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前回は、2013年9月9日付朝日新聞夕刊から、その紙面中において、2020年東京オリンピック開催決定を心から喜んでいる人は誰なのかをみてみた。基本的には、経済効果を期待する経済界、自分たちの活動の場が広がるアスリート、五輪関連施設が所在もしくは建設予定の地域の人びとなど、何らかの関係者が多く、加えて、1964年東京オリンピックを経験した年代の人びとが紙面で喜びを表明していたといえる。いわば、何らかの意味で(幻想的なものも含めて)利益を感じる人びとと、1964年東京オリンピックへの回顧趣味を感じている人びとによって「喜び」の声が表明され、それらが新聞紙面を埋め尽くすことによって、「祝祭」感が醸成されているのである。

そういう状況は、9月10日付朝日新聞朝刊東京版にもみることができる。ここでは、28〜29面にわたって「五輪へ夢の始まり 7年後待ってるよ」という見出しのもとで巨大な記事が掲載されている。この記事は、基本的には三つに大別できる。

第一に、アスリートや東京都庁など招致委員会側の動向や発言を伝えている。その部分では、招致アンバサダーを勤めたパラリンピック代表(女子陸上車いす)土田和歌子が喜びの声を発言しており、最終プレゼンを勤めた猪瀬都知事や太田・佐藤選手などによる報告会が都庁都民広場で開かれる予定であることが伝えられている。さらに、板橋区役所で、聖火ランナー写真などの展示が行われること、招致ポスターの撤去や手直しが始まったことが報道されている。

第二に、IOC総会のパブリックビューイングや五輪開催決定祝勝会に参加した人びとの喜びの声が多数収録されている。ここでは、一部紹介しておこう。

 「TOKYO」と読み上げられた瞬間、かたずをのんで見守っていた人たちから歓喜があふれた。8日の五輪開催都市決定は、早朝にもかかわらず、多くの人たちが「その時」を共にした。

 ●選手村予定地・晴海
 「やったー」「すげえ」8日午前5時19分。中央区晴海にあるホテルの宴会場では、この瞬間を待ちわびた子どもたち約20人の歓声が飛び交った。
 44ヘクタールの都所有地がある晴海地区では、選手村の建設が決まっている。「地域の子どもも参加できるイベントを」とパブリックビューイングを企画した新井正勝さん(52)は、地元小学校のPTA会長を4年間務めた。「7年後、選手村や街をつくっているのは子どもたち。『晴海っ子』たちには、どうしたら素晴らしい街にできるか考えてもらいたい」と新井さん。
 晴海にある小学校に通っていた古旗笑佳さん(13)は、「7年後はきっと大学生。今からたくさんの国の言葉を勉強して、通訳ボランティアに携わりたい」と希望に胸をふくらませた。
(後略)

その後、墨田(墨田区立総合体育館)、競技会場予定地・江東(豊洲)、品川、都庁前での景況とそこに集まった参加者の声が報じられている。今回のオリンピックは臨海部を中心とすることが報じられているが、この記事でとりあげている多くの場所がそのエリアであることに注目してほしい。品川も羽田空港に近く、町おこしが期待されている。引用部分にあるように、大人たちが町おこしへの期待を語り、子どもたちはより純粋に何らかの意味での参加を表明するという形で記事は書かれている。つまり、まず、東京オリンピックで町おこしが期待できる地域が「心から」喜びを表明し、パブリックビューイング開催などの形でそれを形に示したといえよう。

さて、この東京地方版では、招致委員会側でもなく、開催により直接の受益もない一般の人びとの意見も収録している。まず、「2020年、東京でオリンピックとパラリンピックの開催が決まった。7年後の夏、世界最大のスポーツの祭典を迎える東京はどうなっているだろう。半世紀前の記憶に重ねる人、冷静に見つめる若者…。9日、都内各地で聞いた。」と述べている。その上で、浅草・巣鴨で老人に、秋葉原で若者にインタビューした記事を載せている。

浅草・巣鴨における老人の意見を一部紹介しておこう。

 

浅草・巣鴨のお年寄りは

 世界各地の観光客を相手にする浅草の仲見世通り。世代交代が進み、1964年の東京五輪の記憶が残る人は多くない。
 カメラ店を営む青木じゅんこさん(65)は当時高校1年生。「バレー部に入っていた頃、テレビにかじりついて、『東洋の魔女』のプレーを必死に追ったわ」と笑う。秋田県から上京し、夫の恒久さん(66)と店に立って約40年。「建物も食べ物も町並みもがらっと変わった。次はどんな五輪になるんだろう。今から楽しみです」
(後略)

この後、浅草の1名、巣鴨の2名のインタビューが掲載されているが、基本的には同じである。高度経済成長期の自らの生きざまに重ね合わせて1964年東京五輪を懐古し、2020年東京五輪への期待を語るということになっている。ここまでは、前日の夕刊の状況とそれほどかわらない。招致関係者、五輪開催の受益者たち、過去を懐古する老人たちによって、新聞の多くの部分が埋め尽くされ、「祝勝ムード」が醸成されているのである。やはり、新聞というものは、結局、一部の人びとのイントレストを、「国民」多数のものに転化させる装置であるといえる。

しかし、朝日新聞の紙面でも、秋葉原の若者たちは全く違った反応を示している。その部分を次に掲載する。

 

アキバの若者たちは

 「クールジャパン」と呼ばれる日本のアニメ文化の発信地・秋葉原。アキバの人たちにとって、同人誌即売会「コミックマーケット(コミケ)」の開催地として定着している「東京ビックサイト」(江東区有明)がレスリングなどの会場になるため、「五輪開催時はコミケがビックサイトでできない」とネットで話題になっていた。
 これまで3度コミケに行ったという、さいたま市の男子大学生は「別の場所、できれば関東でやってくれればいいと思う。スポーツ観戦も好きなので東京五輪は楽しみ」と話す。一方、埼玉県八潮市の女子高校生(17)は「五輪はいいけど、コミケはビックサイト、とインプットされてるので残念」と話す。「7年後はいい年だし、想像つかないけど、景気が良くなっていればいいな」
 中には、五輪の開催自体に疑問の声も。「都合のいいときだけ東北を使うなーと」。ピンク色のメード服で着飾ったフリーターのれいさん(21)。「距離が離れているから(東京の放射能レベルは)大丈夫と言いつつ、『東北のため』というのは矛盾しているんじゃないかな」と話す。「お金を使うなら直接、被災地に使って欲しい。東京五輪が決まったと聞いても、うれしい気持ちはない」と冷めていた。

まず、全体的に、秋葉原の若者は、五輪開催自体ではなく、そのためにコミケが開催できなくなるかどうかに一番の関心をもっている。前二者は、たぶん世論調査では「五輪開催支持」に分類されるのだと思うが、関心の中心はコミケ開催にある。現在の自分の関心事が最優先しており、五輪開催自体は副次的問題になっているといえよう。その点、浅草・巣鴨の老人たちの感想と対照をなしている。

そのような心情の中から、ようやく、明示的な五輪開催への批判がうまれてくるのである。最後の一人は、東北から距離が離れているから東京開催は大丈夫だというにもかかわらず「東北のため」を標榜するのは矛盾だとし、お金を使うなら直接被災地に使ってほしいと述べ、東京五輪が決まってもうれしい気持ちはないとしている。このような批判的意見が、秋葉原の若者の多数意見かどうかはわからない。しかし、自分自身の一番望むものがあるからこそ、五輪開催を相対的にみる雰囲気があり、それが、批判的意見が表明される下地になっていたと考えられるのである。

全体でいえば、9月10日付朝日新聞朝刊東京地方版で報道されている2020年東京オリンピック開催決定に対する東京の人びとの反応は、おおむね三つに大別される。

第一は、五輪関連施設建設予定地の地域住民である。彼らは、街おこしへの期待から、五輪開催決定を喜んでおり、地域でパブリックビューイング開催するなど、期待を積極的に形として示したといえる。

第二は、1964年東京オリンピック開催を経験した老人たちである。彼らは、高度経済成長期を生きた自身の生きざまから先のオリンピックを懐古し、その点から、オリンピック開催を期待している。

