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Posts Tagged ‘戦争責任’

2013年12月26日、安倍晋三首相が靖国神社を参拝した。中国・韓国が激しく反発しただけではなく、アメリカも「失望」を表明し、EU・ロシアや国連事務総長報道官も懸念を表明するように、日本の外交的孤立を招くことになった。

靖国神社参拝には、憲法の政教分離原則についての侵犯、さらに戦争で死んだ軍人・軍属を神として祀ることで、戦争によって死ぬということを美化しているのではないかなど、さまざまな問題がある。ただ、、現状において、中国・韓国などより批判にされていることは、日本をアジア太平洋戦争開戦に導き、戦後、「平和に対する罪」などで、極東国際軍事裁判で裁判され、死刑もしくは獄中死した東条英機などのA級戦犯が合祀され、彼らも神として参拝しているということである。

さて、どのような論理で批判しているのか。例えば、中国側の批判をみてみよう。2006年12月11日、王毅駐日中国大使(当時)は、新華社「環球」誌の年末インタビューにおいて、安倍晋三首相(第一次)が、靖国神社参拝をとりやめ、日中首脳会談を実現したことを評価しつつ、靖国神社参拝問題について、次のように述べている。

周知のように、戦後中日関係が再び発展できた政治的基礎は、日本政府が戦争の侵略的性格とその責任を認め、この歴史に正しく対処することである。だがA級戦犯はかつての日本軍国主義の責任者の象徴であり、A級戦犯を美化または肯定する言動にも、中国人民はどうしても同意できないし、アジア各国と国際社会としても受け入れ難い。
http://www.china-embassy.or.jp/jpn/zrgxs/t284043.htm

まず、みなくてはならないのは、とりあえず、靖国神社に首相が参拝することを問題にしているわけではないことである。中国側からいえば、A級戦犯は日本軍国主義の責任者の象徴であり、靖国神社への参拝は、彼らを美化することなのである。つまり、A級戦犯が靖国神社に合祀されていることが問題なのである。

実は、A級戦犯合祀は、戦後すぐからではない。1978年からである。それ以前は、あまり問題とされず、首相や昭和天皇も参拝していた。しかし、A級戦犯合祀は、昭和天皇に不快感を与えることとなり、以来、昭和天皇も現天皇も靖国神社参拝をとりやめた。元宮内庁長官である富田朝彦が、1988年4月28日にかきとめた昭和天皇の言葉が残っている。

私は或る時に、A級が合祀され
その上 松岡、白取までもが
筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが
松平の子の今の宮司がどう考えたのか
易々と
松平は平和に強い考えがあったと思うのに
親の心子知らずと思っている
だから 私あれ以来参拝していない
それが私の心だ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%8C%E7%94%B0%E3%83%A1%E3%83%A2

文中であげられている「松岡」は松岡洋右元外相、「白取」は白鳥敏夫元駐イタリア大使、「筑波」は元靖国神社宮司筑波藤麿、「松平の子」は松平慶民(元宮内相)の子で靖国神社宮司であった松平永芳とみられる。つまり、筑波藤麿宮司はA級戦犯合祀をさしとめていたのに、松平永芳宮司は合祀を認めてしまったことに憤り、それ以来参拝していないことを「私の心」としているのである。

その上で、父親の松平慶民には「平和に強い考え」があったのに、その心を子どもは受け継がず、「親の心子知らず」と評しているのである。

この昭和天皇の発言は微妙である。結局、極東国際軍事裁判では裁かれることはなかったが、国内外に昭和天皇の戦争責任をとう声は、戦争直後もあったし、今でも存在している。それらに対して、昭和天皇は、自身の戦争責任を否定した。しかし、昭和天皇からみても、戦争を指導していたA級戦犯たちは、靖国神社でまつるべき存在ではなかったのである。そして、その判断の基軸になったのは、「平和」なのであった。昭和天皇なりの「戦後」への適応がここにはみられるといえよう。実は、このような姿勢は、中国などの批判とも相通じているだろう。

考えてみれば、当たり前のことだが、国家の命令により戦争にいって命を落とした人びとと、そのような命令を出した指導者たちがその罪をとわれて死ぬことは、同じではないのである。もちろん、戦死者の多くは軍人であって、その営為により犠牲者が出ており、さらには命令を出していた将校たちも含まれるので微妙であるのだが。それでも、権力をもっている統治者と、それに従うしかない被統治者は、同じ立場ではないのだ。

