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Posts Tagged ‘日米安保条約’

さて、もう一度、石破ブログにもどってみよう。現在のところ、石破茂のブログ記事「沖縄など」の終わりは、このように書かれている

今も議員会館の外では「特定機密保護法絶対阻止!」を叫ぶ大音量が鳴り響いています。いかなる勢力なのか知る由もありませんが、左右どのような主張であっても、ただひたすら己の主張を絶叫し、多くの人々の静穏を妨げるような行為は決して世論の共感を呼ぶことはないでしょう。
 主義主張を実現したければ、民主主義に従って理解者を一人でも増やし、支持の輪を広げるべきなのであって、単なる絶叫戦術は「テロ行為とその本質においてあまり変わらない」「本来あるべき民主主義の手法とは異なる」ように思います。
http://ishiba-shigeru.cocolog-nifty.com/

「テロ行為とその本質においてあまり変わらない」を「本来あるべき民主主義の手法とは異なる」と書き換えたのである。いずれにせよ、デモを民主主義にそぐわないものとしてみていることはあきらかだ。

では、石破のいう「民主主義」とはどんなものだろう。まず、この文章が「沖縄など」と題されていることに注目したい。そもそも、この文章は「沖縄問題」から書き起されているのである。その部分をみておこう。

 

沖縄・普天間移設問題に明け、それに暮れた1週間でした。
 その間に特定秘密保護法案の衆議院における可決・参議院への送付という難事が挟まり、いつにも増して辛い日々ではありましたが、沖縄県選出自民党議員や自民党沖縄県連の苦悩を思えばとてもそのようなことは言っておれません。
 多くの方がご存知のことと思いますが、沖縄における報道はそれ以外の地域とは全く異なるものであり、その現実を理解することなくして沖縄問題は語れません。沖縄における厳しい世論にどう真剣かつ誠実に向き合うのか。私は現地の新聞に「琉球処分の執行官」とまで書かれており、それはそれであらゆる非難を浴びる覚悟でやっているので構わないのですが、沖縄の議員たちはそうはいきません。
 繰り返して申し上げますが、問われているのは沖縄以外の地域の日本国民なのです。沖縄でなくても負うことのできる負担は日本全体で引き受けなくてはならないのです。

この文章だけを読むと、何を書いているかさっぱりわからないが、ここで、石破が書いていることは、沖縄普天間基地の辺野古移転計画を、県外移設を主張していた沖縄県選出自民党議員や沖縄県連に認めさせたことである。その状況について、沖縄タイムス社説は、次のように指摘している。

社説[菅・石破発言]沖縄への露骨な恫喝だ
2013年11月20日 09:21

 「このまま県連の要望を聞いていると、普天間の固定化がほぼ確実になる」「県外移設なんてとんでもない。党本部の方針に従うべきだ」

 菅義偉官房長官と自民党の石破茂幹事長が18日、自民党県連の翁長政俊会長らとそれぞれ会談した中で、県連側に伝えた言葉だ。

 米軍普天間飛行場の県外移設を公約に掲げている県連に対し、両氏はそれぞれ「恫喝(どうかつ)」としか受け取れない激しい言葉で、辺野古移設容認への転換を促した。

 県外移設を求める県民世論に支えられ、公約を堅持してきた県連に対し、辺野古移設か固定化か-と「二者択一」を迫るような姿勢は、強権的な安倍政権の「脅し」でしかない。

 権力をあからさまに振りかざし、問答無用で政府や党本部の方針に従わせようとするやり方は、とうてい容認できない。政治家に対し、支持者との契約ともいえる公約の破棄を求めるのは、有権者を愚弄(ぐろう)するものである。

 そもそも「県外はあり得ない」とする根拠は何か。辺野古以外を検討したのか。そうならば検討した内容を明らかにすべきだ。沖縄の民意を置き去りにして、当初から辺野古ありきなのではないか。

 政府首脳や公党の幹部が、普天間の固定化に言及するのは無責任きわまりない。普天間返還の原点は市街地のど真ん中に位置し、「世界一危険な飛行場」の危険性除去である。「固定化」は自らの不作為を認めるようなもので、とても口にするべきことではない。

