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Posts Tagged ‘橋下徹’

橋下徹・松井一郎が、現在、大阪市と大阪府の統治者となり、大阪維新の会を結成して、「大阪都構想」などを押し進めようとしている。9月16日には台風18号が日本列島に襲来し、大阪でも一時期大和川の水位が上昇し避難勧告が出たが、橋下徹大阪市長は、洪水対策は「組織」で対応するとして、「自宅待機」のまま大阪都構想実現のために必須とされる堺市長選について延々とツイッターでつぶやき、対立候補である竹山修身現堺市長が選挙活動を中断して大和川視察に赴いたことを嘲笑していた。

さて、大阪の統治者は、いつも、このような振る舞いをしていたのだろうか。古事記や日本書紀などによると、大阪の地に宮殿を置いたとされるのは5世紀の仁徳天皇=大鷦鷯尊(日本書紀)であった。万葉集では「難波天皇」ともよばれている。仁徳天皇個人が実在したか、また実在したとしても古事記や日本書紀が描くような人間像であったかは不明としかいいようがない。大阪周辺の百舌鳥古墳群(伝仁徳天皇陵所在)や古市古墳群には5世紀の巨大古墳がいくつもあり、確かにこの時期は大阪は日本列島における王権の所在地であったとはいえるのだが、今伝えられているのは、古事記や日本書紀が成立した8世紀の統治者たちが認識していた「仁徳天皇像」でしかない。しかし、それでも、古代の統治者たちが、何を模範としていたかをみることができよう。

このことを前提にして、古事記や日本書紀の記述を読むと、興味深いところが見受けられる。まず、古事記の現代語訳をみてほしい。

さて、天皇は、高い山に登って、四方の国を見渡して、「国の中に、炊煙がたたず、国中が貧窮している。そこで、今から三年の間、人民の租税と夫役をすべて免除せよ」とおっしゃった。こうして、宮殿は破損して、いたるところで雨漏りがしても、全く修理することはなかった。木の箱で、その漏る雨を受けて、漏らないところに移って雨を避けた。
 後に、国の中を見ると、国中に炊煙が満ちていた。そこで天皇は、人民が豊かになったと思って、今は租税と夫役とをお命じになった。こうして、人民は繁栄して、夫役に苦しむことはなかった。それで、その御代をほめたたえて、聖帝の世というのである。(『新編日本古典文学全集1・古事記』、小学館、1997年)

この説話のような出来事が本当にあったかどうかはわからない。しかし、このような出来事は8世紀の古代の統治者たちにとって「模範」とされ、「聖帝の世」と認識されていたことは確かなことである。仁徳天皇は、少なくとも自分の目でみて人民の貧富を判断し、その上で、租税・夫役を期間をくぎって免除する措置をとったのである。

さて、古事記は簡略な記述であるが、日本書紀はかなり細かくこの出来事を記述している。描写が細かいからといって、それがより真実を伝えているとは限らない。日本書紀編纂者によって文飾されたところもかなり多いだろう。しかし、それでも、8世紀の統治者たちは何を統治の正当性としていたかを知ることかできるだろう。日本書紀において、仁徳天皇は、次のように、語っている(正確にいえば、日本書紀編纂者が仁徳天皇に語らせているのだが)。

天皇の曰はく、「其れ、天の君を立つるは、是百姓の為めなり、然れば君は百姓を以ちて本と為す。是を以ちて、古の聖王は、一人だにも飢ゑ寒ゆるときには、顧みて身を責む。今し百姓貧しきは、朕が貧しきなり。百姓富めるは、朕が富めるなり。未だ百姓富みて君貧しといふこと有らず」とのたまふ。

天皇は「そもそも、天が君(君主)を立てるのは、人民のためである。従って、君は人民を一番大切に考えるものだ。そこで古の聖王(中国古代の神話的君主たち)は、人民が一人でも飢え凍えるような時は、顧みて自分の身を責める。もし人民が貧しければ、私が貧しいのである。人民が豊かなら、私が豊かなのである。人民が豊かで君が貧しいということは、いまだかつてないのだ」と仰せられた。
(『新編日本古典文学全集3・日本書紀②』、小学館、1996年)

つまり、天皇も含めた君主一般は、百姓ー人民のために存在しているとしている。百姓ー人民が本なのである。そして、百姓ー人民の貧富は君主の貧富に関連するとしたのである。それゆえに、仁徳天皇は、税金・夫役を免除して、百姓ー人民の生活再興を優先したとされているのである。

このような考えは「儒教的民本主義」といえる。中国古代の儒家の一人である荀子は、「天の民を生ずるは君の為に非ざる也。天の君を立つるは民の為を以て也」(「荀子」大略篇、『新編日本古典文学全集3・日本書紀②』、小学館、1996年より)といっている。8世紀の日本書記の編纂者たちは、仁徳天皇に仮託して、自分たちの統治の正当性概念を宣言しているのだ。

古事記・日本書紀によると、仁徳天皇には治水関係の事績が多い。仁徳天皇は、茨田堤(うまらたのつつみ 寝屋川付近の淀川の堤)、丸爾池(わにのいけ 奈良県天理市和爾町付近とされている)、依網池(よさみのいけ 大阪市住吉区庭井あたりとされている)、難波の堀江(淀川・大和川の水を海に通すための運河)、小椅江(をばしのえ 大阪市天王寺区小橋町付近 大和川の氾濫を防ぐための運河)、墨江の津(大阪市住吉区住吉神社付近の港)をつくったとされている。このような営為は、もちろん、仁徳天皇以後も続けられ(なお、統治者の営為だけではないだろうが)、現在の大阪が作られていったのである。このような治水事業の実施も「民の為」といえるであろう。万葉集では仁徳天皇を「難波天皇」とよんでいるが、その名称はふさわしいといえる。大阪のような低地においては、まず治水なのである。仁徳天皇の時代は、巨大古墳が数多く作られ、そのためにも多くの税金や夫役が投じられたはずであるが、そのことに古事記や日本書紀はふれていない。古事記や日本書紀を編纂した8世紀の統治者たちにとって、仁徳天皇の事績として記憶されるべきことは、税金を免除して人民ー百姓の苦難を救ったことと、このような治水事業を実施したことなのである。

このような民本主義は、8世紀の統治者だけがもっていたわけではない。日本の古代においては、仏教や律令や文物とならんで、儒教もまた中国から取り入れられた。特に、日本書紀の記述は、中国からの儒教的影響にもとづくものといえる。中世においては儒教の影響は弱まったが、近世に入ると再び幕藩制権力によって「仁政」として意識されるようになった。そして、逆に人民ー百姓のほうも「仁政」を要求して一揆や訴訟を起こすようになった。その意味で、このような儒教的民本主義は、日本社会の「伝統」の一つになったといえる。例えば、現代日本社会では、統治者/被統治者の区別を前提にして、被統治者側から減税を要求したりする。それは、一方では民主主義的政治システムを前提にした新自由主義的な意識に基づくものであるが、他方で、統治者は、被統治者のために犠牲をはらうべきとする伝統的な儒教的民本主義に下支えされているのかもしれない。そして、このような儒教的民本主義の伝統は、国家の側が人民を重税などで過度に搾取したり、戦争や独裁などで人民に苦痛を与えたりすることへの抵抗の原理にもなりうるといえる。

しかし、儒教的民本主義の限界もまたあるだろう。まずいえることは、儒教的民本主義は、統治者/
被統治者の峻厳な区別に基づいているということである。被統治者の意志に基づいて統治されることはありえない。儒教的民本主義では、仁徳天皇のような場合でも、統治者の一方的な恩恵にすぎず、統治者/被統治者の秩序は崩れないのである。

また、橋下徹や松井一郎、さらには安倍晋三首相のような現代の統治者たちも、よく「民間」という言葉をよく口にする。国家の規制・税金から「民間」を解放せよという論理を彼らは有している。儒教的民本主義における国家/「民」という対立図式は、彼らの中にもある。しかし、その場合の「民」とは「民間企業」なのである。「民間企業」とは、資本による労働者への支配から成り立っている。「民間企業」の活動が活発になるということは、資本による労働者への支配が拡大するということになるだろう。

そして「民間企業」=資本を、「民」一般にすりかえて、「民間企業」に有利な規制緩和や税制改正、公共事業の進展を訴え、それにより選挙で多数を獲得し、「民」一般の多くを加害するような政策を推進することもなされている。これは、前近代の社会で成立した儒教的民本主義の中では理解できない状況といえる。儒教的民本主義において形成されてきた「民」の伝統的概念とは何かということ、これは歴史学をこえて問い直さなくてはならない課題である。

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先日の台風18号による豪雨・強風は激しかった。私は東京に住んでおり、15日・16日と立て続けに外出する必要があったが、外出するのに躊躇するほどであった。しかし、関東地方はまだましだっただろう。関西地方では、京都府・滋賀県・福井県に特別警報がだされ、京都市、福知山市などで大規模な浸水があるなど大きな爪痕を残したといえる。

大阪でも、大阪市と堺市の境界を流れている大和川が危険水位をこえ、大阪市では住吉、平野、住之江、東住吉の4区の計約13万1000世帯、計約30万人に避難勧告を出した。また、堺市でも一部地域にあたる計約1万9400世帯、計約4万2000人に避難勧告を出した。結果的には大和川が氾濫することなく、避難勧告が解除された。