さて、それでは、安倍晋三自身は、どのように自身を弁明しているのか。12月26日に出した談話全文を、時事通信のネット記事からみておこう。

靖国神社参拝に関する安倍晋三首相の談話全文は次の通り。
 本日、靖国神社に参拝し、国のために戦い、尊い命を犠牲にされたご英霊に対して、哀悼の誠をささげるとともに、尊崇の念を表し、み霊安らかなれとご冥福をお祈りしました。また、戦争で亡くなられ、靖国神社に合祀(ごうし)されない国内、および諸外国の人々を慰霊する鎮霊社にも、参拝いたしました。
 ご英霊に対して手を合わせながら、現在、日本が平和であることのありがたさをかみしめました。
 今の日本の平和と繁栄は、今を生きる人だけで成り立っているわけではありません。愛する妻や子どもたちの幸せを祈り、育ててくれた父や母を思いながら、戦場に倒れたたくさんの方々。その尊い犠牲の上に、私たちの平和と繁栄があります。
 きょうは、そのことに改めて思いを致し、心からの敬意と感謝の念を持って、参拝いたしました。
 日本は、二度と戦争を起こしてはならない。私は、過去への痛切な反省の上に立って、そう考えています。戦争犠牲者の方々のみ霊を前に、今後とも不戦の誓いを堅持していく決意を、新たにしてまいりました。
 同時に、二度と戦争の惨禍に苦しむことが無い時代をつくらなければならない。アジアの友人、世界の友人と共に、世界全体の平和の実現を考える国でありたいと、誓ってまいりました。
 日本は、戦後68年間にわたり、自由で民主的な国をつくり、ひたすらに平和の道をまい進してきました。今後もこの姿勢を貫くことに一点の曇りもありません。世界の平和と安定、そして繁栄のために、国際協調の下、今後その責任を果たしてまいります。
 靖国神社への参拝については、残念ながら、政治問題、外交問題化している現実があります。
 靖国参拝については、戦犯を崇拝するものだと批判する人がいますが、私が安倍政権の発足したきょうこの日に参拝したのは、ご英霊に、政権1年の歩みと、二度と再び戦争の惨禍に人々が苦しむことの無い時代を創るとの決意を、お伝えするためです。
 中国、韓国の人々の気持ちを傷つけるつもりは、全くありません。靖国神社に参拝した歴代の首相がそうであったように、人格を尊重し、自由と民主主義を守り、中国、韓国に対して敬意を持って友好関係を築いていきたいと願っています。
 国民の皆さんのご理解を賜りますよう、お願い申し上げます。(2013/12/26-13:41)
http://www.jiji.com/jc/zc?k=201312/2013122600349&g=pol

この談話にはいろいろあるが、「今の日本の平和と繁栄は、今を生きる人だけで成り立っているわけではありません。愛する妻や子どもたちの幸せを祈り、育ててくれた父や母を思いながら、戦場に倒れたたくさんの方々。その尊い犠牲の上に、私たちの平和と繁栄があります。」という観点のもとに、靖国神社に合祀されている戦争犠牲者に「不戦の誓い」をするということが、全体の論理といえる。その上で、「靖国神社への参拝については、残念ながら、政治問題、外交問題化している現実があります。靖国参拝については、戦犯を崇拝するものだと批判する人がいますが、私が安倍政権の発足したきょうこの日に参拝したのは、ご英霊に、政権1年の歩みと、二度と再び戦争の惨禍に人々が苦しむことの無い時代を創るとの決意を、お伝えするためです。」といっている。A級戦犯と軍人・軍属の戦死者をわけていないのである。確かに、戦争犠牲者ーといっても、彼らの多くは軍人であり、彼らの営為で当然ながら死傷した人たちが数多くいたことを忘れてはならないがーの前で「不戦の誓い」をすることは理解できなくはない。しかし、A級戦犯という戦争責任者の前で「不戦の誓い」をするというのは、理解に苦しむことになるだろう。昭和天皇は、A級戦犯合祀に「平和に強い考え」がないとしているのであり、昭和天皇からみても、理解に苦しむことになろう

