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さて、今度は、元空幕長であり、石原慎太郎(日本維新の会共同代表)より推薦を受けて都知事選に立候補を予定している田母神俊雄がどのような原発論をもっているかみておこう。彼の原発論については、本ブログでも一部紹介した。しかし、部分的に紹介しても、彼の原発論総体が伝わらないと思われる。また、これは、原発推進派が原発や放射能についてどのように考えているのかを知る一つの材料にもなるだろう。ここでは、「第29代航空幕僚長田母神俊雄公式ブログ 志は高く、熱く燃える」に2013年3月20日に掲載された「福島原発事故から2年経って」を中心にみていこう。

田母神は、まず冒頭で、このように述べている。これが、全体のテーマといってよいだろう。

東日本大震災の福島原発の事故から2年が経過して、テレビなどではまたぞろ放射能の恐怖が煽られている。あの事故で誰一人放射能障害を受けていないし、もちろん放射能で死んだ人もいない。2度目の3月11日を迎え、原発反対派は鬼の首でも取ったように反原発運動を強化している。
http://ameblo.jp/toshio-tamogami/entry-11494727117.html

まず、田母神は、チェルノブイリでは原子炉自体が爆発して当初30人の死者が出てその後も多くの放射線障害を受けた人がいたが、福島では地震で原子炉自体は自動停止したが、津波により電源供給が絶たれて冷却水が送れないために水蒸気爆発を起こしたと、その違いを強調している。福島第一原発事故の主要原因が地震なのか津波なのかは議論のあるところだ。ただ、それはそれとして、田母神は「だから電源を津波の影響を受けない高台に設置すれば安全対策完了である。マグニチュード9の地震に対しても日本の原発は安全であることが証明されたようなものだ」と言い放つ。かなり唖然とする。日本の原発は海辺にあることが普通であり、もともと、津波被害には脆弱な構造を有しているのだが。

続いて、彼はこのようにいって、2012年末の総選挙で「脱原発」を掲げた政党を批判する。

原発がこの世で一番危険なものであるかのように騒いでいるが、我が国は50年も原発を運転していて、運転中の原発による放射能事故で死んだ人など一人もいない。それにも拘らず原発が危険だと煽って、昨年末の衆議院選挙でも脱原発、卒原発とかを掲げて選挙を戦った政党があった。しかし、日本国民もそれほど愚かではない。原発さえなければ後のことは知ったことではないという政党は選挙でボロ負けをすることになった。
http://ameblo.jp/toshio-tamogami/entry-11494727117.html

田母神によれば、「人間の社会にリスクがゼロのものなど存在しない…豊かで便利な生活のためにはリスクを制御しながらそれらを使っていくことが必要なの」であり、脱原発を主張する人は、飛行機にも車にも乗るべきではないとする。そして、原発新規建設計画がある米中韓で原発反対運動をすべきと揶揄しているのである。

田母神は、現在の福島第一原発は危険ではないと主張している。復旧作業をしている人がいるのだから、危険はないというのだ。福島第一原発の作業員において、今の所急性症状が出ていないのは、東電なりに法的規制にしたがって、作業場所や作業時間を管理した結果であり、人が入れないところは、ロボットが作業しているのだが、そういうことは考慮した形跡がない。

福島原発周辺で放射能的に危険という状況は起きていない。東京電力は、周辺地域に対し放射能的に危険であるという状況を作り出してはいない。福島原発の中では今でも毎日2千人もの人が入って復旧作業を継続している。そんなに危険であるのなら作業など続けられるわけがない。
http://ameblo.jp/toshio-tamogami/entry-11494727117.html

そして、福島第一原発は危険ではないにもかかわらず、住民を避難させて、損害を与えたのは、当時の菅政権の責任だとしている。彼によれば、年間20ミリシーベルトという基準でも厳しすぎるのである。年間100ミリシーベルトでよかったのだと、田母神はいう。ここで、私は、除染の基準は年間1ミリシーベルトであり、たとえ、住民が帰還しても、そこまで下げる義務が国にはあるということを付言しておく。田母神のようにいえば、避難も除染も一切ムダな支出となる。

しかし危険でないにも拘らず、ことさら危険だと言って原発周辺住民を強制避難させたのは、菅直人民主党政権である。年間20ミリシーベルト以上の放射線を浴びる可能性があるから避難しろということだ。国際放射線防護委員会(ICRP)の避難基準は、もっと緩やかなものに見直しが行われるべきだという意見があるが、現在のところ年間20ミリから100ミリになっている。これは今の基準でも100ミリシーベルトまでは避難しなくてもいいということを示している。100ミリを採れば福島の人たちは避難などしなくてよかったのだ。
(中略)
強制避難させられた人たちは、家を失い、家畜や農作物を失い、精神的には打ちのめされ、どれほどの損害を受けたのだろうか。一体どうしてくれるのかと言いたいことであろう。
(中略)
政府が避難を命じておいて、その責任を東京電力に取れというのはおかしな話である。繰り返しになるが福島原発の事故によって、東京電力は放射能的に危険であるという状態を作り出していない。危険でないものを危険だとして、住民を強制避難させたのは菅直人なのだ。
http://ameblo.jp/toshio-tamogami/entry-11494727117.htm

田母神は、原子力損害賠償責任法で異常な天災・地変によって生じた損害については、電力会社は責任をとらなくてよいことになっているが、にもかかわらず、巨額の賠償金支払いが義務付けられたと述べている。それは、東京電力が戦わなかった結果であるとし、「社長は辞めたが、残された東京電力の社員は経済的にも、また精神的にも大変つらい思いをしていることであろう」と、東京電力に同情している。

そして、田母神は、放射能は塩と同じで、なければ健康が維持できないが、一時に取りすぎると真でしまうものだと述べている。

放射能は、昔は毒だといわれていた。しかし今では塩と同じだといわれている。人間は塩分を採らなければ健康を維持できない。しかし一度に大量の塩を採れば死んでしまう。放射線もそれと同じである。人間は地球上の自然放射線と共存している。放射線がゼロであっては健康でいられるかどうかも実は分からない。放射能が人体に蓄積して累積で危険であるというのも今では放射線医学上ありえないことだといわれている。放射線は短い時間にどれだけ浴びるかが問題で累積には意味がない。
http://ameblo.jp/toshio-tamogami/entry-11494727117.htm

その論拠として、自然放射線の100倍の環境にいるほうが健康にいいという説(ミズーリ大学のトーマス・ラッキー博士が提唱しているとしている)、DNAが放射線で壊されてもある程度なら自動修復されるという説、年間1200ミリシーベルトの放射線照射は、健康によいことはあっても、それでガンになることはないという説(オックスフォード大学のウェード・アリソン教授が提唱したものとされている)をあげている。これは、いわゆる放射線ホルミシウス論というものであろう。

そして、結論として、田母神は、このように述べている。

我が国では長い間歴史認識の問題が、我が国弱体化のために利用されてきた。しかし近年では多くの日本国民が真実の歴史に目覚め始めた。そこに起きたのが福島原発の事故である。左向きの人たちは、これは使えるとほくそ笑んだ。そして今ありもしない放射能の恐怖がマスコミ等を通じて煽られている。原発なしでは電力供給が十分に出来ない。電力が不足してはデフレ脱却も出来ない。不景気が今のまま続き学校を卒業してもまともな就職も出来ない。放射能認識は第二の歴史認識として我が国弱体化のために徹底的に利用されようとしている。
http://ameblo.jp/toshio-tamogami/entry-11494727117.htm