    ■    ■

 戦後、米軍基地が沖縄に集中したのは、日本政府が安保の負担を過重に沖縄に負わせた結果である。

 1950年代、山梨や岐阜に駐留していた海兵隊が沖縄に移駐したが、それは本土での反基地感情の高まりが背景にあったからだ。

 本土復帰直後の72年には、米国防総省が沖縄を含む太平洋地域からの海兵隊の撤退を検討していたが、日本政府が海兵隊の駐留維持を求め、在沖米軍基地の大幅縮小の機会が失われた。

 菅氏は自民党県連との会談で「辺野古移設は米軍による抑止力を考えて日米両政府で決めたことだ」とも述べたという。

 しかし、民主党政権で防衛相を務めた森本敏氏は、普天間の移設先について「軍事的には沖縄でなくてもよい」と述べている。菅氏の発言は沖縄に対する「構造的差別」以外の何ものでもない。

    ■    ■

 ことし1月、県内全市町村長と議会議長、県議会全会派などが連名で、普天間飛行場の閉鎖・撤去と県内移設の断念を求める「建白書」を安倍晋三首相に手渡した。

 安倍政権はそれを一顧だにすることなく、3月には辺野古埋め立て申請を提出。県民世論を無視したまま、辺野古移設を進めようとしている。17年も続く迷走は、当事者である沖縄の頭越しに決められているからだ。稲嶺進名護市長が言うように「基地はできてしまえば100年も残る」。一体いつまで沖縄に過重負担を強いるつもりなのか。http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=57006

そして、結局、沖縄県連などは、辺野古移設を認めさせられた。次の読売新聞のネット配信記事をみてほしい。

普天間の辺野古移設、自民沖縄県連が容認へ

 沖縄県の米軍普天間飛行場(宜野湾市)の移設問題を巡り、県外移設を掲げていた自民党県連は26日、同県名護市辺野古への移設を容認する方針を固めた。

 県連所属の国会議員5人が容認に転じた上、県連内でも同飛行場の固定化回避には辺野古移設を否定すべきではないとの意見が大勢を占めたことから、方針転換する。政府・党本部と地元の足並みがそろうことで、政府が申請した移設先の埋め立てについて、仲井真弘多ひろかず知事が承認しやすい環境が整う。

 辺野古容認の方針は、自民党の石破幹事長と国会議員団が25日に確認した「普天間基地の危険性を一日も早く除去するために、辺野古移設を含むあらゆる可能性を排除しない」との文言を踏襲する方向で調整する。ただ、県外移設の主張を堅持すべきだとする一部の声にも配慮し、「あらゆる可能性には、県外も含む」(県連幹部)との考え方をとる方針だ。

(2013年11月27日03時21分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20131126-OYT1T01555.htm?from=navr

石破の言っていることは、沖縄県連などに辺野古移設を認めさせたが、その際、軍事施設全般の県外移設をすすめるというリップサービスをしたということなのである。石破のやったことは、沖縄の世論を背景に県外移設を公約としてきた沖縄県選出の国会議員や自民党沖縄県連を説得して、「公約」を破らせたということにほかならない。

結局、ここにあるのは、民意を尊重するというのではなく、公選された代表たちを「説得」して「合意」させて正当性を得ようという政治手法である。沖縄の場合、保守的な自民党ですらも選挙においては普天間基地の県外移設を公約にしないと議員当選は難しかった。それが「民意」であるといえよう。

もちろん、代表制民主主義において、すべてのことを選挙民と合意して政治を進めていくことは難しい。しかし、沖縄において普天間基地を県内に移設させないことは、保守・革新という政治的立場をこえた「世論」となっており、ゆえに自民党の沖縄県連も公約に掲げていたといえる。その意味で「民意」はここでも踏みにじられたのである。

公選された代表である議員たちは、本来主権者である国民の代理人として存在すべきものといえる。しかし、ここでは、公選された議員たちに決定権があり、民意は無視されてもかまわないことになるだろう。たぶん、沖縄で公選された議員たちに対し、石破は形式的には「暴力」的でない形で「合意」をとったといえるだろう。しかし、それは、結局のところ、沖縄の人びとそれぞれの合意ではないといえる。つまり、いわば、公選された議員たちだけが、民意とは無関係に政治を決定できるというシステムになっているといえる。議員主権とでも評価できようか。それが、石破のいう「民主主義」なのである。

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さて、橋下徹が5月13日午前中の囲い取材で述べた「慰安婦」についての発言は、午後(退庁時)の囲み取材でも続いた。まず、5月25・26日に元慰安婦が大阪を訪問する予定があり、橋下に面会を求めるということで、面会する予定なのかと記者が問い、橋下は会う予定で調整していると述べた。その後、このようなやりとりがあった。

