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よく、3.11後の福島の地域社会において「分断」があるとされている。この「分断」とは、どのようなものだろうか。基本的に考えれば、①東日本大震災の復興方針をめぐる対立、②福島第一原発事故における責任の所在、③放射能汚染の影響、この三つの要因によって「分断」が生じていると考えられる。

①の東日本大震災の復興方針をめぐる対立ということは、福島県だけでみられる問題ではない。深刻な地震・津波などの自然災害に見舞われた、岩手・宮城・福島3県を中心とする被災地全体でみられることである。大きくいえば、国・県・大企業などが企図している国家的・資本主義的な「復興」と、被災地住民の自生的・共同的な「復興」が相克しているとみることができるが、そればかりではなく、住民同士でも階級・地域・職種・ジェンダー・年齢によって「分断」されていると考えられよう。そして、例えば、宮城県女川町の漁港一本化問題や同県気仙沼市の巨大防潮堤建設問題のように、「分断」が顕在化してくるといえる。

このような「分断」も、また深刻な問題を惹起している。ただ、これらの問題は、多くは自然災害への人間社会の対応に端を発していることに注目しなくてはならない。東日本大震災における地震・津波などの自然災害は、人間社会の開発によって惹起された面を否定すべきではないが、基本的に、自然現象そのものである。通常の意味で、法的・社会的に責任を追及されるべき主体は存在していない。とりあえずは、自然災害に「人間」の側が対処しなくてはならないという論理は、「分断」されているといわれている国・県・大企業と住民、もしくは住民同士の中でも共有しているといえる。よく、「東日本大震災からの復興」が叫ばれているが、それは、おおむね、自然災害への人間社会の対応という論理で語られている。これは、大は安倍政権などの政府の「復興」方針から、歴史学界で広く取り組まれている「被災歴史資料レスキュー」などまで共通している。そして、そのような論理によって、福島県も含めて「復興」のスキームが形成され、資金・資材・人員が投入されている。そこにあるのは、「自然」と対峙した「人間」という認識枠組みなのだ。

もちろん、福島県でも、深刻な地震・津波被害からの「復興」をめぐる方針の対立をめぐって「分断」されている面はあるだろう。しかし、福島において特徴的なことは、②福島第一原発事故における責任の所在、③放射能汚染の影響、という後二者の要因があるということである。②の問題からみていこう。福島第一原発事故は、東日本大震災の地震・津波によって惹起されたものではあるけれど、そもそもこのような巨大な被害を与える原子力発電所をなぜ建設したか、そしてなぜ福島の地に集中立地したのか、津波災害などへの防護は万全であったのか、事故自体への対応や住民対策は適切であったのかなど、「人間社会」が責任を問われる問題である。天災ではなく人災なのだ。

そして、「人間社会」において、この人災において最も責任を負うべき主体は、国策として原発推進をすすめた国と、実際にその建設や運営に携わった東京電力である。これは、単に、国や東電のそれぞれの担当者の個人だけが担うべきではなく、国や東電というシステム全体が担うべき責任である。地震・津波などの自然災害において、全体としては責任をおうべき主体は存在しないといえる。しかし、福島第一原発事故では、責任をおうべき主体がいるのである。その点が、福島第一原発事故の特徴的な点の一つである。

ゆえに、福島県の場合、被災者の意味が違ってくる。福島第一原発事故の被災者の人的・物的被害は、国と東電の業務によってもたらされた損害である。その被害への損害賠償がなされなくてはならない。例えば、強制的に避難させられた被災者たちに国有化された東電が支払っている資金は、国と東電の業務によって生じた損害に対する賠償金であって、救援金や復興資金ではない。

それでありながらも、国や東電についての刑事責任の追及がなされず、福島第一原発事故の原因解明も十分はたされていない。また、国や東電の損害賠償も限定的であり、福島第一原発事故によって生じた多くの人びとの損害を十分補償しえるものになっていない。さらに、東日本大震災からの復興というスローガンのもとに、人災である福島第一原発事故が天災である東日本大震災全体への対応と混同され、責任主体がいるということすらあいまいにされている。

強制的に避難させられた人びとだけでなく、福島県(放射能汚染の及んだ他県も含めて)の人びとは、多大な損害をこうむった。例えば、強制的に避難させられた人びとだけではなく、福島県内にいて福島第一原発事故により被曝したり、被曝の影響をおそれて家族が離散したり、勤務先がなくなって失業したりするなどということも起こっている。このようなことの第一義的責任は国と東電にある。しかし、そのような損害については、ある程度補償されたとしても限定的でしかないのである。

このような中で、強制的に避難させられるがゆえに、ある程度の補償(これも十分とは思えないが)を得ている人びとと、被害をこうむったにもかかわらず、十分な補償を得ていないというと感じている人びととの間に「分断」が生じてくる。しかし、この「分断」は、国や東電が福島第一原発事故に対する責任をあいまいにしていることから発生しているといえるのである。

さて、次に、③の放射能汚染への影響ということについて考えてみよう。これもまた、福島に特徴的に示されている問題である。居住にせよ、農業・水産業の再開にせよ、全ての問題において、福島では放射能汚染の問題を考慮せざるをえない。この問題についていかに行動するかということに対しては、二つの方向性がある。一つの方向性は、放射能汚染を考慮し、放射線被曝を少しでも避けようとすることである。究極的には、高線量地域から移住するということになるが、高線量地域で生産された食品をなるべく食べない(これは、福島だけには限らないが)、高線量地域にはなるべく立ち入らないというような行動が具体的には考えられる。

他方で、放射能汚染の影響を「相対化」して、多少の高線量地域でも「帰還」してコミュニティを再建し、農業・水産業を再開させ、それらの地域で作られた食品も口にし、さらには観光客をよびこもうという方向性も存在する。というか、この方向性にしたがって、国・東電・福島県が福島第一原発事故対策をすすめているのである。もちろん、線量の高低で区域をわけ、さらには除染をし、食品の放射能検査を実施するなど、放射能汚染に対してなにも対応していないとはいえない。といっても、福島の広大な土地をすべて除染することなどできず、かなりの範囲が今なお除染基準(1時間あたり0.23μSv、年間1mSv)以上の空間線量のままだ。にもかかわらず、国の方針としては、除染基準の20倍の年間20mSvの線量地域まで帰還をすすめようというのである。

この二つの方向性も、「分断」の原因になっているといえよう。被災地に住民を帰還させ、コミュニティを再建させ、生業を復活させるというのは、自然災害ならば当然の対応である。この過程を「復興」といってよいだろう。しかし、自然の産物ではない放射能で汚染された地において、このような「復興」は自明なことではないのだ。

一つ、農地の復活という点で考えてみよう。東日本大震災における津波被害で、宮城県・岩手県の農地は海水につかり、塩害をうけた。この塩害を受けた農地に対し、土の入れ替えや淡水を流し込むことなどにより復活をはかることは、どれほどのコストがかかるかは別にして、方向性としては問題にはならない。塩は自然のものであり、海などに流しても問題ではないのだ。他方、放射性物質で汚染された農地の場合は、そもそも農地の除染だけで放射能を除去できるかということ、さらに除染により放射性廃棄物と化した土壌をどうするのかという問題が生じてくる。さらに、そのような土地で生産された農産物を商品として売ることがどこまで可能かということもある。このように、多くの面で問題をはらんでいるのである。

放射能汚染、これも人のもたらしたものであり、当然ながら「人災」である。そして、これは自然の循環にまかせてはならない。それは、すでに水俣病が示していたことであった。にもかかわらず、福島第一原発事故からの「復興」は自然災害のように扱われ、放射能汚染の面が軽視される。それがゆえに、放射能汚染を重大に考えている人びととの間に分断をうんでいるのである。

