Feeds:
投稿
コメント

Posts Tagged ‘損害賠償’

よく、3.11後の福島の地域社会において「分断」があるとされている。この「分断」とは、どのようなものだろうか。基本的に考えれば、①東日本大震災の復興方針をめぐる対立、②福島第一原発事故における責任の所在、③放射能汚染の影響、この三つの要因によって「分断」が生じていると考えられる。

①の東日本大震災の復興方針をめぐる対立ということは、福島県だけでみられる問題ではない。深刻な地震・津波などの自然災害に見舞われた、岩手・宮城・福島3県を中心とする被災地全体でみられることである。大きくいえば、国・県・大企業などが企図している国家的・資本主義的な「復興」と、被災地住民の自生的・共同的な「復興」が相克しているとみることができるが、そればかりではなく、住民同士でも階級・地域・職種・ジェンダー・年齢によって「分断」されていると考えられよう。そして、例えば、宮城県女川町の漁港一本化問題や同県気仙沼市の巨大防潮堤建設問題のように、「分断」が顕在化してくるといえる。

このような「分断」も、また深刻な問題を惹起している。ただ、これらの問題は、多くは自然災害への人間社会の対応に端を発していることに注目しなくてはならない。東日本大震災における地震・津波などの自然災害は、人間社会の開発によって惹起された面を否定すべきではないが、基本的に、自然現象そのものである。通常の意味で、法的・社会的に責任を追及されるべき主体は存在していない。とりあえずは、自然災害に「人間」の側が対処しなくてはならないという論理は、「分断」されているといわれている国・県・大企業と住民、もしくは住民同士の中でも共有しているといえる。よく、「東日本大震災からの復興」が叫ばれているが、それは、おおむね、自然災害への人間社会の対応という論理で語られている。これは、大は安倍政権などの政府の「復興」方針から、歴史学界で広く取り組まれている「被災歴史資料レスキュー」などまで共通している。そして、そのような論理によって、福島県も含めて「復興」のスキームが形成され、資金・資材・人員が投入されている。そこにあるのは、「自然」と対峙した「人間」という認識枠組みなのだ。

もちろん、福島県でも、深刻な地震・津波被害からの「復興」をめぐる方針の対立をめぐって「分断」されている面はあるだろう。しかし、福島において特徴的なことは、②福島第一原発事故における責任の所在、③放射能汚染の影響、という後二者の要因があるということである。②の問題からみていこう。福島第一原発事故は、東日本大震災の地震・津波によって惹起されたものではあるけれど、そもそもこのような巨大な被害を与える原子力発電所をなぜ建設したか、そしてなぜ福島の地に集中立地したのか、津波災害などへの防護は万全であったのか、事故自体への対応や住民対策は適切であったのかなど、「人間社会」が責任を問われる問題である。天災ではなく人災なのだ。

そして、「人間社会」において、この人災において最も責任を負うべき主体は、国策として原発推進をすすめた国と、実際にその建設や運営に携わった東京電力である。これは、単に、国や東電のそれぞれの担当者の個人だけが担うべきではなく、国や東電というシステム全体が担うべき責任である。地震・津波などの自然災害において、全体としては責任をおうべき主体は存在しないといえる。しかし、福島第一原発事故では、責任をおうべき主体がいるのである。その点が、福島第一原発事故の特徴的な点の一つである。

ゆえに、福島県の場合、被災者の意味が違ってくる。福島第一原発事故の被災者の人的・物的被害は、国と東電の業務によってもたらされた損害である。その被害への損害賠償がなされなくてはならない。例えば、強制的に避難させられた被災者たちに国有化された東電が支払っている資金は、国と東電の業務によって生じた損害に対する賠償金であって、救援金や復興資金ではない。

それでありながらも、国や東電についての刑事責任の追及がなされず、福島第一原発事故の原因解明も十分はたされていない。また、国や東電の損害賠償も限定的であり、福島第一原発事故によって生じた多くの人びとの損害を十分補償しえるものになっていない。さらに、東日本大震災からの復興というスローガンのもとに、人災である福島第一原発事故が天災である東日本大震災全体への対応と混同され、責任主体がいるということすらあいまいにされている。

強制的に避難させられた人びとだけでなく、福島県(放射能汚染の及んだ他県も含めて)の人びとは、多大な損害をこうむった。例えば、強制的に避難させられた人びとだけではなく、福島県内にいて福島第一原発事故により被曝したり、被曝の影響をおそれて家族が離散したり、勤務先がなくなって失業したりするなどということも起こっている。このようなことの第一義的責任は国と東電にある。しかし、そのような損害については、ある程度補償されたとしても限定的でしかないのである。

