、こういう状態でございます。自来、歴史的に一貫してわが国の領土たる南西諸島の一部を構成しており、それが、繰り返しますが、明治二十八年の五月発効の下関条約第二条に基づき、わが国が清国より割譲を受けた台湾、澎湖諸島には含まれていないということがはっきりいたしておるわけであります。つまり、日清戦争の結果、この下関条約におきましては、わが国が割譲を受けたのは何であるかというと、尖閣列島は除外をしてあります。台湾本島並びに澎湖島である、こういうことであります。
 なお、サンフランシスコ平和条約におきましても、尖閣諸島は、同条約第二条に基づき、わが国が放棄した領土のうちには含まれておりません。第三条に基づき、南西諸島の一部としてアメリカ合衆国の施政権下に置かれた次第でありまして、それが、昨年六月十七日署名の琉球諸島及び大東諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定、つまり沖繩返還協定により、わが国に施政権が返還されることになっておる地域の中に含まれておる、こういうことであります。現に、わが国は、アメリカに対しまして基地を提供する、そういう立場にあります。
 沖繩につきましては、今回の返還協定の付属文書におきまして、A表に掲げるものは、これは基地としてこれをアメリカ軍に提供をするということになっておりますが、その中にこの尖閣列島も人っておるのでありまして、現にアメリカの基地がここに存在する、こういうことになっております。そういうことを勘案いたしますと、わが国の領土としての尖閣列島の地位というものは、これは一点疑う余地がない。
 それが最近になりまして、あるいは国民政府からあるいは中華人民共和国からいろいろ文句が出ておる、こういうのが現状であります。
 そもそも中国が尖閣列島を台湾の一部と考えていないことは、サンフランシスコ平和条約第三条に基づき、米国の施政下に置かれた地域に同諸島が含まれている事実に対し、従来何ら異議の申し立てをしなかったのです。中華民国国民政府の場合も同様でありまして、一九七〇年の後半になりまして、東シナ海大陸だなの石油開発の動きが表面化するに及んで、はじめて尖閣列島の領有権を問題にするに至った、こういうことでございます。
 そういうようなことで、われわれはこういう隣の国々の動き、これは非常に不明朗である、非常に心外である、こういうふうに私は考えておるわけでありまして、私どもは、これは一点の疑いもないわが国の領土であるという認識のもとに立って行動、対処していきたい、かように考えております。
(国会会議録検索システム)

この福田の答弁は重要である。この福田の答弁こそ、日清戦争期にまでさかのぼる、尖閣諸島領有の政府見解の原型をなしたものといえるのである。そして、以前、本ブログで紹介したように、同日外務省統一見解が出された。この見解は、福田の答弁と内容的に一致しているのである。この統一見解については、つぎにあげておく。

尖閣諸島の領有権問題について
                   外務省統一見解
                   昭和47年3月8日
 尖閣諸島は、明治18年以降政府が沖縄県当局を通ずる等の方法により再三にわたり現地調査を行ない、単にこれが無人島であるのみならず、清国の支配が及んでいる痕跡がないことを慎重確認の上明治28年1月14日に現地に標杭を建設する旨の閣議決定を行なって正式にわが国の領土に編入することとしたものである。
 同諸島は爾来歴史的に一貫してわが国の領土たる南西諸島の一部を構成しており、明治28年5月発効の下関条約第二条に基づきわが国が清国より割譲を受けた台湾及び澎湖諸島には含まれていない。
 従って、サン・フランシスコ平和条約においても、尖閣諸島は、同条約第二条に基づきわが国が放棄した領土のうちには含まれず、第三条に基づき南西諸島の一部としてアメリカ合衆国の施政下に置かれ、昨年六月十七日署名の琉球諸島及び大東諸国に関する日本国とアメリカとの間の協定(沖縄返還協定)によりわが国に施政権が返還されることとなっている地域に含まれている。以上の事実は、わが国の領土としての尖閣諸島の地位を何よりも明確に示すものである。
 なお、中国が尖閣諸島を台湾の一部と考えていなかったことは、サン・フランシスコ平和条約第三条に基づき米国の施政下に置かれた地域に同諸島が含まれている事実に対し従来何等異議を唱えなかったことからも明らかであり、中華民国政府の場合も中華人民共和国政府の場合も1970年後半東シナ海大陸棚の石油開発の動きが表面化するに及びはじめて尖閣諸島の領有権を問題とするに至ったものである。
 また、従来中華民国政府及び中華人民共和国政府がいわゆる歴史的、地理的ないし地質的根拠等として挙げている諸点はいずれも尖閣諸島に対する中国の領有権の主張を裏付けるに足る国際法上の有効な論拠といえない。
(『季刊・沖縄』第63号、1972年12月、181〜182頁)