第三は秋葉原の若者たちである。彼らにとっては、五輪開催自体よりもそれによりコミケ開催がどうなるかということが第一の関心事であり、五輪開催に賛成しているとしても、それは副次的な問題にすぎない。このような、五輪開催に対する相対的な見方を下地にして、五輪開催についての批判的意見が述べられているといえよう。

もちろん、これは朝日新聞の取材であり、世論調査でもないので、この報道が統計的に有意なものとはいえない。取材にしても、サラリーマンが多く通る新橋とか、消費者を主な取材対象とする銀座での街頭取材については報道していない。それでも、なんとなく、この三つの対応は、東京オリンピック開催についての東京の人びとの反応の類型を示しているように思われる。

もともと、私の疑問は、誰が心から東京オリンピック開催決定を喜んでいるのかということであった。前のブログをあわせて考えると、まずは、経済界、アスリート、五輪関連施設所在地・予定地の地域住民など、東京オリンピックによる受益を期待(幻想的であっても)できる人びとであった。さらに、直接的受益は期待できなくても、1964年東京オリンピックを経験した老人たちは、高度経済成長期を生き抜いた自分たちの生きざまを懐古しながら、東京オリンピック開催に期待をよせている。この人びとが、五輪に「夢」を投影し、その開催決定を喜ぶのは当然だ。しかし、私個人は、こういう人びとを直接知らないし、そういう「夢」自体が理解できないのである。

他方、秋葉原の若者たちは、「コミケ」開催に自分の「夢」を感じている。コミケ開催が五輪開催によって支障をうけるかもしれないこと、それが一番問題なのである。例え、五輪開催に賛意を示していたとしても、それは副次的な問題なのである。その中で、やっと批判的意見が出されるようになる。五輪開催自体に批判的かどうかはおくことにしよう。五輪開催という上から与えられた「夢」に共感するよりも、自分たち自身がなしたいことがあるというのが、彼らの考えといえる。もちろん、私は彼らにあったことはない。秋葉原もコミケも日常的には縁がない。といっても、彼らのメンタリティのほうが理解できる。そして、このようなメンテリティは、秋葉原だけでなく、より一般的に広まっているのではなかろうか。ほとんどの人は、「五輪」のみで生きているわけではない。「五輪」以外にも多くの「夢」があるのである。

こうやってみると、新聞をよく読んでみると、それでも、「国民多数」の中に走っているいくつかのひびをみつけることもできるのではなかろうか。それは、今回はとりあげないが、東京五輪開催決定に対する被災地での対応にも現れているのではないかと思う。

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さてはて、是非はともかく、9月7日に2020年東京オリンピック開催が決定された。しかし、驚いたのは、マスコミなどで流される「祝勝」気分と、自分たちの周辺との反応の落差である。私はオリンピックが開催される予定の東京に住んでいるが、直接に接触しても、フェイスブックで間接的に意見交換しても、東京オリンピック開催を喜ぶ人はほとんどいない。私が資料収集をしていた9日の武蔵野市立中央図書館で、全く知らない図書館利用者が「決まってよかったですね。うれしくて」と別の利用者に話しかけていたが、いわゆる「喜びの声」を「生」で聞いたのは、それだけである。

福島などの被災者が「別の国」のようだと言っていたが、東京に住んでいる私も、まるで別の国に住んでいるようにしか思えなかった。その第一の理由は、もちろん、安倍首相その他の福島第一原発事故についての虚偽とすら思える発言があったことである。しかし、それだけではない。東京に住んでいたとしても、2020年東京オリンピック開催によって、私個人の「生」にどのようなメリットがあるか、わからないからでもある。

本当に心から東京オリンピック開催を喜んでいる人たちはどういう人なんだろう。そういった目で、祝祭気分あふれる(とみえる)朝日新聞を読み直してみた。

新聞休刊日があったため、号外をのぞいて朝日新聞本体では第一報となった2013年9月9日付夕刊には、まず度肝をぬかれた。普通の新聞本体をカバーして、全面色刷の東京の俯瞰写真が掲載され、「お帰り五輪。夢の炎、熱く熱く」と見出しがうたれている(なお、下の一部と裏面は、なぜかBMWの広告である)。その中では、第一に1964年東京オリンピックが開催されたことが回顧され、東日本大震災の復興がはたされたとはまだいえないと指摘した後、

 

が、五輪は間違いなく人々の体に勇気を吹き込む。猫背気味に視線を下に落としていた人たちが上を向くのだ。そこには64年に見た「希望」が形を変えて新たに表れるに違いない。お帰り、五輪。僕たちは元気をもらうよ。

と、東京オリンピック開催決定を祝勝している。そこには、64年五輪を回顧し、五輪が「勇気」を吹き込むという言説があることに注目しておきたい。「勇気」というものを「主体性」という言葉で代置するならば、五輪は人びとの「主体性」を構築するものとして把握されているのである。

そして、2面では、「経済界、高い期待 早速セールも」という見出しのもとに、経済界がオリンピック開催に期待を高めている様子を報道している。これは、まあ当たり前のことである。それでも、オリンピック開催を第一に喜んでいるのは、経済効果を期待する経済界であることは記憶にとどめるべきことであろう。

さらに、スポーツを扱う12面で、「アスリート走り出す」という見出しのもとに、柔道女子57キロ級金の松本薫、ゴールボール金の浦田理恵(パラリンピック)、女子マラソンアテネ五輪金メダルの野口みずき、体操男子ロンドン五輪個人総合金メダルの内村航平、競泳男子平泳ぎ金メダリストの北島康介、車いすテニスの国枝慎吾(パラリンピック)の「喜びの声」を伝えている。一例として、松本薫のそれを紹介しておこう。

夢持つ子が増えれば、柔道女子57キロ級金松本薫

 ロンドン五輪柔道女子57キロ級金メダルの松本薫(フォーリーフジャパン)は2020年の東京五輪に「夢」を感じている。
 「今、夢を持てない子どもたちが多くなっていると聞きます。東京に五輪がくることで、夢を持つ子どもが1人でも増えればいい」
 ロンドンで日本選手第1号の金メダルを獲得。1年の充電期間を経て、ロンドンの記憶は薄れてきている。脳裏に残っているのは、選手村の雰囲気。「緊張感と、ついにここまで来たんだ、という喜びが混じっていた。独特の空気感でした」
 激しい戦いぶりとつかみどころのない素顔とのギャップで人気を集めた彼女も小さい時は明確な夢を持てず、悩んでいたという。「ケーキ屋になりたいとかそういうのはあったけど。いつか路頭に迷うんじゃないか、って思ったときもありました」
 そんなモヤモヤを振り払ったのが、中学生のころに抱いた五輪への憧れだった。ロンドンで「やりつくした」との思いも抱いたが、再び「夢の舞台」に立ちたいという欲求を抑えることは出来なかった。
 25歳。「柔道が天職」という彼女が、2020年まで現役でいられるかは分からない。それでも、「東京五輪で、アスリートの夢を日本のみんなと共有で出来れば、本当にすごいと思います」。(野村周平)

経済界の五輪開催への「期待」が経済効果であり、いってしまえば営利獲得の機会拡大であることと比べてみれば、松本の「夢」は、自分以外のものにも向けられており、純粋な気持ちであるといえよう。その点、「感動的な」記事である。しかし、それが、「アスリートの夢」であり、「非アスリートの夢」ではないことに注目しておかねばならない。それをみんなー都民・国民に「共有」させること、これが松本の東京オリンピック開催なのである。松本個人が出る出ないは別にして、彼女が属しているアスリートの世界全体は、東京オリンピック開催によって利益を享受するとはいえる。いわば、アスリートは総体として「受益者」であり、関係当事者なのだ。その他のアスリートたちも、立場は同じである。彼らが2020年オリンピック開催を喜ぶのは当然だが、一般の人びととは立場が違うと指摘しておかねばならない。

さて、社会面である14・15面は二面見開きで「情熱のち聖火 夢舞台再び」という見出しのついた大きな記事が掲載されている。その中で、第一に「半世紀あせぬ思い 聖火台・ブレザー 磨いた技」として、64年東京オリンピックにおいて聖火台製作に関わった鈴木昭重と、バレーボール日本代表(男女)の公式ブレザーを仕立てた藤崎徳男の発言が紹介されている。第二に、「一枚かみたい64年出場組」という見出しのもとに、64年東京オリンピックにおいて日本選手団主将をつとめた元体操選手の小野喬と、64年の東京オリンピックで議論に初出場し、ロンドンオリンピックにも出場した馬術選手の法華津寛の談話を紹介している。この四人は、まずは64年東京オリンピックの関係者であるということが共通している。彼らは、オリンピック関係者であるという点で、現代のアスリートたちの立場と共通している側面をもつ。他方で、1964年の東京オリンピックを回顧するという点で、独自の面をもっているといえる。

