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現在、朝日新聞夕刊では、写真家・作家の藤原新也へのインタビュー記事「人生の贈りものー私の半生」を連載している。本日(2015年8月13日)はその9回目で、「3.11後遺症が日本を覆っている」というテーマで、藤原の東日本大震災認識が語られている。

まず、藤原はこのように言う。

 震災災害にしろ原発災害にしろ、人が故郷を失うということの意味を日本人のどれだけの人が実感として持てたかは疑問ですね。自分は高校生のとき家が破産し郷里を捨てたが、故郷そのものが無くなったわけではない。だが東日本では故郷そのものが完全に消失したわけだ。それは自分の血肉を失うことに等しい。

藤原は、1995年の阪神大震災でも景観全体が失われたわけではないとしつつ「東日本では風景そのものが流されてしまった」と指摘する。その風景の「残骸」は「瓦礫」と呼ばれることになったが、藤原は「震災地以外の人が瓦礫と呼んだものは当地の人にとっては最後の記憶のよりどころだったわけだ」と述べている。

さらに、藤原は、東日本大震災における津波災害被災者と原発災害被災者との違いをこのように表現している。

 

津波災害と原発災害が同時にやって来たわけだが、被災者の心情はまったく異なる。かたや天災、かたや人災。天災は諦めざるをえない気持ちに至れるが、人災は諦めきれないばかりかそこに深い怨念が生じる。取材時でも津波被災者は心情を吐露してくれたが、原発被災者は強いストレスを溜め、取材で入ってきた私にさえ敵視した眼を向け、とりつく島がなかった。

そして、藤原は次のように述べている。

…おしなべてストレス耐性の弱い老人で多くの老人が死期を早めた。原発の最初の犠牲は老人なんだ。原発再稼働にあたって経済効率の話ばかりが優先されるが経済とは人間生活のためにあるわけで、その人間生活の根本が失われる可能性を秘めた科学技術は真の科学ではないという理念を持った、本当の意味で”美しい日本”を標榜する政治家が今後出てきてほしいと願う。

しかし、現状の日本社会は、藤原の願いとはまるで逆方向にいっているようにみえる。「震災以降、日本人はどのように変りましたか」(聞き手・川本裕司)の質問に、藤原は次のように答え、この記事を締めくくっている。

 

3.11後遺症が日本を覆っているように感じる。日本列島が人の体とすると、日本人は左足か右足を失ったくらいのトラウマを背負ったわけだ。ヘイトスピーチや放射能問題に触れると傷口に塩を塗られたかのように興奮する人々の出現、キレる老人など日本人がいま攻撃的になっている理由の一つは、後遺症による被害妄想が無意識の中にあるように思う。それとは逆にテレビなどで外国人によるニッポン賛美番組がむやみに多いのは、3.11による自信喪失の裏返しの自己賛美現象であり、自己賛美型の右傾化傾向ひいては戦争法案への邁進とも底流でつながっている。

3.11以降の日本社会の意識状況について「3.11後遺症が日本を覆っている」と藤原は指摘している。私も2011年以降の日本社会の意識状況について同じように感じていた。ただ、「3.11後遺症」で中心をなす「故郷そのものが完全に消失する」ことへの恐怖は、単に東日本大震災からのみ出現しているわけではないだろう。すでに、兆候としては、バブル崩壊後の「失われた20年」における長期経済不況、リーマンショック時の雇用不安、さらに地方都市のシャッター街化という形で現われてきていた。そして、2011年はGDP世界第二位の地位が日本から中国に移った年でもある。よくも悪くも高度経済成長以降の「経済大国」化のなかで成立してきたこれまでの「故郷」=日本社会のあり方の根底が崩れる可能性が出現してきたといえる。

とはいえ、それらはまだ「可能性」ということはできる。東日本大震災は「故郷そのものが完全に消失する」光景を目の当たりにさせた。今までは「可能性」であった「故郷そのものが完全に消失する」ということを東日本大震災は可視化したのである。その意味で、東日本大震災は、それ自体が巨大な出来事なのだが、そればかりではなく、日本社会全体のあり方の象徴にもなっていると私は考える。

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昨年、安倍政権は、「安倍晋三の応援団」を自認している哲学者の長谷川三千子埼玉大学名誉教授をNHK経営委員につけた。同時にNHK経営委員になった百田尚樹には及ばないが、彼女の言動もしばしば問題になっている。その一つに、1993年に朝日新聞が揶揄的な報道をしたと抗議している中で拳銃自殺をした右翼団体代表野村秋介を称賛した文章を、2013年10月に配布されたその追悼文集に寄稿していたということがある。このことは、テロ行為を正当化するのかなどと批判された。

その文章を、朝日新聞が2014年2月5日に配信した記事に依拠して、一部抜書してみよう。

(前略)
人間が自らの死をささげることができるのは、神に対してのみである。そして、もしもそれが本当に正しくささげられれば、それ以上の奉納はありえない。それは絶対の祭りとも言ふべきものである。

野村秋介氏が二十年前、朝日新聞東京本社で自裁をとげたとき、彼は決して朝日新聞のために死んだりしたのではなかつた。彼らほど、人の死を受け取る資格に欠けた人々はゐない。人間が自らの命をもつて神と対話することができるなどといふことを露ほども信じてゐない連中の目の前で、野村秋介は神にその死をささげたのである。

「すめらみこと いやさか」と彼が三回唱えたとき、彼がそこに呼び出したのは、日本の神々の遠い子孫であられると同時に、自らも現御神(あきつみかみ)であられる天皇陛下であつた。そしてそのとき、たとへその一瞬のことではあれ、わが国の今上陛下は(「人間宣言」が何と言はうと、日本国憲法が何と言はうと)ふたたび現御神となられたのである。

野村秋介氏の死を追悼することの意味はそこにある。と私は思ふ。そして、それ以外のところにはない、と思つてゐる。
http://www.asahi.com/articles/ASG256WMVG25UCVL016.html

ある意味で言論機関への暴力をはらんでいる野村の行為を正当化しているという批判は当然だと思える。ただ、それよりも目立つことは、この文章の「異様さ」である。長谷川は、野村の行為を自身の死を「神に捧げる行為」であるとし、その死により、「天皇陛下」がふたたび現御神になったというのである。そこには、「死の影」が色濃く表明されている。なぜ、ここまで「死の影」を強調するのであろうか。そして、「死を捧げる」ことで出現するという「神」とは一体なんだろうか。

この論理は、何を意味しているのか。次回、長谷川三千子の近著『神やぶれたまはずー昭和20年8月15日正午』(中央公論新社、2013年)から「読み解いて」みることにしたい。

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さて、猪瀬都知事の辞任を受けて、2月9日に都知事選が行われることになった。脱原発などを公約に掲げた前日弁連会長の宇都宮徳児がいち早く立候補を表明、共産党・社民党が推薦した。また、石原慎太郎個人の応援を受けた形で元空幕長の田母神俊雄も立候補の記者会見を行い、元首相の細川護煕も脱原発を旗印に掲げて立候補を検討していると伝えられている。他方で、元厚相・元参議院議員舛添要一も無所属で立候補し、自民党などの推薦を受けることになると報道されている。

