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2013年10月7日、吉見義明教授の著書『従軍慰安婦』(岩波新書、1995年)を「捏造」と記者会見の場で発言した日本維新の会所属の桜内文城衆議院議員に対する名誉棄損裁判の第一回公判が東京地裁で行われた。ほとんど日本のマスコミがとりあげていないため、ここでは、朝鮮日報が10月8日に日本語で発信したネット記事をあげておく。

慰安婦:「捏造と言われ名誉傷ついた」 吉見教授が法廷闘争

河野談話を引き出した吉見義明・中央大学教授、維新の会の桜内議員を訴える

 「旧日本軍の従軍慰安婦は、既に国際的に認められている研究結果だ。これを捏造(ねつぞう)だというのは名誉毀損(きそん)だ」(吉見義明教授)。

 7日午後4時、旧日本軍の従軍慰安婦問題をめぐり、良識派の大学教授と歴史的真実を否定する国会議員とが東京地裁の法廷で激しい論争を繰り広げた。東京地裁ではこの日、中央大学の吉見義明教授が日本維新の会の桜内文城衆院議員を名誉毀損で訴えた裁判の第1回口頭弁論が開かれた。

 吉見教授は、第2次世界大戦当時日本軍が慰安婦を強制動員したことを立証する資料を発掘し、慰安婦の存在を認めて謝罪した河野談話(1993年)を引き出した、日本を代表する良識派だ。しかし桜内議員は「慰安婦がいたと主張するのは、日本国民に対する名誉毀損」と強弁した。桜内議員は今年5月の記者会見で、吉見教授の著書について「(内容は)捏造(ねつぞう)であるということが、いろんな証拠によって明らかとされている」と主張した。吉見教授は、桜内議員に発言の撤回を求めたが、受け入れられなかったため、1200万円の損害賠償と謝罪を求める訴えを起こした。

 7日の口頭弁論で桜内議員は「吉見教授は、存在もしていなかった性奴隷についての主張を世界にまき散らし、日本と日本国民の名誉と尊厳を害しており、受け入れられない」という主張を繰り返した。日本の極右勢力は今回の裁判を、慰安婦の存在を否定するチャンスにするため、総力戦を展開する見込みだ。これに対し吉見教授の弁護団は「従軍慰安婦の存在が法廷で認められる、意味ある裁判になるだろう」と語った。吉見教授の弁護団には大林典子弁護士など7人が、桜内議員の弁護団には弁護士6人が参加した。7日の口頭弁論の傍聴人はおよそ100人に達した。
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2013/10/08/2013100801207.html

朝鮮日報の記事はこの出来事をおおむね伝えているのだが、多少省略しているところがある。まず、桜内議員の発言が、5月27日の日本外国特派員協会における橋下徹の従軍慰安婦問題についての記者会見の場で行われたということである。

また、もう一つは、吉見教授の著書の題名である。前述しているが『従軍慰安婦』である。『Comfort Women:Sexual Slavery in the Japanese Military During World War Ⅱ』(コロンビア大学出版部 2000年)という題名で英訳もされている。

従軍慰安婦問題の専門家として、吉見義明教授は著名である。しかし、特に、吉見氏に反感を持つ人たちは、その著書をほとんど読んでいないのではないかと思う。実際、私も傍聴していたが、吉見氏の本を「捏造」として主張していた桜内代議士からして、まともに『従軍慰安婦』を読んでいないのではないかという印象をもった。