この記事ではさらに、『「東京で勝負」 若手決意』という見出しのもとに、10代のアスリートたちの声として、陸上選手桐生祥秀(17歳)と、卓球選手平野義宇(14歳)の談話が掲載されている。ここでは、桐生の分のみあげておこう。

「東京で勝負」 若手決意

 母国での五輪を担う10代の若者は夢を膨らませる。
 「東京にくるのはうれしいけど、五輪に出たことがないので……」。陸上男子100メートルで9秒台をめざす17歳の桐生祥秀選手(京都・洛南高)は少し戸惑いながら話した。
 陸上を始めて1年目の2008年、北京五輪の陸上男子400メートルリレーで日本が銅メダルを獲得するのをテレビで見た。「その時は、ただ日本が速いな、ジャマイカがすごいなっていう程度。まさか自分が世界で戦う選手になるとは」。今年の世界選手権では400メートルリレーで6位に入賞した。
 20年は24歳。「勝負するのは東京。世界で戦える強さを持って、その舞台に立っていると思う」
(後略)

桐生の発言は純真だ。しかし、彼も、ここでは省略した平野も、広い意味でアスリートに属している。いや、2020年東京オリンピックでは、主力選手になっているかもしれない。その意味で、彼らもまた、東京オリンピック開催による受益者であり、利害関係者であることは留意しなくてはいけない事実である。

そして、やっと、14面の片隅において、一般の人とおぼしき人びとの「喜びの声」があげられている。ただ、東京都内の招致イベント会場で取材した記事なので、一般の人というよりも東京オリンピック招致活動参加者の声とするのが適切かもしれない。それでも、今まであげてきた人びとよりは一般の人に近いといえよう。短い記事であるので、ここで紹介しておこう。

「希望見つけた」

「バンザーイ」「やったー」。半世紀ぶりの五輪開催が決まった8日未明、東京都内の招致イベント会場は喜びに沸いた。
 1964年大会の会場となった世田谷区の駒沢オリンピック公園総合運動場の体育館。大画面に映ったIOCのロゲ会長が「トーキョー」と告げると、大歓声が上がり、金色の紙吹雪が舞った。
 東日本大震災の被災地・福島県南相馬市から来た江本節子さん(66)の目には涙。「ようやく夢や希望が見つかった。復興と五輪が両輪で進んでいくのではないか」と喜んだ。
 五輪代表選手らの練習拠点となる味の素ナショナルトレーニングセンター(北区)に近い「板橋イナリ通り商店街」(板橋区)。8日朝、子どもたちが巨大なくす玉を割り、「祝 東京オリンピック」と書かれた幕が現れた。近くの工場経営、下平信彦さん(30)は長男の和彦ちゃん(1)を連れ、くす玉を割れる様子をビデオ撮影した。7年後、小学生になる息子に感動を伝えるためだ。下平さんは「五輪には夢がある。選手が頑張る姿を見て、何かを目指すきっかけにしてほしい」。
 8日朝、東京・新宿の都庁前では、「THANK YOU ありがとう」と感謝の気持ちを人文字で表すイベントも。杉並区の自営業池田輝夫さん(65)は「64年大会は高校を早退してマラソンのアベベを見に行った」と懐かしみ、「今度は8人の孫に見せられる」と喜んだ。

さて、ここでは3人の人が「喜びの声」を語っている。江本と池田は大体同じくらい(65〜66歳)で、1964年オリンピック経験者であることに着目したい。池田は、明確に、1964年オリンピックと重ね合わせて、今回のオリンピックへの期待を述べている。江本は、産經新聞にも同様なことを語っており、なぜ、被災地でこういうことをいうのかと考えていたが、年齢をみて納得した。彼女は、自分でも体験した1964年オリンピックの残像の上に、復興に寄与するオリンピックというイメージを構築しているのだと考えられる。

年齢的にみて、下平は1964年オリンピックを直に体験したことはないだろう。しかし、彼も、オリンピックに完全に無関係かといえば、そうではない。オリンピック関連施設と考えられる味の素ナショナルトレーニングセンターの近くに住んでいるのである。彼自身は、たぶんオリンピック開催から直接的利益を受けることはないだろうが、地縁はあり、広い意味でオリンピックに関わり合いをもつものといえよう。

さて、全体でいえば、2013年9月9日付朝日新聞夕刊で「喜びの声」を表明している人たちの多くは、オリンピック開催に何らかの関わり合いをもつ人たちといえる。「経済効果」を期待する経済界、よりチャンスを広げたいと考えているアスリートたち、1964年のオリンピックに関与した人びと、オリンピック関連施設と「地縁」を有するものなど、それぞれ多様であるが、全く関連のない人たちはあまりいないといえる。

そして、オリンピックに関わらないで「喜びの声」を挙げている二人は、年齢的にみて1964年オリンピックの体験者であると考えられる。同じようなことは、1964年のオリンピック関係者の四人にも共通している。聖火台製作に関与した鈴木昭重は「64年当時と違い、今の日本は成長が止まっている状態。五輪で気持ちが新たになればいい」と述べている。彼らは、1964年を回顧しつつ、2020年のオリンピックに期待をかけるのだ。

このように、本新聞の紙面で2020年東京オリンピック開催への期待を語っている人びとは、受益者を中心とした広い意味での関係者か、1964年東京オリンピックへのノスタルジーを感じている人たちであることが理解されよう。

ただ、昨年、東京オリンピック開催をかかげた猪瀬直樹がかなりの得票率で都知事選に勝利したこと、IOCの調査では東京開催を支持する意見は70%程度はあったと報じられていることをみると、東京開催を「支持」するという人たちはかなり多いのではないかと推測される。しかし、それは、一般的には漠然とした支持であり、明確に言語化して「心から支持する」と主張する人は一般には少ないのではないかと思われる。広い意味での関係者と、1964年の東京オリンピック体験者しか、自分の言葉で東京オリンピックについて語れなかったのではなかろうか。そもそも、オリンピックとはーそのために増税したり、経済危機になったりすることは別としてー、大多数の日本の人びとの「生」には関わらない存在である。ゆえに、普段からオリンピックについて考えている受益者を中心とした広い意味での関係者か、1964年東京オリンピックへのノスタルジーを感じている人たちのみが、ここで発話できたのではなかろうか。

そして、結局のところ、広い意味での関係者の利害と、特定の世代の特殊な意識を、紙面に大きく掲載することによって、「国民意識」を形成し、「主体性」を創出していくことになる。これこそ、国民国家の装置としての新聞の機能なのである。

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東京都知事選と衆議院議員選挙の選挙期間中となった、2012年12月7日も、首相官邸前行動は続けられていた。

さすがに、脱原発派の候補が、都知事選においても衆院選でも立候補している状況であり、コールでも「国会変えよう」「官邸変えよう」という選挙関連のものが目立つようになった。都知事選候補者も、この抗議の場においてスピーチしていた。

その中で、ここで紹介したいのが、次のエピソードである。

12月7日の抗議行動の終りの方、私は、国会前交差点付近で行っているドラム隊のところにいた。ここでも、選挙関連のコールが目立っていたが、最後は、いつも通り、ドラムのリズムにあわせて「再稼働反対」と皆で声をあわせ、盛り上がっていた。

そして、20時になり、ドラム隊のパフォーマンスが終わった時、思いがけないことがおきた。ドラム隊でドラムを叩いていた女性が、「候補者」として紹介され、ドラムを置き、「候補者」のたすきをかけて、スピーチを始めたのである。そのスピーチを下記に掲載しておく。