そして、ここにもまた、「人間の責任」ということが背景にあるといえる。放射能は人間が生み出したものであり、それに対処することも人間の責任である。その責任に目を背けたまま進もうとすること、それが分断の原因になっているといえる。

②と③の要因は、いずれにせよ、福島第一原発事故の「人災」としての性格から生じている。どちらも、本来、「人間社会」内部で担うべき責任があいまいにされ、それゆえに、福島県民内部に深刻な「分断」がもたらされるようになったといえるだろう。この「分断」を克服するのは容易なことではない。ただ、その第一歩は、福島第一原発事故は「天災」ではなく「人災」であり、「人間社会」内部において責任追及されるべき問題であることを認めることであると考えられるのである。

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このブログで、12月2日に福島県相馬市の相馬漁港で行った衆院選第一声で、安倍晋三首相は、福島第一原発の廃炉作業、汚染水対策、補償問題、避難指示解除問題などに触れないまま、雇用確保や中小企業対策、復興公営住宅建設、常磐道早期開通などの「福島」復興事業を提唱した。この第一声は、単に全国にむけてメッセージを発するというだけでなく、この相馬市や南相馬市・飯舘村・伊達市・福島市などが包含されている福島一区の自由民主党候補者亀岡偉民への応援演説でもあった。

とりわけ、この相馬漁港でとれた水産物を主な事例として、「風評被害」を打破して福島県産の農水産物を日本中に、いや世界中に売り広めることを安倍首相はこの第一声で強調している。重複になるが、その部分を抜き出しておこう。

昨年10月、この港にやってきて、おいしいシラスや、毛ガニや水たこやイカをごちそうになりました。本当においしい、このおいしい水産物をもっともっと多くの皆さんに食べてもらいたいな、風評被害を払拭しなきゃいけない。頑張ってまいりました。
(中略)
3月の1日に常磐道全線が皆さん、開通するんです。これを皆さん、これを皆さん、しっかりとこの東北の復興の起爆剤に活用させようではありませんか。常磐道を通って、日本中からこの地にやってきて、この漁港であのおいしいシラスやなんかを食べていただけるんではないかなと思います。試験操業についても魚種、そしてエリアを今、着実に拡大をしているところであります。
(中略)
そして、私たちは地方の良さを生かして、地方創生を進めていきたいと思います。地方創生、地方の良さ、この漁港で採れる、素晴らしい、おいしい水産物もありますし、福島県にはいろんな農産物もありますね。漢方未来米。体にもいいし、健康にもいいという付加価値の付いたお米があります。そして、またおいしい牛もあります。「あかつき」っていう桃もありますね。まだ亀岡さんからもらったことありませんが。
 今度は当選したらもらえるんではないのかな。このふうに思います。この輸出、なかなかまったく言われなき輸出規制が海外にあった。私は世界中回って、必ず首脳に直接おかしいと、私、毎日食べてんですよと言って、この輸出規制に対して撤廃、緩和をするように呼びかけてきました。シンガポールをはじめ多くの国々でやっと、撤廃緩和がスタートしまいした。今、このチャンスを生かして、福島の素晴らしい農産物を日本中に、水産物を世界中に、どんどん送り出していこうではありませんか。
http://thepage.jp/detail/20141202-00000013-wordleaf?page=1

この第一声の後、相馬双葉漁協の女性から安倍首相に塩焼きしたマガレイ一箱が贈呈された。そのメッセージで、相馬双葉漁協の女性は、普段であれば、「おとうさんたち」のとってきた魚を選別して市場に売っていたのだが、それができないのは残念であるとまず述べた。そして、「おとうさんたち」は「試験操業」で前向きに過ごしているが、「本操業」になって魚が売れるかどうかは心配でならないとして、安倍首相には放射能対策に対する取り組みをしっかりやってもらって、福島でとれる魚が安全・安心で食べられることをPRしてほしいとし、相馬で穫れたマガレイを用意したので、ぜひ食べて欲しいと発言した。

この「塩焼きカレイ」一箱(数匹は入っていたが)を受け取った安倍首相は、この塩焼きカレイの箱を観衆に披露した後、カレイの箱を片手に抱えつつ、カレイ1匹の尾を片手でつかみ、尾に近い側を口で直に齧る(たぶん背鰭か臀鰭も含んで)というパフォーマンスを行ったのである。この演説やパフォーマンスの一部始終は自由民主党のサイトがあげている次の動画で見ることができる。なお、カレイを手づかみで食べるというパフォーマンスは、この動画の終わりのほうである。

安倍晋三は、自身のツイッターで、次のような感想をもらしている。

さて、このパフォーマンスは、いろんな意味を含んでいる。私は自著『戦後史のなかの福島原発』(大月書店、2014年)において、原発建設の過程で原発のリスクと原発建設にともなう開発利益や交付金などのリターンがバーターされていたと論じた。このパフォーマンスも、この論理のなかで理解すべきであろう。福島第一原発事故がもたらしたリスクーここでは福島県産の水産物への「風評被害」という形で現出されているーを、首相自らが福島県の水産物の「安全・安心」をPRする広告を行うーこれを「放射能対策」を講じるということにされているのだがーという「リターン」とバーターすることがはかられているのである。そして、このことは、その前段の演説の中で「私は世界中回って、必ず首脳に直接おかしいと、私、毎日食べてんですよと言って、この輸出規制に対して撤廃、緩和をするように呼びかけてきました」と安倍首相自身が強調していたことでもあった。もちろん、福島県産の魚が売れて欲しいという要望は切実なものである。そして、その切実さを前提にこのパフォーマンスがなされたのである。いわそして、このようなパフォーマンスは支持基盤の強化につながると安倍陣営などは考えていたであろう。

考えてみると、これは、日本国全体の統治責任者である首相という立場であるからできることでもある。民主党の海江田万里代表がやっても意味はないし、たぶんやらない。言わば、現状の「放射能対策」は万全であり、それゆえに首相が食べて問題ないのだという意味をこめたパフォーマンスなのであろう。

とはいえ、このパフォーマンスは、福島県産の水産物を売り広めることにつながるのであろうか。汚染水対策も廃炉作業も除染も十分進展していない。これらのことは、究極的に福島県水産物への忌避感を継続させている。そして、今でもまた放射能100bq以上の魚が福島県沖でときどきとれている。もちろん、多くの水産物は「検出限界」以下であるとされている。こういう状況で確定的なことはいえないが、このようなパフォーマンスより、根拠を示して理性的に説得するほうが、まだ「風評被害」対策になりうるとも思えるのだ。そして、それは、せいぜいが「美味しい」としか言えない安倍首相(手づかみで鰭も含めて齧りついた魚が美味しいかどうかすら疑問なのだが)よりも、より理知的に説明できる専門家のほうが買い控えする消費者たちを納得させられると思う。しかし、そういう対策がとられているかどうか不明であり、安倍首相の演説を聞いていると、そういう体制をとることの必要性すら認識していないのではないかと思う。

時事通信は、安倍首相の第一声を聞いた相馬市の人びとの感想を次のように伝えている。

復興推進訴えも「上っ面」=首相演説に住民冷ややか-福島・相馬【14衆院選】

 安倍晋三首相が第一声の候補地として選んだのは、東京電力福島第1原発の汚染水問題を受け中止していた試験操業が昨年9月に再開した福島県相馬市の相馬原釜漁港。「この選挙を勝ち抜き、復興を進めていく」と訴えた。
 首相は白いコート姿で、強い寒風が吹き荒れる中、集まった支持者らを前に交通インフラの復旧や企業立地など原発事故からの復興の成果を強調。「経済が成長し、みなさんの生活が豊かになる。これがアベノミクスだ」と力説した。
 しかし、住民の反応は冷ややか。同県浪江町から南相馬市に避難し、漁業再開に向け準備している漁師高野武さん(64)は「上っ面だけきれいごとを並べている。具体的な話は何一つ出てこない」と批判した。
 相馬市で釣具店を経営する斎藤基次さん(73)も「復興の実感が湧かない中、成果だけ強調されてもアリバイ作りにしか聞こえなかった。期待外れだ」と漏らした。(2014/12/02-12:14)
http://www.jiji.com/jc/zc?k=201412/2014120200741

