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さて、東京都知事選で、副知事であった猪瀬直樹が約433万票獲得し、当選した。

この猪瀬直樹が、3.11直後の2011年5月7日に、猪瀬直樹・村上隆・東浩紀「断ち切られた時間の先へー『家長』として考える」(『思想地図β』第2号)という鼎談を行った。村上隆はアーティストであり、東は現代思想を専攻していて、『思想地図β』の編集長である。この鼎談は、石原都政の中心部にいた猪瀬が、3.11をどのように捉え、どのようなことを主張しようとしていたかということを如実に示しているといえる。

まず、鼎談の組織者である東浩紀は、東日本大震災や原発事故でかなり壊れてしまった「日本や東京のブランドをこれからどう再構築していくか」と、この鼎談のテーマを提示した。そして、東自身は、日本を離れるということを真剣に考えつつ、「日本の伝統や文化的連続性についても考えるようになりました…日本という国は、そもそもが定期的に巨大な災害が来てすべてを流し去ってしまう国でもある、そういう条件をどう捉えていくか」と自分の体験を離した。

そして、猪瀬は、東の浪江町への踏査記事(朝日新聞2011年4月26日付朝刊)を枕としながら、日本文化についての蘊蓄を披露していく。例えば、猪瀬は、このように主張する。

今回の問題は、日本列島という島の記憶や、この島にいる宿命みたいなものをどう受け止めていくかを考え直さないと、解決できないだろうと思っています…日本の文化の根底には、災害の巣のような島から出られないという自覚がある。その意識は、潜在的には連続しているように感じます。(p77)

そして、このように述べる。

この国のはじまりの物語とはいったいなにかと考えたときに、たとえば『古事記』や『日本書紀』といったものがありますが、戦前まではそれが生きていました(…本居宣長の「敷島の大和心を人問わば 朝日に匂ふ山桜花」を引用しつつ)重要なのは、戦前までの日本には、この島から出られないという認識を前提にした歴史観が残っていたということです。しかし戦後はディズニーランド化がはじまり、島の記憶はすべて消えていった。日米安保で米兵に”門番”の役割を担ってもらうようになると、門の外側や歴史のリアルに対する想像力を失ってしまった。僕はこれをディズニーランド化と呼んでいるのです。(p78)

このような発言に対し、東は「震災後政治家に求められるのは、実務だけでなく、こういう能力、『想定外』の危機を扱うため日常よりも長いスケールで文学や思想の古典を呼び出す能力なのではないかと感じたのです。つまり先人の知恵を借りる能力です。」(p78)と賛意を示し、当時の民主党政権を批判しつつ、「自戒を込めていいますが、言論も若い世代は本当に駄目です」と述べている。

そして、猪瀬は、このように発言している。

三島由紀夫は、「戦後の日常は虚偽の日常だ」といいました。つまり、アメリカの存在を隠蔽し、防衛や命に関わることをすべて他者に委ねることによって成立したつくりものだったということです。これが戦後の日常性で、だからこそ、ディズニーランドができあがった。しかし今回は日常が断絶したので、いままで使えなかった「正義」や「国家」という言葉が使えるようになったはずです。我々は、国家の歴史が昭和20年8月15日以降しかないように錯覚してしまっていますが、本当は『古事記』や『日本書紀』から繋がる、はじまりの物語があります。元号があって、万世一系と擬制された一貫した時間軸を持っている。だから、一貫した時間軸を取り戻して、2000年くらい続いてきた島国の文化にアイデンティティがあるんだということにもう一回立ち帰る必要がある。それは、別に天皇神話を信じろということではない。(p79〜80)

猪瀬は、ここで、「島国」としての日本文化の連続性を強調し、それを断ち切ったものとして、アメリカに防衛をまかした形で成立した戦後の「日常性」を批判しているといえる。そして、猪瀬は、3.11を「国難」と表現しているが、この「国難」は、「戦後の日常性」を終わらし、「国家」「正義」という言葉が再び使えるようになった契機としてとらえているのである。この猪瀬に対し、東は、自戒を込めつつ、「賛意」を呈しているといえよう。