なお、このやり取りは自民党衆議院議員の国場幸昌との間で行われたが、革新側も反対していたわけではない。この日の委員会において、沖縄社会大衆党所属の衆議院議員である安里積千代も、尖閣諸島の日本領有を強く主張することを主張し、福田より政府方針を支持することが求められ、疑義はないと述べている。

○安里委員 一昨年、一九七〇年八月に中華民国政府が正式に言った。それから中華人民共和国政府が昨年、七一年の十二月だ。
 これはまあ公式なことをおっしゃったのでありまするけれども、台湾政府は、しばしばこの以前からももちろん口にいたしておりました。中華人民共和国政府が言い出しましたのはそれよりずっとあとです。この時期について、愛知外務大臣の時代においても、この時期に中国が尖閣列島の領有権を主張した政治的な意義というもの、あるいはねらいというものは何があるか、どのように見ておるかということをお問いしたのでありまするけれども、ほかのことで答弁がそらされております。そこへまた、私が私なりに見まする場合に、中国が尖閣列島の領有権を主張いたしてまいりましたのは、台湾政府はもちろん、大陸だなの問題も、あるいはまた石油資源の問題も関連しておったと思いますけれども、中国が領有権の主張をいたしてまいったのは、それよりもあと、日米間におきまする沖繩返還の問題というものが表向きになってまいりまして、アメリカ側におきまして沖繩を返還する範囲内において、あの尖閣列島も包含してくるということが具体的にあらわれてきた、その時代だったと考えております。したがいまして、いまの石油資源の問題、いろいろな問題とは別にいたしまして、私は、尖閣列島のこの領有権の主張に対しましては、沖繩返還という問題は非常に重要なる関係を持つ。そしてまた、中国のアメリカに対するいろいろな考え方、これとも関連があるものだ、こう見ております。
 そこで、単に、これまで政府が、尖閣列島は沖繩の一部であるというようなことにとどまらず、この問題に対処を誤りました場合には、私は、第二の竹島事件というものが起こらないとも限らない、こう思いまするし、この問題に対しまする外交上の自信があるところの処置というものがいまから十分なされておらなければならぬと思っております。
 そこで、これまでの二つの政府からのこういった公式的な主張に対しまして、外務当局としては手を打っておるのであるか、あるいはまた、この問題に対しまして、中国との間に円満にこれを解決するところの方向と申しますか、自信を持って対処しておられるかどうか、最後にその点だけをお聞きいたしまして、質問を終わりたいと思います。
○福田国務大臣 尖閣列島領有権につきましては、政府としては一点の疑問も持ちません。どうか安里さんにおきましても、疑義がないということで政府の主張を支持されたい、かようにお願いをいたしましてお答えといたします。
○安里委員 私は、疑義があるとは申しておりません。疑義がないがゆえに、疑義がありませんでも、それは日本側の立場において疑義はありませんし、われわれもそのとおりであります。けれども、問題の処理というものは、こちらが疑義がないからそのとおりになるのだというような単純なものではないと思うのであります。この点に関しまするところの政府の今後の対処について、誤りのないように万全を期してもらいたいことを要望いたしまして、終わります。
(国会会議録検索システム)