今回の都知事選の一つのテーマは、原発問題である。宇都宮・細川は「脱原発」を標榜している。そして、田母神は、自身のブログで、2013年3月20日に、低線量放射線は有害ではなく、むしろ有益だなどとしながら、次のように指摘している(田母神の原発論については、機会をみて紹介したいと考えている)。

我が国では長い間歴史認識の問題が、我が国弱体化のために利用されてきた。しかし近年では多くの日本国民が真実の歴史に目覚め始めた。そこに起きたのが福島原発の事故である。左向きの人たちは、これは使えるとほくそ笑んだ。そして今ありもしない放射能の恐怖がマスコミ等を通じて煽られている。原発なしでは電力供給が十分に出来ない。電力が不足してはデフレ脱却も出来ない。不景気が今のまま続き学校を卒業してもまともな就職も出来ない。放射能認識は第二の歴史認識として我が国弱体化のために徹底的に利用されようとしている。
http://ameblo.jp/toshio-tamogami/entry-11494727117.html

他方、自民党の推薦を受けるとされる舛添はどうなのだろうか。彼が当時代表を勤めていた新党改革の公約集「新党改革約束2012」(2012年11月27日発表)では、次のように宣言している。

改革その3 原発に依存しない社会の構築

福島の原発事故をしっかりと反省し、原発に依存しない社会を構築します。近い将来には、原発をなくすためエネルギー政策の大転換を図ります。そのために、地域が主体となる再生可能エネルギーの開発を進め、個々人の意識改革と社会全体や生活の仕方の構造改革等を行い、実現します(後略)。
http://issuu.com/shintokaikaku/docs/manifest/14?e=1872444/2703599

漸進的な「脱原発」とでもいえるであろう。しかし、舛添は、3.11以前から、このように主張していたわけではない。舛添要一は、1996年に『諸君』1996年10月号に寄稿した「巻原発『住民投票』は駄々っ子の甘えである」という文章を発表している。。この当時、東北電力は、新潟県巻町(現新潟市)において原発建設計画を進め、町当局に工作していた。しかし、反対運動は、推進派町長のリコール運動や住民投票実施を求める運動などを展開して対抗した。その結果、1996年8月4日に原発建設の是非を問う住民投票が実施され、原発反対派が約60%の得票を得た。2003年12月に東北電力は巻原発建設撤回を正式に表明するが、その一つの契機となっている。

この、巻町の住民投票について、舛添は、表題において「巻原発『住民投票』は駄々っ子の甘えである」としている。そして、リード文では「住民投票を礼賛する世論が衆愚政治を生み、大衆民主主義をおぞましい独裁に変えるのだ」と主張している。

舛添は、そもそも「住民投票」について、不満をあらわにしている。次の文章をみてほしい。

 

町民によって正当に選挙された町議会が、そして町民が直接選挙によって選んだ町長が決定したことには、たとえそれに反対であっても従うのが民主主義のルールというものである。その手続きが住民投票によって無視されるとすれば、それこそ巻町の民主主義は危機に瀕していると言ってよい。町民の直接選挙によって選ばれた町長の正統性はいわずもがな、町議会が多数決原理にもとづいて決めたことが軽んじられ、住民投票のほうが正統性に上であるのような錯覚を持つとしたら、代議制民主主義は成り立たない。

そして、住民投票の制度化を真剣に検討すべきとした朝日新聞朝刊1996年8月5日号の社説「巻町の住民投票が示した重み」を批判しながら、こう指摘する。

…そのような考え方こそが、衆愚政治を生むのであり、大衆民主主義をおぞましい独裁に変えるのである。
 20世紀のドイツにおいて、「選挙では味わえない充実感」(前述の朝日新聞社説中の表現…引用者注)を求めて、大衆がたどり着いた先は、天才的デマゴーグ、ヒトラーである。ニュルンベルクのナチ党大会において、「ハイル、ヒトラー!」と叫ぶ何十万という大衆は、確かに「選挙では味わえない充実感を感じとった」であろう。しかし、この現代の独裁の帰結は、ユダヤ人の大量虐殺であり、戦争であった。直接民主主義は独裁に正統性を与える危険性がある。そのリスクを回避する知恵のひとつが、間接民主主義、代議制民主主義なのである。

さらに、舛添は、フランスのルイ・ナポレオンが1851年のクーデター後、翌年の人民投票によって憲法を改正して帝政を復活し、ナポレポン三世になっていったことをあげ、「人民投票が第二帝政を誕生させたことを忘れてはなるまい。ナポレオン三世を生んだフランスの大衆もまた、人民投票に参加することによって、「選挙では味わえない充実感」に浸ったに違いないのである」と述べている。

ただ、舛添は、住民投票による世論の表明の力を軽視していたわけではない。投票結果について法的拘束力はないとしながらも「しかしながら、これはあくまで形式論であり、住民が投票によって決めたことを、首長や議員が覆すことは不可能と考えてよい。実質的には、住民投票は拘束力を持たざるをえないのである」と指摘している。

このように論じた上で、舛添が住民投票による世論の表明の力を無化するために持ち出しているのが「国のエネルギー政策の一環としての原発」である。舛添は、次のように主張する。

 

原発建設は国のエネルギー政策の一環であり、ある特定の地域の意向に左右されるべきでものではない。基地問題についても同様で、国の防衛政策に関わる問題なのである。一地域の住民が、住民投票という手を使って国の政策の根幹を覆すことができるとすれば、そのような国はおよそ国家とは言いがたいのである…人口三万人の町が住民投票によって国の政策を拒否することができるとすれば、残り1億2500万人の日本国民はどこでどのように自らの意思を表明すればよいのだろうか。国会や国会議員は何のために存在しているのであろうか…ある地域が国の政策に対して反乱を起こすときは、最終的にはその国から独立する覚悟がなくてはならない。国からの補助金は懐に入れる、しかし国の政策には反対するというのでは筋が通らないし、それは駄々っ子の甘え以外のなにものでもない。

そして、住民投票賛成派が持ち出してくると舛添が想定する「人権・自然権」について、「人権や自然権は自分以外の他の日本国民にもあることを忘れている。電気のある快適な文明生活を送ることも、外敵の侵略から生命や財産を守ることも、人権であり、自然権である。これら相対立する人権や自然権を調整することこそ政治の仕事なのである」と反論している。ここでは明示的に書いていないが、そのような「調整としての政治」が「間接民主主義」の課題なのであろう。

舛添は、原発建設の是非を問う巻町の住民投票について、巻町だけでなく、国のエネルギー政策の根幹に関連する問題なのだという。ウラン・化石燃料などの天然のエネルギー資源には限りがある中で、舛添は、再生可能エネルギーにもました日本で生み出すことができるプルトニウムに期待をかける。そして、すでに、日本の電力の34%が原子力により生産されているとした上で、このように述べている。

 

このような日本のエネルギーをめぐる状況を考えると、あえて議論を単純化して言えば、電力の約三分の一を供給している原子力発電所を、(1)拒否するならば、省エネに心がけて電力消費量を三分の一減らす、(2)今のような多電力消費型生活を続けるために受け入れる、という選択肢しかないはずである。