みなさん、きょうもお疲れさまです。

こういうたすきをかけております。

いろいろな脱原発活動を通して、官邸前、何回も何回もきて、

署名では変わらない、デモじゃ変わらない、ずっといわれていました。

変わりました。

私の姿はデモから生まれた姿。

全国、世界で、本当に脱原発を望んでいるみなさんの熱い思い、ひとつひとつの行動が、

私を、今、ここに立たせています。

デモから変わる、デモから変わる。

デモから変える、デモから変える。

この、今、私たちの手で、社会は変わっている。

新しい 進化が生まれている。

デモって、ものすごい力なんだなって、

すごい思ってます。

ここまで続けてきてくれて、本当にありがとうございます。

たくさんの人たちが、この場に交流できる。

その場を作ってくれて、

本当にありがとうございます。

だから、もっともっと、みんなで、

新しい人たちを作っていく姿を送り出していく。

ここから、デモから、やっていきましょう。

ありがとうございます。どうもありがとうございます。

http://ameblo.jp/the-river/day-20121209.htmlより

*私もスピーチをその場で聞いていたのだが、その場で記憶できず、上記ブログにアップされた動画から聞き取った。本来はスピーチした人の名前を出すべきだが、公職選挙法のある解釈では「選挙行動」とみなされる可能性があるので、ここでは不本意ながら氏名掲載を差し控えさせてもらった。

「デモから変わる、デモから変える」…。この言葉は、このスピーチの核心であるとともに、この日の官邸前抗議行動に来ていた多くの人たちが共有していた思いだったといえる。立候補した彼女の、たすきをかけた姿。その姿は「デモから生まれた姿」なのである。デモに象徴される脱原発への熱い思い、そしてそれぞれの行動が、「選挙への主体的参加」ということを生み出していっている。これこそが、「この、今、私たちの手で、社会は変わっている」ということなのだ。

このような思いがあって、初めて「選挙」というものが意味をもつ。いわば、「選挙」も手段の一つなのだ。人びとが実現したい思いがあって、はじめて選挙は「民意」を「代表」することが可能になるといえる。

これは、今や「日本維新の会」を組織している橋下徹とは全く相反している考え方である。朝日新聞2012年2月12日付朝刊に掲載された「インタビュー・覚悟を求める政治」において、橋下は、「有権者が選んで人間に決定権を与える。それが選挙だと思います…選挙では国民に大きな方向性を示して訴える。ある種の白紙委任なんですよ」と語っている。それは、たぶん、自民党や民主党、そして朝日新聞のようなマスコミが暗黙のうちに共有している前提なのだと思う。彼らにとって、「選挙民」が「主権者」であるのは、投票箱に投票する、その一瞬でしかない。その他の時間は、「白紙委任」されたと称して、権力を私物化し、選挙民が全く望まない政策を進める。消費増税やオスプレイ配備など、その一例にすぎない。

人びとが主体的に思いを表明し、社会を変えていく決意を示すことーそれがデモなのである。それを実現していく一つの手段として、選挙に参加する。「デモ」がなければ、「選挙」に主体的に関わろうという意識は、私にだってもち得なかったであろう。「今、ここにある危機」としての原発への恐怖は、人びとの思いを揺り動かし、デモへと結集している。そして、それが、選挙というもの、政治というものを、真に人びとのものとしてとらえかえす営為へとつながっていこうとしているのである。

まさに「デモから変わる、デモから変える、今、私たちの手で、社会は変わっている。」なのである。これが、この選挙におけるテーマであり、その後もテーマであり続けるであろう。

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朝日新聞2012年12月9日付朝刊の東京版(29面 東京北部)に、次のような記事が掲載された。東京都知事選も対象とした記事なので、全国版には掲載されず、ネット配信もされていない模様である。ここで、まず、全文を掲載しよう。

届けダブル選@派遣村 生活保護 怠けて来たんじゃない

 芋と野菜がゴロゴロ入った汁。プラスチックの器から白い湯気が立っていた。
 8日、京王線府中駅にほど近い府中公園。市民グループ「府中緊急派遣村」が9日まで開く「年末困り事相談会」の炊き出しを訪ねた。
 テントの中。職を失った人たちが、弁護士や看護師にとつとつと打ち明けている。突然の解雇のこと、健康面の不安ー。通りの向こうでは、選挙カーが候補者名を連呼していた。
 派遣村の村長が松野哲二さん(63)がつぶやいた。「人々が今、不安に思っていることや、困っていることは、今回の選挙では何一つ反映されていないような気がします」
 松野さんが定年後に仲間と派遣村を立ち上げたのは09年。自公政権の社会保障費抑制を強く批判した民主党政権の誕生に期待した。
 あれから3年。世の中では生活保護へのバッシングが高まり、与野党は、引き上げや現物支給案さえ話題にし始めている。もう、どこにも期待できない。
 炊き出しの手伝いをしていた女性(64)に話を聞くことができた。昨春から生活保護を受け、アパートで暮らしているという。
 中学卒業と同時に、育った施設を出て以来、働きづめの50年だった。サウナやラーメン屋の住み込み店員、子どもをおんぶしてのヤクルトの配達…。夫は早くに亡くなり、昨年2月まで市内の建設会社で住み込みの炊事係をしていた。だが男性作業員からの暴力や嫌がらせを受けて退職。住むところも失った。
 そこへ、東日本大震災が起きた。身を寄せるところもなく、公園で凍え、飢えた。結婚して家族との暮らしを必死で守っている子どもには頼りたくない。そんな時、松野さんに会った。
 生活保護を受けるように勧められた。でも、不安だった。軽蔑されるんじゃないか。決心がついたのは、体臭を気にする野宿生活者に、松野さんがかけたという言葉を人づてに聞いた時だ。「臭くないですよ。人間のにおいがします」ー。涙が止まらなかった。
 「政治家で、そんな風に思ってくれる人がどこにいると思いますか? 怠けて生きて、ここに来たんじゃない。私たちの人生をほんの少しでも聞いてほしい」
(市川美亜子)

この記事を読んで、どのように思われるだろうか。まず、第一番に言わねばならないことは、現時点で府中緊急派遣村が行っている「年末相談会」は緊急になさねばならない課題であるということだ。そして、この記事を、純粋に、府中緊急派遣村の「年末相談会」を社会に紹介し、貧困者に冷たい社会に対してその是正を訴えるものとして読むならば、それなりの価値をもつといえるだろう。特に、最後の「政治家で、そんな風に思ってくれる人がどこにいると思いますか? 怠けて生きて、ここに来たんじゃない。私たちの人生をほんの少しでも聞いてほしい」という女性の主張には共感を覚える人もいるだろう。府中緊急派遣村のサイト自体も、次のように評価している。純粋に宣伝としての意味があったということであろう。

昨日は、朝日新聞から別な企画で二名の記者が取材にきました。市川記者は社会部で選挙の連続記事で、松浦記者は経済部でサンキューハウスの集会で高見さんの話を聞いてやがて特集記事を書くために、一緒に炊き出し食べたりインタビューしたり長時間取材をされました。
市川さんは、早速今朝の東京版に大きく書いています。こんなこと言ったかな?と気恥ずかしい内容もありますが、相談に行こうと思う方々の目にふれていただければと思います。
http://blogs.yahoo.co.jp/peace19th/MYBLOG/yblog.html

しかし、これは、「届けダブル選」と題され、衆議院議員選挙と東京都知事選挙を扱った選挙報道なのである。そのことを考慮にいれて、この記事を読むと様相は一変する。最初の場面で、選挙カーと「年末相談会」は対比的に示される。そして、府中緊急派遣村村長松野哲二氏の「人々が今、不安に思っていることや、困っていることは、今回の選挙では何一つ反映されていないような気がします」という発言が挿入される。そして、さらに「自公政権の社会保障費抑制を強く批判した民主党政権の誕生に期待した。あれから3年。世の中では生活保護へのバッシングが高まり、与野党は、引き上げや現物支給案さえ話題にし始めている。もう、どこにも期待できない。」と要約した形で松野氏の主張が述べられる。そして、最後に「政治家で、そんな風に思ってくれる人がどこにいると思いますか? 怠けて生きて、ここに来たんじゃない。私たちの人生をほんの少しでも聞いてほしい」という女性の言葉で締められるのである。

単純にいえば、政治家たちの選挙と反貧困の活動を対比的にのみとらえ、前者は、後者の思いを全く受けとめていないとして「糾弾」するという姿勢を有しているのである。

これは、確かに、生活保護費の圧縮を主張している「与野党」ー民主党・自民党・日本維新の会についてなら該当するといえよう。しかし、これらだけが政党なのか。すべての政党の公約にふれることはできないが、少なくとも、日本共産党や社会民主党は、生活保護制度の拡充を主張している。反貧困の活動と、衆議院議員選挙は無縁ではないのだ。