―― 以前から元慰安婦の方に対して優しいお言葉をかけていかなきゃいけないとおっしゃっていますが、具体的にはどんなお話を? もしお会いになられたら……。

それは今ここで言っても、仕方がありませんから。その時に、お会いした時に話をします。

―― 優しい言葉をかけなきゃいけないとおっしゃっている一方で、今朝、各国の軍隊が当時制度として(慰安婦を)持っていた事実があって、当時の状況を考えると必要だったというような発言もあったと思いますが、今までにない踏み込んだ発言だったようにも感じたんですが……。

いや、そんなことなくて、ま、聞かれなかったから言わなかっただけで、当時の状況ではそういうことを活用していたのは事実ですから。当時の状況としては。ただ、それをよしとするかどうかというのは別でね。意に反してそういう職業に就かなければならない。「意に反して」ですよ。自らの意志でそういう職業に就いてる人も中にはいたでしょうしね。

現代社会にだって風俗業というのはしっかり職業としてあるわけですから。自らの意志でやった場合には、まぁ、それは自らの意志でしょうということになりますけど、意に反して、そうせざるをえなかったという人たちに対しては、これは配慮が必要だと思いますよ。
http://synodos.jp/politics/3894/2

橋下は、慰安婦において、意に反してなる人と自らの意志でなる人と両様があって、意に反してなった人びとには「配慮」しなければならないとしている。「意に反してなる」人が少しでもいれば、「強制的」だったということにもなり、慰安婦に対する「強制」はなかったという説が成り立たないことになるが、そういうことは考えないのである。

そして、従事する女性の同意/不同意に関わらず、軍を維持するために慰安婦制度は必要であったと述べている。そして、今は慰安婦制度は認められないが、やはり風俗業は必要だとしているのである。そして、有名になった、沖縄の海兵隊司令官にもっと風俗活用をすべきであるという発言を紹介したのであった。

―― 「意に反して」ということでも必要ではあったということでしょうか? いい気はしないけれども、状況からして必要であったということですか?

いや、意に反した、意に即したかということは別で、慰安婦制度っていうのは必要だったということですよ。意に反するかどうかに関わらず。軍を維持するとか軍の規律を維持するためには、そういうことが、その当時は必要だったんでしょうね。

―― 今は違う?

今はそれは認められないでしょう。でも、慰安婦制度じゃなくても風俗業ってものは必要だと思いますよ。それは。だから、僕は沖縄の海兵隊、普天間に行った時に司令官の方に、もっと風俗業活用して欲しいって言ったんですよ。そしたら司令官はもう凍り付いたように苦笑いになってしまって、「米軍ではオフリミッツだ」と「禁止」っていう風に言っているっていうんですけどね、そんな建前みたいなこというからおかしくなるんですよと。

法律の範囲内で認められている中でね、いわゆるそういう性的なエネルギーを、ある意味合法的に解消できる場所ってのが日本にはあるわけですから。もっと真正面からそういうところ活用してもらわないと、海兵隊のあんな猛者のね、性的なエネルギーをきちんとコントロールできないじゃないですかと。建前論じゃなくてもっとそういうとこ活用してくださいよと言ったんですけどね。それは行くなという風に通達を出しているし、もうこれ以上この話はやめようっていうんで打ち切られましたけどね。だけど風俗業ありじゃないですか。これ認めているんですから、法律の範囲でね。

―― 活用していないから事件が起こると?

いやいや、それは因果関係は別です。でももっと、だから、そういうのは堂々と……。それは活用したから事件がおさまるという風な因果関係にあるようなものではないでしょうけど、でも、そういうのを真正面から認めないと、建前論ばかりでやってたらダメですよ。そりゃあ兵士なんてのは、日本の国民は一切そういうこと考えずに成長するもんですから、あんま日本国民考えたことないでしょうが、自分の命を落とすかもわかんないような、そんな極限の状況まで追い込まれるような、仕事というか任務なわけで。それをやっぱり、そういう面ではエネルギーはありあまっているわけですから、どっかで発散するとか、そういうことはしっかり考えないといけないんじゃないですか。それは建前論で、そういうものも全部ダメですよ、ダメですよって言っていたら、そんな建前論ばっかりでは、人間社会はまわりませんよ。
http://synodos.jp/politics/3894/2