さらに、話題は原発問題に移っていく。東は、直接の影響はないかもしれないが、空間放射線量を常に意識せざるを得ない東京の現状についての不安を指摘する。しかし、猪瀬は、「もちろん、そうだけれど、データを受け止めて東京の10倍20倍の放射線量のなかで生活せざるをえない福島の人たちのリアルへの想像力が求められてもいるのです。この島国から逃れられないという断念を共有することが『国難』という言葉の意味ですね」(p82)と反論し、むしろ「なぜ東京電力の福島第一原発はあれほど単純な事故に弱かったのか」という問題を提起し、新しい技術がフィードバックされていれば、原発事故は起きなかったのではないかと主張する。

しかし、東は「おっしゃるとおりです。しかし、だからこそ僕は今回、日本はそういう点をおざなりにする国なのだから、もう原発を管理しようなどと考えないほうがいいのではないかと思うようになりました…要は、放射能が云々以前に、日本政府が危険というのが僕の考えです。この状況では脱原発しかないと思います」(p82〜83)といい、反原発運動に従事していたとされる村上は「少なくとも、海外からの客人には、資料を送って『来ないほうがいいよ』といってますし、知人も数名、国外に住みはじめてます」(p83)と述べている。

しかし、その点が、猪瀬には気に入らない。猪瀬は、このようにいうのである。

しかし原発を管理できない日本人のままでいいのか。大きな流れでいえば「脱原発」に違いない。しかし、原発分の電力量すべてをいきなり再生可能エネルギーで代替できるかというと、やはり10年はかかる。もうひとつは国家の信認の問題として、「管理できない」が結論では駄目でしょう。(p83)

そして、とうとうと「東京湾に原発を置いたらどうか」と猪瀬は語るのである。

…フランスで管理できて日本でできない。しかしその管理ができない人間が世界で通用するでしょうか。僕はいま問題になっている福島の第一原発について、あれが東京にあったらどうだろうという仮説を考えています。我々は電気がどういうリスクを抱えた原発によってつくられているのかを知りませんでした。いってみれば、東京の人間は福島の人民を切り捨ててきた…「東京湾に原発を置いたらどうか」、むろん思考実験ですが、そうすれば都民も、原発の安全や管理体制について、日々関心をはらうでしょう。つまり、危険なものを管理できる人間になることで克服しない限りは駄目で、東京は東京湾に原発を置いて100パーセント完全にやったぜ、と、そういう管理をできるということが、東京ブランドの再興に繋がるのではないか。ただ、これは仮説で、ものの考え方です。実際にやるかどうかはともかく、そういうことをもし真剣に考えたならば、この国が国難から再興することもありえるのではないか。東京の住民が自分の電気を自分で抱え込んで危機管理できないのならば、東京の人間を含めて日本人はやはり駄目なのだということになる。それを引き受ける、引き受けないということを一人ひとり考えて、結果的に無理だったらやめましょう、というところまで持ち込む必要がある。浜岡原発を止めて、ああ助かった、というのでは無責任です。自分で引き受けなければいけない。そこまで考えないと、今回の震災は本当の意味で自分のものにはならない。原発を東京に置いて管理できないようでは駄目なはずです。それを自分で引き受けて克服したら、東京ブランドは再興できるのではないか。(p83〜84)

この問題は、猪瀬にとって「国防」の問題であり、「責任ある主体」としての「家長」の問題であった。

これは国防の問題とも繋がっています。東京に原発を置くという提案は、日米安保ではなく自衛隊で国を守るリスクを抱え込もう、という提案と同じものです。戦後のディズニーランド化した日本は、どちらのリスクも避けてきた。本当に東京の人間が原発を抱えたら、日本人が国防において自衛隊を軍隊としてきちんと統御できるか問われると同じように、危険物を制御できるどうかということが問われます。それを抱え込まない限り、前回の鼎談でもいったように「家長」ではない。責任ある主体になれない。(p84)