最後に、舛添は、原発反対派の人びとにこのように呼びかける。

 

もし巻町の原発反対派の人たちが、住民投票に向けての運動の中で、同時に省エネ運動を実行していたら、はるかにその主張は説得力を増したであろうし、また地域エゴという非難にさらされることもなかったであろう。エネルギー問題は国民全体の関心事でなければならない。
(中略)
 「地方の反乱」が地域エゴと非難されないためには、少なくとも反乱のリーダーが、自分たちの主張を国の政策とどう調整させていくのかという視点を欠いてはなるまい。そして、そのようなリーダーシップは、マスコミ向けのパフォーマンスからは生まれないのである。

1996年の舛添は、まず第一に、住民投票のような人びとが直接に民意を表明することについて、ナチズムやポナパルティズムのような「独裁」につながっていくと述べている。このような考え方は、舛添だけではない。東京大学法学部教授長谷部恭男も『憲法とは何か』(岩波新書、2006年)の中で同様の意見を述べている。彼らにすれば、選挙代表によってなされる間接民主主義だけが民主主義なのである。

第二に、舛添は、国策全体にかかわることは、自治体だけで決めるべきではないとする。ここで行われた住民投票は、巻町に原発を設置するかどうかということであり、日本全国において原発を建設するかどうかを問うたものではないのであるが。ここでは引用しなかったが、随所で舛添は1995年の沖縄米兵少女暴行事件後に激しく展開された沖縄の反基地運動についても同様の論理で批判している。その上で、国策に反するような運動は、補助金の停止など、相応の覚悟が必要であるとしている。彼によれば、そのような覚悟のない運動は「駄々っ子の甘え」なのである。

第三に、舛添は、資源の乏しい日本において、プルトニウムは貴重なエネルギー源であるとしつつ、最早電力の三割以上にもなった原子力発電については、徹底的な節電をするかしないか二者択一だとしているのである。

1996年の舛添要一はこのように考えていた。舛添は、考え方を変えたのであろうか。舛添が推薦を取り付けようとしている自民党の安倍政権は、原発再稼働を進めようとしている。例え、現時点で舛添が「脱原発」を掲げたとしても、エネルギー源確保としての原発が国策として維持されるならば、自治体レベルで異論をさしはさむことはできないことになるだろう。そして、そのような原発政策に対する反対運動は、彼にとっては、公選首長や議会の正統性を脅かし、間接民主主義を破壊し、ナチズムやボナパルティズムのような独裁へ導いていくものとして認識されることになるだろう。脱原発は、ただ、それを政策として掲げればよいというものではない。民意を少しでも反映し、それぞれの地域の自立性を尊重して政治を進めていくという、民主主義と地方自治の課題が横たわっていることを、1996年の舛添の議論は逆説的に示しているといえる。

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山本太郎が園遊会にて天皇に手紙を渡した件については、参院が何らかの処分をするだろうということが伝えられている。例えば、日本経済新聞は、次の記事をネット配信している。

山本太郎氏「議員辞職しない」 参院が処分検討
2013/11/5 19:16

 参院議院運営委員会の岩城光英委員長は5日、天皇陛下に手紙を渡した山本太郎参院議員と会い、出処進退に関する意見を聞いた。山本氏は「自分自身で職を辞することはない」と述べた。議運委は6日の理事会で、山本氏の処分を検討する。
http://www.nikkei.com/article/DGXNASFS0502G_V01C13A1PP8000/

さて、今回の園遊会において山本太郎が天皇に原発関連の手紙を手渡したことが「天皇の政治利用」にあたるとされた件の前例の一つとして、このブログでは、2004年10月園遊会における東京都教育委員を勤めていた米長邦雄の発言をあげた。もう一度、朝日新聞の記事(2004年10月28日配信)をみておこう。

国旗・国歌「強制でないのが望ましい」天皇陛下が園遊会で

 天皇陛下は28日の園遊会の席上、東京都教育委員を務める棋士の米長邦雄さん(61)から「日本中の学校で国旗を掲げ、国歌を斉唱させることが私の仕事でございます」と話しかけられた際、「やはり、強制になるということではないことが望ましい」と述べた。

 米長さんは「もうもちろんそう、本当に素晴らしいお言葉をいただき、ありがとうございました」と答えた。

 天皇が国旗・国歌問題に言及するのは異例だ。

 陛下の発言について、宮内庁の羽毛田信吾次長は園遊会後、発言の趣旨を確認したとしたうえで「陛下の趣旨は、自発的に掲げる、あるいは歌うということが好ましいと言われたのだと思います」と説明。さらに「国旗・国歌法制定時の『強制しようとするものではない』との首相答弁に沿っており、政策や政治に踏み込んだものではない」と述べた。

 「日の丸・君が代」をめぐっては、長年教育現場で対立が続いてきた。東京都教委は昨秋、都立校の式典での「日の丸・君が代」の取り扱いを細かに規定し、職務命令に従わない教職員を大量に処分。99年に教育委員に就任した米長さんは、こうした方針を推進する発言を繰り返してきた。

(10/28)
http://www.asahi.com/edu/news/TKY200410280332.html

この件につき「ネット記事などを参照できないので、もはや記憶でしかいえないのであるが、この米長について、教育委員などの公職を辞任せよという声はなかったように思う」と、前々回のブログでは述べた。その後、当時の三大紙(朝日新聞・毎日新聞・読売新聞)をあたってみた。この三大紙のうち、読売新聞は、10月29日付朝刊でほとんど論評ぬきに小さく園遊会でのやり取りを伝えている。

毎日新聞は10月29日付朝刊の1面でこのやり取りを伝えているとともに、同日夕刊において当時の閣僚の反応も報道しているが、朝日新聞ほどではない。

朝日新聞は、最も詳しくこの件を報道している。10月28日付で発信された前述の記事は10月29日付朝刊に掲載された。その後、閣僚などの反応も比較的詳しく伝えるとともに、この件を社説にとりあげて論評している。そこで、ここでは、朝日新聞を中心にみていくことにしたい。

前述のように、10月29日付朝刊で第一報を伝えた朝日新聞は、同日付夕刊で、当時の小泉自民党内閣の閣僚らの発言を伝えている。まず、それをみておこう。

憲法の趣旨「反しない」 陛下発言で閣僚ら

 天皇陛下が園遊会で、国旗・国歌について「強制になるということではないことが望ましい」と発言したことについて、29日午前の閣議後の記者会見で、閣僚の発言が相次いだ。細田官房長官は「宮内庁からは、これまでの政府見解とも一致しており、特定の施策について見解を述べたものではない、との報告を受けている。特に問題ないと考えている。天皇陛下は象徴としてのお立場を十分ご理解になったうえでご発言になっており、天皇は国政に関する権能を有しないという憲法の趣旨に反することはない」と述べた。
 細田長官は、教育現場で国旗・国歌が強制されている現状が発言につながったのではないかという見方について、「あまり憶測することは適当ではない気がする」と述べるにとどめた。
 中山文部科学相は「国旗・国歌については、喜んで自発的に掲揚したり斉唱したりすることが望ましいと言うことを述べられたのだと思う」と語った。東京都教委が「日の丸・君が代」の扱いに絡んで、昨秋、職務命令に従わない教職員を大量に処分したことについては「校長が学習指導要領に基づいて、法令の定めるところに従って、所属する教員に対して職務を命ずることは、当該教職員の思想信条の自由を侵すことにはならない」との見解を繰り返した。
 南野法相も「陛下は国旗・国歌(の掲揚・斉唱)は自ら進んで行うのが望ましい、という気持ちをおっしゃったのだと思う」と語った。東京都教委の処分については「おひとりおひとりの価値観。自主性にお任せしてもいいのではないか」と述べた。