大阪で避難勧告が出されたと聞いた時、橋下市長は真面目に災害対策に取り組んでいるのだろうかと思ったものだ。そして、次のようなことが報道されている。ここではJーCASTニュースのそれをあげておこう。
 

橋下大阪市長「久しぶりのツイッター」で「堺市長選」語る 「避難勧告さなかの話題か」とネットで怒りの声
2013/9/16 17:48

 「久しぶりのツイッターだな~。以前の感覚、忘れちゃった。徐々に取り戻します」——大阪市が台風18号の暴風域に入り避難勧告などが出された2013年9月16日午前、橋下徹市長がおよそ1か月弱ぶりにツイッターを更新した。
最初は台風18号に関連したツイートだったのだが、話は堺市長選へ。危険な状況の続くさなかにする話題かと、ネットユーザーの怒りを買うことになってしまった。
自宅待機でツイート「堺市長選挙について述べます」
橋下市長がツイートを開始したのは16日9時半すぎ。大阪市と堺市の境界を流れる大和川流域の水位が上がり避難勧告が出される中、それを告知した上で「市長が個人的にツイッターで知らせるものではありません。これは市役所として組織対応していきます」と宣言した。大和川の状況が落ち着くまで自宅待機で役所と連絡をとるといい、その間に堺市長選挙(15日告示、29日投開票)についてツイートしはじめた。
「状況が落ち着いてから、堺市長選挙のために堺市内に入ります。ゆえにツイッターで、堺市長選挙について述べます。久しぶりのツイッターだな~。以前の感覚、忘れちゃった。徐々に取り戻します」
ツイートは現職の竹山修身堺市長の批判からはじまり、堺市を巻き取った大阪都構想へ。ところが、台風の大阪での勢力がもっとも強いタイミングだったため、「この感覚に驚き」「いいかげんにしろ!状況考えろよ!」などと市民からは怒りのツイートが相次いだ。市長選で維新側の候補と「一騎打ち」する形になる竹山市長がさっそく氾濫した河川の視察に出ていたことがツイッターで伝えられたことなどもあって、「うち(大阪)の市長ときたら」と呆れ返る声も出た。
維新側候補は「すべての選挙活動を休止しています」
こうした批判に対し、橋下市長は「同時に複数の仕事ができるくらいでないと市長などできません。危機管理はちゃんとやっています」と反論。その上で、竹山市長の視察についても持論を展開した。
「今回は大きな被害が出ていない。大和川の堤防の状況を見るには、専門的な知識が必要。ゆえにまずは土木担当の副市長が視察に行き、必要な現場指揮をしながら、現場の状況や、問題点、そして判断を求める事項等を市長に報告。これが組織マネジメント。今、市長が堤防を見るのは何の目的??」「必要性の乏しいトップ現場視察は現場を混乱させるだけ」
 
この発言についての評価はさまざまだ。「橋下市長の判断正しい。このタイミングで来れても現場が混乱するだけで迷惑です」という意見もあるが、ネットユーザーからは「そもそも自宅待機でツイッターで遊んでるのが問題」「市民が見てることだけは覚えておいて下さい。災害の不安を抱えた人の気持ちを」という意見もあった。
ちなみに、堺市長選の維新側の候補・西林克敏氏は橋下市長がツイートをしているのとほぼ同じ時間に「堺市内に避難勧告が発令されておりますので すべての選挙活動を休止しております。 市民の皆様には厳重な注意のもと行動されるよう望みます」とツイートしていた。
大阪市は16日7時過ぎ、大和川がはん濫する恐れがあるとして、住吉、平野、住之江、東住吉の4区の計約13万1000世帯、計約30万人に避難勧告を出していた。また、大和川を境に大阪と隣接する堺市でも9時半過ぎに一部地域にあたる計約1万9400世帯、計約4万2000人に避難勧告を出していた。いずれも13時過ぎには解除されている。
http://www.j-cast.com/2013/09/16183905.html?p=all

橋下市長のツイッターをみてみると、実際、そういう状態であったことが確認できる。興味のある方は参照してほしい。

https://twitter.com/t_ishin

さて、結局、橋下市長は、朝方、自宅において避難勧告を出した以降、市役所に登庁もせず、現場視察もしないで、自宅で延々と対立候補の現職竹山堺市長の批判や、大阪都構想のメリットなどのツイッターを続けていたということになる。そのような橋下市長のツイッターに対して批判されると、「組織マネジメント」だと反論し、さらに竹山市長が選挙活動を一時中止して現場を視察すると必要性がないなどと主張したのである。

このような橋下市長の姿勢は、18日、市役所で新聞記者たちの質問を受けた時も変わらなかった。9月18日にネット配信されたスポーツ報知の記事をみておこう。

橋下氏逆ギレ、嫌なら見るな「フォローを外せばいい」

 橋下徹大阪市長(44)は18日、台風18号で市内に避難勧告を出した際、自宅で関係部局からの報告を待ちながら、ツイッターで堺市長選に関する投稿を続けたことに「嫌だったら(ツイッターを読まないように)フォローを外してくれればいい」と強気に言い放った。自身の危機管理対応にも問題はなかったとし、批判に対しても「極めて日本的だ」と不快感を示した。

 大阪市内に避難勧告を出した際、ツイッターで台風に関係のない堺市長選についての投稿を続けた橋下市長。市民からの怒りと批判に対し、この日、反論した。市役所で報道陣に「それぐらい余裕があるということだ。そういう情報(堺市長選の話題)が嫌だったら(ツイッターを読まないように)フォローを外せばいい」と述べ、つぶやきに問題はないとの考えを強調した。

 橋下氏のツイッターは18日現在、114万人以上がフォロー。その影響力は大きく、インターネット上で「災害が大変な状況を考えるべきだ」などの声が相次いでいる。だが橋下氏は、そうした批判について「極めて日本的だ」と斬って捨てた。さらに「(批判するなら)今回の危機管理の問題点を指摘してもらいたい」と、逆ギレ気味に話した。

 かたや、橋下氏が実現を目指す「大阪都構想」への反対を旗印に、29日投開票の堺市長選に立候補している竹山修身堺市長(63)は避難勧告時に現地視察を行い、陣頭指揮を執った。橋下氏はこれについても、「トップがドタバタと慌てふためくのは最悪。有事になればなるほどトップはフリーにならなければいけない」と、自宅待機して状況の把握に努めたとする自らの正当性を主張した。

 大阪市は16日、大和川が氾濫する恐れがあるとして、13万1000世帯29万9000人に避難勧告を出した。一方で橋下氏は同日、大阪・豊中市内の自宅で、関係部局からの報告を受け、市長としての判断を伝えながら、ツイッターへ投稿。「市役所で組織対応していきます」「久しぶりのツイッターだな~。以前の感覚忘れちゃった」などとつぶやいていた。

 堺市長選や、他の投稿者からの批判に対する反論なども大量に書き込みながら、首長としての有事対応に最善を尽くしたという橋下氏は「危機管理としては自分の思い描いている方向性だった」と満足そう。つぶやきと危機管理は別問題だという認識を強調していた。
http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20130919-OHT1T00020.htm

橋下市長は、陣頭指揮をとらないことに対する批判は「極めて日本的」ときって捨てた。そして、ツイッターで堺市長選に言及していたことについては、「嫌ならフォローを外せ」としたのである。

さて、選挙期間中に災害に見舞われた時、指導者はどのように振る舞うべきか。橋下のいうように、陣頭指揮をとるべきだとする考えは「極めて日本的」なのか。その点で参考になるのは、2012年のアメリカ大統領選である。民主党の現職大統領オバマと共和党の候補者であったロムニーで争われた選挙であったが、選挙戦の終盤、アメリカ東海岸をハリケーン・サンディが直撃し、多大の被害に見舞われた。その際、オバマは、選挙活動を中止して、災害対策にあたった。産經新聞の次のネット配信記事をみてほしい。

迫るハリケーン、勝敗左右? オバマ氏、遊説中止し陣頭指揮
2012.10.29 23:24 (1/2ページ)[2012米大統領選挙]
 【ニューヨーク=黒沢潤】カリブ海諸国で猛威を振るった後、米東部沿岸を北上しているハリケーン「サンディ」が11月6日の米大統領選に影響を及ぼしかねない勢いだ。ハリケーン対策の初動が遅れた場合、政権としての危機管理能力が問われかねないだけに、オバマ大統領は29、30両日の遊説を急きょ中止し、対策に全力を注ぐ構えをみせている。一方、ハリケーンは期日前投票にも影響を与えるとみられ、同投票を重視するオバマ陣営には頭の痛い日が続きそうだ。