さらに、東京都知事選挙については、完全に次のことを無視している。都知事選の候補者の一人である宇都宮健児氏は、「会の目的は、人間らしい生活と労働の保障を実現し、貧困問題を社会的・政治的に解決することにある。」(規約第四条)として、反貧困運動を展開している反貧困ネットワークの代表であるということである。つまり、反貧困の問題は、都知事選の大きな争点の一つなのである。全く、そのことを看過して、一般的な「選挙不信」を募らせているのが、この記事なのである。

それでは、府中緊急派遣村自体はどのように言っているのだろうか。彼らのサイトからみてみよう。

府中緊急派遣村「年末相談会」開会宣言
2012年12月8日

 本日より、年末困り事相談会を開始します。
 今回で6回目となる相談会は、生活と労働に悩む人びとに一層厳しい状況下で開きます。世界を見ても、グローバル化が豊さをもたらすどころか貧富の格差を拡大させ中間層の下層への地滑りが広がっています。
 国内においても、底冷えの経済、殺伐とした社会状況が長期に続き、庶民の我慢と苛立ちを領土や国家へと向けさせ、さらに社会的弱者、とりわけ外国人労働者や生活保護者への攻撃に転嫁する政治勢力が暗雲のごとく覆っています。まるで戦前への回帰か、新たな戦前か、それとも大衆動員フアッシズムの到来というべき危険な状況です。そもそも金持ち勢力の彼らが、生活保護費をやり玉にあげるのは、単にお金の問題ではなく、社会をどこに向けさせるのかという価値観から政策として出されているのです。派遣労働や使い捨て労働者の蔓延も、彼らが企業中心社会を堅持し、働く者には知的文化的な暮らしをあきらめさせ、食うためにのみ働く従順な労働者になること、それができないのならば一生どん底に居ろという彼らの政策なのです。
 さらに、福島の原発犯罪で、製造企業東芝、日立、GE、運営管理会社の東電の社長は逮捕されることなく、原発の持続、輸出、拡大路線をひた走りしています。被曝労働、廃棄物、プルトニウム生産を見るまでもなく、原発は人類に敵対する一握りの富のかたまりです。
 私たちは、福島を思い、寄り添い、忘れずこれまで11回の福島現地支援を行動してきました。
 しかし、この選挙で予想される新たな政権は、原発拡大路線です。原発ゆるすまじの民意は反映されず動員煽動された投票が多数派を形成するという矛盾を許してはなりません。
 生き辛い人びとが一層生きにくくなるこの年末に、大切な選挙のさなかにあえて私たちは相談会を開きます。すべてが選挙に向かい、今困っている人びとが選挙に埋もれ窒息してはなりません。
 私たちは派遣村を地域で日常化する活動をしてきました。そこから自覚できたことは、第1に、森居さんが毎日新聞で語っているように本当に困窮している人たちの生活を知ることです。第2に、どんな人間も地域で仲間と共に健康で文化的に生きる権利があるということです。第3に人間は何度でもやり直すことが出来る。しかし、1人でできないことは仲間と共にすること。
 だからこそ、私たちは、決して仲間を貧困ビジネス施設に追いやらない。決して孤立の深みに追いやらない。決して国家の弱者、野宿者排除を許さない。決して健康と文化を奪う生活保護改悪を許さない。決して被曝労働を許さない。決して働く者の困窮化を許さない。
 そして、新たな仲間との出会いを求めてここにつどう。
 今回も多くの方々からご理解とカンパをいただき準備できました。2日間の相談態勢は、多摩弁護士会から4名の弁護士と荒木弁護士、大阪から萬田司法書士が待機します。府中診療所の看護士さん2名が健康相談に待機していただけます。
 炊き出しは昨年の相談者やみんなの村の仲間たちが腕によりをかけて準備しました。
 いくつかの福祉事務所から炊き出し物資を提供いただきました。
 派遣村労働組合は何度もハローワーク前などでビラまきもしました。 東京、読売、毎日新聞各社も報道してくれました。朝日は今日会場取材し明日報道する予定です。 皆さまにあらためてお礼申し上げます。 また、寒さをついての屋外相談です。カイロを用意しています。風邪を引かないよう充分温かくしてご活躍ください。
 となりの中央文化センターに会議室も用意しています。無理をしないで屋内相談に移動してください。
 では皆さん、胸は優しく温かく、頭はおおらかに冷静に、みんな仲良く2日間を過ごしましょう。 相談には耳をかたむけ、聞くだけではなく解決を共にする具体的な対応を心がけましょう。

府中緊急派遣村 松野哲二
http://blogs.yahoo.co.jp/peace19th/MYBLOG/yblog.html

「しかし、この選挙で予想される新たな政権は、原発拡大路線です。原発ゆるすまじの民意は反映されず動員煽動された投票が多数派を形成するという矛盾を許してはなりません。生き辛い人びとが一層生きにくくなるこの年末に、大切な選挙のさなかにあえて私たちは相談会を開きます。すべてが選挙に向かい、今困っている人びとが選挙に埋もれ窒息してはなりません。」ということである。彼らは、原発拡大派が政権をとることをよしとはしていない。「大切な選挙」としているのである。彼らとすれば、選挙戦において、貧困者が「埋もれ窒息」させてはいけないとして「年末相談会」を行ったとしているのである。

そして、彼らのサイトには「藤田祐司さんからも、相談会の成功を祈りつつ、衆院選を最後までがんばるとの決意メールも今朝届いています。」という記載がある。藤田祐司氏は日本未来の党の衆議院議員候補者の一人で、東京21区から立候補した。なお、21区には府中市は含まれない。彼らは、予想される選挙結果には不信をもっているだろうが、選挙自体を無視しているわけではないのである。

結局のところ、この朝日新聞の報道は、民主党・自民党・日本維新の会のみを「選挙の参加者」とし、その他の選択を全く排除することによって成り立っているといえる。そのことを、自分の口ではなく、貧困者やそれを支援する人の口を借りて語っている。「民・自・維」しか選択肢にないならば、だれが選挙にいくのだろうか。そういった形で、選挙自体への不信を結果的にあおりたてているといえる。

例え、積極的に選挙活動ができなくても、選挙権は行使できる。それに、府中緊急派遣村のサイトにも出ているように、既存の政党からではない形で選挙に立候補する人もいる。「府中緊急派遣村」の記事に出ていた人たちも、議員などになることもあるかもしれない。そのような可能性を見出さないまま、朝日新聞の記者は「選挙への絶望」を語っている。

記事を読むと、それなりに良心的な記者だと思う。しかし、その良心をはきちがえていると思う。それは、全く「政治」の枠を「小さくみる」ことから始まっているといえるのである。

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    1、原子力規制委員会記者会見からの「しんぶん赤旗」の排除

2012年9月26日、共産党の機関紙である「しんぶん赤旗」は、次のような記事をネット配信した。

原子力規制委員会が毎週1回開く委員会終了後の記者会見について、同委員会の実務を担当する原子力規制庁の広報担当者は「特定の主義主張を持つ機関の機関紙はご遠慮いただく」などとして、「しんぶん赤旗」を排除する方針を25日、明らかにしました。さらにフリーランスの記者についても「どういった雑誌に、どういった記事を書いているかを見て、特定の主義主張を持って書かれている方はご遠慮いただいています」と、憲法が禁止する検閲まがいの対応をしていることも明言しました。

 原子力規制委員会の田中俊一委員長は19日の第1回委員会で、「地に落ちた原子力安全行政に対する信頼を回復する」ため「透明性を確保する」と述べ、「報道機関への発表を積極的に行うことで、委員会としてのメッセージを分かりやすく伝える」とする方針も決めていました。委員会で決めた「報道の体制について」では「報道機関を既存官庁よりも広く捉え、報道を事業として行う団体や個人を対象にする」とまで明記していました。

 これまで、内閣府原子力安全委員会後の委員長らの記者会見で、こうした対応はされていませんでした。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik12/2012-09-26/2012092614_03_1.html

つまり、「特定の主義主張を持つ機関の機関紙」として「しんぶん赤旗」所属記者を記者会見から排除するとともに、フリーランスの記者についても、「特定の主義主張を持つ」かどうかで選別すると、原子力規制委員会は明言したということである。