福島第一原発事故のリスクを、安倍首相が福島県産のカレイを手づかみして食べるというパフォーマンスにより安全・安心を広告するというリターンとバーターするという論理。前述してきたように、これは、福島原発建設時にもみられた構造であった。そのような論理に期待をもつ人びとが多くいる。しかし、その論理の有効性自身が、福島第一原発事故の中で問われているのである。

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福島第一原発事故は、どのように歴史的に語り得るのであろうか。その観点からみて、非常に興味深い実践が、茨城文化財・歴史資料救済・保全ネットワーク(略称:茨城史料ネット)で行われている。

この茨城史料ネットは、東日本大震災で被災した文化財・歴史資料を救済・保全するために、2011年7月に設立されたボランティア組織である。茨城史料ネットが出した『身近な文化財・歴史資料を救う、活かす、甦らせるー茨城史料ネットの活動紹介パンフレットー」(2014年5月23日発行、なお文引用や写真はここから行う)によると、茨城史料ネットは、ひたちなか市、筑西市、鹿嶋市、常陸大宮市、北茨城市、栃木県芳賀郡茂木町、常陸太田市、福島県いわき市で文化財・歴史資料の保全活動に携わった(なお、厳密にいえば、茂木町と常陸太田市での活動は直接には震災の被災資料を対象としていない)。

茨城史料ネットは、原発事故で警戒区域に指定された福島県浜通り地区の個人所蔵資料も保全活動の対象とするようになった。前述のパンフレットによると、三件実施しているということであるが、こここでは、双葉町の泉田家資料が紹介されている。泉田家は地震で家屋が半壊し、津波で床上浸水し、その後警戒区域に指定されたため、資料の管理ができなくなった。そこで、所蔵者の一時帰宅の際に資料を警戒区域外に運び出し、最終的には茨城大学に搬入された。

茨城史料ネットでは「地域コミュニティが崩壊し文化の担い手が地域から消失してしまった警戒区域では、泉田家のような個人所蔵資料の救出・保全し地域の歴史像を明らかにしていくことが今後の歴史・文化の継承の際に重要な意義を持つことになるでしょう」と前述のパンフレットで語っている。私もその通りだと思う。

福島県双葉町泉田家資料

福島県双葉町泉田家資料

さらに、茨城史料ネットでは、福島第一原発事故で埼玉県加須市の旧騎西高校に避難した双葉町役場と避難所の資料保全にも着手した。きっかけは、双葉町教育委員会の依頼をうけ、2012年に双葉町役場つくば連絡所で茨城史料ネットが生涯学習講座を開催したことだったという。2013年3月には、双葉町役場埼玉支所及び旧騎西高校避難所にある震災関係資料の保全を茨城史料ネットで行うことが決まったとされている。

保全された資料は、現在、筑波大学春日エリアに保管され、概要調査と資料整理の準備が進められているとのことである。資料の量は、資料保存箱で約170個に及んでいるという。

茨城史料ネットは、前述のパンフレットにおいて、次のように指摘している。

 

保全された資料は、避難生活の困難を物語る文書や資料、国の内外から双葉町へ寄せられた支援・慰問の品などです。この活動は今後も継続させ、東日本大震災による被災の記録・記憶を後世へ伝える一助にしたいと考えています。

双葉町役場・旧騎西高校避難所資料の保全

双葉町役場・旧騎西高校避難所資料の保全

災害時の避難所の資料が保全されるということは、稀有なことであろう。もちろん、一般的な災害ではなく、「全村避難」という過酷な状況で、役場自体も移さなければならないということが背景にあったといえる。

現在、日本社会全体にせよ、福島県にせよ、東日本大震災・福島第一原発事故を忘れさせようという志向が強まっている。3.11の衝撃をなかったものとして、なるべく以前のやり方を踏襲して社会を運営していこうというのである。原発は再稼働されるのかもしれないし、福島第一原発は「コントロール」されていると強弁して東京オリンピックは開催されるのかもしれない。しかし、東日本大震災にせよ福島第一原発にせよ、確かに被災し打撃を受けた地域社会は存在していたのだ。そして、そのことが明らかにするのが、茨城史料ネットなどが保全しようとしている資料なのである。このような営為は、他でも行われている。今後は、保全された資料の中で明らかになるであろう被災した地域社会のあり方をふまえて、社会全体が運営されていかねばならない。このような、資料を保全しようという人びとの思いも、歴史を動かす力の一つであると私は信ずる。

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本ブログでは、雁屋哲作・花咲アキラ画「美味しんぼ」において鼻血など福島の人びとの健康状況をとりあげたことに対して閣僚や福島県知事などが批判したことについて、もともと、鼻血の有無も含めて、避難区域など除外した福島県民全体に対して十分健康診査をしていないことを述べた。

さて、5月19日に、福島の人びとの健康状況をとりあげた「美味しんぼ」の「福島の真実」編のクライマックスである第604話(『週刊ビックコミックスピリッツ』2014年6月2日号所載)の販売が開始された。そのことを伝える NHKのネット配信記事をまずみてほしい。

健康影響描写が議論「美味しんぼ」最新号
5月19日 16時36分

東京電力福島第一原子力発電所の事故による健康影響の描写が議論を呼んだ漫画「美味しんぼ」を連載する雑誌の最新号が19日に発売され、地元福島県では「不安に追い打ちをかけられた」と批判的な意見がある一方で、「原発事故の問題が風化してきているなかで発信することは大事だ」と理解を示す声も聞かれました。

「美味しんぼ」は、小学館の雑誌「週刊ビッグコミックスピリッツ」に連載されている人気漫画です。
先月28日の連載で、主人公が福島第一原子力発電所を取材したあとで鼻血を出し、実名で登場する福島県双葉町の前町長が「福島では同じ症状の人が大勢いますよ」と語る場面などが描かれ、福島県や双葉町が「風評被害を助長する」などと批判していました。
最新号では、自治体からの批判や、有識者13人の賛否両論を載せた特集記事が組まれ、最後に「編集部の見解」が掲載されています。
この中で編集部は、一連の表現について「残留放射性物質や低線量被ばくの影響について、改めて問題提起したいという思いもあった」と説明したうえで、「さまざまなご意見が、私たちの未来を見定めるための穏当な議論へつながる一助となることをせつに願います」と締めくくっています。
これについて、福島県ではさまざまな意見が聞かれました。
このうち、福島県中島村の64歳の女性は「放射線量が下がってきて、食品もいろんな検査を通して落ち着いて生活できるようになってきたのに、3年目にして不安に追い打ちをかけられた気持ちです」と話していました。
本宮市に住む30歳の女性は「全体的に原発事故の問題が風化してきているので、このように発信することは大事だと思う。福島がこれから立ち上がっていこうとしているところをほかの人にも知ってほしいし、この問題を取り上げるのは勇気のいることではないか」と理解を示していました。