 カリブ海諸国で65人の死者を出したサンディの米本土上陸を控え、ニュージャージー州のほか、メリーランド、コネティカット州などでも非常事態宣言が発令された。

 共和党のロムニー候補も28日に激戦州のバージニア州で行う予定だった選挙運動を中止した。米メディアによると、同州も被害を受ける可能性があるという。

 ハリケーン「カトリーナ」が2005年に米南部を直撃した際、当時のブッシュ政権は初動の遅れを批判されて支持率を大きく落とし、政権失速の契機となった。

 オバマ大統領も10年4月、米メキシコ湾で起きた原油流出事故への対応の遅れを批判されただけに、今月29、30の両日、バージニアなどの激戦州で予定していた遊説を急きょ中止し、28日にワシントンの連邦緊急事態管理庁(FEMA)を訪問、被害阻止に全力を挙げる姿勢をアピールした。

一方、オバマ陣営はハリケーン直撃によって期日前投票の出足が鈍ることを強く懸念している。

 08年大統領選で勝利の原動力となった若者層や黒人らに対し、積極投票を呼び掛けているだけに、被災により投票率が低下した場合、戦況は不利になりかねない。
http://sankei.jp.msn.com/world/news/121029/amr12102923270004-n1.htm

このように、オバマはまず連邦緊急事態管理庁にいき、そこで指揮をとったのである。

そして、オバマのこの姿勢が選挙民に評価された。産經新聞の次のネット配信記事をみてほしい。そして、この評価がオバマ再選につながったといえる。

オバマ氏ハリケーン対応 「評価する」78%
2012.11.2 00:01 [2012米大統領選挙]
 米東海岸を襲ったハリケーン「サンディ」への対応に専念するため、選挙運動を3日間中断、救援活動や被災者支援を陣頭指揮したオバマ大統領の姿勢について、米国民の78%が「素晴らしい」または「良い」と好意的に評価していることが10月31日、ワシントン・ポスト紙などの緊急世論調査で明らかになった。

 接戦のままで投票日を今月6日に控え、共和党のロムニー候補と競り合う激戦州の遊説を短縮したのは痛手だが、オバマ氏は「有事に頼りになる大統領」との印象を強め得点を上げた。ただ復旧が遅れれば政権批判が高まる恐れもあり、1日の選挙運動再開後も息の抜けない対応が続く。

 オバマ氏は10月31日、被害が深刻な東部ニュージャージー州を訪問し、共和党有力者のクリスティー同州知事と被災状況を視察。「再建に必要な支援を最後まで続ける」と宣言した。

(共同)
http://sankei.jp.msn.com/world/news/121102/amr12110200020000-n1.htm

もし、橋下市長の言葉を借りるなら、ハリケーン・サンディの襲来に際し、選挙活動を停止して災害対策の陣頭指揮をとったオバマ大統領や、それを評価したアメリカ国民も「極めて日本的」と指摘しなくてはならないだろう。

確かに、災害の際作業服を着て現場視察や陣頭指揮をする統治者に違和感を感じる時はある。「人気取り」だと思ったりもする。しかし、それでも、災害時に自宅にこもって選挙活動のツイッターをするよりはましだろう。少なくとも、姿勢においては、選挙活動よりも市民の安全を第一に考えていることの証左にはなる。そのようなことに「好感」をおぼえるということは、東西どこでも変わらないのである。たとえ、いささか偽善的であっても、市民の安全を第一に考えることが、統治者に求められていることなのである。

大和川は決壊しなかった。そのためか、新聞などはさほどこの件を扱っていない。また、堺市長選の帰趨もわからない。ただ、橋下の対応は、ハリケーン・サンディの襲来に早期に対応して支持率をあげたオバマ大統領よりも、ハリケーン・カトリーナ襲来に対する対策が遅れて非難されたブッシュ大統領に近いといえるのである。橋下が理解できないのは、被統治者が統治者に何を第一として考えて欲しいとしているかということなのである。

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2013年5月27日、次のような報道が各マスコミによって報道された。ここでは、毎日新聞のネット記事をあげておこう。

大阪母子死亡:「もっと食べさせたかった」母親のメモ発見
毎日新聞 2013年05月27日 13時04分(最終更新 05月27日 13時18分)

 母子とみられる2人の遺体が見つかった大阪市北区天満のマンションの部屋から「子どもに、もっと良い物を食べさせてあげたかった」という趣旨のメモが残されていたことが、捜査関係者への取材で分かった。室内には食べ物がほとんど残っていなかったことなどから、大阪府警は餓死した可能性が高いとみて詳しい経緯を調べている。

 府警は、2人は部屋の住人の井上充代さん(28)と息子の瑠海(るい)ちゃん(3)とみて、身元の確認を進めている。メモは請求書のような紙の裏に残っており、充代さんが書いたとみられる。2人の遺体は今月24日に見つかった。
http://mainichi.jp/select/news/20130527k0000e040168000c.html

これは、5月24日の、母子二人が腐乱遺体で発見された報道の後報である。この母子は、明らかに餓死したとみられる。死んだ母親は、「子どもに、もっと良い物を食べさせてあげてたかった」と遺言して死んだのだ。

この大阪市北区天満を管轄する大阪市長橋下徹は、13日に自身が行った「慰安婦」問題について弁明するために、27日、東京の外国特派員報道協会にいた。このことについては、広く知られている。彼がここで話す骨子をまとめた「私の認識と見解」には、次のように書かれている部分があった。

私は、21世紀の人類が到達した普遍的価値、すなわち、基本的人権、自由と平等、民主主義の理念を最も重視しています。また、憲法の本質は、恣意(しい)に流れがちな国家権力を拘束する法の支配によって、国民の自由と権利を保障することに眼目があると考えており、極めてオーソドックスな立憲主義の立場を採(と)る者です。

 大阪府知事及び大阪市長としての行政の実績は、こうした理念と価値観に支えられています。また、私の政治活動に伴って憲法をはじめとする様々(さまざま)なイシューについて公にしてきた私の見解を確認いただければ、今私の申し上げていることを裏付けるものであることをご理解いただけると信じております。今後も、政治家としての行動と発言を通じて、以上のような理念と価値観を体現し続けていくつもりです。

 こうした私の思想信条において、女性の尊厳は、基本的人権において欠くべからざる要素であり、これについて私の本意とは正反対の受け止め方、すなわち女性蔑視である等の報道が続いたことは、痛恨の極みであります。私は、疑問の余地なく、女性の尊厳を大切にしています。

(中略)

21世紀の今日、女性の尊厳と人権は、世界各国が共有する普遍的価値の一つとして、確固たる位置を得るに至っています。これは、人類が達成した大きな進歩であります。しかし、現実の世界において、兵士による女性の尊厳の蹂躙が根絶されたわけではありません。私は、未来に向けて、女性の人権を尊重する世界をめざしていきたい。しかし、未来を語るには、過去そして現在を直視しなければなりません。日本を含む世界各国は、過去の戦地において自国兵士が行った女性に対する人権蹂躙行為を直視し、世界の諸国と諸国民が共に手を携え、二度と同じ過ちを繰り返さぬよう決意するとともに、今日の世界各地の紛争地域において危機に瀕(ひん)する女性の尊厳を守るために取り組み、未来に向けて女性の人権が尊重される世界を作っていくべきだと考えます。

日本は過去の過ちを直視し、徹底して反省しなければなりません。正当化は許されません。それを大前提とした上で、世界各国も、戦場の性の問題について、自らの問題として過去を直視してもらいたいのです。本年4月にはロンドンにおいてG8外相会合が「紛争下の性的暴力防止に関する閣僚宣言」に合意しました。この成果を基盤として、6月に英国北アイルランドのロック・アーンで開催予定のG8サミットが、旧日本兵を含む世界各国の兵士が性の対象として女性をどのように利用していたのかを検証し、過去の過ちを直視し反省するとともに、理想の未来をめざして、今日の問題解決に協働して取り組む場となることを期待します。(毎日新聞ネット記事より)http://mainichi.jp/select/news/20130526mog00m010012000c4.html

橋下は、「戦場の性の問題」を提起して、いわば世界に向けて「女性の人権と尊厳」を守るべきであると宣言したといえる。その時、前述のように、大阪では、生存権も守られず、子どもと餓死した女性がいたことが報じられていた。

翌28日、橋下大阪市長は大阪市役所にいて、退庁時の囲み取材を受けていた。ほとんどの応対が、慰安婦問題について、マスコミが意図的な誤報を流したかどうかということに対やされていた。この取材の最終場面で、やっと、大阪で母子が餓死したことにふれられ、次のような問答がなされた。

記者:別件ですが、北区の天満で母子が餓死したという事案がありまして、住民票の届け出がなかったようなので、行政的な措置は難しかったかもしれませんが、一応、大阪市内で餓死したようなので…。

橋下:これだけ地域コミュニティが希薄になった時代で、行政または地域的コミュニティが一人一人のご家庭の状況を全部把握するのは無理ですね。特にプライバシーの問題もあり、個人情報の問題もあって、行政が市民のみなさんの一人一人の生活状況を全て把握するというのは、これは無理だと思います。だからこそ、一言言ってくれれば、あの母子も一言北区役所に電話を入れてくれれば、なんとかなりましたよ。だから、一言電話を入れてくれなかったというところができるような体制、環境づくりは役所の仕事だと思っています。ですから、できる限り広報するとか、困った時は役所に電話してくれという話をくりかえし周知徹底していく、そこが役所のできる限界でもあり、役所がやらなくてはならないところですね。やはり、最低限、困った時に、ピンチの時に、電話一本かけてもらうという、そこまでは住民のみなさんにお願いしないと、今の個人情報の保護、プライバシーの保護という状況の中で、役所が転退出の際、大都市の中で、一人一人の住民の生活状況を把握するというのはなかなか難しいですね。本来であれば、地域コミュニティというものを再生して、地域コミュニティの中で、住民のみなさんのお互いの相互扶助というものをお願いしたいところなんですけれど。それもなかなか難しいんでね。役所に、区役所に、困った時は電話してくれればなんとかなるということを、みなさんに周知徹底していきたいですね。