例えば、桜内代議士は、このようにいっている。

第 2 点 「慰安婦=日本軍の性奴隷」は真実か否か
そもそも吉見氏の中心的主張の出発点である「慰安婦=日本軍の性奴隷」という概念は、歴史的事実として真実か否か。ここで、法解釈学における「規範定立」、「事実認定」、「規範への当てはめ」、「結論」という典型的な論理展開を援用する。
まず「規範定立」の段階として、国際法上の「奴隷」または「性奴隷」の定義・要件とは、「行為者(国や軍隊)が『文民たる住民を対象とする広範または組織的な攻撃の一部』であることを認識しつつ、対象者(奴隷)が『所有権に伴ういずれか又はすべての権限を行使』されること、具体的には『購入、売却、貸与、仲介、または、これらと同様の自由を剥奪する行為』の対象となること」であると客観的かつ明確に定められている。
次に「事実認定」として、慰安婦の①募集形態及び②生活条件等については、原告及び被告の間に争いは存在しない。慰安婦が一定の自由を得ていたことは、吉見氏も自著に記述している。
本来、「事実認定」に争いがない場合、一般的な「規範定立」が一致していれば、何人であれ同一の「結論」が得られるはずである。従って上記「規範定立」と「事実認定」に照らせば、「慰安婦は、国際法上の「奴隷」または「性奴隷」の定義・要件には該当しない」、換言すれば、「慰安婦=日本軍の性奴隷」という概念は歴史的事実として真実ではない、という論理展開の「結論」が得られる。
ところが、吉見氏の主張が悪質なのは、慰安婦が国際法上の「奴隷」または「性奴隷」の定義・要件に該当しないことを熟知しながら、特に「規範への事実の当てはめ」の段階で自らの政治的主張を潜り込ませることにより、「慰安婦=日本軍の性奴隷」という虚構の事実を捏造し、事実と見せかけて自身の政治的主張を世界中にまき散らしたことである。かかる吉見氏の主張と行為は、日本国及び日本国民の名誉と尊厳を故なく毀損するものであり、断じて許す訳にはいかない。
『日本維新の会 NEWS RELEASE』
https://j-ishin.jp/legislator/news/2013/10/08/%E7%AC%AC%E4%B8%80%E5%9B%9E%E5%8F%A3%E9%A0%AD%E5%BC%81%E8%AB%96%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%AA%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%B9.pdf

この文章は、桜内代議士の法廷陳述の概略の一部である。いろいろ問題はあるが、ここでは省略しておこう。一番問題なのは、「次に『事実認定』として、慰安婦の①募集形態及び②生活条件等については、原告及び被告の間に争いは存在しない。慰安婦が一定の自由を得ていたことは、吉見氏も自著に記述している。」という文章である。慰安婦について、桜内代議士がどのような見解をもっているのかは、とりあえずおくとしよう。しかし、「慰安婦が一定の自由を得ていた」と吉見氏は『従軍慰安婦』で書いているのだろうか。そして、慰安婦の募集形態と生活条件について、吉見氏と桜内代議士の間について、本当に「争い」はないのだろうか。

そこで、ここでは、吉見氏の『従軍慰安婦』がどんな本かを簡単にみていくことにする。

まず、本書の構成をみておきたい。

Ⅰ 設置の形態と実態ー第一次上海事変から日中戦争まで

Ⅱ 東南アジア・太平洋地域への拡大ーアジア太平洋戦争期

Ⅲ 女性たちはどのように徴集されたかー慰安婦たちの証言と軍人の回想

Ⅳ 慰安婦たちが強いられた生活

Ⅴ 国際法違反と戦犯裁判

Ⅵ 敗戦後の状況

終章

非常に簡単にいえば、「はじめに」では、河野談話その他、1995年までの従軍慰安婦問題の推移について記し、従軍慰安婦について「日本軍の管理下におかれ、無権利状態のまま一定の期間拘束され、将兵の性交の相手をさせられた女性たちのことであり、『軍用性奴隷』とでもいうしかない境遇に追いこまれた人たちである」(本書p11)と定義している。

その上で、ⅠとⅡでは、慰安所が、日本軍の占領地においてひろがっていく過程を、時系列でおっている。慰安所は、占領地での強姦防止や性病予防のためとして日本軍が設置を必要としていたもので、設置や慰安婦の輸送などについては軍や警察が関与していたと述べられている。ⅠとⅡにおいて、「軍用性奴隷」の「軍用」ということが了解されるように論理展開されているのである。

そして、Ⅲでは、慰安婦がどのように集められたということが記載されている。これは、(1)日本内地、(2)植民地(朝鮮・台湾)、(3)占領地(中国・東南アジアなど)で、様相が異なっているとされている。(1)の日本内地の場合は、貸座敷などから集められた売春婦が多いとされている。(2)の植民地の場合、警察などが直接強制するというより、詐欺や身売りなどを通じて集められたことが多いとしている。しかし、警察なども身分証明書の発給などで協力したとしている。(3)の占領地の場合は、軍が直接強制して集めさせる場合が多かったとしている。吉見氏の記述による場合、(1)の日本内地の場合を除けば、直接的強制の有無はあるものの、自由な合意のない形で慰安婦にされていったケースが多いということになるだろう。