今読んでみると、いささか恥ずかしくなってくるのだが…。この発言には、いくつかの問題点を指摘できる。まず、売春を組織として禁じている米軍に対してーそれも司令官に対してーこのような発言をするということは、米軍からみれば、組織に対する侮辱ととらえられるだろうということである。この紹介の中で、米軍司令官はそのような形で対応したし、その後のアメリカ政府の対応もまた、その観点から行われている。

他方で、このような発言について、日本とりわけ沖縄の人びとがどう思うかということである。この発言は、兵士の性的エネルギーのコントロールにつき、公的な形で女性を「活用」しろといっているわけであるから、女性を「性的な資源」としてみているわけで、女性に対する人権侵害になることは間違いない。他方で、ナショナリスティックな観点からみたらどうなるか。日本とりわけ沖縄がアメリカの従属下にあることはあきらかである。それは、日米安保条約と日米地位協定に表現されている。沖縄での米兵の性犯罪がたえないのは、第一に長期間にわたって大規模にアメリカ軍が駐留しているためであり、第二に不平等な日米地位協定によって日本の警察権が十分米兵に及ばないことが起因している。そのようななか、アメリカ軍司令官に日本の「女性」の活用をもちかけるということは、日米の従属関係の基本について異議を申し立てず、かえって便宜供与を提起するということになるだろう。結局、そうなると、強制であるか合法であるとか、女性が合意しているかどうかは関係なく、従属を強いている相手にさらに便宜供与するのかということになるだろう。そして、アメリカー日本・沖縄という現在の構図は、植民地期の日本ー朝鮮という構図に変換可能である。いわば、橋下は、たぶん自ら意図したのではないだろうが、慰安婦問題を現代世界においてわかりやすく可視化してしまったのである。

さらに、橋下は、米軍も朝鮮戦争期や占領期の沖縄において慰安婦制度をもっていた、日本軍以外もレイプはしていた、日本だけが慰安婦をもっていたのではないと、それまでの説明を繰り返し、最後に、次のように述べている。

ただ、日本の軍がね、または日本政府が国をあげてね、暴行脅迫拉致をしたという証拠が出てくれば、それはやっぱり日本国として反省しなければいけないけれど、そういう証拠がないって言う風に日本政府が閣議決定しているわけですからね。だから、今度、慰安婦の方が大阪市役所に来られた時にね、暴行脅迫うけたのか、拉致されたのかね、そのあたりについても、お話うかがわせてもらえるんだったら、うかがわせてもらいたいですけどね。

本当にそうだってことであるんだったら、日本政府の方にその証言とってもらってですね、なんだ拉致あるじゃないですかと、2007年の閣議決定の時と違うじゃないですかっていう話になってもこれは仕方ないと思いますしね。今は、いろんな論戦の中で、従軍慰安婦問題を否定している人たちって言うのは、暴行脅迫や拉致は絶対になかったって言っているわけですから、それはあるって話になれば、それは従軍慰安婦問題を真っ向から否定している人たちは論拠がなくなるわけですしね。まぁ、だから、どういう状況で、どういう経緯で慰安婦にならざるをえなかったのか、そういうお話をうかがわせてもらえるんであればお聞かせいただきたいという風に思ってますけども。
http://synodos.jp/politics/3894/2

つまり、慰安婦の人びとと、このようなことでディベートをしたいというのである。

ここまで、橋下の発言を「読解」してきた。韓国その他アジア諸国には「謝罪」するが、植民地政策をすすめ、慰安婦制度をもっていた(と橋下は主張する)アメリカなどの欧米諸国には、結局同じくらい悪いことをしていると主張するのだというのである。そのつながりで、沖縄の米軍司令官には性的エネルギー発散のため風俗業への活用をすすめるということになるのである。