このような中で、強制的に避難させられるがゆえに、ある程度の補償(これも十分とは思えないが)を得ている人びとと、被害をこうむったにもかかわらず、十分な補償を得ていないというと感じている人びととの間に「分断」が生じてくる。しかし、この「分断」は、国や東電が福島第一原発事故に対する責任をあいまいにしていることから発生しているといえるのである。

さて、次に、③の放射能汚染への影響ということについて考えてみよう。これもまた、福島に特徴的に示されている問題である。居住にせよ、農業・水産業の再開にせよ、全ての問題において、福島では放射能汚染の問題を考慮せざるをえない。この問題についていかに行動するかということに対しては、二つの方向性がある。一つの方向性は、放射能汚染を考慮し、放射線被曝を少しでも避けようとすることである。究極的には、高線量地域から移住するということになるが、高線量地域で生産された食品をなるべく食べない(これは、福島だけには限らないが)、高線量地域にはなるべく立ち入らないというような行動が具体的には考えられる。

他方で、放射能汚染の影響を「相対化」して、多少の高線量地域でも「帰還」してコミュニティを再建し、農業・水産業を再開させ、それらの地域で作られた食品も口にし、さらには観光客をよびこもうという方向性も存在する。というか、この方向性にしたがって、国・東電・福島県が福島第一原発事故対策をすすめているのである。もちろん、線量の高低で区域をわけ、さらには除染をし、食品の放射能検査を実施するなど、放射能汚染に対してなにも対応していないとはいえない。といっても、福島の広大な土地をすべて除染することなどできず、かなりの範囲が今なお除染基準(1時間あたり0.23μSv、年間1mSv)以上の空間線量のままだ。にもかかわらず、国の方針としては、除染基準の20倍の年間20mSvの線量地域まで帰還をすすめようというのである。

この二つの方向性も、「分断」の原因になっているといえよう。被災地に住民を帰還させ、コミュニティを再建させ、生業を復活させるというのは、自然災害ならば当然の対応である。この過程を「復興」といってよいだろう。しかし、自然の産物ではない放射能で汚染された地において、このような「復興」は自明なことではないのだ。

一つ、農地の復活という点で考えてみよう。東日本大震災における津波被害で、宮城県・岩手県の農地は海水につかり、塩害をうけた。この塩害を受けた農地に対し、土の入れ替えや淡水を流し込むことなどにより復活をはかることは、どれほどのコストがかかるかは別にして、方向性としては問題にはならない。塩は自然のものであり、海などに流しても問題ではないのだ。他方、放射性物質で汚染された農地の場合は、そもそも農地の除染だけで放射能を除去できるかということ、さらに除染により放射性廃棄物と化した土壌をどうするのかという問題が生じてくる。さらに、そのような土地で生産された農産物を商品として売ることがどこまで可能かということもある。このように、多くの面で問題をはらんでいるのである。

放射能汚染、これも人のもたらしたものであり、当然ながら「人災」である。そして、これは自然の循環にまかせてはならない。それは、すでに水俣病が示していたことであった。にもかかわらず、福島第一原発事故からの「復興」は自然災害のように扱われ、放射能汚染の面が軽視される。それがゆえに、放射能汚染を重大に考えている人びととの間に分断をうんでいるのである。

そして、ここにもまた、「人間の責任」ということが背景にあるといえる。放射能は人間が生み出したものであり、それに対処することも人間の責任である。その責任に目を背けたまま進もうとすること、それが分断の原因になっているといえる。

②と③の要因は、いずれにせよ、福島第一原発事故の「人災」としての性格から生じている。どちらも、本来、「人間社会」内部で担うべき責任があいまいにされ、それゆえに、福島県民内部に深刻な「分断」がもたらされるようになったといえるだろう。この「分断」を克服するのは容易なことではない。ただ、その第一歩は、福島第一原発事故は「天災」ではなく「人災」であり、「人間社会」内部において責任追及されるべき問題であることを認めることであると考えられるのである。

Read Full Post »

東京電力は4月30日に3年ぶりに「黒字」になったと発表した。ここでは、毎日新聞のネット配信記事をあげておく。

東京電力:3年ぶり黒字 料金値上げとコスト削減で
毎日新聞 2014年04月30日 20時47分(最終更新 04月30日 20時55分)