読んでもらえばわかるが、この母子を悼む言葉は、形式的にもなかった。また、「女性の人権と尊厳」を守ると、前日、それこそ世界に向けて発信したのだが、そんなことは微塵も発言していなかった。

「あの母子も一言北区役所に電話を入れてくれれば」というが、電気がとめられていると報道されており、その状態では携帯電話は使えず、たぶん固定電話があったとしてもとめられていたであろう。

そして、「役所に、区役所に、困った時は電話してくれればなんとかなる」とは…。橋下は、大阪府知事時代、大阪府立男女共同参画・青少年センターの廃止を画策しており、大阪市長になっても大阪市立男女共同参画センター(クレオ大阪)の廃止を主張していたとされている。両者ともに女性相談が設置されており、今回のようなケースの窓口になりえたといえる。

例えば、昨年の5月1日に、クレオ大阪の廃止案に反対する声明が出されたが、この声明の中で、「PT試案ではまた、女性問題等に関する相談は、区役所や区民センターという身近な場所で行うことが効果的である、と述べていますが、これは認識不足といわざるを得ません。DV被害者にとって、身近な場所は、加害者とのつながりの可能性を秘めているとても危険な場所でもあるのです。そのような場所に被害者が相談に行くことはできません。また、性暴力被害者にとっても、身近であることは、個人が特定されやすくプライバシーが守られないという不安を抱えることにもなります。被害を受けた女性たちは、ただでさえ相談をためらいます。」とあり、今回の状況を予見したような記述がなされている。

橋下の推進した政策は、これだけでなく、生活保護も含めて、「役所に、区役所に、困った時は電話してくれればなんとかなる」という方向とは逆を向いているといえよう。現状の生活保護ーこれは、橋下らだけの責任ではないがーが「電話すればなんとかなる」というものではないことは明らかである。

そして、橋下は、結局、広報不足に責任を転嫁しているといえよう。これでは、単に、餓死した女性の「認識不足」に原因を求めることになる。あの発言の裏側にあるのは「自己責任」という言葉なのである。

他方で、最終的には、地域コミュニティ内部の相互扶助に求めることを主張している。結局、社会保障を解体した後には「相互扶助」に向かうべきという持論なのであろう。

まあ、橋下とは、こういう人である。しかし、「女性の人権と尊厳」を守ると世界に向けて発信しながら、自分の管轄下の「女性の人権と尊厳」を守ることに責任をもたないのである。市内の「女性の人権と尊厳」を守ることは、必要ではないのか。そのことが大阪市にとって問われているといえよう。

(参考)
【声明文】クレオ大阪5館廃止案について

 本年4月5日、大阪市改革プロジェクトチームより提示された「施策・事業見直し(試案)男女共同参画センター管理運営」(以下PT試案)に関する見直し内容について、男女共同参画社会基本法、第3次男女共同参画基本計画、大阪市男女共同参画推進条例および大阪市男女共同参画基本計画に反するものとして「見直しの考え方」と「見直し内容」に反対いたします。理由は以下の二点です。

(1)PT試案は「女性問題等に関する相談への対応や情報提供等は、地域により身近な場所で行うことが効果的である」とし、「館で実施している事業については、相談事業、情報提供事業及び啓発事業のみ継続することとし、区役所・区民センター等で実施する」としています。

 しかし「女性問題等に関する相談への対応や情報提供」は男女共同参画センターで行われていることにこそ意義があります。

 男女共同参画センターには、DV被害者や、性暴力被害者、母子家庭の母など、まさに男女共同参画問題にかかわる、さまざまな困難を抱えた女性たちが訪れます。

 このような人々にとって、男女共同参画の視点に立ったセンターは不可欠です。なぜなら、男女共同参画の視点がない相談窓口では、母子家庭という状況に対して心ない言葉を浴びせられたり、暴力被害に対して配慮のない聞き取りをされたりという二次被害を受けることが多いからです。また、女性たちの多くは、一つの困難というより、複合的な困難を抱えています。その相談や情報提供において、女性たちの問題に対してさまざまにアンテナを広げてきた男女共同参画センターにまさる場所はありません。さらに、困難を抱え、力を奪われてしまった女性たちにとって、同じ立場の女性たちと出会える場、女性たち自身が集まり活動している場に参加することによって、次第に力を取り戻していくことができます。そういっ�!
�ことができるのも、男女共同参画の視点に立ったスタッフにより運営される男女共同参画センターならでは、なのです。

 PT試案ではまた、女性問題等に関する相談は、区役所や区民センターという身近な場所で行うことが効果的である、と述べていますが、これは認識不足といわざるを得ません。DV被害者にとって、身近な場所は、加害者とのつながりの可能性を秘めているとても危険な場所でもあるのです。そのような場所に被害者が相談に行くことはできません。また、性暴力被害者にとっても、身近であることは、個人が特定されやすくプライバシーが守られないという不安を抱えることにもなります。被害を受けた女性たちは、ただでさえ相談をためらいます。少しでも不安があれば、相談に行くことはできません。男女共同参画センターが市内に5館あるということで、被害者は安心して相談できる場所を自ら選ぶことができるのです。

 男女共同参画センターの廃止は、このような困難を抱えた女性たちを、相談の場から排除し、孤立のうちにいっそうの困難の中に落とし込むことになります。

(2)PT試案は「男女共同参画に寄与する事業に重点化し、効率化を図る」として「相談事業、情報提供事業及び啓発事業のみ継続する」としていますが、これまでクレオ各館で行なってきた事業は、全て大阪市男女共同参画推進条例および大阪市男女共同参画基本計画に基づいて大阪市長の名の元に行なってきた事業です。

 大阪市男女共同参画基本計画は「クレオ大阪が今後も重点的な取組みを推進する拠点となり、その機能を今後もいっそう発揮し、本計画を推進する役割を果たしていく」、として、

※就業の場での男女共同参画を推進するために、企業における自主的な取組みを支援するとともに、女性のチャレンジを支援する。

※地域において男女がともに参画し、大阪市の魅力の創出や活性化にもつなげていくまちづくりの活動を支援する。

※女性への暴力の根絶をはじめ、男女の心と体の健康に向けた相談・支援の充実として、男女の心と体の健康のために、男女共同参画の視点を活かして相談と支援する。

などを主な取り組みとして定めています。

 PT試案にあるように、相談事業、情報提供事業及び啓発事業以外の事業が男女共同参画に「寄与しない」とすれば、どのような条例や基本計画のどの条項に反するのかの客観的な指摘が必要です。何も根拠を示さず、恣意的に「寄与しない」と決めつけることは、これまで条例および基本計画に基づいて行なってきた自治体の施策そのものの否定であり、その上位の法である男女共同参画社会基本法に反する違法な行政運営といえます。

 そもそも地方自治体は地方自治法、第一条の二で規定するように「住民の福祉の増進を図ることを基本として、地域における行政を自主的かつ総合的に実施する役割を広く担う」ものです。

 住民福祉の増進の基本を担う施設を廃止し、総合的な施策の実施を縮小することは、何よりも福祉の増進を担うべき本来の地方自治体の姿勢とはかけ離れたものになると言わざるをえません。

 クレオ大阪の事業はいずれも男女共同参画に寄与する事業に他ならず、今回の見直しは明らかに施策の後退です。国際的に見ても男女の格差が大きく、女性の貧困問題が深刻化している今、男女共同参画施策の後退はとうてい納得のできるものではありません。

 以上の理由により、大阪市改革プロジェクトチーム「施策・事業案見直し(試案)」「男女共同参画センター管理運営」に関する見直し案に反対します。 

2012年5月1日

大阪の男女共同参画施策をすすめる会
連絡先 556-0005 大阪市浪速区日本橋5-15-2-110
  女性のための街かど相談室 ここ・からサロン内
http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/024ac96ea82fbdfeb3956e19ef44809f

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さて、橋下徹が5月13日午前中の囲い取材で述べた「慰安婦」についての発言は、午後(退庁時)の囲み取材でも続いた。まず、5月25・26日に元慰安婦が大阪を訪問する予定があり、橋下に面会を求めるということで、面会する予定なのかと記者が問い、橋下は会う予定で調整していると述べた。その後、このようなやりとりがあった。

―― 以前から元慰安婦の方に対して優しいお言葉をかけていかなきゃいけないとおっしゃっていますが、具体的にはどんなお話を? もしお会いになられたら……。

それは今ここで言っても、仕方がありませんから。その時に、お会いした時に話をします。

―― 優しい言葉をかけなきゃいけないとおっしゃっている一方で、今朝、各国の軍隊が当時制度として(慰安婦を)持っていた事実があって、当時の状況を考えると必要だったというような発言もあったと思いますが、今までにない踏み込んだ発言だったようにも感じたんですが……。

