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Posts Tagged ‘武家地’

乃木大将と辻占売少年像(2010年11月3日撮影)

乃木大将と辻占売少年像(2010年11月3日撮影)

六本木ヒルズの所在地は、毛利家長府藩の上屋敷であり、家臣であった乃木希典の生誕の地であった。六本木ヒルズが建設される以前には、「乃木大将生誕之地」碑以外にも、旧毛利家庭園の池(通称ニッカ池)の側に、1968年「乃木大将と辻占売少年像」が建てられていた。この像は、1891年に用務で乃木が金沢を訪ねた際、辻占売りを営みながら一家の生計を支えていた今越清三郎という少年に出会い、乃木はこの少年に感銘して2円を渡したというエピソードを図像化したものである。今越少年は、恩を忘れず努力を重ね、金箔業で成功したという。今、この像は、六本木ヒルズから「追放」され、乃木坂の旧乃木邸に移されている。開発にあたり、国境をこえる新自由主義の象徴である六本木ヒルズでは、旧毛利家庭園を「毛利庭園」として「復元」したが、戦前の排外的な国民国家を象徴するような乃木の記憶は排除したということができよう。

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「乃木大将生誕之地」碑(2010年11月3日撮影)

「乃木大将生誕之地」碑(2010年11月3日撮影)


ロボロボ園(2010年11月3日撮影)

ロボロボ園(2010年11月3日撮影)


六本木ヒルズレジデンス棟(2010年11月3日撮影)

六本木ヒルズレジデンス棟(2010年11月3日撮影)

11月3日、六本木ヒルズにいく。ここは毛利長府藩の屋敷で、乃木希典の生誕地だ。しかし、六本木ヒルズでは、「乃木大将生誕之地」碑は、片隅の「さくら坂公園」に追いやられている。元来、この碑は、こことは違う北日ヶ窪児童遊園に1932年に建てられたのだが、再開発でこの遊園が六本木公園と統合されて、この地に移ったそうだ。いってみると、休日で、子どもの遊び場になっている。よくみると、欧米人の子どもが多く、六本木ヒルズのレジデンス(マンション)棟の居住者なんだろう。まるで、築地居留地である。そこにアートとして、「ロボロボロボ(ロボロボ園)」というものがあり、この「ロボ」(ロボット)のイメージで公園の遊具は構成されている。この作者はチェ・ジョンファといい、韓国人。無国籍をイメージしたのだろう。国民国家の記憶が新自由主義によって片隅に追いやられていることを実感した。

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浅野内匠頭邸跡プレート

浅野内匠頭邸跡プレート(2010年8月27日)


浅野内匠頭邸跡碑

浅野内匠頭邸跡碑(2010年8月27日撮影)


近世、築地・明石町界隈で多くの面積を占めていたのが武家地であった。これは、築地・明石町だけではなく、江戸ー東京全体の特徴である。例えば、丸の内が示すように、近代になって、不用になった武家地が多かったことが、東京の近代都市化の前提となったといえよう。武家地を、近代的な施設として読み替えることで、近代都市化が比較的に容易にすすめられたといえる。ここ明石町では、武家地が外国人居留地に読み替えられたのだ。聖路加国際病院敷地を元禄期まで遡ると、忠臣蔵で有名な赤穂藩浅野内匠頭邸が所在していた。忠臣蔵とキリスト教系病院とはミスマッチに一見見えるかもしれない。しかし、このような近世都市構造の読み替えが、近代都市の前提となったのだ。

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