前双葉町長「住民と議論尽くすべき」
漫画「美味しんぼ」に実名で登場した福島県双葉町の前の町長の井戸川克隆氏は19日、NHKの取材に応じました。
このなかで井戸川前町長は、血が付いた紙を見せながら、みずからもいま毎日のように鼻血がでるとしたうえで、「鼻血が出ることについて、風評ということばで片付けられようとしているが、福島でどのように皆が苦しんでいるか、鼻血がどれくらい出ているか、実態を調べていない人が『ない』と言っている感じがする」と話しました。
そのうえで、「『安全だ』と言う人と『危険だ』と言う人の両方の意見を聞くべきだが、そうしたプロセスが取られずに、安全だとか、安心だという宣伝ばかりが先行しており、危険だという人の意見を小さくしている。避難にあたっての放射線の基準などについて、政府は一方的に考えを押しつけるのではなく、さまざまな考えを持つ住民と議論を尽くすべきだ」と述べました。

被ばく検査の医師「国民全体が放射線の知識を」
東京電力福島第一原子力発電所の事故による健康影響の描写が議論を呼んだ漫画「美味しんぼ」について、福島県南相馬市を拠点に住民の被ばく検査を行っている東京大学医科学研究所の坪倉正治医師は、放射線の影響を正しく判断できるよう、国民全体が放射線の知識を身につけることが重要だと訴えました。
坪倉医師は被ばくと鼻血の関連性について、「現在のさまざまな放射線量の測定では、被ばくが鼻血を引き起こすような高いレベルではない。被ばくによる鼻血は血小板の減少で出血するので、鼻血が少し出るという程度ではすまない」と指摘しました。
また、福島には住めないという表現について、「汚染が起きたことは確かだが、3年以上計測してきた住民の被ばく線量では、現在、人が住んでいる地域は安全性が担保される被ばく量に収まることが分かっている」と述べました。
そのうえで、「今回の件で福島の子どもたちが将来、差別を受けるきっかけを作ってしまったことは残念だ。差別や臆測に対して行われている放射線の検査や被ばく線量などを、福島の住民1人1人が自分のことばで説明できるようになってほしい。福島県外の人たちも福島の現状を正しく理解し、放射線を安全か危険かという二元論ではなく、どういうものかを小中学校できちんと議論して理解する機会を増やすべきだ」と訴えました。

「正しい情報提供を積極的に」
メディア論に詳しい学習院大学の遠藤薫教授は「放射能を不安に思っている人に対して『根拠がない。風評だ』とだけ言っても、実はもっと怖いことが隠されていると思ってしまい、事態が悪化する。不安に対していろいろな形で答えていくのが重要で、これまでの研究でも正しい情報を積極的に提供していくことで、根拠のないデマに惑わされなくなるというのがセオリーだ。委縮して声を出しにくい状況をつくるのではなく、いろいろな情報を出して議論する場をつくっていかなければいけない」と話しています。

被ばく医療専門家「血管だけ障害考えられない」
被ばく医療が専門の放射線医学総合研究所の明石真言理事は「全身に被ばくして骨髄に障害が起きて血小板が減り鼻血が出ることはありえるが、今回の事故では住民に骨髄に障害が起きるような被ばく線量になっていない。鼻の周辺に強い放射線が当たるような場合でも周辺の粘膜や皮膚組織にも障害が出るはずで、血管だけが障害を受けるということは考えられない。鼻血の症状を訴える頻度が増えているとしたら放射線以外のことを考えるべきで、さまざまな原因があり人によって違うと思う」と話しています。
そのうえで今回の問題については「人々の間に放射線への不安が完全には消えていないことと、専門家の話を心の底から信頼できていないことが大きいと思う。『また福島でこんなことが起きているの』と福島県外の人に思わせてしまったことは大きなマイナスで、こういうときにどうすべきかみんなで考えていくべきだと思う」と話しています。

「国は疑問解決のための調査を」
「美味しんぼ」の問題について、科学技術と社会の関係を研究している大阪大学コミュニケーションデザイン・センターの平川秀幸教授は、「放射能の影響を一面的に描くことで誤った情報が広まるおそれがあり、当然配慮が必要だったと言える。しかしこの一方で、多くの人が被ばくについて心配するなか、住民の不安な思いなどがかき消され、伝えられなくなるのは大きな問題だ」と指摘しています。
そのうえで、「国などは住民が放射能の影響について何を問題とし不安に思っているかきちんと向き合い、疑問を解決するための調査などを進めていく姿勢が求められる」と話しています。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140519/k10014553891000.html

この記事は「美味しんぼ」における福島の人びとの健康状況の描写の是非について述べているが、「美味しんぼ」漫画全体では、何をメッセージとして訴えているのかについては全くふれていない。この「描写」についても、「メッセージ」と表裏一体の関係にあるはずだが、それは全く考慮されていないのである。

私自身は、19日に、この「美味しんぼ」が掲載されている『週刊ビックコミックスピリッツ』2014年6月2日号を入手した。漫画自体をコピペしたり、あらすじを詳細に述べてネタバレすることはさけつつ、『美味しんぼ』が発したメッセージをここで紹介しておこう。

一応、簡単に設定を紹介しておくと、この「美味しんぼ」第604話は、料理批評のライバルであり親子でもある山岡士郎と海原雄山が、取材チームをひきつれて、福島県内外において、福島第一原発事故による福島の人びとへの影響を2013年4月に取材するというものである。この取材過程で、主に山岡と海原がメッセージを述べているのである。

まず、この漫画の前のほうで、前号などにとりあげた井戸川克隆前双葉町長と荒木田岳福島大学准教授について触れながら、海原と山岡は、次のような対話をしている。

海原雄山:井戸川前双葉町長と福島大学の荒木田先生は、福島には住めないとおっしゃる…。
だが、放射能に対する認識、郷土愛、経済的な問題など、千差万別の事情で福島を離れられない人も大勢いる。
今の福島に住み続けて良いのか、われわれは外部の人間だが、自分たちの意見を言わねばなるまい。
山岡士郎:自分たちの意見を言わないことには、東電と国の無責任な対応で苦しんでいる福島の人たちに嘘をつくことになる。
海原:偽善は言えない。
山岡:真実を語るしかない。

ここで、「美味しんぼ」のメッセージのテーマが明確に提起されている。それは、福島に住みつづけることの是非について、外部の人間から「自分の意見」を言うことなのだ。これを言わないことについて、山岡と海原は「福島の人たちに嘘をつくこと」であり、「偽善」というのである。そして、山岡は「真実を語るしかない」という。

そして、この漫画の後のほうで、このテーマに対する答えが述べられている。まず、山岡は「原発事故は日本という国がいかに大事なものか思い知らせてくれた。福島を守ることは日本を守ることだ」といっている。その部分を紹介しておこう。

山岡:僕の根っこが福島だという父さんの言葉についてだけど、原発の事故がこのまま収まらず、拡大したら福島県は駄目になる。
それは福島にとどまらず日本全体を破壊する。
福島の未来は日本の未来だ。これからの日本を考えるのに、まず福島が前提になる。
海原:なるほど。だから福島は日本の一部ではなく、日本が福島の一部と前に言ったのだな。
山岡:世界のどこにいようと僕の根っこは日本だ。
原発事故は日本という国がいかに大事なものか思い知らせてくれた。
福島を守ることは日本を守ることだ。であれば、僕の根っこは福島だ。
海原:うむ。私の問いに対する答えとして、それでよかろう。

私自身の個人的な感覚では「福島を守ることは日本を守ることだ」というフレーズに違和感を感じなくもない。福島第一原発事故は、単に「日本」だけの問題ではなく、「世界」全体の問題になっていると考えているからである。ただ、いずれにせよ、福島を守るということは、福島以外を守るということでもあるということは確かなことだ。その意味で、福島の外部にいる者も「福島」の運命に結び付けられているのである。それを「美味しんぼ」はこの部分で確認している。