いや、そんなことなくて、ま、聞かれなかったから言わなかっただけで、当時の状況ではそういうことを活用していたのは事実ですから。当時の状況としては。ただ、それをよしとするかどうかというのは別でね。意に反してそういう職業に就かなければならない。「意に反して」ですよ。自らの意志でそういう職業に就いてる人も中にはいたでしょうしね。

現代社会にだって風俗業というのはしっかり職業としてあるわけですから。自らの意志でやった場合には、まぁ、それは自らの意志でしょうということになりますけど、意に反して、そうせざるをえなかったという人たちに対しては、これは配慮が必要だと思いますよ。
http://synodos.jp/politics/3894/2

橋下は、慰安婦において、意に反してなる人と自らの意志でなる人と両様があって、意に反してなった人びとには「配慮」しなければならないとしている。「意に反してなる」人が少しでもいれば、「強制的」だったということにもなり、慰安婦に対する「強制」はなかったという説が成り立たないことになるが、そういうことは考えないのである。

そして、従事する女性の同意/不同意に関わらず、軍を維持するために慰安婦制度は必要であったと述べている。そして、今は慰安婦制度は認められないが、やはり風俗業は必要だとしているのである。そして、有名になった、沖縄の海兵隊司令官にもっと風俗活用をすべきであるという発言を紹介したのであった。

―― 「意に反して」ということでも必要ではあったということでしょうか? いい気はしないけれども、状況からして必要であったということですか?

いや、意に反した、意に即したかということは別で、慰安婦制度っていうのは必要だったということですよ。意に反するかどうかに関わらず。軍を維持するとか軍の規律を維持するためには、そういうことが、その当時は必要だったんでしょうね。

―― 今は違う?

今はそれは認められないでしょう。でも、慰安婦制度じゃなくても風俗業ってものは必要だと思いますよ。それは。だから、僕は沖縄の海兵隊、普天間に行った時に司令官の方に、もっと風俗業活用して欲しいって言ったんですよ。そしたら司令官はもう凍り付いたように苦笑いになってしまって、「米軍ではオフリミッツだ」と「禁止」っていう風に言っているっていうんですけどね、そんな建前みたいなこというからおかしくなるんですよと。

法律の範囲内で認められている中でね、いわゆるそういう性的なエネルギーを、ある意味合法的に解消できる場所ってのが日本にはあるわけですから。もっと真正面からそういうところ活用してもらわないと、海兵隊のあんな猛者のね、性的なエネルギーをきちんとコントロールできないじゃないですかと。建前論じゃなくてもっとそういうとこ活用してくださいよと言ったんですけどね。それは行くなという風に通達を出しているし、もうこれ以上この話はやめようっていうんで打ち切られましたけどね。だけど風俗業ありじゃないですか。これ認めているんですから、法律の範囲でね。

―― 活用していないから事件が起こると?

いやいや、それは因果関係は別です。でももっと、だから、そういうのは堂々と……。それは活用したから事件がおさまるという風な因果関係にあるようなものではないでしょうけど、でも、そういうのを真正面から認めないと、建前論ばかりでやってたらダメですよ。そりゃあ兵士なんてのは、日本の国民は一切そういうこと考えずに成長するもんですから、あんま日本国民考えたことないでしょうが、自分の命を落とすかもわかんないような、そんな極限の状況まで追い込まれるような、仕事というか任務なわけで。それをやっぱり、そういう面ではエネルギーはありあまっているわけですから、どっかで発散するとか、そういうことはしっかり考えないといけないんじゃないですか。それは建前論で、そういうものも全部ダメですよ、ダメですよって言っていたら、そんな建前論ばっかりでは、人間社会はまわりませんよ。
http://synodos.jp/politics/3894/2

今読んでみると、いささか恥ずかしくなってくるのだが…。この発言には、いくつかの問題点を指摘できる。まず、売春を組織として禁じている米軍に対してーそれも司令官に対してーこのような発言をするということは、米軍からみれば、組織に対する侮辱ととらえられるだろうということである。この紹介の中で、米軍司令官はそのような形で対応したし、その後のアメリカ政府の対応もまた、その観点から行われている。

他方で、このような発言について、日本とりわけ沖縄の人びとがどう思うかということである。この発言は、兵士の性的エネルギーのコントロールにつき、公的な形で女性を「活用」しろといっているわけであるから、女性を「性的な資源」としてみているわけで、女性に対する人権侵害になることは間違いない。他方で、ナショナリスティックな観点からみたらどうなるか。日本とりわけ沖縄がアメリカの従属下にあることはあきらかである。それは、日米安保条約と日米地位協定に表現されている。沖縄での米兵の性犯罪がたえないのは、第一に長期間にわたって大規模にアメリカ軍が駐留しているためであり、第二に不平等な日米地位協定によって日本の警察権が十分米兵に及ばないことが起因している。そのようななか、アメリカ軍司令官に日本の「女性」の活用をもちかけるということは、日米の従属関係の基本について異議を申し立てず、かえって便宜供与を提起するということになるだろう。結局、そうなると、強制であるか合法であるとか、女性が合意しているかどうかは関係なく、従属を強いている相手にさらに便宜供与するのかということになるだろう。そして、アメリカー日本・沖縄という現在の構図は、植民地期の日本ー朝鮮という構図に変換可能である。いわば、橋下は、たぶん自ら意図したのではないだろうが、慰安婦問題を現代世界においてわかりやすく可視化してしまったのである。

さらに、橋下は、米軍も朝鮮戦争期や占領期の沖縄において慰安婦制度をもっていた、日本軍以外もレイプはしていた、日本だけが慰安婦をもっていたのではないと、それまでの説明を繰り返し、最後に、次のように述べている。

ただ、日本の軍がね、または日本政府が国をあげてね、暴行脅迫拉致をしたという証拠が出てくれば、それはやっぱり日本国として反省しなければいけないけれど、そういう証拠がないって言う風に日本政府が閣議決定しているわけですからね。だから、今度、慰安婦の方が大阪市役所に来られた時にね、暴行脅迫うけたのか、拉致されたのかね、そのあたりについても、お話うかがわせてもらえるんだったら、うかがわせてもらいたいですけどね。

本当にそうだってことであるんだったら、日本政府の方にその証言とってもらってですね、なんだ拉致あるじゃないですかと、2007年の閣議決定の時と違うじゃないですかっていう話になってもこれは仕方ないと思いますしね。今は、いろんな論戦の中で、従軍慰安婦問題を否定している人たちって言うのは、暴行脅迫や拉致は絶対になかったって言っているわけですから、それはあるって話になれば、それは従軍慰安婦問題を真っ向から否定している人たちは論拠がなくなるわけですしね。まぁ、だから、どういう状況で、どういう経緯で慰安婦にならざるをえなかったのか、そういうお話をうかがわせてもらえるんであればお聞かせいただきたいという風に思ってますけども。
http://synodos.jp/politics/3894/2

つまり、慰安婦の人びとと、このようなことでディベートをしたいというのである。

ここまで、橋下の発言を「読解」してきた。韓国その他アジア諸国には「謝罪」するが、植民地政策をすすめ、慰安婦制度をもっていた(と橋下は主張する)アメリカなどの欧米諸国には、結局同じくらい悪いことをしていると主張するのだというのである。そのつながりで、沖縄の米軍司令官には性的エネルギー発散のため風俗業への活用をすすめるということになるのである。

ずっと読み進めてみると、だんだん誰もがが正当とは思えない袋小路に自分から入っていったという感想をもった。欧米諸国が植民地政策を行っていたことは自明であり、その意味で欧米諸国にも批判の余地があるということは、ある程度の(それだけをとりだせばということになるが)賛成を得られるであろう。しかし、世界各国が日本と同様の慰安婦制度をもっていたかといえば、?をつけざるをえない。日本の慰安婦制度すら解明されているとはいえず、それと比較可能な形で各国軍隊の売春業が解明されているのだろうか。そして、現在の在日米軍に公に風俗業を活用するという発言については、ある意味では「建前」をたたく姿勢のみを評価する人びとを除いて、だれが評価するのであろうか。逆に、あの発言こそ、公的な機関が組織的にそのような事業にかかわることの危険性を指し示したといえるのである。たぶん、刺激的な発言をすることで衝撃を与えようとしたのであろう。確かに、衝撃を受けた。しかし、それは、大多数の人びと(それも世界的に)が橋下を排除するように作用したのである。

といっても、このような袋小路は、橋下徹のみが陥っているわけではない。結局、日本の侵略の問題性を相対化しようというこころみは、橋下以前の自民党などの保守派が一貫して行ってきたことであった。慰安婦における強制性を認めないということは、彼らが開発してきた論理なのだ。しかし、冷戦終結後の彼らの営為は、対アジア諸国からの批判をまねいただけでなく、アメリカほか日本が依存してきた欧米諸国の批判につながっていった。今年の5月始め、橋下発言の直前、安倍政権が陥っていた状況はそのようなものであった。橋下は、その状況下で発言して、何らかの主導権を得ようとしたといえる。しかし、内外からの批判をあびてしまったのである。