田母神の「原発論」は、いってしまえば、日本の原発は、地震によって停止し、津波対策もされている(?)ので安全であり、放射線による健康障害などはありえず、それらを理由にした脱原発は、日本を弱体化させる陰謀であり、それにのってしまえば、電力不足、デフレによる不景気、就職危機が継続してしまうということになる。

田母神俊雄は、福島県郡山出身である。福島県あたりで、このような議論をされていると考えるとうそ寒くなる。

さらにいえば、田母神は、元航空幕僚長であった。航空自衛隊ではトップの役職である。一応、自衛隊は、よくも悪くも、核戦争や核物質テロへの対処を考えているはずだと思っていた。しかし、放射能を塩と同じという田母神のような認識で、まともな核戦争やテロへの対策がとれるのかと思ってしまう。さらにいえば、彼らから見れば都合の悪い情報は、こちら側を弱体化させる敵の悪宣伝でしかないのである。このような人が、どうして、航空幕僚長を勤めることができたのかとすら思えてしまう。

田母神俊雄のサイトに都知事選の政策が出ているが、原発については全くふれていない。しかし、このような原発認識を抱いている人物が、今や都知事に立候補しようとしているのである。

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2013年10月7日、吉見義明教授の著書『従軍慰安婦』(岩波新書、1995年)を「捏造」と記者会見の場で発言した日本維新の会所属の桜内文城衆議院議員に対する名誉棄損裁判の第一回公判が東京地裁で行われた。ほとんど日本のマスコミがとりあげていないため、ここでは、朝鮮日報が10月8日に日本語で発信したネット記事をあげておく。

慰安婦:「捏造と言われ名誉傷ついた」 吉見教授が法廷闘争

河野談話を引き出した吉見義明・中央大学教授、維新の会の桜内議員を訴える

 「旧日本軍の従軍慰安婦は、既に国際的に認められている研究結果だ。これを捏造(ねつぞう)だというのは名誉毀損(きそん)だ」(吉見義明教授)。

 7日午後4時、旧日本軍の従軍慰安婦問題をめぐり、良識派の大学教授と歴史的真実を否定する国会議員とが東京地裁の法廷で激しい論争を繰り広げた。東京地裁ではこの日、中央大学の吉見義明教授が日本維新の会の桜内文城衆院議員を名誉毀損で訴えた裁判の第1回口頭弁論が開かれた。

 吉見教授は、第2次世界大戦当時日本軍が慰安婦を強制動員したことを立証する資料を発掘し、慰安婦の存在を認めて謝罪した河野談話(1993年)を引き出した、日本を代表する良識派だ。しかし桜内議員は「慰安婦がいたと主張するのは、日本国民に対する名誉毀損」と強弁した。桜内議員は今年5月の記者会見で、吉見教授の著書について「(内容は)捏造(ねつぞう)であるということが、いろんな証拠によって明らかとされている」と主張した。吉見教授は、桜内議員に発言の撤回を求めたが、受け入れられなかったため、1200万円の損害賠償と謝罪を求める訴えを起こした。

 7日の口頭弁論で桜内議員は「吉見教授は、存在もしていなかった性奴隷についての主張を世界にまき散らし、日本と日本国民の名誉と尊厳を害しており、受け入れられない」という主張を繰り返した。日本の極右勢力は今回の裁判を、慰安婦の存在を否定するチャンスにするため、総力戦を展開する見込みだ。これに対し吉見教授の弁護団は「従軍慰安婦の存在が法廷で認められる、意味ある裁判になるだろう」と語った。吉見教授の弁護団には大林典子弁護士など7人が、桜内議員の弁護団には弁護士6人が参加した。7日の口頭弁論の傍聴人はおよそ100人に達した。
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2013/10/08/2013100801207.html

朝鮮日報の記事はこの出来事をおおむね伝えているのだが、多少省略しているところがある。まず、桜内議員の発言が、5月27日の日本外国特派員協会における橋下徹の従軍慰安婦問題についての記者会見の場で行われたということである。

また、もう一つは、吉見教授の著書の題名である。前述しているが『従軍慰安婦』である。『Comfort Women:Sexual Slavery in the Japanese Military During World War Ⅱ』(コロンビア大学出版部 2000年)という題名で英訳もされている。

従軍慰安婦問題の専門家として、吉見義明教授は著名である。しかし、特に、吉見氏に反感を持つ人たちは、その著書をほとんど読んでいないのではないかと思う。実際、私も傍聴していたが、吉見氏の本を「捏造」として主張していた桜内代議士からして、まともに『従軍慰安婦』を読んでいないのではないかという印象をもった。

例えば、桜内代議士は、このようにいっている。

第 2 点 「慰安婦=日本軍の性奴隷」は真実か否か
そもそも吉見氏の中心的主張の出発点である「慰安婦=日本軍の性奴隷」という概念は、歴史的事実として真実か否か。ここで、法解釈学における「規範定立」、「事実認定」、「規範への当てはめ」、「結論」という典型的な論理展開を援用する。
まず「規範定立」の段階として、国際法上の「奴隷」または「性奴隷」の定義・要件とは、「行為者(国や軍隊)が『文民たる住民を対象とする広範または組織的な攻撃の一部』であることを認識しつつ、対象者(奴隷)が『所有権に伴ういずれか又はすべての権限を行使』されること、具体的には『購入、売却、貸与、仲介、または、これらと同様の自由を剥奪する行為』の対象となること」であると客観的かつ明確に定められている。
次に「事実認定」として、慰安婦の①募集形態及び②生活条件等については、原告及び被告の間に争いは存在しない。慰安婦が一定の自由を得ていたことは、吉見氏も自著に記述している。
本来、「事実認定」に争いがない場合、一般的な「規範定立」が一致していれば、何人であれ同一の「結論」が得られるはずである。従って上記「規範定立」と「事実認定」に照らせば、「慰安婦は、国際法上の「奴隷」または「性奴隷」の定義・要件には該当しない」、換言すれば、「慰安婦=日本軍の性奴隷」という概念は歴史的事実として真実ではない、という論理展開の「結論」が得られる。
ところが、吉見氏の主張が悪質なのは、慰安婦が国際法上の「奴隷」または「性奴隷」の定義・要件に該当しないことを熟知しながら、特に「規範への事実の当てはめ」の段階で自らの政治的主張を潜り込ませることにより、「慰安婦=日本軍の性奴隷」という虚構の事実を捏造し、事実と見せかけて自身の政治的主張を世界中にまき散らしたことである。かかる吉見氏の主張と行為は、日本国及び日本国民の名誉と尊厳を故なく毀損するものであり、断じて許す訳にはいかない。
『日本維新の会 NEWS RELEASE』
https://j-ishin.jp/legislator/news/2013/10/08/%E7%AC%AC%E4%B8%80%E5%9B%9E%E5%8F%A3%E9%A0%AD%E5%BC%81%E8%AB%96%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%AA%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%B9.pdf

この文章は、桜内代議士の法廷陳述の概略の一部である。いろいろ問題はあるが、ここでは省略しておこう。一番問題なのは、「次に『事実認定』として、慰安婦の①募集形態及び②生活条件等については、原告及び被告の間に争いは存在しない。慰安婦が一定の自由を得ていたことは、吉見氏も自著に記述している。」という文章である。慰安婦について、桜内代議士がどのような見解をもっているのかは、とりあえずおくとしよう。しかし、「慰安婦が一定の自由を得ていた」と吉見氏は『従軍慰安婦』で書いているのだろうか。そして、慰安婦の募集形態と生活条件について、吉見氏と桜内代議士の間について、本当に「争い」はないのだろうか。