その上で、「美味しんぼ」では、福島県に住みつづけることの是非について、このように結論づける。

山岡:父さんは、福島の問題で、偽善は言えないと言ったね。
海原:福島に住んでいる人たちの心を傷つけるから、住むことの危険性については、言葉を控えることが良識とされている。
だが、それは偽善だろう。
医者は低線量の放射能の影響に対する知見はないと言うが、知見がないと、とはわからないということだ。
私は一人の人間として、福島の人たちに、危ないところから逃げる勇気をもってほしいと言いたいのだ。
特に子供たちの行く末を考えてほしい。
福島の復興は土地の復興ではなく、人間の復興だと思うからだ。
山岡ゆう子:人間の復興…それが一番大事だわ。
飛沢周一(別人かもしれない):では、われわれにできることは。
山岡:福島を出たいという人たちに対して、全力を挙げて協力することだ。
海原:住居、仕事、医療などすべての面で、個人では不可能なことを補償するように国に働きかけることだ。
岡星良三(別人かもしれない):そう働きかけることはわれわれの義務だ。

「美味しんぼ」は、福島の人たちへは「危ないところから逃げる勇気をもってほしい」とよびかけた。他方、福島の外部にいる「われわれ」に対しては「福島を出たいという人たちに対して、全力を挙げて協力することだ」「住居、仕事、医療などすべての面で、個人では不可能なことを補償するように国に働きかけることだ」と課題を提起し、それを「われわれの義務」とした。

「美味しんぼ」は、「医者は低線量の放射能の影響に対する知見はないと言うが、知見がないと、とはわからないということだ」と指摘している。これは、全く、その通りである。「美味しんぼ」について、非科学的などという批判が浴びせられた。しかし、他方で、だれも「低線量の放射能」が健康に影響しないと言い切ることはできない。そのような調査すらやっていないのである。

その上で指摘された「福島の復興は土地の復興ではなく、人間の復興だ」とする言葉は重い。復興の目的が「人間の復興」であるならば、健康に影響に影響があることが懸念される土地に住みつづけるということは、ありえないことなのである。結局、一般的に言われている「復興」とは「土地の復興」であって「人間の復興」ではないということなのである。別に放射線のことがなくても、国や地方自治体が進めていることは、所詮「土地の復興」であり「人間の復興」ではないのである。

このメッセージは、非常に勇気のあるものだ。個々の漫画叙述についてひっかかる人も、安倍政権の閣僚や福島県知事ではなくてもいるだろう。それでも、「美味しんぼ」のこのメッセージをうけとってほしいと思う。

もちろん、福島県に住み続けなくてならない人びともたくさんいる。その人びとにとって、このメッセージは意にそぐわないこともあるだろう。このメッセージは「理想」論であり、現実には実現できないという人もいるだろう。しかし、こう考えて欲しい。「現実」を多少とも我慢できるものとしていくためにも「理想」は必要なのであると。

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4月11日、「原発ゼロ」を転換するものとされるエネルギー基本計画が閣議決定された。

このことについて、朝日新聞・毎日新聞・東京新聞は、社説にて批判の意を表明した。また、地方新聞においても批判的に受け止めている社説が多々見られる。

それでは、原発推進派の人びとはどのようにこのエネルギー基本計画をみているのだろうか。原発推進をあからさまにかかげるメディアはそれほど多くはない。中央の新聞では、読売新聞・産經新聞・日本経済新聞くらいである。

ここでは、読売新聞が4月12日にアップした社説を事例にして、原発推進派の人びとの論理を批判的に検討していきたい。

まずは、読売の社説をかかげておこう。

エネルギー計画 「原発活用」は現実的な戦略だ

◆最適な電源構成の設定を急げ◆

 迷走した日本のエネルギー政策を、正常化する大きな一歩である。電力の安定供給体制の立て直しが求められよう。

 政府がエネルギー政策の指針となるエネルギー基本計画を閣議決定した。

 最大の焦点だった原子力発電所については、昼夜を問わずに発電する「重要なベースロード電源」と位置付けた。安全性を確認した原発の再稼働も明記した。

 民主党政権が掲げた「脱原発路線」に、正式に決別する妥当な内容と言える。

◆公明党の同意がカギに◆

 東京電力福島第一原発の事故を受け、全原発48基の停止という異常事態が続いている。

 政府は当初、今年初めにもエネルギー基本計画を閣議決定する方向だったが、自民、公明両党との調整が長引いた。

 速やかな「原発ゼロ」を選挙公約に掲げた公明党も、最終的に、原発を活用する基本方針に同意した。厳しい電力事情を考えたうえでの現実的な判断だった。

 事故前に全発電量の3割だった原発を火力発電が代替し、比率は9割近くに達している。

 輸入燃料に頼る火力発電への過度な依存は、エネルギー安全保障の観点から極めて危うい。

 火力発電の追加燃料費は年3・6兆円に上り、資源国への巨額な国富流出が続く。家庭の電気料金は事故前より東電で4割、関西電力も3割近く上がり、このままでは追加値上げも不可避だろう。

 問題は、いまだに原発再稼働への道筋が見えないことである。政府は立地自治体の説得を含め、再稼働の実現に向けた取り組みを加速させるべきだ。

◆再生エネ2割は疑問◆

 基本計画のもう一つの焦点は、太陽光など再生可能エネルギーの普及をどう見込むかだった。政府は、2012年度に約1割だった再生エネの比率を、30年度に2割以上にすることを盛り込んだ。

 再生エネを重視する公明党などの主張を受け入れたものだ。再生エネの拡充は必要だが、目指すべき最適な電源構成の全体像をまとめる前に、再生エネだけに数値目標を掲げたのは疑問である。

 2割に引き上げるには、原発10基をフル稼働して作る電力を、再生エネで新たに確保する計算になる。太陽光だけなら東京の山手線内の10倍の用地が、風力では約2万基の風車が要る。現時点では実現性に乏しい目標ではないか。

 日照や風の状況による発電量の急変動など、克服すべき課題も多い。官民が連携して技術開発を加速しないと、活路は開けまい。

 大切なのは、原発を含む電源構成の目標設定と、その達成への工程表を速やかに示すことだ。

 エネルギー政策の方向が不透明なままでは、企業が中長期の経営戦略を立てにくい。安倍政権の経済政策「アベノミクス」の足かせとなる恐れもある。

 経済性や供給安定性、環境負荷など、それぞれ長所と短所のある火力、原子力、再生エネにバランスよく分散させることが肝心だ。温室効果ガスの排出量を抑えた火力発電所の開発・新設など、多角的な対応も求められよう。

 基本計画は原発依存度を「可能な限り低減させる」とする一方、「確保していく規模を見極める」としている。原発の新増設に含みを残しているが、踏み込み不足は否めない。

 原子力技術の維持と人材育成のためにも、原発を新増設する方針を明示すべきだろう。

 原発の安全性に対する国民の不安が根強いのは、福島第一原発の事故収束の遅れも一因だ。政府と東電が緊密に連携し、早急に収束を図ることが重要である。

 原発を活用するうえで、放射性廃棄物の最終処分に道筋をつけることも欠かせない。「国が前面に立って取り組む」としたのは当然だ。処分地選定などで具体的な進展を図ることが急務となる。

◆最終処分に道筋つけよ◆

 核燃料サイクルについて「対応の柔軟性を持たせる」との表現が維持されたのは、懸念が残る。

 一方、高速増殖炉「もんじゅ」が新たに、核廃棄物の減量や有害度低減などの国際的な研究拠点と位置付けられたのは評価できる。核燃サイクルの着実な推進への追い風としたい。

 中国には15基の原発があり、55基の建設が計画されている。重大な原発事故が起きれば、放射性物質は日本にも飛来する。

 安全性能の高い日本の原発を新興国などに輸出することは、国際貢献になると同時に、日本の安全確保にもつながる。
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/20140411-OYT1T50161.html?from=yartcl_blist