もし、橋下のように、侵略を相対化し慰安婦の強制性を認めないことから議論を開始すれば、やはり橋下のような袋小路に落ちいることになるだろう。そして、それは、橋下が介入しなければ安倍政権がすすんだかもしれない道だったのである。

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さて、前回は、5月13日に行われた橋下徹大阪市長の「慰安婦」発言の読解の前提として、彼の「侵略」に対するダブルスタンダードがあることを指摘した。彼によれば、欧米諸国が日本を「侵略」国家というのは、本来は同じく植民地政策をともに行っているのであるから認めるべきではないことであるが、「敗戦国」であるから認めざるをえないとしているのである。それでも、事実と違うことで日本が非難されているならば、反論せざるをえないと主張している。他方、被害を与えたアジア諸国に対しては、お詫びと反省が必要なのだとしている。

橋下は、事実と違うことで非難されている事例として、「慰安婦」問題をあげている。橋下は13日午前の「囲み取材」において、「慰安婦問題」について、まず、このように述べている。

ただね、事実としては言うべき事はいっていかなくちゃいけないと思っていますから。僕は、従軍慰安婦問題だってね、慰安婦の方に対しては優しい言葉をしっかりかけなきゃいけないし、優しい気持ちで接しなければいけない。意に反してそういう職業に就いたということであれば、そのことについては配慮しなければいけませんが。

しかし、なぜ、日本の従軍慰安婦問題だけが世界的に取り上げられるかというと、その当時、慰安婦制度っていうのは世界各国の軍は持っていたんですよ。これはね、いいこととは言いませんけど、当時はそういうもんだったんです。ところが、なぜ欧米の方で、日本のいわゆる慰安婦問題だけが取り上げられたかというと、日本はレイプ国家だと。無理矢理国を挙げてね、強制的に意に反して慰安婦を拉致してですね、そういう職に就職業に付かせたと。

レイプ国家だというところで世界は非難してるんだっていうところを、もっと日本人は世界にどういう風に見られているか認識しなければいけないんです。慰安婦制度が無かったとはいいませんし、軍が管理していたことも間違いないです。ただ、それは当時の世界の状況としては、軍がそういう制度を持っていたのも厳然たる事実です。だってそれはね、朝鮮戦争の時だって、ベトナム戦争だってそういう制度はあったんですから、第二次世界大戦後。

でもなぜ日本のいわゆる従軍慰安婦問題だけが世界的に取り上げられるかというと、日本は軍を使ってね、国家としてレイプをやっていたんだというところがね、ものすごい批判をうけているわけです。

僕はね、その点については、違うところは違うと言っていかなければならないと思いますね。ただ意に反して慰安婦になってしまった方はね、それは戦争の悲劇の結果でもあるわけで、戦争についての責任はね、我が日本国にもあるわけですから。そのことに関しては、心情をしっかりと理解して、優しく配慮していくことが必要だと思いますけど。しかし、違うことは違うって言わなきゃいけませんね。
http://synodos.jp/politics/3894

ここでも、アジアと欧米とのダブルスタンダードは貫かれている。韓国などの慰安婦に対しては温かな言葉をかけなくてはならないとしている。しかし、日本の慰安婦制度は強制的なものではなく、その意味で同様な慰安婦制度をもっていたのであるから、日本だけが非難されるべきではないとしているのである。

そして、ここで、「日本の政治家」を次のように非難する。

日本の政治家のメッセージの出し方の悪いところは、歴史問題について、謝るとこは謝って、言うべきところは言う。こういうところができないところですね。一方のスタンスでは、言うべきとこも言わない。全部言われっぱなしで、すべて言われっぱなしっていうひとつの立場。もう一つは事実全部を認めないという立場。あまりにも両極端すぎますね。

認めるところは認めて、やっぱり違うところは違う。世界の当時の状況はどうだったのかという、近現代史をもうちょっと勉強して、慰安婦っていうことをバーンと聞くとね、とんでもない悪いことをやっていたとおもうかもしれないけど、当時の歴史をちょっと調べてみたらね、日本国軍だけじゃなくて、いろんな軍で慰安婦制度ってのを活用してたわけなんです。
http://synodos.jp/politics/3894

つまり、主張すべき点は主張せよというのである。

他方で、慰安婦については、謝罪すべきは謝罪せよと主張するのである。

ただ意に反して慰安婦になった方に対しては、配慮しなければいけないと思います。認めるところは認めて、謝るところは謝って、負けた以上は潔くしないと。自民党だって、すぐ武士精神とか武士道とかもちだすのに、負けたのにぐちゃぐちゃいったってしょうがないですよ。負けちゃったんですから。そこは潔く認めて。
http://synodos.jp/politics/3894

このように、橋下は、「慰安婦」問題でもダブルスタンダードを貫いているのである。韓国などの慰安婦には謝罪すべきは謝罪せよという。一方、欧米諸国を中心とする国際世論については、当時はどの国でも「慰安婦制度」があったのであるから、日本だけが悪いわけではないと主張すべきとしているのである。これは、侵略に対するダブルスタンダードを「慰安婦」問題に適用したものといってよい。そして、これは、極度に「普遍性」を排した相対主義的(機会主義といったほうがよいかもしれない)な主張であるといえよう。相手によって、主張が変わるのであるから。橋下自体はこのようなあり方を「プラグマティズム」と考えているかもしれない。

ただ、これは、橋下の頭の中でしか通用しないものともいえる。韓国の慰安婦については、「意に反してそういう職業に就いたということであれば、そのことについては配慮しなければいけません」といっている。いわば強制的に慰安婦にさせられた場合もあることを認めた上で、「配慮」せよと主張しているのである。他方で、2007年の閣議決定では、強制連行で慰安婦にされた証拠がないとして、次のように述べている。

証拠が出てきたらね、それは認めなきゃいけないけれども、今のところ2007年の閣議決定では、そういう証拠はないという状況になっています。先日、また安倍政権で新しい証拠が出てくる可能性があると閣議決定したから、もしかすると、強制的に暴行脅迫をして慰安婦を拉致したという証拠が出てくる可能性があると。もしかするといいきれない状況が出てきたのかもわかりませんが、ただ今のところ、日本政府自体が暴行脅迫をして女性を拉致したという事実は今のところ証拠に裏付けられていませんから、そこはしっかり言ってかなければいけないと思いますよ。
http://synodos.jp/politics/3894

慰安婦が強制連行された証拠がないという論理は、慰安婦は強制的なもの、いわば意に反して従事させられたものではなく(それ自身論理的飛躍があるが)、売春婦にすぎないのであって、謝罪も補償も必要ないという主張の根拠となっている。このような考えは、例えば自民党の稲田朋美なども主張しており、在日特権を許さない市民の会などのデモのヘイトスピーチにもよくみられる。慰安婦の強制性を認めないのであれば、なぜ橋下が慰安婦に温かい言葉をかけなくてはならないか、その理由がわからない。慰安婦の人びとも、橋下発言において慰安婦の強制性を認めないことを批判している。結局、「慰安婦」問題において、アジア向けと欧米向けで事実認定を変更して対応を変えるということは無理なのだ。

そして、慰安婦問題において強制性を認めないということは、次の難点を導き出すことになる。橋下は第二次世界大戦当時、世界各国において「慰安婦」制度が存在していたとしている。その根拠として、彼は、世界各国における「慰安婦」制度を例示することで根拠を示すのではなく、次のような形で正当化する。

そりゃそうですよ、あれだけ銃弾の雨嵐のごとく飛び交う中で、命かけてそこを走っていくときに、そりゃ精神的に高ぶっている集団、やっぱりどこかで休息じゃないけども、そういうことをさせてあげようと思ったら、慰安婦制度ってのは必要だということは誰だってわかるわけです。
http://synodos.jp/politics/3894

根拠というよりも、いわば「常識」(男性的偏見といったほうがよいかもしれない)によって「慰安婦」制度を「必要」なものとしているのである。ここで、「慰安婦」制度は「必要」という言説が出て来るのである。そして、この言い回しが、「常識」を根拠にしている限り、歴史的なものではなく、いわば超歴史的な「軍隊」において「必要」なものとして認識される可能性があることをここでは指摘しておこう。

これは、橋下が慰安婦を強制的なものではない「売春婦」として認識していることを示すものといえよう。しかし、これは、各国の軍隊における売春の実態について根拠を示すことがなく、それらを日本の慰安婦制度と同一視しているといえる。橋下は慰安婦を一般的な売春として認識しているから、そういう言い回しが成り立つ。世界亜各国の軍隊が買春をしていたのは事実であろう。しかし、それらを根拠も示さず、日本の「慰安婦」制度と同一視できるのか。軍隊が組織的に関与して多くの占領地で実施された日本の慰安婦制度と、例えば原則的には禁止され、建前では個人的な営為とされているアメリカ軍における売春と同様なものなのであろうか。さらに、それではなぜ慰安婦に「温かい配慮」をしなくてはならないのか。そういう問いが惹起されるのである。

そして、午後(退庁時)の囲み取材において、「慰安婦」問題に関連して、「米軍に風俗利用をすすめる」発言がとび出すことになった。これについては後述していこう。

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さて、2013年5月13日、橋下徹大阪市長が大阪市役所における「囲み取材」にて「慰安婦」発言を行い、それに対し、韓国・中国・アメリカを含めた内外から多くの批判を浴びるという事件が発生している。

