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Posts Tagged ‘昭和三陸津波’

「津波てんでんこ」という言葉を知っているだろうか。「津波の際には、人には構わず、てんでんばらばらに、素早く逃げなさい」という、明治三陸津波(1896年)の後に三陸地方でいわれた教訓である。

この言葉を知ったのは、山下文男さんの著書『津波と防災―三陸津波始末―』(2008年 古今書院)からである。山下さんは、明治三陸津波において祖母を失い、昭和三陸津波(1933年)・チリ地震津波(1960年)は自身で体験した。明治三陸津波到達最高点(38.2m。ちなみに今回の震災における津波到達最高点は38.9mといわれている)がある岩手県大船渡市綾里に居住し、津波研究者として、本書の他、『津波てんでんこー近代日本の津波史』(2008年 新日本出版社)など多数の研究書を出版している。山下さんが、自身の経験をもとに「津波てんでんこ」を普及させたのである。

山下さんは、次のように言っている。

誰ひとりとして予想していなかった大津波の不意打ちによって集落は阿鼻叫喚、大混乱に陥ってしまった。だが、そうした混乱のなかでも、人間としての本能がはたらき、親が子を助け、子が親を助けようとする。兄弟・姉妹たちが助け合おうとする。そのため、結局は共倒れになるケースが非常に多く、これも、死者数を増幅させる結果になった。
(中略)
最近、津波防災と関連してよくいわれるようになった「津波てんでんこ」という言葉は、こうした体験を踏まえた明治三陸津波の教訓なのである。要するに、津波の時は、薄情なようだが、親でも子でも兄弟でも、人のことはかまわずに、てんでんばらばらに、1秒でも早く逃げなさい。これが一人でも多くの命を守り、犠牲者を少なくする方法です、との悲しい教えが「津波てんでんこ」という言葉になった。真意は、自分の命は自分で守れ!共倒れの被害を防げ!ということであり、津波とはそれほど速いものだという教えでもある。

山下さんが提唱した「津波てんでんこ」は、三陸地方では普及していて、岩手県釜石市では、小中学校生約3000名が「津波てんでんこ」の教えを守って、自主的に避難し、ほとんど命を全うしたという(どうしんウェブ 北海道新聞 3月27日 http://www.hokkaido-np.co.jp/news/dogai/281397.html)。

「津波てんでんこ」とは、自然災害の脅威における、究極の「自己責任」といえる。この言葉の背後には重いものがある。多くの人が、自らの家族を守ろうとして、共倒れていった。そして、さらに、自らの命を守るために、家族・友人の命を見捨てるしかなかった人たちもいたであろう。津波の前では、国も自治体も集落も、いや家族ですらもあてにすることはできない。むしろ、そのようなしがらみにかまわず、てんでんばらばらに、一刻でも早く逃げること、これが生き延びる道なのである。

新聞などでは、自分の命をかえりみず、他の人の命を救った人々の記事がよく掲載される。それらの人々が「英雄」であることは間違いない。しかし、それは、命を救おうとして共倒れになった人びと、命を救いたくても救えなかった人びとの悲劇を前提にしてしか、意味をもたないといえる。生き延びるには、てんでんばらばらに、人に構わずに、逃げろ。それが「津波てんでんこ」なのである。

しかし、山下さんは、「自分の命は自分で守れ!共倒れを防げ!」だけでは、災害弱者のことを考えておらず、今日では一面的な誹りを免れえないとする。山下さんは、北海道南西沖地震(1993年)の際、奥尻島を襲った津波の際、年寄りをかばって共倒れになった家族を紹介し、

こうした場合に、一体、どうするか?勿論のこと「津波でんでんこ」だからといって、見て見ぬふりをするわけには、人間としてできない。
まず、災害弱者の避難と救助の問題を、個々の家庭や人の問題としてではなく、社会問題としてとらえることである。そして、その家族だけに任せず、普段から自主防災や自治会などで、避難を手助けする方法や手だてを検討したり、役割分担を決めたり、担架やリヤカーなどの避難要具などもぬかりなく用意して訓練も怠りなく、いざという場合に備えておくことである。これは「自分の命は自分で守る」という考え方を基礎とした「自分たちの地域は自分たちで守る」という防災思想の実践にほかならない。

津波を目前とした「津波てんでんこ」という究極的な自己責任を前提として、自立的な共同性が立ち上がってくるといえるのではなかろうか。そうも思えるのである。

最後に、エピソードを紹介したい。山下さんは、今回の大震災の際、岩手県の陸前高田市の県立高田病院に入院中、津波に被災した。入院者にも死亡者が出たが、山下さんは助かった。それを伝える記事である。

「想像をはるかに超えていた。津波を甘く見ちゃいけない…」。大船渡市三陸町綾里の津波災害史研究者、山下文男さん(87)は陸前高田市の県立高田病院に入院中に津波に遭い、首まで水に漬かりながらも奇跡的に助かった。これまで津波の恐ろしさを伝えてきた山下さんですら、その壮絶な威力を前に言葉を失った。「全世界の英知を結集して津波防災を検証してほしい」。声を振り絞るように訴えた。
 「津波が来るぞー」。院内に叫び声が響く中、山下さんは「研究者として見届けたい」と4階の海側の病室でベッドに横になりながら海を見つめていた。これまでの歴史でも同市は比較的津波被害が少ない。「ここなら安全と思っていたのだが」
 家屋に車、そして人と全てをのみ込みながら迫る津波。映像で何度も見たインドネシアのスマトラ沖地震津波と同じだった。
 ドドーン―。ごう音とともに3階に波がぶつかると、ガラスをぶち破り一気に4階に駆け上がってきた。波にのまれ2メートル近く室内の水位が上がる中、カーテンに必死でしがみつき、首だけをやっと出した。10分以上しがみついていると、またもごう音とともに波が引き、何とか助かった。
 海上自衛隊のヘリコプターに救出されたのは翌12日。衰弱はしているが、けがはなく、花巻市の県立東和病院に移送された。後で聞くと患者51人のうち15人は亡くなっていた。
 「こう話していると生きている実感が湧いてくる」と山下さんは目に涙をためる。「津波は怖い。本当に『津波てんでんこ』だ」
 「てんでんこ」とは「てんでんばらばらに」の意味。人に構わず必死で逃げろ―と山下さんが何度も訴え全国的に広まった言葉だ。
 9歳だった1933(昭和8)年、昭和三陸大津波を経験したが「今回ははるかに大きい。津波防災で検討すべき課題はたくさんある」と語る。特に、もろくも崩れた大船渡市の湾口防波堤について「海を汚染するだけで、いざというときに役に立たないことが証明された」と主張する。
 同市の湾口防波堤は60年のチリ地震津波での大被害を受けて数年後に国内で初めて造られた。「津波はめったに来ないから軽視されるが、いざ来ると慌てて対応する。それではいけない。世界の研究者でじっくり津波防災の在り方を検証すべきだ」と提言する。その上で「ハード整備には限界がある。義務教育の中に盛り込むなど不断の防災教育が絶対に必要だ」とも語る。
 1896(明治29)年の明治三陸大津波で祖母を失った。今回の津波で綾里の自宅は半壊。連絡は取れていないが、妻タキさん(87)は無事だった。「復興に向けて立ち上がってほしい」。最後の言葉に将来への希望を託した。
【写真=「津波防災の在り方を検証してほしい」とベッドから訴える山下文男さん=16日、花巻市東和町の県立東和病院】
(岩手日報ウェブニュース 2011年3月17日 http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20110317_9)

本当によかったと思う。これからも長らく活躍していただきたいと思う。

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