そこで、ここでは、吉見氏の『従軍慰安婦』がどんな本かを簡単にみていくことにする。

まず、本書の構成をみておきたい。

Ⅰ 設置の形態と実態ー第一次上海事変から日中戦争まで

Ⅱ 東南アジア・太平洋地域への拡大ーアジア太平洋戦争期

Ⅲ 女性たちはどのように徴集されたかー慰安婦たちの証言と軍人の回想

Ⅳ 慰安婦たちが強いられた生活

Ⅴ 国際法違反と戦犯裁判

Ⅵ 敗戦後の状況

終章

非常に簡単にいえば、「はじめに」では、河野談話その他、1995年までの従軍慰安婦問題の推移について記し、従軍慰安婦について「日本軍の管理下におかれ、無権利状態のまま一定の期間拘束され、将兵の性交の相手をさせられた女性たちのことであり、『軍用性奴隷』とでもいうしかない境遇に追いこまれた人たちである」(本書p11)と定義している。

その上で、ⅠとⅡでは、慰安所が、日本軍の占領地においてひろがっていく過程を、時系列でおっている。慰安所は、占領地での強姦防止や性病予防のためとして日本軍が設置を必要としていたもので、設置や慰安婦の輸送などについては軍や警察が関与していたと述べられている。ⅠとⅡにおいて、「軍用性奴隷」の「軍用」ということが了解されるように論理展開されているのである。

そして、Ⅲでは、慰安婦がどのように集められたということが記載されている。これは、(1)日本内地、(2)植民地(朝鮮・台湾)、(3)占領地(中国・東南アジアなど)で、様相が異なっているとされている。(1)の日本内地の場合は、貸座敷などから集められた売春婦が多いとされている。(2)の植民地の場合、警察などが直接強制するというより、詐欺や身売りなどを通じて集められたことが多いとしている。しかし、警察なども身分証明書の発給などで協力したとしている。(3)の占領地の場合は、軍が直接強制して集めさせる場合が多かったとしている。吉見氏の記述による場合、(1)の日本内地の場合を除けば、直接的強制の有無はあるものの、自由な合意のない形で慰安婦にされていったケースが多いということになるだろう。

Ⅳでは、慰安婦たちの生活について述べられている。慰安婦については性交を強要され、過酷な場合では一日に数十人の相手しなくてはならなかったとされている。休日はとくに決めていないか、あっても月に1〜2回程度だったという。料金は有料だったが、前貸金や日用品などで搾取され、十分慰安婦に渡らなかった場合も少なくなかったとされている。重要なことは、日常的に外出が制限されていたということである。そして、本来兵士の性病予防のためのものであったはずだが、性病に伝染することは多かったとされている。そして、Ⅳの最後で、「事実上の性的奴隷制である日本の国内の公娼制でも、一八歳未満の女性の使役の禁止、外出・通信・面接・廃業などの自由を認めていたが、この程度の保護規定すらなかった。従軍慰安婦とは、軍のための性的奴隷以外のなにものでもなかったのである」(本書p158)と述べている。よく、慰安婦を集める際の「強制」の有無が問題にされるが、吉見氏の場合、むしろ、慰安所における無権利状態をさして「性的奴隷」といっているのである。

Ⅴでは、そのような慰安制度のあり方は、当時においても国際法違反であったこと、そして、抑留所にたヨーロッパ系民間人を強制的に慰安婦としたジャワ島スマラン慰安所については、戦後、戦犯裁判となったことが記載されている。つまり、第二次世界大戦の当時から慰安婦制度は国際法では認められないものであったのである。

Ⅵでは、戦後の占領軍の慰安所設置や強姦事件の問題が述べられた後、各国の軍隊における慰安所類似施設の問題が検討されている。ナチスドイツの場合は軍用慰安所が設置されたとされているが、英米軍においては慰安所設置は一般的とはいえなかったとされている。このように、各国軍隊を比較した後、慰安婦たちの苦難にみちた「戦後」が語られている。

終章では、公娼制度との比較がなされた後、従軍慰安婦制度の本質について、(1)女性についての人権侵害、(2)人種差別・民族差別、(3)経済的階層差別、(4)国際法違反の戦争犯罪からなる「複合的人権侵害」であると指摘している。

少なくとも、吉見氏の『従軍慰安婦』を読む限り、「慰安婦が一定の自由を得ていた」などと書いてはいない。「事実上の性的奴隷制である日本の国内の公娼制でも、一八歳未満の女性の使役の禁止、外出・通信・面接・廃業などの自由を認めていたが、この程度の保護規定すらなかった。従軍慰安婦とは、軍のための性的奴隷以外のなにものでもなかったのである」と吉見氏は書いているのであり、全く逆のことを強調している。そして、このことは、結論だけをとってつけた形で述べているのではなく、叙述全体から実証されるように論理展開がなされている。

さてはて、桜内代議士の法廷陳述は、そもそも『従軍慰安婦』での記述と全く反することを述べ、それを「吉見氏が書いた」としている。読めばすぐわかるような叙述を無視したのである。彼自身が『従軍慰安婦』を自身で読み通したかどうかわからない。しかし、吉見氏の『従軍慰安婦』を全く読まないで批判している人びとのことしか相手にしていないということにはなるだろう。「従軍慰安婦」制度をどう認識するかということは、それぞれいろんな問題があるだろう。しかし、それ以前に『従軍慰安婦』という本がどのように叙述されているのかということすら不明なのである。

桜内代議士は、東大を卒業して財務省に入省し、政治家になる直前には新潟大学で准教授をしていた人である。引用した箇所をみても、形式論理を駆使する「知性」は感じられる。しかし、それは、『従軍慰安婦』という書物に具体的に書かれた叙述を理解して(批判的であっても)の上のことではないのである。そして、このような営為を許している社会もまた問題なのである。

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さて、橋下徹が5月13日午前中の囲い取材で述べた「慰安婦」についての発言は、午後(退庁時)の囲み取材でも続いた。まず、5月25・26日に元慰安婦が大阪を訪問する予定があり、橋下に面会を求めるということで、面会する予定なのかと記者が問い、橋下は会う予定で調整していると述べた。その後、このようなやりとりがあった。

―― 以前から元慰安婦の方に対して優しいお言葉をかけていかなきゃいけないとおっしゃっていますが、具体的にはどんなお話を? もしお会いになられたら……。

それは今ここで言っても、仕方がありませんから。その時に、お会いした時に話をします。

―― 優しい言葉をかけなきゃいけないとおっしゃっている一方で、今朝、各国の軍隊が当時制度として(慰安婦を)持っていた事実があって、当時の状況を考えると必要だったというような発言もあったと思いますが、今までにない踏み込んだ発言だったようにも感じたんですが……。

いや、そんなことなくて、ま、聞かれなかったから言わなかっただけで、当時の状況ではそういうことを活用していたのは事実ですから。当時の状況としては。ただ、それをよしとするかどうかというのは別でね。意に反してそういう職業に就かなければならない。「意に反して」ですよ。自らの意志でそういう職業に就いてる人も中にはいたでしょうしね。

現代社会にだって風俗業というのはしっかり職業としてあるわけですから。自らの意志でやった場合には、まぁ、それは自らの意志でしょうということになりますけど、意に反して、そうせざるをえなかったという人たちに対しては、これは配慮が必要だと思いますよ。
http://synodos.jp/politics/3894/2

橋下は、慰安婦において、意に反してなる人と自らの意志でなる人と両様があって、意に反してなった人びとには「配慮」しなければならないとしている。「意に反してなる」人が少しでもいれば、「強制的」だったということにもなり、慰安婦に対する「強制」はなかったという説が成り立たないことになるが、そういうことは考えないのである。

そして、従事する女性の同意/不同意に関わらず、軍を維持するために慰安婦制度は必要であったと述べている。そして、今は慰安婦制度は認められないが、やはり風俗業は必要だとしているのである。そして、有名になった、沖縄の海兵隊司令官にもっと風俗活用をすべきであるという発言を紹介したのであった。

―― 「意に反して」ということでも必要ではあったということでしょうか? いい気はしないけれども、状況からして必要であったということですか?

