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1950~1960年代の福島県議会の会議録から、福島第一原発誘致にむけての、知事や県議たちの発言をみてきた。もちろん、今日からみれば、彼らの発言をそのままの形で認めることはできない。しかし、彼らの発言からは、原発立地を契機に、関連産業も誘致し、立地地域である双葉郡の地域工業化をめざそうという意識をみることができる。かなりの程度、「建前」なのだろうが。それでも、原発から生産される電力は、単に首都圏に送るものではなく、地域の工業化にも資するということで、原発立地の正当化を行おうとしていたといえる。それは、地域社会の自立的な発展をめざす動きであった。

しかし、現実は、どうであっただろうか。確かに、ある程度の雇用は生まれた。電源交付金や固定資産税によって、自治体財政も豊かにはなった。しかし、それは、まさに、原発にのみ依存したものでしかない。開沼博の『「フクシマ」論』が描き出しているが、政府・電力会社に従属して、ようやく「豊かさ」が保たれているといえるのだ。ゆえに、「脱原発」の一般的世論に抗して、原発の存続を原発立地自治体を強く主張するようになるといえる。もちろん、このような主張は切実である。だが、これは、まさに、自立した地域社会の発展とはいえないであろう。

このように、一般的な原発立地自治体において、原発存続を打ち出している中で、東海村長村上達也は、立地している東海第二原発の将来的な廃止を主張するようになった。例えば、6月23日、産経新聞は、次のような記事をネット配信している。

原発再稼働、東海村長が反発 「福島の事故究明が先」 茨城
2011.6.23 02:23
 海江田万里経済産業相が18日に「原発再稼働」を記者会見で発表したことに対し、原発を抱える県内の首長から反発の声が相次いでいる。地方の現状を無視した震災対応が続くとして菅直人政権に対し、自治体側のいらだちや不満は頂点に。日本原子力発電の東海第2発電所(東海村白方)は今回の再稼働の対象には含まれていないが、東海村の村上達也村長は今後の対応に厳しい姿勢を示す。

 「住民の命がかかっている。福島第1原発事故の原因究明もなしに、軽々しく再稼働と言ってほしくない」。村上村長は22日の記者会見で声を荒らげた。

 原子力安全・保安院などが行った原発の立ち入り調査が、原発再稼働への「表面的、形式的な調査」としか思えないという。

 村上村長は、福島第1原発事故を踏まえた安全対策がない段階で、「安全を確認した」として原発再稼働にゴーサインを出した政府の姿勢に「現状把握ができていない。こんな国で原発を持つべきではない」と反発を強めた。

 東海第2原発は11月まで定期検査中。今回、海江田経産相が示した「再稼働」の対象には入っていない。地震で停止したため地震の影響を確認する必要があるという。だが、発表段階では県には、対象外であることは伝えられていなかった。海江田経産相会見後、国の関係機関に確認したところ、20日深夜、資源エネルギー庁が回答してきた。

 個別に説明がなかった点は橋本昌知事も指摘。21日の記者会見で「(海江田経産相が)会見で一般論として語り、地方に説明がない。それはおかしい」と述べた。

 また、橋本知事は「なぜ浜岡原発(静岡県御前崎市)だけ停止したのかなど、原発立地県として疑問をぶつけてきたが、まだ答えがない。納得できない」と政府の対応を批判。福島第1原発事故を踏まえた安全指針が示されない限り、県の防災計画の見直しもできないと不満を漏らした。
http://sankei.jp.msn.com/region/news/110623/ibr11062302230002-n1.htmより

そして、村上は、7~8月には脱原発の主張を各所で話していくようになった。ここでは、8月2日のシンポジウムでの発言を伝えた茨城新聞のネット配信記事を引用しておこう。

2011年8月2日(火)
「原発マネーで未来買えない」東海村長、シンポで訴え

福島第1原発事故を受け、原子力の安全について考えるシンポジウムが2日、東海村舟石川駅東3丁目のテクノ交流館リコッティで開かれ、村上達也村長は「日本で原発を保有するのは危険が大き過ぎる。『脱原発』の思想、理念に市民権を与え、国民全体で真剣に考えるべきだ」と提起した。

村上村長は「東海第2原発で同じ事故が起きたら東海村は全村避難で、30キロ圏内の約100万人がどうしたかと思うとぞっとする」と述べ、「東海村が原子力に支えられてきたのは事実だが、われわれの暮らしや未来と原発マネーとは等価交換できないと思う」と会場の住民らに問い掛けた。

