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ここで、最近、関心の的となっている、尖閣諸島問題を、通常とは別の視角からみておこう。2012年8月15日、香港の活動家らが尖閣諸島の魚釣島に強行上陸し、日本警察によって逮捕され、強制送還された。このことを契機に、中国の多くの都市で、デモが行われた。他方、19日、上陸が規制されている魚釣島に、地方議員を含む日本人10人が上陸し、彼らも事情聴取された。

ここでは、日本人の魚釣島上陸について、みていきたい。まず、このことを伝える朝日新聞のネット配信記事をみておこう。

尖閣上陸、5人は地方議員 沖縄県警が10人任意聴取へ

 尖閣諸島(沖縄県石垣市)の魚釣島沖で戦没者の慰霊に参加した日本人のうち10人が19日午前8時前、船から泳いで魚釣島に上陸した。灯台付近で日の丸を掲げたり、灯台の骨組みに日の丸を張りつけたりした。海上保安庁の呼びかけで、午前10時までに10人全員が島を離れた。慰霊には国会議員も参加したが、上陸しなかったという。
 関係者によると、上陸者のうち5人は東京都と荒川・杉並両区、兵庫県、茨城県取手市の各議員。残る5人は民間人。
 海上保安庁は上陸者が戻った船を立ち入り調査したが、法令違反はなかった。政府は島を借り上げて立ち入り禁止にしており、沖縄県警は許可なく上陸したとして、軽犯罪法違反の疑いで20日に10人から任意で事情を聴く方針。
 今回の慰霊の一行は、18日夜に船で石垣島を出発した自民、民主、きづなの超党派の国会議員8人らと、宮古島や与那国島を出たグループを含む総勢約150人。21隻の船団で尖閣沖を目指した。
 19日午前5時すぎに魚釣島沖に到着。船上で午前6時40分ごろからの慰霊祭を終えた後、メンバーが船から海へ飛び込んで上陸した。
 乗船した自民党の山谷えり子参院議員は19日夕、石垣島に戻って会見し、「上陸は正当化できるものではないが、気持ちは分かる」と述べた。山谷氏らは今月初め、慰霊祭のため上陸許可を政府に求めたが、政府は尖閣諸島の平穏かつ安定的な維持管理の観点から、認めていなかった。(後略)
http://www.asahi.com/politics/update/0819/TKY201208190072.html

この記事内容については、さんざん報道されているので、ここでは言及しない。ただ、気になったことがある。この「上陸」が「戦歿者慰霊」を名目にして行われたということだ。ここでいう「戦歿者」について、朝日新聞(他の多くのマスコミも)は多くを語っていない。

その疑問に答えたのが、沖縄の地方紙琉球新報が8月21日にネット配信した記事である。まず、この記事の最初の部分をみておこう。

「慰霊祭利用された」 遺族会、署名を拒否 尖閣上陸
 2012年8月21日

 【石垣】尖閣列島戦時遭難者遺族会の慶田城用武会長(69)は20日、琉球新報の取材に応じ「日本の領土を守るため行動する議員連盟」の山谷えり子会長(自民党参院議員)から洋上慰霊祭を目的とした上陸許可申請に署名を求められ、拒否したことを明かした。慶田城会長は「遺族会の気持ちを踏みにじり、慰霊祭を利用して上陸したとしか思えない」と話し、議連の洋上慰霊祭や地方議員らの魚釣島上陸を厳しく批判した。
 慶田城会長によると、約10日前に領土議連の山谷会長から電話があり、政府に提出する上陸許可申請への署名を求められた。慶田城会長は「領土を守るという議連の考えと、み霊を慰めるとの遺族会の考えに違いがある」と、依頼を断った。
 領土議連は尖閣諸島へ出港する前の18日、石垣島にある尖閣列島戦時遭難死没者慰霊之碑前で慰霊祭を開催したが、遺族会に案内はなく、参加した遺族は1人だけだった。洋上慰霊祭への参加依頼もなかった。
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-195921-storytopic-1.html

まず、第一に確認しておかねばならないことは、この「慰霊祭」を企画した「日本の領土を守るため行動する議員連盟」と、尖閣諸島で戦歿した人びとの遺族会とは考え方が違っているということだ。前記の遺族会長は「領土を守るという議連の考えと、み霊を慰めるとの遺族会の考えに違いがある」と、明確に述べている。ゆえに、議連の企画した「慰霊祭」に、遺族会はほとんど参加しなかったのだ。

その上で、この記事では、「尖閣列島遭難事件」について、このように説明している。

 

尖閣列島遭難事件は沖縄戦で日本軍の組織的な戦闘が終了した後の1945年7月、石垣島から台湾に向かった2隻の疎開船が米軍の攻撃を受け、1隻が沈没、もう1隻が尖閣諸島の魚釣島に漂着し、米軍の攻撃や漂着後の餓死などで多くの犠牲者が出た事件。慰霊碑は魚釣島と石垣島の両方にある。
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-195921-storytopic-1.html

私もこの事件についてほとんど知らなかった。沖縄戦以降、石垣島から台湾に向けた2隻の疎開船が米軍の攻撃を受けてなくなった事件である。戦歿者といっても、ほとんどが石垣島からの避難民なのである。