いや、意に反した、意に即したかということは別で、慰安婦制度っていうのは必要だったということですよ。意に反するかどうかに関わらず。軍を維持するとか軍の規律を維持するためには、そういうことが、その当時は必要だったんでしょうね。

―― 今は違う?

今はそれは認められないでしょう。でも、慰安婦制度じゃなくても風俗業ってものは必要だと思いますよ。それは。だから、僕は沖縄の海兵隊、普天間に行った時に司令官の方に、もっと風俗業活用して欲しいって言ったんですよ。そしたら司令官はもう凍り付いたように苦笑いになってしまって、「米軍ではオフリミッツだ」と「禁止」っていう風に言っているっていうんですけどね、そんな建前みたいなこというからおかしくなるんですよと。

法律の範囲内で認められている中でね、いわゆるそういう性的なエネルギーを、ある意味合法的に解消できる場所ってのが日本にはあるわけですから。もっと真正面からそういうところ活用してもらわないと、海兵隊のあんな猛者のね、性的なエネルギーをきちんとコントロールできないじゃないですかと。建前論じゃなくてもっとそういうとこ活用してくださいよと言ったんですけどね。それは行くなという風に通達を出しているし、もうこれ以上この話はやめようっていうんで打ち切られましたけどね。だけど風俗業ありじゃないですか。これ認めているんですから、法律の範囲でね。

―― 活用していないから事件が起こると?

いやいや、それは因果関係は別です。でももっと、だから、そういうのは堂々と……。それは活用したから事件がおさまるという風な因果関係にあるようなものではないでしょうけど、でも、そういうのを真正面から認めないと、建前論ばかりでやってたらダメですよ。そりゃあ兵士なんてのは、日本の国民は一切そういうこと考えずに成長するもんですから、あんま日本国民考えたことないでしょうが、自分の命を落とすかもわかんないような、そんな極限の状況まで追い込まれるような、仕事というか任務なわけで。それをやっぱり、そういう面ではエネルギーはありあまっているわけですから、どっかで発散するとか、そういうことはしっかり考えないといけないんじゃないですか。それは建前論で、そういうものも全部ダメですよ、ダメですよって言っていたら、そんな建前論ばっかりでは、人間社会はまわりませんよ。
http://synodos.jp/politics/3894/2

今読んでみると、いささか恥ずかしくなってくるのだが…。この発言には、いくつかの問題点を指摘できる。まず、売春を組織として禁じている米軍に対してーそれも司令官に対してーこのような発言をするということは、米軍からみれば、組織に対する侮辱ととらえられるだろうということである。この紹介の中で、米軍司令官はそのような形で対応したし、その後のアメリカ政府の対応もまた、その観点から行われている。

他方で、このような発言について、日本とりわけ沖縄の人びとがどう思うかということである。この発言は、兵士の性的エネルギーのコントロールにつき、公的な形で女性を「活用」しろといっているわけであるから、女性を「性的な資源」としてみているわけで、女性に対する人権侵害になることは間違いない。他方で、ナショナリスティックな観点からみたらどうなるか。日本とりわけ沖縄がアメリカの従属下にあることはあきらかである。それは、日米安保条約と日米地位協定に表現されている。沖縄での米兵の性犯罪がたえないのは、第一に長期間にわたって大規模にアメリカ軍が駐留しているためであり、第二に不平等な日米地位協定によって日本の警察権が十分米兵に及ばないことが起因している。そのようななか、アメリカ軍司令官に日本の「女性」の活用をもちかけるということは、日米の従属関係の基本について異議を申し立てず、かえって便宜供与を提起するということになるだろう。結局、そうなると、強制であるか合法であるとか、女性が合意しているかどうかは関係なく、従属を強いている相手にさらに便宜供与するのかということになるだろう。そして、アメリカー日本・沖縄という現在の構図は、植民地期の日本ー朝鮮という構図に変換可能である。いわば、橋下は、たぶん自ら意図したのではないだろうが、慰安婦問題を現代世界においてわかりやすく可視化してしまったのである。

さらに、橋下は、米軍も朝鮮戦争期や占領期の沖縄において慰安婦制度をもっていた、日本軍以外もレイプはしていた、日本だけが慰安婦をもっていたのではないと、それまでの説明を繰り返し、最後に、次のように述べている。

ただ、日本の軍がね、または日本政府が国をあげてね、暴行脅迫拉致をしたという証拠が出てくれば、それはやっぱり日本国として反省しなければいけないけれど、そういう証拠がないって言う風に日本政府が閣議決定しているわけですからね。だから、今度、慰安婦の方が大阪市役所に来られた時にね、暴行脅迫うけたのか、拉致されたのかね、そのあたりについても、お話うかがわせてもらえるんだったら、うかがわせてもらいたいですけどね。

本当にそうだってことであるんだったら、日本政府の方にその証言とってもらってですね、なんだ拉致あるじゃないですかと、2007年の閣議決定の時と違うじゃないですかっていう話になってもこれは仕方ないと思いますしね。今は、いろんな論戦の中で、従軍慰安婦問題を否定している人たちって言うのは、暴行脅迫や拉致は絶対になかったって言っているわけですから、それはあるって話になれば、それは従軍慰安婦問題を真っ向から否定している人たちは論拠がなくなるわけですしね。まぁ、だから、どういう状況で、どういう経緯で慰安婦にならざるをえなかったのか、そういうお話をうかがわせてもらえるんであればお聞かせいただきたいという風に思ってますけども。
http://synodos.jp/politics/3894/2

つまり、慰安婦の人びとと、このようなことでディベートをしたいというのである。

ここまで、橋下の発言を「読解」してきた。韓国その他アジア諸国には「謝罪」するが、植民地政策をすすめ、慰安婦制度をもっていた(と橋下は主張する)アメリカなどの欧米諸国には、結局同じくらい悪いことをしていると主張するのだというのである。そのつながりで、沖縄の米軍司令官には性的エネルギー発散のため風俗業への活用をすすめるということになるのである。

ずっと読み進めてみると、だんだん誰もがが正当とは思えない袋小路に自分から入っていったという感想をもった。欧米諸国が植民地政策を行っていたことは自明であり、その意味で欧米諸国にも批判の余地があるということは、ある程度の(それだけをとりだせばということになるが)賛成を得られるであろう。しかし、世界各国が日本と同様の慰安婦制度をもっていたかといえば、?をつけざるをえない。日本の慰安婦制度すら解明されているとはいえず、それと比較可能な形で各国軍隊の売春業が解明されているのだろうか。そして、現在の在日米軍に公に風俗業を活用するという発言については、ある意味では「建前」をたたく姿勢のみを評価する人びとを除いて、だれが評価するのであろうか。逆に、あの発言こそ、公的な機関が組織的にそのような事業にかかわることの危険性を指し示したといえるのである。たぶん、刺激的な発言をすることで衝撃を与えようとしたのであろう。確かに、衝撃を受けた。しかし、それは、大多数の人びと(それも世界的に)が橋下を排除するように作用したのである。