ずっと読み進めてみると、だんだん誰もがが正当とは思えない袋小路に自分から入っていったという感想をもった。欧米諸国が植民地政策を行っていたことは自明であり、その意味で欧米諸国にも批判の余地があるということは、ある程度の(それだけをとりだせばということになるが)賛成を得られるであろう。しかし、世界各国が日本と同様の慰安婦制度をもっていたかといえば、?をつけざるをえない。日本の慰安婦制度すら解明されているとはいえず、それと比較可能な形で各国軍隊の売春業が解明されているのだろうか。そして、現在の在日米軍に公に風俗業を活用するという発言については、ある意味では「建前」をたたく姿勢のみを評価する人びとを除いて、だれが評価するのであろうか。逆に、あの発言こそ、公的な機関が組織的にそのような事業にかかわることの危険性を指し示したといえるのである。たぶん、刺激的な発言をすることで衝撃を与えようとしたのであろう。確かに、衝撃を受けた。しかし、それは、大多数の人びと(それも世界的に)が橋下を排除するように作用したのである。

といっても、このような袋小路は、橋下徹のみが陥っているわけではない。結局、日本の侵略の問題性を相対化しようというこころみは、橋下以前の自民党などの保守派が一貫して行ってきたことであった。慰安婦における強制性を認めないということは、彼らが開発してきた論理なのだ。しかし、冷戦終結後の彼らの営為は、対アジア諸国からの批判をまねいただけでなく、アメリカほか日本が依存してきた欧米諸国の批判につながっていった。今年の5月始め、橋下発言の直前、安倍政権が陥っていた状況はそのようなものであった。橋下は、その状況下で発言して、何らかの主導権を得ようとしたといえる。しかし、内外からの批判をあびてしまったのである。

もし、橋下のように、侵略を相対化し慰安婦の強制性を認めないことから議論を開始すれば、やはり橋下のような袋小路に落ちいることになるだろう。そして、それは、橋下が介入しなければ安倍政権がすすんだかもしれない道だったのである。

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2013年4月28日、1952年のサンフランシスコ平和条約発効を記念して、政府主催で「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」が開催され、天皇・皇后も出席した。このサンフランシスコ平和条約は、そもそも前年に開かれたサンフランシスコ講和会議が、中華人民共和国・中華民国・大韓民国・朝鮮人民共和国という日本のアジア侵略の矢面にたった諸国が出席しておらず、ソ連などの社会主義陣営を無視して、アメリカなどの西側諸国のみと講和するというものであり、当時「単独講和」とよばれた。結局、この平和条約は、竹島/独島、尖閣諸島/釣魚島などの中国・韓国などとの領土紛争の発火点となり、さらに、在日朝鮮人などを切り捨てるものでもあった。また、サンフランシスコ平和条約は、沖縄・奄美・小笠原を日本から切り離し、米軍の施政権下に置くものであり、特に沖縄には、多くの米軍基地が設置されており、現在にいたるまで大きな基地負担に沖縄住民は苦しむことになった。また、平和条約と同時に調印された日米安全保障条約によって、日本のアメリカへの従属が決定的なものになった。

このような意味をもつ「平和条約」による「主権回復」を政府が記念することに対して、沖縄他さまざまなところで抗議活動が行われている。しかし、ここでは、「主権回復の日」記念式典における安倍晋三首相の式辞「日本を良い美しい国にする責任」を読むことによって、安倍晋三らが「主権回復の日」式典にこめた意義や背景となる世界観をみていきたい。

まず、簡単に、この式典自体を説明しておこう。この式典は、非常に空疎なものである。国会議事堂のそばにある憲政記念館に、国会議員・閣僚・知事ら約390人が集められ、天皇・皇后臨席のもとに、安倍晋三が式辞を読み上げ、衆参両院議長と最高裁長官があいさつし、児童合唱団が「手のひらに太陽を」「翼をください」「believe」「明日という日」を歌っただけというものであり、1時間にみたない。天皇・皇后が退席するとき万歳三唱がなされたが、これは、主催者の意図とは違ったものとされている。結局、安倍晋三の「式辞」を、天皇・皇后臨席のもと、国会議員・閣僚・知事らが聞くというだけのものである。

この式辞については、産經新聞が28日付で全文をネット配信している。産経新聞の記事をもとに、この式辞をみていこう。

まず、この式辞は、次のような形で始まっている。

首相式辞全文「日本を良い美しい国にする責任」
2013.4.28 22:11

 本日、天皇、皇后両陛下のご臨席を仰ぎ、各界多数の方々のご参列を得て、主権回復・国際社会復帰を記念する式典が挙行されるにあたり、政府を代表して式辞を申し述べます。

 