    2、原子力規制委員会の初仕事としての原子力「言論」規制

翌26日、原子力規制委員長田中俊一の第一回定例記者会見が開かれた。その際、この問題が記者から質問された。一応、典拠として、この記者会見の映像をあげておこう。大体10分過ぎあたりから、この問題のやり取りが記録されている。

ブログ「みんな楽しくハッピーがいい」で、この部分のやり取りがおこされている。まず、フリーランスの記者から、次のような質問があり、原子力規制委員会の事務局である原子力規制庁の広聴広報課長が、このように答えている。

フリーランス:
フリーランスのWatariと申します。
本日の赤旗の記事で、今日のこの会見にですね、赤旗の記者の参加が認められないという事を、原子力委員会の広聴広報課の方からあったということだったんですけれども、その際にフリーランスの人間も含めて、報道内容を精査し、偏った主義主張の報道媒体、あるいは記者には記者会見の参加を認められないというふうに、委員会の方から連絡があったという事を記者から直接聞いたんですけれども、そのことが事実か?っていうことと、「開かれた報道」という事を前提として、この委員会でそういうことは委員長として、見解としてどうなのか?ということと、それから「偏った報道」というのは、たとえば、フリーランスには限らないと思うんですけれども、どこまでのことをいうのか?と。
朝日新聞、読売新聞、産経新聞、毎日新聞等々はですね、「毎日社説で偏った主張をされている」と僕は思っていますけれども、そうしたものは偏っていなくて、他の物は偏っているという基準を教えて下さい。

(中略)
広聴広報課長:
わたくし広聴広報課長でございますので、まず事実関係から説明させていただきますと、フリーランスの方でそういう主義主張を確認するというような事はございません!
わたくしどもが申し上げているのは、先の19日の委員会決定でもございましたけれども、フリーランスの方の実績ですね。これまでの活動実績として、どういう記事が、掲載されてきたのか、それが出来るだけ最近に掲載されているのか。というような事を見させていただくという事はございますけれども、記事の内容を確認するという趣旨ではございません。
フリーランスの方のそうした活動の、顕著な方を優先して対象としたいという思いでございますので、特定の主義・主張で判断するという事ではございません。
というのが事実関係でございます。

フリーランス:赤旗はどうなの?

広聴広報課長:
赤旗さんにつきましては、こちらは政党の機関紙という事でございまして、報道を事業とするという趣旨からいくと、少し違うんではないかという事で、いわゆるフリーランスの方っていうのは報道を事業とされる方かと思います。
そうした方々を優先的に、こうした記者会見の場でお招きして参加いただくということを申し上げたという事でございます。

フリーランス:政党機関紙以外は・・(聞きとれない

広聴広報課長:少し繰り返しになりますけれども、フリーランスの方であればですね、

フリーランス:フリーに限らないで、直接の意味は、政党機関の…(聞き取れない

広聴広報課長:
政党の機関紙というよりは報道を事業としている方という事を、一つの基準として考えさせていただいています。はい。
http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-2385.html

そして、広聴広報課長は、次のように「記者会見」の資格について述べたのである。

第一回の委員会の資料で、「報道の体制について」という中で、資料の16ページ17ページにありましたけれど、記者会見等に参加を求める報道機関の範囲は次の通りにするとか言って、いわゆる新聞協会、あるいは専門新聞協会、あるいはインターネット報道協会、等々の会員である方。あるいはこうしたものに準ずるような方というようなことで、一つの基準は示させていただいているところでございます。その中に、いわゆるその報道を事業と、最初の趣旨のところでですね、報道事業として行う団体や個人を対象にする。というふうに掲載させていただいています。
という、ことでございます。
http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-2385.html

いわば、「報道事業者」に記者会見参加者を限定するとしたのである。その上で、政党機関紙である「しんぶん赤旗」は参加資格がないと述べている。ここであげている「報道の体制について」という文書において、いわゆる記者クラブ会員以外の記者会見参加者は「発行する媒体の目的、内容、実績等に照らし、上記いずれかに準ずると認め得る者」「上記メディアが発行する媒体に定期的に記事等を提供する者であって、その実績等を認め得る者」とし、その判定の基準を「発行媒体の目的・内容・実績の報告を求め、これらを証する資料の提出を求めて、準ずるか否かを判定する」などとしている。いわゆる「検閲」というのは、このことをさしていると思われる。なお、広聴広報課長は「内容」はみないとしているが、この文書では「内容」も判定基準としている。ということは、今後、具体的な運用がすすめば、「内容」も判断基準として記者会見参加者の選別が行われるのであろう。結局、原子力規制委員会の初仕事は、記者会見参加者の選別という形で行われる、原子力「言論」規制なのである。

    3、原子力規制委員長田中俊一の本末転倒な「政治的中立」論

フリーランスの記者に続いて、「週刊金曜日」の記者が、「しんぶん赤旗」は報道事業として成立っており、報道事業者に該当するのではないかと質問した。それに対し、田中俊一は、次のように答えた。

これは答えにくいところですけれども、政治からの独立っていうのがこの委員会の非常に大きな、プリビレージ、それがありますので、政党っていうのは政治とダイレクトに政治の力を表に出す一つの手段として使われているのが、政党の機関紙じゃないかと思うんですね。
これは私の考えですけれども。
ですから、そういうところで、そういう方を同じにっていうふうにやってしまうと、政治からの独立っていうことが、少し怪しくなるかなっていう感じはしないことはないですね。
これはみなさんが、是非、皆さんで考えていただいた方がいいと思いますけれども、私はそんなふうに思うところがありますね。
http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-2385.html

田中俊一が「しんぶん赤旗」を排除する理由は、原子力規制委員会が政治的に中立でなければならないからというのである。彼にとって、政党の機関紙である「しんぶん赤旗」に書かれることは「政治の力を表に出す一つの手段」なのである。

原子力規制委員会が、政治的中立を求められるのは、推進側との一体化をさけるためであった。6月15日の参議院本会議で、原子力規制委員会設置法案の共同提出者の一人である民主党の近藤昭一衆議院議員は、次のように述べている。

衆議院議員(近藤昭一君) 法案提出者の衆議院議員の近藤昭一でございます。
 原子力規制委員会を三条委員会としたその理由について、お答えをさせていただきたいと思います。
 これまでの原子力規制においては、原子力発電の推進を担う経済産業省とその規制を担う原子力安全・保安院とが一体となっていたため、独立した規制上の判断と決定が担保されず、安全規制がゆがめられる事態が生じておりました。
 新たな規制組織をどのようなものとするかについて、政府案は環境省の外局として原子力規制庁を設置するものでありましたが、本法案では原子力規制組織を独立行政委員会、すなわち三条委員会として設置することとし、十分な権限、人事及び予算が担保された上で、原子力事業者のみならず、他の行政機関や政治部門からも独立して職権を行使することが可能な組織となっております。

そして、原子力規制委員長に田中俊一が不適格であるとして世論が反対するのは、彼が日本原子力研究開発機構という、原発の推進側にいた人物であるからということである。原子力規制委員会設置法は第7条の中で、「原子力に係る製錬、加工、貯蔵、再処理若しくは廃棄の事業を行う者、原子炉を設置する者、外国原子力船を本邦の水域に立ち入らせる者若しくは核原料物質若しくは核燃料物質の使用を行う者又はこれらの者が法人であるときはその役員(いかなる名称によるかを問わず、これと同等以上の職権又は支配力を有する者を含む。)若しくはこれらの者の使用人その他の従業者」は原子力規制委員になれないと決めている。つまり、彼自体が委員長の職にいるということ自体が、原子力規制委員会の中立性を侵犯しているのである。つまり、彼が政治的中立を云々する時点で、本末転倒なのである。

その上で、彼は、「しんぶん赤旗」に書かれることを「政治的圧力」として把握している。しかし、「しんぶん赤旗」紙上で指摘されるということは、別に、他の新聞ー例えば朝日でも読売でもいいがーで書かれることと、手段において差はない。それは、政治的な圧力ではなく、公開の場の言論にすぎないのである。田中の発言は、政治的圧力と公開の場の言論による批判を混同したものなのである。確かに、「しんぶん赤旗」記者の質問は批判的なものであろう。しかし、その批判的な質問により、原子力規制委員会の問題点がよりあきらかになる。そして、当たり前のことだが、「しんぶん赤旗」記者の行った質問によってあかされたことは、単に「しんぶん赤旗」の読者だけでなく、他の新聞の読者にも共有される可能性を有する。その意味で、公開の場での言論による批判は、社会の共有財なのであるといえる。