シンポは日本原子力学会が主催し同村が後援。同学会調査専門委員会の委員らが福島第1原発事故の概要や原子力のリスクについて講演。原子炉工学が専門の東京大大学院の岡本孝司教授は事故の最も重要な教訓として▽事故後の対応▽原子力安全の考え方▽津波対策▽全電源喪失対策―の4点が不十分だったと指摘した。

ほかに各分野の専門家3人が講演し、最後に原子力安全について考えるパネル討論が行われた。住民の関心は高く、定員の倍近い約400人が詰め掛けた。
http://ibarakinews.jp/news/news.php?f_jun=13122844679466より

また、茨城新聞は、次のようなインタビューを10月1日にネット配信している。

2011年10月1日(土)
原発を考えるインタビュー 村上東海村長 極めて内省に欠ける国

-2度の原子力事故を目の当たりにして思うことは。その教訓とは何か。

JCO臨界事故も慢心が招いたもので、この国はいつまでも反省しないという印象だ。利益を追求するあまり、原発推進を「国策だ」と言い続け、安全神話を作るなど、極めて内省に欠ける国だということ。JCO臨界事故の時も思ったが、今回も案の定だ。何にも学んでいない。福島第1原発事故の初期対応を見ても、何という国だと思った。

-国の原子力政策、エネルギー政策をどう見るか。震災と福島第1原発事故で見えてきた日本の電力供給の問題点とは。

日本は地震多発地帯で、1900年からの100年間でM8以上の地震回数は世界一という報告がある。そんな国に54基も原発を置いていいのか。正気の沙汰とは思えない。しかし、日本は原子力推進そのものがエネルギー政策で、自然・再生可能エネルギーの発展を封じていた面がある。原発は炭酸ガスを出さないから環境にいいと言い、放射能・放射線の問題にはふたをして、原発の後処理も後世に先送りしてきた。それはまさに、哲学なきエネルギー政策だという気がする。

-「脱原発」は可能か。日本における再生可能エネルギーの可能性は。普及を進める鍵は。

福島第1原発事故を起こした以上、日本は脱原発について真剣に考える義務がある。脱原発を追求しなければならず、できるできないはその次でいい。自然エネルギーについても、ドイツやデンマークなどは既に取り組んでおり、技術開発も進んでいる。日本でも可能性はある。日本人の勤勉さやこれまで蓄積した技術からみても可能だろう。世界最高水準になれると思う。あとは政府のやる気次第だ。

-東海第2原発の再稼働をどのように判断するか。

私は、福島のように全村避難して戻れないとか、東海村が地図上から消えていく、そういう事態にはしたくない。福島の事故で、国は避難した人たちをどう救済するのか。つまり、国がわれわれの安全を保障できるのか。そこが担保されない以上、判断はできない。

津波対策や非常用電源対策の強化だけでは十分ではない。福島第1原発事故の問題も明らかにしてもらわなければならない。ストレステストは、再稼働のための政治的方便ではないか。

それと安全規制体制をどうつくるのか。原子力安全庁の話は出ているが、さっぱり見えない。これも判断の鍵となる。(東海第2原発の再稼働は)今の時点ではまったくの白紙だ。

-最後に、今後の日本のエネルギー政策への提言を。

エネルギー消費を減らして経済のスピードを落とし、思い切って自然エネルギーの導入に向けて政策誘導すればいい。自然エネルギーはこれまで、政府が後押しした電力会社が壁となり入り込めなかった。自然エネルギーに対する助成を、新しい技術開発に向けた投資だと思ってやったらいい。ドイツがやると言っているのに日本でできないわけがない。あとは政治家の決断だ。http://ibarakinews.jp/news/news.php?f_jun=13174534196411より

その上で、村上村長は、細野豪志原発担当相に、立地している東海第二原発の廃炉を10月11日に申し入れた。茨城新聞は、10月12日に次のような記事をネット配信している。

011年10月12日(水)
東海第2原発 村上村長、担当相に廃炉要望 立地や老朽化理由に

運転開始から30年以上たつ日本原子力発電(原電)東海第2原発について、東海村の村上達也村長は11日、細野豪志原発事故担当相らを訪問し、「30キロ圏内に100万人の人口を抱え、原発立地条件として不適切かつ老朽化している」として廃炉を求める要望書を提出した。

