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Posts Tagged ‘本間宏’

東日本大震災において、たぶん最も歴史学界が取り組んだことは、被災歴史史料保存活動だったといえる。こういうことは、たぶん災害のたびに取り組まれていたことであったと考えられるが、1995年の阪神淡路大震災の際、歴史学界があげて取り組むような運動となった。今回の東日本大震災の際も、津波に被災した青森・岩手・宮城・茨城の各県を中心に、さらに地震によって被災した史料も救出・保存することが大々的に取り組まれた。

これらの活動は、もちろん、必要不可欠なことであり、困難を極めたことには相違ない。ただ、これらの各県の活動は、基本的に自然災害への対応であるということができる。

福島県でも、歴史史料保存活動が行われた。しかし、今まであげた各県とは違う困難に直面することになった。福島県で歴史史料保存活動に従事した一人である福島県文化センター勤務(福島県歴史資料館)の本間宏は、2011年7月30日に国立歴史民俗博物館で開催された特別集会「被災地の博物館に聞く」で、次のように語っている。

 

さらに、やはり一番大きいのは原発事故への対応でした。原発事故の問題が収束しないと何も進めないという空気が福島を支配してしまいました。はっきり言って、文化財や歴史資料どころではないという雰囲気でした。
 私自身も「いま歴史資料の救出なんかをやっていていいのか」という葛藤と、常に闘いながらやってきました。子どもを逃がさなくてよかったのだろうか、と今でも悩みます。本当にこれをやっていていいのだろうか。もっとやらなくてはいけない事があったのではないかという気持ちはあります。
 でも、ここまでやってきて、いま私が福島から逃げだしたら、みんなに何を言われるか分かりません。なので、これからもがんばろうと。
(国立歴史民俗博物館編『被災地の博物館に聞く 東日本大震災と歴史・文化資料』、吉川弘文館、2012年)

つまりは、福島第一原発事故とその放射能汚染の問題が、歴史史料保村活動をしている本間にとって大きな問題だった。ここで「子どもを逃がさなくてよかったのだろうか」というのは切実な叫びである。

そして、この問題は、本間個人だけではなく、福島県民全体の問題でもあった。本間はさらにこう述べている。

 

ちょっと過激な言い方ですが、福島で生活することは許されるのか、と思うことがあります。いま福島県の人口はおそらく200万人を切ったと思います。それでも福島を再生させなければという思いはあるし、福島が再生するという前提で私は地域史料の保護活動を進めています。しかし、福島で生産活動をしている人たちに悪気があるわけではないのに、例のセシウム牛の問題などが起こったりすると、福島で人間が生活することが、全国に迷惑をかけることにならないだろうか、と思わないわけにはいきません。
(国立歴史民俗博物館前掲書)

ここで、本間は、「福島で生活することは許されるのか」という問いを発している。そして、それは、福島県における歴史史料保存活動の存在意義を揺るがすものであった。

 

厖大な人手を要して地域史料の保全措置を行うからには、その地域が再生するという希望が少しでもあれば続けていられますが、その希望が持てるかというと、何の確証もありません。これが今、やっていて非常につらいし、誰がその答えを出せるのか、どうすれば地域を再生させることができるのか、出口が見えない所にいるもどかしさを感じます。
(国立歴史民俗博物館前掲書)

そして、このように、「福島の外側にいる」人びとに問いかけた。

 

よく学界の関係者に「福島でお手伝いできることがあったら言ってください」と言われます。資料の修復を手伝ってほしいとか、お願いしたい細かなことはたくさんあります。でも、そうではなくて、いま福島の人が一番求めているのは、これから福島で生きていっていいのかという問いの答えだと思います。
(国立歴史民俗博物館前掲書)

「これから福島で生きていっていいのか」という問いを本間はなげかけたのである。

本間は、後に「会場の空気を凍らせてしまったこの問いに対して瞬時に答えられる人はおそらく誰もいなかったであろう」(本間宏「地域崩壊の危機と地域資料展ー福島県飯舘村の事例ー」、『歴史学研究』909号所収、2013年9月)と回想している。そして、試行錯誤しつつ本間自身でその答えを探し、2012年9〜12月に福島県歴史資料館において「いいたての歴史と風土」展を開催することになったと述べている。これは基本的に考古資料、古文書、民俗行事などの写真パネルのような歴史史料を展示するものであったが、会期中に飯舘村教育委員会の提案で伝統行事や村民の芸能などを披露する「村民文化祭」が開催された。

本間は「歴史資料救出を端緒とした『いいたての歴史と風土』展が村民文化祭復活につながり、人々の『生きがい』再生に希望をつなぐ形となった。会場には、久々に対面した村民たちの笑顔と涙が溢れた」(本間前掲書)と述べている。しかし、それでも、このような指摘をせざるをえなかった。

現実を直視するならば、伝統行事の継承者が全国に四散している状況に変化はなく、村の担い手が帰還できる保証もいまだ得られていない。除染によって放射線量の低減が図られても、帰還できるということと、生活が成り立つということは別問題である。この問題は、飯舘村に限らず、帰還困難区域・居住制限区域が大半を占める原発周辺市町村において、ますます深刻になっている。(本間前掲書)

「これから福島で生きていっていいのか」という問いは、いまだに本間においてアポリアなのであった。

そして、この「これから福島で生きていっていいのか」という問いは、福島県外にいる人たちに向けられたものであった。その問いに、私たちは、本当に向き合っているのか。本間のいう、「除染によって放射線量の低減が図られても、帰還できるということと、生活が成り立つということは別問題である」という現実について思考停止しているだけではなかろうか。東日本大震災・福島第一原発事故から4年を経過して、そのような思いにかられるのである。

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