といっても、このような袋小路は、橋下徹のみが陥っているわけではない。結局、日本の侵略の問題性を相対化しようというこころみは、橋下以前の自民党などの保守派が一貫して行ってきたことであった。慰安婦における強制性を認めないということは、彼らが開発してきた論理なのだ。しかし、冷戦終結後の彼らの営為は、対アジア諸国からの批判をまねいただけでなく、アメリカほか日本が依存してきた欧米諸国の批判につながっていった。今年の5月始め、橋下発言の直前、安倍政権が陥っていた状況はそのようなものであった。橋下は、その状況下で発言して、何らかの主導権を得ようとしたといえる。しかし、内外からの批判をあびてしまったのである。

もし、橋下のように、侵略を相対化し慰安婦の強制性を認めないことから議論を開始すれば、やはり橋下のような袋小路に落ちいることになるだろう。そして、それは、橋下が介入しなければ安倍政権がすすんだかもしれない道だったのである。

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さて、前回は、5月13日に行われた橋下徹大阪市長の「慰安婦」発言の読解の前提として、彼の「侵略」に対するダブルスタンダードがあることを指摘した。彼によれば、欧米諸国が日本を「侵略」国家というのは、本来は同じく植民地政策をともに行っているのであるから認めるべきではないことであるが、「敗戦国」であるから認めざるをえないとしているのである。それでも、事実と違うことで日本が非難されているならば、反論せざるをえないと主張している。他方、被害を与えたアジア諸国に対しては、お詫びと反省が必要なのだとしている。

橋下は、事実と違うことで非難されている事例として、「慰安婦」問題をあげている。橋下は13日午前の「囲み取材」において、「慰安婦問題」について、まず、このように述べている。

ただね、事実としては言うべき事はいっていかなくちゃいけないと思っていますから。僕は、従軍慰安婦問題だってね、慰安婦の方に対しては優しい言葉をしっかりかけなきゃいけないし、優しい気持ちで接しなければいけない。意に反してそういう職業に就いたということであれば、そのことについては配慮しなければいけませんが。

しかし、なぜ、日本の従軍慰安婦問題だけが世界的に取り上げられるかというと、その当時、慰安婦制度っていうのは世界各国の軍は持っていたんですよ。これはね、いいこととは言いませんけど、当時はそういうもんだったんです。ところが、なぜ欧米の方で、日本のいわゆる慰安婦問題だけが取り上げられたかというと、日本はレイプ国家だと。無理矢理国を挙げてね、強制的に意に反して慰安婦を拉致してですね、そういう職に就職業に付かせたと。

レイプ国家だというところで世界は非難してるんだっていうところを、もっと日本人は世界にどういう風に見られているか認識しなければいけないんです。慰安婦制度が無かったとはいいませんし、軍が管理していたことも間違いないです。ただ、それは当時の世界の状況としては、軍がそういう制度を持っていたのも厳然たる事実です。だってそれはね、朝鮮戦争の時だって、ベトナム戦争だってそういう制度はあったんですから、第二次世界大戦後。

でもなぜ日本のいわゆる従軍慰安婦問題だけが世界的に取り上げられるかというと、日本は軍を使ってね、国家としてレイプをやっていたんだというところがね、ものすごい批判をうけているわけです。

僕はね、その点については、違うところは違うと言っていかなければならないと思いますね。ただ意に反して慰安婦になってしまった方はね、それは戦争の悲劇の結果でもあるわけで、戦争についての責任はね、我が日本国にもあるわけですから。そのことに関しては、心情をしっかりと理解して、優しく配慮していくことが必要だと思いますけど。しかし、違うことは違うって言わなきゃいけませんね。
http://synodos.jp/politics/3894

ここでも、アジアと欧米とのダブルスタンダードは貫かれている。韓国などの慰安婦に対しては温かな言葉をかけなくてはならないとしている。しかし、日本の慰安婦制度は強制的なものではなく、その意味で同様な慰安婦制度をもっていたのであるから、日本だけが非難されるべきではないとしているのである。

そして、ここで、「日本の政治家」を次のように非難する。

日本の政治家のメッセージの出し方の悪いところは、歴史問題について、謝るとこは謝って、言うべきところは言う。こういうところができないところですね。一方のスタンスでは、言うべきとこも言わない。全部言われっぱなしで、すべて言われっぱなしっていうひとつの立場。もう一つは事実全部を認めないという立場。あまりにも両極端すぎますね。

認めるところは認めて、やっぱり違うところは違う。世界の当時の状況はどうだったのかという、近現代史をもうちょっと勉強して、慰安婦っていうことをバーンと聞くとね、とんでもない悪いことをやっていたとおもうかもしれないけど、当時の歴史をちょっと調べてみたらね、日本国軍だけじゃなくて、いろんな軍で慰安婦制度ってのを活用してたわけなんです。
http://synodos.jp/politics/3894

つまり、主張すべき点は主張せよというのである。

他方で、慰安婦については、謝罪すべきは謝罪せよと主張するのである。

ただ意に反して慰安婦になった方に対しては、配慮しなければいけないと思います。認めるところは認めて、謝るところは謝って、負けた以上は潔くしないと。自民党だって、すぐ武士精神とか武士道とかもちだすのに、負けたのにぐちゃぐちゃいったってしょうがないですよ。負けちゃったんですから。そこは潔く認めて。
http://synodos.jp/politics/3894

このように、橋下は、「慰安婦」問題でもダブルスタンダードを貫いているのである。韓国などの慰安婦には謝罪すべきは謝罪せよという。一方、欧米諸国を中心とする国際世論については、当時はどの国でも「慰安婦制度」があったのであるから、日本だけが悪いわけではないと主張すべきとしているのである。これは、侵略に対するダブルスタンダードを「慰安婦」問題に適用したものといってよい。そして、これは、極度に「普遍性」を排した相対主義的(機会主義といったほうがよいかもしれない)な主張であるといえよう。相手によって、主張が変わるのであるから。橋下自体はこのようなあり方を「プラグマティズム」と考えているかもしれない。

ただ、これは、橋下の頭の中でしか通用しないものともいえる。韓国の慰安婦については、「意に反してそういう職業に就いたということであれば、そのことについては配慮しなければいけません」といっている。いわば強制的に慰安婦にさせられた場合もあることを認めた上で、「配慮」せよと主張しているのである。他方で、2007年の閣議決定では、強制連行で慰安婦にされた証拠がないとして、次のように述べている。

証拠が出てきたらね、それは認めなきゃいけないけれども、今のところ2007年の閣議決定では、そういう証拠はないという状況になっています。先日、また安倍政権で新しい証拠が出てくる可能性があると閣議決定したから、もしかすると、強制的に暴行脅迫をして慰安婦を拉致したという証拠が出てくる可能性があると。もしかするといいきれない状況が出てきたのかもわかりませんが、ただ今のところ、日本政府自体が暴行脅迫をして女性を拉致したという事実は今のところ証拠に裏付けられていませんから、そこはしっかり言ってかなければいけないと思いますよ。
http://synodos.jp/politics/3894

慰安婦が強制連行された証拠がないという論理は、慰安婦は強制的なもの、いわば意に反して従事させられたものではなく(それ自身論理的飛躍があるが)、売春婦にすぎないのであって、謝罪も補償も必要ないという主張の根拠となっている。このような考えは、例えば自民党の稲田朋美なども主張しており、在日特権を許さない市民の会などのデモのヘイトスピーチにもよくみられる。慰安婦の強制性を認めないのであれば、なぜ橋下が慰安婦に温かい言葉をかけなくてはならないか、その理由がわからない。慰安婦の人びとも、橋下発言において慰安婦の強制性を認めないことを批判している。結局、「慰安婦」問題において、アジア向けと欧米向けで事実認定を変更して対応を変えるということは無理なのだ。