61年前の本日は、日本が自分たちの力によって再び歩みを始めた日であります。サンフランシスコ講和条約の発効によって主権を取り戻し、日本を日本人自身のものとした日でありました。その日から61年。本日を一つの大切な節目とし、これまで私たちがたどった足跡に思いを致しながら、未来へ向かって希望と決意を新たにする日にしたいと思います。

まず、サンフランシスコ平和条約が発効した1952年4月28日を「主権を取り戻し、日本を日本人自身のものとした日」ととらえている。これが、この式典のテーマといってよいだろう。その上で、次のように、昭和天皇の歌をもとに、占領期を回想している。

 

国敗れ、まさしく山河だけが残ったのが昭和20年夏、わが国の姿でありました。食うや食わずの暮らしに始まる7年の歳月は、わが国の長い歴史に訪れた初めての、そして最も深い断絶であり、試練でありました。

 そのころのことを亡き昭和天皇はこのように歌にしておられます。

 「ふりつもるみ雪にたへていろかへぬ松ぞををしき人もかくあれ」

 雪は静謐(せいひつ)の中、ただしんしんと降り積もる。松の枝は雪の重みに今しもたわまんばかりになりながら、じっと我慢をしている。我慢をしながら、しかしそこだけ目にも鮮やかに緑の色を留めている。私たちもまたそのようでありたいものだという御製(ぎょせい)です。

 昭和21年の正月、日本国民の多くが飢餓線上にあえぎつつ、最も厳しい冬を、ひたすらしのごうとしていたときに詠まれたものでした。多くの国民において心は同じだったでしょう。

 やがて迎えた昭和27年、主権が戻ってきたとき、私たちの祖父、祖母、父や母たちは何を思ったでしょうか。今日はそのことを国民一人一人深く考えてみる日なのだと思います。

ここでは、まず、昭和天皇に仮託した視点で、占領期が回想されている。「ふりつもるみ雪」として表現される連合国による占領を我慢し、「いろかえぬ松」と表現されているように耐え忍ばなくてはならないとされているのである。あるいは昭和天皇自身はそうなのかもしれない。しかし、占領期の多くの国民が天皇と同じ意識であったわけではない。もちろん、占領による苦しみはあった。しかし、また、戦争責任をとらない昭和天皇も批判されていたのである。

そして、この7年の中で、現行の日本国憲法は制定され、教育基本法などの現行の法制度の多くはつくられた。しかし、この式辞では、そのような憲法なども、主権喪失の産物であり、日本人自体がつくったものではないということを暗示しているのである。

そして、この式辞では、国際社会復帰について言及している。この式典の正式名称は、「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」であり、安倍晋三としては、国際社会に参加する契機となったことも、この式典で記念していくべきことなのである。

61年前の本日、国会は衆参両院のそれぞれ本会議で主権回復に臨み4項目の決議を可決しております。

 一、日本は一貫して世界平和の維持と人類の福祉増進に貢献せんことを期し、国連加入の一日も速やかならんことを願う。

 二、日本はアジアの諸国と善隣友好の関係を樹立し、もって世界平和の達成に貢献せんことを期す。

 三、日本は領土の公正なる解決を促進し、機会均等、平等互恵の国際経済関係の確立を図り、もって経済の自立を期す。

 四、日本国民はあくまで民主主義を守り、国民道義を昂揚(こうよう)し、自主、自衛の気風の振興を図り、名実ともに国際社会の有為にして責任ある一員たらんことを期す。

 以上、このときの決議とは、しっかりと自立した国をつくり、国際社会から敬意を集める国にしたいと、そういう決意を述べたものだといってよいでしょう。

 自分自身の力で立ち上がり、国際社会に再び参入しようとする日に、私たちの先人が自らに言い聞かせた誓いの精神が、そこにはくみ取れます。

 主権回復の翌年、わが国の賠償の一環として当時のビルマに建てた発電所は、今もミャンマーで立派に電力を賄っています。主権回復から6年後の昭和33年には、インドに対し戦後の日本にとって第1号となる対外円借款を供与しています。

私の目からみれば、主権回復に際して出されたこの国会決議を安倍晋三が述べることは皮肉に思える。しかし、安倍は大真面目でこのことを主張している。つまりは、「日本国民はあくまで民主主義を守り、国民道義を昂揚(こうよう)し、自主、自衛の気風の振興を図り、名実ともに国際社会の有為にして責任ある一員たらんことを期す」ということが主権回復にはこめられていたし、今後の日本も重視していかねばならないというのである。つまり、安倍は自覚としては「民主主義者」であり「国際協調」を旨とする人なのである。他方で、安倍晋三には、「しっかりと自立した国をつくり、国際社会から敬意を集める国にしたい」という意識もある。これは、たぶん「大国主義」ということになろう。