村上村長は細野原発事故担当相と約15分間にわたって会談。その後、取材に応じ、「原発政策についてのわれわれの考え、特に東海第2原発について要望した。細野氏からは『具体的で貴重な提言を頂いたので考えさせていただく』との回答があった」と説明した。

要望書ではまた「原子力安全委員会や原子力安全・保安院の信用失墜が著しく、新たな原子力規制体制の確立なしに原発再稼働は受け入れられない」と指摘。原発再稼働受け入れ条件としては福島第1原発事故避難者への十分な対応が不可欠とし、▽国の原発政策の中身、基準を明らかにすべき▽原子力センター構想への速やかな支援-などを求めた。

東海第2原発は東日本大震災の発生直後に自動停止し、以降は一度も運転を再開していない。5月21日に半年間の予定で定期検査に入ったが、地震の揺れによるタービンの損傷などが見つかり、原電は追加の補修が必要となったとして11月中旬の予定だった終了時期を延期すると発表。再稼動の前提となる国のストレステスト実施の見通しも立っていない。

原電は、2013年度までの3年間で地震や津波を想定した中長期的な安全向上対策を順次進める計画。同原発の再稼動について橋本昌知事は、専門家による県原子力安全対策委員会で技術的に安全性を検討した上で、県の原子力審議会、地元、県議会などの意見を聞いて判断するとの考えを示している。

【東海第2原子力発電所(東海村白方)】
日本原子力発電が1978年11月に営業運転を開始した沸騰水型軽水炉。出力110万キロワット。東日本大震災の津波被害で非常用発電機3台中1台が一時、使用不能となるトラブルがあったが、3月15日未明に安定的な冷温停止状態に至った。http://ibarakinews.jp/news/news.php?f_jun=13183441949375より

東海村は、1957年に日本原子力研究所が立地して、実験用原子炉が建設され、さらに日本最初の商業炉である東海発電所が1966年より営業運転を始めるなど、日本の原子力の発祥の地といえる。現在は、日本原子力研究所の後身である日本原子力研究開発機構が立地し、さらに日本原子力発電の東海第二発電所が設置するなど、村内や周辺には原子力関連施設が数多く立地している。その地の村長が、いわば「脱原発」を主張しているのだ。この意味は大きい。

東海村長村上達也は、なぜ、このような脱原発の主張をするようになったのだろうか。2011年10月26日付朝日新聞朝刊に掲載された「耕論 原発と自治体とカネ」の中のインタビュー「繁栄は一炊の夢だったー『東海第二』廃炉を」で、村上は、このように語っている。

実は東海村の日本原子力発電東海第二原発も、東京電力福島第一原発で起きた「全電源喪失」の寸前でした。地震の影響で外部電源がすべてダウン。非常用発電機でポンプを動かして原子炉を冷却しましたが、1時間後に押し寄せた津波があと70センチ高ければ、海水は防波堤を乗り越えて、すべての冷却機能が失われていたかもしれません。

 2週間後にその事実を知り、背筋が凍る思いをしました。東海第二の場合、20キロ圏内に75万人、30キロ圏内には100万人の人が住んでおり、県庁所在地の水戸市も含まれます。細野豪志原発相に「選択肢として東海第二の廃炉ということも考えるべきではないか」と問題提起したのは、こうした事情があったからです。

 そもそも世界有数の地震大国の日本に、54基もの原子炉があること自体が異常です。しかも、東海第二のように人口密集地に原発を立地している国は世界でもあまり例がありません。

 「原発がなくなったら住民の雇用をどうするのか」「村の財政をどう維持するのか」という議論も村内にはあります。しかし、原発マネーは麻薬と同じです。原子炉を1基誘致すると固定資産税や交付金など10年間で数百億円のカネが入る。そのカネがなくなると、また「原子炉を誘致せよ」という話になる。尋常な姿ではありません。

 東海村の人口約3万7千人の3分の1は、日本原子力研究開発機構を中心とする13の原子力事業所と何らかの関わりを持っています。また原子力関連からの財源は一般会計の3分の1に当たる約60億円にのぼり、まさに「原子力の村」です。

 しかし、今後の世界は「脱原発依存」が主流となるでしょう。いつまでも原発マネーに頼ってはいられない。日本最初の「原子の火」がともった東海村は原子力と55年の歴史を共有し、原子力が文化として定着しています。これをどう地域づくりに生かすかが重要です。