特に、原子力規制委員会設置法では「原子力規制委員会は、国民の知る権利の保障に資するため、その保有する情報の公開を徹底することにより、その運営の透明性を確保しなければならない。」(第25条)と、情報公開を徹底することを規定している。これは、福島第一原発事故で情報が隠蔽されたことの反省に基づいたものである。その意味で、田中らの発言は、そもそも原子力規制委員会設置法にも反するとともに、福島第一原発事故から何も学んでいないことを自ら暴露したものであるといえる。

このブログで、田中俊一の放射線規制に対する考え方は規制委員長として不適格ではないかと指摘したことがある。しかし、そもそも、「政治的中立」という「公人」としての第一原則まで理解できない人物とは思わなかった。しかし、考えてみれば、原子力規制委員会設置法自体が、彼のような存在を原子力規制委員としては不適格としているのであり、そのことに思い当たらないがゆえに、原子力規制委員長の職につくことになったのだろうと思う。つまり、前述したように、政治的中立を侵犯している人物自体が、記者会見参加者の「政治的中立」を云々するという、逆さまなことになっているのである。

このままいれば、より晩節を汚すだけだと思う。国会の同意不同意にかかわらず、本人のためにも一刻も早く辞任すべきであると思う。いずれにせよ、原子力規制委員会は原子力「言論」規制委員会になりはてているのだ。

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さて、本日9月21日は、民主党の代表選が投開票される日である。報道によれば、現職の野田首相の再選が確実と聞く。

同時並行的に行われている自民党総裁選は、テレビなどの露出も多く、街頭演説なども多いらしい。しかし、民主党の代表選は、テレビへの露出も少なく、街頭演説もほとんどない。

しかし、一度は行わなくてならないと考えたらしく、9月19日午後4時半より、野田佳彦、鹿野道彦、赤松広隆の三候補は、新宿駅西口にて街頭演説会を実施した。なお、原口一博は、沖縄にいっており、この演説会には出ていない。

野田首相の演説分をとった映像が youtubeに投稿されている。ここで紹介したい。

10分はある映像だが、最初のところだけみれば、大体理解できる。野田は、群衆に「帰れ」「帰れ」や「人殺し」などと野次られながら、演説を行っていたのである。

この状況をもっともよく伝えているのが、日刊ゲンダイの次のネット記事である。

野田首相初の街頭演説「人殺し」「辞めろ」コールに思わず涙目
【政治・経済】

2012年9月20日 掲載

 野田首相は、自分がどれだけ国民から嫌われているか、身に染みて分かったのではないか。
 19日、民主党代表選の街頭演説が東京・新宿で行われた。詰めかけた聴衆の手には「辞めろ」「ウソつき」などと書かれたプラカード。野田が登場すると、「帰れ!」「人殺し!」とヤジや罵声が飛び、最後は「辞めろ」コールの大合唱で演説がまったく聞こえないほどだった。
「反原発の官邸デモの件もあって、総理は街頭演説を嫌がっていた。今回は反原発の左翼だけじゃなく、尖閣問題で右翼も警戒しなければならない。それで、大阪と福岡で行われた演説会も屋内開催になったのです。しかし、自民党総裁選が各地で街頭をやっているのに、民主党が1回もやらないのでは批判されると中央選管から泣きつかれ、急きょ投票2日前の街頭演説会となった。新宿駅は聴衆と選挙カーの間に大きな道があって安全ということで、総理も納得してくれました。警視庁とも相談し、警備しやすい安全な場所を選んだのですが……」(官邸関係者)
“演説力”が自慢の野田にしては意外な気もするが、街頭演説は首相就任後これが初めて。昨年12月に新橋駅前で予定されていた街頭は、直前に北朝鮮の金正日総書記死去の一報が入って取りやめになった。
 今回は万全の警備態勢を取り、民主党関係者も動員したのだが、野田が演説を終えても拍手は皆無。怒号とヤジがやむことはなく、さすがに野田も涙目になっていた。これがトラウマになり、二度と人前に出てこられないんじゃないか。最初で最後の街頭演説かもしれない。
「右からも左からも、これだけ攻撃される首相は珍しい。最近は、千葉県の野田首相の事務所や自宅でも『落選デモ』が数回にわたって繰り広げられています。首相の自宅前をデモ隊が通るなんて、自民党政権では考えられなかったこと。かつて渋谷区松濤にそびえる麻生元首相の豪邸を見にいこうとした市民団体は、渋谷駅前のハチ公広場からスクランブル交差点を渡ったところで止められ、3人が逮捕された。警察も、野田政権は長く続かないと考えているのでしょうか。もはや政権の体をなしていません」(ジャーナリストの田中龍作氏)
 こんなに嫌われている男が再選確実なんて、悪い冗談としか思えない。民主党が国民から見放されるのも当然だ。
http://gendai.net/articles/view/syakai/138764

つまり、右からも左からも攻撃されているのが、現在の野田首相なのである。そのことは、野田自身も予期していたと思われる。本来、代表選であっても、ライバル自民党との対抗のため、街頭演説をなるべく実施しようとするのが当然のことであろう。しかし、こうなることを予期して、街頭演説を最小限にとどめたと考えられる。それであっても、このような状態なのだ。

野田の演説をところどころ聞くと、自民党の批判を中心にしているように思われる。朝日新聞は、次の記事を9月20日ネット配信している。

ヤジで声がかき消されそうになる中、首相の語り口も次第にヒートアップ。「財政がひどい状態になったのは誰の政権下だったでしょうか」「原子力行政を推進した政権は誰だったんですか」「領土、領海をいい加減にしてきた政権は一体誰だったんですか」

 消費増税をめぐって自民党との合意を優先してきた首相とは思えないほど、自民党を厳しく批判。聴衆に笑顔を振りまくこともなく会場を後にした。
http://www.asahi.com/special/minshu/TKY201209190746.html?ref=chiezou

しかし、野田を野次っている人びとは、彼の自民党批判を聞きにきたわけではない。野田政権が進めている原子力政策や尖閣諸島国有化による日中摩擦を批判しているのだ。そして、可能ならば、それに対する野田の弁明を聞いてみたいのだ。だが、野田は、群衆が批判する声にこたえようとせず自民党批判を続けている。野田だって人間なので、まったく感じないわけではないようで、「涙目」「ヒートアップ」になったといわれている。しかし、その演説内容は、少なくとも、その批判に答えようとしたものではない。いわゆる抽象的な「有権者」しか眼中にないのだ。野田にとって、いちおう野次と怒号は肉体的に反応を余儀なくされた「大きな音」ではあったが、理性的に対応する必要がある「大きな声」ではなかったのだ。

昔、ソ連解体過程で、リトアニアの独立派のデモの前で、ゴルバチョフがその説得を試みようとしたことがある。そういった意志は全くない。批判している人びとを説得するのではなく、それを無視して、自説を続けるということーこれが、民主党政権のあり方を象徴的に示しているといってよいだろう。

この街頭演説について、多くのマスコミはあまり伝えようとはしていなかった。今挙げたもの以外では、TBSがニュース23の中で、群衆の野次・怒号と各候補の演説内容を要領よくまとめているくらいである。

その中で、特筆すべきは、フジテレビである。9月19日に、このように報道した。

この映像では、全く、野田首相を野次っている群衆の姿は写っていない。そればかりか、野田首相を野次る群衆の声すら聞こえない。野田首相が自民党批判している声が非常にクリーンに聞こえてくる。まるで、批判する群衆などは不在の映像なのだ。

知人によると「ライン録り」ーアンプから直接録音機材に連結するーでとっているのではないかと話していた。いずれにせよ、これは、まさに、野田を批判する群衆などはいないがごとき映像なのである。たぶんに、フジテレビは、マスコミとしての特権から、ライン録りを許可されたのだと思う。それがゆえの映像なのだ。確かに、野田らの演説は、よく聞こえる。そして、このような映像がマスコミを通じて配信されることを、民主党側は期待していたといえるのだ。群衆を無視した野田は、テレビを通じて抽象的な「有権者」に自民党批判を語りかけたかったのであろう。