これが、原発を推進している読売新聞の見方である。読売によれば、原発が稼働している状況が「正常」であり、稼働していない現況が「異常事態」なのである。このエネルギー基本計画は「正常」に戻る第一歩として位置づけられている。原発を「ベースロード電源」とするからには、再生可能エネルギーの比率を増やすなどということに拘泥せず、原発再稼働・新増設に邁進すべきというのが読売新聞の主張なのである。その主要な理由としてあげられているのは、火力発電では輸入燃料に依存するということである。現状では、原発も輸入燃料依存ということになるが、その弊害をさけるためには「核燃料サイクル」もまた必要となるということなのであろう。

そして、その前提となっているのは、「日本の原発は安全」ということなのである。原発を輸出することは、日本の安全にもつながるという論理なのである。

さて、このようにみてみると、福島第一原発事故についてほとんど触れていないことに気が付くであろう。福島第一原発事故については「収束の遅れ」ということだけが問題で、その他のことはまったく無視されている。考えてみると、それは当然である。福島第一原発事故は、日本の原発が安全であるという「安全神話」を破綻させた。原発の安全性についての日本社会の不安は、まさに福島第一原発事故の経験に起因している。しかし、読売新聞社説では、原発が稼働している状況こそ「正常」なのであり、原発再稼働・新増設・輸出はどしどし推進すべきとしている。その前提となっているのは「日本の原発は安全」という「安全神話」であろう。それゆえ、福島第一原発事故については、その経験を無視せざるを得なかったのであるといえよう。

この社説の表題は、「エネルギー計画 「原発活用」は現実的な戦略だ」である。しかし、そもそも、福島第一原発事故の経験という歴史的現実を「修正」した上で、もはや非現実的な「安全神話」に依拠せざるをえずには、この社説の論理は成立しないのだ。読売の社説のいう「現実的な選択」は「神話的な非現実性」をおびているのである。そして、これは、自己の思想によって歴史の「事実」を書き換えるという意味で、もう一つの「歴史修正主義」といえると思う。

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さて、今回は、フランスの文学者ジャン・ジオノ(1895〜1970)の『木を植えた男』を題材にして、ディストピアからユートピアを作り上げる言葉の可能性について語ってみたい。本書は、荒廃したフランス・ブロヴァンス地方で、森を復興することを目的にして、後半生を通じて木を植えていった男の話である。以下のように、絵本として出版されている。私は旅先の旅館で本書に初めて接した。ただ、かなり有名な本で、大抵の公立図書館には収蔵されているようである。

http://www.amazon.co.jp/%E6%9C%A8%E3%82%92%E6%A4%8D%E3%81%88%E3%81%9F%E7%94%B7-%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%B3-%E3%82%B8%E3%82%AA%E3%83%8E/dp/4751514318

話は、第一次世界大戦直前の1913年に遡る。本書の語り手である「わたし」は、フランスの地中海側にあるプロヴァンス地方の山間に足を踏み入れていた。そこは、「草木はまばら、生えるのはわずかに野生のラベンダーばかり」という、全くの荒れ地で、たどりついたところは「無残な廃墟」であり、泉もかれはてていた。「わたし」は水を求めて歩き、そこである羊飼いの男に出会った。羊飼いの男は、まず、「わたし」に皮袋にあった水を飲ませ、さらに、高原のくぼ地にあり深い湧き井戸がある自分の羊小屋につれていってくれた。「わたし」は次のように語っている。

男はほとんど口をきかなかった。孤独の人とはそうしたもの。
それでかえって、その存在を、つよく人びとに植えつけるものだ。
潤いのないこの地にあって、かれはまことに清涼な命の水とも思われた。

「わたし」はこの羊小屋に泊まることになった。元廃屋であった羊小屋はきっちりと修理が施され、部屋もさっぱりかたづいており、「犬も飼い主同様に、まことに静かな性格で、ごく自然になついてくれた」と「わたし」は記している。他方で、この地域全体については、次のように描いている。

そのあたりの四つか五つかの村々は、
車もかよわぬ山腹に、点在し、孤立していた。
村人は、きこりと炭焼きで暮らしていたが、生活は楽ではなかった。
冬も夏も気候はきびしく、家々はきゅうくつそうに軒を接して、
人びとはいがみあい、角つきあわせて暮らしていた。
かれらの願いはただ一つ、なんとかして、その地をぬけだすことだった。

男たちは、焼いた炭を二輪車で
都会に売りに出かけては、またとって返すのくりかえし。
まるで、水とお湯のシャワーを交互に浴びるようなもので、
どんなに堅い良心も、いつしかひびいってしまおうというもの。
どんなことにもめらめらと、競争心の火を燃やす。
炭の売上げをめぐっても、教会の陣どりをめぐっても、
争いのたえぬありさま。

おまけに吹きすさぶ強い風が、
たえず神経をいらだたせ、
自殺と心の病いとが
はやりとなって
多くの命をうばいさる。

この記述を見ると、この地域は、単に厳しい気候風土だけではなく、「炭売り」という形で行われる商品経済への従属によっても荒廃していたということができよう。まさに、「ディストピア」そのものである。

さて、再び、羊飼いの男についての話にもどろう。かれは、夜になると、袋の中からどんぐりを出し、よりわけて、100粒のどんぐりを選別した。そして、朝になると、羊のえさ場のかたわらにある小さな丘に登って、どんぐりを一つ一つ植え込んでいた。「わたし」は次のように語っている。

かれは、カシワの木を植えていたのだった。
「あなたの土地ですか?」と聞くと、「いいや、ちがう」とかれはこたえた。
「だれのものだか知らないが、そんなことはどうでもいいさ」と、
ただただかれは、ていねいに、100粒のどんぐりを植えこんでいった。

この羊飼いは、3年前から木を植え続けていた。すでに10万個の種を植え、そのうち2万個が発芽した。半分くらいは生き残るとして、この不毛の地に1万本のカシワの木が根づくことになるだろうとこの羊飼いの男は見込んでいた。

そして、「わたし」は、このように物語っている。

ところでそのとき、わたしは急に、男の年が気になりはじめた。
50以上には見えていたが、聞くと55歳だという。
名をエルゼアール・ブフィエといい、かつては、ふもとに農場を持って、
家族といっしょに暮らしていた。

ところがとつぜん、一人息子を失い、まもなく奥さんもあとを追った。
そこで世間から身をひいて、まったくの孤独の世界にこもり、
羊と犬を伴侶にしながら、ゆっくり歩む人生に、ささやかな喜びを見いだした。
でも、ただのんびりとすごすより、なにかためになる仕事をしたい。
木のない土地は、死んだも同然。せめて、よき伴侶を持たせなければと
思い立ったのが、不毛の土地に生命の種を植えつけること。

「わたし」は、30年もすれば1万本のカシワの木が育っているのだろうといい、ブフィエは、神さまが30年も生かし続けてくれれば、今の1万本も大海のほんのひとしずくということになろうとこたえた。そして二人は別れた。

「わたし」は第一次世界大戦に従軍し、1920年に再び、この地を訪れた。ブフィエは、「戦争なんぞはどこ吹く風、と知らぬ顔して木を植え続けていた」。彼の林はすでに長さ11キロ、幅3キロにまでなっていた。「わたし」は「それはまさに、この無口な男の手と魂が、なんの技巧もこらさずにつくりあげたもの。戦争という、とほうもない破壊をもたらす人間が、ほかの場所ではこんなにも、神のみわざにもひとしい偉業をなしとげることができるとは」と語っている。

その後、「わたし」は幾度となくこの地を訪問した。ブフィエの植えた林は、「自然林」として国家によって保護されたり、戦時中の「木炭バス」の燃料にされかけたりした。しかし、ブフィエは「第一次大戦同様、第二次大戦中も、ただ、黙々と木を植えつづけた」のであった。