Ⅳでは、慰安婦たちの生活について述べられている。慰安婦については性交を強要され、過酷な場合では一日に数十人の相手しなくてはならなかったとされている。休日はとくに決めていないか、あっても月に1〜2回程度だったという。料金は有料だったが、前貸金や日用品などで搾取され、十分慰安婦に渡らなかった場合も少なくなかったとされている。重要なことは、日常的に外出が制限されていたということである。そして、本来兵士の性病予防のためのものであったはずだが、性病に伝染することは多かったとされている。そして、Ⅳの最後で、「事実上の性的奴隷制である日本の国内の公娼制でも、一八歳未満の女性の使役の禁止、外出・通信・面接・廃業などの自由を認めていたが、この程度の保護規定すらなかった。従軍慰安婦とは、軍のための性的奴隷以外のなにものでもなかったのである」(本書p158)と述べている。よく、慰安婦を集める際の「強制」の有無が問題にされるが、吉見氏の場合、むしろ、慰安所における無権利状態をさして「性的奴隷」といっているのである。

Ⅴでは、そのような慰安制度のあり方は、当時においても国際法違反であったこと、そして、抑留所にたヨーロッパ系民間人を強制的に慰安婦としたジャワ島スマラン慰安所については、戦後、戦犯裁判となったことが記載されている。つまり、第二次世界大戦の当時から慰安婦制度は国際法では認められないものであったのである。

Ⅵでは、戦後の占領軍の慰安所設置や強姦事件の問題が述べられた後、各国の軍隊における慰安所類似施設の問題が検討されている。ナチスドイツの場合は軍用慰安所が設置されたとされているが、英米軍においては慰安所設置は一般的とはいえなかったとされている。このように、各国軍隊を比較した後、慰安婦たちの苦難にみちた「戦後」が語られている。

終章では、公娼制度との比較がなされた後、従軍慰安婦制度の本質について、(1)女性についての人権侵害、(2)人種差別・民族差別、(3)経済的階層差別、(4)国際法違反の戦争犯罪からなる「複合的人権侵害」であると指摘している。

少なくとも、吉見氏の『従軍慰安婦』を読む限り、「慰安婦が一定の自由を得ていた」などと書いてはいない。「事実上の性的奴隷制である日本の国内の公娼制でも、一八歳未満の女性の使役の禁止、外出・通信・面接・廃業などの自由を認めていたが、この程度の保護規定すらなかった。従軍慰安婦とは、軍のための性的奴隷以外のなにものでもなかったのである」と吉見氏は書いているのであり、全く逆のことを強調している。そして、このことは、結論だけをとってつけた形で述べているのではなく、叙述全体から実証されるように論理展開がなされている。

さてはて、桜内代議士の法廷陳述は、そもそも『従軍慰安婦』での記述と全く反することを述べ、それを「吉見氏が書いた」としている。読めばすぐわかるような叙述を無視したのである。彼自身が『従軍慰安婦』を自身で読み通したかどうかわからない。しかし、吉見氏の『従軍慰安婦』を全く読まないで批判している人びとのことしか相手にしていないということにはなるだろう。「従軍慰安婦」制度をどう認識するかということは、それぞれいろんな問題があるだろう。しかし、それ以前に『従軍慰安婦』という本がどのように叙述されているのかということすら不明なのである。

桜内代議士は、東大を卒業して財務省に入省し、政治家になる直前には新潟大学で准教授をしていた人である。引用した箇所をみても、形式論理を駆使する「知性」は感じられる。しかし、それは、『従軍慰安婦』という書物に具体的に書かれた叙述を理解して(批判的であっても)の上のことではないのである。そして、このような営為を許している社会もまた問題なのである。

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現在(2012年6月26日〜7月9日)、「中国に残された朝鮮人日本軍「慰安婦」の女性たちー安世鴻写真展」が新宿駅西口の「新宿ニコンサロン」で開かれている。

この写真展開催にあたっては曲折があった。まず、次の毎日新聞配信記事をみてほしい。

写真展:「慰安婦」巡る展覧会、ニコンが中止決定 作家は「理由の説明を」
毎日新聞 2012年06月04日 東京夕刊

 名古屋市在住の韓国人写真家、安世鴻さん(41)が新宿ニコンサロン(東京都新宿区)で26日〜7月9日に予定していた写真展「重重 中国に残された朝鮮人元日本軍『慰安婦』の女性たち」が、会場を運営するニコンの判断で中止されることになった。ニコンは「中止の理由は『諸般の事情』以上でも以下でもない」とし、安さんらは経緯の説明と展覧会の開催を求めて法的措置も検討している。

 新宿や銀座、大阪にあるニコンサロンの展覧会は、ドキュメンタリー写真を中心にした質の高い展示で知られる。応募作の中から運営委員が選抜し、ニコンが決定する方式だ。運営委員は写真家や評論家ら5人。委員会を隔月で開催し、展示予定の写真50枚程度を見て多数決で選んでおり、競争率は10倍を超えるという。委員会では安さんの作品について、疑問の声は上がらなかった。委員によると、開催が決定した展覧会の中止は異例という。