この記事では、まず、基本的に、「国旗・国歌は強制でないのが望ましい」という天皇の発言が国政上の問題にふれたもので、憲法に抵触するかいなかということが問われていて、閣僚らは「憲法に抵触しない」と答えているといえよう。そして、米長の発言が「天皇の政治利用」にあたるのではないかとだれ一人指摘していないのである。そして、中山成彬文科相(当時)は、米長ら東京都教委が推進していた国旗・国歌政策を支持してもいるのである。

そして、10月30日付朝日新聞朝刊では、小泉純一郎首相(当時)と岡田克也民主党代表(当時)の対応が報道されている。

天皇の国旗・国歌発言 「ごく自然に受け止めを」 首相

 天皇陛下が秋の園遊会で学校での国旗・国歌について「強制になるということではないことが望ましい」と述べたことについて、小泉首相は29日、「ごく自然に受け止められたいいんじゃないですか。私もそう思いますね。あまり政治的に取り上げない方がいいんじゃないですか」と語った。首相官邸での記者団の質問に答えた。

「陛下のお考え伝わる方向に」 民主・岡田代表

 民主党の岡田代表は29日、天皇陛下が園遊会の席上、国旗・国歌問題で「やはり強制になるということが望ましい」と発言したことについて「陛下も人間ですし、当然いろんなお考えをお持ちですから、何も言えないということはおかしいと思う。一般論として申し上げるが、自由に自分の考えが伝えられるような方向に持っていくべきじゃないか」と語った。視察先の横浜市青葉区で記者団が「天皇の政治的発言という声もあるが、どう思うか」と質問したのに答えた。

このように、立場は違うが、両者とも天皇の発言を擁護するということでは一貫している。そして、両者とも、米長の園遊会での発言自体を問題にしたとは報道されていないのである。

閣僚も野党党首も、米長の発言を「天皇の政治利用」という意味で批判しない中、朝日新聞は社説「国旗・国歌 園遊会での発言に思う」(2004年10月30日付朝刊)で、米長の発言を批判した。この社説では、園遊会でのやりとりを伝え、天皇の発言は政府見解にそったもので憲法の趣旨に反しないと主張した後、次のように述べている。

 

今回の場合、波紋の原因はむしろ、米長さんが国旗・国歌のことを持ち出したところにあるのではないか。
 米長さんが委員を務める東京都教育委員会は、今春の都立校の卒業式で国旗を飾る場所や国歌の歌わせ方など、12項目にもわたって事細かく指示し、監視役まで派遣した。そして、起立しなかった250人の教職員を処分した。処分を振りかざして国旗の掲揚や国歌の斉唱を強制するやり方には、批判も多かった。
 国旗・国歌のように鋭い対立をはらんでいる問題は、天皇の主催行事である園遊会の場にふさわしくない。
 米長さんの発言に対して天皇陛下があいまいな応答をすれば、そのこと自体が政治的に利用されかねない。陛下が政府見解を述べたことは、結果としてそれを防いだとも言えよう。
 米長さんの発言は「教育委員のお仕事、ご苦労さまです」という陛下の言葉に答えて飛び出した。国旗・国歌問題を意図的に持ち出したどうかはわからない。もし意図的でなかったとしても、軽率だった言わざるを得ない。
 東京都の石原知事は「天皇陛下に靖国神社を参拝していただきたい」と述べている。靖国参拝は外交にも絡む大きな政治問題だ。とても賛成できない。宮内庁が慎重な姿勢を示したのは当然だ。
 天皇が政治に巻き込まれば象徴天皇制の根幹が揺らぐ。園遊会発言を機に、このことをあらためて確認したい。

このように、朝日新聞は、米長の発言を「政治利用」につながりかねないと批判したのである。

さて、ここでまとめてみよう。米長邦雄が園遊会で発言した際、そのこと自体が「天皇の政治利用」にあたるとは、小泉自民党内閣の首相、閣僚たちも、野党民主党の党首も、指摘していなかった。ゆえに、当時の与野党のだれからも、米長邦雄に東京都教育委員などの公職の辞任をせまる声は出ていないのである。

といっても、朝日新聞の社説にみるように、米長の発言が「天皇の政治利用」にあたるのではないかという意見は出ていた。しかし、それでも、その発言ゆえに公職を辞任せよとまではいっていないのである。

今回の山本太郎の場合、今度は与党の閣僚や議員を中心に「天皇の政治利用」を意図したと批判され、参議院議員の辞職要求まで出ている。その論理は、まるで2004年の米長発言を批判した朝日新聞の社説を読んでいるようだ。

結局、園遊会で天皇に伝えようとした内容にしたがって評価が違っているというしかないだろう。学校現場で国旗掲揚、国歌斉唱を進めるという米長の発言にはペナルティーが課せられることはなく、原発問題の深刻さを伝えようとして手紙を渡そうとした山本の行動については議員辞職も含めたペナルティーが要求されている。

内閣を通じて表明されていないことは同じだが、国旗・国歌ならば「政治利用」ではなく、原発問題ならば「政治利用」とされる。まさに、ここで、「天皇の政治利用」についてのダブルスタンダードが明白に現れているのである。

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さて、山本太郎の行動に対する閣僚や議員たちの反応は前回のブログでみてきた。しかし、いわゆる「識者」という人びとの対応では、二様の評価に分かれている。まずは、朝日新聞がネット配信した記事をみてみよう。

山本太郎議員の行動、識者の見方は 園遊会で陛下に手紙
2013年11月2日08時01分

 10月31日の園遊会で、天皇陛下に手紙を渡した山本太郎議員の行動について、明治時代に天皇に直訴した田中正造になぞらえる向きもある。元衆院議員の田中は1901年、足尾銅山(栃木県)の鉱毒に苦しむ農民を救おうと明治天皇の馬車に走り寄り、その場でとらえられた。

陛下に手紙「政治利用」か?
 「田中正造における憲法と天皇」の論文がある熊本大の小松裕教授(日本近代思想史)は、(1)田中は直前に辞職し個人で直訴したが、山本氏は議員の立場を利用した(2)明治天皇には政治権力があったが、今の天皇は象徴で何かできる立場ではない、という点で「同一視できない」とみる。

 山本氏には「公人の立場を考えるべきだった」と指摘しつつ、政府内の批判にも違和感があるという。天皇陛下が出席した4月の主権回復式典を踏まえ、「政府の方こそ利用しようとしており、あれこれ言う資格はない」。

 一方、栃木県の市民大学「田中正造大学」の坂原辰男代表(61)には、環境や住民を顧みず開発を続けた当時の政府と、福島で大きな被害を出しながら原発再稼働を進める現政権が重なる。「善悪の判断は難しいが、正造が生きていたら同じ行動をしたと思う」