ただ、では、アジア諸国についてはどうか。安倍が引用した国会決議では「日本はアジアの諸国と善隣友好の関係を樹立し、もって世界平和の達成に貢献せんことを期す。」とある。しかし、安倍が出してきた事例は、経済援助ばかりである。この式辞において、アジア諸国については「恩恵」の対象であり、対等な立場ではみていないのである。日本の「大国」化の反面にはアジア蔑視があるといえよう。

次に語られるのは、日本の伝統なるものを持ち出して語られる戦後日本の「成功神話」である。しかし、戦後日本において幾許か成功なるものがあったとしても、その成果が否定される時期に語られるというのは皮肉なことである。

主権回復以来、わが国が東京でオリンピックを開催するまで費やした時間はわずかに12年です。自由世界第2の経済規模へ到達するまで20年を要しませんでした。

これら全ての達成とは、私どもの祖父、祖母、父や母たちの孜々(しし)たる努力の結晶にほかなりません。古来、私たち日本人には、田畑をともに耕し、水を分かち合い、乏しきは補いあって、五穀豊穣(ごこくほうじょう)を祈ってきた豊かな伝統があります。その麗しい発露があったからこそ、わが国は灰燼(かいじん)の中から立ち上がり、わずかな期間に長足の前進を遂げたのであります。

そして、次に、サンフランシスコ平和条約のもつ不十分さが語られることになる。

 

しかしながら、国会決議が述べていたように、わが国は主権こそ取り戻したものの、しばらく国連に入れませんでした。国連加盟まで、すなわち一人前の外交力を回復するまで、なお4年と8カ月近くを待たねばなりませんでした。

 また、日本に主権が戻ってきたその日に奄美、小笠原、沖縄の施政権は日本から切り離されてしまいました。とりわけ銘記すべきは、残酷な地上戦を経験し、おびただしい犠牲を出した沖縄の施政権が最も長く日本から離れたままだった事実であります。

 「沖縄の祖国復帰が実現しない限り、わが国の戦後は終わらない」。佐藤栄作首相の言葉です。沖縄の本土復帰は昭和47年5月15日です。日本全体の戦後が初めて本当に終わるまで、主権回復からなお20年という長い月日を要したのでありました。沖縄の人々が耐え、忍ばざるを得なかった戦中、戦後のご苦労に対し、通り一遍の言葉は意味をなしません。私は若い世代の人々に特に呼び掛けつつ、沖縄が経てきた辛苦に、ただ深く思いを寄せる努力をなすべきだということを訴えようと思います。

日本の国連参加が遅れたのはソ連の拒否権発動であったためであり、その意味で、おぼろげに「単独講和」であった平和条約の問題性がふれられている。より鮮明にあらわれているのは、沖縄・奄美・小笠原が日本から切り離されたということである。ただ、この式辞では、結局のところ、これらの諸地域が日本から切り離されたことだけが問題にされている。独立論すらあった沖縄において、日本から切り離されたことだけが、苦難だったわけではない。多くの米軍基地が設置され、アメリカに統治されたことのほうが、戦後の苦難としては大きいのである。この式辞では、米軍の「加害」にはふれず、日本の施政権下にあったかなかったかといういわばナショナリスティックなことだけが「苦労」とされているのである。

そして、ここで、かなり唐突に、東日本大震災に対する国際的支援についてふれている。

 

わが国は再び今、東日本大震災からの復興という重い課題を抱えました。しかし同時に、日本を襲った悲劇に心を痛め、世界中からたくさんの人が救いの手を差し伸べてくれたことも私たちは知っています。戦後、日本人が世界の人たちとともに歩んだ営みは、暖かい、善意の泉を育んでいたのです。私たちはそのことに深く気付かされたのではなかったでしょうか。

中でも米軍は、そのトモダチ作戦によって、被災地の人々を助け、汗と、時として涙を共に流してくれました。かつて熾烈(しれつ)に戦った者同士が心の通い合う、こうした関係になった例は、古来まれであります。