 現在、村では原子力に関する科学・技術や人材を総合的に集積する「原子力センター構想」を策定中です。「脱原発」の場合も、廃炉や放射性廃棄物の処理、原発事故後の環境修復など様々な技術や人材が必要になります。そのための基盤研究、人材育成を担う構想です。世界屈指の大強度陽子加速器施設もあり、海外からも多くの研究者や学生が訪れ、欧米の科学研究都市に匹敵する条件がある。持続性の高い発展が期待できます。

 福島のような事故が起これば何もかも失ってしまう。原発による繁栄は一炊の夢に過ぎません。目を覚まして、持続可能な地域経済をつくるべきです。(聞き手・山口栄二)
(引用はブログ「薔薇、または陽だまりの猫」http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/872febe593af0bfce249c57fbe0f1f09より行う)

まず、村上は、東海村で稼働していた東海第二原発も、地震や津波のため「全電源喪失」寸前であったと述べ、原発の危険性を強調した。このことが、第一に「脱原発」を主張する根拠となっている。村上によれば「福島のような事故が起これば何もかも失ってしまう。原発による繁栄は一炊の夢に過ぎません。」と話している。特に、東海村が、県庁所在地である水戸市も近傍にある、住民密集地であることを強く指摘している。

東日本大震災によって、東海第二原発が「全電源喪失」寸前であったことは、朝日新聞が2011年4月2日にネット配信している。

あわや全電源喪失…津波「想定」ぎりぎり 東海第二原発
2011年4月20日

 東海第二原発は震災による津波でどんな被害を受けたのか。日本原電は緊急訓練に合わせ、被害を受けた「海水ポンプエリア」などを報道陣に公開した。海水ポンプエリアは、発熱する原子炉を冷却するためのいわば「生命線」。だが、そこに押し寄せた津波の高さは、「想定」ぎりぎりだった。

 防波壁や海水ポンプに残るおびただしい土砂――。海岸近くにある「海水ポンプエリア」には津波の爪痕が今も残る。

 ここには、原子炉を循環する大量の冷却水を冷やしたり、非常用ディーゼル発電機を冷やしたりするための海水ポンプがある。四方は海面からの高さ6.1メートルの防波壁で囲まれている。

 3月11日午後2時48分。運転中だった原子炉は地震の2分後、自動停止した。外部電源は遮断され、非常用ディーゼル発電機で海水ポンプを動かし、原子炉を冷却し続けた。が、約1時間後、その海水ポンプエリアに津波が押し寄せた。

 午後7時26分。非常用ディーゼル発電機の海水ポンプの異常を示す警報が鳴る。津波の高さは5.4メートル。防波壁より低かったが、工事中のため壁には穴が開いていた。

 その穴から海水が内部に注ぎ込み、海水ポンプ1台が水没。非常用ディーゼル発電機1台も停止した。残り2台の海水ポンプは水につかったが、水深が低かったため稼働。非常用発電機も2台が無事で、原子炉は冷却し続けられたという。

 震災前、日本原電は5.7メートルの津波を想定し、防波壁の高さを6.1メートルに設定していた。

 今回の津波は5.4メートルと想定内だったが、あと70センチ高ければ、海水は防波壁を乗り越えすべてのポンプが水につかったとみられ、「(冷却機能が全て失われた)福島第一の事態になった可能性は否定できない」(日本原電)という。

 震災後に日本原電がまとめた津波対策には防波壁のかさ上げは含まれていないが、「今後検討する」としている。
http://mytown.asahi.com/areanews/ibaraki/TKY201104190562.htmlより

また、この東海村が、1999年に起きた東海村JCO臨界事故の現場であったことも大きい。茨城新聞は、9月30日に次のような記事をネット配信している。

2011年9月30日(金)
「金のため魂売らない」臨界事故12年で東海村長訓示

1999年9月に東海村の核燃料加工会社「ジェー・シー・オー(JCO)」で起きた国内初の臨界事故から12年となる30日、村上達也村長が村役場の朝礼で「原子力に向き合う姿勢を正し、金のために魂を売ってはならない」と訓示し、脱原発の姿勢を明確にした。

訓示は事故の風化を防ぐため、2009年に始まった。東京電力福島第1原発事故のあった今年は、職員に原子力との向き合い方を再確認させる意味もあるとしている。

朝礼の冒頭、職員約100人が黙とう。村上村長は「政府や東電の事故対応はまったくなっていない」と批判。「原発による経済的繁栄は一炊の夢であり、その結果すべてを失う。人に冷たく、無能な国では原発は持つべきではなく、その資格もない」と述べた。(共同)