     ◇

■批判、公平でない

 山口二郎・北海道大教授(政治学)の話 今の天皇、皇后のお二人は戦後民主主義、平和憲法の守り手と言っていい。しかし主張したいことは市民社会の中で言い合うべきで、天皇の権威に依拠して思いを託そうと政治的な場面に引っ張り出すのは大変危うく、山本議員の行動は軽率だ。一方で、主権回復式典の天皇出席や五輪招致への皇族派遣など、安倍政権自体が皇室を大規模に政治利用してきた中、山本氏だけをたたくのは公平ではない。山本氏も国民が選んだ国会議員であり、「不敬」だから辞めろと言うのは、民主主義の否定だ。

■政治利用と言うには違和感

 明治学院大の原武史教授(政治思想史)は、「今回の行為を政治利用と言ってしまうことには違和感がある。警備の見直しについても議論されるなど大げさになっており、戦前の感覚がまだ残っていると感じる。政治利用というならば、主権回復の日の式典に天皇陛下を出席させたり、IOC総会で皇族に話をさせたりした方がよほど大きな問題だと感じる」と話した。

 原教授は自身のツイッターで、「山本太郎議員の『直訴』に対する反発の大きさを見ていると、江戸時代以来一貫する、直訴という行為そのものを極端に忌避してきたこの国の政治風土について改めて考えさせられる」ともつぶやいた。
http://www.asahi.com/articles/TKY201311010580.html

この朝日新聞の記事は、①先行者とされる田中正造との関連における評価、②現代の社会状況における評価を二組の識者に聞いたものである。①については、小松裕が田中正造と同一視できないと答えているが、坂原辰男は現政権と足尾鉱毒事件時の明治政府の対応は重なっており、田中正造が生きていたら同じ行動しただろうとしている。

②については、どちらも現政権の政治利用のほうが問題は大きいとしながらも、山口二郎が天皇の権威を利用して主張すべきではなく山本の行動は軽率だと批判しているのに対し、原武史は政治利用というには違和感がある、前近代以来直訴というものを忌避してきた日本の政治風土の問題であるとした。

この朝日新聞の記事では、歴史的にも、現状との関連においても、山本の行動への評価は大きく二つに分かれている。これは、私が個人的に使っているフェイスブックを通じて表明される「友達」の反応もそうなのだ。ある人たちは反原発運動を進めるためや、政府による「天皇の政治利用」の問題性をあぶり出す効果があるなどとして山本の行動を評価する。しかし別の人たちは、現行憲法では天皇は国政に関与できないのであり、あえて反原発運動に同意を求めることは、戦前の体制への回帰につながるなどとして、山本の行動を批判的にみているのである。

実は、1901年12月10日の田中正造の直訴においても、このように二つに分かれた評価が同時代の社会主義者たちでみられた。現在、田中正造の直訴は、彼の単独行動ではなく、毎日新聞記者(現在の毎日新聞とは無関係)で同紙において鉱毒反対のキャンペーンをはっていた石川半山(安次郎)、社会主義者で万朝報(新聞)記者であった幸徳秋水(伝次郎)と、田中正造が共同で計画したことであったことが判明している。幸徳は、直訴状の原案を書くなど、この直訴に多大な協力をした。田中正造の直訴後の12月12日、幸徳秋水は田中正造に手紙を書き送っているが、その中で直訴について次のように述べている。

兎に角今回の事件は仮令天聴ニ達せずとも大ニ国民の志気を鼓舞致候て、将来鉱毒問題解決の為に十分の功力有之事と相信じ候。(『田中正造全集』別巻p42)

幸徳は、直訴が天皇に達しなくても、国民の世論を大いに刺激することで、鉱毒問題の解決に効果があるとここでは述べている。社会主義者の幸徳が「天聴」という言葉を使っていることは興味深い。とりあえず、幸徳は直訴を評価しているといえる。

一方、キリスト教系社会主義者で、毎日新聞記者でもあった木下尚江は、鉱毒反対運動にも関わっていたが、直訴には批判的であった。次の資料をみてほしい。

(田中正造の直訴は)立憲政治の為めに恐るべき一大非事なることを明書せざるべからず、何となれば帝王に向て直訴するは、是れ一面に於て帝王の直接干渉を誘導する所以にして、是れ立憲国共通の原則に違反し、又た最も危険の事態とする所なればなり(木下尚江「社会悔悟の色」、『六合雑誌』第253号、1902年1月15日)

木下尚江の直訴批判は、まるで山口二郎の山本批判のようである。明治期においても、天皇の政治への直接干渉をさけることを目的として天皇への直訴を批判するという論理が存在していたのである。

このように、天皇に対する「直訴」は、1901年の田中正造の場合でも評価がわかれていたのである。運動のために有利なことを評価するか、天皇の政治への直接介入をさけることを目的として批判するか。このような二分する評価は、100年以上たった山本太郎の行動をめぐっても現れているのである。

なお、田中正造と山本太郎の「直訴」行動自体の比較は、後に行いたいと考えている。

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前回は、2013年9月9日付朝日新聞夕刊から、その紙面中において、2020年東京オリンピック開催決定を心から喜んでいる人は誰なのかをみてみた。基本的には、経済効果を期待する経済界、自分たちの活動の場が広がるアスリート、五輪関連施設が所在もしくは建設予定の地域の人びとなど、何らかの関係者が多く、加えて、1964年東京オリンピックを経験した年代の人びとが紙面で喜びを表明していたといえる。いわば、何らかの意味で(幻想的なものも含めて)利益を感じる人びとと、1964年東京オリンピックへの回顧趣味を感じている人びとによって「喜び」の声が表明され、それらが新聞紙面を埋め尽くすことによって、「祝祭」感が醸成されているのである。

そういう状況は、9月10日付朝日新聞朝刊東京版にもみることができる。ここでは、28〜29面にわたって「五輪へ夢の始まり 7年後待ってるよ」という見出しのもとで巨大な記事が掲載されている。この記事は、基本的には三つに大別できる。

第一に、アスリートや東京都庁など招致委員会側の動向や発言を伝えている。その部分では、招致アンバサダーを勤めたパラリンピック代表(女子陸上車いす)土田和歌子が喜びの声を発言しており、最終プレゼンを勤めた猪瀬都知事や太田・佐藤選手などによる報告会が都庁都民広場で開かれる予定であることが伝えられている。さらに、板橋区役所で、聖火ランナー写真などの展示が行われること、招致ポスターの撤去や手直しが始まったことが報道されている。

第二に、IOC総会のパブリックビューイングや五輪開催決定祝勝会に参加した人びとの喜びの声が多数収録されている。ここでは、一部紹介しておこう。

 「TOKYO」と読み上げられた瞬間、かたずをのんで見守っていた人たちから歓喜があふれた。8日の五輪開催都市決定は、早朝にもかかわらず、多くの人たちが「その時」を共にした。