 東京電力が30日発表した2014年3月期連結決算は、経常損益が1014億円と3年ぶりの黒字を確保した。電気料金値上げに伴う収入増やコスト削減効果が大きかった。しかし、今年1月に策定した新たな総合特別事業計画(再建計画)で前提とした柏崎刈羽原発(新潟県)の今夏の再稼働は見通せず、15年3月期の業績見通しは「未定」とした。原発の再稼働が進まなければ、火力燃料費の増大に伴う収支悪化は確実で、電気料金再値上げの検討も避けられない。

 売上高は前年同期比11.0%増の6兆6314億円。電気料金の値上げで収入が約2430億円増えたことが主な要因だ。賠償費用分として原子力損害賠償支援機構から交付された1兆6657億円を特別利益に計上し、最終(当期)損益は4386億円の大幅な黒字となった。原子力損害賠償支援機構への返済に当たる特別負担金500億円も支払った。

 14年3月期の経常黒字達成は、金融機関が東電に融資を継続する前提条件だった。東電は工事や点検の見直しなどの修繕費で1653億円、人件費の削減で1103億円など、ギリギリの経費削減を進め、3期連続の経常赤字を何とか回避した。東京都内で記者会見した広瀬直己社長は「社員全員が頑張ってきた結果だ」と述べた。

 しかし、今後の再建計画達成の見通しは厳しい。計画では、今年度中に柏崎刈羽原発で最低4基が再稼働することを前提に、毎年1500億円程度の経常黒字を確保する青写真を描く。だが、原発の安全審査では原発直下の活断層調査が長引き、地元自治体の再稼働への反対も根強い。

 一方、原発の再稼働をせずに東電の収益改善を維持するには、電気料金の再値上げ以外、抜本的な方法が見いだせないのが現状だ。すでに東電の電気料金は、過去の値上げや燃料費の高騰に伴い、震災前に比べて標準的世帯で3割以上値上がりしている。広瀬社長は「できれば値上げしないですむようコストダウンをしていく。できるところまで頑張る」と述べるにとどめ、再値上げに関する明言を避けた。【安藤大介】
http://mainichi.jp/select/news/20140501k0000m020069000c.html

この記事を読んでみると、電気料金値上げやコスト削減により経常損益は1014億円の黒字になったことがわかる。他方、それよりもはるかに大きな黒字を稼いでいるのが、原子力損害賠償支援機構から「賠償費用分」として交付された1兆6657億円である。東電はこの交付金を「特別利益」と計上して、最終損益の黒字額が4386億円にふくらんだのである。そして、そもそもこの「特別利益」は「賠償費用分」なのであり、福島第一原発事故の被害者に支払うべきもののはずなのである。最終的には被害者に支払う予定の資金を、一時的であれ東電の「利益」に計上するという「マジック」によって、ようやく「黒字」と称しているにすぎない。しかも、原子力損害賠償支援機構からの交付金は「借金」であり、返済されなくてはならないものなのである。

結局、「14年3月期の経常黒字達成は、金融機関が東電に融資を継続する前提条件」とされており、この黒字は、銀行向けのものとしかいえないのである。

さて、東電の経常損益が「黒字」を達成したということは、銀行などにとってはよいニュースなのだろう。しかし、社会に対してはどうなのだろうか。資本主義社会において、それぞれの企業が公正さを前提にして利潤を獲得することは正当な行為である。しかし、福島第一原発事故を引き起こした東電は、利潤確保が許されるのだろうか。賠償金については原子力損害賠償機構から当面融資されるが、廃炉費用はどうなのか。福島第一原発の廃炉作業については、労働者が集まらないということを聞く。結局、非正規雇用で待遇もよくなければ、集まらないのも当然であろう。また、汚染水タンクにしても、安上がりにしようとして、結局、汚染水漏れを引き起こしている。黒字が出ているならば、本来は、廃炉費用や、十分とはいえない賠償費用に充当すべきであろう。

もちろん、東電に融資している銀行や、最終的には融資していることになるはずの原子力損害賠償支援機構に返済する関係上、利潤を出す必要が経営上あるだろう。しかし、そもそもの問題は、賠償費用にせよ廃炉費用にせよ、到底東京電力では支払うことができなくなったのに、破綻処理もされずに、この会社が存続しているということなのだ。その結果、無理に黒字を出さなければ営利会社としては存立しないが、そのことは、この会社が社会的に背負っているはずの責務と相反するのである。東電は黒字が許される会社ではないのだ。

これは、たぶん、東電だけのことではない。営利会社として「黒字」経営を行うことは当然である。しかし、そのために、いわゆるコスト削減として、労働者の待遇を著しく悪化させたり、修理などを先送りしたりすることは、社会的な意味で許されなくなってきているといえよう。東電は、ある意味で、先端的に、そのことを示しているのである。

Read Full Post »