そして、慰安婦問題において強制性を認めないということは、次の難点を導き出すことになる。橋下は第二次世界大戦当時、世界各国において「慰安婦」制度が存在していたとしている。その根拠として、彼は、世界各国における「慰安婦」制度を例示することで根拠を示すのではなく、次のような形で正当化する。

そりゃそうですよ、あれだけ銃弾の雨嵐のごとく飛び交う中で、命かけてそこを走っていくときに、そりゃ精神的に高ぶっている集団、やっぱりどこかで休息じゃないけども、そういうことをさせてあげようと思ったら、慰安婦制度ってのは必要だということは誰だってわかるわけです。
http://synodos.jp/politics/3894

根拠というよりも、いわば「常識」(男性的偏見といったほうがよいかもしれない)によって「慰安婦」制度を「必要」なものとしているのである。ここで、「慰安婦」制度は「必要」という言説が出て来るのである。そして、この言い回しが、「常識」を根拠にしている限り、歴史的なものではなく、いわば超歴史的な「軍隊」において「必要」なものとして認識される可能性があることをここでは指摘しておこう。

これは、橋下が慰安婦を強制的なものではない「売春婦」として認識していることを示すものといえよう。しかし、これは、各国の軍隊における売春の実態について根拠を示すことがなく、それらを日本の慰安婦制度と同一視しているといえる。橋下は慰安婦を一般的な売春として認識しているから、そういう言い回しが成り立つ。世界亜各国の軍隊が買春をしていたのは事実であろう。しかし、それらを根拠も示さず、日本の「慰安婦」制度と同一視できるのか。軍隊が組織的に関与して多くの占領地で実施された日本の慰安婦制度と、例えば原則的には禁止され、建前では個人的な営為とされているアメリカ軍における売春と同様なものなのであろうか。さらに、それではなぜ慰安婦に「温かい配慮」をしなくてはならないのか。そういう問いが惹起されるのである。

そして、午後(退庁時)の囲み取材において、「慰安婦」問題に関連して、「米軍に風俗利用をすすめる」発言がとび出すことになった。これについては後述していこう。

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さて、2013年5月13日、橋下徹大阪市長が大阪市役所における「囲み取材」にて「慰安婦」発言を行い、それに対し、韓国・中国・アメリカを含めた内外から多くの批判を浴びるという事件が発生している。

このことについて、ずっと関心があった。しかし、どのような形で論じるべきかわからなかった。経過をおうことは新聞が行っているといえる。また、批判についても、それぞれの立場ですでに行われている。

しかし、橋下自身も主張しているように、そもそも、橋下の発言自体がどのようなものであったか、それを発言自体に忠実に「読解」しているものはあまり多くないようにみえる

幸い、SYNODSというサイトで、発端となった5月13日の囲み取材の応答を詳細におこしたものがある。私も、この囲み取材の動画をみたが、大体、このように述べているように思われる。これを参考に、5月13日の午前と午後の「囲み取材」で行われた橋下の「慰安婦」発言について「読解」してみよう。

まず、「慰安婦」についての発言は、5月13日午前(市長登庁時)の次の応答からはじまっている。

―― 村山談話ですが、自民党の高市さんが侵略という言葉はどうかと批判的なことをおっしゃっていましたが、安倍首相も侵略についてはっきりと???(聞き取れず)ですが、植民地支配と侵略をお詫びするという村山談話については。

侵略の定義については学術上きちんと定義がないことは安倍首相が言われている通りです。

第二次世界大戦後、事後的に、国連で安保理が、侵略かどうかを最後に判定するという枠組みが決まりましたけれども。侵略とはなにかという定義がないことは確かなのですが、日本は敗戦国ですから。戦争をやって負けたんですね。そのときに戦勝国サイド、連合国サイドからすればね、その事実というものは曲げることはできないでしょうね。その評価についてはね。ですから学術上さだまっていなくてもそれは敗戦の結果として侵略だということはしっかりと受け止めなくてはいけないと思いますね。

実際に多大な苦痛と損害を周辺諸国に与えたことは間違いないですからその事実はしっかりと受け止めなくてはならないと思います。その点についても反省とお詫びというものはしなくてはいけない。
http://synodos.jp/politics/3894

もはや、ほとんどの人が忘却しているが、橋下の「慰安婦」発言は、記者の侵略戦争についての「村山談話」についてどのように思うかという質問に答えたところからはじまっており、本来は、日本の過去の侵略戦争総体をどう考えるかということがテーマであった。

この質問に対する橋下の回答は、かなり不思議である。まず第一に安倍首相の発言を引き継ぎ「学術上侵略という定義はない」と答えている。この言い方からすれば、日本がアジアを侵略したということを認めない文脈になるだろう。

しかし、第二には、「敗戦国」であるから日本が侵略したということを認めなくてはならないとしている。

そして第三に、「実際に多大な苦痛と損害を周辺諸国に与えたことは間違いない」から反省とお詫びをしなくてならないとしているのである。

通常は、「実際に多大な苦痛と損害を周辺諸国に与えたことは間違いない」から、「侵略」に対するお詫びと反省をするということになるだろう。ここで、それとは逆に、橋下は、「侵略」という定義自体が明確ではないのだが、敗戦国である以上「侵略」ということを認めざるをえず、ゆえに「反省」と「お詫び」をするという論理構造になっているのである。橋下は「侵略」という事実から出発するのではなく、「敗戦」という事実から「侵略」という認識を認めざるをえないとしているのである。

なぜ、「敗戦」という事実を前提に日本が侵略したという事実を認めなくてはならないのだろうか。この応対のやや後の方で、橋下はこのように述べている。

それから戦争責任の問題だって敗戦国だから、やっぱり負けたということで受け止めなきゃいけないことはいっぱいありますけど、その当時ね、世界の状況を見てみれば、アメリカだって欧米各国だって、植民地政策をやっていたんです。

だからといって日本国の行為を正当化しませんけれども、世界もそういう状況だったと。そういう中で日本は戦争に踏み切って負けてしまった。そこは戦勝国としてはぜったい日本のね、負けの事実、悪の事実ということは、戦勝国としては絶対に譲れないところだろうし、負けた以上はそこは受け入れなきゃいけないところもあるでしょうけど。

ただ、違うところは違う。世界の状況は植民地政策をやっていて、日本の行動だけが原因ではないかもしれないけれど、第二次世界大戦がひとつの契機としてアジアのいろんな諸国が独立していったというのも事実なんです。そういうこともしっかり言うべきところは言わなきゃいけないけれども、ただ、負けたという事実だったり、世界全体で見て、侵略と植民政策というものが非難されて、アジアの諸国のみなさんに多大な苦痛と損害を与えて、お詫びと反省をしなければいけない。その事実はしっかりと受け止めなけれないけないと思いますね。
http://synodos.jp/politics/3894

橋下によれば、アメリカを含む欧米各国は植民地政策をとっており、日本だけの問題ではなかったが、敗戦することで「負けの事実、悪の事実」を認めさせられたということになるだろう。つまり、本来、アメリカなどからする「侵略」という規定は認める必要がないのだが、「敗戦」し、勝者の価値観を受け入れざるをえないから「侵略」という規定を認めざるをえなかったというのである。

では、他方、アジア諸国に対してはどうだろうか。ここでも「アジアの諸国のみなさんに多大な苦痛と損害を与えて、お詫びと反省をしなければいけない。」としている。

つまり、橋下は、「侵略」ということに対して、ダブルスタンダードでいるといえよう。アメリカを含む欧米諸国に対しては、同じく植民地政策をとっていたので、本来、日本だけが侵略したということを認める必要がないが、敗戦国だからしかたなく認めるとしている。他方で、実際に被害を与えたアジア諸国については、お詫びと反省をいうというのである。このようなダブルスタンダードは、後述するように「慰安婦」問題への言及に貫かれているのである。