このことについて、ずっと関心があった。しかし、どのような形で論じるべきかわからなかった。経過をおうことは新聞が行っているといえる。また、批判についても、それぞれの立場ですでに行われている。

しかし、橋下自身も主張しているように、そもそも、橋下の発言自体がどのようなものであったか、それを発言自体に忠実に「読解」しているものはあまり多くないようにみえる

幸い、SYNODSというサイトで、発端となった5月13日の囲み取材の応答を詳細におこしたものがある。私も、この囲み取材の動画をみたが、大体、このように述べているように思われる。これを参考に、5月13日の午前と午後の「囲み取材」で行われた橋下の「慰安婦」発言について「読解」してみよう。

まず、「慰安婦」についての発言は、5月13日午前(市長登庁時)の次の応答からはじまっている。

―― 村山談話ですが、自民党の高市さんが侵略という言葉はどうかと批判的なことをおっしゃっていましたが、安倍首相も侵略についてはっきりと???(聞き取れず)ですが、植民地支配と侵略をお詫びするという村山談話については。

侵略の定義については学術上きちんと定義がないことは安倍首相が言われている通りです。

第二次世界大戦後、事後的に、国連で安保理が、侵略かどうかを最後に判定するという枠組みが決まりましたけれども。侵略とはなにかという定義がないことは確かなのですが、日本は敗戦国ですから。戦争をやって負けたんですね。そのときに戦勝国サイド、連合国サイドからすればね、その事実というものは曲げることはできないでしょうね。その評価についてはね。ですから学術上さだまっていなくてもそれは敗戦の結果として侵略だということはしっかりと受け止めなくてはいけないと思いますね。

実際に多大な苦痛と損害を周辺諸国に与えたことは間違いないですからその事実はしっかりと受け止めなくてはならないと思います。その点についても反省とお詫びというものはしなくてはいけない。
http://synodos.jp/politics/3894

もはや、ほとんどの人が忘却しているが、橋下の「慰安婦」発言は、記者の侵略戦争についての「村山談話」についてどのように思うかという質問に答えたところからはじまっており、本来は、日本の過去の侵略戦争総体をどう考えるかということがテーマであった。

この質問に対する橋下の回答は、かなり不思議である。まず第一に安倍首相の発言を引き継ぎ「学術上侵略という定義はない」と答えている。この言い方からすれば、日本がアジアを侵略したということを認めない文脈になるだろう。

しかし、第二には、「敗戦国」であるから日本が侵略したということを認めなくてはならないとしている。

そして第三に、「実際に多大な苦痛と損害を周辺諸国に与えたことは間違いない」から反省とお詫びをしなくてならないとしているのである。

通常は、「実際に多大な苦痛と損害を周辺諸国に与えたことは間違いない」から、「侵略」に対するお詫びと反省をするということになるだろう。ここで、それとは逆に、橋下は、「侵略」という定義自体が明確ではないのだが、敗戦国である以上「侵略」ということを認めざるをえず、ゆえに「反省」と「お詫び」をするという論理構造になっているのである。橋下は「侵略」という事実から出発するのではなく、「敗戦」という事実から「侵略」という認識を認めざるをえないとしているのである。

なぜ、「敗戦」という事実を前提に日本が侵略したという事実を認めなくてはならないのだろうか。この応対のやや後の方で、橋下はこのように述べている。

それから戦争責任の問題だって敗戦国だから、やっぱり負けたということで受け止めなきゃいけないことはいっぱいありますけど、その当時ね、世界の状況を見てみれば、アメリカだって欧米各国だって、植民地政策をやっていたんです。

だからといって日本国の行為を正当化しませんけれども、世界もそういう状況だったと。そういう中で日本は戦争に踏み切って負けてしまった。そこは戦勝国としてはぜったい日本のね、負けの事実、悪の事実ということは、戦勝国としては絶対に譲れないところだろうし、負けた以上はそこは受け入れなきゃいけないところもあるでしょうけど。

ただ、違うところは違う。世界の状況は植民地政策をやっていて、日本の行動だけが原因ではないかもしれないけれど、第二次世界大戦がひとつの契機としてアジアのいろんな諸国が独立していったというのも事実なんです。そういうこともしっかり言うべきところは言わなきゃいけないけれども、ただ、負けたという事実だったり、世界全体で見て、侵略と植民政策というものが非難されて、アジアの諸国のみなさんに多大な苦痛と損害を与えて、お詫びと反省をしなければいけない。その事実はしっかりと受け止めなけれないけないと思いますね。
http://synodos.jp/politics/3894

橋下によれば、アメリカを含む欧米各国は植民地政策をとっており、日本だけの問題ではなかったが、敗戦することで「負けの事実、悪の事実」を認めさせられたということになるだろう。つまり、本来、アメリカなどからする「侵略」という規定は認める必要がないのだが、「敗戦」し、勝者の価値観を受け入れざるをえないから「侵略」という規定を認めざるをえなかったというのである。

では、他方、アジア諸国に対してはどうだろうか。ここでも「アジアの諸国のみなさんに多大な苦痛と損害を与えて、お詫びと反省をしなければいけない。」としている。

つまり、橋下は、「侵略」ということに対して、ダブルスタンダードでいるといえよう。アメリカを含む欧米諸国に対しては、同じく植民地政策をとっていたので、本来、日本だけが侵略したということを認める必要がないが、敗戦国だからしかたなく認めるとしている。他方で、実際に被害を与えたアジア諸国については、お詫びと反省をいうというのである。このようなダブルスタンダードは、後述するように「慰安婦」問題への言及に貫かれているのである。

では、「敗戦国」だから、アメリカなどからの批判をすべて受け入れるのか。橋下は、次のように言っている。

ただ事実と違うことでね、我が日本国が不当に侮辱を受けているようなことに関しては、しっかり主張はしなくては行けないと思っています。だから敗戦国として受け入れなければいけない、喧嘩っていうはそういうことですよ、負けたんですから。
http://synodos.jp/politics/3894

「事実と違うことでね、我が日本国が不当に侮辱を受けているようなことに関しては、しっかり主張はしなくては行けない」と橋下は主張しているのである。その事例として、「慰安婦」問題を橋下はとりあげたといえよう。「慰安婦」問題についての詳細は、後に詳述するつもりである。ただ、「慰安婦」発言は、日本の侵略総体をどうとらえるかということを前提にしており、それに対する橋下の回答は、アジア/欧米のダブルスタンダードを中心にしているといえよう。

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さて、東京都知事選で、副知事であった猪瀬直樹が約433万票獲得し、当選した。

この猪瀬直樹が、3.11直後の2011年5月7日に、猪瀬直樹・村上隆・東浩紀「断ち切られた時間の先へー『家長』として考える」(『思想地図β』第2号)という鼎談を行った。村上隆はアーティストであり、東は現代思想を専攻していて、『思想地図β』の編集長である。この鼎談は、石原都政の中心部にいた猪瀬が、3.11をどのように捉え、どのようなことを主張しようとしていたかということを如実に示しているといえる。

まず、鼎談の組織者である東浩紀は、東日本大震災や原発事故でかなり壊れてしまった「日本や東京のブランドをこれからどう再構築していくか」と、この鼎談のテーマを提示した。そして、東自身は、日本を離れるということを真剣に考えつつ、「日本の伝統や文化的連続性についても考えるようになりました…日本という国は、そもそもが定期的に巨大な災害が来てすべてを流し去ってしまう国でもある、そういう条件をどう捉えていくか」と自分の体験を離した。

そして、猪瀬は、東の浪江町への踏査記事(朝日新聞2011年4月26日付朝刊)を枕としながら、日本文化についての蘊蓄を披露していく。例えば、猪瀬は、このように主張する。

今回の問題は、日本列島という島の記憶や、この島にいる宿命みたいなものをどう受け止めていくかを考え直さないと、解決できないだろうと思っています…日本の文化の根底には、災害の巣のような島から出られないという自覚がある。その意識は、潜在的には連続しているように感じます。(p77)

そして、このように述べる。

この国のはじまりの物語とはいったいなにかと考えたときに、たとえば『古事記』や『日本書紀』といったものがありますが、戦前まではそれが生きていました(…本居宣長の「敷島の大和心を人問わば 朝日に匂ふ山桜花」を引用しつつ)重要なのは、戦前までの日本には、この島から出られないという認識を前提にした歴史観が残っていたということです。しかし戦後はディズニーランド化がはじまり、島の記憶はすべて消えていった。日米安保で米兵に”門番”の役割を担ってもらうようになると、門の外側や歴史のリアルに対する想像力を失ってしまった。僕はこれをディズニーランド化と呼んでいるのです。(p78)

このような発言に対し、東は「震災後政治家に求められるのは、実務だけでなく、こういう能力、『想定外』の危機を扱うため日常よりも長いスケールで文学や思想の古典を呼び出す能力なのではないかと感じたのです。つまり先人の知恵を借りる能力です。」(p78)と賛意を示し、当時の民主党政権を批判しつつ、「自戒を込めていいますが、言論も若い世代は本当に駄目です」と述べている。

