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Posts Tagged ‘携帯電話’

東日本大震災においては、津波に襲われた各地の被害状況をリアルタイムに記録した動画が数多く残されており、youtubeなどの動画サイトにアップされていいる。本ブログでも、津波被災の状況を示すものとしていくつか引用している。

しかし、このように、リアルタイムの動画が数多く残され、社会に流通するということは、非常に新しいことである。

まず、考えてほしい。基本的に、何か事件が起きているとき、それにまきこまれている当事者は、記録機材ーそれこそカメラ程度でもー持ち歩いていないのが普通である。基本的に、動画ないし写真などは、今までは、メディア関係者が事件の行われている場に赴き、そこで撮影され、テレビ・新聞・雑誌などのメディアを通じて発信され、最終的には記録されるというものであったといえる。その意味で、短時間で終わってしまう津波などの「現場」がリアルタイムで撮影されることは、たまたま、撮影機材をもったメディア関係者もしくは学術関係者がその「現場」にいたという「偶然」がなければ、ありえないことであったといえる。

東日本大震災の起きた今日、あまりにも一般的になっているのでほとんど指摘されていないのだが、このような状況は大きく変わったといえる。現在、多くの人が携帯電話を持ち歩いている。日雇派遣の際、求人のためのアイテムとなっているなど、たぶん、携帯電話は人びとの生活において必須なものになっているといえる。この携帯電話は、単に電話機能だけでなく、写真・動画撮影のカメラ機能をもつものが普通である。そして、メール機能やインターネット接続機能がついている。つまり、携帯電話をもつということは、出来事を撮影するカメラをもつということであり、さらに、撮影した動画・写真などをインターネットを通じて発信できるということなのである。

通常は、このような機能は、比較的他愛のないことに使われている。例えば、「今日、どこに行った」とか「夕食でステーキを食べた」とかなど、それぞれの個人が体験したことを伝え合っているにすぎない。しかし、日常時でも、「当事者が経験しつつあることを当事者自身の視点で記録し発信する」ということが行われている。

東日本大震災において、多くの動画が残されているのだが、大部分は携帯電話によるものではないかと推察している。もちろん、なにがしかデジタルカメラ・デジタルビデオによるものもあると思うが、津波より避難している人びとの多くが、わざわざデジタルカメラ・デジタルビデオなどを持参しているとは思えない。多くは携帯電話で撮影されたものであろう。津波をリアルタイムに記録している動画をみると大抵は避難している当事者たちによって撮影されたものである。事件を体験している当事者自身が、当事者の視点でリアルタイムで動画・写真を記録したということは、類を見ないことである。

携帯電話で撮影された動画・写真は、メールによって転送されることができ、youtubeなどの動画サイトに投稿できる。すべての動画を直後にアップしたとは限らないが、それこそ、リアルタイムに出来事を伝える速報性を、携帯電話で撮影された動画・写真は可能性としては有しているといえる。当事者自身が体験ししている出来事を、当事者自身の視点で、情報伝達するーこれは、例えば速報性を有するとされていたテレビもできなかったことである。

その例として、たまたまyoutubeで発見した動画をみておこう。南相馬市における津波被災を写したこの動画は、2011年3月11日、たぶんFNN(フジテレビ)のニュースで流されたものである。テレビで流しているのだが、テレビ局や通信社で撮影した動画ではない。福島テレビを介して「視聴者」から提供されたものである。この「視聴者」とはだれか。この動画の後の方の電話インタビューでわかるのだが、南相馬市に襲来した津波から避難した「当事者」なのである。

テレビ局もしくは通信社が「当事者」たちを撮影し、それをマスメディアとして情報発信しているのではない。当事者自身が当事者の体験しつつある「出来事」を記録し、情報発信しているのである。そして、テレビ局は、そのような「当事者」たちに依拠して、ようやく「速報性」を確保しているのである。

このことをせんじつめていくと、かなり大きな変化が起こっているということができる。メディアは、出来事の「当事者」たちを「客体」として記録・撮影し、そして、「主体」として情報発信していた。しかし、東日本大震災では、当事者たちが記録し、情報発信している。それに依拠しなければ、メディアは情報発信できないのである。その意味で、メディアと「当事者」たちの間の位相が大きく転換しているといえるだろう。

そして、メディアを介さず、「当事者」たちがyoutubeなどのサイトに投稿することも多い。実は、資料的には、ネット掲載の動画のほうが、価値が高いといえる。テレビ局などで流されている動画は、結局のところステロタイプな「津波像」を表現するように編集されることが多く、津波のすごさは強調されるが、一体全体、どういうところで具体的にはどのような状況で津波がきたのかがわからなくなっていることが多い。早い話、石巻でも気仙沼でも、似たような動画が流されている。しかし、ネット掲載の動画は、それぞれの当事者にいた場に即して記録されており、具体的な状況がわかるのである。

そのような意味で、東日本大震災で、多くの津波の動画が残されたということは、多いというばかりではなく、携帯電話とネットを介して、当事者とメディアの関係が変わったことを意味しているのである。それは、もちろん、東日本大震災だけに限られない。つい最近、リビアのカダフィ大佐を殺害した動画が流された。わざわざ戦闘現場にカメラ(従軍記者は別だが)をもってくるものがいるとは思えない。もちろん、断定はできないが、携帯電話での撮影ではなかろうか。いずれにしても、あの動画は、プロのカメラマンが撮影したものとは思われない。「当事者」が自ら体験していることを記録して情報発信し、それに依拠してメディアが報道するという時代が到来したということができよう。

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