といっても、安倍晋三はそうは考えないだろう。彼にとって、国民は統治者であろうが被統治者であろうが「一体」であり、それがすべてなのだろう。ゆえに、靖国神社に、「戦争犠牲者」というくくりで、一般の戦死した軍人・軍属と、彼らを死地に赴かせた「戦争指導者」たちがともに合祀されても問題とは思わないのであろう。むしろ、中国・韓国を刺激し憤激させることで、それに対抗して、安倍政権と一般国民を「一体」化するということが戦略的に目指されていると考えられるのである。このことは、他方で、自身の祖父岸信介も含めたA級戦犯総体の復権にもつながっていくのである。

*執筆するにあたってWikipediaの「靖国神社問題」を参考にした。昭和天皇発言などで疑問のある方は、そちらを参照され、それでも疑問が解けない場合は、それぞれの典拠をみてほしい。なお、昭和天皇の発言は、文中で述べたように、問題をはらんでいないというわけではない。ただ、戦争責任を問われかねない昭和天皇からみてA級戦犯はどういう人たちと認識しており、安倍晋三とかなり異なった認識をもっていたことを示すために引用した。

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昨日(2013年8月20日)、スタジオジブリが製作したアニメ映画『風立ちぬ』(宮崎駿監督)を見に行った。この映画については、すでに多くの報道がある。ただ、まったく知らない方もいるかもしれないので、映画「風立ちぬ」のサイトにある「ストーリー」を、まず紹介しておこう。

かつて、日本で戦争があった。

大正から昭和へ、1920年代の日本は、
不景気と貧乏、病気、そして大震災と、
まことに生きるのに辛い時代だった。

そして、日本は戦争へ突入していった。
当時の若者たちは、そんな時代をどう生きたのか?

イタリアのカプローニへの時空を超えた尊敬と友情、
後に神話と化した零戦の誕生、
薄幸の少女菜穂子との出会いと別れ。

この映画は、実在の人間、堀越二郎の半生を描くー。

堀越二郎と堀辰雄に
敬意を込めて。

生きねば。
http://kazetachinu.jp/story.html

この映画は、零戦の設計者で知られる堀越二郎と、『風立ちぬ』『菜穂子』などの小説で知られる堀辰雄を重ね合わせて描いている。基本的には、戦闘機設計者としての堀越二郎の半生が中心なのであるが、妻との恋愛、結婚については、堀辰雄の小説のエピソードがアレンジされて用いられている。

この『風立ちぬ』については、私の周辺で、賛否両論が渦巻いていた。かなり多くの人が、戦闘機設計者としての堀越二郎について、戦争責任問題があまり取り上げられていないことに不満を持っていたようである。戦闘機という兵器設計について、そもそも、少年の「夢」のように描かれてよいものだろうかという批判もあった。それに、堀越二郎と堀辰雄の人生を重ね合わせる自体に無理があるという意見もあった。他方で、この映画の美しさについてかなり高く評価する人もいた。

とにかく、周囲がそんな状態で、飲み会の度に喧々諤々議論している有様なのである。あまり、私は、映画館でジブリ作品を見ない(後でレンタルするほうが多い)のだが、とりあえず、私も、見てみることにした。

そして、見た感想をいえば、…これは議論百出するだろうなと、やはり思った。この映画は、一言でいえば、「美しさ」をあくまで追求した映画である。それは、戦闘機設計者である堀越二郎についても、恋愛小説を書いた堀辰雄についてもそうである。堀越二郎については、兵器である戦闘機の設計者であるというよりも、「美しい飛行機」を作りたいという創造者の側面が強調されていた。他方で、堀辰雄の小説をモデルとした妻との関係では、結核患者である妻に結果的に無理をさせてしまうことになっているが、それもまた、「美しい物語」として完結してしまうのである。そして、この映画では、この「美しさ」の結末は明示的な形では語られない。そのように見てみると、例えば、戦争責任問題などは、十分とりあげていないようにみえるのである。

ただ、丹念にみていると、その中に、背後に隠れた形で、戦争の問題なども書き込まれていることがわかる。そもそも、飛行機は、第一次世界大戦と第二次世界大戦という戦争を契機として兵器として開発されたものである。そのことは、映画の中にも描かれている。確かに、この映画の堀越二郎は「美しい飛行機」を作ることに熱中しており、それが兵器であることにあまり意識していないようにみえる。しかし、最初から飛行機は兵器であることが示されており、映画の中でも多くの戦闘機の残骸の中で、「地獄かと思った」「一機も帰還しなかった」「国を滅ぼした」ことは言及されているのである。