そして、猪瀬は、このように発言している。

三島由紀夫は、「戦後の日常は虚偽の日常だ」といいました。つまり、アメリカの存在を隠蔽し、防衛や命に関わることをすべて他者に委ねることによって成立したつくりものだったということです。これが戦後の日常性で、だからこそ、ディズニーランドができあがった。しかし今回は日常が断絶したので、いままで使えなかった「正義」や「国家」という言葉が使えるようになったはずです。我々は、国家の歴史が昭和20年8月15日以降しかないように錯覚してしまっていますが、本当は『古事記』や『日本書紀』から繋がる、はじまりの物語があります。元号があって、万世一系と擬制された一貫した時間軸を持っている。だから、一貫した時間軸を取り戻して、2000年くらい続いてきた島国の文化にアイデンティティがあるんだということにもう一回立ち帰る必要がある。それは、別に天皇神話を信じろということではない。(p79〜80)

猪瀬は、ここで、「島国」としての日本文化の連続性を強調し、それを断ち切ったものとして、アメリカに防衛をまかした形で成立した戦後の「日常性」を批判しているといえる。そして、猪瀬は、3.11を「国難」と表現しているが、この「国難」は、「戦後の日常性」を終わらし、「国家」「正義」という言葉が再び使えるようになった契機としてとらえているのである。この猪瀬に対し、東は、自戒を込めつつ、「賛意」を呈しているといえよう。

さらに、話題は原発問題に移っていく。東は、直接の影響はないかもしれないが、空間放射線量を常に意識せざるを得ない東京の現状についての不安を指摘する。しかし、猪瀬は、「もちろん、そうだけれど、データを受け止めて東京の10倍20倍の放射線量のなかで生活せざるをえない福島の人たちのリアルへの想像力が求められてもいるのです。この島国から逃れられないという断念を共有することが『国難』という言葉の意味ですね」(p82)と反論し、むしろ「なぜ東京電力の福島第一原発はあれほど単純な事故に弱かったのか」という問題を提起し、新しい技術がフィードバックされていれば、原発事故は起きなかったのではないかと主張する。

しかし、東は「おっしゃるとおりです。しかし、だからこそ僕は今回、日本はそういう点をおざなりにする国なのだから、もう原発を管理しようなどと考えないほうがいいのではないかと思うようになりました…要は、放射能が云々以前に、日本政府が危険というのが僕の考えです。この状況では脱原発しかないと思います」(p82〜83)といい、反原発運動に従事していたとされる村上は「少なくとも、海外からの客人には、資料を送って『来ないほうがいいよ』といってますし、知人も数名、国外に住みはじめてます」(p83)と述べている。

しかし、その点が、猪瀬には気に入らない。猪瀬は、このようにいうのである。

しかし原発を管理できない日本人のままでいいのか。大きな流れでいえば「脱原発」に違いない。しかし、原発分の電力量すべてをいきなり再生可能エネルギーで代替できるかというと、やはり10年はかかる。もうひとつは国家の信認の問題として、「管理できない」が結論では駄目でしょう。(p83)

そして、とうとうと「東京湾に原発を置いたらどうか」と猪瀬は語るのである。

…フランスで管理できて日本でできない。しかしその管理ができない人間が世界で通用するでしょうか。僕はいま問題になっている福島の第一原発について、あれが東京にあったらどうだろうという仮説を考えています。我々は電気がどういうリスクを抱えた原発によってつくられているのかを知りませんでした。いってみれば、東京の人間は福島の人民を切り捨ててきた…「東京湾に原発を置いたらどうか」、むろん思考実験ですが、そうすれば都民も、原発の安全や管理体制について、日々関心をはらうでしょう。つまり、危険なものを管理できる人間になることで克服しない限りは駄目で、東京は東京湾に原発を置いて100パーセント完全にやったぜ、と、そういう管理をできるということが、東京ブランドの再興に繋がるのではないか。ただ、これは仮説で、ものの考え方です。実際にやるかどうかはともかく、そういうことをもし真剣に考えたならば、この国が国難から再興することもありえるのではないか。東京の住民が自分の電気を自分で抱え込んで危機管理できないのならば、東京の人間を含めて日本人はやはり駄目なのだということになる。それを引き受ける、引き受けないということを一人ひとり考えて、結果的に無理だったらやめましょう、というところまで持ち込む必要がある。浜岡原発を止めて、ああ助かった、というのでは無責任です。自分で引き受けなければいけない。そこまで考えないと、今回の震災は本当の意味で自分のものにはならない。原発を東京に置いて管理できないようでは駄目なはずです。それを自分で引き受けて克服したら、東京ブランドは再興できるのではないか。(p83〜84)

この問題は、猪瀬にとって「国防」の問題であり、「責任ある主体」としての「家長」の問題であった。

これは国防の問題とも繋がっています。東京に原発を置くという提案は、日米安保ではなく自衛隊で国を守るリスクを抱え込もう、という提案と同じものです。戦後のディズニーランド化した日本は、どちらのリスクも避けてきた。本当に東京の人間が原発を抱えたら、日本人が国防において自衛隊を軍隊としてきちんと統御できるか問われると同じように、危険物を制御できるどうかということが問われます。それを抱え込まない限り、前回の鼎談でもいったように「家長」ではない。責任ある主体になれない。(p84)

さすがに、この猪瀬の提起には、村上隆も東浩紀も肯定的には受け取っていない。村上は「国防の意味でも、詭弁と欺瞞がとぐろを巻いて面白い。実際やれればやってみるのもいいと思います。でも、僕はその瞬間に関東圏を離脱しますがね」(p84)と揶揄的に発言し、この鼎談で猪瀬に賛意を示すことが多い東も「僕はそもそも日本政府には原発が管理できないという立場なので、設置に賛成はできないでしょう」(p84)と述べている。

この鼎談の末尾は、猪瀬が文学論を展開しているが、ここでも猪瀬は「原発問題」に言及している。猪瀬は、夏目漱石ー太宰治ー村上春樹を「放蕩息子」の系譜としてとらえ、それに対抗する存在として、元号の候補を検討した森鴎外を「家長」として認識するとした。暗に、自らを「家長」の系譜を継ぐものとしている。そして、夏目漱石の『三四郎』のせりふを引用しながら、このように猪瀬は述べている。

そうなんだよ。滅びるねって、それをいってはおしまい。漱石は滅びるねといったけれど、そこから先がない。さきほどの原発の話と被るけどね。(p92)

そして、文学や政治を包括して、このように猪瀬は指摘した。

 

でも実際には鴎外の系統は途絶えちゃって、漱石の系統が太宰治へ続いていく。家長と放蕩息子で、結局放蕩息子の血統が残る。文学は放蕩息子の側にしかいかなくて、家長の側には行かなかった。昭和16年を迎えたときに、文学の家長はいなかった。国家のシステムに関わるやつがいなくなった。だから、国家は思想としてのリアリズムを欠いて制御不能になり、戦争に突入してしまった。そいうことなんですよ。…だから震災後のいまこそもう一度家長の思想が必要なんです。それは家父長制の話とはまったく別物です。この60年間、文学も政治も責任ある主体から逃げてきたんですよ。(p92)

猪瀬の主張を、原発問題に即していえば、次のようになるだろう。猪瀬は、まず、島国の日本でともに生きているということを前提として、より高い放射線量にさらされている福島県の人びとを考えるならば、東京の人びとは現状の放射線量を受忍すべきとする。そして、単に急には再生可能エネルギーで代替できないという理由だけでなく、自らのリスクを抱え込んで管理する力を日本は持っているのだということを認識させるためにも、東京に「完全な原発」を設置すべきとしている。このことは、日米安保によって米軍によって主に保障されている国防の問題を見直すことにもつながり、さらには、日本人が「責任主体」としての「家長」の思想を確立することにも結びついていくということになるのである。

このように検討してみると、猪瀬にとって、3.11とは、彼が副知事として責任を負うべき東京都民の安全をはかるという問題に直面したものではなく、猪瀬が評価するようなナショナリスティックな方向で日本人の思想を改造していく契機と認識されていたといえよう。そして、「東京湾に原発を置いたらどうか」という提案も、「自らのリスクを管理する」責任主体としての「家長」の確立につながっていくものであった。さらに、このことは「東京ブランドの再興」「国家の信認」をめざしたものであった。いわば、3.11という惨事に便乗して、社会を改造しようとすることを猪瀬はめざしていたといえるのであり、いわゆる「ショック・ドクトリン」が志向されたといえよう。

これは、もちろん、猪瀬だけではない。石原慎太郎も橋下徹なども、その方向をめざしたといえる。そして、彼らのめざす方向は、ある程度、成功したとみなくてはならない。猪瀬は、東京湾に新鋭火力発電所を建設するということを政策としてかかげながらー原子力を火力に置き換えたのだがー、433万票という歴代最多の得票を得て、都知事選に勝利した。石原や橋下も、国政進出をはたしつつある。そして、自民党においても、復古ナショナリズムの権化であるような安倍晋三が復権し、首相となった。脱原発運動が広範囲に展開しつつも、政治状況では確実にナショナリズムが強化されている。そして、このようなことの背景に、3.11があるのである。

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