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Posts Tagged ‘小田原琳’

さて、前回のブログで、主に小田原琳の「闘うことの豊穣」(『歴史評論』2013年7月号)の中で紹介されている2013年3月15日の金曜官邸前抗議におけるシュプレヒコールをもとに、3.11によって「反核」が「反核兵器」から「反原発」を意味するようになったことを論じた。

その要因として、私は「『原子力の平和利用』とされてきた原発が反核意識の中心におかれるということは、反核意識が『平和』『日常』そのものを問い直さなくてはならないものとなったということを意味しているといえる。翻って考えてみれば、福島第一原発事故とそれによる放射性物質の汚染という問題が、今まで『平和な日常』とみなしてきた自分自身の眼前に及んできたということを意味してもいるだろう。」と指摘した。

それでは、「福島第一原発事故とそれによる放射性物質の汚染という問題が、今まで『平和な日常』とみなしてきた自分自身の眼前に及んできた」ということは、どういうことを意味するのだろう。改めて、自問自答してみた。

もう一度、小田原の主張をみてみよう。小田原は、3.11以後学んだこととして、次のことをあげている。

福島第一原発事故を機に、多くのひとびとが、原子力=核利用の非合理性と非道徳性を学んだ。都市生活を支える電力を供給するための原発が、経済的自立を奪われた地方に建設されていたこと。運転中にも、廃炉作業が必要であること。事故以前より確実に高くなった線量下で生活するという経験は人類史上まれに見ることであり、したがってその危険性について、信頼できる科学的知見は歴史的に存在しえないこと。地震と津波によって多くの命が失われ、大切なものを失ったたくさんのひとびとがいること。そのうえ、原発事故から強制的に、あるいは自主的に避難して、不安な生活を送らなければならない多くのひとびとがいること。安全か、安心か、確信のもてぬままに、不安と葛藤のなか被災地で生きつづけるひとびとのこと。それらのひとびとの声に、ほとんど応答することのない政治と、それを支えるメディアや経済界を実体として感知し、それに対する怒りの表現として、官邸前抗議行動がある(小田原前掲書p68) 。

前回のブログでとりあげたシュプレヒコール同様、一見耳慣れたことのように思える。しかし、実は、極めて新たな感性に基づいたものでもある。この中では、まず、「生活」ということが主題となっている。「都市生活」を支える「電力」。「高線量下の生活」。そして、被災地における「避難生活」。このように、まず「核」とは3.11以後の「生活」の中に存在しているものとして意識されている。いうなれば、戦争/平和という「将来」の危機ではなく(なお、冷戦下では、全面核戦争の危機は眼前のものと認識されており、また今でも原子力の軍事転用は大きな問題であるが)、すでに「生活」の中に「核」の危機は存在しているのである。そして、それは、「都市生活」という言葉で表現されているように、自らの外部ではなく、内部にも存在しているものである。

このような危機感は、たぶん、福島第一原発が廃炉処理されるという数十年間続くものであろう。地震があっても、台風が来ても、常に自分のところだけではなく、福島第一原発のありようが懸念される。食物についても、居住地についても、つねに「危機」の中で生活をしなくてはならないことが実感されてしまう。東京オリンピックが開催されようが、消費税が増税されようが、核に対する危機感は生活の中で厳然として存在し続ける。考えまい、忘れようとすることもなされるが、そのような危機感の抑圧は、歪んだ形でそのエネルギーが噴出されていくことになると考えられる。

このように、常に核の「危機」を意識して「生活」をするということ、これが3.11が私たちに与えた一つの「条件」であるといえるのである。そして、その中で、すべてが変わっていかざるをえないと私は思う。

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