つまり、沖縄側では、いわゆる保守も革新も、尖閣諸島の日本帰属を強く主張するという点では、立場を共有していたといえよう。

この経過は、次のようにみることできよう。日本政府としては、当初、沖縄返還交渉においてアメリカが尖閣諸島の帰属について保証することを期待していたが、アメリカが将来の帰属については当事者の協議にまかせるという態度をとったため、沖縄返還以後をにらみ、日清戦争時に遡った形で、尖閣諸島領有の根拠を再構成したと考えられる。

そして、その前提となったのが、以前紹介した琉球政府の対応であり、今回紹介した国場幸昌、安里積千代などの沖縄選出の国会議員たちの存在であったといえる。彼ら自体は、尖閣諸島の油田開発などに期待をかけていた。そして、ある意味では沖縄の利害を含み込んだ形で、尖閣諸島の「日本」による領有を強く主張し、明治期に遡及して尖閣帰属の根拠を示したといえよう。

その意味で、尖閣諸島問題は、単に、日本と中国のナショナリズムの対抗にとどまらない複雑な様相を示しているといえよう。一方で、アメリカとの関係が、尖閣諸島問題を規定する大きな要因となっている。アメリカとの関係は、サンフランシスコ講和条約、日米安保条約、沖縄返還交渉など、日本の戦後史の一つの通奏低音として流れているのである。そして、それは、原発問題においても同様であるといえる。

他方で、直接の利害関係者である沖縄の人びとの主体性も、尖閣諸島問題を強く規定しているといえる。沖縄の人びとの主体性があってはじめて、この問題は顕在化したとみることできる。そして、このことは、日本政府が沖縄の人びとを代表しえるのかということにもつながろう。なお、この問題は、日本だけでなく、中国もかかえている。そもそも、中華人民共和国の中国共産党政権が、国民党政権のもとにある中華民国ー台湾の人びとを代表しえるのだろうか。そういう問いが、中国の場合も惹起できるのである。

追記:なお、豊下楢彦『「尖閣問題」とは何か』(岩波書店、2012年)は、沖縄の人びとや中国の人びとの対応にあまり言及がなく、主権国家同士の「外交史」に問題を限定しているという意味で不満をもつが、尖閣諸島問題におけるアメリカの存在の大きさを指摘しているという点で参考になった。

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さて、前回は、1970年8〜9月時点でに主に台湾ー中華民国との間で、尖閣油田開発をめぐり、尖閣諸島の領有権が問題とされたことを述べた。その際、日本・琉球政府は、ともに今とは違う根拠をあげていた。日本政府は沖縄を統治しているアメリカ政府の施政権が尖閣に及んでいることを根拠にしており、琉球政府は尖閣諸島が石垣市に所属していること、戦前古賀商店によって開発されていたことをあげた。

しかし、アメリカが施政権を行使している地域であるという日本政府の主張は、アメリカ側より、沖縄返還時返還する対象であるが、主権の帰属については当事者間の協議にまかすという態度が表明された。

そのような中で、包括的に尖閣諸島の日本帰属論を練り上げたのは琉球政府であった。琉球政府は、1970年9月17日、「尖閣列島の領土権について」という声明を発表した。この声明は、すでに紹介した琉球政府立法院の「尖閣列島の領土権防衛に関する決議」(1970年8月31日決議)を前提としつつ、まず、台湾ー中華民国側が尖閣油田の鉱業権をパシフィックガルフ社に与え、尖閣諸島の領有を主張していることを「領土権の侵害」を意図するものとして指摘した。

そして、第一に、アメリカ政府の統治基本法「琉球列島の管理に関する行政命令前文」(米国民政府布告第27号、1953年12月25日号)をあげ、その範囲に尖閣諸島は位置していると主張した。