さすがに、この猪瀬の提起には、村上隆も東浩紀も肯定的には受け取っていない。村上は「国防の意味でも、詭弁と欺瞞がとぐろを巻いて面白い。実際やれればやってみるのもいいと思います。でも、僕はその瞬間に関東圏を離脱しますがね」(p84)と揶揄的に発言し、この鼎談で猪瀬に賛意を示すことが多い東も「僕はそもそも日本政府には原発が管理できないという立場なので、設置に賛成はできないでしょう」(p84)と述べている。

この鼎談の末尾は、猪瀬が文学論を展開しているが、ここでも猪瀬は「原発問題」に言及している。猪瀬は、夏目漱石ー太宰治ー村上春樹を「放蕩息子」の系譜としてとらえ、それに対抗する存在として、元号の候補を検討した森鴎外を「家長」として認識するとした。暗に、自らを「家長」の系譜を継ぐものとしている。そして、夏目漱石の『三四郎』のせりふを引用しながら、このように猪瀬は述べている。

そうなんだよ。滅びるねって、それをいってはおしまい。漱石は滅びるねといったけれど、そこから先がない。さきほどの原発の話と被るけどね。(p92)

そして、文学や政治を包括して、このように猪瀬は指摘した。

 

でも実際には鴎外の系統は途絶えちゃって、漱石の系統が太宰治へ続いていく。家長と放蕩息子で、結局放蕩息子の血統が残る。文学は放蕩息子の側にしかいかなくて、家長の側には行かなかった。昭和16年を迎えたときに、文学の家長はいなかった。国家のシステムに関わるやつがいなくなった。だから、国家は思想としてのリアリズムを欠いて制御不能になり、戦争に突入してしまった。そいうことなんですよ。…だから震災後のいまこそもう一度家長の思想が必要なんです。それは家父長制の話とはまったく別物です。この60年間、文学も政治も責任ある主体から逃げてきたんですよ。(p92)

猪瀬の主張を、原発問題に即していえば、次のようになるだろう。猪瀬は、まず、島国の日本でともに生きているということを前提として、より高い放射線量にさらされている福島県の人びとを考えるならば、東京の人びとは現状の放射線量を受忍すべきとする。そして、単に急には再生可能エネルギーで代替できないという理由だけでなく、自らのリスクを抱え込んで管理する力を日本は持っているのだということを認識させるためにも、東京に「完全な原発」を設置すべきとしている。このことは、日米安保によって米軍によって主に保障されている国防の問題を見直すことにもつながり、さらには、日本人が「責任主体」としての「家長」の思想を確立することにも結びついていくということになるのである。

このように検討してみると、猪瀬にとって、3.11とは、彼が副知事として責任を負うべき東京都民の安全をはかるという問題に直面したものではなく、猪瀬が評価するようなナショナリスティックな方向で日本人の思想を改造していく契機と認識されていたといえよう。そして、「東京湾に原発を置いたらどうか」という提案も、「自らのリスクを管理する」責任主体としての「家長」の確立につながっていくものであった。さらに、このことは「東京ブランドの再興」「国家の信認」をめざしたものであった。いわば、3.11という惨事に便乗して、社会を改造しようとすることを猪瀬はめざしていたといえるのであり、いわゆる「ショック・ドクトリン」が志向されたといえよう。

これは、もちろん、猪瀬だけではない。石原慎太郎も橋下徹なども、その方向をめざしたといえる。そして、彼らのめざす方向は、ある程度、成功したとみなくてはならない。猪瀬は、東京湾に新鋭火力発電所を建設するということを政策としてかかげながらー原子力を火力に置き換えたのだがー、433万票という歴代最多の得票を得て、都知事選に勝利した。石原や橋下も、国政進出をはたしつつある。そして、自民党においても、復古ナショナリズムの権化であるような安倍晋三が復権し、首相となった。脱原発運動が広範囲に展開しつつも、政治状況では確実にナショナリズムが強化されている。そして、このようなことの背景に、3.11があるのである。

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