 ●選手村予定地・晴海
 「やったー」「すげえ」8日午前5時19分。中央区晴海にあるホテルの宴会場では、この瞬間を待ちわびた子どもたち約20人の歓声が飛び交った。
 44ヘクタールの都所有地がある晴海地区では、選手村の建設が決まっている。「地域の子どもも参加できるイベントを」とパブリックビューイングを企画した新井正勝さん(52)は、地元小学校のPTA会長を4年間務めた。「7年後、選手村や街をつくっているのは子どもたち。『晴海っ子』たちには、どうしたら素晴らしい街にできるか考えてもらいたい」と新井さん。
 晴海にある小学校に通っていた古旗笑佳さん(13)は、「7年後はきっと大学生。今からたくさんの国の言葉を勉強して、通訳ボランティアに携わりたい」と希望に胸をふくらませた。
(後略)

その後、墨田(墨田区立総合体育館)、競技会場予定地・江東(豊洲)、品川、都庁前での景況とそこに集まった参加者の声が報じられている。今回のオリンピックは臨海部を中心とすることが報じられているが、この記事でとりあげている多くの場所がそのエリアであることに注目してほしい。品川も羽田空港に近く、町おこしが期待されている。引用部分にあるように、大人たちが町おこしへの期待を語り、子どもたちはより純粋に何らかの意味での参加を表明するという形で記事は書かれている。つまり、まず、東京オリンピックで町おこしが期待できる地域が「心から」喜びを表明し、パブリックビューイング開催などの形でそれを形に示したといえよう。

さて、この東京地方版では、招致委員会側でもなく、開催により直接の受益もない一般の人びとの意見も収録している。まず、「2020年、東京でオリンピックとパラリンピックの開催が決まった。7年後の夏、世界最大のスポーツの祭典を迎える東京はどうなっているだろう。半世紀前の記憶に重ねる人、冷静に見つめる若者…。9日、都内各地で聞いた。」と述べている。その上で、浅草・巣鴨で老人に、秋葉原で若者にインタビューした記事を載せている。

浅草・巣鴨における老人の意見を一部紹介しておこう。

 

浅草・巣鴨のお年寄りは

 世界各地の観光客を相手にする浅草の仲見世通り。世代交代が進み、1964年の東京五輪の記憶が残る人は多くない。
 カメラ店を営む青木じゅんこさん(65)は当時高校1年生。「バレー部に入っていた頃、テレビにかじりついて、『東洋の魔女』のプレーを必死に追ったわ」と笑う。秋田県から上京し、夫の恒久さん(66)と店に立って約40年。「建物も食べ物も町並みもがらっと変わった。次はどんな五輪になるんだろう。今から楽しみです」
(後略)

この後、浅草の1名、巣鴨の2名のインタビューが掲載されているが、基本的には同じである。高度経済成長期の自らの生きざまに重ね合わせて1964年東京五輪を懐古し、2020年東京五輪への期待を語るということになっている。ここまでは、前日の夕刊の状況とそれほどかわらない。招致関係者、五輪開催の受益者たち、過去を懐古する老人たちによって、新聞の多くの部分が埋め尽くされ、「祝勝ムード」が醸成されているのである。やはり、新聞というものは、結局、一部の人びとのイントレストを、「国民」多数のものに転化させる装置であるといえる。

しかし、朝日新聞の紙面でも、秋葉原の若者たちは全く違った反応を示している。その部分を次に掲載する。

 

アキバの若者たちは

 「クールジャパン」と呼ばれる日本のアニメ文化の発信地・秋葉原。アキバの人たちにとって、同人誌即売会「コミックマーケット(コミケ)」の開催地として定着している「東京ビックサイト」(江東区有明)がレスリングなどの会場になるため、「五輪開催時はコミケがビックサイトでできない」とネットで話題になっていた。
 これまで3度コミケに行ったという、さいたま市の男子大学生は「別の場所、できれば関東でやってくれればいいと思う。スポーツ観戦も好きなので東京五輪は楽しみ」と話す。一方、埼玉県八潮市の女子高校生(17)は「五輪はいいけど、コミケはビックサイト、とインプットされてるので残念」と話す。「7年後はいい年だし、想像つかないけど、景気が良くなっていればいいな」
 中には、五輪の開催自体に疑問の声も。「都合のいいときだけ東北を使うなーと」。ピンク色のメード服で着飾ったフリーターのれいさん(21)。「距離が離れているから(東京の放射能レベルは)大丈夫と言いつつ、『東北のため』というのは矛盾しているんじゃないかな」と話す。「お金を使うなら直接、被災地に使って欲しい。東京五輪が決まったと聞いても、うれしい気持ちはない」と冷めていた。

まず、全体的に、秋葉原の若者は、五輪開催自体ではなく、そのためにコミケが開催できなくなるかどうかに一番の関心をもっている。前二者は、たぶん世論調査では「五輪開催支持」に分類されるのだと思うが、関心の中心はコミケ開催にある。現在の自分の関心事が最優先しており、五輪開催自体は副次的問題になっているといえよう。その点、浅草・巣鴨の老人たちの感想と対照をなしている。

そのような心情の中から、ようやく、明示的な五輪開催への批判がうまれてくるのである。最後の一人は、東北から距離が離れているから東京開催は大丈夫だというにもかかわらず「東北のため」を標榜するのは矛盾だとし、お金を使うなら直接被災地に使ってほしいと述べ、東京五輪が決まってもうれしい気持ちはないとしている。このような批判的意見が、秋葉原の若者の多数意見かどうかはわからない。しかし、自分自身の一番望むものがあるからこそ、五輪開催を相対的にみる雰囲気があり、それが、批判的意見が表明される下地になっていたと考えられるのである。

全体でいえば、9月10日付朝日新聞朝刊東京地方版で報道されている2020年東京オリンピック開催決定に対する東京の人びとの反応は、おおむね三つに大別される。

第一は、五輪関連施設建設予定地の地域住民である。彼らは、街おこしへの期待から、五輪開催決定を喜んでおり、地域でパブリックビューイング開催するなど、期待を積極的に形として示したといえる。

第二は、1964年東京オリンピック開催を経験した老人たちである。彼らは、高度経済成長期を生きた自身の生きざまから先のオリンピックを懐古し、その点から、オリンピック開催を期待している。

第三は秋葉原の若者たちである。彼らにとっては、五輪開催自体よりもそれによりコミケ開催がどうなるかということが第一の関心事であり、五輪開催に賛成しているとしても、それは副次的な問題にすぎない。このような、五輪開催に対する相対的な見方を下地にして、五輪開催についての批判的意見が述べられているといえよう。

もちろん、これは朝日新聞の取材であり、世論調査でもないので、この報道が統計的に有意なものとはいえない。取材にしても、サラリーマンが多く通る新橋とか、消費者を主な取材対象とする銀座での街頭取材については報道していない。それでも、なんとなく、この三つの対応は、東京オリンピック開催についての東京の人びとの反応の類型を示しているように思われる。

もともと、私の疑問は、誰が心から東京オリンピック開催決定を喜んでいるのかということであった。前のブログをあわせて考えると、まずは、経済界、アスリート、五輪関連施設所在地・予定地の地域住民など、東京オリンピックによる受益を期待(幻想的であっても)できる人びとであった。さらに、直接的受益は期待できなくても、1964年東京オリンピックを経験した老人たちは、高度経済成長期を生き抜いた自分たちの生きざまを懐古しながら、東京オリンピック開催に期待をよせている。この人びとが、五輪に「夢」を投影し、その開催決定を喜ぶのは当然だ。しかし、私個人は、こういう人びとを直接知らないし、そういう「夢」自体が理解できないのである。