さらに、尖閣諸島について、中琉の朝貢関係によって生じた船舶往来によりしばしば当時の文献に記載され、「釣魚台」「黄尾嶼」「赤尾嶼」などという中国名がつけられたことを指摘しつつ、次のように述べた。

…同列島は明治28年に至るまで、いずれの国家にも属さない領土としていいかえれば国際法上の無主地であったのであります。
 十四世紀以来尖閣諸島について言及してきた琉球及び中国側の文献のいずれも尖閣列島が自国の領土であることを表明したものはありません。これらの文献はすべて航路上の目標として、たんに航海日誌や航路図においてかあるいは旅情をたたえる漢詩の中に便宜上に尖閣列島の島嶼の名をあげているにすぎません。(『季刊・沖縄』第56号、1971年3月、181頁)

そして、1872年に琉球王国が琉球藩になり、1879年に県政が施行され、1884年頃より古賀辰四郎が尖閣列島の利用を開始していたと述べた(なお、古賀の尖閣列島利用は実際には日清戦後に開始されている)。

このような経過をふまえて、琉球政府は、次のように尖閣諸島の日本帰属の経過を主張した。

…こうした事態の推移に対応するため沖縄県知事は、明治18年9月22日、はじめて内務卿に国標建設を上申するとともに、出雲丸による実地踏査を届け出ています。
 さらに、1893年(明治26年)11月、沖縄県知事よりこれまでと同様の理由をもって同県所轄方と標杭の建設を内務及び外務大臣に上申してきたため、1894年(明治27年)12月27日内務大臣より閣議提出方について外務大臣に協議したところ、外務大臣も異議がなかった。そこで1895年(明治28年)1月14日閣議は正式に、八重山群島の北西にある魚釣島、久場島を同県の所属と認め、沖縄県知事の内申通り同島に所轄標杭を建設せしむることを決定し、その旨を同月21日県知事に指令しておりました。
 さらに、この閣議決定に基づいて、明治29年4月1日、勅令13号を沖縄県に施行されるのを機会に、同列島に対する国内法上の編入措置が行われております。沖縄県知事は、勅令13号の「八重山諸島」に同列島が含まれるものと解釈して、同列島を地方行政区分上、八重山郡に編入させる措置をとったのであります。沖縄県知事によってなされた同列島の八重山郡への編入措置は、たんなる行政区分上の編入にとどまらず、同時にこれによって国内法上の領土編入措置がとられることになったのであります。
(『季刊・沖縄』第56号、181〜182頁)

加えて、琉球政府声明では「そもそも、尖閣列島は八重山石垣市字大川在住の古賀商店が、自己の所有地として戦争直前まで伐木事業と漁業を営み行政区域も石垣市に属していることはいささかの疑問の余地もありません」(『季刊・沖縄』第56号、182頁)と述べている。

その上で、再度、台湾ー中華民国が尖閣領有を主張することについて「沖縄の現在のような地位に乗じて日本の領土権を略取しようとたくらむものであると断ぜざるを得ません」(『季刊・沖縄』第56号、182頁)とし、外交権のない琉球政府にかわって、日本・アメリカ政府双方に中華民国と外交折衝を行うことを要請した。

この見解は、愛知揆一外務大臣が議会で述べていた見解とは部分的に異なっている。例えば、愛知は、1970年12月16日の参議院の沖縄及び北方に関する特別委員会では次のように述べている。