では、監督の宮崎駿はどのように考えているのだろうか。先ほどの「風立ちぬ」のサイトに。2011年1月11日付の宮崎の企画書が載せられている。それによると、まず、宮崎は、「飛行機は美しい夢」とし、次のように述べている。

零戦の設計者堀越二郎とイタリアの先輩ジャンニ・カプローニとの同じ志を持つ者の時空をこえた友情。いくたびもの挫折をこえて少年の日の夢にむかい力を尽すふたり。
 大正時代、田舎に育ったひとりの少年が飛行機の設計者になろうと決意する。美しい風のような飛行機を造りたいと夢見る。(後略)
http://kazetachinu.jp/message.html

まず、「美しい風のような飛行機を造りたい」と夢見た少年として堀越二郎が紹介されている。その上で、まず、零戦の設計者となった堀越二郎の半生が語られ、さらに、彼が生きた時代が「今日の日本にただよう閉塞感のもっと激しい時代だった」として書かれている。その上で、映画全体について、このように言っている。

私達の主人公二郎が飛行機設計にたずさわった時代は、日本帝国が破滅にむかってつき進み、ついに崩壊する過程であった。しかし、この映画は戦争を糾弾しようというものではない。ゼロ戦の優秀さで日本の若者を鼓舞しようというものでもない。本当は民間機を作りたかったなどとかばう心算もない。
 自分の夢に忠実にまっすぐ進んだ人物を描きたいのである。夢は狂気をはらむ、その毒もかくしてはならない。美しすぎるものへの憬れは、人生の罠でもある。美に傾く代償は少くない。二郎はズタズタにひきさかれ、挫折し、設計者人生をたちきられる。それにもかかわらず、二郎は独創性と才能においてもっとも抜きんでていた人間である。それを描こうというのである。
 この作品の題名「風立ちぬ」は堀辰雄の同名の小説に由来する。ポール・ヴァレリーの詩の一節を堀辰雄は“風立ちぬ、いざ生きめやも”と訳した。この映画は実在した堀越二郎と同時代に生きた文学者堀辰雄をごちゃまぜにして、ひとりの主人公“二郎”に仕立てている。後に神話と化したゼロ戦の誕生をたて糸に、青年技師二郎と美しい薄幸の少女菜穂子との出会い別れを横糸に、カプローニおじさんが時空を超えた彩どりをそえて、完全なフィクションとして1930年代の青春を描く、異色の作品である。

そして、この企画書の最後にも、「リアルに、幻想的に、時にマンガに、全体には美しい映画をつくろうと思う」と宮崎は主張している。

この宮崎の企画書は、この映画のねらいをほぼ描き尽くしているといえる。「自分の夢に忠実にまっすぐ進んだ人物」を描く「美しい映画」、これが、『風立ちぬ』のコンセプトなのである。

しかし、それだからといって戦闘機でしかなかった「美しい飛行機」を造るということの矛盾も宮崎は自覚していた。「夢は狂気をはらむ、その毒もかくしてはならない。美しすぎるものへの憬れは、人生の罠でもある。美に傾く代償は少くない」といっている。「美しさ」を追求することの「狂気」の「毒」、そして、その「代償」もまた、「美しさ」の中で描かれなくてはならなかったのである。結局、「美しい飛行機」(堀越二郎)にせよ、「美しい物語」(堀辰雄)にせよ、その「美しさ」は、ともに人の死を代償にしていることがいろんな場面で暗示されているといえる。宮崎にしては、毒のある映画だと思う。このような「毒」を前提とした「美」の強調に反発する人も多くなることは当然である。しかし、ある種の創造において、この「毒」は必要なことだと宮崎はいいたいのだと思う。

何かを代償にしてしか成立しない「夢」を追求する狂気をはらんだ人生、その「毒」を書き込むことによって成立する「美しい映画」。このような意味で「創造する」ということの問題性は、堀越二郎や堀辰雄のことだけでなく、アニメーターの宮崎駿のことでもある。また、堀越二郎役の声優として参加した、「新世紀エヴァンゲリオン」のアニメーターである庵野秀明のことでもあっただろう。

そして、このような「狂気」は、もちろん、技術や小説、アニメーターだけのことではなく、何らの意味での作品を「創造」している人たちに共通しているといえる。このような「美しさ」は、宮崎が企画書で書いているように、「人生の罠」であり、別なところで「狂的な偏執」と表現されている。私が表現するならば「呪い」というだろう。この「美しさ」は「呪い」でもあるのである。

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