 安さんには5月22日にニコンから電話で中止の連絡があった。「理由の説明もない中止決定は納得できない」として翌日、説明を求める書面を送付したが、電話と同じ内容の回答しか得られなかった。安さんとともに展覧会を準備してきた市民グループ「重重プロジェクト」のメンバーは「国内で考え方の分かれる『慰安婦』というテーマについて、表現の機会が奪われた。ニコンからは説明もなく、理解できない」と話す。
http://mainichi.jp/feature/news/20120604dde018040036000c.html/

なぜ、ニコンサロンは中止を通告したのか。その背景を、「週刊金曜日」のネット配信記事は、次のように分析した。

カメラのニコンは世界中の写真家、写真愛好家の間で愛されているメーカーだ。それゆえ、五月末に各メディアを駆けめぐった名古屋在住の韓国人、写真ドキュメンタリー作家、安世鴻さん(四一歳)の写真展を一方的に中止したニュースは言論・表現の自由に対する裏切り行為そのものと受け止めた人が多かったに違いない。

 報道の自由を擁護する国際ジャーナリスト団体「国境なき記者団」のアジア太平洋局長、ベンジャミン・イシュマル氏は五月三一日、「展示会中止に対しての情報統制を非難する」との正式なコメントを出し、「ニコンという民間企業がナショナリスト的扇動の外圧を受け入れ、検閲に加担したということは大変遺憾である」と述べた。

 六月に予定されていた新宿ニコンサロンでの写真展「重重―中国に残された朝鮮人元日本軍『慰安婦』の女性たち」。中止の理由としてニコン側は「諸般の事情を総合的に考慮」(五月二四日付文書)とし、今回の写真展だけでなく九月の大阪ニコンサロンでの展示のキャンセルまでも一方的に告げた。安さんはその後、ニコン側と文書でやりとりする。筆者が三〇日にニコン広報に電話で聞くと、最後になってようやく「個々の中身は言えないが、抗議の電話、メールがかなりあった」とし、右翼側からの働きかけによって中止を決定したことを事実上認めた。

 実際、五月二五日には東京・有楽町のニコン本社前で、「主権回復を目指す会」が、「祝! 安世鴻写真展中止! 写真展中止は国益に適った判断」との横断幕を掲げ集合。ネットの掲示板でも写真展に関して、「売国行為をやめよう」「ニコンに不買運動すべき」「抗議電話して売国行為やめさせよう」などと非難する声明や誹謗中傷する声が掲載された。

 問題はさらに続いた。写真展中止に関するニュースが流れ始めて二日後の五月二六日、安さんの個人情報がネット上に漏洩。安さんとその家族の身の安全にまでも深い影を落とし始めた。

 今回の展示作品は、戦後中国に置き去りにされた旧日本軍の韓国人元従軍「慰安婦」らを被写体としたもの。九〇歳以上の一二人の元慰安婦らが写真に収まっている。「忘れ去られた女性らを覚えていてほしい」との思いが撮影の動機で、「これのどこが政治的プロパガンダなのだ!」と安さんは怒りに身体を震わせて言う。

「外圧によって写真展を中止したニコンの対応は将来、写真家に『この写真ならニコンには展示できるかできないか』と考えさせる余地を与え、結果として表現の自由が消えていくことが懸念される」

 表現の自由だけでなく、この国には品位も見識もないのか。

(瀬川牧子・ジャーナリスト、6月8日号)
http://www.kinyobi.co.jp/kinyobinews/?p=2127

いわゆる「右翼」側の抗議で、ニコンサロンは中止を通告したというのである。

しかし、安氏側は、法的処置をとり、東京地裁に訴えた。そして、東京地裁は、開催実施の仮処分命令をニコンサロンに出した。そのことを、産經新聞のネット記事は、次のように伝えている。

「元従軍慰安婦写真展」の会場使用を認める 東京地裁
2012.6.22 18:54
 「元従軍慰安婦」を題材にした写真展について、会場の使用中止を通告されたのは不当として、韓国人写真家が会場運営元のニコンに施設使用を求めた仮処分について、東京地裁は22日、申し立てを認める決定をした。ニコン側は同日、異議を申し立てた。

 仮処分を申し立てたのは、名古屋市在住の安世鴻(アン・セホン)さん(41)。安さん側によると、朝鮮人の「元従軍慰安婦」を撮影した38点を展示した写真展を今月26日~7月9日に東京都新宿区の「新宿ニコンサロン」で開催予定だったが、先月22日、ニコン側から中止を通告された。