こういうことに東日本大震災をひきあいにだすのなら、より被災者によりそった形で復旧をはかってほしいと思う。ただ、それはともかく、ここで式辞が主張していることは、国際社会、とりわけ米軍が、日本に対して救いの手をだしてくれたということである。まず、国際社会=米軍という意識がそこにあるといえよう。安倍晋三らにとって、国際社会とはつまり米軍のことなのである。そして、さらに、ここで米軍の「救いの手」を強調することで、沖縄が実際に味わってきた米軍による加害が無効化されるのである。

そして、ある意味では危機感をあおりつつ、次の三点にわたって、安倍は日本の将来的課題を述べて、この式辞を終えている。

 

私たちには世界の行く末に対し、善をなし、徳を積む責務があります。なぜなら、61年前、先人たちは日本をまさしくそのような国にしたいと思い、心深く誓いを立てたに違いないからです。ならばこそ、私たちには日本を強く、たくましくし、世界の人々に頼ってもらえる国にしなくてはならない義務があるのだと思います。

 戦後の日本がそうであったように、わが国の行く手にも容易な課題などどこにもないかもしれません。しかし、今61年を振り返り、くむべきは、焼け野が原から立ち上がり、普遍的自由と民主主義と人権を重んじる国柄を育て、貧しい中で次の世代の教育に意を注ぐことを忘れなかった先人たちの決意であります。勇気であります。その粘り強い営みであろうと思います。

 私たちの世代は今、どれほど難題が待ち構えていようとも、そこから目を背けることなく、あのみ雪に耐えて色を変えない松のように、日本を、私たちの大切な国を、もっと良い美しい国にしていく責任を負っています。より良い世界をつくるため進んで貢献する、誇りある国にしていく責任が私たちにはあるのだと思います。

 本日の式典にご協力をいただいた関係者の皆さま、ご参加をくださいました皆さまに衷心より御礼を申し上げ、私からの式辞とさせていただきます。

まず、第一点は、「大国化」である。安倍は「私たちには日本を強く、たくましくし、世界の人々に頼ってもらえる国にしなくてはならない義務がある」としている。

第二点は、「民主主義」の堅持ということになろう。一応、自由民主党は党名に「自由」と「民主」をいれている。彼らは「普遍的自由と民主主義と人権を重んじる国柄を育て」ていくというのである。皮肉にしか思えないが、結局、国際社会ーアメリカー米軍の前提のもとでしか主権維持はありえないのであり、アメリカの価値観からおおいにはずれるような政体は許されないということになろう。いうなれば、「主権回復」=「国際社会復帰」というこの式典のネーミングは、意外に深い問題を指し示しているといえる。もちろん、安倍にとって、国際社会なるものは第一義的にはアメリカである。「主権回復」=「対米従属」と考えれば、より状況を明確にとらえられるといえよう。

第三点は、再び昭和天皇の「松」を出し、日本を「もっと良い美しい国にしていく」ということを課題としている。「もっと良い美しい国」というのはまったく抽象的でとらえどころがないのだが、ここで昭和天皇の「松」が出されていることによって、意味内容が暗示されている。つまり、雪にたとえられる占領期の圧力からの「解放」がここでは意味されているといえよう。そこには、戦後憲法も含まれるのである。

安倍晋三の式辞を見る限り、このような意義が「主権回復の日」式典がこめられているといえよう。しかし、ここには矛盾も内包している。主権回復と国際社会復帰が重ね合わされており、それは究極的には、主権維持=対米従属ということに結びついているといえる。もちろん、このこと自体が矛盾の塊だが、とりあえず、さしあたっては、日本国家は、アメリカの価値観から大きく外れるわけにはいかないということになるだろう。安倍も「民主主義者」を自称し、自由民主党も「自由」と「民主」を党名にするという皮肉な事態がそこには発生する。

他方で、昭和天皇の「松」と「雪」に暗示させているように、彼らのいう占領期の憲法などの「押し付け」を打破して「主権回復」にふさわしい「もっと良い美しい国」をつくるという欲望がここには表出されている。しかし、そもそも、彼らのいう憲法などを「押し付けた」のもアメリカであり、もし彼らがいうように「もっと良い美しい国」などというものを確立したとして、アメリカが認めない可能性が生じるのである。結局、この主権回復の日記念式典の安倍晋三の式辞は、安倍などの日本の歴代政権がかかえている矛盾を、ここでもまた表出させているといえよう。

典拠:http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130428/plc13042822120012-n1.htm

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