他方、秋葉原の若者たちは、「コミケ」開催に自分の「夢」を感じている。コミケ開催が五輪開催によって支障をうけるかもしれないこと、それが一番問題なのである。例え、五輪開催に賛意を示していたとしても、それは副次的な問題なのである。その中で、やっと批判的意見が出されるようになる。五輪開催自体に批判的かどうかはおくことにしよう。五輪開催という上から与えられた「夢」に共感するよりも、自分たち自身がなしたいことがあるというのが、彼らの考えといえる。もちろん、私は彼らにあったことはない。秋葉原もコミケも日常的には縁がない。といっても、彼らのメンタリティのほうが理解できる。そして、このようなメンテリティは、秋葉原だけでなく、より一般的に広まっているのではなかろうか。ほとんどの人は、「五輪」のみで生きているわけではない。「五輪」以外にも多くの「夢」があるのである。

こうやってみると、新聞をよく読んでみると、それでも、「国民多数」の中に走っているいくつかのひびをみつけることもできるのではなかろうか。それは、今回はとりあげないが、東京五輪開催決定に対する被災地での対応にも現れているのではないかと思う。

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さてはて、是非はともかく、9月7日に2020年東京オリンピック開催が決定された。しかし、驚いたのは、マスコミなどで流される「祝勝」気分と、自分たちの周辺との反応の落差である。私はオリンピックが開催される予定の東京に住んでいるが、直接に接触しても、フェイスブックで間接的に意見交換しても、東京オリンピック開催を喜ぶ人はほとんどいない。私が資料収集をしていた9日の武蔵野市立中央図書館で、全く知らない図書館利用者が「決まってよかったですね。うれしくて」と別の利用者に話しかけていたが、いわゆる「喜びの声」を「生」で聞いたのは、それだけである。

福島などの被災者が「別の国」のようだと言っていたが、東京に住んでいる私も、まるで別の国に住んでいるようにしか思えなかった。その第一の理由は、もちろん、安倍首相その他の福島第一原発事故についての虚偽とすら思える発言があったことである。しかし、それだけではない。東京に住んでいたとしても、2020年東京オリンピック開催によって、私個人の「生」にどのようなメリットがあるか、わからないからでもある。

本当に心から東京オリンピック開催を喜んでいる人たちはどういう人なんだろう。そういった目で、祝祭気分あふれる(とみえる)朝日新聞を読み直してみた。

新聞休刊日があったため、号外をのぞいて朝日新聞本体では第一報となった2013年9月9日付夕刊には、まず度肝をぬかれた。普通の新聞本体をカバーして、全面色刷の東京の俯瞰写真が掲載され、「お帰り五輪。夢の炎、熱く熱く」と見出しがうたれている(なお、下の一部と裏面は、なぜかBMWの広告である)。その中では、第一に1964年東京オリンピックが開催されたことが回顧され、東日本大震災の復興がはたされたとはまだいえないと指摘した後、

 

が、五輪は間違いなく人々の体に勇気を吹き込む。猫背気味に視線を下に落としていた人たちが上を向くのだ。そこには64年に見た「希望」が形を変えて新たに表れるに違いない。お帰り、五輪。僕たちは元気をもらうよ。

と、東京オリンピック開催決定を祝勝している。そこには、64年五輪を回顧し、五輪が「勇気」を吹き込むという言説があることに注目しておきたい。「勇気」というものを「主体性」という言葉で代置するならば、五輪は人びとの「主体性」を構築するものとして把握されているのである。

そして、2面では、「経済界、高い期待 早速セールも」という見出しのもとに、経済界がオリンピック開催に期待を高めている様子を報道している。これは、まあ当たり前のことである。それでも、オリンピック開催を第一に喜んでいるのは、経済効果を期待する経済界であることは記憶にとどめるべきことであろう。

さらに、スポーツを扱う12面で、「アスリート走り出す」という見出しのもとに、柔道女子57キロ級金の松本薫、ゴールボール金の浦田理恵(パラリンピック)、女子マラソンアテネ五輪金メダルの野口みずき、体操男子ロンドン五輪個人総合金メダルの内村航平、競泳男子平泳ぎ金メダリストの北島康介、車いすテニスの国枝慎吾(パラリンピック)の「喜びの声」を伝えている。一例として、松本薫のそれを紹介しておこう。

夢持つ子が増えれば、柔道女子57キロ級金松本薫

 ロンドン五輪柔道女子57キロ級金メダルの松本薫(フォーリーフジャパン)は2020年の東京五輪に「夢」を感じている。
 「今、夢を持てない子どもたちが多くなっていると聞きます。東京に五輪がくることで、夢を持つ子どもが1人でも増えればいい」
 ロンドンで日本選手第1号の金メダルを獲得。1年の充電期間を経て、ロンドンの記憶は薄れてきている。脳裏に残っているのは、選手村の雰囲気。「緊張感と、ついにここまで来たんだ、という喜びが混じっていた。独特の空気感でした」
 激しい戦いぶりとつかみどころのない素顔とのギャップで人気を集めた彼女も小さい時は明確な夢を持てず、悩んでいたという。「ケーキ屋になりたいとかそういうのはあったけど。いつか路頭に迷うんじゃないか、って思ったときもありました」
 そんなモヤモヤを振り払ったのが、中学生のころに抱いた五輪への憧れだった。ロンドンで「やりつくした」との思いも抱いたが、再び「夢の舞台」に立ちたいという欲求を抑えることは出来なかった。
 25歳。「柔道が天職」という彼女が、2020年まで現役でいられるかは分からない。それでも、「東京五輪で、アスリートの夢を日本のみんなと共有で出来れば、本当にすごいと思います」。(野村周平)

経済界の五輪開催への「期待」が経済効果であり、いってしまえば営利獲得の機会拡大であることと比べてみれば、松本の「夢」は、自分以外のものにも向けられており、純粋な気持ちであるといえよう。その点、「感動的な」記事である。しかし、それが、「アスリートの夢」であり、「非アスリートの夢」ではないことに注目しておかねばならない。それをみんなー都民・国民に「共有」させること、これが松本の東京オリンピック開催なのである。松本個人が出る出ないは別にして、彼女が属しているアスリートの世界全体は、東京オリンピック開催によって利益を享受するとはいえる。いわば、アスリートは総体として「受益者」であり、関係当事者なのだ。その他のアスリートたちも、立場は同じである。彼らが2020年オリンピック開催を喜ぶのは当然だが、一般の人びととは立場が違うと指摘しておかねばならない。