つまり、近隣を含めてかなりの人口があり、すでに東海村JCO臨界事故を経験しており、東日本大震災においても全電源喪失になりかねない被災を東海第二原発が受けた東海村にとって、原発の危険性は危機感をもっており、そのことが、村上村長をして、「脱原発」を提起する大きな要因となっているといえる。

ただ、村上村長が脱原発を主張するのは、それだけの要因ではないだろうと思う。まずは、原発依存から脱却しても、経済・財政が維持できるという意識もあると思われる。東京新聞は11月2日に次のような記事をネット配信している。

東海村が最先端の原子力研究や人材育成の場として検討を進めている「原子力センター構想」をめぐり、専門家から意見を聞く有識者会議が一日、村内で福島第一原発事故後、初めて開かれた。年度末にまとめる構想については「東海第二原発の現存を前提としない」とする案も出たことなどから、同原発の扱いは別組織で議論することを決めた。 (井上靖史)
 構想は原発事故前の昨年から同会議で議論され、総合計画にも明記。今年夏に構想をまとめ、二〇一五年の実現を予定していた。
 内容は、村に集約する原子力関連施設を生かし、量子ビームなど原子力の平和利用や効率的な廃炉を研究。世界から人材が集まる場にすること。当初、東海第二原発も構想の中に含まれていた。
 この日は脱原発を明言している村上達也村長が重ねて原発の危険性を指摘。座長で国の原子力委員会前委員長代理の田中俊一氏も「福島の人たちが戻れない限り原発の再生は不可能だ」と述べた。
 六人の委員のうち、出席した五人が「異論を排斥する原子力ムラが今回の原発事故を招いた」などと意見交換。早急に村民を交えて意見を聞き、東海第二原発の扱いは社会学者を加えた別組織で議論する。
 会議後、村上村長は「今の状況では原発はあるべきではない。ただ原子力の医学利用などは伸びる分野だ。交付金などは直接入ってこないが、最先端の研究施設の集約で世界から人が集まり、今後の街づくりにつながる」と脱原発後の村づくりを描いた。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/ibaraki/20111102/CK2011110202000070.htmlより

つまりは、東海第二原発に依存せず、東海村に集中した原子力関連施設を活用して、新たな自治体運営をめざすとしているのである。もちろん、広義の意味では、これらの施設も原子力施設である。しかし、村上村長は「脱・原発、減・原発でも直ちに原発はなくならない。安全面などの原子力研究は今後も必要だ」(産経新聞ネット配信 http://sankei.jp.msn.com/region/news/111102/ibr11110210540006-n1.htmより)と話しており、彼の論理では、「脱原発」とは矛盾しないのである。

このような村上村長の姿勢は、ある意味では物足りないと感じる向きもあるかもしれない。やはり、原子力関連施設は残るのであるから。ただ、とにかく、最も危険な原発を廃炉にしつつ、原子力関連施設を存続させることで、村経済の維持をはかるということは、村長としてはぎりぎりの選択なのだろうと感じる。

そして、このような選択を村上村長が行えたのは、原発だけではなく、旧日本原子力研究所ー現在の日本原子力研究開発機構などの原子力関連施設が、かなり東海村内外に立地しているということであろう。もちろん、臨界事故をおこしたJCOや、使用済核燃料再処理工場のような、やはり危険といわざるをえないものも中には含まれている。しかし、当面、最も危険性の高い原発ではなく、より東海村の住民にとって、安全な施設を選択ーベストではなくベターとしかいいようがないがーできる可能性が、そこにはあったといえよう。このような選択の余地こそ、「自立」の現れといえるのである。

ひるがえって、福島第一・第二原発が立地している双葉地域などの現状を考えてみよう。少なくとも、福島県が最初に原発誘致に乗り出した時には、建前として原発関連施設などの誘致が意識されていた。しかし、それらが十全に誘致されたとはいえず、結局のところ、原発のみに依拠した地域経済になってしまった。一度、そうなると、東海村ほどの選択の余地もなく、原発に従属しつづけるしかなくなってしまったといえるのである。

今、原発立地自治体の首長たちの多くは、原発存続を訴えている。しかし、彼らの内面にも、東海村長村上達也のような、原発への恐怖感がないとは思えない。その意味で、再び、原発が立地している地域経済の自立もまた問題にしなくてはならないだろう。

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