 ニコン側は「写真展を政治活動の場にしようとしており、応募条件に違反する」と主張していた。

 伊丹恭裁判長は、「ニコンサロンは写真文化の向上を目的とする写真展に貸与するための施設」とした上で、「写真展が政治活動としての意味を有していたとしても、写真文化の向上という目的と併存し得る」と判断。安さんが申込書に写真展の内容を記載し、展示写真も提出した上で使用承諾を受けていることからも「施設使用の趣旨に反するとはいえない」とした。

 ニコンは「弊社の法的な主張が認められなかったことは、誠に遺憾」とコメントしている。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/120622/trl12062218560005-n1.htm

そして、この仮処分命令通り、写真展は開催されることになった。しかし、先の記事にあるように、ニコンサロン側は納得せず、即日異議を申し立てた。さらに、さまざまな制約をこの写真展に課したといわれている。

6月29日午後、私も写真展を見学した。全く写真展開催は掲示されないまま、ビルの中では、やたら警備員が多く配置され、会場入口には金属探知機が置かれ、手荷物検査が実施されていた。中には、かなり多くの人がいたが、それをニコンの社員が監視していた。知人に聞くと、この場所の会話を録音していたそうである。そして、写真展を撮影することを禁じる掲示が出されていた。

写真展開催を無視したニコンサロン掲示板(2012年6月29日)

写真展開催を無視したニコンサロン掲示板(2012年6月29日)

そして、さほど広くはない場所で、中国で年輪を重ねて生活している元従軍慰安婦の30数枚の写真が展示され、「主催者挨拶」もパネルになっていた。写真については下記の主催者サイトでみてほしい。しかし、それ以外は、何も展示されていなかった。「写真」しか展示されていないのである。キャプションがないのである。

http://juju-project.net/

そして、写真展を説明し、写真に写っている元慰安婦たちを紹介するパンフレットがあったが、それはサンプル版しかない。知人によると、その販売もニコンによって差し止められたとのことである。結局、希望者は、連絡先を書いて、後日郵送してもらうことになっていた。

これらが、開催について、ニコンサロン側のつけた「制約」であると考えられる。字義通りに「写真」の展示しか認めておらず、その他、表現は差し止められていた。これが、日本を代表するカメラメーカーであるニコンの営為なのである。

7月1日、新宿に用があるので、もう一度、写真展を再訪してみた。入場制限がかけられ、20分くらい待たされた。中に入ってみると、声高に、写真を批判する人びとが居座っていた。写真家の安氏もいたが、キャプションでもパンフレットでも表現の手段が制約され、たぶん、ニコン社員の監視下では口論することも難しかったと考えられる。29日の時は、さかんにお話している姿がみられたが、この日は沈黙していた。

そして、東京地裁は、本処分でも、安氏を支持し、ニコン側の異議申し立てを却下した。このことを7月3日、朝日新聞はネット配信した。

ニコンの異議申し立て認めず 元慰安婦写真展で東京地裁
 元朝鮮人従軍慰安婦に関する写真展をめぐり、東京地裁(福島政幸裁判長)は、いったん中止を決めたニコンに会場を使用させるよう命じた6月22日の仮処分決定を支持し、ニコンの異議を退ける決定を出した。写真展は予定通り6月26日から東京・新宿のニコンサロンで開かれており、継続される見込み。

 写真展を開いている韓国人写真家の安世鴻(アン・セホン)さんによると、決定は6月29日付。会場の使用契約は成立していたと認定し、「ニコンは会場を使用させる義務がある」と判断。ニコン側の「『写真文化の向上』という会場使用の目的に反する」との主張も退けた。

写真展をめぐっては、ネット上で「売国的な展示で国益に反する」といった批判が広がり、開催決定後の5月22日、ニコンが安さんに中止を通告。だが会場を使用させるよう命じる仮処分決定が出ていた。

http://www.asahi.com/national/update/0703/TKY201207030111.html

とりあえず、写真展は開催されるようである。しかし、ニコン側の「制約」はそのままではないかと思われる。こういうことが、現代の日本の首都で行われていることから、私たちは目を背けてはならないだろう。

付記:写真キャプションは「写真キャプションは、作家本人の意図によりあえてつけておりません。写真のすぐ下に貼られた文字を読んで、見る人と写真の間に余計な先入観が生まれないように。直接写真と向き合えるようにという意図のもとです。」とのことである。ここで訂正しておきたい。なお、キャプションの代わりに説明はパンフレットで行う予定であったが、その配布をニコン側がさしとめたとのことである。

 

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