さて、社会面である14・15面は二面見開きで「情熱のち聖火 夢舞台再び」という見出しのついた大きな記事が掲載されている。その中で、第一に「半世紀あせぬ思い 聖火台・ブレザー 磨いた技」として、64年東京オリンピックにおいて聖火台製作に関わった鈴木昭重と、バレーボール日本代表(男女)の公式ブレザーを仕立てた藤崎徳男の発言が紹介されている。第二に、「一枚かみたい64年出場組」という見出しのもとに、64年東京オリンピックにおいて日本選手団主将をつとめた元体操選手の小野喬と、64年の東京オリンピックで議論に初出場し、ロンドンオリンピックにも出場した馬術選手の法華津寛の談話を紹介している。この四人は、まずは64年東京オリンピックの関係者であるということが共通している。彼らは、オリンピック関係者であるという点で、現代のアスリートたちの立場と共通している側面をもつ。他方で、1964年の東京オリンピックを回顧するという点で、独自の面をもっているといえる。

この記事ではさらに、『「東京で勝負」 若手決意』という見出しのもとに、10代のアスリートたちの声として、陸上選手桐生祥秀(17歳)と、卓球選手平野義宇(14歳)の談話が掲載されている。ここでは、桐生の分のみあげておこう。

「東京で勝負」 若手決意

 母国での五輪を担う10代の若者は夢を膨らませる。
 「東京にくるのはうれしいけど、五輪に出たことがないので……」。陸上男子100メートルで9秒台をめざす17歳の桐生祥秀選手(京都・洛南高)は少し戸惑いながら話した。
 陸上を始めて1年目の2008年、北京五輪の陸上男子400メートルリレーで日本が銅メダルを獲得するのをテレビで見た。「その時は、ただ日本が速いな、ジャマイカがすごいなっていう程度。まさか自分が世界で戦う選手になるとは」。今年の世界選手権では400メートルリレーで6位に入賞した。
 20年は24歳。「勝負するのは東京。世界で戦える強さを持って、その舞台に立っていると思う」
(後略)

桐生の発言は純真だ。しかし、彼も、ここでは省略した平野も、広い意味でアスリートに属している。いや、2020年東京オリンピックでは、主力選手になっているかもしれない。その意味で、彼らもまた、東京オリンピック開催による受益者であり、利害関係者であることは留意しなくてはいけない事実である。

そして、やっと、14面の片隅において、一般の人とおぼしき人びとの「喜びの声」があげられている。ただ、東京都内の招致イベント会場で取材した記事なので、一般の人というよりも東京オリンピック招致活動参加者の声とするのが適切かもしれない。それでも、今まであげてきた人びとよりは一般の人に近いといえよう。短い記事であるので、ここで紹介しておこう。

「希望見つけた」

「バンザーイ」「やったー」。半世紀ぶりの五輪開催が決まった8日未明、東京都内の招致イベント会場は喜びに沸いた。
 1964年大会の会場となった世田谷区の駒沢オリンピック公園総合運動場の体育館。大画面に映ったIOCのロゲ会長が「トーキョー」と告げると、大歓声が上がり、金色の紙吹雪が舞った。
 東日本大震災の被災地・福島県南相馬市から来た江本節子さん(66)の目には涙。「ようやく夢や希望が見つかった。復興と五輪が両輪で進んでいくのではないか」と喜んだ。
 五輪代表選手らの練習拠点となる味の素ナショナルトレーニングセンター(北区)に近い「板橋イナリ通り商店街」(板橋区)。8日朝、子どもたちが巨大なくす玉を割り、「祝 東京オリンピック」と書かれた幕が現れた。近くの工場経営、下平信彦さん(30)は長男の和彦ちゃん(1)を連れ、くす玉を割れる様子をビデオ撮影した。7年後、小学生になる息子に感動を伝えるためだ。下平さんは「五輪には夢がある。選手が頑張る姿を見て、何かを目指すきっかけにしてほしい」。
 8日朝、東京・新宿の都庁前では、「THANK YOU ありがとう」と感謝の気持ちを人文字で表すイベントも。杉並区の自営業池田輝夫さん(65)は「64年大会は高校を早退してマラソンのアベベを見に行った」と懐かしみ、「今度は8人の孫に見せられる」と喜んだ。

さて、ここでは3人の人が「喜びの声」を語っている。江本と池田は大体同じくらい(65〜66歳)で、1964年オリンピック経験者であることに着目したい。池田は、明確に、1964年オリンピックと重ね合わせて、今回のオリンピックへの期待を述べている。江本は、産經新聞にも同様なことを語っており、なぜ、被災地でこういうことをいうのかと考えていたが、年齢をみて納得した。彼女は、自分でも体験した1964年オリンピックの残像の上に、復興に寄与するオリンピックというイメージを構築しているのだと考えられる。

年齢的にみて、下平は1964年オリンピックを直に体験したことはないだろう。しかし、彼も、オリンピックに完全に無関係かといえば、そうではない。オリンピック関連施設と考えられる味の素ナショナルトレーニングセンターの近くに住んでいるのである。彼自身は、たぶんオリンピック開催から直接的利益を受けることはないだろうが、地縁はあり、広い意味でオリンピックに関わり合いをもつものといえよう。

さて、全体でいえば、2013年9月9日付朝日新聞夕刊で「喜びの声」を表明している人たちの多くは、オリンピック開催に何らかの関わり合いをもつ人たちといえる。「経済効果」を期待する経済界、よりチャンスを広げたいと考えているアスリートたち、1964年のオリンピックに関与した人びと、オリンピック関連施設と「地縁」を有するものなど、それぞれ多様であるが、全く関連のない人たちはあまりいないといえる。

そして、オリンピックに関わらないで「喜びの声」を挙げている二人は、年齢的にみて1964年オリンピックの体験者であると考えられる。同じようなことは、1964年のオリンピック関係者の四人にも共通している。聖火台製作に関与した鈴木昭重は「64年当時と違い、今の日本は成長が止まっている状態。五輪で気持ちが新たになればいい」と述べている。彼らは、1964年を回顧しつつ、2020年のオリンピックに期待をかけるのだ。

このように、本新聞の紙面で2020年東京オリンピック開催への期待を語っている人びとは、受益者を中心とした広い意味での関係者か、1964年東京オリンピックへのノスタルジーを感じている人たちであることが理解されよう。

ただ、昨年、東京オリンピック開催をかかげた猪瀬直樹がかなりの得票率で都知事選に勝利したこと、IOCの調査では東京開催を支持する意見は70%程度はあったと報じられていることをみると、東京開催を「支持」するという人たちはかなり多いのではないかと推測される。しかし、それは、一般的には漠然とした支持であり、明確に言語化して「心から支持する」と主張する人は一般には少ないのではないかと思われる。広い意味での関係者と、1964年の東京オリンピック体験者しか、自分の言葉で東京オリンピックについて語れなかったのではなかろうか。そもそも、オリンピックとはーそのために増税したり、経済危機になったりすることは別としてー、大多数の日本の人びとの「生」には関わらない存在である。ゆえに、普段からオリンピックについて考えている受益者を中心とした広い意味での関係者か、1964年東京オリンピックへのノスタルジーを感じている人たちのみが、ここで発話できたのではなかろうか。

そして、結局のところ、広い意味での関係者の利害と、特定の世代の特殊な意識を、紙面に大きく掲載することによって、「国民意識」を形成し、「主体性」を創出していくことになる。これこそ、国民国家の装置としての新聞の機能なのである。

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