○国務大臣(愛知揆一君) 尖閣列島の問題については、八月のときも申し上げましたように、尖閣列島自身の問題と、それから東シナ海に及ぶ大陸だなの問題と、まあ二つあるわけでございます。
 尖閣列島の帰属といいますか、主権の問題については、いかなる意味から申しましても日本の領土であるということは、もう間違いのないことであって、また、現在におきましては、サンフランシスコ平和条約第三条によってアメリカが施政権を持つ、その施政権の範囲といたしましても、きわめて明確に施政権の対象になっておりますので、今度の復帰に際しましても、当然これが復帰されることはあまりにも一明白な事実でございます。したがいまして、本件については、政府としてはもうあまりにもはっきりしている日本の固有の領土でございますから、これについていかなる国がいかなることを申しましても、これとの間に話し合いを持つとか協議をするという性質の問題ではないと、こういう態度で終始いたしております。
http://kokkai.ndl.go.jp/cgi-bin/KENSAKU/swk_dispdoc.cgi?SESSION=28709&SAVED_RID=1&PAGE=0&POS=0&TOTAL=0&SRV_ID=4&DOC_ID=18507&DPAGE=1&DTOTAL=23&DPOS=2&SORT_DIR=1&SORT_TYPE=0&MODE=1&DMY=28724

つまり、愛知は、尖閣諸島の帰属の根拠としては、アメリカの施政権下にあり沖縄返還時に戻っていることをあげているのである。これは、琉球政府声明以前の愛知の見解とほぼ同じである。その意味で、琉球政府の見解は、日本政府と協議した結果ではないと思われる。たぶん、琉球政府と同様の見方を1970年初頭に提起していた奥原俊雄の「尖閣列島の法的地位」(『季刊・沖縄』第52号)などを参照していたと考えられる。

しかし、結局、琉球政府の見解を中心として現在の日本政府の見解がつくられていくのである。沖縄返還(1972年5月15日)直前の3月8日に出された外務省統一見解「尖閣諸島の領有権問題について」は、琉球政府の見解を引き継いだ形でつくられている。

  

尖閣諸島の領有権問題について
                   外務省統一見解
                   昭和47年3月8日
 尖閣諸島は、明治18年以降政府が沖縄県当局を通ずる等の方法により再三にわたり現地調査を行ない、単にこれが無人島であるのみならず、清国の支配が及んでいる痕跡がないことを慎重確認の上明治28年1月14日に現地に標杭を建設する旨の閣議決定を行なって正式にわが国の領土に編入することとしたものである。
 同諸島は爾来歴史的に一貫してわが国の領土たる南西諸島の一部を構成しており、明治28年5月発効の下関条約第二条に基づきわが国が清国より割譲を受けた台湾及び澎湖諸島には含まれていない。
 従って、サン・フランシスコ平和条約においても、尖閣諸島は、同条約第二条に基づきわが国が放棄した領土のうちには含まれず、第三条に基づき南西諸島の一部としてアメリカ合衆国の施政下に置かれ、昨年六月十七日署名の琉球諸島及び大東諸国に関する日本国とアメリカとの間の協定(沖縄返還協定)によりわが国に施政権が返還されることとなっている地域に含まれている。以上の事実は、わが国の領土としての尖閣諸島の地位を何よりも明確に示すものである。
 なお、中国が尖閣諸島を台湾の一部と考えていなかったことは、サン・フランシスコ平和条約第三条に基づき米国の施政下に置かれた地域に同諸島が含まれている事実に対し従来何等異議を唱えなかったことからも明らかであり、中華民国政府の場合も中華人民共和国政府の場合も1970年後半東シナ海大陸棚の石油開発の動きが表面化するに及びはじめて尖閣諸島の領有権を問題とするに至ったものである。
 また、従来中華民国政府及び中華人民共和国政府がいわゆる歴史的、地理的ないし地質的根拠等として挙げている諸点はいずれも尖閣諸島に対する中国の領有権の主張を裏付けるに足る国際法上の有効な論拠といえない。
(『季刊・沖縄』第63号、1972年12月、181〜182頁)