では、「敗戦国」だから、アメリカなどからの批判をすべて受け入れるのか。橋下は、次のように言っている。

ただ事実と違うことでね、我が日本国が不当に侮辱を受けているようなことに関しては、しっかり主張はしなくては行けないと思っています。だから敗戦国として受け入れなければいけない、喧嘩っていうはそういうことですよ、負けたんですから。
http://synodos.jp/politics/3894

「事実と違うことでね、我が日本国が不当に侮辱を受けているようなことに関しては、しっかり主張はしなくては行けない」と橋下は主張しているのである。その事例として、「慰安婦」問題を橋下はとりあげたといえよう。「慰安婦」問題についての詳細は、後に詳述するつもりである。ただ、「慰安婦」発言は、日本の侵略総体をどうとらえるかということを前提にしており、それに対する橋下の回答は、アジア/欧米のダブルスタンダードを中心にしているといえよう。

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2012年12月16日、衆議院選挙と東京都知事選挙が行われ、開票結果が出た。衆議院選挙の結果は、次のように報道されている。

自民大勝294・民主57・維新54…議席確定

 16日投開票の第46回衆院選は、17日午前までに全ての議席が確定した。
 自民党は294議席で、郵政民営化を争点に圧勝した2005年衆院選(296)には及ばなかったものの、現憲法下の衆院選で過去4番目となる大量の議席を獲得した。
 公明党は31議席で、候補を立てた9小選挙区で全勝。自公両党は計325議席となり、衆院で法案の再可決が可能となる3分の2の議席(320)を上回った。
 民主党は、公示前の約4分の1に落ち込む57議席の惨敗。1998年4月の結党時の議席(93)も下回った。
 「第3極」の政党では、国政選挙初挑戦となった日本維新の会が54議席を得て、衆院で単独で内閣不信任決議案、予算関連法案をそれぞれ提出できる議席(51)を超えた。
 みんなの党は、公示前から倍増となる18議席だった。日本未来の党は公示前の7分の1の9議席となる大敗を喫した。
 共産党、社民党、国民新党、新党大地は公示前の議席を下回った。新党日本、新党改革は議席を獲得できなかった。
 投票率は、59・32%(小選挙区)となり、戦後最低となった。
http://www.yomiuri.co.jp/election/shugiin/2012/news/20121217-OYT1T00510.htm
(2012年12月17日11時14分 読売新聞)

小選挙区制を前提に自民党・公明党が支持以上に勝利をおさめることは予想できた。それは、民主党が、原発再稼働、消費税増税など、支持者はおろか議員すら納得できない政策転換をして自民党的政策を押し進め、自壊したことに起因するといえる。しかし、小選挙区制の壁にはばまれ、日本維新の会や日本未来の党、日本共産党や社会民主党は、民主党への批判票をまとめきれず、その票は小選挙区においては自公にむかってしまった。さらに、民主党が「自民党」的になる一方で、日本維新の会など党外の極右ナショナリストの挑発もあり、差異化をはかって自民党がより「極右ナショナリスト」的な主張をはじめることも了解できる。

しかし、もっとも奇異に思ったのは、猪瀬直樹都知事候補が、約433万票(約67.34%)という都知事選史上最高の票を獲得したことであった。次の時事通信のネット配信記事を読むように、これは、1971年の美濃部亮吉が獲得した得票数を大きく上回る。そして、次点の宇都宮けんじ候補は約96万票、15.04%しか獲得できなかった。

都知事選、猪瀬氏が圧勝=434万票で過去最多得票-13年半ぶりに新たな首都の顔

猪瀬直樹氏
 石原慎太郎氏の辞職に伴う東京都知事選が16日投開票され、無所属で前都副知事の猪瀬直樹氏(66)=公明、維新支持=が、前日弁連会長の宇都宮健児氏(66)=未来、共産、社民支持=、前神奈川県知事の松沢成文氏(54)、元科学技術担当相の笹川堯氏(77)ら無所属、諸派の8新人を退け、初当選を果たした。約13年半に及んだ「石原都政」の継承か転換かが最大の焦点だったが、石原氏の後継指名を受けた猪瀬氏が強さを発揮し、他の候補に大差をつけた。
 猪瀬氏の得票数は433万8936票に達し、1971年の美濃部亮吉氏の361万5299票を上回り、過去最多となった。他の地方選や国政選挙を含めても個人としての得票では過去最多とみられる。
 投票率は62.60%で、前回(57.80%)を上回った。
 猪瀬氏は、副知事として石原氏を5年5カ月支えた実績を強調。政策面でも、2020年夏季五輪招致や羽田空港国際化の推進など都政の継続を訴えた。自民党の支援も受けたほか、作家としての知名度の高さを生かし、幅広い層の支持を得た。
 一方、石原都政からの転換を目指した宇都宮氏は、東京電力福島第1原発事故を受けて「脱原発」を旗印に掲げたものの及ばなかった。松沢氏は経営再建中の新銀行東京の清算、笹川氏は高齢者福祉の充実などを主張したが、いずれも浸透しなかった。
 発明家の中松義郎氏(84)、元ネパール大使の吉田重信氏(76)、ミュージシャンのトクマ氏(46)、政治団体代表のマック赤坂氏(64)、会社社長の五十嵐政一氏(81)も支持が広がらなかった。 
◇東京都知事選当選者略歴
 猪瀬 直樹(いのせ・なおき)信州大人文学部卒。作家として、1987年に「ミカドの肖像」で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。政府の道路関係4公団民営化推進委員会委員、地方分権改革推進委員会委員などを歴任。2007年6月から東京都副知事。66歳。長野県出身。当選1回。

◇東京都知事選開票結果
当 4,338,936 猪瀬 直樹 無新
    968,960 宇都宮健児 無新
    621,278 松沢 成文 無新
    179,180 笹川  堯 諸新
    129,406 中松 義郎 無新
     81,885 吉田 重信 無新
     47,829 トクマ   諸新
     38,855 マック赤坂 諸新
     36,114 五十嵐政一 無新
               =確定得票=

(2012/12/17-08:10)
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2012121600512

なぜ、こうなったのだろうか。朝日新聞のネット配信に掲載された、衆議院議員選挙東京比例区において各党が獲得した得票率を次にしめしておこう。

民主党           15.42%
自由民主党         24.87%
日本未来の党         6.86%
公明党           10.14%
日本維新の会        19.86%
日本共産党          7.41%
みんなの党         11.67%
社会民主党          2.09%
新党改革           1.43%
幸福実現党          0.25%
http://www.asahi.com/senkyo/sousenkyo46/kouho/B05.htmlより

猪瀬都知事候補を支持していたのは、自民党、公明党、日本維新の会、民主党の基盤である連合東京である。まず、自公維だけの得票率を合算すると、54.87%になる。また、連合東京の働きかけで、民主党に投票した人(15.42%)の約半分が猪瀬に投票していたとすれば、約62%になる。まして、日本維新の会にスタンスの近いみんなの党(11.67%)が全員支持したとすれば、むしろ67%よりも超えてしまうのである。

一方、宇都宮けんじ候補を支持していたのは、日本共産党、社会民主党、日本未来の党である。これらの党の得票率を合算すると16.36%である。もともと、基礎票でこれほど差があるのである。