しかし、逆にいえば、フジテレビは、全くあの街頭演説会の状況を伝えなかったともいえるのだ。そして、それは、この街頭演説会自体を報道しなかった他の各メディアもいえることである。その意味で、マスコミ報道自体のあり方も問われるべきことであるといえる。

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前回のブログでは、ディズニーが原子力プロパガンダ番組「わが友原子力」を制作したこと、そして、そのことが、アナハイムのディズニーランド遊園地にも影響を及ぼしたことを、主に有馬哲夫『原発・正力・CIA』(新潮新書 2008年)に依拠して述べてきた。

ここでは、同じく有馬前掲書によりながら、この「わが友原子力」が、日本でどのように受容されたか、そして、その結果としてどのようなことがおきたのかをみていこう。

このブログでは、読売新聞・日本テレビを傘下にもっていた正力松太郎が、CIAの慫慂により、1955年初めにアメリカの原子力平和利用使節団を招くなど、原子力推進キャンペーンに乗り出したことを述べた。このキャンペーンは、1955年に「保守合同」と「原子力推進」を二大公約として衆議院選挙に出馬した正力の選挙運動でもあった。

正力は、1955年11月より、CIAなどの援助により「原子力平和利用博覧会」を全国にわたって開催するなど、原子力の平和利用推進のキャンペーンに従事した。他方、正力自身は、1955年11月に国務大臣として入閣し、彼自身としては原子力担当大臣(1956年1月1日に原子力委員長に就任)として活躍した。その後も、正力は入閣するたびに科学技術庁長官など原子力を担当する部署を担った。総理大臣の地位をねらう正力にとって、原子力推進で実績をあげることは、その夢を実現する手段であった。そして、それは、正力の傘下にある読売新聞や日本テレビにとっても同じであった。

そんな中、ウオルト・ディズニーの実兄であるロイが日本テレビを訪問し、「わが友原子力」を「ぜひNTVで放送し、日本の人々にも原子力の実態を理解して欲しい」(有馬前掲書p206)と申し入れた。このことがいつか、有馬は明言していないが、1957年1月23日にアメリカで「わが友原子力」は放映され、1958年1月1日には日本テレビでも放映されているところから、1957年のことだったと思われる。有馬は、ロイ・ディズニーの申し入れについて、合衆国情報局、合衆国大使館、ゼネラル・ダイナミックス社(原潜ノーチラス号の製造会社)の支援を受けたものと推測している。

そして、1957年12月3日、日本テレビ本社で日本テレビとディズニーの間で「わが友原子力」の放映契約が締結された。12月31日には高松宮を招いて試写会を開いた。この試写会の様子を読売新聞が伝えており、翌1958年1月1日の放送と予告した。いわば、メディア・ミックスの企画だったのである。

有馬は、このように伝えている。

皇族も利用したこの宣伝の効果が大きかったためか、元旦という一年で最高の時間枠だったためか、『わが友原子力』の放映は大成功を収めた。…原子力委員長としての正力もこの成功を利用した。一九五八年に発行された科学技術庁原子力局の『原子力委員会月報』には原子力教育に役立った映画として『わが友原子力』が挙げられている。(有馬前掲書p218)

このように、日本テレビも正力松太郎もディズニー制作の「わが友原子力」の放映により利益を得たのである。

ただ、私としては、後日談のほうが興味深い。有馬は、次のように伝えている。

この大成功は連鎖反応を起こした。『わが友原子力』の放映契約は『ディズニーランド』の放映契約につながっていった。同年八月二九日、日本テレビは、金曜日の三菱アワーで、ディズニー・プロダクションズ製作(ABC放送)の『ディズニーランド』の放送を開始した。といっても隔週放送でプロレス中継と交互に放送された。これは戦後テレビの一時代を作り、長く記憶される番組枠になっていった。(有馬前掲書p218〜219)

「わが友原子力」が番組「ディズニーランド」の一コンテンツであったことは前述した。日本では、「わが友原子力」の放映が、番組「ディズニーランド」の放映につながったのである。

といっても、そのすべてが原子力推進プロパガンダ番組というわけではない。ウィキペディアの「ディズニーランド(テレビ番組)」の項から、日本テレビで放映された1958〜1959年の分をみておこう。アニメと啓蒙的ドキュメンタリーが多いと思われる。むしろ、遊園地なども含めてディズニーのコンテンツを紹介する番組であったといえよう。

1958年 [編集]
1. 8月29日:未来の国 「宇宙への挑戦」
2. 9月12日:おとぎの国 「グーフィーの万能選手」
3. 9月26日:冒険の国 「大自然に生きる」
4. 10月10日:おとぎの国 「ミッキーマウスの冒険」
5. 10月24日:冒険の国 「第一部 カメラの探検旅行 / 第二部 深山のおじか」
6. 11月7日:おとぎの国 「ただいま休憩中」
7. 11月14日:冒険の国 「南極の過去と現在」
8. 12月5日:おとぎの国 「プルートの一日」
9. 12月12日:冒険の国 「大自然に生きる」(第3回の再放送)
10. 12月19日:冒険の国 「大自然のファンタジー」
1959年 [編集]
11. 1月2日:未来の国 「大空への夢」
12. 1月16日:おとぎの国 「グーフィーの冒険物語」
13. 1月30日:冒険の国 「南極便り」
14. 2月13日:おとぎの国 「動画の歴史」
15. 2月27日:おとぎの国 「シリー・シンフォニー・アルバム」
16. 3月13日:冒険の国 「素晴らしい犬達」
17. 3月27日:冒険の国 「カメラのアフリカ探検とビーバーの谷」
18. 4月24日:冒険の国 「おっとせいの島」
19. 5月8日:おとぎの国 「ドナルド・ダックの一日」
20. 5月22日:未来の国 「宇宙への挑戦」(第1回の再放送)
21. 6月5日:おとぎの国 「グーフィーの出世物語」
22. 6月19日:未来の国 「大空への夢」(第11回の再放送)
23. 7月3日:おとぎの国 「魔法のすべて」
24. 7月17日:冒険の国 「カメラのアフリカ探検とビーバーの谷」
25. 7月31日:冒険の国 「ラプランドの旅とアラスカのエスキモー」
26. 8月14日:おとぎの国 「グーフィーの万能選手」(第2回の再放送)
27. 8月28日:未来の国 「月世界探検」
28. 9月11日:冒険の国 「カメラの探検旅行と深山のおじか」(第5回の再放送)
29. 9月25日:おとぎの国 「ドナルドのディズニーランド」
30. 10月9日:冒険の国 「大自然の神秘を訪ねて」
31. 10月23日:おとぎの国 「物語の誕生」
32. 11月6日:冒険の国 「南極便り(冷凍作戦)」
33. 11月20日:冒険の国 「サラブレッドあらし号(あるサラブレッドの生涯)」
34. 12月4日:おとぎの国 「ミッキーマウスの冒険」(第4回の再放送)
35. 12月18日:冒険の国 「冒険の国一周と水鳥の生活」

そして、正力は、東京ディズニーランドの創設にもかかわった。有馬はこのように指摘している。

 

ディズニーと読売グループとの関係はこの後も続く。一九六一年、京成電鉄の川崎千春は浦安沖の埋立地にディズニーランドを建設する構想を抱き、ディズニー・プロダクションズと交渉するためアメリカに渡った。『「夢の王国」の光と影ー東京ディズニーランドを創った男たち』によれば、このとき彼とディズニーの間の仲介の労をとったのは正力だったという。(p219)

ディズニー制作のアニメや映画をみたり、東京ディズニーランドで遊んでいたりした際、原子力のことなど普通考えない。しかし、起源まで遡及すると、原子力推進プロパガンダ番組「わが友原子力」の存在が大きいといえるのである。「原子力ムラ」「原子力文化」という際、信じられない範囲まで及んでいるのだ。

2011年12月31日、NHKは紅白歌合戦で、ディズニーの「星に願いを」を歌わせていた。そして、この曲は、前述したように、「わが友原子力」のオープニングでも使われていた。「わが友原子力」で「星に願いを」を聞き、もう一度紅白歌合戦を想起した際に感じた違和感、これをどう考えるべきなのだろうか。

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