そして、2012年11月時点に発表した外務省の「尖閣諸島についての基本見解」は次のように述べている。基本的に1972年の見解を受け継いでいることが理解できよう。

尖閣諸島についての基本見解
      平成24年11月

 尖閣諸島が日本固有の領土であることは,歴史的にも国際法上も疑いのないところであり,現にわが国はこれを有効に支配しています。したがって,尖閣諸島をめぐり解決すべき領有権の問題はそもそも存在していません。
 第二次世界大戦後,日本の領土を法的に確定した1952年4月発効のサンフランシスコ平和条約において,尖閣諸島は,同条約第2条に基づきわが国が放棄した領土のうちには含まれず,第3条に基づき南西諸島の一部としてアメリカ合衆国の施政下に置かれ,1972年5月発効の琉球諸島及び大東諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定(沖縄返還協定)によりわが国に施政権が返還された地域の中に含まれています。以上の事実は,わが国の領土としての尖閣諸島の地位を何よりも明瞭に示すものです。
 尖閣諸島は,歴史的にも一貫してわが国の領土たる南西諸島の一部を構成しています。元々尖閣諸島は1885年以降政府が沖縄県当局を通ずる等の方法により再三にわたり現地調査を行ない,単にこれが無人島であるのみならず,清国の支配が及んでいる痕跡がないことを慎重に確認の上,1895年1月14日に現地に標杭を建設する旨の閣議決定を行なって正式にわが国の領土に編入することとしたものです。
 また,尖閣諸島は,1895年5月発効の下関条約第2条に基づきわが国が清国より割譲を受けた台湾及び澎湖諸島には含まれていません。中国が尖閣諸島を台湾の一部と考えていなかったことは,サンフランシスコ平和条約第3条に基づき米国の施政下に置かれた地域に同諸島が含まれている事実に対し,従来なんら異議を唱えなかったことからも明らかであり,中華民国(台湾)は1952年8月発効の日華平和条約でサンフランシスコ平和条約を追認しています。
 中国政府及び台湾当局が尖閣諸島に関する独自の主張を始めたのは,1968年秋に行われた国連機関による調査の結果,東シナ海に石油埋蔵の可能性があるとの指摘を受けて尖閣諸島に注目が集まった1970年代以降からです。従来中華人民共和国政府及び台湾当局がいわゆる歴史的,地理的ないし地質的根拠等として挙げている諸点は,いずれも尖閣諸島に対する中国の領有権の主張を裏付けるに足る国際法上有効な論拠とはいえません。http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/senkaku/kenkai.html

このように、いわゆる尖閣諸島の日本帰属の「歴史的な根拠」というものは、1970年代当時に「再発見」されたものなのである。なお、公平のためにいっておくと、現在、中華人民共和国がカイロ・ポツダム両宣言を尖閣諸島領有の根拠の一つとしているが、これはそもそも台湾ー中華民国政府側が言い出した主張ー例えば、1971年6月11日の中華民国外交部声明ーであり、中華人民共和国としては両宣言を根拠にあげてはいなかった。例えば、正式に尖閣諸島帰属を最初に主張した中華人民共和国外交部声明では、尖閣諸島が明代より海上防衛区域に属していること、台湾の漁民が漁業活動を行っていること、日清戦争を通じて台湾などとともに尖閣諸島をかすめとったこと、戦後、日本政府がアメリカに不当に渡したことを論拠にあげているが、カイロ・ポツダム宣言はあげていないのである。カイロ・ポツダム宣言は、中華民国の時点で発せられたものであり、1971年時点では中華人民共和国があげるべき根拠としてみなされていなかったのであろう。現時点における、中華人民共和国と中華民国の関係性を前提として、尖閣諸島が中華人民共和国に帰属する根拠としての「カイロ・ポツダム宣言」も再発見されたといえよう。

このように、「歴史的根拠」それ自体が歴史的に「再発見」され、つくられていったのである。まずは、そのことを、この問題を考える上での前提としていきたい。

主要参考文献:『季刊・沖縄』第56号、1971年3月。『季刊・沖縄』第63号、1972年12月。
 

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