「わたし」が最後にブフィエにあったのは、第二次大戦が終結した1945年7月であった。まるで、見違えるようになったこの土地について、「わたし」は次のように語っている。

1913年ごろ、村には、11、2軒の家があったが、
住んでいたのは、たった3人だけであった。
みな、粗野な人間で、それぞれがいがみあいながら、生活をしていた。

未来への夢もなく
気品や美徳を育くむような環境でもなく、
かれらはただ、死を迎えるために生きていた。

いまはすっかり変わっていた。空気までが変わっていた。
かつてわたしにおそいかかった、ほこりまみれの疾風のかわりに
甘い香りのそよ風が、あたりをやわらかくつつんでいた。
山のほうからは、水のせせらぎにも似た音が聞こえてきたが、
それは、森からそよぎくる、木々のさざめく声だった。
いや、水場に落ちるような水の音も、どこからか聞こえてくる。
いってみると、なみなみと水をたたえた噴水がつくられていた。
さらに驚いたことには、そのすぐそばに、1本の菩提樹が立っている。
葉の茂りぐあいからすると、芽生えて4年にもなるだろう。
それはまさしく、この地の再生を象徴するものだった。

さらにそのうえヴェルゴンの村には、
未来への夢と労働の意欲がみなぎっていた。
廃屋は、あとかたもなくかたづけられ、
あらたに5軒の家が建てられていた。
村の人口の、28人にふえて
なかには4組の若夫婦もいた。

植生の復興は、社会の復興につながったと「わたし」は語っているのである。この地域では、村が続々と再興され、「平地に住んでいた人たちが、高く売れる土地をひきはらって移り住み、このいったいに若さと冒険心をもたらした…人びとは生活を楽しんでいる。それら1万を越える人たちは、その幸せを、エルゼアール・ブフィエ氏に感謝しなくてはならないはず」と「わたし」は述べ、さらに、次のような言葉で、ブフィエを称えている。

ところで、たった一人の男が、
その肉体と精神をぎりぎりに切りつめ、
荒れはてた地を、
幸いの地としてよみがえらせたことを思うとき、
わたしはやはり、
人間のすばらしさをたたえずにはいられない。

魂の偉大さのかげにひそむ、不屈の精神。心の寛大さのかげにひそむ、たゆまない熱情。
それがあって、はじめて、すばらしい結果がもたらされる。
この、神の行いにもひとしい創造をなしとげた名もない老いた農夫に、
わたしは、かぎりない敬意を抱かずにはいられない。

「わたし」は、次のようにこの物語をしめくくっている。

1947年、エルゼアール・ブフィエ氏は、
バノンの養老院において、
やすらかにその生涯を閉じた。

この『木を植えた男』は年代記風に書かれており、現実に生きた人の個人史を書いたと思われるだろう。実際、1953年にジオノへ執筆を依頼したアメリカの『リーダーズダイジェスト』誌の依頼の趣旨は、「あなたがこれまで会ったことがある、最も並外れた、最も忘れ難い人物はだれですか」ということであった。しかし、ジオノが描いたエルゼアール・ブフィエがバノンの養老院で亡くなったという事実はなかった。つまりはフィクションなのである。そのことを知った『リーダーズダイジェスト』誌は掲載を拒否した。そこで、ジオノは著作権を放棄し、この物語を公開した。英語原稿は『ヴォーグ』誌に1954年3月に掲載され、世界に広まった。だが、フランスでは、ジオノ死後の1983年にようやく出版された。しかし、これらの版でフィクションであることを明示することは積極的にはなされず、多くの読者はエルゼアール・ブフィエが実在の人物であったと思い込んでいた(この過程については②を参照した)。

1987年に『木を植えた男』をアニメーション化したカナダのアニメーション作家であり、翻訳本の絵を書いているフレデリック・バックも、エルゼアール・ブフィエを実在の人物と思い込んで感動した一人であった。しかし、バックは、アニメーション化の途中で、この物語がフィクションであったことを知った。しかし、それでも、バックはこのアニメーション化をやめなかった。このアニメーションは、1987年アカデミー賞短編映画賞を獲得した。しかし、それよりも、重要な影響があった。②において、日本のアニメーション作家である高畑勲は、次のように指摘している。

すでに述べてきたように、この物語は1954年に出版されて以来、何ヶ国語にも翻訳されて森林再生の努力を励ましてきた。そしてフレデリック・バックのアニメーションが放映されたカナダでは一大植樹運動がまき起こり、年間3000万本だったものがその年一挙に2億5000万本に達した。『木を植えた男』は、人を感動させただけでなく、人を具体的な行動に立ち上がらせたのだ。

このように、実在しなかったエルゼアール・ブフィエを扱ったこの物語は、多くの実在するエルゼアール・ブフィエを誕生させたといえるのである。

たぶん、ジオノのねらいもそこにあったのだと思われる。1950年代はいまだ世界的にみてもエコロジーには関心がなかった。そんな中で進行する環境破壊の中で、権力の手を借りず、独力で木を植えて自然を復興させていく人物は必要であったが、そういう人物は実在していなかった。ジオノは、そういう人物も生き生きと語ることによって、フィクションを作り上げ、そのなかで、このことの必要性を形象化したのである。

この物語は実話ではない。しかし、結局は、現実になっていく。構図としては「ヨハネ福音書」などのそれを借りているといえる。「ヨハネ福音書」においては「初めに言があった…万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった…言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人びとには神の子となる資格を与えた」とある。そして、洗礼者ヨハネはキリストの到来を主張したが、しかし、実際のキリストに対面した時、「わたしはこの方を知らなかった」といっている。ヨハネをジオノ、キリストをエルゼアール・ブフィエに置き換えれば、この構図がより明瞭になるだろう。

といっても、ジオノは、キリスト教の構図を借用しているだけで、キリスト教の教理そのものを主張しているわけではない。彼は、たった一人の無名の個人が、独力で、自然を甦らせ、社会を復興させていく可能性を言葉で提示することに賭けていたといえる。エルゼアール・ブフィエの営為にとって、権力とは攪乱要因でしかなかった。ジオノは農村アナーキストの思想をもち、1930年代にプロヴァンスの山中で「新しい村」を建設する運動を従事したとされている(③参照)。そして、エルゼアール・ブフィエの営為は、二度の大戦で破壊することしかできなかった多くの人びとのあり方と対比されている。ジオノにとって、エルゼアール・ブフィエの営為こそが神にも等しい「人間の尊厳」なのである。

エルゼアール・ブフィエの死が象徴しているように、「木を植える」ことには物質的な見返りは何もないことが想定されている。しかし、「そこで世間から身をひいて、まったくの孤独の世界にこもり、羊と犬を伴侶にしながら、ゆっくり歩む人生に、ささやかな喜びを見いだした。でも、ただのんびりとすごすより、なにかためになる仕事をしたい」とあるように、孤独であるがゆえの「ためになる仕事」なのである。そして、このようなブフィエのあり方は、「炭焼き」に従事し利己主義によって引き裂かれている周辺住民と対比されている。

最終的に、エルゼアール・ブフィエは、自分の住んでいた荒れ地を楽園の地にかえた。この物語では、ディストピアがユートピアになったといえる。しかし、エルゼアール・ブフィエが実在の人物でないと同様、この土地も実在していなかった。ユートピアの語源通り「どこにもない土地」なのである。しかし、実在しない人物によるどこにもない土地を作り上げるフィクションが、言葉によって語られ、アニメーションとして表現されて、人びとの心に火を灯し、現実の行動につながっていった。無数のエルゼアール・ブフィエが実在するようになり、ユートピアを実現しようとする努力をはらうようになった。言葉のもつ一つの可能性がそこにあるといえる。