そのうち、最も帰趨をわけたのは、日本維新の会の獲得した19.86%の票であったといえる。固定した選挙基盤のない日本維新の会にとって、これらの票の多くは浮動票であったと考えられる。これらが、すべて宇都宮陣営に流れ込んだとしたら、36.22%の票となった。自民党と公明党だけならば35.01%となるので、むしろ宇都宮陣営が有利となった。みんなの党もたぶん多くは浮動票頼みと思われるので、このような浮動票が「日本維新の会」や「みんなの党」に流れ込んだことが、猪瀬都知事候補の大勝に結びついたといえる。

その意味で、日本維新の会がとりあえず結党されたこと、そして、衆議院議員選挙と平行して都知事選が行われたこと、さらに日本維新の会代表石原慎太郎の都政を猪瀬直樹候補が継承することを標榜したことは、猪瀬直樹都知事候補の大勝に結果したといえるのである。

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東京新聞2012年12月11・12・13日付け朝刊に「衆院選東京小選挙区候補者アンケート」という記事が掲載された。これは、東京の小選挙区の衆院選の各候補者たちに、原発、消費税増税、憲法9条改正という三つの項目についてアンケート調査を実施し、その結果を各選挙区別に(地図などもいれて)掲載したものだ。原発問題ではかなり細かく選択肢が用意されている。「ただちに原発稼働をゼロにする」「2030年代よりも前倒ししてゼロにする」「2030年代にゼロにする」「原発は減らすがゼロにはしない」「現状を維持する」「原発を増やす」というのが、その選択肢である。消費税増税と憲法9条改正は賛成・反対のみである。

それをみていて、気づいたことがある。自民党・日本維新の会から出ている候補者たちの多くが「2030年代にゼロ」「減らす」などの回答をよせていることである。彼らの原発問題の回答を抜き出して、表にしてみた。

東京における自民・維新各候補者の原発問題への態度

より詳しく述べておこう。東京の小選挙区は25区であるが、東京12区は公明党から立候補しており、自民党の立候補者は24人である。さすがに「ただちにゼロ」という候補者はいない。しかし、自民党では、「2030年代にゼロ」が6人、「減らす」が11人いる。無回答は7人だが、その内の6人は「前職」である。つまり、選挙に強い人たちなのだ。逆にいえば、相対的に選挙に自信のない人たちが、より「脱原発依存」という回答をよせているといえよう。

一方、日本維新の会からは19人が立候補しているが、その内「前倒しにゼロ」が2人、「2030年代にゼロ」が9人、「減らす」が2人、「無回答」が6人となっている。自民党よりも「脱原発依存」志向が強いといえる。

現状、民主党、日本未来の党、社会民主党、共産党など多くの政党は、いわゆる「脱原発依存」を主張している。といっても、民主党のいう「2030年代にゼロ」というのと、共産党・社会民主党などの主張する「ただちにゼロ」というのは大きく違っているが。日本未来の党の「卒原発」というのは「前倒しにゼロ」にあたるといえるが、両者の中間にあるといえるだろう。いずれにせよ、「脱原発依存」志向とはいえる。

ここでは紹介できなかったが、民主党、日本未来の党、共産党などの候補者は、広い意味での「脱原発」を主張しているのである。これは、当然のことである。

他方、自民党の政権公約では、次のようにいわれている。

 

いかなる事態においても国民生活や経済活動に支障がないよう、エネルギー需給の安定に万全を期します。
 当面は、再生可能エネルギーの最大限の導入と省エネの最大限の推進を図り、原発については、福島第一原発事故の反省を踏まえ、「安全第一主義」をもって対処し、3 年以内に再稼働の結論を出すことを目指します。
 中長期的には、10 年以内に新たなエネルギーの安定供給構造を確立します。
http://jimin.ncss.nifty.com/pdf/j_file2012.pdf

いわば、「エネルギー需給の安定」に重点があり、「脱原発」などは主張していない。この文面だけでは、「脱原発」かどうかもいえないのであるが、例えば、民主党の公約が次のように述べていることから比較すれば、自民党の公約の意味は明瞭となるといえる。

原発ゼロで生まれ変わる日本
2030年代に原発稼働ゼロを可能とするよう、あらゆる政策資源を投入。
電力の安定確保など、様々な課題を乗り越え、着実に目標へ近づいて、「原発ゼロ」を必ず実現します。
結論先送りのなし崩し的な原発維持も、実現可能性を無視した即時原発ゼロも、同じように無責任です。
http://www.dpj.or.jp/global/downloads/manifesto2012.txt

一方、日本維新の会の公約「骨太2013ー2016」では「先進国をリードする脱原発依存体制の構築」と言われている。しかし、東京新聞が次のように報道しているように、代表である石原慎太郎自身がそれを否定している。

原発ゼロ 目指さない 維新・石原代表が方針

2012年11月27日 朝刊

 日本維新の会の石原慎太郎代表は二十六日、本紙などのインタビューで、現時点で「原発ゼロ」を目指す考えがないことを明らかにした。
 橋下徹代表代行(大阪市長)が「原発ゼロに向けてやる」と主張していることについて石原氏は「個人的な発言だと理解している」と、党方針ではないとの考えを示した。
 原発を含むエネルギー政策については「どういう産業をどうやって盛り上げていくか考えなければ、(原発を)何パーセント残す、残さないという議論にならない。綿密な経済のシミュレーションをやった上で、(火力や水力との)エネルギーの配分を決めていくのが妥当だ」と述べた。
 衆院選の対応については「自民、公明両党に過半数を取らさないように強力な『第二極』をつくらないといけない」と、自公の過半数獲得阻止を目指す考えを強調。その上で「強力なキャスチングボートを持ちたい。肝心なことを決めるのに過半数が要るなら協力する」と自民党と連携する可能性に言及した。
 みんなの党との小選挙区の候補者調整が難航していることについては「(みんなの渡辺喜美代表は)視野狭窄(きょうさく)と自己過信がある」と批判。河村たかし名古屋市長の合流が実現しなかったことについて「大阪側に拒否反応があった。減税という名前も良くない。(名古屋市で)市民税の減税に成功したから他の自治体で通用するわけではない」と指摘した。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2012112702000126.html

つまり、あいまいであるが、日本維新の会は政党全体として脱「脱原発依存」といえるのである。

自民党・日本維新の会は総体として脱「脱原発依存」ということになる。しかし、両党所属の東京の候補者たちの多くは、原発について「2030年代にゼロ」「減らす」などと回答しているのである。これは、たぶん、東京新聞へのアンケート回答にとどまるものではないだろう。有権者たちに問われれば、そのように答えているのであろう。選挙演説でもそのように話しているのかもしれない。

これは、いわば、「争点隠し」といえよう。政党全体をよく検討すればいわば脱「脱原発依存」なのだが、ある意味ではあいまいでもあり、それを利用して、自分の反対党である民主党・日本未来の党・共産党などの主張する「脱原発」を自民党などの候補者は主張しているのである。そのような形で、「脱原発」は争点から隠されるのである。

ただ、「争点隠し」であることをふまえて、もう一ついえば、自民党などの候補者たちも、有権者たちに踏み込めば踏み込むほど、「脱原発」を主張せざるをえなくなったともいえる。自民党の場合、新人や元職など、選挙に相対的に弱く、より有権者に密着する必要のある候補者たちが、より強く「脱原発」を主張している。元々地盤のない日本維新の会はなおさらである。その意味で、選挙に強い「前職」の衆議院議員たちを中心として作ったと考えられる「政権公約」とは、ニュアンスを異にせざるを得なくなった考えられる。このことは、自民党や日本維新の会に投票するような保守的な人びとも「脱原発」を強く意識するようになったことをあらわしているとみることができよう。

*なお、ここで、自民党・民主党・日本維新の会の公約を一部とりあげたが、これは例示のためであり、選挙における支持とは全く無関係であることを付記しておく。

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