ウィキペディアには、かなり細かく、この事件が紹介されていた。『沖縄県史』などにも記載があるようである。詳しい経緯は、それらを参照されたい。ただ、この事件の背景について、ウィキペディアからみておこう。

太平洋戦争も後期となった1944年(昭和19年)6月のアメリカ軍サイパン上陸を契機に、大本営は沖縄県民の島外疎開を検討し始めた。そして、同年7月7日の閣議で、女性・子供・高齢者を対象に日本本土へ8万人・台湾へ2万人を疎開させる計画が決定された。一般住民の島外疎開はあくまで勧奨の形式で行われ、県や警察による強い行政指導は伴ったものの法的強制力は無かった。本事件の遭難者の回想でも、台湾疎開は縁故を頼る自由疎開だったと述べるものがある。ただ、この点について、「軍命」であったと主張する者もある。
学童疎開船「対馬丸」や軍隊輸送船「富山丸」の撃沈などがあったため疎開に応募する者はなかなか増えなかったが、1944年10月10日の十・十空襲でようやく機運が高まり、1945年3月上旬までに九州へ約6万人、台湾へ宮古島・石垣島から2万人以上(ほか本島からも2千人)が疎開した。石垣島から台湾への疎開は、4月の沖縄本島へのアメリカ軍上陸後も続けられており、本船団は24回目の石垣島から台湾への疎開船であった。厚生省の調査では沖縄からの疎開船延べ187隻が確認されたが、そのうち「対馬丸」が撃沈された以外には被害がなかった。本船団2隻の遭難は、「対馬丸」以外に沖縄からの疎開船が被災した数少ない例ということになる。なお、鹿児島県徳之島からの疎開では、「武洲丸」が撃沈されている。
本事件遭難者の多くの出身地である石垣島は、沖縄戦において地上戦にはならなかった地域である。守備隊としては陸軍の独立混成第45旅団(旅団長:宮嵜武之少将)が配備され、指揮下に海軍石垣島警備隊などが存在した。地上戦は無かったものの空襲は受けており、十・十空襲の際に4日間で延べ約40機が来襲したのを皮切りに、1945年3月末から6月下旬にかけてイギリス機動部隊を中心とした空襲が頻繁であった。アメリカ海軍のPB4Y-2(B-24爆撃機の海軍仕様)も占領した沖縄の飛行場等から作戦行動を行っていた。ただ、7月に入ってからは沖縄本島での組織的な地上戦が終わり、空襲も減少していた。八重山諸島では、島外疎開を選ばなかった住民に対し6月から山地への島内疎開が命じられており、波照間島などの住民は西表島へ移住させられていた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%96%E9%96%A3%E8%AB%B8%E5%B3%B6%E6%88%A6%E6%99%82%E9%81%AD%E9%9B%A3%E4%BA%8B%E4%BB%B6

この尖閣列島遭難事件における直接の加害者はアメリカ軍である。しかし、間接的にいえば、石垣島からの避難を勧奨した日本政府・日本軍の責任もあるといえよう。究極的にいえば、単に「外敵」を措定するのではなく、「戦争」それ自体を否定せざるをえないといえる。先の琉球新報の記事は、このように伝えている。

 

事件で兄を亡くした慶田城会長は「私たちは毎年、尖閣が平和であることを願って慰霊祭を開催し、二度と戦争を起こしてはならないと誓っている。慰霊祭を利用して戦争につながる行動を起こすことに対し、無念のうちに死亡したみ霊は二度目の無念を感じていると思う」と強調した。
 領土議連や上陸した地方議員の行動に「上陸合戦で問題は解決しない。日中の緊張を高める意味で、尖閣に上陸した香港の活動家と同じように映る」と指摘。「日中ともに上陸した後の目的がなくエスカレートするばかりだ」と危惧した。
 また「上陸に異を唱える発言をすると『非国民』と批判が出る空気がある。私もよく『中国寄り』と批判を受けるが、愛国心の出方が違うだけだ。戦争に向かうような行動はしてほしくない」と話した。(稲福政俊)
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-195921-storytopic-1.html 

このことを検討して、考えてみた。この問題は、ある意味では、戦争に対する責任という問題につながっていく。その意味で「私たちは毎年、尖閣が平和であることを願って慰霊祭を開催し、二度と戦争を起こしてはならないと誓っている。慰霊祭を利用して戦争につながる行動を起こすことに対し、無念のうちに死亡したみ霊は二度目の無念を感じていると思う」という、慶田城遺族会長の発言は重い。

しかしながら、結局のところ、今回の「慰霊」を目的にした「上陸」は、そもそも、なぜ、この尖閣諸島で「戦歿者」が出たのかという経緯とそれを遺族たちがどのようにとらえたかということを無視し忘却することによって成り立っているといえよう。どのように、議員連盟が考えているのかわからないが、「戦歿者慰霊」ー「遺族会」ー「愛国」というような単純化された図式が、彼らの頭の中にあったのではなかろうか。具体的な差異を無視し、忘却しつつ、外側に敵(この場合は中国)を措定して、「国民の団結」をはかるということが彼らの戦略なのだろうと思う。そして、それは、「上陸に異を唱える発言をすると『非国民』と批判が出る空気がある。私もよく『中国寄り』と批判を受けるが、愛国心の出方が違うだけだ。戦争に向かうような行動はしてほしくない」と遺族会長が語っているように、そのような「遺族」に対する抑圧につながっていくのである。

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