*『木を植えた男』には多数の日本語訳がある。今回は、次の三つを参照した。
①ジャン・ジオノ原作、フレデリック・バック絵、寺岡襄訳『木を植えた男』、あすなろ書房、1989年(絵本版)
②高畑勲訳・著『木を植えた男を読む』、徳間書店、1990年
③ジャン・ジオノ著、フレデリック・バック絵、寺岡襄訳『木を植えた男』、あすなろ書房、1992年

①は絵本版で、たぶんそのことを意識して、訳者が短く意訳し、日本では一般的ではないキリスト教的な表現などを省略している部分がある。②で高畑はそのことを批判し、フランス語の原文を掲げるとともに、より逐語訳に近い形の訳文を掲載している。そして、③では、絵本という形態を脱して、より完全に近い形で翻訳されている。ここでは、一般的に普及していると思われる①を訳文として掲げた。

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日本のマスコミは、世界各国で日本人が活躍していることを探し出し、称揚することにやっきになっているようにみえる。オリンピック、サッカーW杯、スポーツ選手、ノーベル賞受賞候補者、アメリカアカデミー賞ノミネートなど、枚挙に暇がない。そんな中、世界各国で上映され、評価も得ているのに、日本国内ではまったく報道も上映もされなかったアニメがある。3.11以後の福島の状況を描いたアニメ「Abita」である。あまり長いものではないので、まずはみてほしい。

このアニメは、次のことをテーマにしている。題名の「Abita」はラテン語で暮らしとか生命とかを意味するそうである(なお、
後で 辞書にて確認してみたところ、「abita」は、イタリア語動詞の「abitare」の直説法現在三人称単数であるようである。「住む」「暮らす」「棲息する」という意味であった。また、日本語の「(放射能を)浴びた」とかけているのではないかと友人から指摘があった)。

福島の子供たちが、放射能のため外で遊ぶことができない。
彼らの夢と現実について。

内容は、テーマそのものである。水墨画のタッチで描かれた画面のなかで、家に籠もっている少女はお絵描きをしながら福島の山林を飛び回ることを夢見ている。しかし、一歩外に出てみると、福島の山林は放射性物質で汚染されており、少女は飛び回ることはできず、防護服を着用した大人に連れ戻され、マスクを強制される「現実」があった。

この作品は、Shoko Haraという在独日本人学生がPaul Brennerという学生とともに、バーデン=ヴュルテンベルク・デュアルシステム大学レーヴェンスブルグ校の卒業作品として制作したものである。海外では、次の二つの賞を受けた。

Best Animated Film, International Uranium Filmfestival, Rio de Janeiro, 2013
Special Mention, Back-up Filmfestival, Weimar, 2013

上記のうち、国際ウラニウムフィルムフェスティバルは、核問題を焦点にしたものであるといえる。バックアップ・フィルムフェスティバルは、ドイツのバウハウス大学が主催するものである。

このアニメは、世界各地で上映された。下記は、上映リストである。

Screenings:
International Festival of Animated Film ITFS 2013, BW-Rolle
Japanese Symposium, Bonn, 2013
Nippon Connection, 2013
International Uranium Filmfestival, Rio de Janeiro, 2013
International Uranium Filmfestival, Munich, 2013
International Uranium Filmfestival, New Mexico, 2013
International Uranium Filmfestival, Arizona, 2013
International Uranium Filmfestival, Washington DC, 2013
International Uranium Filmfestival, New York City, 2013
Back-up Filmfestival, Weimar, 2013
Mediafestival, Tübingen, 2013
zwergWERK – Oldenburg Short Film Days, 2013
Konstanzer Filmfestspiele, 2013
Green Citizen’s Action Alliance GCAA, Taipei, Taiwan, 2013
Stuttgart Night, Cinema, 2013
Yerevan, Armenien, ReAnimania, 2013
Minshar for Art, The Israel Animation College, Tel Aviv, Israel, 2013
IAD, Warschau, Gdansk, Wroclaw/Polen, 2013
IAD (BW-Rolle, Best of IC, Best of TFK) Sofia, Bulgarien, 2013
05. November 2013: Stuttgart Stadtbibliothek (BW-Rolle) , 2013
PISAF Puchon, Southkorea, (BW-Rolle, Best of IC, Best of TFK) , 2013
Freiburg, Trickfilm-Abend im Kommunalen Kino (BW-Rolle), Freiburg, 2013
Zimbabwe, ZIMFAIA (BW-Rolle, Best of IC, Best of TFK), Zimbabwe, 2013

Upcoming Screenings:
18. Dezember 2013: Böblingen – Kunstverein Böblingen (BW-Rolle)
21.-22. Dezember 2013: Schorndorf – Kino Kleine Fluchten (BW-Rolle, Best of IC, Best of TFK)
27. August 2014: Künzelsau – Galerie am Kocher (BW-Rolle)
Movie Night for the anniversary of the Fukushima desaster,Zurich, 2014

このリストでは、ドイツの地名が多い。アメリカのワシントンやニューヨークなどでも、国際ウラニウムフィルムフェスティバルが開催された関係で上映されている。アルメニア・ポーランド・イスラエル・ジンバブエも上映地である。台湾や韓国でも上映されている。しかし、日本では一回も上映されていないのである(Japanese Symposium, Bonn, 2013はボンで開催されており、Nippon Connection, 2013は、フランクフルトで開催されたドイツの日本映画祭である)。

通常であれば、「日本人学生の快挙!」などといって報道しているだろう。しかし、このアニメに関しては、報道もされていないし、映画祭などに招待して上映することもなかったのである。そして、このアニメに関する限り、日本の人びとよりも、ドイツ・アメリカ・韓国・台湾の人びとのほうがより認識するようになったといえる。

背景には、原発再稼働をねらう政財界の動向があるだろう。ただ、それ以上に、3.11はなかったことにしたいという一般的な意識があるといえる。アニメであるがゆえに直接的な表現ではないが、3.11直後、福島だけでなく、放射性物質が拡散されたとされる東北・関東地方において、子どもたちが外で遊ぶことは避けられていた。その後、「復興」の名の下に、放射性物質の影響はないものとされ、福島において、今度はマスクを着用することが避けられるようになった。そして、福島第一原発事故は克服されるべき課題というよりも、日本の弱さをさらけだす直視しがたいものとして意識されてきているのである。そのような中、福島第一原発事故における子どもの問題を扱っているこのアニメについては、報道も紹介もされないことになってしまったといえる。結局、日本人の活動であっても、日本の弱さを現していると考えられるものは「見たくない」のである。現状の政治動向の裏側には、そのような日本社会の意識があるだろう。

他方で、世界各国の日本についての関心は、福島第一原発事故へのそれが大きな部分をしめている。このアニメが制作されたドイツだけでなく、欧米、アジア、アフリカの各地では、日本については福島第一原発事故から考えようとしている。それゆえに、このアニメが国際的に評価・紹介されることになったといえる。このような日本の内と外との認識のギャップは、福島第一原発事故だけではなく、靖国参拝や従軍慰安婦問題でもみることができる。

そして、2014年時点でみると、福島第一原発事故における子どもの問題は、より複雑で、深刻さをましている。確かに、2011年時点からみれば、相対的に放射線量は下がっている。しかし、除染については、学校・住宅地・農地などが主であり、効果自体が限定的である。山林を面的に除染する試みはなく、結局、自然の減衰・流出をまつしかない。そのような中、マスク着用すら忌避された福島の子どもたちの半分程度は甲状腺に異常があり、通常よりも多く、甲状腺がんが発生する状況になっている。福島の子どもたちの悲惨を描いた本アニメよりも厳しい状況なのである。

*制作者側の情報については、下記サイトによった。

*なお、本アニメについては、下記サイトに紹介されている。
http://saigaijyouhou.com/blog-entry-1519.html

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